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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2013年7月15日 (月)

素朴な疑問

 中島美嘉の「雪の華」を聞いていたんですが、歌詞にこんなところがあります。

 「のびた人陰を舗道ににならべ、夕闇の中を君と歩いている。手をつないでいつまでもずっと、そばにいれたなら、泣けちゃうくらい」

 それとかこんなのもあります。

 「今年、最初の雪の華をふたり寄り添って眺めているこの瞬間に幸せがあふれ出す。」

 あと、印象的なのに次のもあります。

 「君がいるとどんなことでものりきれるような気持ちになってる」

 「どんな悲しいことも僕が笑顔へと変えてあげる」

 まあ、つまり「よりそって歩いていたら(眺めていたら)幸せだ」とか「相手がいてくれることで自分が支えられる」とか「自分はあなたを幸せな気持ちにさせてあげたい(あげられる)」と言ってるわけですよね。

 これって、アスペの方のコメントとか見ていたら、もしかすると「うそでしょう?」とか「よく無責任にそんなこと言えるもんだな」とか感じられるのだろうか、とふと疑問が浮かびました。

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コメント

 この歌 よく歌います 歌詞が凄く入ってきて ロマンティックで大好きです^^
皆さん恋愛中で結婚前って こんな心境だったんじゃないでしょうか?(笑)

まさしく「共有」の心と思いますね

「雪の華」好きですよ。
寄り添って存在することが、そのまま支えあいのメッセージになる。
言葉のやり取りによる誤解など無縁の、純粋な愛情を表現していますよね。
むしろ、最も分かりやすいシチュエーションです。
分からないだろうと思われるのは残念だなぁ。

玄さん みなさん

 理解力がおいつかなくて、すみません (^ ^;)ゞ
 どっちかというと、次の言葉をどう感じられるかの方が気になりました。

 「君がいるとどんなことでものりきれるような気持ちになってる」
 「どんな悲しいことも僕が笑顔へと変えてあげる」

 これから親の介護でちょっと動かなくてはいけなくなったので、
 しばらくお返事できないかもですが、ご容赦の程を。

歌詞をどう感じるか、というのも気楽なテーマでよいですね。
 「君がいるとどんなことでものりきれるような気持ちになってる」
というのは、未来に明るい希望を感じている、ということでアリなんではないでしょうか。

 「どんな悲しいことも僕が笑顔へと変えてあげる」
ラブソングですから、嘘やダマシという気持ちではなく、ピュアに盛ってるだけ。本人が盛りあがってそう宣言しているんですから、「どうやれば笑顔に変わるんだよ!」みたいな無粋なツッコミ無しでしょう。

この歌詞は男性から女性に向けてですよね?「私の漠々たるダークサイドを知っても、あなたは愛を笑顔を保てるかしら?」みたいなことは、女性は思っても黙ってるんだろうな。

感情や共感に関して自分なりに考えるモノもあったりするものですから
コメントしてみたいなと思いつつ…
流れにまだ追いつけてはいなかったりします。
けれど
先にこちらに言語化した(脳内で感じ取った)ことを書かせて(出させて)いただきたく存じます。

>つまり「よりそって歩いていたら(眺めていたら)幸せだ」とか「相手がいてくれることで自分が支えられる」とか「自分はあなたを幸せな気持ちにさせてあげたい(あげられる)」と言ってるわけ
歌詞全文を確認してきたのですが
登場する『キミ』がどう感じたかは書かれてないですよね。
…あくまでもASな脳の個人的な感想として…
この歌詞だけだと『ボク』がASでも成立すると考えます。
『ボク』の中での言葉の定義ですから
見守る、愛する、甘えでも弱さでもないetc…いずれも『ボク』の勝手な思いだともいえます。
(逸れますが、いわゆるストーカー的な。ASには行動の結果的にそうなっちゃうこともありえます)
重要なのは相手がどう感じたか、どんな『ボク』の仕草や言動が愛だと嬉しいと安心だと感じ得るのか。
登場人物がみな定型だとしても(『ボク』がASじゃないとしても)
例えば「寄り添う」ってもどれくらいの距離でどんな過程があって…によっても
若干それのもたらす効果(共感してもらえたことによる、何かしらの情動的なプラス面)は違ってくるでしょうし
そもそもここまで細分化しちゃうあたりで「それ、共感語る上でアウトだよね」なのかもですし(謝、汗…まだ今までのコメントや記事での皆様のやり取りを拝読できてないもので(と言い訳。))
…個人的には、この歌詞だけに限らず
「互いの語の定義」と「置かれた状況」と「互いの、相手に求める期待する姿」で
随分変わってくるんじゃないかな、と感じています。
そこが「『共』感」の核の部分かなぁと。

あいよるさんのコメントに1票!

私はこの歌は風景描写が綺麗で好きですよ。パンダさんも相当この歌が好きなんですね。以前もこの歌の歌詞のことを書かれていましたよね。
一応雪の華をふたりで寄り添って見ているようですから、私はストーカー的とも思いません。玄さんのおっしゃる通り盛ってるピュアなラブソングですね。

ナナセ様のコメントを拝読して…ようやっと気が付きました、
>私はこの歌は風景描写が綺麗で好きですよ。パンダさんも相当この歌が好き

もしかしなくとも読み手によっては(…さらにもしかしなくとも全員だったり?!)
『自分の好きなもの』に対してアノように批判的に分析的にコメントされることは
良い心持ちにならないのでは、と自省しています。
(考えすぎなら…これまた鬱陶しいコメントですけれど(自滅、謝))

補足(言い分)として…
まずパンダさんからの問いかけがあった、

ちょうどこのブログでの『共感』『共有』に関するコメントでのやり取りに強い関心があった、

字義どおりに問われたことに答えようとする脳内反応と、関心の高まりから自分の脳内での反応や感覚を言語化してみた、

問いかけの歌詞をどう感じるか?に意識が特化(集中)しすぎて、(これはパンダさんが悪いとかそういうわけではないです)
自分のコメントを読み手がどう取るかまで想像が及ばなかった、
かつ歌詞は主語が『僕』という一人称だったため
これまた字義どおりに(?)自分と重ねた視点でイメージしたためにナナセ様のような俯瞰での視点がなくなっていた、

…ってなことをナナセ様のコメント拝読後、数回反芻(思考再構築)して
ようやく今言語化できました(情けなや、…すみません)

再構築ついでにひとつ…
歌詞の登場人物を三人称(彼だとか彼女だとかAさんBさんだとか。)
に置き換えてみましたら
若干物語風に、つまるにあまり肉薄せずに読解できました。
共通しているのは
この歌詞の物語の設定をもうちっと詳しく知りたいなぁ
…です。

こういう類の歌詞は結構好きです。
でも、同感とかじゃなく、

あー、この人はこう考えるんだー
とか
この人はこう表現するんだー
とか
この表現きれいだなーとか

そんな感じで
よくドライだと言われます・・・

ASの方に聞いてみたいですが
「この歌詞(曲でも映画でも本でも)すごく良いよね〜」
と話しかけられたら「共感の押し付け」って感じますか?

トマトさんのご質問を見て、改めて僕が違和感のある「共感」について考えてみました。

歌を聴いたり映画を見たりで、1次的に感想を持つことには、全く問題ありません。「この曲、良かった~」と感想を語るのはよいのです。ですが、それに「同意反応があることが前提」という感覚がなじめないんです。

何かの作品に対して、鑑賞した人が個々に感想を持つ。これは自然なことです。
この最初の段階で、定型は「ほとんど全員が同じ感想を持ち、自分は多数派の感想のはずだ」という確信に近いスタンスで語り始める気がします。
僕のスタンスは、いわば「感想は個々にバラバラで、違ったニュアンスがあるはずだからひと括りにできない。」です。

感想を語りあうのは楽しいことです。が、定型は感想の「すり合わせ」をしてくる。僕はすり合わせの必要はないと思うのです。違っているのが前提で「同じ感想に行き着いた時」に、驚きと喜びがある感じです。この二つの考え方は、どちらが良い悪いではないとも思います。・・・こういった考えなのに、同意しないと「感じ悪い」と言われる現実があるために、不平等を感じるという部分もあります。

定型は「同じ感想を持った」というゴールがないと心配なんでしょうか。
僕は、「映画を一緒に見たね。語りあったね。」というように事実を大切にしたいです。

一対一のときには、同感を求められても「個々の感想」で混ぜ返すので、会話自体は成立すると思っています。(相手は不満のことがあるでしょうが)
ですが、3人以上での井戸端会議的な場面では、違う感想を許容しない圧力は、結構ありますよ。
「自分と他人が違う感想であっても、他人を否定はしない」というスタンスなのに対して、「私達と同じ感想以外は受け付けません」という話の流れは「押し付け」感がありますね。

そんなときはあえて異論を唱えず「なるほどね」でかわす。感想を求められた時に「別に・・・」はNGで、「僕は変わった所ばかり探すから」という前置きで短く答えることにしています。(^^)

日常では「共感」に目くじらを立てていては精神衛生上よくないので、「そういう表現もあるのか~、サンプルゲット。」くらいに引いて捉えれば、冷静に対応できるかも。

玄さんにほぼ同意です

なせ「よかったよねー」なのかを逆に伺いたいです。
「私にとってよかったんだー」ではなぜだめなのでしょう?
同意や共感前提の話しかけ方で相手が拒否や拒絶、否定できないようにしたいのですか?

「よかったよねー」と言われて
「私にはおもしろくなかった」など答えられたらどう話を展開するのですか?

この答えが想定内なのであれば「私はおもしろかった、あなたはどう?」というスタンスで話した方が
より率直な感想を聞けると思いますが…

感想を聞くのが目的ですか?
共感が目的ですか?
それによって変わると思います

玄さん

 「本人が盛りあがってそう宣言しているんですから、「どうやれば笑顔に変わるんだよ!」みたいな無粋なツッコミ無しでしょう。」

 なんか、多分本人は盛り上がるというか、舞い上がるというか、それで結構本気で真剣にそう言ってるし、「それが出来る」と信じてたりするんだと思えます。私の経験からしても (^ ^;)ゞ

 そういうことを「信じて言える」ってもしかして定型的?とかちょっと考えてみました。


あおいそら。さん

 「(逸れますが、いわゆるストーカー的な。……)」

 ここ、「おっ」と思ったんですが、私も実はこの歌詞、一歩間違えると
 ストーカーだなあとも感じたんです (^o^)
 「相手がどう思っているか」のところが失われてしまうと、
 ほんとに一方的な思いこみの押しつけになりかねないので……

 「もしかしなくとも読み手によっては(…さらにもしかしなくとも全員だったり?!)『自分の好きなもの』に対してアノように批判的に分析的にコメントされることは良い心持ちにならないのでは、と自省しています。(考えすぎなら…これまた鬱陶しいコメントですけれど(自滅、謝))」

 確かに好きなものを否定されると、ちょっとショックになる人は少なくないと思います。特に日本人同士だと、なかなか相手の趣味とか否定しないですもんね。暗黙の内にそれはタブーになっていたりするし。外国人とつきあっていると、その辺すごい気楽にお互い否定し合ったりする人たちも多いですけど。特に親しい関係の場合は。

 私は、心臓に毛が生えてるので、大丈夫かも (^o^)


ナナセさん

 「一応雪の華をふたりで寄り添って見ているようですから、私はストーカー的とも思いません。玄さんのおっしゃる通り盛ってるピュアなラブソングですね。」

 この寄り添って見ている、というのはたしかにポイントですね。そこがあるからストーカー的にはならなくなっていると言えるのもたしか。特にこの静かに寄り添って見ているという感じは、パートナーとの関係での体験(蓮の花の話)なんかにも通じるところがあって、意外に「アスペ的」な愛にも通じるような印象がありました。

 ストーカー的なあやうさを感じたのは、「もしも君を失ったとしたら、星になって君を照らすだろう」というあたりですね。「自分が(病気とかで)死んでしまったとしたら」ならいいんですけど、「あなたに振られてもあなたを見つめ続けます」みたいな感じだとすればちょっとやばくなる可能性もありかなと……。しかも「星になって照らす」と言うことの意味が「失恋のショックで自殺して、お星様になって君を見てる」という意味ならもっとやばい……(^ ^;)ゞ

かずきさん

 「よくドライだと言われます・・・」

 私のパートナーの職業がそうなんですけど、人の世話をする仕事、
 サポートをする仕事って、そういう「ドライさ」を持った「関心」が
 実はすごく大事だったりするんですよね。
 私はウェットな傾向が強いので、そのことを結構感じさせられます。

 「「よかったよねー」と言われて、「私にはおもしろくなかった」など答えられたらどう話を展開するのですか?」

 <想像パターン1>
 言われた側はちょっと傷ついた感じになって(自分の感じ方を否定されたような
 気持ちになって)、何となく不満な表情になったり、無口になったり、話をそらしたり
 して、そういう行動で相手に「不満」を伝える。相手はそれに気づく場合と気づかない
 場合があるけど、気づいたときにはもう少し「こう言うところが面白くなかった」とか
 説明を試みてみるとか(これも相手に納得してもらえる共通点があるかどうかを探る
 意味がありそう)、「ああ、でもこういうところは面白かったね」とフォローしてみるとか、
 あるいは「どういうところが面白かった?」と相手に振ってみるとかはありそう。
 

 <想像パターン2>
 言われた方が「え?面白かったじゃない!」と一応反論してみる。そのあと面白い
 議論になればよし。ならないようなら話題を切り換えてしまうなど。気持ちの中では
 「ああ、この人は趣味が合わないわ」というチェックが入り、その後の付き合い方の
 調整に影響する。

 <想像パターン3>
 これは日本では割に少ないケースのように思いますが、「面白かったよ。あんた
 なんで面白くなかったの?センスないね」とかけなしたり挑発したりして、
 その後の議論を楽しんだりする。

 で、「面白かった!」と言うときには、「きっと相手も面白かったに違いない」と
 勝手に思いこんでいる場合が多いように思います。「相手はどうかな?」と
 疑問が残るときには「どうだった?」とそれとなく相手の感想を探る、
 というようなやりかたをしている人が結構多いように思えます。で、相手が
 あんまり面白くなかったように感じられた場合には、自分が面白かったことを
 あまり強調しなかったり。すごい日本的な感じですけど。

 こういう定型の感情のすりあわせテクニックは日本人は極端に技術を
 磨いていて、違う文化の人は全く理解できないことが多いように思えます。

玄さん、ありがとうございます。

確かに1対1だと、意見が違ってもお互い様というフェアさはありますが、3人以上の人間関係や、空気感となると、定型のおしゃべりのじゃれあいには欠かせない「共感」の取り扱いも、ASの人には苦痛ですよね。
定型は、世間話として、玄さんの言われる「そういう表現もあるのか~、サンプルゲット」的な感覚で、違和感や反論を、軽やかに広く受容したり、受け流したりしている面があります。
定型は、真意の精査よりその場の空気感を優先するので、後でズレに気がついて、一端共感した件でモメたりするのだと思います。
こうなりゃ、共感も怪しいものになりますが。

かずきさん、ありずがとうございます。
『なせ「よかったよねー」なのかを逆に伺いたいです。
「私にとってよかったんだー」ではなぜだめなのでしょう?』
について・・・
定型の多くは「私にとってよかったんだー」に対して「誰に言ってるの?」「何? 独り言?」という反応になると思います。
会話形式だと「よかったよねー」という、相手に話しかけるスタイルが自然だと思います。

『感想を聞くのが目的ですか?
共感が目的ですか?』
定型はこれらを、シチュエーションや双方の関係性やその場の空気感や言葉のイントネーションで判断していると感じます。
「聞かれたのか」「求められたのか」その違いを感じ取る機能力の違いだと思うので、勘違いもありますがそこんところは定型の方が達者かと思います。

でも、これからの世の中は、ASと定型の共通語として、また個々人の考えが言いやすくなるためにも『私はおもしろかった、あなたはどう?』のような、はしょらない質問の仕方が理想的だと思います。

お久しぶりです。
もう書きこまなくてもいいかなと思っていましたが、玄さんの
「違っているのが前提で「同じ感想に行き着いた時」に、驚きと喜びがある感じです」
につい触発されました。
私の彼はよく、「自分の好きなもの」を提示してきますが、
自分の見解を言うと君にとって面倒くさいことになるし、自分が見解を言うと、こんなにいいのにって押し付けてしまうことになるからそれはあまり意味がない、僕がいいと思うだけで、君が本当にいいと思うならそれでいいし、そうじゃなくても、納得してることだ。と言って
私が先に感想を言うことを求めます。その結果
「おおむね同じ感想」を持つことに驚くようです(一緒にいると何となく解る…)
最近思うのが、AS、定型、男女、世代、問わずコミュニケーションのツールは相手によって、様々かも、と感じます。
私に限れば、ある友人とは、自分の持てる言葉を駆使した会話で、刺激しあって、ガンガン深まる関係ですが、
彼とは、逆に言葉が邪魔、と申しますか、公園を散歩して、大きい樹だね、うん大きいねとか、草の臭いがするね、うん良い臭いとか、そういう最小限の言葉のやりとりの方が居心地(おさまり?)がいい気がします。(小津安二郎映画の夫婦みたいな笑)
何故かわかりませんが、出会ったころから、私にとっては彼は、「私の喜ぶことや反応を、気をつかってしてくれなくても」よくて、「この人が、ただとなりに居てくれればいい」って思ったことがスタートだったなって改めて思い出しました。逆にそこに惹かれたと言うか…。
単なるキレイごとに聞こえるかも知れません。失礼しました。

新月さんへ トマトです。

恋愛関係や、恋愛感情において「言葉が邪魔」と思える時間は、とても素敵ですね。

「この人が、ただとなりに居てくれればいい」と自分が思える穏やかさは、二人だけの空気感として、また自分の心の力になる存在として愛を感じます。

この言葉で想い出したのですが小津安二郎映画の大ファンだった、故・ASの男性友人が好意を持った女性によく言っていた言葉に「ただ、会ってくれるだけで良いんですよ」「ただ、居てくれるだけで良いんです」というフレーズがありました。
この言葉を言う時、彼は真っすぐ女性の顔を見て、温かい真摯な声で伝えていました。
その解釈は字義通りでシンプルでした。
彼は「今日は○子さんと会えて嬉しかった」「参道を並んで歩いたのですが、いゃあ、幸せでした」と、本当に嬉しさと満足さをかみしめるように話してくれたものでした。
そして女性は「私はお人形ではない、道具ではない」という言葉を残して去るのがパターンでした。
彼の「会ってくれるだけ、居てくれるだけ」は、言葉以上でも以下でもなく、時が経っても言葉の意味は寸分も変らずでした。
しかし、定型女性は「会う度に、あなたのことを知りたい、私のことを知って欲しい、もっと」
「あなたのわたしへの気持ちを知りたい。言葉として聞きたい」という・・・いわば欲が出たわけです。

定型が感情表現への欲求が高まりをみせたとき、定型とASのカップルに悩みが訪れる。

そんなことを、新月さんのコメントで感じました。

…後出しじゃんけん(いいとこ取り?)のようで申し訳ない感覚があるのですが
トマトさんからのお尋ね、
>「この歌詞(曲でも映画でも本でも)すごく良いよね〜」
について自分自身の感覚(認知)を言語化してみます。

玄さんの、
>感想を語るのはよいのです。ですが、それに「同意反応があることが前提」という感覚がなじめない
同感です、はっきりと相手に「なんで面白く(or良いって思う、楽しいetc)ないのー?!」「えー?!面白いじゃない!」とダメ出しされたことありました。
何度かそれを経験してからは
単純な感想の言い合い(発表)なのか
最初に発言した人の感想(意見)に同調する場なのか
あるいは
いわゆる『話題』になっている映画や本や芸能人などの『賛否』を共有しているだけなのか
……見極め、失敗することもありますが
そういうパターンがあるんだなとわかりました。(パンダさんやトマトさんのレスから、そうで良かったんだーと妙な自信になりました。)
トマトさんの出していただいた台詞に対する差し支えない、当たり障りのない返答としてよく使うのは「そうなんだね」「まだ見てないんだけどそんなに良いんだ」、です。
(ただし先輩や上司との会話を除きます。)

かずきさんの
>「私はおもしろかった、あなたはどう?」というスタンス
これがはっきりとわかる(言ってくれる)場合が一番助かります、気負わずに変に脳を使わずにすみます。
仕事関係で『アサーティブコミュニケーション』(私もあなたもOK、「私は~と思う」「あなたは##と思う」両方を尊重するというスタンスの会話の手法(考え方))を学べたので
相手に何かを尋ねたり、意向を聞きたい時には「私はこう感じてるんだけどあなたはどう?」
相手の発言を受けた時には「あなたはそう感じてるんですね」と返すのが癖になっています。

すみません……!!!
↑これへの名前、入力せずに送信してしまいました(バカ)…
投稿者はあおいよる。です。

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