2017年9月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

掲示板最近の話題

フォト

アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

« 違った目でアスペ的特徴を見てみる | トップページ | 男と女のすること »

2013年6月14日 (金)

知に働けば角が立つ

 夏目漱石の有名な言葉で「知に働けば角が立つ、情に棹さしゃ流される、とかくこの世は生きにくい」というのがありますよね。

 特に日本の中でそうなることが多いような気がするんですが、「議論」と「喧嘩」の区別がつきにくい、というか、同じもののように感じてしまう人が多い気がします。特に相手の意見に対して、自分が「それは違うんじゃないか」と思って、反論をすると、そのこと自体で「喧嘩をしようとしているのか」と相手に思われたり、「私のことを傷つけようとしている」と感じられたりすることが多いんじゃないでしょうか。

 多分それは日本の中の、特に定型の人にすごく目立つことのように思います。それで、相手の人の意見に反対の意見を言うときには、ものすごく気を遣いながら、遠回しに言ったりするのを見ることもよくあります。 

 何が言いたいかというと、アスペの方が自分の意見を言うと、定型の人がすごく傷ついて、そのうちそのアスペの人が敬遠されてみんなから相手にされなくなって、アスペの方は何のことか分からないまま傷つく、というようなことがあると思うんですが、そうなる理由の一つがこの「知に働けば角が立つ」という定型の感じ方に有るんじゃないかと思ったのです。

 これも私の想像に過ぎませんが、アスペの方が時々ものすごく「理屈っぽく」なる(知に働く)ことがあるように思うんですけれど、それは定型との間では感情的なコミュニケーションがずれてうまく行かないので、感情的になることを押さえて理屈で考える、という姿勢が深く身についているからではないか、と、そういう可能性を感じます。

 感情的なやりとりでは全くすれ違いになることが多いですから、それに比べると、冷静に理屈で具体的に話をした方がまだ通じることが多い。

 ところがそういうことでアスペの方が理屈っぽく話をすると、今度は定型の側が「自分が非難されている」とか、「自分が傷つけられている」とか「喧嘩を売られている」と感じてしまうことが起こりやすい。

 私自身の体験からすると、定型は上にもちょっと書いたように、反論するときには相当気を遣って、「あなたを攻撃する気持ちはありません」「これは喧嘩ではなくて議論なんです」ということを相手に分かってもらうように、たとえばことさらに笑顔を強調したり、途中に冗談を挟んだり、明るい声で話をしようとしたり、ある意味涙ぐましい努力をしたりしているわけです。ところがパートナーが私の意見を否定して自分の意見を言う場合、ほんとに「ぶすっ」とした顔で、不機嫌そうな声で話をしたりするので、どうしてもものすごく不機嫌に「喧嘩を売られている」ような感じを受けてしまったんです。(ようやく最近、そう言うことではないんだなと思えるようになってきましたが)

 それでこれは喧嘩を売られているのかと思って、こちらも自動的に「戦闘態勢」になってしまい、本格的に「論争」に応じようとすると、今度は彼女の方がびっくりしてしまって、あるいは怯えたようになってしまって、「なんでそんなに私を否定するの?」という感じになる。で、私は訳が分からなくなって大混乱に陥る、ということがよくありました。

 うーん、やっぱりこの問題も、アスペの方が定型多数派の世の中で、苦労しながら工夫して身につけてきたコミュニケーションのやり方が、定型には別の意味に受け取られてしまってコミュニケーションがうまく成り立たない、という例のひとつなのかも知れないですね。

« 違った目でアスペ的特徴を見てみる | トップページ | 男と女のすること »

コメント

読者の一人です。
コメントは初めてさせていただきます、はじめまして。
(発達検査とロールシャッハと問診でASの診断を受けました、主治医いわく『社会性が身につけられているので現在の状態は「純粋なAS」ではないが、発達障がいだよ』。)

この記事内容は
まさしくわたくしが直面している状況です、非常に共感を感じます。
世間一般のルールもしくは会社(組織)でのルールを遵守しているにもかかわらず
非難されたり叱責をうけたり攻撃されたととられたりetc…します。
もちろん(?)日々の会話でも。
現在、プライベートは一人身なので誰とも会話しない環境ですが
職場での様々な会話(コミュニケーション)がほんっとうに課題です、おそらく(いえ絶対)齟齬も誤解も怒りも招きまくっているだろう自分(の脳)を
どうしたものかと逡巡する日々です。
(頑張ってでも生きていくぞ、という意欲がないとさらに厳しいです。)

あおいよるさん

 はじめまして。よろしくお願いします。

 アスペの方にも共感していただける記事になったと知ってとてもうれしいです。
 少しずつでもお互いの理解が深まりつつあることになりますものね。

 今日の記事でも共通する問題を考えてみましたが、
 何か道が見えてくるといいなと思います。
 

トマトです。
あおいよるさんのコメントを拝読して・・・常々思っていることを書かせていただきます。

外国人との会話のように言葉自体が通じないときは「言葉の意味」を伝える通訳が必要。
ASと定型の会話のように気持感覚が通じないときは「言葉の意図」を伝える通訳が必要。

定型が定型とモメてしまった場合、両者の共通のもう1人の定型に「仲持ちしてもらう」という方法をとることがあります。
定型は、困りきったときや不安が高まったときなど、他者に相談するという手だてをとり、解決や改善しようとします。

自閉圏の人の場合、自分で考え自分であきらめて自己完結するタイプが多いような気がします。ネットに自分の悩みを書き込んでコメントをもらっても、それを実生活で応用したり実践することは、あまり無いのではないでしょうか?
無い・・というより出来ないのかも知れません。

私は、ASの人が職場で働く場合、ASであることを表明しなくても良いが「自分は、ニュアンスが解りづらい気質があり、ルールのたゆみが理解できないのでフォローをお願いします」など、上司や先輩、または自分が頼みやすい人に、自己説明をしておくと、周囲のいらぬ誤解が軽減し、本人も周囲も、ずいぶん過ごしやすくなると思います。

ASの人から最小限の自己説明がないと、定型には理解の入り口がありませんし、理解の一歩が踏み出せません。
そういうことは、ASの人にとって、難しい行為でしょうか?

僕は振り返ると、あらゆるルールを自分流に翻訳しないと納得できていません。すべてのエラーを実際に起こして必要だった対応をマニュアル化できるのなら、そうしてから取り掛かりたいくらいです。
仕事上の心配事を口に出すと「フツーそれは考えない」と言われシャットアウトされるので、自分で考えるようになるのです。

「私はニュアンスが解りませんので、フォローお願いします」と誰かに伝えたとして、どういう対応が期待できるのか、よく分かりません。
「失敗しても意味を取り違えても許して下さい。私は性格を変えられないので、あなた方が寛容になって下さい」という要求に受け取られはしませんか?

僕は、甘く寛容な態度で接して欲しいのではなく、できるだけLow contextコミュニケーションなのが嬉しいです。そういうことを、周囲に上手く伝えられたら、良いのだろうと思います。
定型の方が納得する、よい言い方がありますでしょうか?

玄さん、トマトです。

相手に相談するとき、協力を得たいとき、まずは相手に近づかないと、受け入れてもらえないと思うのです。
定型が、目の前のASの人の能力に頼ろうとする時、または質問や相談をしたい時、自分の感情をたらたらと訴える自己流をつらぬくより、そのASの人が理解しやすいように、内容だけ言うとか文字化や図式化するとか・・相手の理解や納得に近づく努力や工夫をすべきと思います。

その逆もしかりで、ASの人がコミュニケーションのフォローを定型に求めるとき
「「失敗しても意味を取り違えても許して下さい。私は性格を変えられないので、あなた方が寛容になって下さい」
という求め方が、定型にはすんなり理解され、受け入れられると思います。

どうしてかというと、定型がASの理解の一歩として必要なのは「わがままではなく変えられない気質なのだから」という知識と「否定や押しつけや下手な励ましより、ここは寛容にならなければいけないのだな」という自発的な思いだからです。

玄さんの求める「Low contextコミュニケーション」が定型には理解できず、玄さんの嫌な「甘く寛容な態度」なら可能という定型は多いと思います。

「フォローする」側にも、当事者の希望通りの理解や行為だけでなく、同情・お節介・全体の円滑化のため・仕事のスムーズな遂行のため、・・・と様々な理由や思惑あってのフォローですから。

定型がフォローに動く動機としては、「お客様や周囲に迷惑をかけてはならないから」とか「不器用、不自由、困っている様子を見捨てておけない気持ち」とか、
「その人やその事態をなんとか助けたい」という責任感や同情が動機となるので、ASの人には、そこに近づいてもらえるとありがたいと思うことがあります。

トマトさん、コメント有難うございます。
共同作業のときに、相手の分かる手段を選ぶ、というのは同意です。
互いの納得を確認できるまで噛み砕いて表現する、これはLow contextです。
互いに確認しながらできることできないことを詰めていくので、厳しい納期や高度な技術を約束することもありえます。Low contextは決して甘いという意味ではありません。

僕が書いた「失敗しても意味を取り違えても許して下さい。私は性格を変えられないので、あなた方が寛容になって下さい」は、言い方によっては受け容れる定型がいるかもしれませんが、不適切な発言例のつもりで書きました。
僕の考える「より正しい発言例」は「意味を取り違えていたら『教えてください』」です。自分が変わらず、相手に「自分に合わせろ」という発言は、望ましくないと思います。

「甘く寛容な態度」を意識的にする人は、相手を見下しています。見下すために劣った人を捜し求めて、優しく振舞う自分に満足したいと読み取れてしまいます。(弱い人は甘い人についていくでしょうが)
ASにも、わがままな人はいます。「AS器質がある人には甘く寛容に」一辺倒では正しくないと言いたいのです。社会人として必要なことができていないなら、遅くとも学ぶべきですから。ルールを教える人には「辛抱強さ」が求められるとは思います。

ASを「異質で、甘く寛容に扱うべき人」と決め付けるスタンスには反対です。

「話が通じにくい人」に出会ったら、情報を順序だてて確認しながら伝える。これはASか定型かのことではなく、誰に対しても当てはまるはずです。
「Low contextコミュニケーション」がトマトさんに理解されなかったのがとても残念です。

玄さんへ。トマトです。

玄さんに標準を搾った「噛み砕いて表現する、Low context」がとれていませんでした。

私の思うところの「甘く寛容な態度」は、見下して甘やかすという意味ではなく、根気よく伝える事や間違った箇所をASの人に理解しやすいように工夫して教えるなどのフォローの【前提】として定型が持つ、心情です。

ASの人に対して「甘やかしてはいかん、ここは厳しく、成せばなる!」と苦手なことを向上させようとする定型向き指導は良く無いと思います。
「定型的には甘くても、ASの人には寛容な態度でじっくり解いて説明するべき」という意味です。

玄さんの言われる
【「話が通じにくい人」に出会ったら、情報を順序だてて確認しながら伝える。これはASか定型かのことではなく、誰に対しても当てはまるはずです。】
は正論です。
でも、現実には定型流の「情報を順序だてて確認しながら伝える」が、ASの人に理解されないことも多いと思います。

ですから定型が「これほど情報を順序だてて確認しながら伝えても理解されないのは、やる気のない証拠だ!」と、腹を立てるのではなく、その前提として「定型感覚からすると、ずいぶん甘やかしているようだが、ここはひとつ図を書いたり、文字にしてやりとりしたり、時間をかけて伝えてみよう」と思う「定型的、甘く寛容な態度」が、ASの人へのフォローになると言う意味です。

そのような心情になるように、ASの人が自己説明してくださると、ありがたいなと思いました。

トマトさん、ご説明有難うございました。
確かに、「厳しく」は「詳しく説明」というよりも、掛ける言葉を減らすイメージがありますし、「成せばなる!」では、そもそも上手くいかないから困難なわけで、この二つの指導方針はASには推奨しにくいと思いました。でもASだって鍛えなくてはならない時には厳しくした方がいいですし、成せばなることだってあります。要は結果的に成果が出るように持っていく、分析と「工夫」があれば良いと思います。

それと、やっぱり「甘やかす」は、「フェアじゃない扱い」と思えるので、相容れないですね。
「通じにくい人には、通じる手段を」という発想が「正当なこと」なのだということが、浸透していないことが、社会の問題点であり、義務教育の課題だと感じます。その「心情」が当たり前の社会になって欲しいものです。

「腹を立てる定型」の例がありましたが、そういった時にどう対処すれぼ良いか、マネジメントする人の教育が必要ということですね。どういうプログラムに持っていけばよいのか、決まっていないという社会の未熟さがあって、平均的な感覚では「甘やかして自他をごまかす」という状況が多いということは認めます。

ASの自己説明を求めておられますが、問題ないときの自己紹介では、「『甘やかして欲しい』という奴」になりますし、問題が出た時の説明では「いいわけ」にしか聞こえないと思います。
ASの自己説明は「聞く準備ができている人」にでないと難しい気がします。

玄さん、トマトです。

確かに自己説明のタイミングは、難しいものですね。

私は、AS友人と彼の内科主治医のやりとりのチクハグさを見て「AS友人は、主治医の腹立ちをキャッチしてない」「定型主治医は、友人が笑うのは言葉のニュアンスが解らないため、ということを知らない」のが原因と察して、主治医に「彼に悪気は無い。曖昧な表現ではなくて数値で病状を説明してもらえると彼は理解出来る」と、AS友人の特性を説明しました。
主治医は実践してくれました。
その日から、彼と主治医の関係は良くなりました。

職場のASの同僚に、上司が「何回言ったら解るんだ! おい、何とか言え!」と怒鳴っていたので「何回も言わなくても、彼には書いて指示した方が理解も記憶もできます」と、同僚説明しました。
上司は、作業順序と必要項目の表を彼のために作ってくれました。
AS同僚は確実に忘れ物なく作業を遂行できるようになりました。

このようなことがあったので、ASの人が自分の持っている能力や労働意欲を、少しでも上司や周囲に理解してもらえるように、自己説明の必要性を感じて下さったら良いなぁと思います。
自己説明の難しさはある・・でしょうが。

「甘い」という言葉のチョイスが悪かったですね。

医師や相談機関の人でも、「定型感覚」から抜けられない人はまだ沢山いると思います。

AS本人でも、自分の状態をどのように説明すればよいのか、分からないのです。
特に、一人で悩んでいる時期には。
「他人と比べて」という観点が鈍いですし、「他人からどのように見られているか」も気にしないので、「どのポイントを指摘されていて、どう直せばいいのか」から分かっていない状態の人に向かって、「指摘方法の修正を提案しろ」というのは高度すぎます。。。

AS当事者に必要な姿勢として、「自分が突き当たっている困難は A:自分のわがまま B:方法が間違っている C:変えられない体質 のどれなのか冷静に見極め、ときどき見直す」ことと思います。悩んでいる時には自己評価が下がりまくって、にっちもさっちも行かないように思えるのですが「謙虚にニュートラルに」が大切と、僕は思っています。

多くの事例を居ながらにして知ることができるので、インターネット環境は素晴らしい場です。ASが自ら情報を集め、説明し、周りも理解を深めて納得できるような、そういった状況に近づいているとは思います。

トマトさんにはずいぶんキツイ言葉を投げかけて済みませんでした。真摯なご対応有難うございました。
「甘え」という言葉には、もしかしたら僕の思っている感覚とは別のニュアンス(人間関係を保つポジティブな意味合い??「優しさ」に近いか?わからん!)があるのかもしれませんね。

こういう場で、一対一で討論のようになると、他の方が入りにくくなるものだ、と聞いたことがあります。僕の書き込みへのご意見(反論・批判を含め)なども、頂けたらうれしいです。

玄さん、

ナナセです。よろしくお願いします。

以前の玄さんの書き込みでとても印象に残ったものがありました。どこで書かれていたかよく覚えていたので持ってきました。


【トマトさんの「定型なら上手くいきそうな例とか、定型なら上手くやれそうな例を、定型が提案するとASの人は抵抗感や違和感を感じやすいことはあるのでしょうね。」は、定型がASの身になって考えることの難しさを表わしているのでしょうね。
そしていつも、論法が「定型はこうやって上手くやっている」の域から、なかなか踏み出されない。それは実に一般的なことだと感じます。だからでしょうか、「人の気持ちがわかる」と自負する人ほど、ASに接すると悩むのでしょうね。】


今回のトマトさんの書き込みを読んで、真っ先にこの書き込みを思い出しました。そして私の感想は単純で、

「周りの人間がすべてトマトさんのようなスタンスでいるわけではない。」
「トマトさんのようなスタンスの持ち主を見極めるのは困難」
「定型の方が困っている時にこちらが手助けできるかどうかも分からないのに、一方的に理解を求めるのはフェアではない。」

です。


玄さんのご意見とご説明にはとても納得しました。

玄さんへ

大変ご無沙汰しています。
イブと申します。

>こういう場で、一対一で討論のようになると、他の方が入りにくくなるものだ、と聞いたことがあります。僕の書き込みへのご意見(反論・批判を含め)なども、頂けたらうれしいです。

上記の玄さんのお言葉にコメントをさせて頂こうと思いながら、中々考えがまとまらず時差が出来てしまいました。

私は玄さんがこのブログにコメントをされるようになってからずっと玄さんのコメントを読ませていただいていますが、玄さんのコメントにキツイと感じることはあまりありませんでした。
だからトマトさんとの今回のやりとりにも入りにくいとは思いませんでした。
入らなかった(入れなかった)のは自分の文章力の問題です(^-^;

玄さんのお話が私には高度で難しい時がありますが…(笑)(*^-^)
それは使われている言葉だったりするのですが…(笑)(そう私が無知なだけ…)
コメントの内容は玄さんはそうなんだなと、私は自然に素直に受けとめています。

玄さんのコメントは私に色々なことを教えてくれます。

定型の方のコメントは自分にわかることや自分にある考え方なことが多いのですが、玄さんのコメントはASDの方の思考や感じ方がわかるので、私の大切な人の考え方を理解する上で助かっています。
その人の考えは今では結構わかるのですが、その大切な人が繊細にとても私を大切に思ってくれ、また大切に接してくれるので、その気持ちに少しでも報いたい気持ちがありますので。
だから玄さんのコメントは理論的で分かりやすいので私にはありがたいコメントと感謝しています。

それと上手く言えないんですが、私個人は玄さんのコメントに偏りが少なく公平さを感じるのです。

そして私もトマトさん同様、玄さんのコメントがしばらくないと、玄さんはどうされたのかな?と思ってしまいます。

これからも玄さんのコメントを読ませていただきたいです。

先ほどのコメントはイブです。

名前を入れ忘れてしまいました。

そそっかしくてごめんなさい(^-^;

ナナセさん、コメント有難うございます。
お返事遅くなり済みません。
僕の書いていることは、自分の感覚と経験と集めた知識から、思いついたことを沢山書き出し、「定型の方から見てもある程度は理解を得られそうな」部分をトリミングしたものです。(これでも^^)
納得するしてもらえる、というのはとても重要な通過点で、嬉しいです。でも、互いの意図からはズレがあるかもしれない。そういう意識の余裕を持ちながら対話を持ち続けられればいいなと思います。

イブさん、嬉しいコメントを有難うございます。
少しでもご参考になれば。
自分の独りよがりな部分や良くない部分は、書きかけても出来るだけ削っているので、、、公平っぽいところが残るのでしょう。「なるべく両側から考える」というスタンスは趣味のようなものです。
いつも詰め込みがちで、短くしようとすると漢語や造語が増えてしまいます。難解と思われたら、逆効果ですよね、、、
これからもご感想など、教えて下さい。これからも宜しくお願いします。

玄さんコメントにお返事ありがとうございます。

「いつも詰め込みがちで、短くしようとすると漢語や造語が増えてしまいます。難解と思われたら、逆効果ですよね、、、」

玄さんの上記のようなことが私に難しいのではなくて、ただ単に私の語意力の問題なのです(*^.^*)
時々玄さんの文章の中に出てくる単語(特に英語)の、この言葉の正式な意味はなんだったかな?と思うということなのです。
だから逆効果ではないので気にしないで下さいね。

それと私個人は短くしようとしないで欲しいくらいです。玄さんのお話をしっかりうかがいたいです。私に難しい時は何回も読ませていただいていますから大丈夫です(o^-^o)


「なるべく両側から考える」というスタンスは趣味のようなものです。

そうなのですね。玄さんがなるべく両側から考えていることはわかる気がします。
いつも紳士的なスタンスに感じるので・・・・。


それと私の個人的な感想なのですが、相手のことを思いやる気持ち(相手に嫌われたくない気持ち、悲しませたくない気持ちなど)があるから、相手と上手くやりたいと考える、どうすればよいか考える、一生懸命考えて言葉や行動などに配慮をする。
考えて行動しても、失敗する時も成功する時もあるでしょうが、このような一連のことが私には深い愛情のように感じられるのです。

私が思うに私の大切な人がそのような行動をとってくれるのですが、そんな時私は本当に大切にされているなと感じるのです。
その大切にされていることにとても愛情を感じるのです。

その人が失敗したと考えて落ち込む姿にも愛情を感じ、成功して喜ぶ姿にも愛情を感じます。
そこまで私のことを思って気にしてくれているのかと・・・。

日々の暮らしの中で感じることは難しいですが、人間同士お互いに違いがあるから相手を思いやる心、相手に歩み寄る心を忘れないでいたいと思います。
そして相手の人の思いやってくれようとする気持ち、歩み寄ってくれようとする気持ちも忘れないでいたいと思います。

失敗は成功の母と思っています(*^-^)

玄さんが一人よがりなところをできるだけ削ってくれたり、なるべく両側から考えることしてくれていることは、このブログを読んでいる人への深い愛情だなとコメントを書き込みさせていただきながらしみじみと感じてしまいました。

こちらこそこれからも色々と教えて下さいませ。

こちらに来られている方々とのやりとりも楽しみに読ませていただいています。
他の方々もこれからもよろしくお願いします。

…間が空いてのコメント(返信)になります、失礼いたします、申し訳ありません。
玄さんとトマトさんのやり取りで共感できる部分、そして自分自身の経験を想起したいくつかのキーワードがありましたので
お伝えしたくコメントする次第です。

まずは…
>投稿: 玄 | 2013年6月29日 (土) 18時40分
より、
>僕の考える「より正しい発言例」は「意味を取り違えていたら『教えてください』」です。

それに対する、
>投稿: トマト | 2013年6月29日 (土) 19時31分
より、
>定型が「これほど情報を順序だてて確認しながら伝えても理解されないのは、やる気のない証拠だ!」と、腹を立てるのではなく、その前提として(中略(すみません…))「定型的、甘く寛容な態度」が、ASの人へのフォローになると言う意味です。
>そのような心情になるように、ASの人が自己説明してくださると、ありがたいなと思いました。

まずここのやり取りで『ほんとそうだよな…』と共感しました。
教えてください、は良いフレーズだとわたくしも実感しています。
けれど、そう伝えていても(宣言していても)
相手によっては(もしかしたら定型(多数派)はみなそうかもしれない、とも感じる今日この頃、)一回言っただけではそうしてくれない場合があるなぁ、と経験を振り返って感じています。
こちらとしては(字義通りに捉えるし発言内容もバカ正直に記憶してその通りに実行する分、)『伝えたら相手はわかった!と言った、やってくれないわけがない』と信じ込み
同時に言動一致するはず!という思いでいますから
教えるよと言ったのに、言ってくれなかったと知った時のショックと言いますか
相手が守らなかったことへの憤りのような感覚と言いますか
…初めて経験した時はかなりの衝撃でした。
今はもう、この点に関しては慣れてきたので(←けれど大抵は言動一致じゃないことへの相手への苛立ちは起こります(…なんだかなぁ))
相手への『教えて下さい宣言』後、自分のしたことへの相手の反応がよろしくない時などは
『今のはどうでしたか?』『どう感じましたか?私は~と取られたのではと考えているのですが』『よろしければ教えてください』、とその都度言うようにしています。
もちろん(?)
毎回うまくいく(自分にとって助かる)わけはなく
それをしても許されないこともありましたし
トマトさんのおっしゃるように
上司や同僚から
やる気がない!、言っても伝わらないから何度も言ってあげているんだ!、それなのに伝わらないなんて!、こっちが被害者だ!
のような
わたくしからすれば大きな齟齬、軋轢が生じたこともありました。

上記に引用させていただいたお二人のやり取り以降のやり取りでは
そういった過去の経験を想起しながら
拝読いたしました。

伝える相手によっては
こちらのお願いしたいこと(社会性を身につけるために、組織で働く以上必要なスキルを身につけるために、助けてもらえるとありがたいこと)が
どうやっても伝わらないこともありましたから
相手が「どっち」なのか…すぐに見極められたらもっと楽なのになぁ、などと思ってしまうのでした。

組織と日常生活とでは視点も必要なことも異なるかもですが
さしあたっての、わたくしの組織上での経験も含め、共感部分をコメントいたしました。

あおいよる。さん、コメントを有難うございます。よろしくお願いします。
僕の書いた「教えてください」は、初めてチームを組んだ同僚への自己紹介のイメージです。長々とAS特性の説明をするよりも、元気に「できることは精一杯頑張ります、気配りが苦手な面がありますが、色々と教えてください!」と言うのが、短くて良いのではないかと思っています。
あおいよる。さんがご指摘の通り、一度言っただけでは相手には伝わりません。
僕の経験では、最初だけでなく「何度も繰返し言い続ける」「些細なアドバイスにも、その都度お礼を言い、引き続き教えを請う」・・・といった感じに、最初の宣言よりも「日々のやり取り」が重視される気がします。

「相手が教えてくれなかった」という苛立ちは非常によく分かるのですが、お気づきの通り、恐ろしいことに「相手は既に教えている」という可能性あるんですよね。。。過集中で「聞こえていない」状況だったり、重要なアドバイスであることに気付かなかったり、なぜか反応するタイミングを外してしまったりで、結果的に相手の厚意を軽んじてしまうこともありえます。
指摘されているように「何度も言っているのに直らない」という状況も実際にあります。その場合には、相当に怒りを溜めていると思われます。
あおいよる。さんのように、「何度も、その都度」を心がけていれば、かなりよいと思うのですが、「教えてください」が最初だけの場合は、実際は逆効果で、「教えてくださいと言ったくせに、聴く態度がない」という言動不一致の評価となるかもしれませんよね。

辛いのは、自分でも嫌なのに「何度も同じ失敗を繰り返す」ですね。落ち込みます。
「自分でも本当に困っていて、何とかしたいので、どういう工夫をすればよいか、相談に乗ってもらえませんか」と言えればいいのですが。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1449293/52038957

この記事へのトラックバック一覧です: 知に働けば角が立つ:

« 違った目でアスペ的特徴を見てみる | トップページ | 男と女のすること »

最近のトラックバック

無料ブログはココログ