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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2013年7月27日 (土)

一呼吸置く

 相変わらず我が家は親の介護の問題で、パートナーに知恵を借りながら、きょうだいで情報を交換したり、対策を相談したりの日々が続いています~。

 で、ひとつ深刻な問題は、やっぱり「自動車の運転」という問題なんですね。だいたい年をとるとだんだん足が弱くなりますから、「移動」というのが大変になる。「行けるところ」が少なくなる。だから「車を運転する」って、すごく大きな意味を持っちゃうんです。運転すれば、身体さえ持てばどんな所へでも行けちゃうわけですから、言ってみれば「自分の能力が格段に大きくなる」わけで、逆に言えば運転できないとなると「自分の能力が奪われる」ことになってしまう。

 もちろん健康で運動などにも問題なければいいんですけど、でもやっぱりいろいろ問題は出てくるのが当たり前で、周囲は見ていて心配でしょうがなくなるんですね。で、いい加減運転は諦めて、必要ならタクシーででも移動してもらった方が、車の維持費を考えたって安上がりになるし、絶対安心なわけです。

 というわけで、パートナーも言ってましたけど、福祉の現場ではこの「老人の運転」という問題が家族の中でも、介護者の人にとっても、とってもシビアな問題になることが多いんだそうです。

 うちもご多分に漏れず。まさに今、対策を考え中な訳ですけど、そのことに関連して、どんなふうに「説得」できるかとか、そんなことをパートナーと話をしていたとき、私が考えていることと、彼女が「こうすべき」と思うことがちょっとずれて、やりとりになったんです。で、私は彼女の考え方がもうひとつぴんとこなくて、なんか大げさな感じがして、すぐには賛成できず、いろいろ言ってたら、彼女の方はなんだか矢継ぎ早に「じゃあ、これはどうなの?」とか「これはどうするの?」とか、「責めてくる」印象を受けました。

 そういうとき、やっぱり普段とは印象が違って、なんか「余裕なく怒って問い詰めてくる」というような感じがしてしまうんです。それで「なんか怒ってる?」と聞くと、「怒ってない」というのもいつものことなんですが、やっぱり私の印象としては「喧嘩腰」に感じられてしまうので、正直に「なんだかちょっと余裕がないみたいだから(実際時間的にも余裕がなかったです)、またあとで話をしない?」と提案して、そういうことになりました。

 それから半日以上経って、またその話をしたんですが、私の方も「責められて防戦」という緊張感がとれてきていましたし、彼女の方も矢継ぎ早に問い詰めてくる、という感じがなくなっていて、まあわりにおだやかに話を進めることが出来たんですね。

 ちょっと緊張感が出てきたように感じられるときに、「一呼吸置いてみる」って、定型・アスペの関係でもやっぱり大事なことなのかな、と思ったりしました。

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コメント

僕と、パンダさんのパートナーさんとでは、「内面はどうやら違う」ということが多かったので、またハズレかもしれませんが。

僕が「矢継ぎ早に問い詰めてしまう」というのは、やはりどちらかといえば気が立っている状態です。
意見が相手と合わず、その説明をする状況なのであれば、自分の意見は「すり合わせ」を想定していない(自分の頭の中でいくつもの問題点を挙げた議論のシミュレートが終わっていて、「ほぼ結論」に達しているはず)なのです。

だから「その話は結論が出ていることなのに!」という立場からの口調になってしまい、自分の中でクリアした問題点はスラスラ言える、という状態のように読めました。

僕は、自分の中で完全に仕上がっていない「ブラッシュアップが必要な案」を家内に持ちかけることがありますが、そういう「思いつき」は得てして欠陥があるので、ちゃんとチェックして欲しいのに、「決定稿」として話が進んでしまい困惑することがあります。知らず知らずに「断定口調」になってしまっているのが原因らしいです。
ASの旦那さんが「わがまま勝手なことを言う、思い付きを通そうとする、威張っている」というエピソードがしばしば語られますが、「思い通りに受け取ってもらえず、引っ込みがつかない」ということもあるかもです。

玄さんの言うアスペの方の「断定口調」がどんな風に作られていくのか、ということに興味が出てきました。生まれながらに断定口調なんていうことはあるわけ無いと思うので (^o^)

一つの可能性はやっぱり、定型からみてアスペの方は「話が伝わりにくい」と感じることが多いと、ついつい「断定口調」で「押しつけ」的にアスペの方に話をするようになってしまうかもしれません。それで、そういうやりとりに慣れたアスペの方が、自分も人に話をするときに「断定口調」になってしまう。

そう考えると、私のパートナーが「定型もそういう言い方してるじゃない」と時々文句を言うのが分かる感じがするんですね。あ、でもこのこと、前に書いたかも知れないですね。

彼女の場合は、玄さんの説明で言うと、後半の方の例になるかもしれません。

断定口調ができあがる過程について、
僕に関していえば、「確定した情報」が、より好ましいという感覚があります。
確定した情報をもらえれば、それに基づいて次の考えに進めますから。
なので、確定していない情報を与えられると、膨大なパターンの予測をするか、無視するかになります。(言葉で語られない要素は、無視に分類されます)

そういうわけで、自分が納得した情報として話をすれば「断定」になるかもしれませんし、
相手も自分と同様に「その情報を踏まえて次の思考に進みたい」だろうから、断定される情報を期待しているはずと。

ちゃんとお互いの納得できる情報を積み上げるための「断定」ならば、良いと思うのですが、定型はそもそも「情報を積み上げて思考を前進させる」ために話をしているわけではないことがあって、良かれと思っての「断定」が行き違いになっているということがあります。

トマトです。

パンダさんの一説によると、定型の口調にASが「慣れて」「取り入れて」という要素があって
【アスペの方が、自分も人に話をするときに「断定口調」になってしまう。】
という感じです。
俗にいう、売り言葉に買い言葉の口調やリズムが反応しあうことは誰にもあることかも知れませんが、ASの人の断定口調と、定型の断定口調は、奥の方でニュアンスが違うように感じます。

ASの人に「あなたも言い切ったじゃないか」と言われると「言葉としてはそうだけどニュアンスが違うでしょ、あの時の立場や感情やなりゆきを考えてみてよ、つい断定口調になったって無理ないでしょ」みたいな、いろんな要素が入交じっている断定口調は実に多いと思います。
ASの人になかなか理解されないから、ついつい「それがフツーだ」と断定口調にならざるを得ないという種類。

ASの人は、いろんな「言い回し方」を「気分や状況に合わせ使い分ける」ということが苦手なので、シンプルな言い方をされている、それが必要最小限だと、断定口調に聞こえる・・という種類のものではないでしょうか。

確かに、夫婦、親子など常日頃、向かい合って会話を交わしている関係性なら、言い方の癖が移る、似る、ということはあると思いますが。

トマトさん

「ASの人になかなか理解されないから、ついつい「それがフツーだ」と断定口調にならざるを得ないという種類。」

 はい。定型的に見るとそんな感じかなと私も思います。で、アスペの方から見ると、そういう定型的な発言の文脈とは取り方が異なったりするので、その言い方が印象に強く残って「普通こういう言い方をするのか」と理解されることもありうるかなと、そんな想像をしてみました。

「ASの人は、いろんな「言い回し方」を「気分や状況に合わせ使い分ける」ということが苦手なので、シンプルな言い方をされている、それが必要最小限だと、断定口調に聞こえる・・という種類のものではないでしょうか。」

 定型基準からするとたしかに「苦手」ということになるんだと思います。と同時に、自分自身を考えてみると、やっぱりたとえばパートナーの発言とか、彼女の意図しているニュアンスを私がくみ取れないことが多くて、アスペの方に言わせると、私は文脈が読めず、使い分けが下手と言うことになるのかな、とも考えてみたり……。この辺難しいです。

「確かに、夫婦、親子など常日頃、向かい合って会話を交わしている関係性なら、言い方の癖が移る、似る、ということはあると思いますが。」

 そうなんですよね。私がこういうことを考えてみた理由のひとつは、パートナーとそのお母さんの関係を見て、なんです。とにかく娘に対してはすごい断定口調が多いんですね。親って子どもにとって最大のモデルだったりしますから、その影響は大きいかなと。もちろんそれだけで理解しきれない問題もいろいろあるだろうと思いますが、ひとつのわりに重要な要素として、という感じではありそうな気がしています。


 玄さん

 「ちゃんとお互いの納得できる情報を積み上げるための「断定」ならば、良いと思うのですが、定型はそもそも「情報を積み上げて思考を前進させる」ために話をしているわけではないことがあって、良かれと思っての「断定」が行き違いになっているということがあります。」

 そうですね。ちょっと乱暴にですが、対比的に特徴を表すと、「断定=明確さ」を重視するアスペの方と、「曖昧さ」を重視する定型、みたいな見方もできるかもしれません。

 定型にとって「曖昧さ」というのは、一種の「クッション」の働きをするように思います。メッセージとしては「私はこういうことも考えているけど、あなたの意見も聞きたいし、そうやって一緒に多面的に答えを探していきましょうか」というような姿勢を相手に伝える意味があって、そうやって「相手を巻きこむ」姿勢をお互いに維持しているのかも知れません。

 ちょっと思うんですけど、現実の人間関係とか、社会とか、すごい複雑で、一つの見方で割り切れないことが多くて、そういう面に適応したのが定型的なコミュニケーションで、「曖昧さ」を前提に、それを抱え込みながら進んでいく。でもそれだけだと複雑さの中に埋没してしまって、訳が分からなくなって混乱するばかりになるかも知れないから、やはり「断定」が重要な場面もあって、そういう状況に適応したのがアスペ的なコミュニケーションなのかもしれないとか。なんか人口の1~2%(?)とか、かなりの数のアスペの方がずっと人間の社会を一緒に作ってきた、ということを考えると、意外にそういう感じのなんらかの「役割分担」みたいなものが働いてきたんじゃないかと、そんな風にも思えたりするんですね。

定型の断定口調は、「自信誇示・反論させない・威圧」などの効果を期待しているかもしれませんね。少なくとも僕は、それらを目的として断定口調をしません。単に、そのときの意見が「自分の中で曖昧でない」という表現です。

トマトさんの挙げられたとおり、定型の断言の最たるものが「それがフツーだ」でしょうね。
たぶん「お前には解からんだろうが、反論するな」の意味なんですね。
そこで「フツーってなんですか」って聞き返して火に油だったのは、ニュアンスを読み取っていないということで、やっと納得いきました。

蒸し返すようでゴメンナサイ。

定型の「フツーだ」とか「かずきはアスペだから」というのは
「逃げ」ではなく、会話の打ち切りだったのですね。

私から見ると
反論させない(出来ない)言葉を投げる=話題や意見の対立から逃げる
と見えていたので
つくづく定型は色々な困難から逃げ続けている、と思っていたのです。
そうではなく、「これ以上この件について今話すことは無い」という意味で受け取ればいいのですかね。
「かずきはアスペだから」に対して
「だからなに?」
という返事をし、それに返事が無いのは「当たり前」だったのですね。
やっと納得できそうです。

断言口調については、私個人の感覚としては
「嘘を吐いてはいけない」という大前提(夫曰くこだわり)があるので
「嘘にならない言い方」を心がけています。

物は言い様、そのものです。
「コレは××じゃない?」と言われ
私は違う考えで、それを立証できる材料が有る場合(辞書など)
「コレは○○だと思う。」
と断言しますが

違うと思っても、、違うと言う確証が無い場合
「そうかもしれない。(私は違うと思いますが、は言わない)」
と、全てを言わないだけで角が立たなくなります。

(夫は「嘘を吐くことも必要」といいますが、「嘘にならない言い方」をしていれば
わざわざ嘘など吐かなくても済むのですが・・・)

つまり、「自分の中で曖昧」でなければ
「今、私はこう考えた、判断した」という意味での断言口調になります。
玄さんと同じ意図でしょうか。
逆に曖昧口調の時は、本当に曖昧な状態なのです。

だからでしょうか。
曖昧口調が多い人は「決断力が無い」
と見えてしまうのです。そして言うことがふらふらと変わると「自分の意思が無い」と
つい、そう評価してしまいがちです。
そんな短絡的な事で人を評価していいはずも無いのに、と
自分を戒めながらの日々です。

お久しぶりです。するりです。暑い日が続きますね。


かずきさんの「親しき仲にも礼儀あり」で思ったのですが、最近、定型の方(全ての方ではありません、一応)のおっしゃる、「つい」という言葉にすごく反応する自分がいます。


「ついキツイ言い方になったけど、傷つける意図はなかった」

「ついその場の雰囲気であの子をからかった(それをイジメに加担したと言わないのかい・・・?)」


・・・「つい」には、
「原理原則や倫理からは外れていて、本来好ましいとは言えないかもしれないけど、思わず感情的になって、誘惑に負けて・・・」という、「言い訳にもならない言い訳」と、「この人にはこれくらい言ってもいいだろう」という慢心が含まれている場合がかなりあると思うんです。

更に言うと、「つい、そういう気持ちになるというのは人間のごく自然な生理的反応なんだ。自分は悪くない」という開き直りのニュアンスさえ感じる時もあります。


でも本来、「好ましくないことを言ったorやった側」は、「ついこう言ってしまったけど、理性で止めるべきだった、許して欲しい」となるのが私は好ましい態度だと思います。

「あ~やっちゃった~、てへぺろ~」も、まぁ・・・ギリギリ許容範囲かなぁ(互いの温度差という別の問題は置いておきます)


問題は、ですね。


「つい、こう言ったけど、あれは売り言葉に買い言葉なだけなんだよ!そんなことも分からないで今までよくやって来れたよね。フツーの社会人は・・・(以下略」というような、「これぞ逆ギレ」というようなことを言う人です。

・・・これは「ナンダカナ~」と思います。

こういう種類の逆ギレは、逆ギレされる側からすると、ルールや倫理観という「錦の御旗(正当性)」をいきなり「不当に強奪」された挙げ句、「フツー組」という怖いバックを引き連れて恐喝されているような心境に陥るというか・・・。


なので、定型妻・夫の「つい感情に任せて言ってしまった、八つ当たりしてしまった」という話を聞くたび、「いや、ホントのホントは反省してないんでしょ。」と、どこか冷めてしまっている自分がいる一方、もし本気で「つい」や「フツー」を止めたいのなら、例えば夫婦でお子さんがいらっしゃる場合とか、そういう言葉を言ってしまった度にお子さんに笛を吹いてもらってイエローカードを切ってもらうのはどうかな、と思ったり・・・。

何かいい案ないかなぁ・・・。


するりさんへ トマトです。

「つい」とはなんぞや? ですね。とても興味深いするりさんのコメントでした。
するりさんにとって「つい」は、天敵なんですね。
「つい」は「言い訳にもならない言い訳」やら相手への「慢心」が含まれている場合がかなりあると・・。
更に言うと、「自分は悪くない」という開き直りのニュアンスにもなり得ると・・。

いゃあ・・新鮮な視点です!

「つい」は1人の人から何回も何回も出ると「いい加減にしろ」と言い訳にもされなくなりますが、定型同士では「本意ではなかったので許して下さい」のニュアンスを伝えるにはとても効力の大きい言葉だと思い当たりました。

それは、定型が、相手の感情や表情やものの言い方に「巻き込まれやすい」「影響を受けやすい」「飲み込まれやすい」サガを持っているからだと思います。
だから「つい」勝手に巻き込まれて感情的になったり、間違いを犯したりという経験が多いので、相手の「つい」も認めやすいと思うのです。

これは「感情が伝染しやすいかしにくいか」という問題になろうかと思うのですが。

ただ・・ASの人にも「つい」はよく見受けられることではないかと感じます。
注意された言動の繰り返しや、迷惑行動や経済的にも健康にも悪いことにもなり得る種類のこだわり行為は、禁じられ気をつけていても、つい繰り返してしまうことって無いでしょうか?

ちゃんとした理由が欲しい時「つい」で片付けられるとカチンときたりしますし、心ない「つい」には軽薄さと薄情さを感じますし
するりさんの言われる通り「つい」をあからさまな言い訳や、逆切れのきっかけの言葉にするのは卑怯です。
まぁ、「つい」と言いながら逆切れするのは、、相手の言葉に過反応して、我を見失っている状態だと思います。
改めて「つい」で始まる逆切れは、感情的遠吠えでカッコ悪い・・・と認識しました。。


>トマトさん

もちろんもちろん!ASの私だって「つい・・・」の連発です。

「ASは融通が利かないから<つい>等という思考は持ち合わせていない!」と思ってるわけではないですよ。


さっきもダイエット中にも関わらず、友人が食べていたケーキがあまりに美味しそうで「つい誘惑に負け」、食べてしまいましたし、昨日は久しぶりに仕事が早く終わったので早寝しようと思いながら「つい」動画を見だしたらハマって、結局夜更かし・・・(レベルの低い話ですいません・・・)自ら実証してます・・・。


ただ、「つい」「うっかり」を、「だって人間なんだもん、しょうがないじゃん」と、正当化するという方向には行きません。

ひたすら、「自分てダメだわ~」と落ち込んでしまう方向に行きます。

これは良い悪いではないと思います。

「自分てダメだわ~」の連続だと、自己肯定感が下がるので、なるべく「つい~」をやらないように努力するか、「だって人間なんだもん!」をやるか、どっちかの逃げ道を作りたいなと考え中ですが・・・。


悪習慣で思ったのですが、子供の頃、叔父が禁煙中に「つい、うっかり魔がさして」タバコを吸ってしまいました。

「つい吸ってしまった。だってしょうがないだろう、うちの2軒先に売店があるのが悪い」というような、それこそ「言い訳にならない言い訳」を言っていました(笑)

でもこれは、自分の意志の弱さを直接口にしなくてもどこかでは分かっていて自虐的に言っている部分もあるんだろうな、と解釈しました。

たばこやお酒、ギャンブル等、社会的に良いイメージを持たれていないものにハマっている人達は、心のどこかでは自分の非を認めて負い目を感じていると思うんですよね。(だからと言って非さえ認めればやってもいいとは全く思いませんよ!)


でも、そうじゃない、「自分の感覚こそフツー」の人は、仮に客観的、原理原則的には「相手(AS)の方こそ正しい」という事態になっても、「だからどうした、正論ばかり言うな、人間なんだから間違えることもあるだろう。そんなこともわからないなんて・・・」という反応をすることが結構ある。

でも、「正論」を支えにしている人に「正論を言うなんて無粋だ」というなんて、「それを言っちゃあ、もう完全にお終いよ。関係終了を狙ってやってんの?」としか思えないんです。


日常的にこういう理不尽な八つ当たりをされていたら、せっかく定型側が「正論を言う側」に回ったり、「今このタイミング」と思って真摯な気持ちで「愛情ゆえの叱咤激励」をしても、不満が累積しすぎたAS側は、「いつも正論言うなって自分を正当化してるくせに何様?自分だけが正しいの?」と爆発し、いくら「正しいこと」を言っても耳に入らない可能性があります。

ASの相手が世間的に迷惑をかけたり、自分に対して攻撃的なことをしたりしたりした時に効力を発揮出来ないネタを自ら作ってしまっている・・・

一番伝えたい思いが肝心の時に伝わらないなんて悔しくないですか?

だからこそ普段の信頼関係なんです。

普段極力、相手の思考をバカにしたり難癖をつけて相手の自己肯定感を奪わないこと。

特に相手に一理ある時は相手の話を一旦受け入れた上で、「フツー組」というバックを引き連れず、「一対一」で「自分はこう思う」と、しゃべること。


個人的に、定型の方が一番注意すべきなんじゃないかと思うことを書いてみました。

するりさんのコメントに、心のもやが少し晴れたような心地がしました。
私がうまく表現できない定型の矛盾点に上手に切り込んでくれた、というか。

「つい」やってしまうことは誰にでもあると思っています。
私も夫にたいして「つい」きつい口調になってしまいます。
誤解されると分かっているのに。

でも、「つい」の後に続く「姿勢」が重要だと思います。
「つい」を自戒のきっかけにするか、
「つい」を正当化するか。

大目に見られる「つい」は
トマトさんのおっしゃる、「本意ではなかったので許して下さい」と伝わる場合。
目障りな「つい」は、
「本意じゃなかったのだから許されて当然だろう」と伝わる場合。

後者は強要に思えます。
共感や同意の強要と同じで、反発を招いても致し方ないと思います。

前者の「つい」を指摘し続けた場合、
同じ事が自分にも跳ね返りますよね。

過ちは素直に認め改める、これだけの事ですが出来ていない方を多く見かけます。
葛藤も抵抗もあるでしょうが、それらを全て飲み込んで、過ちは認めるのが大人だと思っていました。
だからこそ子供の頃に「自分がされたくないことは相手にしない」といわれ続け、
悪いことをしたら素直に認め謝るよう指導されていたのだと思っています。
そういう事が頭からすっぽりと抜けてしまうのでしょうか・・・?

>かずきさん


多分、私たちASは、原理原則にクソ真面目(言葉が悪くてすいません・・)なんだと思います。

「自分がやられたら嫌なことはやっちゃいけない」
「悪いことをしたら謝る」

その通りです。

でも、今までの歴史を振り返っても、これは実現出来ませんでした。
これがちゃんと出来ていたら戦争なんてなかったと思います。

そして、残念ながら将来的にも全人類がこの「理想」を体現出来るようになるとは思えません。


そう、子供の頃に教えられたことは「理想」なんです。


「現実の世界」には、戦争は勿論、凶悪犯もいるし、詐欺師もいるし、そこまでいかなくてもすごく根性の悪い人くらいだったら履いて捨てるほどいます。

定型の人がそういう厳しい世の中でもなんとか適応して現実を生き抜くためにすること。


それは、「清濁併せ飲む(理想と現実のバランスを自分なりに取る)」という姿勢なんだと思います(無意識でしょうけどね)

そして、それを「大人になる」と言っているような気がしますね。

そうやって、成人した定型からすると「原理原則」や「理想形」は「真水」の中のお話しにしか見えないんだろうなと思います。

誰しも「真水」の透明さに憧れるし、それが一番理想だと思うでしょう。


だからこそ、「正論を言うな」という逆ギレを起こすのだろうと。

「お前は一生真水だけを飲んで生きていけると思っているのか、この世間知らず!」という苛立ちやジレンマを感じます。

まぁ、定型になったことがないので全て推測ですけど・・・。


するりさんへ トマトです。
かずきさんへのコメントに入ってすみません。

このするりさんのコメントは、定型もすんなり理解出来て、同意が多いものと思います。

【定型の人がそういう厳しい世の中でもなんとか適応して現実を生き抜くためにすること。
それは、「清濁併せ飲む(理想と現実のバランスを自分なりに取る)」という姿勢なんだと思います(無意識でしょうけどね)
そして、それを「大人になる」と言っているような気がしますね。】

本当にその通りだと思います。

ひとつ「つい」について、定型の「つい」についての取り扱いが甘い点について、「つい」の後に正当化したり開き直ったり、見苦しい姿を見ると、定型は悪いことをしたら素直に認め謝るよう指導さ

ボタン押し間違えました。

ひとつ「定型が「つい」についての取り扱いが甘い点について、思い当たりました。
「つい」の後に正当化したり開き直ったり、逆威張りしている人を見ると、定型は「あ〜ぁ。かなり苦しい言い訳になっているよ」「本末転倒で言ってる事がムチャクチャになってきたな」と、かえって冷めた見方になり、あきれたり、しらけたりして、「まともに取り合えない感情」になり、その分スルーしてしまっていることも多いと思います。
そこには、言っている内容より、表情や声の調子や身振り手ぶり・・という目や耳からの印象が強いので「くだらない、もう(相手にしなくて)いいな」と適当に流してしまうのだと思います。

そこんところ、ASの人は適当に受け流すの「適当」「意識的に受け流す」が難しいのですね。

定型が「あーはいはい」と、受け流してしまうところ、ASが「ムカッ」と受け止めてしまうポイント
ASが気にならないところに、定型が「ムカッ」とくるポイント

感じるところが違い過ぎることからくる「そこがポイントですか? とびっくりするシリーズ」のうちの重要なひとつだと知りました。


>トマトさん


「清濁併せ飲む」を理解していただけて嬉しいです。だって、かなりどぎつい言葉ですもの。生理的に受け付けない方もいると思うのです。

「スルースキル」が定型の人はASに比べて相当発達している人が多いような気がします。

これも自分の身を守るためなのかなと思うのです、最近。


>かずきさん


「戒め」という言葉に、切なくなりました。 私もかつて、「戒め」という言葉が頭の中にずっと渦巻いていましたから。

でも、かずきさん。

かずきさんが、何か世の中に対して顔向けできないようなこと、しましたか?

まぁ、そこまで行かなくても、ご自分が「やらかしたなぁ」と思ったり、「結果的に自分が悪かったな」というものだったら、次からその過ちを繰り返さないようにしようと思うべきでしょう。

でも、色々上でも書きましたように、「こちらが正しいのにも関わらず、逆ギレされるパターン」や、「暗黙の了解」等、「自分の力ではどうしようもないもの」に対してさえ、自ら重箱の隅をつつくように「やられる方、言われる方にも原因はあるに違いない」と思いつつ「戒め」ていくなんて、自傷行為に他なりません。
ご自分の精神が保てなくなるばかりか、「逆切れジャイアン(スネオかな?)」や「フツー組」という「声のでかい人達」から、格好の餌食にされちゃいますよ。逆ギレジャイアンは、弱った人が大好物ですから。

そもそも、感性の違いは「悪い・良い」等という問題ではありません。

確かに、泣いている人を見て、「この人喜んでいるのかな」と思ってしまうようなレベルだったら大変かもしれません。

だけど、「目の前に見える花が、他の人には赤く見えるけど、自分には黄色に見える。」くらいのレベルのことにまでいちいち口出しされて「フツーは赤いんだよ。赤く見えるように努力しましょうね」なんていう修正をかけることこそ、無粋だと思うし、AS側もそんな無粋な茶番に付き合う必要はないと思うんです、私は。

「戒め態勢」を取っていた頃は、そういう茶番に巻き込まれていました。 

その頃は精神が随分、疲弊し余裕がなくなっていました。

「そんなん知るか!」と、開き直ってからは、「ふーん、皆の目には赤く見えるってのだけ参考程度に頭の片隅にいれておこう」程度になり、随分ラクになりました。

好き勝手言う外野に限って、責任を取りませんから(言った当の本人は大抵忘れています)

「参考程度に聞いて、自分の核はひそかに守る」っていう、私のアドバイスも「参考程度」に聞いていただけたら幸いです。

ありがとうございます。

なんだか、ごめんなさい、するりさんのコメントは
有り難くて、でも凄く辛くて、お返事が出来そうにありません。
何で辛いのかすらわかりません。


私がまだ、定型として生きていた頃(ASとわかる前)、
発達障害や、そう言った名前の付く違いを許されている人たち(と、当時見えていました)を
もの凄く羨ましく思い、私もそうなりたいとまで、思っていました。

ああ、またやってしましました、途中でした。すみません。

続けます

そういった考えがどれだけ失礼か、知っては居ても、
自分を出せば出すほど否定される状況に、逃げ場など無く、
それが、「○○ならしかたないね、違っても」と、言って貰いたい、
ただそれだけで、街中でそういう方々を見かける度に思っていました。
たとえそれが差別的であったとしても、と。

いざ、ASだったとわかり、過去のそういった苦しみからは少し解放されたように思えますが
28年の間に刻み込まれた「かずきが間違っている」という前提は
まだひとかけらも欠けることなく、私の大部分を占めています。

まだ、定型として生かされていた私から抜け出せていない、
私自身の切り替えが出来ていないのですね。


数少ない接点の中で、父が鬱で寝込んだ私に
「かずきには心のゴム皮がない。普通の人は、その分厚いゴム皮でたいていの傷は本体に付かない筈なんだけど」
と言っていたことを思い出しました。
その頃は、トイレに行くにも這って行くような体と心の状態でしたので
意味が全く分かりませんでしたが
するりさんのコメントでなぜか思い出しました。

ごめんなさい、本当に混乱しています。
玄さんにもパンダさんにも、トマトさんにもお返事しなくてはと思うのですが
まとめられそうにありません。
落ち着いてからまた、書き込ませて下さい。
ごめんなさい、ありがとうございます。

かずきさん

 「玄さんにもパンダさんにも、トマトさんにもお返事しなくてはと思うのですが
まとめられそうにありません。
落ち着いてからまた、書き込ませて下さい。」

 これがもし定型流の反応(気遣い)で、アスペの方には逆効果とかだったら
 申し訳ないと思いつつ……

 お互い、じっくり時間をかけるところはかけてやりとりして、
 無理なく考えを進めていきましょうね。

 きっと日常世界ではずっと無理を続けて頑張ってこられたのでしょうから、
 せめてここでは自分のペースでゆったりとができるといいですよね。
 

>かずきさん


励ますつもりだったのですが、混乱と心の傷をえぐるような結果を招いてしまい、本当にすいませんでした!!!


そして、かずきさんが書かれているお話し(ゴム皮のこと)、似たようなシチュエーションでほとんど同じ意味のことを言われたことや、かずきさんが診断前に(私の場合は診断後でしたが)、他の障害者の方を見て、「守られているなぁ」という思いを持っていたことも同じです。
診断後、ごく身近な人にカミングアウトしたのですが、「だから何?それを言い訳にして生きていくつもり?」や、「全然そんな風に見えない、よかったじゃない、軽度で」という言葉しか返ってこなかったですしね。

「診断を受けろ」といったり、(まだ言い訳していないのに、あらかじめ釘をさすように!)「言い訳するな」と言ったり。勝手なもんです。


私はそういうのと一人で闘ってきましたから(本当に孤独でした・・・)、出来たら他の人にはそういう嫌な思いをして欲しくない、「一刻も早くこの奈落の底から抜け出させたい」という思いが、カラ回りしちゃったかもしれませんね・・・・


本当にすいませんでした。

なんて言ったらいいのかもわかりませんが・・・それでも、またいつかかずきさんと、お話ししたいです。

パンダさん、お気遣いありがとうございます。
でも、少し、時間をいただきだいのです。

このまま、続けていると、意図せず傷つけてしまったり
責めてしまったり、理不尽と思われる事をしてしまう可能性が高いのです。

ここでのお話は、本音に近い分、揺さぶられ方もでかくて、
常温の感情は、扱いに慣れていなくて、
でも心の冷凍庫はもうパンパンで、凍らせることも、もう出来なくて
冷凍庫じゃない所の平均気温も上がってしまって、
置いておいても凍ってくれなくて

ごめんなさい、意味不明ですよね。


するりさん

ごめんなさい、そういうつもりじゃなくて
本当に、ありがたくて、
冷え切った手にお湯が痛いような
そんな感じなんです。
うまく表現できなくてごめんなさい。

何を感じても即冷凍してきた私には
励まし(と分かっています)を、常温?暖かい状態では、
まだ扱えないみたいです。

この状態を「混乱」としか表現できない自分の語彙力が悔しいです。
なので、傷をえぐられたりとか、そういうわけじゃないです。
ごめんなさい。
ありがとうございます、本当に。気にかけて下さってありがとうございます。
「それでいいんだよ」というような類の言葉で
ここまでストレートに私の深いところまで来た事が無くて
どう対処していいのか分からないんです。

本当にごめんなさい、本当にありがとうございます。

するりさんのコメントを見て、涙が出なくなるまで
お時間いただきたいです。お願いします。

>かずきさん


こちらこそ、温かいお言葉、本当にありがとうございました(120%本心から言っています!!)

ご自分がお辛い時なのに皆さんに気を遣われるかずきさんは、とても心の優しい方です(と、断言させていただきます!)

どうか、その心の優しさを大事に大事にしてください。


「冷凍した心」・・・はい、経験大アリです!私は今現在、半解凍中です(苦笑)


お互い大変ですが、希望を持ってやっていきましょうね~!!


追記: 私のこのコメントを持ってこの話題は切り上げましょ☆ また元気になって来て下さいね!って、ここパンダさんのブログですが(汗)

かずきさん、・・・するりさんと出逢って、本当に良かったですね。

当事者の方の経験の深さ、つらさの強さを、改めて感じました。

 わたしの方からもこの件についてはとりあえずこれを最後にということで……

「ここでのお話は、本音に近い分、揺さぶられ方もでかくて、常温の感情は、扱いに慣れていなくて、でも心の冷凍庫はもうパンパンで、凍らせることも、もう出来なくて冷凍庫じゃない所の平均気温も上がってしまって、置いておいても凍ってくれなくて
ごめんなさい、意味不明ですよね。」

 完全に私の思いこみですけれど、すごくよく分かる感じがしました。
 私が同じ体験をしたというわけではないのですけれど、
 パートナーの話を聞いたり、ここでの皆さんのコメントから
 「こんな感じなんじゃないだろうか」と想像を積み重ねてきたことが、
 こういう形ですぱっと表現していただけたように思えました。

 アスペの、少なくとも少なからぬ方にとって、強弱はあれ、
 感情の問題がこういうふうに表現されるようなものなんだろう、
 ということは、私にとってはとても大事な理解になると思います。
 そして大事な手がかりを頂いているようにも感じます。

 定型的にはこれは「共感的な理解」に近づいたことになると思いますが、
 そのことが必ずしもアスペの方にとってお力になることにはならない、
 ということもパートナーとの関係で多少理解しはじめています。

 でも、いずれにしても、またコメントで「再会」出来る日を
 楽しみにさせていただきます。

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