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2013年3月 9日 (土)

理解と共感の間

 

玄さんが掲示板の方にご紹介下さった記事「息子と僕のアスペルガー物語り」 が私にはものすごく面白くて勉強になりました。掲示板にも書きましたけど、こちらのブログの中でこれまで書いてきたいくつかの疑問についてもいくつも答えを見いだすことができましたし、アスペの方の世界が定型の私にもなんだかとてもわかりやすく伝わってくる感じもありました。パートナーがその話を聞いて「自分をそんな風に表現できる人はいいね」と言っていましたが、これも才能なのでしょうね。

 いや、もちろん私がアスペの方の世界を分かった感じがする、といっても、「ほんとにその通りだよな。自分と一緒だよ」ということではありません。もしそういうのを「共感」というなら、共感をしているのではありません。でも「なるほど、そういうふうに見えるのなら、そう感じたり振る舞ったりするのは当然なんだろうな」とか、いうことがある種の実感を伴って伝わってくる感じなんですね。それは「知的な理解」というのともちょっとちがって、言ってみれば「理解」と「共感」の間くらいの感じでしょうか。

 もうちょっとそこの説明を試みるとすれば、形式的に知的に「パターン」を知識として「理解する」という話ではなくて、もっと感情的なものを含むんだけど、自分が同じように感じる人間なのではない、感じ方は異なっている、ということは分かっています。ただ、もし自分が同じような見方をする人間であって、同じような状況に置かれたとしたら、自分だってそうなるだろうな、ということが感じられる、ということです。その意味で「違い」を前提にしながら「感情的にも理解する」という、「理解」と「共感」の間の感じがするわけです。「想像の範囲に入ってくる」という言い方もできるかも知れません。

 それで、それを読み終えて、今感じていることの一つは、なにか「ほっとした」ということです。このところ今までよりもアスペの方の世界について、感情を伴った理解ができる範囲が拡がってきた感じを持ったと同時に、そういう自分の理解の仕方についてパートナーとうまく共有できない感じがあったりして、結局何らかの形で理解し合えるのか、結局無理なのか、なんだかよく分かんなくて煮詰まっていた部分があるのですが、何かまたひとつ新しい可能性を見せてもらえたような気もしています。

 少し話は変わりますが、アスペということが広く取り上げられるようになり始めたのが、前にも書いたようにわずか30年ほど前からで、大人の発達障害というような形で急速に本やテレビなどで紹介されるようになったのはほんの数年のことでしょう。それは30年前からアスペが増えた、ということではなくて、「それまでさほど気にされなかったことが、今の世の中で特に問題にされるようになった」ということであるはずです。

 先日パートナーとも話をしていたんですが、この世の中に生きている人の中で、どんな世の中になっても「障害」として見られる部分を全く持たないなんていう人はないんじゃないかと思います。状況が変われば私だって○○障害とかいう名前を付けられるのかも知れないし、アスペの方が全然障害として見られなくなる状況もあり得るでしょう。昔の巫女さんなんかも今の精神医学からすれば、なんかの精神障害として診断名がつくでしょうし、ほんとに「障害」の境目とか種類とかは、結局「その世の中で一応生きて行かれる何らかの役割を果たしていくことができるか」というようなところで決められていくわけですし、だから世の中の仕組みとか技術とかが変われば「障害」の範囲も種類も変化していく。

 そう考えると、今「定型」とか「健常」とか言われている人も、それぞれにものすごく個性的だし、いろんな「問題」も抱えていたりするし、それは他の人からは「理解困難」な部分だったりもするはず。たんに今の世の中ではそんなに問題にされていないだけのことで。

 アスペの方について自分なりに少し理解が進んできたと感じたら、何故かそういうことを改めてリアルに感じるようにもなりました。だからなんなの?と言われると、よくわかりませんけど…… (^ ^;)ゞ

 

 

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