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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2013年6月10日 (月)

「一途」と「ほっこり」と

 なんだかいろいろ感じたり考えたりすることがあって、しばらくご無沙汰しておりました。

 まだ頭が整理されるにはほど遠い感じもしますけれど、まあそれはいつものことですので(^ ^;)ゞ、ふと思ったことをまた書いてみたいと思います。

 最近、アスペの方たちについていくつかのことをしみじみと感じることの一つに、アスペの方は本当に「一途(いちず)」な方が多いんだなあ、ということがあります。定型的な見方からすると、その生き方は「融通が利かない」というように、否定的に見えてしまうことがしばしばあったりするわけですけれど、でもよく考えてみれば、ほんとに自分の思いに対して誠実に生きていることなんだ、という風にも思えるし、逆に言えば、定型はなんていい加減なんだろう、という風にも感じられてきます。

 もちろん定型がある意味では「いい加減」に見えるのは、人間関係を柔軟に保って、いろんな可能性をそこから引き出す、という大事な意味もあるのですから、別に定型が不誠実で、アスペの方は誠実で、という素朴な善し悪しの決めつけをしたいわけではありません。それぞれの生き方にはそれぞれの生き方の意味があって、それぞれに大事な役割があると、そんなふうに実感として感じられるようになってきたなあと思えるんです。

 私は場の雰囲気が硬くなって緊張した雰囲気になっているときとか、冗談を言って笑ってもらったり、そういう緊張を和らげるのが好きです。オヤジギャグも連発して、みんなから馬鹿にされたりもしていますが、でも結局それで場が和んだりもするので、それが嬉しかったりするんですね。

 ですから、パートナーがなんか元気がなかったり、しかめっ面をしているような時には、やっぱりついつい馬鹿な話をして気分をほぐしてもらい、にっこりしてもらおうとしてしまうんです。けれども、それがやっぱり逆効果なことがとても多くて、「私をからかってるわけ?」とか「馬鹿にしているの?」とか、そんな風に受け止められてしまうことが多いんです。

 彼女はそんなとき、真面目に話をしていたり、何かで本当に気分がめいっていたりするわけですが、私としては別にそのことを無視したり否定したいわけではなくて、ちょっと視点をずらしてみることで、そこからまた別の見方を探るための、ひとつのきっかけとして「笑い」という緊張ほぐしがしたいだけなのですが、それは「一途」な思いに生きている彼女にとっては「おちゃらかし」に感じられるのだなあと、そういう風に感じられるようになってきました。

 とはいえ、ごく稀には笑ってもらえることもあるので、あきらめの悪い私としては、そのこつをなんとか掴みたいと思っています。笑いのツボを知りたいんですね。それで彼女ににこっとしてもらってこちらも嬉しい気持ちになりたい。関西風に表現すれば「ほっこりした感じ」を求めているということでしょうか。

 
 

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コメント

パンダさん トマトです。

ASの高校生に聞いた話です。
「母親が自分に話しかけて、自分が「別に」と返事すると、ハァ〜とため息をつく。そのため息に「寂しい」や「むなしい」や「冗談が通じなかった落胆」の意味があったなんて何年も知らなかった。
小学生のとき、母の帰宅がすごく遅かった日があった、姉は半泣きになって「どうしよう、お母さん帰って来ないよぅ」と騒いでいた。姉は私に向って「あんたは、心配じゃないの?お母さんが居なくても平気なの?」と責めた。
でも、自分は、母の帰宅が遅いことと、姉の言っていることは、別のコトに思えた。
だって、姉は、母が早く帰宅することにより自分の不安を解消したいわけであって、姉の不安解消のために母に早く帰って欲しくないかと言われても「別に」としか答えられなかった。

よく「心配したわよ」とか「困らせるんじゃない」とか人は言うけど、あれは勝手に自分が不安になったりパニックになったことを相手のせいにしている言葉のように感じる」

全てのASの人の感覚ではないと思いますが、こちらの感情的アプローチが、ASの人にバッサリやられるときはこんな背景もあるのではないでしょうか。
ですから・・・
【彼女ににこっとしてもらってこちらも嬉しい気持ちになりたい】は
「彼女ににこっとさせることにでこちらが嬉しい気持ちになりたい】という心理。

まぁ・・・そう言ってしまわれると、あながち否定もできないような・・・。
えぇ〜い、さびしーっ!!!

「小学生のとき、母の帰宅がすごく遅かった日があった、姉は半泣きになって「どうしよう、お母さん帰って来ないよぅ」と騒いでいた。姉は私に向って「あんたは、心配じゃないの?お母さんが居なくても平気なの?」と責めた。」

この問題は「感情的アプローチに上手く対応しなかったから、責められた」という表面的な話だけでは語れないと私は思うのです。


現実問題としてこういう時、たとえお姉さんが「どうしよう、どうしよう」と言う前に自分が「どうしよう、どうしよう」と泣きだしたり、パニックを表しても、それはそれで必ず文句を言われます。
「パニックにならないでよ、泣きたいのはこっちよ!」と。

そういう経験を踏まれた上で、その高校生の子はお姉さんを必要以上に心配させまいと、せめて自分はふだん通りに振舞っておこう、気を使おうとして平常心を装った部分もあると思います。

心の中では泣きたくてもね(ここ重要です)


でも・・・基本、私も含め、ASはどんくさい人が多いので(行動だけでなく発言をまともに受け止めてダメージを受けるのもどんくさく要領がよくない、と言えると思います)一部の人にとっては見ててイライラするのでしょうか、八つ当たりされる率が非常に高いです。

どちらに転んでも八つ当たりされるので、感情的アプローチオンリーの人とは見えないバリアーを貼ってやっていくというのも自衛手段です。

私としてはAS側の反応は大体想像出来るので、逆に同じシチュエーション下での定型の対応こそ知りたいですねぇ。

「感情的な人と話す時、どういうことに気をつけるか」ということを。

トマトさん するりさん

 トマトさんのコメントを見て、ああそうか!と目を開かれた思いがし、
 するりさんの問題提起を見て、おおそうか!と感激し、
 私ってなんていい加減なのかしら、やっぱり定型なのね、
 としみじみ感じる今日この頃です (^ ^;)ゞ

 するりさんの「心の中では泣きたくてもね(ここ重要です)」
 というポイント、それに「どちらに転んでも八つ当たりされるので、
 感情的アプローチオンリーの人とは見えないバリアーを貼って
 やっていくというのも自衛手段です。」という理解の仕方、
 このところちょうど私も考えていたことでした。
 また記事の方で少し書いてみたいなと思います。

 それとご質問の
 「感情的な人と話す時、どういうことに気をつけるか」
 についてですが、人によってかなり違いがあるような気がします。
 私の場合は共感できる感情なら、一緒に共感していきますが、
 そうでない場合は、「この人何を感情的になってるのかな」
 と理解するために話を聞いていくこともあります。
 ただし、理解して欲しくて感情を表しているのではなくて、
 攻撃のために、鬱憤晴らしのために、とかなんか目茶苦茶な理由で
 とか、感情をむき出しに迫ってこられた場合には、
 できるだけこちらは感情的にならずに、たんたんと話を聞いて、
 適当なところで切り上げる工夫をしたりもしますね。
 これは実際には結構修行がいることで、下手にたんたんとしていると
 「おまえ、真面目に話を聞いているのか!」とか、かえって
 怒りに火を付けたりもします。で、以前の私は
 すぐに相手の感情に巻きこまれて喧嘩になったりしてましたけど (^ ^;)ゞ

私の場合はトマトさんが聞いた話として書いたまんまの感覚ですね。するりさんの深読みは当てはまらないです。ASも様々ですからね。定型の方がASを一派一絡げに語ることにはとても抵抗を感じます。それはASに関しても同じです。するりさんが「AS側の反応は大体想像できる」と言い切ってしまうのはどうかなと思います。

私は八つ当たりはあまりされた記憶はないですし、それを自分がドン臭くて気付かないだけとは思いたくないです。

ナナセさん


「AS側のことは大体想像出来る」は、不遜な響きに聴こえちゃいますね。

「お前は何様か」、そう思われたかな・・・
そう聴こえる言い方をした方に問題はありますから、そこは申し訳ないです。

ただ、そういう意味ではなかったので、ちょっと弁解させていただきます。

私はたまたまAS、AS疑惑、定型だけど変人・・・全て含めて所謂「一般的な人」の基準から少し外れた方と知り合い、もしくは友人関係を結んでいることが多く、さまざまな事例を今回の私の受け取り方も含め、定型の人に比べたら相当幅のある、十人十色な反応が返って来ることの多い環境にいます。


なので、例えばちょっとASっぽい友人が「所謂フツーの人が驚く反応を取ったとしても大抵のことは想定内に入っているからか、驚かない。一見自分と感覚が違うように見えても、その人が何故そういう行動を行ったのか理由を聞けば理屈で、ではなく感覚で納得する」ということが多いのです。

いわば、「AS的共感力」とでも言いましょうか(勿論、これは私の造語で医学的に何の根拠もないです。)

それを、「ASの行動はだいたい分かる」という表現で書いてしまいました。

なので、正反対に見えるかもしれませんが、高校生の子が深読みしてるわけではないのではないかというナナセさんのご意見も想定の範囲内なんです、ある意味。

対して、定型の人の場合はあまり「肌で」共感しない場合が多いのです。これも私の場合、ですが。
理屈で分析してそれで「ふーん、なるほどねぇ」と思っていることが多いです。頭での理解で終わる方が多いです。

私は人に説明する時、理屈をこねくり回してますが本来はすごく感覚人間で、且つ根が非常に大雑把なので、ちゃんと書かないといけないことを書いていませんでした。 言葉足らず、すいません。

ただ、「多くのASは八つ当たりされやすい、どんくさい、要領が悪いのではないか」・・・についてはあながち間違ってないのではないかと思います。

他の人がいちいち引っかからないところで引っかかって無駄に悩んでいる、こだわっていて頑固で融通が利かない人だと思われている(あくまで周りから見て)っていうのは、お世辞にも要領がいいとは言えません。

こう言ってしまえばネガティブに言えば上記のようになりますが、「一途」「初志貫徹しようという気持ちが高い」「周りに迎合しない」そして、「オリジナルな発想が出来る」という見方も出来ると思うのです。

「ドンくさい発言」・・・にはある種の愛しさを込めたつもりでしたが、何にせよ全てにおいて、「つもり」ではダメですね。相手に意図が届かなくては。

もう少し考えてから書かないとなぁと反省しました。


パンダさん

「私の場合は共感できる感情なら、一緒に共感していきますが、 そうでない場合は、「この人何を感情的になってるのかな」と理解するために話を聞いていくこともあります。
ただし、理解して欲しくて感情を表しているのではなくて、攻撃のために、鬱憤晴らしのために、とかなんか目茶苦茶な理由でとか、感情をむき出しに迫ってこられた場合には、できるだけこちらは感情的にならずに、たんたんと話を聞いて、適当なところで切り上げる工夫をしたりもしますね。」

やはり、定型同士でも、何の苦労もしていないわけではないですよね。厄介な人は厄介だ、と。

ただ、この見極めスキルがイマイチ分かりにくいので・・・それこそ「あなたのためを思って言ってあげている」とか言う言い方をする人に対して、最近こそ「はいはい、自分のために言ってるのね」と思うようになりましたが、以前は字義通り信じてしまって、エライ目に遭ったり。

まぁ、こちらとしてはいろんな人やケースがある、と割り切るのと心の状態を出来るだけフラットにするように努めるしかないのかなぁと思ったり・・・(私のケースですけど)

するりさん、

するりさんがどれだけの人数のASや変わった人とお付き合いがあるのか分かりませんが、「AS側のことは大体想像出来る」という自負は容易に過信へと変わっていき思い込みが強くなります。あくまでも「自分は」、「自分の知人は」というスタンスで語られた方がいいのではないでしょうか。するりさんが私の身近な知人であれば「何人のAS? 何人の変人?」と問い詰めたくなるところです。

するりさんのご説明が全体的に不明瞭に感じたのですが、特に「なので、正反対に見えるかもしれませんが、高校生の子が深読みしてるわけではないのではないかというナナセさんのご意見も想定の範囲内なんです、ある意味。」が全くわかりませんでした。

私は、私の場合はトマトさんが書いたまんまの感覚で、するりさんの説は当てはまらないということが言いたかったのです。実際その高校生の心理がどうだったのかは分かりません。するりさんが文面にないことを書かれていたので「深読み」と書きました。私には同様のシチュエーションで「心の中では泣きたくてもね」はないです。


するりさんへ トマトです。

私の書き方が悪かったのかも知れませんが、今回の、高校生(A子ちゃんとしましょう)から聞いた小学生の頃の思い出話は、ナナセさんの受け取り方がA子ちゃんの心情だと思いますよぉ。

「その高校生の子はお姉さんを必要以上に心配させまいと、せめて自分はふだん通りに振舞っておこう、気を使おうとして平常心を装った部分もあると思います。
心の中では泣きたくてもね(ここ重要です)」
というのは、するりさんの過去の経験値から浮かび上がった感想かもしれませんね。
人は、どこか共通点のあるお話には、そのとき自分を想い出しますから。

ですから、ひとつのコメントからどんな発想や感想が生まれても、それは、そのひとらしさなので良いと思います。

ただ、今回はA子ちゃんが、母の帰宅が遅過ぎることで不安になった姉の感情へのつきあいを「母が居なくて平気なのか」という言い方で強要していることに
子供心に「違和感を感じた」ということが主旨ではあります。

文中にはありませんが、A子ちゃんがASと診断されたきっかけのひとつに、母親が急病で寝込んだときなど、姉は小学校から帰って来るなり母親の寝ている部屋に直行し「お母さん、大丈夫?」「お手伝いすることなぁい?」と母の枕元にやってくるのに、A子ちゃんは無表情、無視、無関心という態度。その理由を「大丈夫じゃないから寝ているのに、大丈夫?って聞くのはおかしい。病気で寝ているのだから行かない」「心配や不安ってわからない」などの言動も含まれているようです(A子ちゃんの母親から聞きました)

つまり、原因が(病気であれ何であれ)わかっていることに対しては不安が無かったのでしょうね。
母親の帰宅が遅かったというイレギュラーのことに関しては、不安を感じても、それをA子ちゃん自身が「不安」と自覚しなかったのかも知れませんが、姉の言動に違和感を感じたというのが全てで、違和感を感じながらもその違和感にとらわれることなく姉を案じて自分は不安を抑えた・・・というけなげな心境ではなかったと思います。
(これまた、ワタクシ感想ですが)


トマトさん


「母の帰宅が遅過ぎることで不安になった姉の感情へのつきあいを「母が居なくて平気なのか」という言い方で強要していることに子供心に「違和感を感じた」ということが主旨ではあります。」


これは非常によく分かります。感情の付き合いを強要される、ということは私も最も嫌うところですから。

たとえば、私は美しい景色を見たりすると言葉を失います。ある絶景を見に行った時のことです。

「・・・(感嘆)!」という感じになりました。

言葉にしたら陳腐になっちゃいますが、時が止まったかのような、大自然と自分が一体になったような、なんとも言えない感動。
「すごいねー!○○で、○○なところがー・・・」なんて安易に言ったら言葉がウソになるし、相手は違う感動ポイントかも知れない。
ただただ、自分の感動ポイントを存分に味わいたい、という感じでした。

その後、かろうじて「すごいね・・・」という言葉を言いましたが。

でも、一緒に同行した方から「もっと素直に喜びなよ、私はあなたと付き合いが長いからあなたが感動してること分かるけどさ、でもそれでは伝わりにくいから感情を出しなよ」と言われ、「なるほど、他者からはそう見える場合もあるのね」と思う一方、「感動してるのは同じなんだから感じ方までケチつけないでよ。なんでそう、自分の期待通りのリアクションが欲しいんだろう。所謂支配欲とやらかしら」と内心ではちょっと反発もしていました。

「A子ちゃんがASと診断されたきっかけのひとつに、母親が急病で寝込んだときなど、姉は小学校から帰って来るなり母親の寝ている部屋に直行し「お母さん、大丈夫?」「お手伝いすることなぁい?」と母の枕元にやってくるのに、A子ちゃんは無表情、無視、無関心という態度。その理由を「大丈夫じゃないから寝ているのに、大丈夫?って聞くのはおかしい。病気で寝ているのだから行かない」「心配や不安ってわからない」などの言動も含まれているようです(A子ちゃんの母親から聞きました)」


私の場合は、母が慢性的な持病を抱えていたので、母が寝込んだ時、自分の知らない間に死んでいないかが恐ろしかったこともあり、なんとか助けになることはないか、という思いで「お母さん、大丈夫?」というようなことは率先してやっていました。

でも、もしそういうようなレベルでなく、ただの風邪レベルだったら「しんどいから寝てるのだから、そっとしておこう。睡眠の邪魔になってもいけないし」になりますし、何より自分自身が風邪や体調不良時に「大丈夫?」と言われて「大丈夫」と返すことにそれこそ「違和感」を感じます。
「大丈夫じゃないから寝てるの。大丈夫だったら起きてるよ。しんどい時に気をつかわせないでよ」と、やっぱり思ってしまいますし。


ナナセさん

トマトさんへのコメントで書きましたように、「本来はどんな表現をしても自由のはずの態度を強要される違和感」や、

【相手ににこっとしてもらってこちらも嬉しい気持ちになりたい】は
「相手ににこっとさせることにでこちらが嬉しい気持ちになりたい】という心理。

は、私も理解してるつもりです。「あなたのために○○してるのよ」という言葉は、「はいはい、自分のためなのね」という理解ですから。

そこを踏まえた上で「もしかしたら、そういう風に思うようになったきっかけは、こういう可能性が潜んでいるのかもしれませんね」というのが一番言いたかったことでした。

書き方が悪かった感は否めませんが。

ナナセさんの主張なさりたいことが「ASと言っても定型同様幅が広いから、ひとくくりにするという行為は定型・AS共々控えてほしい」というものであるなら、私は「感情問題」についてアプローチというか主張したい、というスタンスです。


市場に出回っている本、テレビ等の影響で「本当は(定型と質は違えど)豊かな感情を持っているにもかかわらず、自分はそういうものが欠落している」と思っている人が多いのではないかという危機感が強いんです。

はっきりそう思ったのは数カ月前、某国営テレビの確か朝の情報番組だったと思いますが、発達障害を特集していました。

そしてゲストに高名なAS専門医が出演していたのですが、「ASの人は感情がないのですから、言っても無駄です」というような主旨のことを発言されていました。

世間的に見て地位がある専門家がこういう発言をしてしまうと、ASについてよく知らない定型は「なるほど、ASは感情がないのだな」と簡単に思ってしまってもおかしくないし、ASもASで、「何かしらの違和感」を感じつつも「私が感情と思っていたものは感情じゃなかったのかな、友達と楽しく過ごしていたと思っていたけど、実は違ったのかな」という風に流れていってもおかしくないでしょう。

でも、確実に感情や他者への思いや愛情はあるのです、私の中にも他の方にも。


放送後に違和感を感じ、いろんな方のブログを拝見したところ、やはり「あの発言はないんじゃないか」という意見をかなり見ました。

でも、その反論を発信出来る人に比べたらさまざまな条件で発信出来ない人の方が圧倒的に多いと思うのですね。

なので、発信出来る人間として、定型の人に「感情の行き違いで誤解しているケース、というのもあるのではないでしょうか」ということを発信できたらなと思ったのです。

その中に「AS本人が気付いてない、ないと思っているものも実は成長過程でそういう風に思うようになっただけではないか」や、

「今は定型の側が迷惑を被っている(ASからDVを受けた、とか凶悪犯罪の加害者がASだった、等)という報道や書き込みの方が主流だけど、私自身は定型夫からDVを受けた。意思疎通が難しいがゆえに、定型も一歩間違えたら加害者になる可能性がある。定型もASも、決して自分だけが悪い、相手だけが悪い、もしくは他岸の火事、ではなく我が身にを振り返って考えてください」

というようなメッセージを込めてAS・定型共に伝えたかったのです。

本格的に発信、自説を唱えたいのなら自分でブログを書けばいい、ということになるかもしれませんが、なにぶん文章力がないのと定型側の問題提起があって初めて、「え、こんなことで定型は悩んでるの?」と思い、そこから対応策を練る、という風に後手後手になってしまう私は、既存のブログについ甘えてそこで自説を展開するという形になってしまいました。


ですが、意図が全く通じないのはむなしいですね。自分の力不足ではありますが、全体的に不明瞭とまで言われたらちょっと。

書ききった感もありますので、これ以上書き込みはしないでおこうと思います。


ナナセさんは今までどおり、ご自身の「ASを一派一絡げにしないで欲しい」という自説を貫いていただければと思います。

私はそれも勿論大切なことだと思いますから。
ただ、力のいれ所というかこだわりポイントがナナセさんと私は少し違っただけです。


最後に、「何人のAS、変人ですかと詰め寄りたい」とのことだったので、真面目に数えてみましたが、常時接するだけで身内含め(といっても身内は少ないですが)だいたい20人強くらいですね。

ちょっとアクの強い・・・というか、ある意味変わってないと生き残れない世界にいます。
一からモノを作っていますんで。

パンダさん、皆さまへ

実体験を語らなければ、机上の空論に終わりがちで結局、誰の心にも響かないだろうと思い、かなり個人的なことをギリギリのところまで書いてきましたが、もうこれくらいが潮時かなと思います。
本当にお世話になりました。ありがとうございます。書き込みはしませんが、ちょくちょく寄らせていただきます。

これからも様々な問題提起、楽しみにしています。

本当にありがとうございました。

するりさん

 アスペの方のどの範囲にどの程度の割合で通用するのかは難しい問題でしょうけれど、
 するりさんのコメントは私にはとても刺激的で、最近考えるようになったことも
 多分、するりさんからの影響が結構あるんじゃないかと思っています。

 私から見ていて、やりとりがとげとげしくなってしまったようですけれど、
 これからもいろいろコメントで新鮮な見方の一つを教えていただけると
 ほんとに嬉しく思います。

 アスペと定型の間、そしてアスペとアスペの間でも、時にとげとげしい
 やりとりになることは避けがたいのでしょうね。
 そのことでめげてしまうと、先は見えてこないのかなあと、
 改めて問題の難しさを思いました。

 昨日、パートナーの笑顔を「ゲット」しました!
 猫が開いた傘の下に傘を差しているようにちょこんと座っていたので、
 それを教えてあげて見せてあげたんです。
 そしたらそれまでしんどそうな顔をしていた彼女が
 にこ~っとしました。

 下手な駄洒落なんかより猫ですね!

パンダさん 

お気遣いいただきありがとうございます。 

まだ完全には立ち直っていなかった頃、初めてパンダさんのブログを拝見し、優しい人柄の方だなぁ、生活をしていたら勿論色々あるだろうし、時に嵐のような日々を送ることもあっても、それでも根底のところで揺るぎない何かがパートナーさんとの間で確立されているように私には感じられ、パートナーさんは幸せだなぁと思ったことが昨日のことのようです。


そしてコメントさせていただくようになってからも温かい対応をしていただき、とても居心地がよかったです。 

どうしてもリアリティー重視の為、ちょっと自分の体験談や身の上を必要以上に書きすぎてしまう方向に行きかけていたので、今回のこととは別に、これからは発言を控えたいなと思います。 
ただ、自分としては何かに怒ったとか失望したとかそういうわけではないので(あえて言うならば自分の文章能力の低さ、伝わらなさにはもどかしく思いましたが)実体験を書かなくても伝わりそうなやり方を見つけれたら、将来、お言葉に甘えてまたコメントさせていただく時が来るかも知れません。
その時は宜しくお願いします。

追記…奥様のツボが徐々に掴めてきてよかったです!私も何故か自分のことのように嬉しくほっこりしました。

するりさん、

私とするりさんは意見や性格、ものの捉え方が違うだけで、書き込みの趣旨は一緒だと思うんですけどね。
するりさんは最初の書き込みで「表面的な話だけでは語れないと私は思うのです」と言い切って自説を展開されていたので、私は「書いたまんまの感覚です。」と書きました。私にはするりさんの解説のような裏の感情や体験がなかったからです。ASはみんながみんながするりさんの解説のような感覚でいるんだと判断されては困ると思いました。私が書き込むことで少なくとも2パターンのASの存在が明らかになったと思うのですが。

トマトさんが経験値ということをおっしゃっていましたが、本当にそうだなと思います。

トマトです。
なんかね・・・するりさんとナナセさんのやりとりを拝読していて・・懐かしくなりました。
こんなやりとりを、今は亡きASの友人と、よく、したなぁ・・・って。
するりさんが私で、ナナセさんが友人で
「なんとなく、そういうこともあるんじゃないかなぁと、連想というか、思ったのよ」
「それはトマトさんだけの深読みではないですか? そういう内容はどこにも記されてないのですから」
「だけど、これを見た人はみんなそう感じたりするんじゃないの?」
「みんなって、トマトさんのいうみんなってどこの何人を指しているんですか?」

話の流れは違えども、ところどころ出て来るワードや言い回し方がね、なつかしい過去のやりとりに似ていて、
6月の午前中の風がそよいでくる部屋で読んでいると、目頭が熱くなっちゃいました。

するりさんは、心が敏感というかデリカシーがあって、こちらが世間話レベルに置きがちな内容を、心を削る告白や恥をしのんで思い切ってコメントしました・・という姿勢で真剣に教えてくださって、内容はASの感覚であり世界感なのですが、ふと身近な友人のように感じるときがあります。
そしてナナセさんは、気持ちのよい程のストレートな判断が解りやすくて、いつも端的な答えをを楽しみにしています。

私の感想を書いた所で、するりさんを引き止めることもできないのでしょうが、お二人のコメントを見て、考えたり、ヒントになったり、感動したり・・沢山の人がどのように感じているかのひとつに、私のように思い出につながった者も居る・・ということをコメントしたかったです。
どうも。

ナナセさん


こちらの意図が伝わっているようで安心しました。

これは本当に裏表なく取っていただきたいのですが、ナナセさんに対して気分を害したというわけではなく、「ナナセさんへのコメント」の際、自分の説明をしようとする為に色々書いちゃったなぁ、これ以上書いたらちょっと・・・だけど、歯止め利くんだろうか・・・と自分で自分が怖くなってしまった、というのが本心です。

ですから決して気にしないで下さい。

ASを一括りにしたと思われた表現については配慮不足でした。

その意味するところは私も様々な体験で私なりに分かっているつもりです。
重ねてお詫びします。

トマトさん


実は私、トマトさんのことは他のブログ等でも存じていましたので、結構年季の入ったトマトさんファンであり、トマトさんのお友達ファンでした(笑)

トマトさんのコメントはASの私からしてみれば賛同することもあれば、?なこともあるし、「それは違うだろう」と思うこともあります。

でも究極、そんな些細なこと、どうでもいいんです。

大事なのはその人の行動、姿勢、態度です。

当事者ブログでコテンパンというか総攻撃を喰らったのにも関わらず、何度でも食いついてこられる、その姿勢に「なんていう精神力なの、この人・・・」と感動したことが全てです、私にとっては。


トマトさんとこうしてやりとりすることになるとは数カ月前まで思っていませんでした。すごく楽しかったです。


今回、しばらく控えようと思ったのは「こんなブログ嫌だ!二度と来ない!」という思いからではありません。このブログは居心地良く、とても好きです。

ただ、前述しましたように「書きたいことあっても・・・どの程度書いたらいいか分かんないわぁ・・・」というところを自分なりに解決しないといけない時期に来た、と思うのです。

それが自分の中で整理整頓出来た、と思ったら、もしかしたらまた書きこませていただくかもしれません。

本当にありがとうございました。

するりさん、

私からするとするりさんは細かいところに気を使い過ぎのような気がしますね。「裏表なくとっていただきたいのですが」というくだり、生まれて初めて言われました。今まで「言葉の裏を読め」とは数えきれないほど言われてきましたけど。「決して気にしないでください。」も「えっ?」という感じです。定型の方に自分の感情を勘違いされて色々言われて混乱する時と似たような感じです。するりさんが私にお詫びする必要性は全くないのです。

私のひとつ前の書き込みは、するりさんが「ただ、力のいれ所というかこだわりポイントがナナセさんと私は少し違っただけです。」と書かれていたので、趣旨は同じなのではと言いたかっただけです。仮にするりさんが気分を害したとして、私がそれを気にしたとしたら、それを書き込むでしょうし、できればするりさんには書かれていないことまで気を回していただきたくないです。文面の裏を読んで欲しくないというか。ASがASにこういうリクエストをするというのは非常にレアなことではないでしょうか。

するりさんは今まで相当定型流を押し付けられてきたのでしょうね。時々するりさんの書き込みは(発想は)定型っぽいなと感じます。ASが定型っぽく感じる。そこにするりさんの今までの辛い体験が集約されているように感じます。

ナナセさん


本当にこれで一旦終わりにしますね、でないと「書かない書かない詐欺」になっちゃいそうなので・・・苦笑

定型っぽいですか。そう言われますね、確かに。

「あなたがASならもっと疑わしい人、いるわよ!だって目が合わないとか、そういう特徴を持っている人のことでしょう?あまり他の人に言わないでおきなよ」

という忠告付きで。。

以前は「ASである」ということを呪ってましたから(苦笑)、そう言われることの方がかえって嬉しかったです。


「アスペルガー」という響きがすごく恐ろしいものに思えたし、元夫からは診断を「逆・錦の御旗」として使われてしまいましたし、極めつけは「治ることのない症状」と医者にも言われただけで、実質突き放され。

ここからどうやって持ち直せというのよ、まったく。一生棒に振ったじゃないか、と。


でも、どうやらようやく立ち直れたようです。

「定型っぽい」と言われて嬉しくなかった自分を発見しました。

少しずつ自分との(他人との、ではなく自分との、です)付き合い方が分かってきた気がします。

ところでナナセさんがご覧になった番組と私の見た番組は同じです。正確には「心の目が見えない」と言ってらっしゃいました。
ご指摘通りです。正確に書かなくて混乱を招きましたね。すいません。

では。

するりさん

 横割りで失礼します m(_ _)m

 あの、私は「狼少女」でも全然構いませんので、
 何か書きたいことがあったらいつでも書き込んで下さい。
 楽しみにしています。
 もちろんするりさんの「一途さ」も大切にしていただいて結構ですけど。

トマトです。

私の個人的な感想ですが、ナナセさんの書かれた

『するりさんは今まで相当定型流を押し付けられてきたのでしょうね。時々するりさんの書き込みは(発想は)定型っぽいなと感じます。ASが定型っぽく感じる。そこにするりさんの今までの辛い体験が集約されているように感じます。』

は、ナナセさんからするりさんへの思いやりというか、ねぎらい、というかAS同士ならではの視点だと感じました。
「だから・・・?」と言われると、えーとそれだけ ッて言う感想ですが。

トマトさん

 おはようございます。

 ああ、それ、私もちょっと感じました。
 「だから……?」と言われると、えーとそれだけ ッて言う感想ですが (^ ^;)ゞ

 (「だから?」ってパートナーからよく言われます (^o^) )

トマトさん、パンダさん、

トマトさんが引用した私のコメントは、するりさんの今までの体験談や定型っぽいコメントを読んでしみじみ「大変だったんだろうね。」と感じて書いたものでした。とても好意的に解釈して頂くと「思いやり」とか「ねぎらい」になるのかもしれません。自分がそこまで考えていたのかどうかよくわかりませんが、そうだといいななんて思ったりします。

するりさんの
「でも、どうやらようやく立ち直れたようです。「定型っぽい」と言われて嬉しくなかった自分を発見しました。少しずつ自分との(他人との、ではなく自分との、です)付き合い方が分かってきた気がします。」

というコメントを読んで、「あぁ、それは良かった。」と私は思っていたのですが、トマトさんがピンポイントで感想の書き込みをされたということは、何かフォロー的な意味合いがあったのでしょうか。そう言えばするりさんのコメントには「嬉しくなかった」というワードが入ってますね。どうなんでしょう。少し混乱しています。

ナナセさん

 トマトさんの書き込みの意図について、僭越ながら私が感じたことを書かせていただくと、
 とてもやさしいお気持ちでのフォローだったと思います。
 誰も傷つけないように、ご自分がちょっとピエロのように振る舞いながら、
 ポジティヴな話題を提供する、という形でですね。
 もちろん、私の思い違いの可能性はゼロではありませんが、
 定型同士の遣り取りの中では、そういう優しい(と定型は感じる)気遣いを
 される方がしばしばいらっしゃることは事実です。

 するりさんの「嬉しくなかった」についても、僭越ながら私の理解を書かせていただくと、
 「嬉しくなかった」という言葉の力点は、ナナセさんにそう言われて嬉しくなかった、
 ということではなくて、以前と違って「定型に似ている」という評価がするりさんには
 もうポジティヴな意味が失われていることに気がついた。つまり、「アスペで何が
 悪いんだ。私は私なんだ」という自信がついてこられた、ということに自分が気が
 ついて、その意味ではポジティヴな気持ちにもなった、ということなのではないかと
 想像しました。

 もちろん私の勝手な推測ですので、全然的外れかも知れません (^ ^;)ゞ
 するりさんがとりあえずお休みを宣言されているので、
 お返事しにくいかも知れないと思い、勝手にひとつの解釈を書いてみました。
 間違っていたらどうもすみません m(_ _)m

パンダさん、

もうひとつ質問させてください。

トマトさんの「とてもやさしいお気持ちでのフォローだったと思います。」というのは何に対するフォローでしょうか? 私の文章がとげとげしく感じるので、とげとげしく感じるけど真意はこうなのですよというような解説的フォローという解釈で合っていますか?

「誰も傷つけないように、ご自分がちょっとピエロのように振る舞いながら、ポジティヴな話題を提供する、という形」というのがイマイチ分かりません。

何度もすみません。

ナナセさん

 トマトさんご本人もいらっしゃる状況で、私がトマトさんの意図を勝手に推測して
 お答えするのはとても僭越で、勝手な私の思いこみにすぎないかもしれませんので、
 そういう前提で、「定型同士で相手の発言を理解するときには、こんな読み方も
 している」という例の一つとしてお読みいただければと思います。

 「何に対するフォローか」ということについていうと、多分一番近い答えは
 「場の雰囲気」に対するフォローということになると思います。

 多分この「場の雰囲気」という言い方がまたわかりにくいかもしれませんね。
 「場の雰囲気」というのは、とりあえずはこんな感じで説明できるかも知れません。
 複数の人がいて、お互いの話を聞いたり話したりしているときに、
 定型の場合、話をしている相手の人がどう考え、どう感じているか、
 ということに注目するだけではなくて、周囲の人たちがどんなふうに
 自分たちのやりとりや、そこでのお互いの発言を評価し、感じているか
 ということを同時に気にしていることが多いです。

 そういうことを気にしているときに、多くの人がこんな風に感じているようだ、
 と思える場合、その感じ方を「場の雰囲気」と言うことが出来ます。

 定型の場合、その「場の雰囲気」を掴みながら、できるだけ多くの人に
 自分の意見を理解してもらえるように発言を工夫したり、
 逆に多くの人に反発されることを避けようと工夫したりしています。
 場合によってはわざと反発されるような発言をすることで
 議論を活性化させようとしたり、あるいは敵対的な関係を作ろうとしたり、
 そんな場合もあります。
 その意味ですごく「政治的な駆け引き」みたいな部分が有るんですね。
 もちろん「対立した関係を避けようとする」という場合もあります。

 さて、話を戻しますけれど、
 ナナセさんと私の遣り取りの中で、ナナセさんが
 「パンダは前にこのブログでトラブルが起こったときと同じ事を繰り返している。
 私はその時点で去るべきだったかもしれない」
 という意味のことを書かれたと思います。
 で、定型的にその発言を読むと、もう完全な最後通牒で、交渉決裂、
 コミュニケーションの必要性なし、という宣言というふうに感じられますし、
 他の読者の方にも「ここはそういう場なんだ」ということを宣言されている、
 というふうに読めてしまうわけです。
 (これはナナセさんの真意がどうかとは別に、そう見えてしまうということです)

 ですから、そういう宣言が行われる事態は、コミュニケーションの場としては
 とても危険な状況と考えられることになります。
 せっかくのアスペと定型のコミュニケーションが成り立たなくなってしまう
 というわけですから。

 そういう「緊迫した場面」になっているという「場の雰囲気」を、
 遣り取りの流れの中で、その一部を使いながら
 ふっと和らげる言葉(定型的に見ると)を投げかけられたわけです。
 それは「お互いにもう少し気持ちを落ち着けて、ゆったりした議論に
 なるように」というひとつの定型的な工夫になります。
 その意味で「(対立的に見える)場の雰囲気」が和むように
 フォローをした、ということになります。

 「誰も傷つけないように、ご自分がちょっとピエロのように振る舞いながら、
 ポジティヴな話題を提供する」というのは、以上の理解を前提として
 私が感じたことです。

 まず「誰も傷つけないように」というのは、対立的な議論の中で
 お互いに傷ついている(と定型は感じる)状況で、
 どちらかの肩を持てば残りの方はさらに傷を深くする可能性がある。
 どちらを責めるのでもなく、どちらに荷担するのでもなく、
 対立とは異なる形でコミュニケーションを成り立たせようとされたのだと
 感じました。

 「ピエロのように」というのは、

  「「だから・・・?」と言われると、えーとそれだけ ッていう感想ですが。」

 と書かれた部分を指しています。
 ここで書かれたことは、直接的には「私は思いついたことを
 良く理由も分からずに書いてみただけで、大した意味はありません」
 ということを表現しているわけですけれど、
 いつもの鋭いトマトさんのコメントを拝見していれば、
 そういう表面的な理解以上のことを考えていらっしゃると想像できます。
 でも、そこでご自分の主張をさらに展開されると、
 場の雰囲気を和らげる、という目的が果たせない可能性があります。
 ですから「私にはよくわかりません」と言う形で、
 あえて深入りしない表現にされ、「一息入れる」形にされたように感じました。
 (もちろん私がそう感じただけですので、違っていたらごめんなさい (^ ^;)ゞ)

 「ポジティヴな話題を提供する」というのは
 場の雰囲気が対立的になっていると感じられたときに、
 みんなが前向きの気持ちになれる話題を提供するということですが、
 具体的には「ナナセさんからするりさんへの思いやり」という解釈を
 示して下さったことがそれにあたります。

 つまり、ちょっと(定型的に)見ると厳しい対立的やりとりにも
 解釈されそうなことの中に、実はアスペ的な思い遣りがある、
 というポジティヴな理解の仕方を指摘して下さることで、
 みんなの注意を「やりとりを積極的な目で評価しなおしてみる」
 という方向に切り換えるきっかけを提供されたのだと思います。

 ということで、全体として「対立して崩壊しそうなコミュニケーションの
 場の雰囲気」を和らげ、「柔軟に理解をしなおして、コミュニケーションを
 立て直す」ということをされたんだと感じます。


 以上のような理解が私の理解ですが、最初に書きましたように
 単に私の思いこみかも知れませんし、またそういういろいろな「配慮」
 については定型の場合、頭で考えてやるというよりも、
 直感的に、感覚的にやってしまうことが多いし、
 相手の人も直感的にそう感じ取るだけで、
 私がここで書いたような形ではっきりと言葉にして考えている
 というわけでもないと思います。ただ、あえて言葉で説明してみると
 そういうことにもなるかな、という感じですね。

 ほんとにトマトさんには勝手にご発言の意図を解釈して説明するなど
 失礼なことで申し訳ありません。
 多分トマトさんなら許して下さるのでは、という甘い期待を持って(^ ^;)ゞ、
 ナナセさんの疑問に何とかお答えを試みました。

 またわかりにくいところとか、変だと思われることがありましたら、
 どうぞご指摘下さい。
 
 


そうそう・・・なんとなく感じてたんですけど、パンダさん、ナナセさんには積極的に応答されますよねぇ。応答というか反応というか。
良いことだと思いますよ。でも、なんか普段のパンダさんの、落ち着いて出て来る・・というイメージじゃないし、いつもより熱心具体的なコメントに「やっぱり、相性ってあるんかな」と思っちゃいました。

潜在的に、パンダさんの奥様に通じるところがナナセさんのコメントにはあのでしょうか?
れこそ、深読みと言われそうですが。

私は・・その・・・どうもナナセさんのコメントがとげとげしいと言うよりは「率直」に感じられていたのです。
でもそれは、自分に向けられたら「とげとげしい」と感じられるのかも知れませんけどね。

するりさんは、不特定多数に見られている場で、ご自分を表現されることに、するりさんなりの努力や工夫を精一杯されていましたから、その表現を、解りずらいと評価をされると、気持的にブレーキがかかってしまうことはあると思うのです。
でも、それをご自分の問題として説明してくださいました。
「大人だね、するりさん」と感心したのですが、
ここで、会えなくなるのがやっぱり寂しかったのです。

私は「最近、玄さんどうしてるかなぁ」「ハルコさん、どうなったかなぁ彼と」とか・・この場へ来ると、やっぱり自分がやりとりした人を想っちゃうんです。

で・・ナナセさんの率直なコメントは、私的に好みなのかも知れませんが、主旨が解りやすい表現をされるので「あなたまで居なくならないでよ」と思った。
で・・良いと思うコメントをポロリと言ってみた。

とっさにポロリと・・。
これが、私の上記のコメントです。
パンダさんの通訳を見て「そうか・・なるほど、自分はこうだったのか」と思ったりしております。
ここらへん、定型ですね。

トマトさん

 今日いくつめのコメントだろう? とふと数えてみました。
 4つめですね! ま、たまにはいいか (^o^)

 えっと

「潜在的に、パンダさんの奥様に通じるところがナナセさんのコメントにはあのでしょうか?」

 これ、するどすぎです!
 いや、私もそうかなと思っていたんですね。
 ナナセさんには失礼に当たるかも知れないので予めお詫びしておきますが
 なんか私のパートナーと通じる感じを受けていたのです。
 いや、もちろん「アスペ」ということでは通じるわけですが、
 その中でもいろんな方がいらっしゃるじゃないですか。
 で、なんか似ている部分を感じて、で、そこがどうも私には
 よく分からないところだったりするものですから、つい熱が入るという……

 まあ、彼女には「あんたの説明はほんとにわかりにくい」とよく言われるので、
 ナナセさんにもご迷惑をおかけしているのではないかと、ひそかに
 心配をしております (^ ^;)ゞ

 トマトさんのとっさにポロリ、という感じもよく分かります。
 ここらへん、やっぱり定型ですね。

 (うう、今も「電気消し忘れ」で怒られてしまった (T T) )

 ではみなさま、どうぞよい睡眠をお取り下さい m(_ _)m

パンダさん


かっこ悪いですけど、「臨時(もしかしてそのまま定着?)狼少女」、やりま~す!(キャラ変わってるよ、というつっこみはナシでお願いします・・・)


「嬉しくなかった」の力点は、まさしくその通りです。
ほぼ、ではなく100%その通り。

「定型っぽいって言葉、嬉しくないんだよね」・・・・これはただの感想なんですけど非難にとられやすいことを身を持って学習しましたから、普段は言わないですね・・・その人への信頼感ともさることながら、「同じ言語感覚かどうか」を選別して言う努力をします。

これはASとかそういうこととはまた違います。そして家族だから分かるかと言ったらこれまた微妙で、家族間でも通じる相手と通じない相手がいます。

それでもまぁ、だいたいは「リスクを冒すのが面倒」との思いが勝って、大人になってからはこういう言い回しは使っていないことが多いと思います。

でも、今回あえてこういう率直な言い方をしてみようという気になりました。こういう場だからこそ、飾る必要はないかな、と。


自分の元からの感覚も大事にしつつ(それが自分のアイデンティティですからね)パンダさんの逆バージョン・・・「定型観察の結果を自分の発言や行動で実践する」は、意識・無意識問わず私もしてます。

「猿真似」、言いたいことは分かりますけど、そんなに自虐ネタに走らなくても(汗)


まぁ、私も成功率は4割弱くらいで後は猿真似かもしれませんが・・・

「野球だって三割ちょっと打てば一流打者でしょ?失敗したっていいじゃない。」と思ってます。
って、野球のこと全然分からないんですけどね(苦笑)

ところで。

「アスペルガー風に書いてみます」が、以前と今回問題になっていますが、実は少しの違和感(悪感情ではなく、純粋なハテナというのが一番近いかもしれない)を感じつつも、「ま、そういう表現もあるんじゃないの~」と、素通りしてしまった私も(たまたま私の腹立つポイントとはちょっと違ったようです)、改めて考えてみました。


「好きでアスペルガーやってるわけじゃないんだ」、こういう反発では?

一応、「アスペルガー症候群」は、今の医学では「病気、障害」にカテゴライズされていますからね。

「本人や周りの工夫によってある程度社会参加や人間関係が円滑になる可能性もある・・・かも? でも、基本的には厳しいわよね。」という、受難(と、あえて表現させていただきます)を負った側の気持ちとしては、「アスペルガー風」は、「ちょっとエッセンス取り入れてみました~」的な軽いノリに思えたのかもしれないな、と。

「原宿系ファッション」とか、「広島風お好み焼き」とか。そういう軽い響き。

パンダさんが一生懸命伝えよう、歩み寄ろうとして「アスペルガー風に書いてみます、そうすることによって新たな気付きがあるかもしれないから」とすればするほど、「あなたのやってることって(そういう気がなくても)足の悪い方が歩いている後ろでわざとびっこを引いて歩いているのと変わらないわよ!バカにしないでよ」と反発されたのかもな。こうなれば平行線よね・・・と、ここまで書いて思ったのですが。

私もこれが「パンダさんの発言」じゃなかったら、ムッとしていましたね(苦笑)


結論:「相性」


・・・と言ってはあまりに無味乾燥なので、終わったことはしょうがない。これからのことを考えてみましょう。

具体的には「アスペルガー風に書きます」宣言をしないで「不言実行」しちゃえばいいのでは、というのが私の提案です。

時には「ご自分の思うアスペルガー風」、時には「素の感情をあらわにした定型的文章」、と、(内心自覚的に)色々試行錯誤されること自体には反発はそんなにこないと思うので・・・文体に敏感な方もいるかもですが、意外と分からないものです。

何故か。

理由は・・・私もナナセさん同様、「アスぺ風」と称された文体が、いつもの文体と比べて、どこがアスぺ風なのかさっぱり分からなかったからです・・・(す、すいません・・・)

いつもと変わらず、分かりやすい文体だなぁ、という印象で・・・(これは私の個人的感想です)
 
脱力させてしまったらすいません・・・。

パンダさん、

丁寧なご説明ありがとうございました。
しかし複雑過ぎて私の理解力のキャパをはるかに超えていて脳みそ爆発です。昨日から何度も読み返しているのですが、パンダさんに更なる説明をして頂こうにも、どの部分について質問すればいいのやら途方に暮れて居る状態です。
あの短い文章の中にこれほどまでの意味合いが込められているとは。

複数の人がいるシチュエーションとして会社の会議を思い浮かべたのですが、「参加者が全員ASだったら、あっという間に結論が出て会議が終わりそうだな。」などと、パンダさんの説明の趣旨とはまったく関係ないであろう感想が浮かんだりしました。

すみません、パンダさんからしたらがっくりのコメントですね。

するりさん

 ようこそお帰りなさいませ (^_^)v

  「好きでアスペルガーやってるわけじゃないんだ」、こういう反発では?

 というご指摘、そうかも知れませんよね。一応想像の範囲には入ります。
 ただ、その可能性をかすかに意識しながらも、それでも書いたのは、

 「これまでの記事でのパンダの主張を見ていただければ、
  そういう視点でそうしようとしているのではないことは、
  きっと分かってもらえるはずだ」

 という思いがあったからです。その点で誤解を受けてしまうほど
 信頼してもらっていないとは正直思わなかったんです。
 甘かったですね。

 パートナーとの遣り取りの中でも、
 「そんなことについても信頼してもらっていないのか」
 と感じてしまうことが何度もありましたから、
 そういう問題についてはやっぱりもっと慎重になるべきなのでしょう。
 

ナナセさん

 「パンダさんからしたらがっくりのコメントですね。」

 いえ、とんでもないです。とても参考になるコメントでした。
 私なりにわかりやすいように説明を試みたつもりですが、
 結局その説明の仕方自体が「定型流のわかりやすさ」なのでしょう。

 パートナーとの間でもほんとに同じようなことが繰り返されましたし、
 今もよく「わからない」と言われていますから、
 きっとそこには定型とアスペのコミュニケーション理解について
 まだ私には理解できていない重要なズレがあるんだと思います。

 一体それがどういうズレなのかを考える上で、
 こうやって「おまえの言うことは分からないぞ」
 と言っていただくことはとても大きな手がかりのひとつになります。

 今後ともどうぞ「これはわからん」ということを教えていただけると
 うれしいです。

 何度も読んで下さってありがとうございました。 
 

こんばんは。忙しかったというのもありますが、書き込みのインスピレーションが降りてこなかったというだけで、、、ご無沙汰です。
僕は、ASと定型とはそんなにパッキリと分けられるものではないと考えていますし、対立するものとも思っていないので、最近の話題が、あんまりピンと来なかったのです。僕から見れば、定型もASも僕から同じ距離だけ離れている他者、という感じですから。

ASの人の表現手法?を真似することが歩み寄りになる(?)と考えるのは、誤ったアプローチと思います。僕が評価するのは、内容のオリジナルさです。誰かの体験談のシチュエーションが自分とそっくりだと思われたときには、手を取り合って「同じだ」というかもしれませんが、これは同じだけで「共感」ではないですよね?
その他に、僕が会話で意味があると思うのは、客観的な情報も好み。「あの人がこう言っていた」という伝聞を聞かされるのは苦手です。
それと、真似をして親しみをアピールする、真似されると親近感を感じるというのは、たぶん定型に独特ですね。僕は、悪いとは言いませんがプラス評価にはしないと思います。


するりさんの書き込みにピンポイントでツッコミさせてください。
『「アスペルガー症候群」は、今の医学では「病気、障害」にカテゴライズされていますから』とありますが、syndrome、disorder、diseaseが上手く日本語になっていなくて、医学用語の訳語がイメージで解釈され一人歩きしてる典型ですね。
発達障害の「障害」はdisorderの訳語であって「上手くいかないコト」。病気じゃありません。上手くいかない事例を共通に持っている人々の情報を集積して研究するための、研究対象としてエントリーされた人々の便宜的な呼び名が「症候群」です。disease「病気」だったら明らかに不利益で、治すべきであって、診断と治療があるわけですが、disorderは現象に近いので、確定したり介入したりにそぐわないニュアンスがあるってことです。

いぇ〜い、久々の玄さん、そしてコアな講釈!
するりさんも帰って来られて、嬉しいです。

するりさんの
『ナナセさん同様「アスぺ風」と称された文体が、いつもの文体と比べて、どこがアスぺ風なのかさっぱり分からなかったからです』
には、吹き出しながら私も1票。

こういうところ、パンダさんは大真面目におもしろいです。

玄さん


シンドローム、ディジーズについての厳密な定義は確かにその通りだとは思います。

ただ、近頃の子は3歳児検診等で引っかかって正式な診断を受けるケースが多いし、成人も「病院で」診断を受け(確かに成人の場合、任意ですけどね)、診断後も診察を受け続けている方が少なからずいらっしゃる(これは二次障害的に発生したうつ病などがメインの通院のケースが多いとは思いますが)・・・ということから考えて、言葉の定義や誤訳問題をことさらクローズアップしてもなぁというのが私にはあります。

日本は「障害」という言葉が「害を与えるようで心象が良くないということから「障碍」になり、アメリカ等でも「ハンディキャップト・パーソン」から「チャレンジング・パーソン」になりつつあります。

自身の人生を肯定的に、前向きに考えるという意味ではいいことなのでしょうが、呼び方が変わっただけでそれが出来る人ばかりでしょうか?

特にAS当事者がここにばかり焦点を当てすぎると、通院しているような当事者が「症状(現象)の重さ」を有耶無耶にされたり「言いわけ言うな。こんなの現象であり病気でも障害でもなんでもない。ポジティブな気持ちで努力しろ」と都合よく解釈されたり、他人に言われるまでもなく、自ら「自縛自縄状態」を作り上げて、かえって首を絞める結果になるんではないかと思ったり。

そういうわけで、「精神科で診断受けるし・・・病気、障害に入れてもいいんじゃない?」という風に思って書きました。

イマイチまとまりのない文章になっちゃいました。すいません・・・。

パンダさん


「アスペルガー風」という、その部分だけ取ると「軽いノリ」に聞こえて「ムッとする」という可能性だけでなく

「言い方を似せるということ自体」にも「そんなことしてもパンダさんの本質は変わらないでしょう、いいじゃない、下手な猿真似やるよりパンダさんはパンダさんの言語を使えば」という反論もあるかもしれないですね。

でも、どうでしょう。

これはAS・定型両方に言えることだと思うのですが

「あなたの言ってること全然分からないよ」くらいだったらまだいいです。

でも、残念なことにお互い自分が好意や善意で言ったこと、行ったことを全く正反対の非難・中傷ととられたりして事態が深刻になっていくことが現実問題あるのです。

「あのたった一言を言わなければ(もしくは言い方を工夫していれば)、そういう誤解は生まれなかったのに」ということが出てくる。

その一方で、「いつもとちょっと違う言い方を工夫してくれたから分かりやすくなった」も、毎回とはいかなくても、打率3割かもしれないけど、ある。

いずれにしても、「現状より意図が伝わりやすい言い方」があるかもしれないのに双方、「これが自分の、あるいは、みんな、フツーの、スタイルだ。正しいこと言ってるんだからいいじゃないか」のみで強硬に押し通していいんですかね?それで得るものありますか? という疑問があるんですよ。

「正しいことは聞いてもらえて、相手に届いてこそ価値を発揮する」と思います。

なんか一見すると定型っぽい言い方するな、この人、と思われるかもしれませんが(笑)、いわゆる「場の空気」とかそういう次元の話ではなく、適当な表現が見当たらないのですがもっと戦略的なニュアンスなんです。
ちなみに定型も困ったら「みんな、フツー」に逃げ込むので、やっぱり双方とも、大切な姿勢だと思います(ここ強調!)


勿論、自分を殺したり痩せ我慢するのはいびつです。どちらかが一方的に奴隷みたいになったりするのはやめた方がいい。

でも、「こう言ったら伝わるかな?彼女(彼)の語法に近い言い方(と自分が思っているもの)で喋ったら伝わるんじゃないか」

「今回は伝わらなかったなー、今度はもうちょっとこうしてみようか」という姿勢そのものは、評価されていいものじゃないかと思うんですけどね・・・。


>「これまでの記事でのパンダの主張を見ていただければ、そういう視点でそうしようとしているのではないことは、きっと分かってもらえるはずだ」という思いがあったからです。その点で誤解を受けてしまうほど信頼してもらっていないとは正直思わなかったんです。甘かったですね。

「信頼」してなかったわけではないと思いますよ。
逆に、「信頼しすぎていたからカチンときた・失望感が高かった」のかも知れませんよ。

恋愛が分かりやすいと思うのですが、「熱しやすく冷めやすい」という言葉がありますが、「この人、自分のことものすごく分かってくれているかも!ずっと一緒にいたい」と熱病状態というか思えるくらい思い過ぎている状態なのに、ちょっと気にいらないことを言われたりちょっとした相手の欠点が見えた瞬間、それが大事のように見え、サーッと急激に冷め
た。
期待しすぎたってことだっただけなんじゃないかなって思います。
振り幅が大きいってこともあります。

まぁ・・・一意見です、と釘をさしておきます・・・。

パンダさん、トマトさん、

話の流れが変わっているのですが、少し遡って質問させてください。
トマトさんとパンダさんが、私がパンダさんの奥様に通じるところがあると会話されていましたね。定型流だとやはりあそこは私も反応するところですか?
私からすると「そう言われてもなんて言っていいか分からない。」、「あぁ、そうなんですか・・・。」というのが正直な感想でコメントのしようがなかったのです。

たまに知人に「あなたは私が言ったことを無視する。」と言われます。そういう時は私が「そう言われてもなんて言っていいか分からない。」と感じていることが多く、今回も同様のケースかなと思いました。

するりさん、お返事有難うございます。
互いの真意として、言葉にとらわれない方がいいという点では、共有できていると思います。いかがですか?(僕自身はとらわれまくりですが^^)
僕のスタイルとして、ネガティブな方向に誤解を生みやすい言葉が独り歩きしているのを見たら、それが「通用している」ことを看過してはいけないと、自分に課しているという部分はあります。
「言葉のすり替えをしても、状況は何もかわらない」と言われるのも、分からなくもないですが、現状を否定的に考えて動けなくなっているときに、肯定的に「も」表現して捉えなおしてみる。それが気持ちの問題や人間関係の問題を抱えているときには、ヒントになると思うのです。
言葉の定義の違いや誤訳・誤解に対して、違う意味を当てはめて見直すのは、結構よく効きますよ?

3歳児に正式な診断?結果を親が受け止められるならいいのですが。。。親をケアする体制があっての小児診断であることを望みます。どうすればいいか、手段が決まっていない状態での診断は、何の解決にもならないので、安易な診断(受診)は、子供にも成人にで反対です。(もちろん、うつ状態等で本当に困っているなら、状況を記録し、しかるべき診療科を受診したらよいと思います。)

するりさんの『こんなの現象であり病気でも障害でもなんでもない。』・・・僕は、障害は上手くいかない状況の事、と書いたつもりだったんですが、まあいいです。このように、世間の解釈はぐっちゃぐちゃだと、僕も思います。困難も悩みもありのままの「現実」で、体も考え方も思い通りに行かない、「不如意」が「障害=disorder」という単語の本来伝えたい意味のはずです。

障害(不如意だろうと病気だろうと何でもいいのですが)がある場合に、どうすればいいか。ポジティブに考えれば何とかなる、道は開ける、病気は治る、病院にいけば誤りなく診断され適切な処置をしてもらえる、、、そういった考えは、イデオロギーというか、世界がそうあって欲しいと願う精神主義の立場の一つですよ。そういう立場から、教育者や経営者などのマッチョな指導的立場の人が発言が、一般的にはよく通りますよね。その通りにならなくて、打ちのめされてネガティブ側に振れている人も、信じる主義としては同じことです。 で、この考え方では、世界は語りつくせないと思います。
上手くいかない自分、上手くいかない相手、上手くいかない人間関係を、「受け容れてしまう」スタンスは、発想の転換次第で得られる、そうなりたい、と思うんです。

今日見かけた言葉、「Low ContextとHigh Context」。どちらが悪いとかいいとか、そういうものではなくて。「一途とほっこり」のテーマも、こんな風に読み解けるかも。

玄さん

>互いの真意として、言葉にとらわれない方がいいという点では、共有できていると思います。いかがですか?(僕自身はとらわれまくりですが^^)

はい、かなりの部分で共有できたな、と玄さんの返信を見て確信しました(*^_^*)

スタイルの問題なだけです、確かに。私もネガティブな言葉・・・「ASは心の目が見えない」とか「感情がない」と言われると、「なにを言うかーーーー!見過ごせん!!!」となりますから。


>障害(不如意だろうと病気だろうと何でもいいのですが)がある場合に、どうすればいいか。ポジティブに考えれば何とかなる、道は開ける、病気は治る、病院にいけば誤りなく診断され適切な処置をしてもらえる、、、そういった考えは、イデオロギーというか、世界がそうあって欲しいと願う精神主義の立場の一つですよ。そういう立場から、教育者や経営者などのマッチョな指導的立場の人が発言が、一般的にはよく通りますよね。


この点、激しく同意です。

世の中益々「超競争・実力主義」になってきているので「困難なんか誰でもあるんだ。甘ったれるな、自己責任だ!」という、玄さんのいうところの「マッチョ的思想」に対する懸念がちょっと私の前回のコメントでは全面に出てたかもしれませんね。


>上手くいかない自分、上手くいかない相手、上手くいかない人間関係を、「受け容れてしまう」スタンスは、発想の転換次第で得られる、そうなりたい、と思うんです。

「イチローだって三割しか打っていないじゃん(このネタずっと引っ張っててすいません・・・)、完ぺきじゃなくても別にいい。それより自分なりに納得出来る生き方が出来ればいいんだ」、そう思えるようになったのは今年に入ってからです。

「Low ContextとHigh Context」・・・いわゆる「あうんの呼吸」に関するお話ですね。永遠のテーマですね・・・ 

ナナセさんへ
『トマトさんとパンダさんが、私がパンダさんの奥様に通じるところがあると会話されていましたね。定型流だとやはりあそこは私も反応するところですか? 』

反応するところでも、しなきゃいけない箇所でもないです。
あくまでパンダさんからナナセさんへのメール内容を見て、パンダさんへの私の予想を述べたまでですから。

私からすると「そう言われてもなんて言っていいか分からない。」、「あぁ、そうなんですか・・・。」というのが正直な感想でコメントのしようがなかったのです。
↑正解だと思います。

「へぇ、そう感じる人も居るんだ」とか「ふぅん」程度のことです。

ナナセさん、気を使わせてしまいましたね。

ナナセさん

 お返事遅くなりました。
 ちょっと出かけておりました。

 ええと、今回の場合はトマトさんが言われているように、
 特に反応しなければならないことはないと思います。
 もちろん、何かコメントしたいことが有れば、していただいて
 問題はないと思います。

 「今回の場合」と書きましたけれど、
 定型的にはどういう場合がそれにあたるのかについて、
 今はうまく説明ができそうにありませんので、
 また迷われたときは遠慮なくお尋ね下さい。

 また、もし定型の感覚ではお返事が欲しいのに
 お返事をいただけないというような場合には、
 「今回はお返事をいただけるとうれしい」
 と言うような形でお伝えするように気をつけます。

 基本はお互いに自分にとって自然なパターンをベースに、
 それだけだとコミュニケーションが難しくなるところでは
 お互いにできるだけ無理のない形の工夫をしていく、
 ということだと思っています。

玄さん するりさん トマトさん

 すみません、お返事もうちょっとお待ち下さいね (^ ^;)ゞ
 なんにしても猿まねはなかなか通じない…… (^o^) or (T T)

トマトさん、パンダさん、

お返事ありがとうございます。コミュニケーションのケーススタディーは本当に難しいです。
また迷うことがあった時には質問させてください。よろしくお願いします。

玄さん

 「僕は、ASと定型とはそんなにパッキリと分けられるものではないと考えていますし、対立するものとも思っていないので、最近の話題が、あんまりピンと来なかったのです。僕から見れば、定型もASも僕から同じ距離だけ離れている他者、という感じですから。」

 これについては、「スペクトラム」という位ですし、さらに実際にここで遣り取りしていても、アスペの方にほんとに「質的に違う」と感じるくらいに多様性があることを実感しています。

 同時に以前玄さんも書いていらっしゃいましたが、この「定型もASも僕から同じ距離だけ離れている他者」という感覚、AS同士だからと言って近いというよりも、まずは「個人」だという感覚と理解しましたが、この感覚の徹底ぶりが、かなりアスペの方に共通しているように感じています。

 前に書いたかも知れませんが、学生時代に研究会で「孤独」について話になって、「結局自分の事は他者には分からない」という話をしたら、みんな深く共感していました(!)。
 定型にとっては「個人であること=孤独」までが共感対象なんですね。


「それと、真似をして親しみをアピールする、真似されると親近感を感じるというのは、たぶん定型に独特ですね。僕は、悪いとは言いませんがプラス評価にはしないと思います。」

 については、少し誤解があるように思うのですが、親近感を感じるためではなく、「こういう話し方をするのは、どういう気持ちがベースになって成り立つのだろうか?」ということを、実際に自分が実行してみることで追体験してみるためです。それによって「理解」を深めようと試みるということになります。もちろん「猿まね」ですので、まねしても結果としてずれてしまうことは普通に起こり、まねをされた人からは「全然違う」と言われることもあるわけですが、その場合「どうしてどこがずれてしまうのか」ということを考えることが、次の理解の手がかりの一つになることを期待しています。
 この方法は定型が使う「相手の身になって考えてみる」という方法の応用かも知れません。実際子どもは言葉を獲得するときに「大人のまねをする」ということで、言葉の使い方や意味を学んでいきますし、それ以降も無意識的にも意識的にも定型はよくやるやり方だと思います。アスペ的なものについてはこれがなかなかうまく行かないのが経験的な事実ですが、なぜうまく行かないかも含めて考えてみようとしているところです。

 
トマトさん

 「こういうところ、パンダさんは大真面目におもしろいです。」

 私は面白がっていただけると一番嬉しかったりして (^ ^;)ゞ


するりさん

 「でも、残念なことにお互い自分が好意や善意で言ったこと、行ったことを全く正反対の非難・中傷ととられたりして事態が深刻になっていくことが現実問題あるのです。」

 はい。これは私も身に染みて感じます。

 「「正しいことは聞いてもらえて、相手に届いてこそ価値を発揮する」と思います。」

 はい。これも大賛成です。

 「ちなみに定型も困ったら「みんな、フツー」に逃げ込むので、やっぱり双方とも、大切な姿勢だと思います(ここ強調!)」

 そうなんですよね。定型は基本的に「群れる」ことを大切にしますから、自分が当たり前と思っていることは他の人も共有してくれていると無意識に思いこんでいるものがすごくたくさんあります(ベースが共有されているから一緒にいろいろコミュニケーションできる、という感覚が根っこに強くある)。

 で、思いがけずにそこが崩されてしまったりすると、混乱して不安になるんですね。あるいは不安が高じて怒りになったり。で、「フツー」に逃げ込む。まあ、定型の性(さが)のようにも思います。もちろん、そのことで定型の社会が実現してきたものがたくさんあるので、みんなそこを大事にするわけで、善し悪しで単純に決められない部分ですが。

 「逆に、「信頼しすぎていたからカチンときた・失望感が高かった」のかも知れませんよ。」

 そうなんですね。私もそのことに驚きました。もう少し説明すると、仮に私がそれまでのやりとりで相当深く信頼してきた人であれば、その基準に合わないことを相手の人が言ったりやったりしたときに、すぐに「カチンと」きたり、「失望」したりするのではなく、「何か事情があって、そうしているのではないだろうか?」とまずは考えると思います。その上でその事情が理解できて、自分も納得できることもあるし、事情を聞いても納得できない場合は「失望」する場合も出てくると思います。判断に中間のステップがあると言えるかも知れません。
 前回の場合は強烈にその点の違いを感じたのですが、発言されたアスペの方たちの少なからぬ方たちはその中間のステップがなく、いきなり結論を持ってこられて断言された、という印象でした。

 「振り幅が大きいってこともあります。」

 そうですね。その感じがありました。何故そこで定型とズレが生まれるのか、考えるべき大事なポイントのひとつかなと思います。

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