二次障害が生まれる環境
中島美嘉の歌に「雪の華」というのがありますよね。(作詞Satomi作曲松本良喜)
のびたかげを歩道に並べ
のびたかげを歩道に並べ
夕闇の中を君と歩いてる
手をつないでいつまでもずっと
そばにいれたなら泣けちゃうくらい。
うーん、なんて定型的な!と思いませんか?
今年、最初の雪の華を
うーん、なんて定型的な!と思いませんか?
今年、最初の雪の華を
2人寄り添って
眺めているこの時間に
幸せがあふれ出す
甘えとか弱さじゃない
ただ、君を愛している
心からそう思った。
幸せだけじゃなくて、歌詞に定型もあふれ出してる (^ ^;)ゞ
話は突然変わりますが、昨日、パートナーが見るというのでETV特集の「人とうまくつきあえない~いじめ・虐待と自閉症スペクトラム」というのを見ました。
この場でも前にコメントや掲示板で語られていた「見えている世界、聞こえている世界、感じている世界」自体がアスペと定型ではずれているという話も、脳のどの部分がよく働いているか等の実験で見せてくれてました。そんななじみの話もいろいろ出てくる中で、特に強調されていたことの一つが、今大人のアスペの方たちが鬱やフラッシュバックなどいろいろな症状に苦しんでいらっしゃることの大きな理由が、定型とは違った特性を持っていることにお互いに気がつかずに、虐めや虐待などのシビアな環境にさらされ続けたことだ、ということでした。いわゆる二次障害というものですね。
滋賀県(?かな)では1歳半乳児検診で自閉症スペクトラムの可能性のある子をチェックすることを始めているということですが、15%の子が可能性ありで引っかかってくるそうです。まあ、いくらなんでも15%は多すぎと思いますけどね。この年齢だと個人差も大きいから、のんびりの子も沢山引っかかっているんでしょう。いずれにせよ、親が望めばそれから保健所が成人になるまでずっとフォローしてくれるという形になってるらしいです。
1200例くらいの自閉症スペクトラムの親子を診てきた杉山登志郎というお医者さんの話とかでは、子どもの頃にシビアな環境を調節してあげることができれば、大人になってからもずいぶんと違うということで、今まで精神病として問題になったケースの多くに、実は自閉症スペクトラムの背景があったのではないかと考えていました。だから、これから精神病についての考え方もかなり根本から変わって行かざるを得ないだろうと言っていました。
全体としては「早期発見・早期対応」が大事だし、効果がある、という感じの番組になっていました。
そのことについては、あまり極端に「早期発見・早期対応」ということを強調しすぎてかえってストレスが大きくなって悪い結果を生む、ということがなければ、私も意味のあることだと思います。ただ、もうひとつ気になったのは、今どうしてそんなに自閉症スペクトラムの子どもにとってシビアな環境が多いんだろうか、ということでした。
アスペという特徴を持った子どもが産まれてくる割合というのは、多分昔からそんなに変わらないはずです。でもアスペということが世界的に問題になったのはせいぜいこの30年位のことですよね。「発見」ということでもまあ70年くらいのもの。それまでだって「アスペ」も「定型」もずっといたはずなんです。実際歴史物とか読んでると、「あ、この人アスペだったんじゃない?」と思える人もぼちぼち出てきたりしますし。
ということは、昔もアスペと定型のズレはあったんだけど、少なくとも今ほどには問題にならなかったり、ほどほどに折り合いを付ける世の中になっていたんじゃないでしょうか。それが世の中の仕組みとかいろいろ変わってきたことで、だんだん折り合いがつかなくなってきて、多数派の定型の世界からアスペの方がはみ出してしまう環境が作られてきた。その結果、ズレが目に見えて目立ってきて、虐めや虐待の原因にもなってきた。そうすると、それまではまあ適当にうまく育ったから大人になってもそれなりに「ちょっと変わってる」と言われるくらいですんでいたものが、今は「二次障害」にまで追い込まれちゃって、それで済まなくなっちゃっている。
そんなことがあるんじゃないかなと思いました。
幸せだけじゃなくて、歌詞に定型もあふれ出してる (^ ^;)ゞ
話は突然変わりますが、昨日、パートナーが見るというのでETV特集の「人とうまくつきあえない~いじめ・虐待と自閉症スペクトラム」というのを見ました。
この場でも前にコメントや掲示板で語られていた「見えている世界、聞こえている世界、感じている世界」自体がアスペと定型ではずれているという話も、脳のどの部分がよく働いているか等の実験で見せてくれてました。そんななじみの話もいろいろ出てくる中で、特に強調されていたことの一つが、今大人のアスペの方たちが鬱やフラッシュバックなどいろいろな症状に苦しんでいらっしゃることの大きな理由が、定型とは違った特性を持っていることにお互いに気がつかずに、虐めや虐待などのシビアな環境にさらされ続けたことだ、ということでした。いわゆる二次障害というものですね。
滋賀県(?かな)では1歳半乳児検診で自閉症スペクトラムの可能性のある子をチェックすることを始めているということですが、15%の子が可能性ありで引っかかってくるそうです。まあ、いくらなんでも15%は多すぎと思いますけどね。この年齢だと個人差も大きいから、のんびりの子も沢山引っかかっているんでしょう。いずれにせよ、親が望めばそれから保健所が成人になるまでずっとフォローしてくれるという形になってるらしいです。
1200例くらいの自閉症スペクトラムの親子を診てきた杉山登志郎というお医者さんの話とかでは、子どもの頃にシビアな環境を調節してあげることができれば、大人になってからもずいぶんと違うということで、今まで精神病として問題になったケースの多くに、実は自閉症スペクトラムの背景があったのではないかと考えていました。だから、これから精神病についての考え方もかなり根本から変わって行かざるを得ないだろうと言っていました。
全体としては「早期発見・早期対応」が大事だし、効果がある、という感じの番組になっていました。
そのことについては、あまり極端に「早期発見・早期対応」ということを強調しすぎてかえってストレスが大きくなって悪い結果を生む、ということがなければ、私も意味のあることだと思います。ただ、もうひとつ気になったのは、今どうしてそんなに自閉症スペクトラムの子どもにとってシビアな環境が多いんだろうか、ということでした。
アスペという特徴を持った子どもが産まれてくる割合というのは、多分昔からそんなに変わらないはずです。でもアスペということが世界的に問題になったのはせいぜいこの30年位のことですよね。「発見」ということでもまあ70年くらいのもの。それまでだって「アスペ」も「定型」もずっといたはずなんです。実際歴史物とか読んでると、「あ、この人アスペだったんじゃない?」と思える人もぼちぼち出てきたりしますし。
ということは、昔もアスペと定型のズレはあったんだけど、少なくとも今ほどには問題にならなかったり、ほどほどに折り合いを付ける世の中になっていたんじゃないでしょうか。それが世の中の仕組みとかいろいろ変わってきたことで、だんだん折り合いがつかなくなってきて、多数派の定型の世界からアスペの方がはみ出してしまう環境が作られてきた。その結果、ズレが目に見えて目立ってきて、虐めや虐待の原因にもなってきた。そうすると、それまではまあ適当にうまく育ったから大人になってもそれなりに「ちょっと変わってる」と言われるくらいですんでいたものが、今は「二次障害」にまで追い込まれちゃって、それで済まなくなっちゃっている。
そんなことがあるんじゃないかなと思いました。
コメント
この記事へのコメントは終了しました。
◇ パンダ さま
どなたのコメントも無かったのでコメントしてみました。
>実際歴史物とか読んでると、「あ、この人アスペだったんじゃない?」と思える人もぼちぼち出てきたりしますし。
そういえば、パンダさんってブログ開設3年ですよね。
おめでとうございます。
(あまりおめでたくないかもしれませんが。)
そして、
毎日アスぺと定型について考えている内に「その専門家」のようになったのですね!
私の主治医は発達障害について関西No1レベルらしくて、
「一目見れば分かる!」(ほんとうかなぁ(笑))と仰っていました。
パンダさんにも近しいものがあるのだと思いましたっ~☆彡
投稿: アスペルガール | 2013年12月28日 (土) 16時19分
アスペルガールさん
> おめでとうございます。
どうもありがとうございます。牛歩の歩みですが、なんとなく自分では一寸ずつ前進してるかな、という感じもあります。そのパンダの牛歩(笑)がみなさんにもお役に立つことがあればうれしいですね。自分の苦労や努力にちょっとは意味があるように思えて、報われる感じになりますから。(これって定型的なんでしょうか???)
> 毎日アスぺと定型について考えている内に「その専門家」のようになったのですね!
「アスペルガーと定型を共に生きる」の中でも少し書いてみましたが、私の場合、いわゆる専門的な知識があるとか、そういう話ではないので、そういう意味では「専門家」ではない素人なのですが、定型アスペ問題の当事者の一人として、自分の経験を足場に考えられる、という意味では、それがない方に比べれば「素人当事者としての専門家」みたいなことにはなるのかなと思います。(そう言えば、昔、さかなやさんがそのことについての私のコメントを誤解されていたみたいでしたけど、ちょっとわかりにくい考え方なのかもしれません)
あと、私が足場として直接考えられる体験は、ほんとにパートナーとの経験とか、すごく限られたものに過ぎないわけですが、でもみなさんからコメントを頂いて、自分が経験したことの意味がもっとよく分かるようになってきていると感じます。そんな風にみなさんと積み重ねてきたものは、ある意味で「<当事者たち>の専門的な見方」になるのかもしれませんね。
なんにしても定型アスペ問題には当事者にしか分からないし、当事者にしか解決できないこともあるんだと思います。脳の研究とか、そういうことは専門家の方に頑張っていただいて、私たちは当事者として「どうやってお互いの関係を理解し、調整して、生きやすく、そしてできればもっと豊かになっていけるのか」ということを模索できればなあと思います。
投稿: パンダ | 2013年12月30日 (月) 17時02分
>自分の苦労や努力にちょっとは意味があるように思えて、報われる感じになりますから。(これって定型的なんでしょうか???)
いえいえ、私も自分の小さな経験が何かのお役に立てるのは嬉しです。
>そういう話ではないので、そういう意味では「専門家」ではない素人なのですが、定型アスペ問題の当事者の一人として、自分の経験を足場に考えられる、という意味では・・・
はい、存じ上げております。
歩み寄りという意味では同等、またはそれ以上です、ありがとうございます。
という気持ちを込めて書かせて頂きました。
ありがとうございます
投稿: アスペルガール | 2013年12月30日 (月) 20時26分