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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2013年4月24日 (水)

思い遣り

 これ、300番目の記事になるらしいです。我ながらちょっと驚き。

  するりさんの「相手の逃げ道を断たず、適度な距離を保つスキルのことを(定型は)「思いやり」「優しさ」と呼んでいるのかもしれませんね。相変わらず『そんなの薄っぺらい~、本当の思いやりってもんは・・・』と言いたい自分がいたりして。。。」という言葉がとても響いています。

 ストレートにものを言うことを控え、とにかく相手を傷つけないように、ソフトにソフトに、という話し方は日本で極端に強くて、違う国の人と話していると、もっともっとストレートで、びっくりするようなこともよくあります。学生時代に韓国の留学生の女の子が居て、すごく日本語が上手なのに、言うことがとてもストレートできつくて、その子がいないときにみんなで「やっぱり日本語の軟らかい表現とかはあれだけ日本語の出来る人でもまだむつかしいのかな」などと言っていたのですが、そのあとみんなで韓国に遊びに行ったときに「わ、これ、韓国式なんだ」とびっくりしました。

 いや、日本だって、ちょっと例は古いけど、高倉健みたいに口べただけど、思いやりは深そう、という人は人気があったり、うんと田舎の人とか東北人とかは口べたででも思い遣りが深かったり、そんなイメージもありますよね。田舎の人は暖かい、みたいなイメージ。

 そんなイメージをものすご~く引き延ばして、一切無駄なお世辞やクッションのある言葉などを言わず、ほんとに実質本意、直接に感じたこと、意味のあることだけを言う。そして口先でどうこうするのではなくて、本当に生きていく上で必要なこと、必要な思い遣りを一生懸命考える、という生き方を想像すると、もしかするとするりさんの上の言葉に繋がっていくのでしょうか?

 「アスペと定型を共に生きる」の本の中で、最初の方に東山伸夫さんとカレンさんが離婚しようとするときにお互いに交わした手紙を載せています。それを読んだとき、そういう状況で伸夫さんの方が離婚後の生活費その他について具体的にカレンさんに提案していることが、「なんで別れようと言っている人にここまでいろいろ考えてあげるんだろう?」となんだかとても不思議な感じがしていました。全然ぴんとこなかったし、その意味でなんだか現実味がない文章にも感じられたのです。

 それから、私のパートナーが自分が私のために頑張ってやってくれていること、というのを伝えてくれるのですが、それはほんとうに生活の上での具体的な作業のことで、その意味では私も分担できることだし、「私のために」特別にやってくれているというふうにも思えなかったし、なんでそれで「一生懸命パンダのことを考えている」ことになるのか、全然ぴんときませんでした。で、彼女の方はその頑張りが私に伝わらないことで、繰り返し絶望的な感じになっていました。

 私にとってはたとえば家事をやる、ということなら、別に特別のことではなくて、誰もがみんなやっていることです。そう思うと「私のために」ということの意味がわからなくなってしまっていたんですね。

 でも最近、その思いがどれほど深いのか、ということをだんだんと感じられるようになってきたみたいです。私も鬱だったり、仕事上の困難だったり、いろいろと大変な状態になることがあって、彼女にもいろんな心配をかけることがあるわけですけれども、なんて言うのか、揺るぎなく「一緒にいてくれる」という感じなんですね。(私の勝手な思いこみなのかも知れないけれど)

 以前玄さんが「一緒に暮らす」ということがそれだけでどれほど大きな意味を持つことなのか、なぜそのことを感じ、共有してもらえないのか、ということを訴えられていましたが、そのことにもつながっていくのかもしれません。ちょっと変な言い方かも知れませんが、ある意味本気で、一生懸命一緒に暮らしてくれているような気がします。

 そうすると東山伸夫さんみたいに、たとえ離婚した後でも、カレンさんの生活の心配をするのが当然、というような生き方にもなっていくのかもしれないし、私が幸せになるのなら、素晴らしい出会いがあればその人と結婚すべきだ、自分は何か相談して意見を聞きたいときとかに話をしてもらえるつながりが残ればいい、と彼女が真剣に言うのも、私には驚きでしたが、やはりそういう「本気さ」につながることなのかもしれません。

 アスペの方たちを変に美化するような意図はないつもりですが、アスペの方たちが大事にしようとする人とのつながり(社会性)、ということを考えるときに、そういうポイントがひとつ大事になってくるのではないだろうかと、そんなことも思うこの頃です。

 

 

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コメント

パンダさん 

そんな記念の回に取り上げていただいたとは!恐縮です。 

高倉健さん!大好きです。あの無口なダンディーさはたまりません!!しかし、喩えとしても美化しすぎて各方面から怒られやしませんか?(笑) 
ま、それは冗談として… 

ASは「昭和の職人気質の人」っていう感じなのかなぁ。美化してるわけでもなく、卑下してるわけでもない、ありのままの言葉で表現するならこういう感じ。 

前回のコメントを読んで思ったこと。 
トマトさんじゃないですが、「パンダさんの奥様は幸せだなぁ」と思いました。定型の方が「自分と相手の当たり前は違う」を受け入れるのは勇気がいることだと思うのです。ぼろぼろに傷ついたり、のたうち回ったり、色々あったと思います。それでもパンダさんは自力で乗り越えられた。 
そこに、奥様への深い愛情を感じます。

するりさん

 職人気質の人という感じ、よくわかります。実際昔の職人さんには
 アスペの方も多かったんじゃないでしょうか。
 ちょっと変わり者と見られて、でもそれが「職人気質」という形で
 人々に受け入れられる枠があったんだろうと想像します。

 今はそういう枠がすくなくなって、「アスペ」とか名付けられて、
 定型の側もどう受け止めて良いか分からなくなったんじゃないかな。

 
 私のパートナーが幸せというお話し、ありがとうございます。
 まあ、うちもいろいろあって、彼女もしっかり傷ついてきたので、
 なかなか素直に「私は幸せ」とは彼女も言えないだろうと思いますけれど、
 いつかそんなふうに言ってもらえる日が来ればほんとに嬉しいです。

 それにしても、あの地獄のような日々を思うと、
 今はなんて穏やかなんだろうと信じられないくらいです。

先日はコメントにご返信頂きありがとうございました。

今日、例の彼から「瞬にとっていい事ないから、もう会わないよ」と言われました。
何か喧嘩をした訳でもなく、GWの予定を聞いた流れから突然です。
でも、きっと彼の中でずっと感じていた事だったんだと思います。

ちょうど、一年前にも同じやり取りがありました。
その時は「瞬にはもっと相応しい人達がいるから。
俺なんかといても幸せになれないから」と言われました。
パンダさんの奥様の「私が幸せになるのなら、素晴らしい出会いがあれば
その人と結婚すべきだ」という発言と似ていると思いました。

このような発言がまさに思いやり故だったとすれば、
自分と一緒にいる事で相手を苦しめてるんじゃないか?と逆に悩ませて
しまっている事が悲しいです。
私が離れていく方が彼は楽なのか…。

相手にとって何が1番ベストなのか、
思いやりって何なのか、もう一度
よく考えたいと思います。

瞬さんへ

どんな言葉でどんな形であれ…結果、自分の気持ちを受け取ってもらえないということは、自分の気持ちの行き場が無くなり、本当に悲しくてつらいですよね。

瞬さんが、彼に「「瞬にとっていい事ないから」「俺なんかといても幸せになれないから」と思わせない様にするには、瞬さんがどんな不満や不安やストレスも、彼には言わない感じさせないという極端なことになるような気がします。
彼が「お互いぶつかり合い、話し合って解決したり乗り越えて行こう」というタイプでないならば。

AS、定型に関わらず「こんな程度のことがストレスになり、こんなさとさいなことが許せなかったり乗り越えられないのか」という、他者には理解しがたい自分だけのネックがある人は、多いと思うんです。
彼には自分の心や感覚のブレーキになるものが、人とのコミュニケーションの中に多いのかも知れません。

ですから瞬さんが「自分のどこが・・・」と内省し過ぎることは無いと思うのですが。

おはようございます。
瞬さんの書き込み「瞬にとっていい事ないから、もう会わないよ」の件、真意はわからないのですが、可能性の一つとして思いつくことを書きます。
「ずっと考えていたこと」というのは、当たっていると思います。ただ、「思いやり」という種類のものではない可能性があります。
瞬さんは、彼と「会って話をすると心が乱れる」という意味のことを伝えたことがあるのではないでしょうか。二人が心の赴くままの場所にいうことが出来るとして、一緒にいるときに平安を感じるならば、それが一緒にいる動機といえます。一緒にいて不快ならば、そちらに会う動機はない。不快だと言われるならば、こちらが会いたくてもムリだろうし、不快と言われたらこちらも不快。

一緒にいることでは苦しんでいないけど、一緒にいることで瞬さんに苦しいと言われることが、悩みという可能性がありますね。
離れて欲しくはないと思います。ただ、縛られるのは嫌という感覚はあるので「僕は君を縛っていないよ」というメッセージだったのではないか、と読みました。違ってたらすみません。

悩み事や相手への不満は、言ってもいいのだと思います。留意点は、(AS的な)反応は「同意ではなく、解決提案が主体」であること。分析や解決が難しい「精神的なこと」には、明快な答えが出ないことの不愉快が顔に出るかもしれないということです。
瞬さんのやるべきことは、この「不愉快顔」をネガティブに受け取らないこと。
そして、「でもまた次も会いたい」という具体的な提案でしょうかね。

 「一緒にいることでは苦しんでいないけど、一緒にいることで瞬さんに苦しいと言われることが、悩みという可能性がありますね。」と玄さんが書かれたこと、私もパートナーから似たようなことを何度か言われてきたような気がします。

 こちらの気持ちとしては、自分の悩みを伝えて、一緒に解決を考えて欲しい、ということのつもりでも、そういう「事態の共有と相談の提案」という感じでは受け止められなくて、彼女は「あなたといることは私にとっては苦痛なんです」という「結論」を伝えられたと思われたのかもしれません。

 「分析や解決が難しい「精神的なこと」には、明快な答えが出ないことの不愉快が顔に出るかもしれない」と書かれていることも、パートナーとの間ではしょっちゅう経験しています。以前はそれを「彼女は僕に話しかけられること、相談されることを迷惑に感じて居るんだ」とか「拒否したいんだ」というメッセージとして感じていたんですけれど、それはこちらの思い違いのようで、ほんとに純粋に「彼女自身が答えに困っている」ということみたいです。

 仕事モード(他人モード)で、意識的に表情を作っているときは別として、自分モードでいるときには、アスペの方の表情というのは、「相手に対するメッセージ」ではなくて、「自分の気持ちの素直でストレートな表現」と考えた方がいいような気がしてきています。定型的な感覚では相手の人に不愉快な顔をされると、自分が責められているように自然に感じてしまうと思うんですが、そこがそもそもずれちゃってるみたいなんですね。多分。

お久しぶりです。すごく久しぶりで、数々の投稿に目を通せずですが、ここ1〜2週間ほど、どこにも思いをぶつけられず、再び戻ってきました…ここに戻ると、「あぁ、彼(アスペの疑い)の態度や行動について、私の感じ取り方が間違ってたな」とか、「そういうことだったのね」と、私なりに理解できるような気がします。
先日、仕事や他のことで私がイライラしていると、「そういう態度が俺をイラつかせるって分かってて、どーしてするんだ!!」と言われました。
普段、できるだけ我慢したり、嫌な態度を見せないように努力したりしてるのですが、100%我慢することができません。正直、無理です。
離れたり戻ったりを繰り返してもう7年以上です。そろそろ結婚も考えますが、こんな私なので、彼は結婚にはまだ前向きになれないみたいです。そもそも、彼は自分で、結婚には不向きと宣言しています。結婚がすべてではないですけど、親や仕事のことを考えるとそろそろ…というのが正直な気持ちです。

瞬さんのコメント、読みました。なんだかすごくよくわかるなぁ…と思いました。でも、彼は、瞬さんとなら一緒に過ごせると思っていると思います。私も彼に対して、そう思うことにしていますよ。違うかもしれませんが…^_^

また勉強させてください。
いつもありがとうございます。

れおなるどさん

 お帰りなさいませ。
 100%我慢なんて無理ですよね。身体に悪いし。
 お互い、言いたい文句はある程度ぐちりあって、
 それがちょっと冗談ぽく言えるようになればしめたものだと思うのですが、
 ま、なかなか大変ですね。

 そう言えば私の所も、一緒に暮らし始めた頃は
 彼女が私といても苦にならないのが不思議だと言ってました。
 

パンダさんの疑問「苦にならないのか」は、
「苦もあれば楽もある」という存在全部をまるごと了解して、「こちらが一緒に居る」という事実を以って、「これでやっていこうよ」という回答をしている。
という風な解釈ではどうですか?

そういう状況の時に、定型側から「一緒にいるとツライ」と表明されると、「口に出すほどなのだから、無理か?」とグラついてしまう。
定型の人は、行動をネガティブに指摘されると結構傷付くのに、他人の存在自体を否定するような言葉を投げ掛けてくるようなことがあるんですよね。冗談にならないと思うのですが。。。(ASは行動を否定されるのは慣れていますし、他人の存在を否定することはないと思います)

玄さん

 多分、ちょっと書き方がわかりにくかったですね (^ ^;)ゞ
 苦にならない、と不思議に思ったと言ったのは彼女の方です。

 具体的に言うと本を彼女が読んでるときに側に行ってのぞき込んだんですが、
 そのときに彼女が「今までは自分が本を読んでいるときに人が近くに来ると
 読めなくなったのに、パンダがいても苦にならない」ということで、
 そのことが不思議だと言っていたのです。

 なんにしても私は彼女にとってとても特別の存在だったということですよね。
 ですから、定型とアスペのカップルが成立する時って、
 なんかそういうことが起こるのかなあと思ったりしました。
 

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