これまでもやはり何度か少しずつ考えてきたことですが、少し考えがまとまってきたように思うことがあります。それはアスペと定型のコミュニケーションの中でよく問題として言われることですが、アスペの方の発言に定型が傷つく、というできごとが起こる理由についてです。
もちろん、私のパートナーもよく言いますが、傷ついているのは定型だけではないわけですよね。アスペの方も定型の対応や発言に傷つき続けていて、定型はそのことにたいていの場合は気がついていない。私自身、自分がどれだけパートナーを傷つけているのかと言うことについては、どこまで理解できているのか、全然自信がありません。
そういう「お互い様」ということは一応前提として、今考えたいのは、定型である私の体験やみなさんからのコメント、パートナーの話などをもとに、「定型が傷つく」やりとりがどうして生み出されるのか、ということについてです。だんだんとその逆の場合についても理解を深めていきたいですが、まずは自分自身わかりやすい身近なところで定型の側から……
まだ私とパートナーの間に「アスペと定型のズレ」という理解がなかった頃、随分長い間のことですが、ときどき彼女の発言にどきっとさせられたり、傷ついたり、ショックを受けて落ち込んだりすることがありました。内容によっては「この人と人生を共に出来るのだろうか?」と思うこともありました(離婚を真剣に考える前の時の話です)。
そのころは私は「アスペ的な発想」ということについて、想像することが出来ませんでしたから、彼女が話す言葉はそのまま定型的な感覚で理解していました。そうするとその言い方や内容は、意図的に私や誰かを激しく攻撃し、傷つけようとしているのだとしか思えませんでした。
お互いの間に「アスペと定型のズレがある」という理解を共有するようになってからも、しばしばそういう私にとってはショックを受けるような、傷つくような言い方は出てきましたが、お互いに話をする中で、だんだんとそれは少なくとも彼女が「傷つけようとして意図して」言っているのではない、ということは、頭では理解するようになってきました。実際、私が彼女の発言に落ち込むと、彼女が「また自分の発言であなたを傷つけた」といってショックを受けて落ち込む、というようなことも何度か繰り返されましたし、決して彼女が私を傷つけることを「意図して」そう言っているのではないことは分かるのです。
でも私には不思議でした。なぜならそういう発言というのは、ほんとに狙いすましたかのように、ピンポイントで「的確」に急所をズバッと突いてくることが多いからです。わざわざ人を怒らせようとして、あるいは傷つけようとして、攻撃している、という感じにどうしても受け止められてしまうような言い方なんですね。それを「そういうつもりは全然ない」と言われても、ほんとに混乱してしまうと言うわけです。
最初の頃に私がそれを理解するために考えたことは、「意図的ではないんだけど、本人が気づいていない無意識の所でなにか深い怒りを溜めていて、それがなにかの拍子にほとんど無意識的な攻撃として出てくるのではないか」ということでした。
実際、コメントなどを拝見していたり、パートナーの話によれば、アスペの方は自分の感情に気づくことに時間がかかる場合がよくある、ということのようです。パートナーの話では、子どもの頃他の子どもたちから虐められていても、それがいじめである、ということに気がつくのにもだいぶ時間がかかったそうです。また自分の感情状態に気がつくことも、それを相手に表現することも、定型的な見方からすれば「苦手」と感じられる場面にしばしば出会います。
ですから、「本当は無意識に沢山抱えている怒りが、何かの拍子に攻撃的な言葉で本人も意図せずに吹き出してくる」という理解の仕方は、まったく的外れとも言い切れないのですが、かといって本当にそれで理解しきれるのかというと、なにかちょっと違うのではないかという思いが残り続けてきたのです。
なぜちょっと違うのではないかと感じてきたかというと、その一つの理由は、私がパートナーの発言に、「それは定型的にはすごく攻撃的な言い方に解釈されちゃうよ」ということを伝えたりすると、彼女が時々、不満そうに、「だって定型の人もよくそういう言い方をするじゃない。なんで定型の人はよくて、アスペはダメなわけ?」と言うんですね。
つまり、彼女としては、こういう場面では定型はよくこういう言い方をしている。自分もその言い方を利用しているだけなのに、なぜ責められるのだろう?と納得がいかないのですね。
彼女の言うとおり、たしかに定型もそういう、相手を傷つけたり攻撃したりする言い方をする場合はあるんです。だからもし彼女がその言い方に強い印象を受けて、「そう言う言い方をするのが普通なのか」と思ったとすれば、彼女の言うことは分かる気がします。
問題は定型がそういう言い方をするのは、もうおだやかなコミュニケーションを諦めて、喧嘩別れも覚悟した場合とか、その一歩か二歩前くらいの相手への警告として使う言い方だったりすると言うことです。だから、それは定型的には「普通の言い方」ではないのだけれど、彼女は「こう言うときはこういう風に普通いうものだ」と理解したのかもしれません。
定型的な感覚から私に言わせれば、それは彼女の誤解で、どういう文脈でその言葉を定型が使っていいるのかについて、その文脈の違いが伝わらなかったと言うことの結果だと思うのです。ですから、定型的にはそういう言い方はするのはまずい、と思うような文脈でもそういう言い方をされてしまって、定型の側がびっくりして傷ついたりすることが起こる。
彼女に対して少しそういう説明をしてみるんですが、その文脈がどう違うのかをうまく伝えることが難しくて、今のところ彼女も納得するようなうまい説明ができません。
さて、そこでもう一歩考えたことが今日の私のテーマになるのですが、私のパートナーや他のアスペの方(の一部?)が、どうしてそういう文脈の違いに気づきにくく、そういう言い方が「普通」と考えやすいのか、という、その理由についてです。
これまでの「アスペルガーは感情理解が困難な障がい」というような見方から言えば、要するにそれはアスペの方の障がい、感情理解能力や文脈理解能力の「低さ」によるのだ、という話でおしまいになりそうです。たしかに「定型的な感情理解の仕方」を基準に考えれば、それはそういう話になるのでしょう。
でも玄さんがアスペと定型のお互いの感情理解について◎(大きな円が定型の感情理解を表し、小さな円が理解力が「足りなくて」その一部しか理解できないアスペの感情理解を表す)という関係ではなくて、お互いに部分的に重なり合うところのある、違った二つの円なんだと考えるべきということを書いていらっしゃいましたが、私もその視点から考えてみたいんです。
アスペも定型も、お互いに部分的には感情を理解し合えるところもあるけれど、その背後になかなか理解が難しい、それぞれの個性を持った感情の部分がたくさんある。そういう意味ではどちらが優れているとかいう問題ではなく、「お互い様」の関係にあるわけですが、でもこの世の中では定型が多数派であり、この世の中のコミュニケーションの基本は定型のやりかたが正しい(とか普通とか)と考えられている、という現実は否定しようもないのですね。
そうするとどういうことが起こるかというと、おそらくほとんどのアスペの方がこれまでの人生の中で体験し続けてきたように、自分の素直な感じ方は周りの人にはなかなか理解されないということが普通になってしまいます。それでも回りに合わせて生きていかなければならないとすれば、よく分からないものであっても、形だけでも相手に合わせていかなければならない、ということが起こってきてしまう。
でもやっぱりそれはアスペの方にとっては自然な自分の感覚に従っているわけではなくて、「よく分からないけどみんなそうやっているからそれに合わせてやるしかない」という形で身につけていくものになります。たとえば大人になってから外国語を学んだとして、発音なども一生懸命まねをしたとしても、子どもの頃から母語として学んだ人に言わせれば、その発音は決してなめらかなものではないし、不自然だ、と言われてしまうことがほとんどなわけですが、同じように、アスペの方が定型にとって自然なやりかたを身につけて利用しても、どうしても定型から見れば不自然な部分が目立ってしまうと言うことが起こりやすい。
最初のうちは、まだお互いになれないからだろう、とか、定型の側も余裕をもってアスペの方に対応するでしょうけれども、同じようなズレが重なってくるとそうはいかなくなります。そこでやりとりがなんとなくぎくしゃくしてきて、スムーズなコミュニケーションが取れなくなるわけですが、なんでそうなるのかはお互いに分かりませんから、特に感情的なコミュニケーションを多く使う定型の側は不安になってきたり、いらだってきたり、しまいには怒りをもってきたりして、そしてなぜそんなことになるのかを考えて、「こいつ(アスペの方)がおかしいんだ」「自分のやり方はみんながやってることで<普通>だし<正しい>し<常識>だ」と考えて、アスペの方を責めるようになる。
アスペの方にしてみれば、自分なりに理解した定型的なやり方をそのままやっているだけなのに、なぜか回りのみんなから責められ続ける、ということがずっと続くことになります。
こういう状態になったときにはもう定型の方は言ってみれば「我慢の緒が切れかかっている」状態ですから、アスペの方に対する態度はキツイものになりますし、ちょっとしたことでも苛立って攻撃的な言い方をすることが多くなる。そういう状態が続くわけです。
そしてこの状態で周囲とコミュニケーションをとらなければならない立場に立たされた、少数派のアスペの方は、「ああ、コミュニケーションというのはこういうふうにやるのだろう」と、それが普通のことだと理解せざるを得ない状況に追い込まれるのかも知れないと思うのです。その結果として、定型としてはある種特別な、緊張したとげとげしい雰囲気の中で行っているコミュニケーションの仕方を、アスペの方は「これが普通だ」と理解して身につけ、利用する場合が出てくる。
もしこの理解がある程度実態にあっているのだとすれば、アスペの方の発言で定型が傷つくことがしばしばある、というのは、実はアスペの方がそれまでの人生の中で、ずっと定型からやられてきたことを、悪気がなくやり返されているだけだ、ということになるかもしれません。そしてもしそうなら、この問題は単に「アスペの方がコミュニケーションに障がいをもっていいるからそうなるのだ」という理解ですまされる問題ではなく、お互いのコミュニケーションについての理解のズレが、おかしな形でそういう「相手を傷つける」コミュニケーションを生んでしまっているのだ、という少し違った見方で考え直してみるべき問題だと言うことになると思うのです。
そうすると(今は具体的にどうしたらいいかというところまでは考えが進んでいませんが)、きっとこの問題への対処法についても、なにか新しい見方からの新しいやりかたが考えられるのではないかと期待したりします。
最近のコメント