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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2013年7月13日 (土)

本丸は見えてきたか?

 またまた玄さんの名解説が続いていて、次のコメントなどもほんとにアスペと定型のズレを考える上でわかりやすく、刺激的なお話しに感じました。

 「するりさんの疑問の「想像力」は、頭の中のライブラリから妥当なリアクションを抜き出してくることであって、新たにクリエイトするという意味ではないと思います。「気持ちを察してよ!」と言われたときも、嬉しいか悲しいか、喜んでいるか怒っているか、忙しいかもっと話したいか、くらいの類型を口ぶりや話のやり取りの中で当てていく、くらいの意味合いみたいですよ。経緯も将来も細かな感想も全てを語る前から知っている、という状況を求められてはいないようです。僕は誤解してました。」

 「気持ちを察してよ」の意味が、「経緯も将来も細やかな感想も全てを語る前から知っている」ということではない、というふうに玄さんが理解されるようになったことなんて、なんだかすごいことのように思います。定型は多分ほとんど意識してないけど、大体はそういうことでコミュニケーションしていると思うのですが、玄さんに改めてそう指摘されて「ああ、そうか」と感じるようなそんな「発見」でもあります。

 わたしの印象では同じ定型の中でもどの程度深く細かく瞬時に気持ちを察するかについては人によって、あるいは経験によってかなりの違いがあるし、また「相性」のようなものもあって、「あの人の気持ちはすごくよく(深く細かく)わかる」という組み合わせもあれば、「なんだかあの人は何を考えてるんだか、わかりにくいなあ」ということになる組み合わせもあります。

 そこで玄さんも最近少し書かれているように、定型同士のコミュニケーションというのは、そういう大雑把な理解を確かめたり、細かくしたり、深めたりするという意味がとても大きいのです。アスペの方からおそらく無駄話に思えるような「些細な経験」を語り合いたがるのも、不断からその人が生きて経験している「経緯」を共有しておきたいのですね。そうすれば、次に何かがあって明るい顔や暗い顔をしていたときに、「あ、あのことに関係しているかも」という推測がすぐに出来やすくなったりするのです。

 定型の中で相手の気持ちをすごく察することの出来る人は、そういう他人の「経緯」とか、「性格」とかについて結構普段から理解することが好きで、そういう推測をするのが上手だったりすることになります。

 そういうことが、たとえば関係のいい老夫婦のようにほんとに長年続いていくと、もうほとんど口で何を言わなくても、「あ、今のこの状況なら相手はこう思っているだろう」とか「こういうことを望んでいるだろう」とかが予想がつくようになってしまって、「以心伝心」みたいな関係になっちゃったりするんでしょうね。

 そういうことについて、玄さんは「僕は誤解していました」と書かれるわけですし、するりさんも「やっと腑に落ちました!!!」と感激されていますので、アスペの方でこのポイントの理解が定型のやっていることとずれてしまった方は少なくないのかも知れません。逆に言えば「そんなことどうして分かるのか分からない」というアスペの方の疑問が、多くの定型には多分「そんな当たり前のことがなんで分からないの?」と感じられて、理解できない原因のひとつにもなるのでしょう。

 もし「気持ちを察してよ」という意味が、玄さんが誤解されていた意味で言われたとしたら、定型だって「そんな魔法みたいな事できるわけないじゃない」と感じると思います。占い師さんとか、経験や勘でほんとに小さな手がかりから人の結構深いところもズバッと言い当てたりすると「ああ、この人は不思議な霊能力を持っている」とか思われるくらいですから。ああいうの、種明かしを知れば、そんな大したことじゃないんですけどね。(全ての占い師さんや霊媒師さんがそうなのかは断言はしませんけど、まあほとんどはね)……今玄さんから新たなコメントがあったようですが、そこでの疑問「定型の方には、相手の心を映し出すモニターがあるんですか?」もここに繋がる話になると思います。

 つまり、玄さんも書かれていたように、コミュニケーションというのはもともと「お互いの分からない部分、ずれた部分を調整するためにある」と考えた方がいいんだと思います。それを小さい頃からずっとやり続けているのが定型的な生き方になります。じゃあなぜアスペの方はそういう生き方が少なくなるのか、定型が多くなるのか、その違いの原因は私にはまだよく分かりませんが、少なくともその結果「理解の仕方」に大きなズレが生まれる原因の一つではあると言うことでしょう。

 もう一点重要なポイントと感じたことは、「気持ちを察して」という言葉は、細かい具体的内容を理解して、という意味よりも、まず大前提として自分が傷ついているとか、喜びを感じているとか、そういう状態にあることを理解して欲しい、という意味が大事だと言うことですし、またそういう「気持ち」を前提にして、たとえば「傷ついているときには優しく接して欲しい(いたわって欲しい」とか、「喜んでいるときにはその気持ちを受け止めて、一緒に喜んで欲しい」といった、アスペ的に表現するといわゆる「共感の押しつけ」的な願いが大事にされているということです。このことについてはトマトさんがいろいろ言葉を換えて、定型が生きていく上でなくてはならないこととして説明してくださっています。

 ここについてはアスペの方から「ああそうだったのか。じゃあ対応してあげなきゃ」というふうにはなかなかならない所なんだなあ、ということがしみじみと感じられています。多分そこで「そうだったのか、じゃあそうしてあげよう」というふうに簡単になれることなら、もともと定型とアスペのズレが生み出す数々の悲劇は存在しないとも言えるような、一種この問題の「本丸」ともいえるような部分なのでしょう。もちろん立場を変えて定型の側から見ても、「アスペの方はその定型の願いは受け止めがたいものなんだ」ということで簡単に「ああそうなのか。それじゃあそういうことで」と諦めることも出来ない部分になるわけですね。特に「親しい人」との関係では。他人だったら別にどっちでもいいとも言えるわけですが。

 さてこの本丸にどうたどり着き、どういう決着の付け方を模索できるのか……。

 

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