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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2013年4月 5日 (金)

「鈍い」と「見切り」

 前の記事で玄さんのコメントですごく目が開かれた思いがしたことを書きました。もちろんそこでの私の理解が果たして玄さんの考えにうまく沿ったものなのか、それともまた例によって定型的な見方で勝手に思いこんでいるだけなのか、それは私にはわかりません。でも少なくとも自分自身ではそんな気持ちになりました。

 それからそこで私が「理解」したことは、多分前から玄さんや私のパートナーや、色んな方から色んな言葉で繰り返し語られてきたことなんだろうな、ということも書きました。ですから、もしかして私の理解が的外れでなければ「何を今頃言っているんだろう、前から言い続けているだろうに」と思われるでしょうし、的外れなら「これだけ言ってもやっぱりわかんないのか」とあきれられるかも知れません。

 実際、私がパートナーに対して「分かった。こういうことなんだよね」と言うと、がっくりされたように「だからずっとそのことを言ってきたじゃない。やっぱり全然伝わっていなかったんだよね」と言われることも少なくありません。そう言われるのも仕方がなくて、私も前から彼女がそのようなことを言っていたことは、そう言われて思い出すことができるんです。でもそのときは全然ぴんとこなかったし、それが大事なことだとも気づかないような、そんな感じなんですね。

 相手の人から見れば「なんて鈍い人なんだ」と思われるかも知れません。そしてそう思われても仕方ないなと思えます。でも、じゃあもっと賢くなって、注意深くなって、そしたらもっとはやく理解できたのだろうか、と考えると、それも無理だったろうなあ、というふうに感じます。少なくとも私の能力ではそこまでの理解力はやっぱりなくて、しつこくしつこく言われ続けて、ようやく何かの機会に、ふっと「あ、こういうことなのか」と思えるようになるんですね。

 それに対してパートナーの方はとても「現実的」と言うことなのかも知れないですが、何度か言って伝わらないと分かると、「もうこの人はわからないんだ」というふうに比較的早く見切りを付けて、「伝わらない」ことを前提に別の対処の仕方をしたりすることが多かったのだと思います。

 そういう「見切り」が積み重なっていくと、私から見ればどんどん関係が切られていくような気持ちになっていきます。ますます話ができなくなっていくという感じになっていきますし。そして行き着く先は「ああ、彼女はもう私を必要としていないんだ」という解釈なんですね。彼女は現実的な対処をしているだけで、全然そういう気がないということはあとから分かってきたことなんですけれども。

 なんとなく思うことは、アスペの方は生まれつきなのか、あるいは子ども時代からの経験でそういう対応を身につけてこられたのかわかりませんが、その辺の「見切り」がかなり早く、そして見切った後の態度の切り替わりがとてもはっきりしている、という傾向があるのかなということです。定型にとってはやっぱりアスペの方たちの考え方、感じ方を理解するのは難しいことだと思うので、たとえ小さなことでもちょっとわかりはじめるためにも時間がかかるんですね。でもその猶予が与えられないままにすっと見切られてしまう、という展開が意外に多いのかも知れません。もちろんどちらが悪いというような話ではなく、お互いの個性の組み合わせでそうなるんだと思います。

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コメント

パンダさん、私が専門医にアドバイスされた内容に
「アスペルガーの人には、ひとつのことを何度でも、言葉を変えて、時間を変えて、いろんな表現で伝えてあげてください。いつ、どんな言葉が理解にヒットするか解らないのであきらめず」
というものがあります。

ASの人も同様で、定型に対して「何度も言ってるのに解ってくれない」がありますね。

それは、お互いの「前提となるもの」がズレたまま、そのことに気がつかずやりとりしているので、相手の言葉の本当の意味に気がつくのに時間がかかるのでしょうね。

そしてその専門医のアドバイスに「アスペルガーの人は、定型よりずっとストレスに弱いので、定型の「たったこれくらい」がアスペルガーの人には乗り越えられない高さだということは沢山あります。自分の尺度で励ましたり説得したりしない方が良い」というものがありました。

コミュニケーションの粘り・・・ということも定型とASでは限界値がずいぶん違うと思います。通じない、理解してもらえない、撥ね付けられた、否定された・・というストレスを「どうにかしよう」と頑張るには「どうすればよいか」の想像力や選択肢を(ASよりは)沢山もっている定型の方が粘れると思います。

すぐ見切る、あきらめる・・・というのは、ASの人はストレスを長く持つと二次障害などを誘発しやすいので、そのことへの防止防衛本能だという説もあります。

苦手は克服すべき・・は定型理論で
苦手は無理するな・・がAS理論だと感じます。

自分があきらめてないのに相手にはあきらめられてしまった・・・と感じるのは寂しいものですが。

トマトさん

 ありがとうございます。

 『苦手は克服すべき・・は定型理論で
苦手は無理するな・・がAS理論だと感じます。』

 というのは、なるほどなあ、と思いました。さらに定型の中にも私のようにあきらめが悪い人間と、そうでもないほどほどの人がいるんですよね。だからそういう定型の側の性格の違いもあってカップルによっていろんな展開の仕方がありうるのかもしれません。

 私も自分が鬱になってからは、ずいぶんと「無理をしない」という風に変わってきたように思います。そこもパートナーとの関係が変わってきたことの原因の一つかも知れません。そう考えると「鬱になる」というのも、ちょっと極端ではあるけど、困った状態に適応する手段だったりするかも知れないですね……

『自分があきらめてないのに相手にはあきらめられてしまった・・・と感じるのは寂しいものですが。』

ここは彼女のことをアスペと理解して、改めていろいろ考え直しているうちに、彼女は別に私との関係をあきらめているのではなくて、私との関係を維持することを前提に、どう対処したらいいのか、と考えてそれまでの「やりかた」を諦めるのだ、という風に感じられるようになってきました。そこもほんとにお互いの理解がズレ続けてきたところです。

トマトさんのご意見にコメントさせて頂きます。
ASの理解力に関しては「何度も言わないと分からない」のではなくて、ASが分かる表現に行き当たるまでの試行錯誤の回数が、そのとき多かっただけと考えられます。(「分かる表現」で言ってもらえれば一回目で理解できるのですが、必ずしもそれが理解力が高まったことを示しているとは限りません)
ASが試行錯誤でつかんだ「物事の捉え方」表現に行き当たるまで、定型の方に同じくらいの試行錯誤を強いている状況なのかもしれませんね。お手数をお掛けして申し訳ない気もします。試行錯誤はASによっていろいろなので、AS同志でも言葉の捉え方はバラバラと思います。
僕は「ほかの言い方を考える」のが趣味と言ってもいいくらいなので、ASの中でも変わっているのかもしれませんが、根底では、一度でも「自分の解釈が実生活で運用できた」ならば、その理解で押し通せるだけ押し通したいというところです。

「苦手は克服すべき」は、その項目が、定型にとって練習して上達できることについてのみ、語られていると思います。(定型が練習しても習得できないことは、克服しようという話題になりません)
「苦手は無理するな」は僕は、方法の工夫・環境調整でクリアできるものなのか、代償が大きすぎるものなのか、を見極めるのが先と考えています。


パンダさんの「すぐ見切る・諦める」については、僕は「考え方は、一人一人バラバラなのが自然」という捉え方なので、意見が違ってもストレスになりません。もっと重要なのは、それが「人間関係に影響しない」というところです。「伝わらなくても、実務レベルが進行するならばOK」という状態は、実に日常茶飯事です。
AS側として驚くことは、定型の方が意見が違うことで人間関係まで切っていこうとする点です。「話のしやすさ」や「存在の重要性」は変わっていないのに、定型の方でショックを受けて切っていく印象です。「自分があきらめてないのに相手にはあきらめられてしまった・・・と感じる」のはASの方でもあるということです。
(僕は、「意見が違っていてもOKだ、僕らの方向性は同じだ」と付け加えることにしています)

玄さん、アドバイスありがとうございました。
玄さんが、定型に対して容認の幅が広く、好意的に感じられるのは【僕は「ほかの言い方を考える」のが趣味と言ってもいいくらい】という趣味をお持ちだから・・というところがあるからかなと思います。
確かに言われてみれば【定型の方が意見が違うことで人間関係まで切っていこうとする点】という事は多いにあると感じます。
定型とすれば、単に意見の相違という段階ではなく、ASの人の全く相容れられそうにない言い方や表情などトータルな印象、意見の相違という種類ではない決裂宣言と感じるASの人の言葉の選択など・・・ショックを受けて離れて行かざるを得ないやりとりがあったから、という理由が多いように思います。
でも、それはASの人も同様なのですよね。

パンダさんへ
まずは「相手をアスぺと理解して」から会話が始まらないと、無用ないさかいや疲弊が積み重なりますね。一番、大切なポイントですよね。パンダさんの趣味というかライフワークが「妻を知る」というもので、これはASの人への容認、好意につながり、定型とASの架け橋になっていると思います。

トマトさん、コメントありがとうございます。
定型は、「意見が同じかどうか」と「人間関係」の判断が接合していて、影響を与えあっているようですね。
逆に、ASは上の二つが「連動していない」と言えると思います。(人間関係の認識そのものが異質で弱いかもしれませんが)
従って、人間関係を切る目的で対立意見を言うことはないし、対立意見を言うことで人間関係が変化することを想定していない、と言い換えられるかもしれません。

トマトさん

 「パンダさんの趣味というかライフワークが「妻を知る」というもので」

 知ると言うより、仲良くしたいというか…… (^ ^;)ゞ
 幸せになりたいんでしょうね。
 一度は力尽きて離婚を決意するまでいきましたけれど、
 アスペと定型と分かって以降、紆余曲折はあったものの、
 今は一緒に生きていきたい気持ちになりました。

 トマトさんにとっても定型とアスペのコミュニケーションがライフワークなのかなと
 感じます。そういうみなさんの原動力って何なんでしょうね。

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