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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2013年3月23日 (土)

地雷

 定型とアスペのコミュニケーションの中で、お互いに相手の「地雷」を踏む、ということがよくあります。この「地雷」という言い方、よくできた例えだなと思うのですが、それがどこにあるのかは普通見えません。「ここから先は地雷原だ」という注意をされていたとしても、なにしろどこに埋まっているのか見えないのだから、できることはせいぜい先に歩いている人の足跡を忠実にたどっていくくらいで、それだって少しでもずれてしまえばとたんに「爆発」の可能性があるわけです。

 でも不思議なことに、定型の地雷は他の定型からは大体は見えるんですね。もちろんときどき見損なって大けがをすることがありますが、普通は見えているのでちゃんと避けながらすたすたと歩いていける。そしてどうもアスペの方同士も、お互いの地雷はよく見えているように感じられます。それなのに、定型はアスペの地雷を見ることができず、アスペは定型の地雷を見ることができない。

 このブログを訪れて下さる方の多くは、多分そういう自分には見えない地雷を何度も何度も踏んで、ぼろぼろに傷ついた体験を持っていらっしゃる方、あるいは現在も日常生活の中で踏み続け、傷つき続けていらっしゃる方なんだろうと想像します。そうやって傷つきながらも、なお「なんとか相手の人の地雷を見えるようになって、お互いに幸せな関係を作ることができないか」と一生懸命に考えていらっしゃる方たちが多いのでしょう。

 そこに地雷原があることは重々理解しながら、なおそれでも勇気を振り絞って一歩を踏み出す。慎重に慎重に踏み出したつもりでも、でもやっぱり踏んでしまうんですね。「え?まさかここに地雷があるとは……」と呆然としながら、再び傷つくことになります。

 ただし、本物の地雷と違うのは、踏んだ方が激しく傷つくのは同じとしても、地雷を踏まれた方もとても傷ついていると言うことでしょうか。多分この地雷を爆発させる火薬のエネルギー源は、傷口を踏まれた事による激痛なのではないかと思ったりします。

 今、私とパートナーがやっていることは、地雷の例えで言えば、お互いに中々見えにくい地雷を相手が踏みそうになると「ここに地雷があるよ」と教え合うことなのかもしれません。そして不幸にして地雷をすでに踏んでしまった場合には(実際に本物の地雷を踏んだときにそうするように)、「今踏んだよ。動かないで!」と注意して、足と地雷の間にそっと別の物を滑り込ませて、地雷のボタンが足を上げたときに跳ね上がって爆発しないように慎重に対応して、たとえ爆発しても怪我が最小限で済むようにする。そんなことなのかもしれません。

 玄さんも時々私の書いた記事などについて、そういう「注意」をして下さいますが、とても有り難いことだと思います。

 そんな風に考えてみると、アスペと定型のコミュニケーションということを考える時にとても大事なことの一つは、「そこに地雷があるよ」ということを説明し合うことなのかも知れません。ただしむつかしいのは「そこ」といって指さして分かるものではなく、一生懸命説明した積もりでも、それ自体がお互いに伝わりにくいという問題があることです。だから説明の仕方を工夫することがとても大事になる。

 それからもうひとつ大事だなと思えることは、地雷にできるだけ細工をして「踏んで足を離したらすぐに爆発」とならずに、爆発までに少し時間がかかるように工夫をし、また歩く方もバタバタと歩くのではなくて、ゆっくり足を離して、相手の人が「今地雷を踏んだよ」と注意できる時間を確保することかも知れません。

 理想はやっぱり相手の地雷が目に見えるようになることです。これは全然不可能なことではなくて、経験によって少しずつですが、有りそうな場所がわかってきたり、場合によっては見える地雷も出てきたりすると思います。もちろん完全に見えることは不可能に近いと思うのですが、それでもお互いの被害を最小限にする努力には意味があると思えます。

 地雷の仕組みを理解することもできればいいですね。上に書いたように多分地雷はその人の深い「傷」に関係しているように思えるのですが、何がどう傷になっているのかを理解できれば、それは地雷が見え始めることにもつながるでしょう。

 一番確実な方法は地雷原から離れることですが、なんらかの理由で地雷原から離れることは無理だったり、あるいは地雷原があってもその地域に別の魅力もあって、そこを離れたくない場合もあるでしょう。そうなら地雷を踏まない工夫、そして例え踏んでもその爆発力を小さくする工夫を積み重ねることが大事になると思います。

 ほんとに手探り足探りの世界ですけど、大勢の人でやれば、少しずつでも見えてくるものがあると思います。

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コメント

地雷のある場所の説明、何だか「私のトリセツ」に似ていますね。
あれは今どうなっているんでしょうか。普及しているんでしょうか?

踏んでしまった場合、既に感情のスイッチは入っているわけですから、後は「慣れ」と「大人の人格」ですね。
つまり如何に怒りを堪えて冷静な対応ができるか、ということ。
これは個人の経験、資質によるところが大ですな。
普遍的に使えるとは思えません。

やはり自分は悲観的です。
結論:
違うもの同士のコミュニケーションで摩擦をなくすことは無理。解決策は無い。

定型:
ASを理解しているつもりでも、寂しさを我慢できなくなり、相手に心(非言語コミュニケーション)の同調を求めずにはいられなくなる。
AS:
定型に合わせた演技が苦痛で長続きしない。また、演技が下手なため逆効果になることが多い。

解決:
あるとすれば昭和の大家族制を復活させ、ASはその中のユニークな一員として生きるという道が考えられる。
家族が解体し、ニンゲンが個に分解された現在において、ASと定型が一対一で直接向かい合って生きるのはほぼ不可能。

名無しさん

 これはうちのカップルの場合ですが、以前に比べて地雷の破壊力がかなり小さくなってきているように感じます。多分完全になくなることはないと思いますし、これからも稀には強力地雷が爆発する可能性もありますが、やっぱり以前とは違ってきているのは確かです。

 あと、もしよろしければ東山カレン・伸夫夫妻の「アスペルガーと定型を共に生きる」等をご覧になって下さると、私たちなどよりよほど根本的に関係が変わられた事例に触れられると思います。もちろんカレンさんに依れば今でも地雷の爆発が全くなくなったわけではないようですが、考えてみればこれは定型同士のカップルでも多かれ少なかれありますよね。

 もちろん、名無しさんが仰るように、そういうことがどの程度普遍的に可能なのかはなんとも分かりません。それぞれのカップルが抱える事情や個性は千差万別ですから、名無しさんはそれが不可能に思える状況を生きていらっしゃるのでしょうし、そうであれば、そうお感じになることはある意味で当然のことなのでしょうね。

 とはいえ、私にとっては全く闇のような状態から、ほんとにちょっとずつですがズレを「遊ぶ」みたいなこともする状態へと実際に変化した、ということはやはり大きいことで、今はその可能性がどこまで広がりうるのか、焦らずに考えていきたいです。もちろん可能性としては「やっぱりここが限界か」という場合だってあるんでしょうけれど、まあ少なくともそこまでは見ていきたいですね。

こんにちは。
僕は「地雷」という表現はあんまり好きじゃないので、まずその理由を書きます。確かに「地雷を踏んだ」かのような予想をしない爆発に見舞われる事はあります。
ここでの「地雷」は、「日頃から心を配っていること」を誰かに「踏みにじられたと感じた」時に感じる、急激な怒りの反応を指していると思います。他愛もないと思われるかもしれませんが、僕はこの「地雷」という単語に「尊重されるべき」という意味合いが含まれていないことが気がかりなのです。
ASに対して地雷が「どこに埋まっているか分かったもんじゃない」「爆発したら手を付けられない」というスタンスでビクビクとしか付き合ってもらえないのだとしたら残念です。ですので「ASの地雷に気をつけろ」というイメージの流布は避けたいのです。(パンダさんはそんなつもりは無いと思います。僕の、言葉の受け止め方の問題に過ぎません)

「定型がASの地雷を踏む」状況は、定型がASの大切にしているルールを破壊することがある、というのが大方の類型と思います。
僕の意見としては、AS側のいわゆる「地雷」は、人格によるものでなく可塑性のある「ルール」部分だと思うのです。僕は「ルールは成長する」ものと捉えています。自分のルールには柔軟性があると信じ、多少踏みつけられても持ちこたえるしなやかさを備え、簡単には壊れないようにバージョンアップさせていきたいと願っています。(固定した習慣を変えるのは、大変ではありますが)

一方、「ASが定型の地雷を踏む」は、ASが定型の方の大切にしている「他人の気持ちを推しはかる姿勢」を無視した言動をとった、という状況が多そうです。定型側の「地雷」を踏んでしまうのは、自分の反省によると「尊重」を欠いてしまった結果であることが多いようです。表情、態度、言葉の選び方、行動の優先順位、、、等々を定型の方は大切にしていて、ASはしばしばそれらが(無意識に)抜ける。さらにフォローがヘタ。。。大目に見てもらえるか、いつも綱渡りです。

玄さん

 『ASに対して地雷が「どこに埋まっているか分かったもんじゃない」「爆発したら手を付けられない」というスタンスでビクビクとしか付き合ってもらえないのだとしたら残念です。』

 なるほど。もちろん「ASの方にとって定型がそうなる」ということとセットでの話ですけれど、それはお互いに不幸ですよね。

 『僕はこの「地雷」という単語に「尊重されるべき」という意味合いが含まれていないことが気がかりなのです。』

 これはとても大事な問題だと思いました。その意味では「地雷」というよりも、大事にしているその人の「宝物」のほうが表現としてはいいのかもしれないですね。それが宝物であることを知らずに相手が踏みつけてこわしてしまうような場合がある、という感じで。

玄さんのコメントへ↓

>ASに対して地雷が「どこに埋まっているか分かったもんじゃない」「爆発したら手を付けられない」というスタンスでビクビクとしか付き合ってもらえないのだとしたら残念です。

ASに地雷なんてあるんですか。
こだわりを邪魔された時、知らずに場の空気をぶち壊し続けていていきなり怒られた時、くらいしか思いつきません。
逆ならたくさんありそうですが。

前々回の記事はASゆえというよりは、いろんな原因によって出来たトラウマがASにかこつけて爆発しただけのような印象を受けますが。

地道ですが…「ホウレンソウ」「対話」「家族会議」…呼び名はなんでもいいですが、出来たら普段から穏やかな雰囲気の中で沢山喋って、意見がズレたら「今、どこが嫌って思った?」「じゃ、こうしようか」ということを沢山やればいいと思います。今は多少面倒でも、ここを怠ると将来確実に困るだけだから絶対やるべきです。 
相手の警戒を解いてリラックス状態にさせること…「自分は味方だよ」と分からせることが一番大切です。何しろASは「感覚的味方」の絶対数が少ないので、常に不安。たとえどれだけ好きな相手や友人にも警戒心を解くことが出来ない場合があるので。リラックスさせれば、地雷を踏む回数が減るだけでなく地雷を踏んだ後のアフターケアがスムーズになると思います。 
ちなみに、私は肩凝りがすごいです。私に限らずASの人の肩凝りは有名らしいです。どこに地雷があるかが把握出来ないから常に気が張って、体も力が入っているからかも知れませんね。

玄さんのコメントへ↓

>僕は「ルールは成長する」ものと捉えています。自分のルールには柔軟性があると信じ、多少踏みつけられても持ちこたえるしなやかさを備え、簡単には壊れないようにバージョンアップさせていきたいと願っています。(固定した習慣を変えるのは、大変ではありますが)

どうも主旨を読み誤っていたようです。こちらが主旨ですね。
要するにこだわりを「柔軟にする」ことを目論んでおられるようですが、そんなことできますかね?
年取ってもストレスたまると途端に自分の殻に閉じこもりますよ。家族とか関係ないです。人との接触がうざくなります。これはASの症状じゃないんですかね。

するりさんのコメントへ↓

>相手の警戒を解いてリラックス状態にさせること…「自分は味方だよ」と分からせることが一番大切です。

定型でも全く同じですな。
これが実行できたら世界中で争いがなくなるんじゃないでしょうかww

名無しさん、おはようございます。コメント有難うございます。
名無しさんASDなのか定型の方なのか、分からなかったのでお返事を控えていました。内情をぶっちゃけるのは好い事ばかりでは無いようですし。(^^;)
「ASに地雷なんてあるんですか」について。地雷なんてありません。人と人の間に諍いが起きた時、「地雷を踏んだ」という感想を持つ人がいる、というだけのことです。僕は「諍いを『地雷』という認識するよりももっと前向きに捉えることができませんか?」という提起をしたのであって、(僕が望ましくないと指摘している)仮定のシチュエーションについて、「そんなことあるんですか?」と言われても。
それと、「トラウマ」は爆発しません。僕の知る限りでは。

「こだわりを柔軟にする」という目論みが主旨とのご指摘、アタリです。
僕のチャレンジです。このためには、変えられるものと変えられないものの「見極め」が重要となります。
ASが自分で状況を変えたいと切望したなら、自分ルールの見直しは、手をつけやすいはずです。(他人から言われる事ではありません)
ASであれば(好みや諦めている事を含めれば)必ずと言っていいほど「自分ルール」でがんじがらめのはずです。自分は、自分ルールのマスターなのかスレイブなのか。見直す価値はあると思います。
もちろん、体質が困難のボトルネックになっていることはあり、この部分の修正は難しいでしょう。

玄さんのコメントへ↓

>ASが自分で状況を変えたいと切望したなら、自分ルールの見直しは、手をつけやすいはずです。
>ASであれば(好みや諦めている事を含めれば)必ずと言っていいほど「自分ルール」でがんじがらめのはずです。自分は、自分ルールのマスターなのかスレイブなのか。見直す価値はあると思います。


理解しました。ありがとうございました。

玄さんへ

すみません、話が地雷のお話とずれるのですが、玄さんのご意見をうかがいたいことがあります。
沖縄のやんばる先生のホームページで拝見したのですが、ASの方には愛着を持つ対象の人間がいると言うことについてです。

私はASではないと思います。
ASの方にはやんばる先生の言われるような愛着を持つ対象になる人がいると思いますか?
玄さんのご意見を教えて下さい。よろしくお願いします。

他の方もよろしかったらお願いします。

風鈴さん、はじめまして。ご指名有難うございます。(^^)/
やんばる後藤先生のサイトはすごく細かく観察分析されていて、勉強になります。「ASは庇護を求める」などは、深層心理を暴かれた驚きがありました。見事な表現をされる方と思います。ただ、同サイトのASの解説に出てくる「愛着」は愛という文字のウェットさが自分の感覚と一致してこないので、何のことを指しているのか分からないのです。(やんばる後藤先生の「愛着」の意味・使い方と、僕の持っている「愛着」の意味がマッチしていないだけですが)

モノに対する愛着とかなら、分かりますが。
他のASの方はいかがでしょうか。

玄さんありがとうございます(*^_^*)

初めまして!申し遅れてすみませんでした (^。^;)  


こちらはいつも玄さんのコメントを読ませて頂いているので、ついつい既知の方のような気持ちになっていたようです。
ごめんなさい。

いつも玄さんのコメントで救われています。
愛着のこと教えて下さいましてありがとうございます。

たくさんたくさん教えて欲しいことがあるのに、上手く文章にできません。
残念で仕方ありません。

これからもASDの方の内面のことを教えて下さいね。
ほとんど未知の世界なので助かっています。

風鈴さん、こんにちは。

私は、定型女性ですが、友人や知人のASの人を見て感じることは、母親や恋愛対象の異性など、愛着の対象は存在するように感じます。

ただ、それがこちらの概念や定義の「愛着」なのか・・・固執や執着や依存にも見えるし、当事者の人も「この感情が何なのかつかめない」という人は多いのではないでしょうか?

トマトさん、初めまして。

コメントありがとうございます。
愛着の対象があるような感じなのですね。

恋愛の対象の異性にも愛着を持つことがあるのですか?
他人にあまり興味がないような感じのASの人が、例え執着や固執であっても愛着を持つことは安心しました。

ある人があるASの方の愛着の対象になっているのは、どんな感じでトマトさんにはわかるのですか?
良かったら教えて下さいますか?

書き込みに慣れていないので、失礼なことを聞いていたらすみません。

風鈴さんへ 

はじめまして。するりと申します。
私のやんばる先生に対するスタンスとして…やんばる先生のホームページは前に読んだことがありますが…この方のホームページって発達障害とかアスペルガーで検索したりするとすぐにヒットしちゃう分、多くの方に読まれる可能性があるわけですが、まだまだ未知数のことや推測の域を出ないことを結構断定的な口調で「精神科医」という権威が書いてしまっているのですが、一番の危険性は診断間もない、まだこの診断を本当には受け入れきれていないASの当事者が(ただでさえそういう特性があるのに)あれを正面から真に受けてしまい、落ち込んで二次障害起こしてあの先生の病院の患者さんになりかねないことかな、と思って胃が痛くなったことがあります。どうかこの点は、定型の皆さんも気をつけて欲しいと思います。あのホームページに限らず、お子さんやパートナーが診断を受けられたり、疑惑を感じられたりして弱った精神状態でああいう医者等の専門家が断定口調で書いてあるものを見ると、その視点でしかものが見れなくなります。それは強固なもので、修正が効きにくくなります。  
さて、くどくど書いてしまいましたが、愛着の対象…物もありますが、私は家族ですかね。 
私なりに一生懸命愛しているので、もしこれが定型の側の学術理論によって執着、固執等だって分類されたら…ちょっと…いや、かなり悲しくやるせない気持ちになるでしょうねぇ。

するりさんありがとうございます。 

ご家族の方に愛着を持たれているとのことですね。
教えて下さいまして、ありがとうございます。

執着でも愛着でも依存でも、ASの方が特定の人に対して特別に大切であるとか、失いたくないなどの感情があることがわかりました。  

一生懸命にご家族の方を愛しているするりさんは、素敵な方だと思いました。
 


風鈴さんへ

私の友人のAS男性は、私の高校時代からの友達A子さんに恋をして、毎日「会いたい」とメールしていたし「心から好きだ」と断言し続けていたし、A子さんがその男性の体調を心配して「お酒を禁酒しないと会わない」と言ったら、その日からキッパリと断酒に成功したほどです。

ただ、定型の恋愛概念には「好きな相手には強い興味を抱く」がありますが、ASの人には「好きという感情と相手への興味関心とは違う」があるらしく、AS友人はA子さんがする話題には無関心というか・・・ほとんど記憶しませんでした。
A子さんは、とりとめのない世間話が好きなタイプでしたから。
「好きだ、会いたい」という強い気持ちと「会ってもそのときした話しをほとんど覚えていない」というギャップが、女性に「本当に好きなら会話もそのときの服装も覚えているはずなのに」という不信感を抱かせていました。

A子さんは彼に、楽しかったおしゃべりの内容や自分の伝えた気持ちや感情を覚えていて欲しかった。だけど彼は、そういうものは記憶せず、A子さんの歯磨きや風邪薬の銘柄を記憶していました。
そういう意味で、ASの人の好意というものが、定型にうまく伝わりにくいという事は多いような。

トマトさんありがとうございます。

嬉しい情報です。
私も偏りはあると思いますが、パンダさんやトマトさんのお話やお気持ちは理解できますし、そうそうと自然に思うから、多分定型だと思います…(^。^;

すみませんが、話が変わってしまいますが、トマトさん教えて下さいますか_(._.)_
以前はトマトさんにメールを送れるようにされていたと記憶しています。
今はメールはパンダさん経由ならば送れるのでしょうか?

風鈴さんへ

任意でメールアドレスを記載していますので、パンダさんは御存知だと思います。
私は、風鈴さんとメールでやりとりすることは問題ありません。

トマトさんありがとうございます<(_ _)>

トマトさんのコメントを読むまでとてもハラハラして怖かったです。
優しいお言葉ありがとうございます<(_ _)>

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