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  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2013年3月29日 (金)

もやもやとイライラ

 昨日の記事「もやもや」にいただいた玄さんの短めのコメントで、また「ああ、そうか!」と思えることがいくつかありました。

 玄さんは定型のもやもやした話は理解しづらいということ、それからそういう話を「理解できない自分」に「イラ」っとする、と書いていらっしゃいます。

 私がまずここで思い起こしたのは、私のパートナーの表情のことです。私が自分でもまだ整理できないもやもやした気持ちを、彼女に話を聞いてもらうことで整理したいと考えて話し出すと、彼女は何か怒ったような表情をするんですね。それで自分が何か悪いことでも言ったかと心配になって「何か怒ってるの?」と聞くんですが、全然怒っていないといつも言うのです。でも、やっぱりその表情は怒っているようにしか見えなくて、あるいはなんだか話をするのを拒否されているような感じがしてしまうわけです。それでも彼女に聞くと私の話は聞くと言ってくれるので、私の方は話しづらくなるのを避けるために、彼女の方を見なかったり、ソファーに寝っ転がって目をつぶって話したり、という「工夫」もしました。

 最近は話し始める前に「今ちょっと話を聞いてもらってもいいかな」などと尋ねてみて、OKが出たら話し始めたりするんですが、以前ほどではないような気もするけれど、やっぱり眉間にしわを寄せてちょっと怒ったような顔になっています。彼女としては私に協力して話は聞いてくれる気になっているし、決して私を拒否しているのでもなければ、私に怒っているのでもないだろうというふうには思うのですが。

 そのことがほんとによく分からなかったのですが、今回の玄さんの「イラ」っとする、でふっと分かったような気がしました。彼女はもやもやした整理されていない私の話を聞かされて、ほんとに理解しづらくて、それで「理解できないこと」にイライラしてるんだな、と思ったのです。あるいはまたこれから「理解しづらい話を聞かなければいけない」ということを考えてそんな表情にすっとなるのでしょう。ある意味でそのイライラを我慢しながら一生懸命聞いてくれている、というのがその表情の意味なのではないかと思いました。

 もしそういう私の理解が的外れでないのだとすれば、私は彼女にそういう表情をされたとき、自分が怒られているんじゃないかとか、嫌われているんじゃないかと心配するのではなくて、そこまでイライラを我慢しながら頑張って私のために聞いてくれていることに感謝をしなければならないんじゃないかという気がします。

 実際先日もそうやって我慢しながら聞いて考えたあと、彼女が言ってくれた言葉は私がもやもやした気持ちを整理する上でとても大切な手がかりになるものでした。彼女なりに一生懸命考えてくれていることはそういうことでも分かります。

 「もやもやしているから話をして整理をしたい」定型と、「もやもやしているから理解しづらくてイライラする」アスペの間のズレがあの表情に出てるんだな、と思うとなんか分かったような気になります。

 

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コメント

おはようございます。
まずパンダさんに申し上げたいのは、いつも通り僕の個人的な感覚ですが、誰かに話し掛けながら考えをまとめることはある、ということです。

それと、パートナーさんは話し掛けてくるパンダさんを嫌じゃないし話を聞く気もある、のだと思うのです。ただ僕には、自分の場合に照らして考えると、ピンポイントに「耳で聞く」ことだけが何故か頭の処理にブレーキが掛かり、「整理された情報をくれ!」という叫びになる状況が想像されるのです。

ASDは人それぞれ、五感のデコボコが色々でしょうから、感じ方は違うかもしれません。

玄さん おはようございます。

なるほど!もしかすると頻度は違うかも知れないけど、お互いに会話をしながら自分のもやもやした考えを整理していく、ということはやっぱりどちらにもあるんですね。当たり前のことなのかも知れないですけれど、何かほっとします。考えてみると玄さんとのこういうやりとりもそんな過程なのかも知れないですものね。

そうすると、彼女のあの表情が私とのコミュニケーションの中でこれまでひっかかってきたのは、やっぱり「理解しづらい」という彼女自身の一種の不快な気持ちがそのままストレートに顔に出ているだけであるのに、私の方が「私に対して怒っている」と感じてしまうというズレた状態があるんですね。昨日も彼女に聞いてみたんですが、やっぱりそういうときの私の話は「理解しにくい」と言っていました。

彼女も仕事中はこれまでの経験で身につけた「愛想良く相手に対応する」という、一種の「テクニック」を、かなり意識して頑張って使っているということのようです。でも定型の場合はほとんど意識しないで表情をコミュニケーションの道具として使っていて、表情で相手にメッセージを送り合って関係を調整しているわけで、相手の表情はもうほとんど自動的に「自分に対するメッセージ」として受け取ってしまうんだと思います。

だからその表情に「そういう意味はない」と言われてもなかなかぴんとこないし、頭で「そうなのか」と理解しても、相手の表情に自分の感情が自動的にゆりうごかされてしまって、混乱した状態になっちゃうんですね、きっと。

うーん、考えてみると今までも同じようなことを繰り返し少しずつ書いてきた気がするけど、なんかもう一歩実感としてわかりつつあるような感じがしてきました。

パンダさん、こんばんは。 
ウェブ上ではご理解頂きたくて意図的に100%素(す)の内面を曝け出していますのでこう書くと驚かれるかも知れませんが、実生活では私もわりと結論の出ない話をしますし好きです。ただ、長年それはテクニックとして使ってたので、本当の意味でその面白さを感じるようになったのはわりと最近な気がします。 なので…やっぱり自分の素の部分は「お悩みスッキリ解決系」なんでしょうね。でも特に最近、とりとめのない、目的のない雑談に入るのが苦ではなくなり、楽しくなりました。
何事も、それが自分の素ではなくても、そこに「自分にとっての」ある種の楽しさや良さを見出だせたら苦ではなくなるし、場合によってはそれが楽しみになったりします。 
きっとパンダさんの奥様も、「とりとめもない話し」こそ苦手かもしれませんが、いろんな場面で様々なことを理由付けしたり工夫して苦手意識を減らしていったりしてこられたと思います。じゃないととても介護の場でなんて働けないと思います。 
とりとめのない話しも、奥様なりの面白みを感じる偶発的な出来事があったりでもすれば何か変わるというか、開眼するかも知れません。 
ただ、それが「パンダさんの理想像」とぴったり一致したものになるかは分かりませんけど…

するりさん

 いろいろありがとうございます。

 最初に「ウェブ上ではご理解頂きたくて意図的に100%素(す)の内面を曝け出していますのでこう書くと驚かれるかも知れませんが、」と書かれていたので、「お、これはすごく厳しい言葉が並ぶのだろうか?」と、ちょっと緊張して読み始めましたが、全然そんなことなくて、とても参考になりました。

 ひとつとても心強く思ったのは、今の状態が絶対に変わらない、ということではなくて、やっぱり「変化していくことだってある」という実例を教えていただけたことでした。特に最初は「テクニック」としてやっていても、やがてそれが自然な感じに(時間はかかるかもしれないけど)変化していくことがある、というのはなにか希望を持てる感じがしました。

 それから、やっぱり私の理解はまだまだ単純なんだなということを改めて知ることもできました。実際、改めてパートナーに少し話を聞いてみても、私の理解がずれているところが見えてくるんですね。それと、人人によっていろんなパターンがあるんだなということも。

 定型とアスペはそもそも「脳の仕組みが違うんだ」というような説明をされると、「ああ、それじゃもう何も変わらないんだ」という諦めとか、決めつけにもなってしまう可能性があると思うんですが、でもそんなに単純なことではなくて、お互いに確かに違いは有りながらも、関係は変化していく可能性があることを改めて感じさせていただきました。

表情のことについての予想です。
パンダさんが話をする→「耳で聞く」と頭の中で「もやもや」が増殖→表情にかまっていられなくなる
というパターンなのであって、パンダさんが嫌いとか、話が整理されていないことに怒っているとかではなくて、自分の頭が整理できない「不安」が抑えられないのだと思うのです。

僕の家内も「ただ聞いて」と言うことがありますが、僕は「誰がどんな場面でしゃべったのか」などが曖昧な話は、虫食い文章の穴に可能性のある言葉をガンガン入れ、合っていそうな言葉を捜す作業でへとへとになります。ニコニコする余裕はありません。
僕は、「ただ聞く」という注文は品切れで、「報告を検証する」という代わりのプログラムで代用しているっていうことでしょうかね。

パンダさんは、たぶん、いろんな可能性の広がりのある話題をパートナーさんに持ちかけているのだと思います。

玄さん

 玄さんが言われるとおり「一体なんの話なのか、いきなり言われても分からない」と怒られることがよくあります。もちろん、定型同士でも、「え?それ何の話?」と聞かないと分からないことは有りますけれど、そういう状態になる頻度はやっぱりパートナーと話しをしているときの方が圧倒的に多いですね (^ ^;)ゞ
 
 同じ話し方をしても定型同士だとはっきり言わなくても「あの話だな」と見当を付けてしまうのに、定型とアスペの間ではそこがうまくいかないことが多い、というのも、何でなんだろうと考えると不思議ですね。一般的にはアスペの方たちは「文脈を読むのが苦手」とかいう言い方ですまされているのかも知れないですが、なんかそういう説明だけでは私は分かった気持ちになれません。すこし見方を変えれば、なんで定型がはっきりとは示されていない「文脈」を「読める」のか、それの方が不思議だし、変なことのようにも思えてきてしまいます。別に魔法や読心術を使っているわけでもないのですし。

 「ただ聞く」という注文は品切れ、というのも興味深い表現ですね。

 そう言えば、「誰がどんな場面でしゃべったのか」についてわかりにくいときは、「ちょっと待って、それはいつどこで誰が話したことなの?」とか、玄さんの方から確かめながら聞いていく、というのはうまくいかないんでしょうか?「外部記憶(奥さん)」に検索をかける、というようなやり方になりますけど。

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