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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2013年3月16日 (土)

寂しい?心配?

 パートナーを家に残して私が出かけるときに、ときどきふざけて「帰ってくるまで寂しいだろうけど、我慢するんだよ」と言うと、彼女はちょっと笑いながら、あるいは迷惑そうな顔をしながら、必ず「ぜんぜん」などとあっさり否定します。ちょっとした遊びのようなものでもあるのですが、今日は「ぜんぜん」と言われて、「あ、そう。じゃあもう帰らない」と突っ込んでみました。彼女は「なんでそういう話になるわけ?」と聞いてきます。「だって居なくても全然寂しくないんでしょう?じゃ、必要ないじゃない」と答えるんですが、「どこに行くのか、どこにいるのか分かってるのに、なんで寂しいわけ?」と納得がいかない様子。

 「じゃあ、どこにいるかわかんないとどうなるの?」と聞くと「それは心配になる」ということでした。ふーむ。そう言えば「寂しい」という言葉は彼女から今まで聞いた記憶がないんですが、「心配」という言葉は何度か聞いたことがあります。先日も夜、帰りが遅くなったときに、メールで大丈夫かと聞いてこられたんですが、それも「心配」という感じなんですね。

 どこでどうしているかが分かっているときは、心配することはもちろんないし、それで自分の側にいないこと(それも出張などでかなり長期にわたるときでも)について「寂しい」という感覚はあんまりないようです。そうすると「あれ?自分という人間は必要ないのかなあ」と思わされたりするんですが、でも何かの事情でどこにいるのか、何をしているのか分からない状態になったときはすごく心配をして、帰った後にはほんとに心配していた、という感じが分かったりするんですね。

 「心配をする」というのは「寂しい」という感覚のように「相手と一緒にいることを必要とする」ということとは少し違うのかも知れないけど、「相手が大事だ」という感覚には繋がっているんですよね?つまり「相手のことを大事に思う」ということでは「寂しい」という感覚とも繋がっているんだけど、それがどんな風に表現されるか、感じられるか、というところで彼女と私の間にはズレがあるのかも知れません。

 「寂しい」と「大事」と「心配」、この三つのつながりや区別について、ちょっと考えていきたい感じです。

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コメント

私個人の印象ですが、ASの人には感情を細かく区分して表現するのが不得意という感じがします。

だから「これが寂しいという気持ちなのか」と、・・・感情と表現が結びついていない箇所もあるのではないでしょうかね?
こちらの言う「寂しい」が、相手の気持ちの中に存在したとして、それに気がつかなかったら「寂しくない」になる訳で。

もしかしたら(こちらの言うところの)「寂しい」が「つまらない」とか「退屈」とか「くだらない」と言う言葉になっている可能性も0では無いのでは・・・と。

僕には、(例えば出掛ける相手に対して)寂しいという感情があるとしても、それを表現することは相手の引き留め、予定を狂わせる迷惑になるはずという発想があります。これは、あらゆる感情において同じで、「感情を表出させると迷惑を掛けることになる=感情を出すのはワガママで良くないこと」という考えです。少なくとも、僕にとって「寂しい」は生産的な発言に分類されていません。
で、僕がパートナーさんの立場ならば、パンダさんが外出する決意(と予定)を固めたと察したなら、それを萎えさせようとはしないでしょう。前向きだからこそ、笑顔であっさり「全然」と言って送り出そうとしたのだと思います。そういった、お互いのベストであろう方向性を示せたと思った瞬間に「帰らない」と返されるのは、全く文脈から想定できません。寂しいという気持ちの整理がついたからこそ、パンダさんは出掛けるのだと思いますが、出がけに引き留めて欲しいのならば、寂しいのはパンダさんの方ですよね。
「帰らない」という予定(意向)を急に言われて、パートナーさんは驚いたでしょう。パンダさんが素直に「外出するだけでも会いたくなって寂しいよ」とでも言えば、「ちゃんと待ってるわよ、用事が済んだら早く帰ってきて!」くらいに返事してくれるんじゃないですか?(^^)
ASDは目の前にいる人のこと以外は「想像しにくい傾向」があると思うので、「心配」という感情が湧くなら上出来では?

僕は家内から、一緒にいても「寂しい」「大事にされている感じがしない」と言われることがあるのですが、解釈やアドバイスを頂けたら有難いです。

玄さんへ

そ・・・それは、パンダさんがいつも書かれていることが、回答になっていると思うのですが。
それと、定型者からの相談コメントからも、「ASの人に対してどのような時やどのような対応をされたときに寂しくなり、大事にされている感じがしない」かということが毎度書かれているので、てっきり玄さんには「ほほぅ、そうか」と理解されているのかなと思ってました。

他者の例を、ご自分に当てはめることが、苦手ということでしょうか?

玄さん トマトさん

 ありがとうございます。
 申し訳ないのですが、ちょっと仕事でゆっくりお返事ができず、
 また日を改めて考えて書きたいと思います。

玄さんへ

はじめまして。
私の彼女がASDの傾向があると感じているしょうと申します。
これまで記事やコメントを見てるだけでしたが、思うところがありコメントさせていただきます。

私にとって、こちらから発する「寂しい」は非生産的なものと考えていません。「寂しい」と言葉を発する意図としては、その言葉を発することで、相手の気持ちに訴えかけ「自分も寂しいかも...」と思ってもらい、その想いを共感・共有してもらうのが第一義にあると思います。
私の場合、相手が同じ気持ちでいてくれてると確認できるだけで嬉しく感じます。
パンダさんは半分冗談?で「寂しい」と言ったものの、定型として期待した、『呼応するであろう言葉』が奥様から出てこず、(定型的な考えで言えば、自身の期待を裏切られたと考え、ズレ=期待と現実の齟齬 からストレスを感じ)思わず「帰らない」という言葉が出たように思います。

パンダさんの「寂しい」は、言葉そのものに意味があるわけではなく、その一言から始まる、共有・共感のコミュニケーションを生み出したいと考えたうえでの発言だったと私は思います。
ここまでが私なりの解釈です。

ここから、今回のブログの内容とはだいぶズレるかと思いますが、私の意見です。
私からASDの方(むしろ自分の彼女)に求めるのは、「寂しい」というこちらの言葉をそのまま受け取るのではなく、まずは受け容れていようとしている姿勢を見せていただきたいのです。
今回で言えば「寂しい」に対する反応が欲しいのです。
たとえば「寂しいのかー(私はよくわからないけど、そっちの感じてる)その気持ちはわかったよ。けど行かなきゃ行けないなら行ってきな。」とかでいいんです。
「寂しい」という言葉が、本気であれ冗談であれ、まず飲み込んでいただきたいのです。本音での即応は求めてないのです。
こちらの考え(らしきもの)を受容してくれようとしてくれる姿がわかるだけで(私の場合は)とても嬉しいんです。

「私は寂しい」に対して、本音ベース?で「私は寂しくない」と言われたら、それこそ自身の存在価値が薄く感じて寂しくなります。
逆に言えば、言葉なり行動なり認められることで私は自分の存在意義を見いだせます。
私にとって、相手から「想われている」「考えてもらえている」「大事にされている」とはそういうことです。

一個人の意見で僭越ですが、玄さんの奥様がおっしゃってることも、その延長線上にあるのではないでしょうか。

トマトさんの予測である「ほほう、そうか」は、ほとんど当たっていません。「パンダさんの受け止め方は、思い違いだろうから、そのままじゃ二人とも不幸だ」という思いで書き込む事が多いですが、「ASにとって、どのように受け止め対処したら良いか」の情報は僕にとって「なるほど」に達していないのです。

率直に言って、もし僕が「寂しい」と言われたら「だからなんなんだ」「どうすればいいんだ」という「感情」が湧きます。これは「好き」「嬉しい」「楽しい」「キライ」と言われた時も同じです。これが基本。この「だからなんなんだ」を口に出せば、ほぼ100%相手の不興を買うということも、経験的に知っています。
無難に思える「へーそうなんだ」という受け止め言葉。よく分かりませんが、勝手に納得する場合がある。でも8割がた怒りますね。
相手の感情への感想なんて持てないので、感情を表さないで欲しい。こっちは、自分の本音の感情さえも認識していないだから、どう思うかなんて聞かないで欲しい。(僕の個人的な心情です)

定型は「他人の言動→自分の感情→自分の言動→他人の感情→他人の言動(最初に戻る)」というサイクルがあると信じているんですね。そのサイクルに乗らないから、怒られるという気がします
このサイクル案の矢印全部を、僕は信用していないのだと今、分かりました。

しょうさんはじめまして。ASがどのように考えればよいのかについて語って下さり、有難いです。
とても親身にコメント下さっているので、これから書く辛口の反論が申し訳ないのですが・・・

しょうさんは「本音で返さなくていい」と言ってくださいますが、実際には「本音で返しては『いけない』」状況のほうが多い気がします。
「相手が本音を語っていないと推定し、自分も本音を語らないことを求められる」状況が存在することはわからなくもないですがが、そんな果てしないすれ違いトークまでもコミュニケーションと称して、何故それを求めるのが、よく分かりません。

しょうさんの「言葉に意味は無くコミュニケーションが目的」は至言です。申し訳ありませんが、その部分こそ、まったく相容れないと思えます。(僕は基本的に、言葉の意味しか手掛かりに出来ません)
僕が「コミュニケーション」を許容できるのは、「コミュニケーションの方向性・目標」が明確なときです。その着地点が、自分と相手で違うなら、話し合って調整するし、同じならよりよくなるようにアイデアを出し合えるでしょう。だからこそ、夫婦間で「帰らない」などの「仲良くならない方向付けをする言葉」が飛び出すのは理解を超えているし、使うべきではないと思うし、納得いく説明が欲しいのです。

「寂しい」は、どういう属性・目的の言葉なのか。まだまだ不勉強で、わかりません。寂しいと言われて、何をしたら良いのか、全く判らないのです。
おそらく、「一緒に寂しがればよい」という回答があるのだろうと文脈的に想像しますが、そういうならば、「定型は非生産的な言葉が大好きなんだ」と開き直られる方が理解には助かります。

僕にとって、感情はブラックホールのようなものです。吸い込まれるという意味ではなくて、「直接観測できない」という意味で。ブラックホールは目に見えませんが、その向こう側にあるはずのものが見えなくなり、周りの風景は歪む。そういった二次的な観測で「そこにブラックホールがあるはず」と知れるのだそうです。状況証拠でしか、存在が判らないところが、感情と同じです。

感情ワードを「相手の気持ちに訴える」ために使うのが定型の常道なのでしょうが、ことASに対しては、違う、というのはこのサイトを読まれる皆様にはお感じのことと思います。
相手が「寂しい」と言ってきた時、相手の発言が妥当なのか、自分もそうなのか、僕には分かりません。気持ちを聞かれて、軽く「ぜんぜん」はリアルに僕が言いそうなセリフです。
しょうさんは「受け容れていようとしている姿勢を見せていただきたい」とされていますが、受け入れはしています。相手の感情を否定もしません。でも、それに反応を強制されるのがピンポイントで辛いのです。
つまるところ、「寂しい」と訴えるのは勝手です。やめろとは言えません。でも、相手からも同じ言葉が聞けると期待するのは止めて欲しい。
離別の感情を「寂しい」と表現するのくらいは常識で分かっています。ASの僕の場合ならどうかというと、本音ベースで嬉しいはずないし、相手をどうでもいいと思ってるはずもない。だけど「寂しい」と口に出すほどウェットな気分じゃないというだけのことです。そこをあえて突っ込んで聞かれたら、「寂しさ」より「面倒くささ」がつのります。


「寂しくない?」に「寂しくないわ」と答える理由が、「あなたがいつもちゃんと帰ってきてくれるから」だとわかれば、自信喪失はムダな勘違いではありませんか?
「オレがいない間、我慢できるか?」と聞いて、「子供じゃないわ、全然平気」と返されて、ガッカリしたり逆ギレしたりするのは、大人げないと僕は思います。
こう考えれば、AS素因ゆえにその言葉が出たのかさえ、怪しくなってきます。むしろ何気ない言葉を傷つく方向に受け止めてしまう余裕の無さが問題点ではないかという気がします。

それと付け加えるなら、ASは感情の高ぶりが発生すると、そこから抜けられなくなる。それに怖れを感じているという部分があるかもしれません。だから、日常の精神レベルを保つために意識的に習慣としてウェットになることを避ける傾向がありえます。理解しにくいかもしれませんが、感情を口に出さない、感情に行動を左右されない「武士」なんです。(なんちゃって)
得体のしれない重たいモノを背負ってやっていかなくてはならない宿命は、武士っぽいかも?
そんなASに「感情を受けとめろ、感情を語れ」というのは、武士に「武士を止めろ」というようなアドバイスですよ。武士(あるいは武士女)であるパートナーから、「大切にされたい」というのは、何を望んでいるのか、それを教えて頂きたいのです。
一個人のお考えを是非お願いします。

玄さんへ
女性(定型)が配偶者や恋人に「寂しい」と言うとき、わかりやすく言うと「もっと愛してほしい」だと思います。パンダさんの記事からも、性別問わずそういうことかと思います。

大切にするって何?愛するって何?とたずねられれば、奥様が言葉なりアクションなりで玄さんに甘えてきたとき、頭を撫でて「どうしたの?」と言って、「おいで」と言い、ぎゅーと抱きしめてあげる。それで100点です。たぶん^^;
あと大切にするというのは、
1、相手の要求をできるだけ優先してあげる(親しくなると後回しにされがち)
2、奥様のちょっとした言葉を覚えていて、時間が経っていてもそれを叶えてあげる。
3、変化に気付く。髪型とか化粧など(見ているアピール)
4、時々ほめる(本心からそう思ったとき心を込めて言う)
5、時々からかう(もちあげたら落とす。ゆさぶりをかける)
6、スキンシップ(出かけるとき手を引く、肩、顔に触れる)
7、サプライズ(非日常を体験させる。旅行とかイベント計画)
玄さんが、めんどくさ!!と感じられることばかりかもしれないです。
ただ、どれかひとつでも効果は期待できます。

これほどまでにASの言うことは通じないんだな。
玄さんが言ってることは身に染みて良く分かるけどね。
玄さんのコメントに対してこれか・・・。
ASのこと全然分かってない人だと思うけど、このコメントはないよな。

ハルコさん、ありがとうございます。
具体的でいいと思います。「大切にする」の項目は僕が以前、カキコミさせて頂いた「日頃なるべくやろうとしていること」と結構近いですね。
面倒ではないですよ。けっこうな効果が期待できるのを知っているだけに。
ASの皆様、実行をオススメします。
でも、100点ですか、、、

あるAS様へ 

気にしない方がいいですよ。それにしてもあんな骨身を削る魂の告白に対する受け答えがこれとは…人の気持ちが分からないとか、空気読めないとか、それはどっちなんでしょうか。「めんどくさい」って言葉尻だけとらえて、包括的に見れないのはどちらなんでしょうか。 


玄さんが

先程は書きかけで失礼しました。 

玄さんは相当、忍耐強い方だと思います(ご本人は否定なさるでしょうが…)私自身はASのユニークな特質を持ちつつ、定型社会に自然体ではないけれども折り合いをつけれるところを常に探っている玄さんを尊敬してますし、玄さんのように寛大な心を持ちたいなと思います。が、玄さんが紳士的な対応を取られるからと言って、それに甘えたり、そこを基準にしないでほしいと願います。 
しばらく前からここを見てますが、一時沢山ASの方たちが出ていかれましたよね。 
誰が正しくて誰が間違っているとかいうわけではありませんが、いずれにしても彼らの意見を真剣に受け取ろうとはしなかった。 
このままでは同じことを繰り返すことにならないか、心配です。

あるASさま、するりさま

ASの方が、意見や質問には返す言葉があるけれど、感情を訴えられると、どう受け止めてどう返せば良いかは解らない。
それは、努力や性格の問題ではなく資質のせいなので、出来たら、感情ボールを投げて来ないで欲しい・・ということは、今回の玄さんのコメントで、よりひしひしと伝わってきました。

長文のとき。そのどこの部分に反応するかは、人それぞれだと思います。
あるASさまとするりさまは、玄さんの親切丁寧な、AS側感覚の説明部分に強く共感されたと思います。

ハルコさんは、その玄さんのコメントから文中の向こうの奥様の心中を察して、奥様の立場や気持ち側から、様々に考えをはせて答えていらっしゃいます。
だって、玄さんは奥様の言葉をテーマとして質問されていのですから。

「妻は僕にこう言うんだよ、どういう意味なのかな? 何を望んでいるのかな?」

「奥様の言葉の本心はこういうことで、そんな時はこれらのことをすれば良いと思うのですが、でも玄さんは面倒くさいとか思われますか」

このやりとりに、何か気に障ることがおありでしょうか?

玄さんのコメントは、ASの人の感じ方が非常に解りやすく説明されてありがたい。
ハルコさんのコメントは、おそらくですが玄さんの奥様が読まれたら共感されると思いますし、定型女性の典型的な心情の説明なので、ASの方に知っていただきたい。

良いやりとりではありませんか。

不思議ですよね。しょうさんのコメントは私と全く違う物の考え方だし、正直言って、心が折れそうな部分もあるのですが、「おそらく(この場合は各々の定型パートナーからの視点では)この意見は至極まっとうで、そう見えているんだろうな」と納得出来るんです。 
(私にとっては)新たな発見もあり、勉強にもなりました。 

ですが…はるこさんがなさったあの箇条書きのアドバイスは、自らここに来るような問題意識を持ったアスぺの方々にはもう、自身の痛い経験の他に、コミュニケーション本やら障害関係の本、はたまた他のブログ等で学習したりしているような内容だと思います。まして、玄さんですよ!? 
奥さんの立場に立って考えた結果のアドバイスであるとは分かりますし、確かにこれは玄さんの質問に答えているだけなので私から非難される筋合いのものではないのかもしれません。 
しかし、「長文のどこの部分に反応するかはその読み手の自由」とありましたが、その種の自由を普段の生活で私達が享受出来ているとは到底思えません。 
「寂しい」と相手が言った時、一生懸命考えた「自分最大の配慮」でさえ足蹴にされ「定型句」で応えなきゃ認めてもらえないんですからね…どちらが寂しいんだか…。。

なんだかまとまりのない文章になりましたが、最後にひとつだけ。 
所謂、「定型嫌い」ではありませんからご安心ください。

ハルコさんのコメントは稚拙。
定型の中学生同士の恋愛相談のようなもの。
辛辣になってしまうので一番最初のアドバイスについてだけひとこと。


1、相手の要求をできるだけ優先してあげる(親しくなると後回しにされがち)


定型は要求をはっきり言わずに察してよとなることが多い。
親しければなおのことその期待度が大きい。要求がはっきりしていれば
優先もできるが、察してよの要求は自分が後回しにしていることすら気付かない。
「大切にされたい」というのは、何を望んでいるのかと言う問いに対する答えが
定型とASの間で起こりがちなシチュエーションを完全に無視している。
「大切にされたい」というのは「大切にして欲しい」ということですよと
アドバイスされているのと何ら変わりない。
議論したいのは定型とASの間で起こりがちなシチュエーションを踏まえた
その先の一歩についてで、定型流ではない。しかしするりさんの言うとおり
そう言う議論ができる定型やASはここを去ってしまったのか。

玄さん

 ようやくちょっと一段落しました。その間に話が進んでしまっているみたいですが、まずはこちらの方からお返事をします。

『僕には、(例えば出掛ける相手に対して)寂しいという感情があるとしても、それを表現することは相手の引き留め、予定を狂わせる迷惑になるはずという発想があります。これは、あらゆる感情において同じで、「感情を表出させると迷惑を掛けることになる=感情を出すのはワガママで良くないこと」という考えです。少なくとも、僕にとって「寂しい」は生産的な発言に分類されていません。』

 「感情を出すのは我が儘」という考え方で玄さんは生きてこられたのですね。多分これまでの玄さんの人生の中で、それがとても大事なことだと思う経験を積み重ねてこられたのだろうと想像しました。玄さんの文章を拝見するとき、そのことを頭に入れながら読むべきだなと思います。
 


『で、僕がパートナーさんの立場ならば、パンダさんが外出する決意(と予定)を固めたと察したなら、それを萎えさせようとはしないでしょう。前向きだからこそ、笑顔であっさり「全然」と言って送り出そうとしたのだと思います。そういった、お互いのベストであろう方向性を示せたと思った瞬間に「帰らない」と返されるのは、全く文脈から想定できません。寂しいという気持ちの整理がついたからこそ、パンダさんは出掛けるのだと思いますが、出がけに引き留めて欲しいのならば、寂しいのはパンダさんの方ですよね。』

 これは私の理解ですけれど、上にも書いたように、彼女は「寂しい」という気持ちは湧いていないように思います。仕事があるから当然その時間に出なければならない、当たり前のことなので、そこで「寂しい」ということを考えるというのは理屈に合わない、と彼女は思っているのかも知れません。
 それで、私の方は少なくとも現在はそのことにとても強いショックを受けたりはしていなくて、ただ「寂しいという思いを持ってもらえないのは私には寂しいことだよ」ということを、それほど深刻ではなくて伝えているんですね。だから深刻ではなくて「遊び」のような感じで言いますし、彼女の方も特に深刻に受け止める感じではなく、「何をまた馬鹿なことを言っているの」という感じで笑顔であったり、「しつこい奴だ!」という感じでちょっとしかめっ面をしてみたりする感じだと思います。そのあとも特に深刻な問題になるようなことはなく、割とあっさり別れます。


『「帰らない」という予定(意向)を急に言われて、パートナーさんは驚いたでしょう。パンダさんが素直に「外出するだけでも会いたくなって寂しいよ」とでも言えば、「ちゃんと待ってるわよ、用事が済んだら早く帰ってきて!」くらいに返事してくれるんじゃないですか?(^^)
ASDは目の前にいる人のこと以外は「想像しにくい傾向」があると思うので、「心配」という感情が湧くなら上出来では?』

 ここも玄さんが想像されたよりはそんなに深刻な遣り取りにはならなかったと思います。もちろん、話の進み方によっては深刻になったかも知れませんが、そのあたりはあまり深刻にならずにお互いに感じ方の違いや考え方の違いを説明し合う関係がだいぶできてきていると思いますし、このときもそんな感じで会話をしたと思います。彼女も私がそれほど深刻ではなく会話していると感じていたように思います。
 もちろん話題によってはほんとに深刻な感じになる場合もありますし、昨日も別の問題でそんなことがありました。けれども以前ならそれでかなり長い期間、お互いにショックを受けた状態で辛い状態が続くようなことでも、話し合って理解が進んだ結果、「じゃあこれからはこんな風に工夫しよう」ということが決まって、それで一応お互いに落ち着き、それ以降はほとんど引きずりませんでした。随分とお互いの関係が変わってきたなと思います。
 
『僕は家内から、一緒にいても「寂しい」「大事にされている感じがしない」と言われることがあるのですが、解釈やアドバイスを頂けたら有難いです。』

 これについては私がパートナーに説明しようとしても、中々うまく伝わらないところなので、どんな風に説明したらいいか難しいですね (^ ^;)ゞ
 たしか前に玄さんが書いていらしたように思うのですが、定型というのは「群れる」とか「集まる」とか「一緒にいる」とか、そのことにとても重要な意味を感じているという特徴が有るのだと思います。だから「距離が近い」方が安心するし、離れると「寂しくなる」とか「心細くなる」という感情が生まれて、その感情が「群れる」とか「集まる」という行動を生む原動力になっているのだと思います。
 夫婦関係はそういう人間関係の中でも特に強い結びつきを必要としているので、「相手を求める気持ち」「距離を縮めようとする気持ち」は特別の強さを持っていると思います。そして「相手も自分を求めてくれている」と感じることで安心できたり、幸せな感じになったりするのだと思います。
 この点について、パートナーの言うことや、アスペ当事者の方の本を読んだりすると、「もう結婚しているのだから、相手を必要としている状態なのは当然であって、特別に表現したりする必要を感じない」と感じられているのではないかと想像するのですが、その点がもしかすると定型とアスペとでかなりズレがあるところかもしれません。定型でも人によってどういう表現をするかはいろいろあるかもしれませんが、プレゼントや言葉やスキンシップなどで、「あなたのことを大事に思っているよ」ということを時々伝えたくなるし、また伝えて欲しいと思うのだと思います。(映画なんか見ていると、アメリカ人はそれがすごく多くて、それに比べると日本人はかなり少ないと思いますが、でもやっぱり全然ないと関係がうまく行かなくなると思います)
 なぜそこにアスペと定型の違いが出るのかはまだよく分かりませんが、多分アスペの方は「結婚した」ということであとは当然そのまま関係が続くと理解されて特に不安なども感じられないのに対して、定型の方は「結婚」はしても、ときどき感情的なメインテナンスをしないとその夫婦関係は不安定になるか、不幸なものと感じられるか、あるいは破綻に結びついてしまうのだと思います。特に核家族が普通になると、その傾向は強くなったのではないでしょうか。よく言えば定型のカップルは柔軟に新鮮に関係を保つとも言えるし、悪く言えば不安定だと言えるのかも知れません。とにかくこの辺は理性で割り切れる感じではなくって、どうしてもそう感じられてしまう、みたいなものだと思いますので、説明が難しいのかも知れません。

パンダさんのお話は、概ね理解できていると思うのです。
それほど深刻でないという事も了解しました!
一点だけ、修正動議です。
ASが結婚してからの関係をどう感じるかという所。
その状態が続くことを期待して生活するわけですが、それが当たり前と思っているわけでない(感謝しているということです)ということと、むしろ不安感は常にそばにあるということです。感謝したり不安がったりの表現が無いだけです。

トマトさん、
いつも助け船をだしてくださり、感謝しています。ありがとうございます。泣けてきました。
定型の発想は定型同士にしかわからないんだと毎度思い知らされます。
定型のなかでもトマトさんは一層細やかなかたなので、読み取ってもらえてるのだと思います。そういう繊細さが非定型とあきらめずに付き合っていける資質のひとつなのだと感じています。

あるASさん、 
わたしの書き込みが稚拙だということですが、ではあなたはそういう稚拙だと感じられる行動1~7なしに、何の努力もせずに、定型発達者とスムーズなコミュニケーションがとれるのでしょうか? たぶんできないでしょう。悩みがあるからここに来られるのでしょうから。あなたがくだらないと感じている行動の数々、定型には必要です。
少なくとも、人を愛したり愛されたりの経験があれば、そこまで反感を持つ理由はないと思います。その証拠に当の玄さんは何も気を悪くされてないです。
誰のことも傷つけないような、玄さんへの恋文みたいなゆるい文章に噛みついてこられて驚きました。ここでの書き込みは議論前提ではないのだから、つぶやきでも感想でもアリ、理詰めで精緻な記述限定ではないと思います。書き込みを読むのはあなただけではないです。

するりさん、
わたしのアドバイスがASにとって周知のものばかりとのことですが、くだらない提案でも、何も行動しないよりはましだと思います。AS配偶者のサイトを見ればわかるように、どんなに歩み寄ろうとしても改善せず、精神を病む妻が後を絶ちません。
定型からの要求、提案を軽視すれば、夫婦間の溝は修復できなくなると思います。
それに玄さんへのコメントに、するりさんが玄さんのマネージャーみたいに一枚かんでくる意義がわかりません。

>その種の自由を普段の生活で私たちが享受できていると思えません
99%定型社会なのですからそこは仕方がないのではありませんか?
普段の生活の話ではなく、トマトさんは、長い文章を読むとき、どこをピックアップしても良い「自由」の話をされているのです。
するりさんは、寂しいと言った定型に最大限に配慮したことを言ったつもりが足蹴に…ということなので、それについてくわしく書いてもらったほうが定型にはアドバイスしやすいと思います。とにかく、するりさんはその時傷ついたということが理解できました。

玄さんの「感謝したり不安がったりの表現が無いだけです」というご意見と
しょうさんの「姿勢を見せていただきたいのです」というご意見に
ASと定型の、揉める軸があるように思います。

表現が無い人に対して、表情や表現として見せて欲しいと願う人。これこそが、ASと定型の関係で、コミュニケーション上の「苦痛vs寂しさ」という図だなと感じました。

「これだけ説明しているのだから無理言わないでくれ」という人に「それでもリアクションや言葉が欲しい」とあきらめられない人。
言葉は言葉というシンプル構造と、言葉は感情のサインやメッセージという複雑構造。

玄さんのコメントの「表現が無いだけです」の「だけ」が定型には致命傷くらい重大になることだから、とても貴重なコメントです。
玄さんのおっしゃることに共感するには体感するしかない。
「自分の中に表現がないだけ」という感覚を体感してみたいと強く思いました。

するりさま、あるASさま

稚拙・・・という言葉を借りれば、異文化の人同士の歩み寄りは、お互いが「稚拙だな」と感じることばかりなのではないでしょうか?

例えば、定型がASの人に「大人なのにどうして挨拶ができないのか、稚拙な印象だ」と思うこともあるでしょうし
ASの人が定型に「こんな簡単なことがどうして解らないんだ、信じられないくらい稚拙だ」と思うこともあるでしょう。

私はどうも「コツ」が解らないんですよ。
どういう言い回しをすればASの人に受け入れられやすいのかとか、どの言葉が勘に触るのかとか。
それは定型に対して、するりさまも、あるASさまも同じではないでしょうか。

お互いが歩み寄ろうとして疲弊してしまうのは、自分にとっては当たり前すぎることが相手にはまるで解ってないし、これでもかと説明しても理解に届かないからだと思います。

定型の「簡単や当たり前」がASの人には難関。
ASの人の「わかりやすい」が定型には「どう想像してもわからない」

これくらいの距離があることを前提に、こちらの稚拙を容認していただけませんか?

ハルコさん 

私は「マネージャー」ですか。過去に、コメントされた方に対して「悔い改めろ」とか「聖母」だとか凄いキーワードを出されてましたが…うーん…ちょっと悲しいです。 
「世の中の99%は定型だからそれに合わせるのが…」 
…それを言っていいのは、障害受容出来ている当事者自身だけだと思います。あ、あとアスペっ子の親御さんとかも言える権利はありますが、これを社会で本気で堂々と言えちゃう人ってどれだけ露骨な差別意識の持ち主か、と思います。その論理で行くと少数民族とか絶滅危惧種も抹殺されそう。。 
それはさておき、定型の配偶者の鬱問題ですが、アスペと結婚したからと言って、皆が皆、そうなるわけではありません。アスペ旦那(妻)を持つ定型配偶者でも、本当に心の強い自立した人は相手の特性を「まぁ、個性よね」で済ませれる方も一杯います。だいたい大らかな人に多い。たまに喧嘩もするけれどちゃんと互いを尊重しています(そういうカップルを沢山見てきました)なんというか、余裕があります。ところが、(大概無自覚でしょうが)差別意識、あるいは自分の方が主流だ、というこだわりを強く持っている方は、自分の望んだリアクションを非定型パートナーがしなかった時、「なんでそうなるの!普通はそうしないわよ!」と相手を責めるし、「何故かいつも相手を責める心の狭い自分」に嫌気が差していくという負の連鎖に陥るのだと思うのです。私見ですがそういう方たちは定型配偶者と言っても、ちょっとアダルトチルドレン的な感じがします。文句たらたらでも(だからこそ?)似たり寄ったり、見る目がなかったのはお互い様。類友です。とにかく、定型もアスペも、結婚生活を送る上で双方に必要なことは、自分に余裕を持つ努力をすること(余裕ないと余計特性が出やすくなる)、自分が絶対ではないし相手も完璧な人間ではないことを自覚すること、そして一番大事なのは世間体に縛られないこと。そうすればだいぶ精神的ドツボを回避出来ると思うのですが。 


自分が「稚拙」と言う表現を使ったのは心底発想が幼稚だとおもったから。


>奥様が言葉なりアクションなりで玄さんに甘えてきたとき、頭を撫でて「どうしたの?」と言って、「おいで」と言い、ぎゅーと抱きしめてあげる。それで100点です


玄さんと奥さんの年齢がどのくらいなのか分からないが例えばアラフォー、アラフィフだったらどうだろう。この解決法はありだろうか。長年ラブラブに過ごしてきたカップルには効果的だろうが、下手にスキンシップをして玄さんが奥さんに肘鉄を喰らわされる可能性だって無きにしも非ずだ。これで100点と思っているところが恋愛ドリーマーというか幼稚な発想に思えた。


正直1〜7まで全部ひっかかったが、特にスキンシップとサプライズの提案は頂けない。
ASにはスキンシップやサプライズを苦手としている人が多いことを知らずに提案したと思いたいが、知ってて提案したのであれば、「頑張ればできる」的努力論を振りかざしているようで、青臭い(幼稚)。


トマトさんの言うことは一理あるが、今回の自分の「稚拙」発言は単純にハルコさんの発想に対してのもの。


するりさんの言っていること、言いたいこと、感じていること、良く分かる。
自分に聞こえの良いことしか耳に入らない人なのだと思う。

トマトさんへ 

トマトさんからは嫌な印象を持ちません。それは今回、私達を持ち上げて下さったからとかいう理由ではなく(笑)、実は何年も前からトマトさんが違うハンドルネームで別のサイトで書き込みなさっているのを知っていたからです。そこで完全アウェイで頑張ってらっしゃるのを見て、すごい根性だな、私には無理だわ…と感心しましたし、自分と認識が多少違っても言わんとなさっていることを真摯に、好意的に受けとめたいと思ったものです。 
だから、トマトさんのことはカチンと来ないですね。差別意識の匂いがあまりしないし、ただただお友達思いな方という印象です。 玄さんへ
せっかくの玄さんの質問の流れをぶったぎってすいません。マネージャーやる気はなかったのですが、結果的にそうなってたらすいません。またロム専に戻ります。

「帰ってくる」と言われたからにはしばらくしたら帰ってくる。だから寂しくない。寂しくないから「寂しくない」と答える。
急に「やっぱり帰ってこない」と言われたら、何かよくわからないけど悪いことが進行しているように感じて慌てる。
当たり前のことではないでしょうか?

主様の言い方に問題点があると思います。まずは主様の方から「出張でしばらく会えないので寂しいよ。何か慰めの言葉をくれないか?」と言ってください。それに対する奥様の反応を見てください。
「ハイハイ、よしよし」
「慰めの言葉って? なんて言えばいいのか具体的に言って!」
あたりならかなりAS度の高い方でしょうか。あるいは愛情の冷めた方。
そこまでない方ならぎこちなくても慰めてくれるはずです。
どうでしょうか。

いや、やっぱり急に「何か慰めの言葉を言って」と言われても、何と言ったらいいか戸惑いますね。
どういう風に慰めて欲しいのか、分かるように主様が示してあげるべきですね。

何度もすみません。

奥様に助言するとすれば、「全然」では素っ気なさすぎるので、
「全然大丈夫よ!(ニッコリ) 安心して行ってらっしゃい!」
くらいの笑顔をつけるといいと思います。

トマトさんの「どういう言い回しをすればASの人に受け入れられやすいのか」という発想を、どうかあきらめずに、多くの方に持って頂きたいと思います。僕は、定型の人に分かってもらえる言い回しを、頑張って考えます。

するりさんから、「おいで&ぎゅー」が年齢層によっては当てはまらないのではないかというご指摘がありましたが、僕は案外、全世代にイケるのではないかと思いました。「寂しい」という発言(「寂しいかい?」を含む)が発生したなら、hugは不自然でないと思います。

僕の予想では、AS側が「hugで対応」テンプレートを知識に持ち行動をとれば、パートナーの満足度はかなりアップすると思います。言葉も多くは要らないし。今度は間が難しいかな?

玄さん、そうなんですよ。
【「おいで&ぎゅー」が年齢層によっては当てはまらないのではないかというご指摘がありましたが、僕は案外、全世代にイケるのではないかと思いました】
というコメントは、定型男性にも広めたいほどです。

不安や寂しさという心細い思いがあるとき「結果的に安心させて欲しい」という願望を「相手を挑発するような質問」に仕込む、というやり方は、定型の多くがするスタンダードな甘え方です。(パンダさんもコレを使われましたね)

こんなマジックみたいなコミュニケーションされたら「解んないよ」とか「面倒くせぇー」となる人もまた多いと思います。

そんなときには「おいで+ぎゅう」が、一瞬にして空気感や関係性を柔らかくする即効性がある方法でもあります。
言葉で届かないことはスキンシップで届けよう・・・です。

確かに、タイミングとかの間の宿題はあるとして、人は甘えたりすねたり相手の感情ををためしたりしているときは実年齢に関わらず「子ども帰り状態」なので「おいで+ぎゅう」が効果的だと思います。

これは、定型に効果的なやり方ですが
Asの人の多くには「なんじゃコレ」と意味不明だし、驚きや不快だけ与えてしまうかも。

流儀が違うと、なかなか大変です。


あるAS様へ

ちょっと書きたいことがあったので、ROM専にすると言ったのに撤回して書きます。
フォローありがとうございます。何せ、とても文章能力が低いのと、感覚の違いで伝わってるかどうかすごく不安でしたが、私の拙い文章に託した私が伝えたかった本質が、あるAS様にはちゃんと伝わっているようで安心しました。

ところでなんでこんなに「おいで&ぎゅー」に対して不快感があるのだろうと思ってたのですが、先ほどフラッシュバックと共に思い出しました。長い一人語りになるかも知れませんが、最後にお伝えしたくて。

ハグ&ギュー、これやって元夫から嘘でも冗談でもなく、本当に肘鉄を喰らってたんです。
失敗経験済みだったんですね(苦笑)


ちょっとした物の感じ方の違いで関係が最悪になり、そのころはアスぺの定義さえ知りませんでしたが、なんとか打開策をと考えてこういう小ネタをコミュニケーション本から仕入れたり、友人に相談したりしました。その時点で考えうる、ありとあらゆるアプローチを試み、真剣に実行しましたがすればするほど、
「お前はそういうキャラじゃないだろう。心からやってないことくらい見抜けるんだよ!とってつけたような芝居やめろ」とキレられ暴力がますますエスカレートしていって・・・世の中のDVはアスぺ旦那から定型妻へのものしかないと思っている方には「そんなの特殊な人よ!その人はその人で何か別の人格障害でしょ?そんなのと私たちとを同じ定型に入れないで」とか、定型妻には口が裂けても言わない「やられる方にも原因が~」とかを言われそうですが。

今は、自分が期待したリアクションが帰ってこないと極度に不安になる定型の中でもかなり神経質な部類に入る人と、外国育ちの「人間、皆違って当たり前」というざっくりしたところで生きてきて尚且つこういう特性がある私とが上手く行く余地はなかったんだろうなと認識し、かなりさっぱりした気持になりました。

そういうわけで、一番の理想は「相当心の広い定型」か「(本当にアスぺかどうか別として)アスぺっぽい気質を持った分かりあえそうな人」と夫婦になることですが、そうでない場合はもう、大人の自己責任として自分だけが悲劇のヒーローやヒロインにならないで、「お互い様、お互い様、あっちも苦しいだろうな」と唱えながら意見をすり合わせていくしかないと思います。


長文失礼しました。

主様「僕は出張でしばらく君と会えなくて寂しいんだ。一つ、おいでぎゅーを頼む」
奥様「手のかかるおじさんね。ハイぎゅー」
めでたしめでたし^_^

すいません、名前を書き忘れました。29番目のコメントは「するり」です。

するりさんへ

【世の中のDVはアスぺ旦那から定型妻へのものしかないと思っている方には「そんなの特殊な人よ!その人はその人で何か別の人格障害でしょ?そんなのと私たちとを同じ定型に入れないで」とか、定型妻には口が裂けても言わない「やられる方にも原因が~」とかを言われそうですが。】
そんなこと言う定型が居たら、同じ定型として怒りを感じます。

DVは、する方が絶対悪い!!! DVに定型もアスぺもありません。
するりさんの努力のひとつにハグがあり、それがトラウマみたいにつらい結果と記憶になってしまわれた。それは、本当に理不尽なことだと思います。

定型なら上手くいきそうな例とか、定型なら上手くやれそうな例を、定型が提案するとASの人は抵抗感や違和感を感じやすいことはあるのでしょうね。
定型でも、バグ+ぎゅうが100%の成功率かというと、そうではありません。

ただ・・・全ての人にマッチする事例などないとして「私はこう思う」や「私はこう提案する」という行為がのびのびと行なえる環境であって欲しいと思います。

私も含め定型者の提案や考えに、突然の批判を下すまえに「自分には当てはまらなかった」という上記のような事例を教えて下されば、そちらの方がASの人への理解に深く役立ちます。
可能ならば・・・ですが。

ASの人=目に見えない絆
1.寂しい=絆がない
2.大事=切れたら困る絆
3.心配=絆が切れかかっている

定型の人=五感で感じる触れ合い
1.寂しい=見えない聞こえない触れない
2.大事=見えなくなったら触れなくなったら困る
3.心配=ASと近い感覚?

まず、玄さんへ
「一個人の意見」、自問自答しながら考えています。
(考えてる時点でそれは取り繕った考えで、意見ではないだろ、という批判は御容赦ください。)
ただ、彼女とのことで考えなくてはならないことが出てきて、意見はまだまとまっていません。
自分の思いをわかりやすいかたちでちゃんとお伝えしたいので日曜まで待ってください。
せっかく質問いただいたのに申し訳ありません。


ここから余談です。
今ちょっとしたキーワードになっている「ハグ」に関して、私は非常に興味深いです。
AS傾向があると考えている彼女に対し、スキンシップ好きな私はハグを求めることがちょくちょくありました。
ただ、その際に「そっちがしたいなら勝手にハグすればいいじゃん」ですとか「今はそういう気分じゃないから私からはしない」ですとか、しばしば(定型側から見れば)拒否され、「あぁ、自分の思いも気持ちも届いてないんだ」という被害妄想?が膨らみ→「彼女にとって別に自分は必要としてないのでは?」と勝手に感じた瞬間を思い出しました。
ここにも言葉の捉え方や感じ方のズレがあったのかと思わされました。
私なりの新しい発見です、ありがとうございます。
まだまだ私にも勉強が必要です。

ちなみに、これで議論もなにも起こすつもりはないです。
後半部分に関してはただ、定型・AS問わずただの一人の人間がそう感じたということだけを書いてみました。

それは・・

カンタンです!

ニンゲンは群れで進化して来ました。常に群れの一員であることを、合言葉で互いに確認し合う必要がありました。

それが「寂しい!」→「おいでぎゅー」です。
男女バージョンですが。

するりさん、

「心がこもっていない。」

定型からのアドバイスを実行した結果このように言われて混乱した経験を持つASは多いと思う。定型からの要求に応えようとしても次々とハードルは上がるばかりでキリがない。どこかで折り合いをつけてくれる人ならば努力する甲斐もあるが、正解を用意している人の期待には応えられないと思う。


自分は帰国子女である。するりさんもそうなのだろうか。ASの特性を「あの人は帰国子女だから。」で容認する人が自分の周りには意外と多い。定型特有の察するという機能が働いているのだろう。容認してくれるので敢えて自分からカミングアウトすることもないが、自分に「帰国子女」という肩書きがなかったら自分を取り巻く環境はまったく異なるのではないだろうかと色々な掲示板を見てよく思う。同じ人間なのに「帰国子女」ってだけで評価が変わる場合があるという経験から定型からどう見られてもどうでもいいとよく思う。


もちろんこちらを全否定してくる人もいる。そういう人たちは横に置いておいて、「帰国子女」ということで受け入れてくれる人たち。その人たちはASを受け入れる土壌があるのではないか。それともASとなると話は別なのか。これは長年の謎だ。


>「お互い様、お互い様、あっちも苦しいだろうな」と唱えながら意見をすり合わせていくしかないと思います。

深く同意。


ところでトマトさん、

すらりさんに対して


>私も含め定型者の提案や考えに、突然の批判を下すまえに


と書いているが、突然の批判をしたのは自分で、すらりさんはハルコさんの提案について言及している文はこう。


>ですが…はるこさんがなさったあの箇条書きのアドバイスは、自らここに来るような問題意識を持ったアスぺの方々にはもう、自身の痛い経験の他に、コミュニケーション本やら障害関係の本、はたまた他のブログ等で学習したりしているような内容だと思います。まして、玄さんですよ!? 


具体的経験は書かれていないが、失敗した経験があることは読み取れないだろうか。


トマトさんが玄さんに向けたコメント


>玄さんへ
そ・・・それは、パンダさんがいつも書かれていることが、回答になっていると思うのですが。
それと、定型者からの相談コメントからも、「ASの人に対してどのような時やどのような対応をされたときに寂しくなり、大事にされている感じがしない」かということが毎度書かれているので、てっきり玄さんには「ほほぅ、そうか」と理解されているのかなと思ってました。
他者の例を、ご自分に当てはめることが、苦手ということでしょうか?


正直これを読んだ時は驚いた。自分が定型(トマトさんも含め)の書き込みを読む時に度々抱いていた感想と同じだったので。


書き換えるとこんな感じ。


>そ・・・それは、ASがいつも書かれていることが、回答になっていると思うのですが。

ASのコメントで度々書かれているので、てっきりトマトさんには「ほほぅ、そうか」と理解されているのかなと思ってました。
他者の例を、ご自分に当てはめることが、苦手ということでしょうか?


すらりさんに対してのコメントも然り。今まで類似のことをAS側から何度も発信していたと思うが。


トマトさんはASに対しての理解が深いと思うが、所々に大穴が開いていて驚く。かと思えばそれが理解できるのかと驚くこともある。

いわゆる「平行線」「水かけ論争」ですな。

自分からみると「禅問答」「神学論争」ですw

名無しさん

 いろいろコメントありがとうございます。
 できれば、どなたのどういうコメントに対するコメントなのかを
 もう少し説明していただけるとありがたいです。
 どうぞよろしくお願いします。

それは・・

いろいろコメントしすぎて分かりませんので「察して」いただけると有難いです。

↑パンダさんへのコメント

トマトさん、

フラッシュバックについて。

自分の書き込みを読んでいてふと思い出したことがある。
以前ASにとってフラッシュバックが辛いということが話題になったと思う。
その時トマトさんはフラッシュバックに関して理解を示したと記憶している。
そのことを思い出して貰えれば多少なりともすらりさんの心情が理解できるのではないだろうか。
そして突然の批判を下す前に教えてくださればというトマトさんのモヤモヤも少しは収まるのでは?

↑名無しのコメントです。

トマトさんの「定型なら上手くいきそうな例とか、定型なら上手くやれそうな例を、定型が提案するとASの人は抵抗感や違和感を感じやすいことはあるのでしょうね。」は、定型がASの身になって考えることの難しさを表わしているのでしょうね。
そしていつも、論法が「定型はこうやって上手くやっている」の域から、なかなか踏み出されない。それは実に一般的なことだと感じます。だからでしょうか、「人の気持ちがわかる」と自負する人ほど、ASに接すると悩むのでしょうね。

しょうさん、僕の書いた「一個人の意見」は、しょうさんの意見を受け止めた上で、他の方の意見も聞きたいな~という表現でした。しょうさんお一人にボールを投げたつもりはないのですが、またコメント交換できたら嬉しいです。よろしくお願いします。

hugやスキンシップに関しては、ASは苦手なことが結構あるようです。(僕は苦手なほうです。)こういう条件を背負っていることは、なかなか理解されにくく、ましてや、相手が「スキンシップが苦手」という可能性を踏まえて、心情を察してもらえることはかなり少ないです。

でも、相手が「寂しい」と言っているときにくらいは、AS側がボランティア精神を発揮してもいいのではないか、という趣旨で、ハルコさんをフォローしたく思います。ASが想像するよりも効果的に、hugによって相手が精神の安定を取り戻してくれる場合があるのです。
もちろん、するりさんの事例のように、ボランティア精神を見透かされちゃうと厳しいのですが。

定型とASのペアで、定型がスキンシップを求めている時に、ASはそうではないかもしれない。どちらが斟酌するか、という話なのかもしれないですね。

玄さんのコメントへ↓
>hugやスキンシップに関しては、ASは苦手なことが結構あるようです。

要は「群れの合言葉」ですから、「おいでぎゅー」にこだわらなくてもよさそうですが。

>もちろん、するりさんの事例のように、ボランティア精神を見透かされちゃうと厳しいのですが。

夫婦→「努力してくれてるのね。仕方ないわ。」
他人→「心が入ってねーw」
立場の違いもあるような。

名無しのコメントです↑

また名前忘れちまったw

あるASさんへ 

仰る通り、要求水準は高くなる一方でした。最近ようやくわかったのですが、どうやら「答え」は予め相手の中で決まってて、それ以外は不正解。どちらが白黒思考なのか…本当にわかりません。 
だから私なりにああいう小ネタをやっても…ギュー以外もあの提案内容はほとんどやりましたが…どれだけやっても妙な芝居と言われ暴力は増す一方でした。 
私も帰国子女です。そしてあるASさん同様、この要素が幸いしているようで、天然入ってるけど、「まぁわりかし良い奴じゃないか?」という方向に落とし込まれています。 
仕事もですがプライベートもわりとそういうポジティブな方向で受け止めてくれる人たちに恵まれました…夫以外は(涙) 

私も「帰国子女だから」で済ましてくれる方たちにある種の望みを抱いています。 
なんかもう、あるASさんの話しが他人事とは思えません… 


トマトさんへ 

DVについて共感していただきすごくありがたかったです。有り難うございます。救われました。 
トマトさんにはまた、コメントさせていただきます。現時点では考えが上手くまとまらないので。 

するりさんのコメントへ↓

>どれだけやっても妙な芝居と言われ暴力は増す一方でした。

これはASというよりACなのでは? 危ないですなあ。

>私も帰国子女です。そしてあるASさん同様、この要素が幸いしているようで、天然入ってるけど、「まぁわりかし良い奴じゃないか?」という方向に落とし込まれています。 
 
帰国子女だからいいのか? 帰国子女だから増幅されるのか?
理屈で考えると増幅されそうな気がしますが、不思議なものですね。
そもそも帰国子女だからASに間違えられているという可能性はないのだろうか?

>DVについて共感していただきすごくありがたかったです。有り難うございます。救われました。

ASにもこういう感情があるんですね。これも意外。

あるASさんから「トマトさんはASに対しての理解が深いと思うが、所々に大穴が開いていて驚く」とコメントいただきましたが、
知識&理解したいという気持ちが、いざというとき、上手く活用も発揮も実践も出来てない証拠です。
あるASさんは、私の現状を確実に表現されました。実際「うまいこと言う」とグウの音の出ない感じ。

これは、私の全ての人間関係において「理解しているつもり」なのに「どうしてあのとき冷静に対応できなかったか」という悔いにつながります。

とくに文字だけのやりとりのだと、相手の表情や動作からのヒントがないので、理論的なコメントや強めの表現には、つい瞬時に相手のイメージを作ってしまうとか
フラッシュバックなどの二次的症状を起こしやすい相手の人とのやりとりである、ということは忘れて「そのコメントの内容や書き方」のみに反応してしまいます。

そのコメントの「前提となるもの」をいつも意識してやりとりする・・・当たり前なのに難しいなぁ。

玄さんの「ボランティア精神」というのは良いアイデアだと思う。
苦手なスキンシップは強制されてはできないが、ボランティアと思えば何とかなるかもしれない。
ただそのボランティア精神が相手にばれたとき、「心がこもっていない。」ことより大きなトラブルになるのではないかと危惧する。

スキンシップが苦手なASがここまで頑張っているということでボランティア精神は定型の女性に許容してもらえるのだろうか。

あるASさんのコメントへ↓

>スキンシップが苦手なASがここまで頑張っているということでボランティア精神は定型の女性に許容してもらえるのだろうか。

順番が必要でしょうなあ。
1.奥様「この人は心のない人ね!プンプン!」
2.奥様「心をかよわせようと色々努力したけどダメ。うまくやっていけるのかしら?」
3.奥様「この人ASかしら?本を読んでいろいろ試してみよう」
4.奥様「本を読んで試したけどダメだったわ。疲れてきた。もうダメかしら」
5.あるAS様「おいでぎゅー」
6.奥様「この人なりに努力してくれたのね!うれしい!やっていけるかも☆」

もう少し短くできるといいんですがw

トマト様

ようやく考えがまとまって来たので書きます。

最初に断っておきますが、これはトマトさんを責めているわけではないということを、念頭に置いておいて欲しいです。

純粋に不思議に思うことがあります。

前から思っていたのですが、何故ハルコさんを・・・というか、もっと言うとハルコさん的な考え方をする方に貴方がそこまで毎回のように共感出来るのでしょうか。
亡くなられたAS友達とのやりとりを読んだりしていても、認識のずれこそあれ、貴方はそういうタイプじゃないと思うのです、私は。
これは責めてません、ただの質問です。

ハルコさんのあるASさんへのコメントは私にはどうやっても「私のこの1~7までのアドバイスに反発したり、受付けられないような貴方は社会不適合者or愛を知らない人に決まってる!」としか読めません。

これは、私にはパンダさん、トマトさん、しょうさん達のように、自分と異なるタイプであってもまずは意見を丸ごと受け止めて~が出来ないコメントなのです。

それでも、おそらく、御自身としては親切心からのとても自信があったアドバイス(これが出来たら100点とまで書いてらっしゃいますし)に対し、「稚拙(あるASさん、すいません)」や私の「空気が読めない、人の気持ちが分からないのはどちらなのか・・・」は、初コメントということも相まって、冷水をぶっかけられるくらいのもので、そこに対して感情的になられたのかなと思い、その点は私たち(あるASさん、またまたひとくくりにしてすいません)も、もう少し大人として気を遣う努力をすべきだったかもしれない・・・と思う方向に一瞬、傾きかけたのですが。

私に対する「世の中99%は定型なんだから仕方ないじゃないですか」というくだりで、ああ、やっぱり私には無理(苦笑)と思いました。

前にもコメントさせていただいたように、「世の中の99パーセントは定型なんだから仕方ないでしょ」は、障害受容出来た当事者以外が言ったら、相当傲慢に聞こえます。

一つ例を出します。


「五体不満足」の乙武洋匡さんは冗談好きで有名で、ブラックジョークで自ら「五体不満足」と言ったり、「手も足も出ないって言葉あるけど、俺は元々手も足もないし」なんていう発言をされますが、これは本人だからいいのであって、同じような障害を持ち、現在進行形で悩んでいる方に対し、
「あなたは五体不満足だけど世の中の99パーセントは五体満足で生まれてくるんだから、バリアフリーが行きとどいてないとか、周囲の無理解とかどうのこうの言ってないで私らのやり方に合わせるしかないでしょ。せっかく全体から見たらたった1パーセントの貴方達にあえて情けをかけて色々考えてあげてるのに、なんて恩知らずなの!」
なんて言ったら、確実にアウトだと思うのですが、あの一文にそれに近い印象を持ったのです、私は。
おそらくですが、あるASさんも似たような印象を持たれたのではないかと(違っていたらすいません)
トマトさんにはあのコメントから他の可能性を感じられましたか?

あるAS様

少し考えを変えました。
ボランティア精神で一回くらい試す価値はあるかもしれませんね。
しかし、何度もやってはいけません。「心がこもってない」と言われたら、撤退するしかないでしょう、何年も何年もあの手この手でやっても一蹴されるのは、それは残念ながら無駄な努力というものです。
そうなったら、もう根本的なところで性格的が合わないし、当事者が不器用な芝居をやっても、そこになんとかしたいという姿勢、愛情を汲み取れないのは今度は相手側の問題ですから。

するりさんのコメントへ

>ハルコさんのあるASさんへのコメントは私にはどうやっても「私のこの1~7までのアドバイスに反発したり、受付けられないような貴方は社会不適合者or愛を知らない人に決まってる!」としか読めません。

これは100%深読みしすぎだと思いますなあ。
読み返してもただ単に自分が旦那にして欲しいことを列挙しただけとしか読めません。

↑名無し

全般へのコメント↓

やはりお互いあさっての方を向いて話している「水かけ論」にしか見えませんな。

全般へのコメント↓

何だか昔流行った血液型A型vsB型のバトルに似ていますな。
ASのバーナム効果もあったりして。

↑名無し

名無しさん

 『やはりお互いあさっての方を向いて話している「水かけ論」にしか見えませんな。』

 ここでコメントを書かれている方たちの大部分は、アスペと定型の間のコミュニケーションは、たとえ自分が「善意」のつもりで発言しても、相手の人には傷つけることになったり、意味のないことであったりしてしまう、ということがどうしても繰り返されてしまう、ということを経験上よくご存じの方たちだろうと思います。ですから、わざわざそのように書いて下さらなくても大丈夫だと思いますし、また一見水掛け論のように見えて、実はそれを越える大事なやりとりも行われていると私は理解しています。

 そういうわけで、「水掛け論」にも見えるやりとりは、いつでも繰り返し普通に起こってしまうのですけれど、問題は「どうしておたがい悪意がなくても、あるいは善意で相手に説明しようとしたり、理解しようとしたりしてもそれが反対の意味を持ってトラブルになってしまうのか」という理由をお互いに考えることだと思います。

 ですから名無しさんもどうやったらその「水掛け論」に見えるやりとりが、水掛け論に終わらずに相手を理解し合うコミュニケーションに繋がるかを考えて、いろいろコメントをして下されば、とても皆さんの役にも立つのではないでしょうか。

パンダさんのコメントへ↓

>どうやったらその「水掛け論」に見えるやりとりが、水掛け論に終わらずに相手を理解し合うコミュニケーションに繋がるかを考えて、いろいろコメントをして下されば、とても皆さんの役にも立つのではないでしょうか。

1/3〜1/2くらいはそのようなコメントのつもりだったんですがw

パンダさんのコメントへ↓

>ですから、わざわざそのように書いて下さらなくても大丈夫だと思いますし

分かっていてもついやっちまう、ということがありますので、その都度指摘しておく事はムダではないのでは?

↑名無し

パンダさんのコメントへ↓

>また一見水掛け論のように見えて、実はそれを越える大事なやりとりも行われていると私は理解しています。

ここちょっと微妙な気がしますけどね。
以前の記事は知りませんが。

するりさんへ

私は、ハルコさんのコメントを「asの人に対する定型女性の持つ最も一般的多数な感想や意見」と感じています。
ましてハルコさんは当事者さんとの関係性に真剣に悩まれている経験者でもあります。

私の亡くなったas友人は、恋多き男性でした。ハルコさんには、その彼が好きになった相手の女性達を想い出すんです。
彼に好意を持たれた女性は、彼と会う頻度が多くなると、それにともない混乱やら悩みも多くなり、誰にも理解してもらえない色合いの神経疲労に陥ってました。
アスペルガーという言葉も知らない女性ばかりでしたから。

彼は交際で困り果てると私をデートに連れて行き、その都度、私は相手の女性に「彼はasといってね、彼に合わせたコミュニケーションが必要なんです」と説明していました。
はじめは「何よ、この女!」と不快そうな女性も、嫉妬より混乱が深いので、短時間で私と友達関係になってくれまして。
おかげで最後の入院時の彼の病室は、女性のお見舞客が一日も途切れることのない賑やかさでした。

彼女らは「asだから」という特別な意識と配慮より、彼に同じ土俵で率直にものを言っていました。
私からすれば「彼にそんなこと言っても無理なのに、嫌がるのに」ということは多かった。
でも女性たちは一生懸命、定型流の励まし、定型流のなぐさめ、定型流のお説教やアドバイスをし続けてました。

人は、関わろうという気持ちがなければ、言わないし書き込みしません。
人は、一生懸命になっている最中は、相手のハンディーや、お互いの立場を忘れ同じ目線でものを言ってしまうときがあります。

ハルコさんのコメントは、私が日頃いちばん耳鳴れた、定型女性がasの人に一生懸命になったときの口調であり熱量であり率直さに感じるのです。

asの友人男性は、その言い方や内容にキズついたり不本意ゆえの愚痴を、言った相手ではなく私に言う、というパターンでしたから、私は「言葉の裏側の心配や優しさ」を説明する日々でした。

asの友人に、言葉の出所は善意や心配からだということを説明する。
asの友人に関わるひとに、彼からの言葉の誤解を説いたり、彼の癖や苦手とするものを伝える。
その経験から、どちらかに固定するということは、なくなりました。

私は定型だから定型の人のいわんとしていることはフツーと感じてしまう。
でも、asの人が不快感を表したら、想像力と共感力を駆使します。「なるほど、そうだったか」に行き着くまで。

するりさんへのお答えになっているかどうか、自信が無いのですが、こんな感覚です。

するりさんへ

するりさんのご質問は「世の中99%は定型なんだから仕方ないじゃないですか」のくだりでしたね。

私は、するりさんの「その種の自由を普段の生活で私たちが享受できていると思えません」という言葉のみに対して、ハルコさんは「(そこはご苦労も痛みも多いでしょうがいかんせん)
99%定型社会なのですからそこは(数の理論上は)仕方がないのではありませんか?」というニュアンスに感じました。

「その99%側に言われたく無いし、1%側に言うべきではない」と言われたら「その通り!!
心情としては多数派が少数派に仕方ないなんて言っちゃぁイカン」です。

どうも定型は、よくおちいるミスとして、自分の本分を伝えたくて急いだとき、主旨とは別の部分の無意識な言い回しが相手の勘に触る・・・ということがあります。
それと、ハルコさんは一生懸命のあまり、私同様につい定型とASというより、私とあなた、という目線で語りかけられたのではないかと思います。


するりさん、トマトさん、

ハルコさんのようなASを理解したいと言いつつも、実は歩み寄りではなく定型流を強要強制してくる人はかなり多い。本人は強要強制している自覚がないので厄介だがトマトさんが言うようにもっとも一般的な対応だと思う。


確かに99%の発言は傲慢だったと思う。ただ元々ハルコさんの書き込みは上から目線が多いので、あの一文を読んだ時は自分はさほど気にならなかったというか本音が出たなと思った程度。
「せっかく全体から見たら〜」以前の文章は例えとしてハルコさんの本音に近いかも知れないが、後半の文章は膨らませ過ぎに思う。フラッシュバックを起こして辛くなり感情的になってしまったかな。すらりさん、気を静めて少し落ち着いてみよう。


自分がハルコさんの暴言より気になるのはトマトさんのフォローだ。トマトさんはハルコさんが度々ヒステリックに暴言をはいてASの地雷を踏んでいることに気付いていないのだろうかと日頃から疑問に思っていたのだが、やはり気付いていたのだ。トマトさんは以前も「ハルコさんが辛口のことを言ってもその奥の心の辛さが読み取れる。」というような趣旨のコメントを付けていた。


例えば自分がした「稚拙」発言。この発言に対するトマトさんのフォローは筋が通っていた。
今までもASの問題発言には反論や問題定義をしてきたのがトマトさんだと思う。しかしことハルコさんに限っては気持ちが分かるという理由で問題発言や無知故の発言はスルーしている。今は書き込みをするASは少なくなったが活発に議論をしていた時AS同士は意見をぶつけ合っていたと思う。定型はそれが苦手なのだろう。


自分はトマトさんの庇だて(優しさ?)がハルコさんのASに対する理解の妨げになっていると思う。


ハルコさんのスキンシップの提案。ハルコさんの提案は玄さんの奥さん目線であると肯定するのは良しとして「でもASはスキンシップが苦手な人が多いよ。」と付け加えても良かったのではないかとか、愛を振りかざすハルコさんに「ASは愛という概念が理解できないが人が多いよ。」などひとことアドバイスをしたらどうかと思う。トマトさんを聖母と崇めているのだからトマトさんのいうことならすんなり受け入れるだろう。AS側が指摘するとヒステリックなコメントが付くだけで話にならない。


>「彼にそんなこと言っても無理なのに、嫌がるのに」

ハルコさんの発言の多くはこのタイプでは?

何かしないとハルコさんが書き込みをする度にASから噛みつかれるという負の連鎖が続くと思う。

トマトさんの最初コメント全般へ↓

いいコメントがでましたね。要するに「通訳」がいるということですなw
「良き理解者」とか「ジョブコーチ」という呼び方もありますが。
通訳がいなければ・・ どちらかが相手の言語を習得するしかないんでしょうな。ストレス溜まるでしょうが。

トマトさんのコメントへ↓

>「その99%側に言われたく無いし、1%側に言うべきではない」と言われたら「その通り!!
心情としては多数派が少数派に仕方ないなんて言っちゃぁイカン」です。

心情としてはイカンですが、いわゆるポリティカル・コレクトネスに囚われて議論に制限をかけるのも如何なものか?ですな。

>どうも定型は、よくおちいるミスとして、自分の本分を伝えたくて急いだとき、主旨とは別の部分の無意識な言い回しが相手の勘に触る・・・ということがあります。

「めんどくさい」じゃなくて「癇に障る」というのが面白いですな。
しかも定型の言動がASにw

あるASさんのコメントへ↓

>ハルコさんの暴言より気になるのはトマトさんのフォローだ。トマトさんはハルコさんが度々ヒステリックに暴言をはいてASの地雷を踏んでいる

「暴言」「ヒステリック」という表現も激しいですねw

あるASさんのコメントへ↓

>活発に議論をしていた時AS同士は意見をぶつけ合っていたと思う。定型はそれが苦手なのだろう。

これは「欧米人」と「日本人」に置き換えても当てはまりそうです。
しかし実際には欧米人がASで、日本人が定型なんて事はありません。
個人的にはこの理由は文化的違いに加えて、5-HTT遺伝子S型とL型の違いが大きいと思います。
そして5-HTTがASの原因遺伝子とはされていない。
・・ということは、日本育ちの5-HTTがSS型で意見のぶつけ合いが苦手なASが相当数いる、ということになりますな。

あるASさんへ

私は、ハルコさんからの提案に玄さんが、どのように答えられるのかとても楽しみでした。
するりさんもおっしゃっている「まして玄さんですよ」の玄さんですから関心は高まります。

そしたら、さすが玄さん、前向きに受け取られましたね。
「ありがとう、具体的でいい」とおっしゃっています。
ここに玄さんの奥様への姿勢や思いが感じられて、ちょっと微笑ましかったです。

要は、質問者さんとそのコメンターさんの間で問題がなかったら良い。
というのが、私の考えにあります。

コメンテーターは質問者に向って答えているわけですから、突然プロフィールや考え方に馴染みの無い第三者さんに出て来られてクレームを言われても、それらを想定した万全なコメントを出すべきというのは無理だと思うのです。

私がハルコさんに関してコメントを出すときは、ハルコさんが誤解されていると感じる時です。
実生活では、ASの同僚やASの子どもさんが、周囲に誤解されていると感じるとき、定型に向って意見を言っています。相手の立場や肩書き関係無しに。
ASの人がASの人の真意を瞬時に察知して共感を示しかばうように、私も定型側の悩みや混乱の経験値があるゆえのかばう気持ちはあります。
でも定型者が、意図的で故意にASの人をおとしめるような表現や暴言を吐けば、私はその人に意見を出します。

トマトさんのコメントへ↓

>ASの人がASの人の真意を瞬時に察知して共感を示しかばうように

こんなことってあるんですか。
ただ単に言外の意味がないから理解できるというだけじゃないんですかね。

パンダさんのコメントへ↓

>「寂しい」という感覚のように「相手と一緒にいることを必要とする」

これよく分かりませんな。
寂しいというのは人との繋がりが無くなった状況のことで、物理的に近くにいる必要はないと思うのですが。
ま、人それぞれではありますが。広辞苑の定義でも調べてみたいところですな。

↑名無し

結論:
違うもの同士のコミュニケーションで摩擦をなくすことは無理。解決策は無い。

定型:
ASを理解しているつもりでも、寂しさを我慢できなくなり、相手に心(非言語コミュニケーション)の同調を求めずにはいられなくなる。
AS:
定型に合わせた演技が苦痛で長続きしない。また、演技が下手なため逆効果になることが多い。

解決:
あるとすれば昭和の大家族制を復活させ、ASはその中のユニークな一員として生きるという道が考えられる。
家族が解体し、ニンゲンが個に分解された現在で、ASと定型が一対一で直接向かい合って生きるのはほぼ不可能。

トマト様へ

お返事遅くなってすいません。

不躾な質問に答えて下さり、有難うございました。
しかも二回にわけてこのような丁寧な回答をいただき嬉しく思います。
亡くなられたご友人のガールフレンドたちが最期まで(善意であるけれども)論法を変えないでいたエピソードがちょっぴり切なかったです(苦笑)

「定型が99パーセントの世の中なんだから仕方ないじゃないですか」に対する、「数の理論上はそうなんだから」という風に読まれたというトマトさんの解釈、目から鱗でした。

「そうなのか!!あ~、これは悪意ではなかったか!」とびっくりしました。
こういう発言は、多数派の人間が陥りやすい「天然傲慢(酷過ぎる表現だけどしっくりする言葉が他に思いつかない・・・)」とでも言える、無邪気さなだけなのか。

ちょっと思ったのですが、英語圏で生まれた人間が、世界のどこに行っても何の疑問も持たずに世界共通言語の英語で通してしまって現地の言葉をほとんど覚えないのと同じで(勿論、ちゃんと覚える人もいますが、傾向としてついそうなりやすい)普通にしてたら通じちゃうから、他の言語を覚える気がしない(覚えなくて済む)
母語じゃない人の気持ちもあまり分からない(中には母語でない人の訛りを茶化す無神経な人もいる・・・経験済み)に似てるかも、と勝手に納得しました。
新しい発見でした。

実はあるASさんに先を越されてしまいましたが、昨日の質問を前提として、次の段階ではトマトさんに「ハルコさんが書きこむたびにASの人から噛みつかれる負の連鎖」を止めたいのですが、力になってもらえないでしょうかとお願いしようと思っていました。

たとえASとの関係で悩んで、真剣に考えてここに辿りついても「自分は正しいのに!耳触りなことは受け付けん!」一点張りでは永遠に平行線で何の収穫もなく、ナンセンスです。
とりわけ、親御さんや福祉関係の仕事をしている等といった立場としてではなく、恋愛・友人関係のような「選べる関係」なら、何もわざわざ残り1パーセントの方が多く集まる場所に行って、「皆は!」「とか「定型世界じゃそんなの通用しない!」とか言って自分の正義を振りかざして不興を買うより、そんな必要のない、もっと自分が快適になる方にいなよ、人生は短いよって思ってしまうんです。
それでもその相手が必要なら、もっと謙虚に耳を傾けないと。。。そしてここは、そういう場じゃないんでしょうか。。。

私の考えていた具体的解決法はあるASさんが見事に代弁して下さったし、それに対するトマトさんのスタンスもすでに書かれていたのでこれ以上は私が言ってもくどくなるかな。

ひとつだけ。
あるAS様の言うことは、何故か例外的に良く分かりますが(多分育った家庭や元々の性格等もある程度似ているんじゃないかな?)、他のASの言わんとしてることが分かって、かばうというのは私自身はあまりないです。

よく言われる感覚過敏とか私はあまりないですし、ハグ苦手ってのもそれこそ、「感覚的に分かりません」、サプライズも大好きです・・・だから、当のAS相手にとんちんかんなことを言っているかも、という不安はいつも持っています。
だから思うのです。

「定型」だって、本当に一枚岩なんでしょうか?

いけずな人もいれば、優しく協力的な人もいる。
おおらかな人もいれば、神経質な人もいる。
きっとアスぺ以上にバリエーションに富んでいるのでは?

現に私の友人たちは定型(私の友人やってくれるだけあってちょっと変わってるかもしれませんが)ですが、そっちに共感することは沢山ありますし、彼女たちから「普通は!」とか「皆は!」とか聞いたことないです。

なので、「定型」「定型」となんでもひとくくりにしちゃうのはどうだかな、と思います。

アスぺ側が「定型研究」の時に便宜上、「定型」という言葉を使わざるを得ないのと明らかに違うと思うのですね。
定型に「普通は~定型は~」と言われると「それは貴方の願いでしょ」と思います。
そこに逃げるな、免罪符として使うな、と。

あるAS様

あるAS様までひっくるめて書いてしまってすいません。
そしてご指摘のところ、ちょっと膨らました自覚ありです(汗)
最初に反論した時、見事にスルー、空振りに終わったのですが、あそこが私にとって最大のキモだったので、あれくらい言わないと誰も気づいてくれないんじゃないかなと思って、ちょっとやり過ぎてしまいましたかね。。反省です。

しかし・・・「噛みつかれてしまう負の連鎖」を止めるのは難しそうですね。

「多数派という思い込み」はかなり強力な呪いだと思います(苦笑)

トマトさんなんかは趣味のサークル等の経験を通して、御自身が少数派になった体験をなさって感覚的にある程度つかめてらっしゃる部分もあるようですが・・・

定型側に「世の中にはいろんな考え、リアクションをする人間がいる」ことを知ってもらうには、読書でも薦めますかね。

とりあえず発達障害っぽい(てんかんの持病を持っていたらしいですが、私にはどうもアスぺの匂いも感じます)ドストエフスキーが書いた、「カラマーゾフの兄弟」とか、どうだろうと思いました。
あれには強烈なキャラが沢山出てくるし、人間の業というものが全面に出てくるのでアスぺも定型も我が身に置換えて読めるのではないかと思ったり・・・。

うーん・・・もっと具体的な対策があればいいんだろうけど・・・思いつかない・・・。

相変わらずまとまりのない文章になってしまいました・・・。

追記:

「おいで&ぎゅー」の提案に不快感を示した、というところと「スキンシップやサプライズは好きです」が繋がらないで???と、混乱を招くかもしれないので、追記します。

私の場合は感覚過敏がないのでスキンシップは好きです。普通の状況では「苦痛の中ボランティア精神をもってスキンシップする」にはなりません。

ただ、相手との関係が最悪の時に「スキンシップが効果的である」「積極的にありがとうと言う」「優先的に相手のことを考える」「プレゼントや旅行に連れていってみる」「感謝の言葉を言う」等の心理学の本を読み、抵抗感なくやったのですが、(自覚はありませんが)タイミング的に、ぎこちなくそういうマニュアルを実行してしまった結果、「心がこもってない」になってしまったという感じです。

するりさん、あるASさんへ

ひとつ質問ですが・・・
玄さんのご質問に、ハルコさんが応えられました。
それを見て「なんという稚拙な内容だろう」とか「なんだコレは」と愕然としたり、不快に感じたとして・・「この定型の人はこの段階の理解度なのだな。でも一生懸命7コも考えて提案している」とは、感じられないですか?

人は、自分なりに真面目に考えた内容に対して唐突に「「これか(この程度か・・という意味だと思いますが)」とか「いつも上から目線」と言われると、まずショックを受けると思うんですね。
それは、定型もASも同じだと思います。

自分が感じたショックは大きく、人に感じさせたショックには無頓着。
こと、定型とASの人の間には、このことが「お互いの前提を知らないがゆえ」多発していると思います。

自分の言動のどこが、そんなに相手を怒らせたり傷つけたのか解らないままに、断定で非難されることのつらさや悲しさは定型もASも同じだと思うのです。

私は、自分の無自覚な発言で複数のASの人を怒らせ「あなたのせいで二次障害がおきた」「あなたのような酷い人も居るのだ」とコメントされた時・・「こういう驚きと混乱と孤独と悲しい気持ちを抱えて立ちすくんでいるのだな、実生活でのASの人は」と・・その場での少数派でありフォロー無しの厳しさを「これがASの人のニチジョウなのか?」と置き換えることで耐えました。

定型もASも「自分の発言のどこが、そんなに不快なのですか?」と聞くまえに反論に出てしまうのは、相手の批判の激しさにに「巻き込まれている」からだと思います。

巻き込んでいる人は、自分の強い表現が相手の感情に火をつけたことに気がつかず、つまり相手を巻き込んでいるという自覚が無い。

他者のコメントに「ここはいけないが、この部分は良い」という両方探しをすれば。読むときに少しは冷静になれる・・・ということはないでしょうか。

トマトさんのコメントへ↓

>それを見て「なんという稚拙な内容だろう」とか「なんだコレは」と愕然としたり、不快に感じたとして・・「この定型の人はこの段階の理解度なのだな。でも一生懸命7コも考えて提案している」とは、感じられないですか?

それができないからASなんでしょうねw
サリーとアンの課題のクリアが遅いわけですから。

それよりむしろ気になるのは、「稚拙」「ヒステリック」などと激しい表現をする点。
それから「(文字にそう書いていないのに)生きる資格がないと言われた」とまるで「行間を読む」ような解釈をしている点ですね。

教科書的に、ASは行間を読まない、感情より論理的である、とされます。ですので、これらの発言はASらしくない。むしろ定型的とさえ呼べるかもしれない。
これらの方々の自閉度は高くないのでは?と疑いすら湧きますね。軽度〜境界域ASあるいは帰国子女としての文化摩擦は背景にあるでしょう。しかし、それによる二次障害の方が大きい印象です。そして自分のトラウマの原因を全てASのせいにして、自らよりASらしく振舞おうとする。

定型vsASという括りが問題の中心ではない可能性を考慮すべきだと思います。
でないと血液型論争とレベルが変わりません。

トマトさん、

ハルコさんがこの掲示板に初めて書き込みをした人なら一生懸命頑張ったなと思うかも。

今までのハルコさんの書き込みから得た情報。
数年来の付き合いの友人がいる。そしてその友人との付き合いにおいて疑問に感じることがありASではないかと疑っている。

いつの時点で友人をASではないかと考え出したのかは不明だが、去年から書き込んでいるので少なくともAS知識歴は1年くらいではないだろうか。

ASに関して調べるとだいだいのサイトでその特徴が書かれている。

「空気を読めない」
「スキンシップが苦手」

これらの特徴はその代表的なものである。友人をASと疑ったからには何かしらで調べていると思うし、この特徴は知っていると思う。

しかし以前掲示板で空気を読む必要性をずいぶんと語っていた。トマトさんがいうところの場外乱闘だ。ASは空気を読めないんだからと開き直るつもりはないしこちらも努力が必要だが、ハルコさんは完全に「読めない」と「読まない」を取り違えているようだった。
スキンシップについてもしかり。あの箇条書きが「苦手」、「できない」人に対してもっと捻りのアドバイスであったなら稚拙とは言わない。あのアドバイスは単なる恋愛ベタな人に対してのものだ。

ハルコさんに「上から目線」を最初に指摘したのは玄さんだったと思うが。

この掲示板でハルコさんはずいぶんとASから反論されている。この掲示板を去って行った人たちにもだ。トマトさんもかなり責められる時があるが、こちらの意見を受け入れてくれる時もある。ハルコさんにはそれがない。歩み寄りなく持論を展開するのでASの反感を買い易いのだと思う。

自分なりに考えてトマトさんに「負の連鎖」を止める手助けを依頼したが、自分が考えた方法はやんわりと断られたと思う。そこで終わりと思っていたがトマトさんがこだわることでハルコさんが何も書き込みをしていないのに負の連鎖が続いてしまっている。この件についてはこれで終わりにしたい。今後はトマトの言うとおり「この段階の理解度なのだな。」と思うようにするのでそれで勘弁してもらいたい。


するりさん、

するりさんも同じことをかんがえていたとは。うまくいかなくて残念だ。

ドストエフスキーは重いな・・・。

トマトさん、

最後の方で呼び捨てになってしまい申し訳ない。

トマト様へ 

それぞれに理解度の差があるのは分かりますし、頑張って1から7まで書いたその努力は認めてほしいというのは分かりますよ。
でも、今回はタイミングが悪かった。しょうさんのアドバイスを受けた上での、玄さんの魂の揺さ振られるような告白。私は前にも書きましたように、同じASだからと言って必ずしも感覚が分かるわけではないんです(その人への好意とか反感とかとは別次元の話です)だから、多分、全てにおいて共感と言うより「ああ、この人も少数派ゆえの苦難の道を歩んできたんだ」というざっくりしたレベルでしかないかも知れませんが、かなり心を痛めたんですよね。そんな時、「1から7まで、これをやったら効果ありですよ♪」と流れをぶったぎって来られたら、「空気読めよ!!」と普段AS側が耳タコできるくらい言われている言葉を言いたくなった。 
多分タイミングとして、「妻によく寂しいと言われます」の時にしょうさんより前に、「じゃあこういう1から7の方法はどうでしょう」と来てたら、心の中で「なんじゃこりゃ」とは思ったでしょうが、せいぜいそれ止まりで終わって、一生ROM専だった自信があります。フラッシュバックも来なかったかも(これは完全にハルコさんに責任はないですけどね。本当に。) 
結局、AS定型関係なく、「一人の人間の心からの苦悩」を真剣に捕らえず簡単にスルーしてしまわれたところが私には理解出来なかった。 

まあ、そうは言っても私たちももう少し上手くやればよかったとは思いますが。

書きこんだ後にあるASさんの書き込みを読みました。私も同感です。肝心の本人が不在だし、もうそろそろお開きかなと思います。 タイミングはお任せしますが。

なんとなく解ったような。
「骨身を削る魂の告白」「魂を揺さぶられるような告白」と、するりさんは魂という言葉を繰り返し使っていらっしゃいます。玄さんのコメントは、するりさんにとって、これほどのものであったということですね。もちろん、あるASさんにとっても「告白」という重さのものであったのでしょう。

私は、懇切丁寧な「説明」という印象で読んでおりました。

「告白を受ける」と「説明を受ける」とでは、全く違う受け取り方になりますね。

よく、ASの人の一生懸命をスルーする定型・・・というコメントをこちらでもよそでも見ますが、反応部分の力点が違うことも原因のひとつと解りました。
長々とお応え下さり、ありがとうございました。

土宮の研究録を置いておく

寂しさとは他人に認められたい(共感を得たい、「他人の反応によって」自分の存在意義を得たい)という感情を元に産まれる繋がりを求める欲求

大事とは優先順位が高くその人における心のウエイトの大部分をしめる事柄

心配とは他者に対する心配りの様

アスペルガーと呼ばれる人たちが
過去に負った心の傷、心の奥底に抑圧して
その感情を感じなくならなければある意味
生きることさえ困難なほど辛い、人から共感を
受けることができない痛みを定型と呼ばれる
あなたは想像することができるだろうかと
僕は疑問を問いかける

断っておくが批難ではないことに注意されたし
感情の無い疑問、それだけ。

あくまで僕の視点から見える世界を綴ったが
きっと共感はされないだろうという諦めの心地で

参考見解となれば幸い

たぶんアスペルガー側の人間の土宮の駄文に
お目通し感謝する

土宮さん

 研究録、ありがとうございます。

 定型の私から見て、いくつか思ったことをご参考までに。

『寂しさとは他人に認められたい(共感を得たい、「他人の反応によって」自分の存在意義を得たい)という感情を元に産まれる繋がりを求める欲求』

 その欲求というより、欲求が満たされないときに感じる感情だと思います。それから寂しさにはもう少し単純に「誰かと一緒にいたいのに、自分一人しかいなくて心細い」という場合にも感じると思います。

『アスペルガーと呼ばれる人たちが過去に負った心の傷、心の奥底に抑圧してその感情を感じなくならなければある意味生きることさえ困難なほど辛い、人から共感を受けることができない痛みを定型と呼ばれるあなたは想像することができるだろうかと僕は疑問を問いかける』

 多分同じことを私はパートナーから問われ続けてきたのかなと思います。表現は違うにしても。それで、私について言えば、以前に比べればほんの少しずつ想像が働くようになってきました。この間もあることについての彼女の感じ方について「こういうことなんだよね」と聞いてみたことがありますが、そんなに外れてはいないようでした。でも、まだまだ一部だけで分からないことの方が多いのだとは思っています。

 『あくまで僕の視点から見える世界を綴ったがきっと共感はされないだろうという諦めの心地で』

 「心の奥底に抑圧してその感情を感じなくならなければある意味生きることさえ困難なほど辛い、人から共感を受けることができない痛み」と書かれたことについては、私のパートナーの生い立ちなどを考え、また彼女が繰り返し語ってくれることを思い起こし、私も痛みを感じます。それを共感と呼んでも良いのでしたら、私は共感していると思います。
 

寂しさがないのは相手が自分の方に気持ちが向いていることがわかっている、相手を信頼しているからだと思います。
しかし旦那が不倫したとか他に好きな人ができた、旦那の気持ちが自分から離れていった、死別したなどの大きな出来事があると「寂しい」と感じるのだと思います。

うるさい旦那とかアスペを悪者にするような旦那や妻だと(どちらが悪いかはともかく)「亭主元気で留守がいい」と言う場合もあると思います。

パンダさんの場合は前者だと思います。奥さまから信頼されているのだと思います。

サロマさん

 ここにこういうことを書いていたことはすっかり忘れていました。
 そんなこともあって、そんなことを考えていたんだなと
 ちょっと不思議な感じもしたりします。

 信頼されているのならいいのですが(笑)

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