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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2013年7月 6日 (土)

ちょっと悲しかったこと

 仕事上のおつきあいの方と久しぶりにお会いして仕事の話をすることになったんですが、気が合うというのか、単に「仕事で会う」ということだけではなくて、久しぶりに会えることをその方がとても喜んでくださったんですね。

 で、私もうれしくて、その話をパートナーにしたんです。そしたら、ちょっと言葉は正確ではないかも知れませんが、「そういう話を人に言いふらすことに意味があるわけ?」という反応でした。

 「いや、言いふらすって、○さん(パートナーの名前)だから言うんだけど。誰にでもいう話じゃなくてね。嬉しかったし、○さんは僕のことを心配してくれているから、いいことがあったら伝えたいし。」というような説明をしたんですが、納得がいかないようでした。

 パートナーが嬉しそうにしているときは私も嬉しい気持ちになるし、しんどそうな顔をしているときには私もつらくなるし、そして同じように私がつらそうな顔をしているときは、パートナーも落ち込んだ感じになるわけです。そういうこともあるし、嬉しいときには嬉しいことを伝えたく自然になるんですね。

 それからしばらくしてその話になったんですが、「相手が自分(パートナー)との関係を喜んでくれている、というのが、単に自分の思い違いに過ぎなかった、という体験を繰り返した。」ということと、「パンダは相手から喜ばれていると過剰に思いすぎる傾向があるんじゃないか」という危惧感とを抱いているから、そういう話を聞いても素直に喜べない、というのが(私が理解できた範囲での)とりあえずの彼女の説明でした。

 その説明を私自身がすっと気持ちで納得できるわけではありませんけれど、理屈としては理解は出来ます。でもやっぱり寂しいという思いは誤魔化すことが出来ませんね。彼女も「一緒に喜んであげられないことは申し訳ないと感じる」と言ってくれるのですけれど。

 トマトさんじゃないけど、寂し~!

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コメント

トマトです。

そんなんスよね〜!!!!!!!
ASの人にどんなふうに説明すれば、頭でも感覚でも理解してもらえるのか、解らないのですが
こちらが本能的に「共感をもらえることを前提として」話をしたとき、はるか想定外の「えっ?」と耳を疑う反応をされたとき・・・「エェ〜ン、寂しぃ〜っ!」しか無いですわいね。

まだまだ甘いぞ、定型!

隙の無い理論仕立てで「定型の勝手なおろかな幻想」「独りよがりな思い込み」と言われれば。反論できないしなぁ。
あ〜ぁ。寂しい「こっちだけの感情」です。

感情の受け答えについては「なぜ普通にこだわるのか」のスレッド(2013年7月 6日 (土) 15時29分)に書いてしまったので、トマトさんのコメントを読んでの思ったことを書きます。

「隙のない理論立て」とか「反論できない」とか、そういう風にASの人物像を評して対応しているのは、ちょっと僕の思いと違っていました。
もちろん、トマトさんのお友達と僕が同じ考えかどうかは分からないので断定できないのですが、僕が「理論立てた話し方」を選ぶのは、理論立てて話さないと「内容もスジも訳分からん。何いってんだこいつ」と多数派からとっちめられるからですよ。言いたい事を伝えたいから、やむなく筋道を立てているのです。

筋道立てて発言した結果、「自信満々に断定した」とか「反論を寄せつけない」という印象を残すのは、よくない傾向と感じます。

僕が定型的発想を「幻想」とか「思い込み」とこき下ろしているのは、僕に無い物を持っている人へのヒガミが出ているとも言えるわけで、別に理論的に回答をする必要もないかもしれません。「割り切れない気持ち」がテーマなのですから。
「文字でやり取りする」という場だと、理論的っぽい語り方をする方に分があるかも?というのはあると思いますが、思うままに語り合えれば良いと思います。
(もちろん、公の場という節度は要りますが)

「節度」に関しては、僕自身、踏み外しているときも。
ご指摘くださいませ。

玄さんの
言いたい事を伝えたいから、やむなく筋道を立てているのです。
から思い出したのは、「伝えたいこと」が「伝わるため」にはどうすればいいのかな、と言うことです。
伝えたい切なる思いが伝われば「ルート(経緯)」や「ツール(手段)」は何でもいいと思います。
自分の手持ちの三角定規(ツール)が使えないならば、誰かにコンパス貸してm(_ _)mって借りてみたり。
玄さんは方々からツールを拾ってくる、あるいは借りてくる方だと思います。
それこそ、相互理解の近道だと思うのですが。いかがでしょうか。

玄さんへ。 トマトです。

定型のよくおちいる「共感ありき」「フツーの共有」「相手を理解しているという感情」などが
幻想・思い込み・単なる独りよがりなどと、
ASの友人、知人、同僚、そしてネットを介して様々なAsの人に言われてきたので
場合によっては「確かに、おっしゃる通り」と思い当たるときもありますが
今回
パンダさんと奥様の今回の会話は、弾んだ気持ちで「嬉しかったよ」と報告した時に
『そういう話を人に言いふらすことに意味があるわけ?』
と言われたら・・・
言葉を失いボーゼンとして「言いふらすって・・」と立ちすくんでしまうだろうなぁ
という強い共感を勝手に感じてしまったのです。
定型の多くの、奥様の反応予想は「良かったわね」くらいしか思いつかない(と思われる)でしょうから。

元さんに特定してのコメントではなく、いかにもASと定型ならではの、会話の追突事故みたいな痛みを感じて、感情を書いてしまいました。

私も過去、ASの友人や職場のAS同僚の言葉に、驚きを越えてショックを感じたことが何回かありました。何をどう考えても、そんな返答は出て来ようはずが無いレベルの言葉だったからです。
今は、驚いても「ちょっと待て、落ち着け自分」と態勢を整えて「それってさぁ、日本語間違いじゃないかな?」と確認できるようになりました。
「どこが間違っていると言うのですか?」と、対話につながるように。
だから・・・どっかで「もう大丈夫」とか、思い上がっていたのですね。

パンダさんと奥様の会話に「うわぁ」と感じるようでは。
そして、落ち着く先は、理論で説明され「はいはい、なるほど」と頭で解っても、胸の奥の感情は、始末がつかず「寂しいなぁ」と自己処理をする、という図もありです。

確かに、パンダさんの奥様の経験値から「それはあなたの思い違いかもよ」という分析や予想も生まれても不思議ではないです。
しかし、定型的に言うと、いかにも嬉しそうに語っている夫の笑顔をシビアな意見で曇らすほどのこともなかろう・・という感覚なのです。

毎回騙されまくっている夫が、また騙されて高価なニセモノを買わされた場面ではないので。

自分の言動を優先するのか、相手の気持ちを優先するのか、
事と場合、相手やタイミングを見計らうという見地で考えると・・・という前提でコメントしました。

多分ね・・・この「前提」がやっかいなのですよね。

 パンダさんの寂しい気持ち わかります パートナーさんは 会いたい人に久々に会う前のワクワク感を経験したことがないのかもしれませんね
そのタイミングで しかも 言いふらす? しかも意味がわかる?とは・・・・ 別に深い意味がある訳でもなく つい嬉しくて 何げに言っただけ 相手が定形だと きっとここで「そう 良かったね!」とか「楽しみね」と 言ってくれるでしょう それがすんなりいかないのが ASならではなのかな? 

 前回のブログで 懐かしいなごり雪について あのような些細な事で 嬉しくなったパンダさんが とても可哀想です きっと愛情に飢えてるのではないでしょうか?

 難しい話はできませんが 私の率直な感想です

トマトです。

ボビーさんのコメントは、ASの人と共に生きている定型なら慢性的に持っているであろう、共感への飢餓感、些細な事での一喜一憂の波を理解されていると感じます。
また、ASの方の中には「どうしてパンダさんが可哀想になっちゃうのか、サッパリ解らない」と思う方もいらっしゃるでしょう。

ASの方に教えていただきたいのですが、理論上の納得以外に、仕事でもプライベートでも日常会話で、通じた喜びや、気持ちの一致感の喜びとか、相手の返答次第で感情的なアップダウンはありますか?
ある方は、どんなやりとりの時でしょう?
おかまいなかったら、教えてください。

パンダさんはパートナーさんの言葉の解釈として「自分の思い違いに過ぎなかった、という体験を繰り返した」と記されていますが、僕には「思い違いかどうか確かめられない」ので、表に出す勇気がなく、体験にはなりません。
「「パンダは相手から喜ばれていると過剰に思いすぎる傾向があるんじゃないか」という危惧感」という部分は、パンダさんはパートナーさんと比較して相対的には「思いすぎる」状態なのでしょう。

定型にとって、「今日○○さんと会い、打ち解けた言葉を交わした」という経験は(思い込みであっても)喜ばしいことで、なるべく多くの人にそれを伝えたくなる。そういう性(サガ)なんだと思います。
「大事なことを伝える相手リスト」が頭の中にあって、常に載せる人数を増やそうとし、他人のリスト上では自分をなるべく上位に挙げてもらいたいと思う『脳の回路』が、あるかないかが、行動や発言の違いとなっている気がします。

ボビーさんのコメント「会いたい人に会う前のワクワク」は、あることはあります。
ただ、前に書きましたが「想定しなくてはならない場面数が膨れ上がって」頭がダウンするのが嫌なので、あまり考えすぎないようにしています。
ありがちなASのパターンでは、「こうなるに違いないという完璧な一本道の予定を立ててしまい、破綻する」というよく知られた状況も起こりえます。

なので実際の僕はやりかたは、譲れないポイントをしっかり押さえて、あとは「出たとこ勝負」が多いです。ワクワクし過ぎを抑えて、リアルタイムでの驚きを純粋に味わいたいということも言えます。そのためにその場に行くまでは平常心でいたいのです。

トマトさんへのお答えとして少しだけASを擁護するとすれば、「うれしい」「悲しい」は、非常に個人的な財産で、自分で密かに消化して日常に戻るべきもの、という文化がある、という感じです。「気持ちの一致の喜び」も、厳密には確かめられないので、自分の中で喜ぶスタイルです。
感情的なアップダウンは判断を誤らせる原因になるので、お互いのためにマナーとして極力排除します。

私も「会いたい人に会う前のワクワク」はあります。でもそれを口に出すことはないですね。もし口に出して「よかったね。」と言われたら、「何が?」って聞き返してしまいそうです。
でも私のパートナーは私がワクワクしてるのは分かるみたいですよ。自覚はありませんが何かそういう雰囲気を出しているんでしょうね。

トマトさんのご質問は難しいですね。
「理論上の納得以外に、仕事でもプライベートでも日常会話で、通じた喜びや、気持ちの一致感の喜びとか、相手の返答次第で感情的なアップダウンはありますか?」

ないとは言い切れない、あったような気もする。でも具体的な記憶はまったくないという状態です。ある気はするんですけど・・・。

トマトです。

玄さんへ、教えていただいてありがとうございます。
感情を他者や外に出さない文化もある。というご説明はすんなり納得できました。
私が所属しているサークルの女性メンバーさんが、ミーテイングに彼女の自閉圏の息子さん(成人)を連れて来ることがあるのです。
息子さんは、無表情のまま同席しているのですが、母親であるメンバーさんは「今、この子すごくウケてる」とか「うちの子、おもしろがってる」と、説明するのです。
無表情から他人は何も読み取れないけれど、さすが母親、息子さんの「表に出さない」感情の機微をちゃんととらえて、通訳しているのですね。
たまに「あ、笑った」と明確に解るときがありますが、息子さんの楽しそうな感情が表出されたとき、サークルの皆も笑顔になります。
玄さんのコメントで、感情の感染のあるなしを改めて考えることが出来ました。

ナナセさんへ。
ナナセさんのコメントを読んで、わたくしチト反省しました。
と申しますのも、ASの人の多くはご自分の感情をつかむことが苦手・・という知識を仕入れたはずなのに、またうっかり感情面の質問をしてしまいました。
「具体的な記憶はまったくない」とのこと・・感情は事象ではないので、記憶に残りにくいものとも言えますね。


トマトさん、

「感情は事象ではないので、記憶に残りにくいものとも言えますね。」

そうかもしれませんね。最初にトマトさんの書き込みを読んだ時は「ある気がする。」と思ったんですよ。でも自分のメモリーをザッと検索したら具体的な記憶が全くなく、自分でもびっくりでした。

本当にあるとは思うんですけどね、説得力がないですね。

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