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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2013年2月12日 (火)

時間

 前から少しずつ感じていたことですが、最近特に大事だし、実際に意味があると強く感じられるようになったこと、それは「待つ」とか「時間をおく」ということです。

 私のパートナーの場合も(?)自分の行動については自分でしっかり考えて、自分なりの見通しを持って準備をして行うことが大事です。急に事態が変化したり、予定が狂ったり、新しい問題が生じたりすると、とても険しい顔つきになり、あきらかにイライラしている感じも伝わってくるし、小さな事でも怒られたり(本人は怒ってはいないと言うのですが……)、いろいろとうまく行かなくなります。

 私が原因でないときでもそうですから、ましてや私が頼まれたことを忘れていたり、何か失敗をしたりしたときなどは当然のように厳しい結果を覚悟しなければいけなくなります (^ ^;)ゞ

 でも、最近やってることでいえば、たとえば何か頼まれごとを忘れたときとか、それに気がついたらすぐにメールで伝えて謝っておくんです。そうすると、仕事から帰って顔を合わせる頃になると数時間経っていますから、全然違うんですね。イライラした感じがほんとに少なくなるし、場合によってはこちらが忘れてしまった理由を考えて、積極的に許してくれるというのか、理解してくれることもあったりします。

 先日も娘が自分のアパートの隣に住んでいる外国のお友達をうちに招待したいと言うことで、一泊していきました。パートナーはもともとお客さん(特に初めての知らない人)は苦手ですけれど、今回はいろいろ準備する時間もたっぷりあって、彼女なりに気持ちよくもてなし、お客さんもとても喜んで帰って行きました。それもあってか、その後、「○○さんは来てもらっても大丈夫だからね」などと、私が親しくて彼女も何度も接して親しんでいる人の名前を具体的に挙げて教えてくれたりもしています。

 彼女自身が納得して状況を受け入れ、それに自分から積極的に対応するにはやっぱり私なんかよりは時間が必要で、そうやって自分の納得した状態を作ることが出来れば、ずいぶん柔軟にいろいろ対応してもらえるんだなあと実感することが増えてきています。逆に言えば、これまで自分はいかにあわただしく生きてきたのか、ということなのかもしれません。そうやってあわただしく忙しく生きてくる中で、自分の中にいろんな無理がたまっていたなあと、そういうことも感じます。

 もちろん私は私の時間の使い方とか、感じ方がある訳なので、彼女にすべてを合わせることはできないし、またその必要も無いのだろうという気がします。ただ、お互いにその辺の感覚が違うということを理解した上で、時々相手の時間に合わせてみることで、自分自身についてもまた見つめ直すことができるような気がします。

 

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コメント

アスぺの人には「時間差理解」があり、その時、言葉をつくしても理解されなかったことが、ずっと後に・・時を経て何かの拍子に「そうだったのかぁ! 今、あの時のことが解ったぞぉ!」と、理解されることがあり、それは数時間後なのか数年後なのか、とにかく待つのみ。

という説を専門医に言われたことがあります。

それは定型同士にも当てはまることですが、特にアスベの人の発想は想定外のところにあることが多く、察しても想像しても、ズレてしまい、理論派のアスベの人にラッキーにも出逢えて説明してもらって数年後にやっと理解できた、ということもあろうかと思います。

それを思うと、相手のその時の言葉や気持ちの本意を、本当に理解できるのって・・・時間がかかるものだと思います。

今はわからないけれど・・・・解ろうとする気持ちはあり続ける。

コミュニケーションの一番大切なところかも知れませんね。

トマトさん

 やっぱり感じ方や考え方に違いがある人間同士ではほんとに時間が大事ですよね。アスペと定型の間でもそうですし、私の仕事の経験から言うと、違う文化の人たちとの理解も似たようなところがあります。ああそういう意味だったのか!と実感として分かるのにすごく時間がかかります。未だに「謎」というのもたくさんありますし。

 さっきEテレの「バリバラ」を見ていたら、アスペの娘さんを持つお母さんが、それまでのようにやたら怒ることを止め、娘さんにあわせた「冷静で具体的な説明」を始めて、それが娘さんにも好評で実際に効果もある、という事例を紹介していました。それはそれで素晴らしいことですが、そのお母さんは「我慢するからめっちゃストレスがたまる」ということを言っていました。

 司会者にそのストレスをどうするのか聞かれてそのお母さんは、親の会みたいなところで「こんなんやってんで」とか話をして他の人にも共感してもらってすっきりする、と答えていました。やっぱりどっかで発散するというのもほんとに大事ですね。

トマトさんは、定型がASよりも「理解力がある」かのような表現をされますが、僕の感覚では、「曖昧な話題を、確認せずに話を続けられる鈍さ」があるような気がします。おそらく、「シチュエーションを多方面に変形させて類推する」ことはASよりも慣れているのでしょうが、それによる誤解や思い込み、悩みは相当あるものと思われます。

あえて言えば、一種の異文化交流なのであって、異文化交流であるからには手間も摩擦もストレスも付き物です。「それでも一緒にやっていく」という同意が必須と思います。異文化交流ならではの成果を出せればよいかと。
互いに「疲れないコミュニティー」を持っておくのは、良い方法でしょうね。
パンダさんの紹介された番組は見ませんでしたが、「我慢して疲れる」のは上記の理由でお互い様。ASはたぶん、基本、疲れてます。
(エネルギッシュなASは、疲労に無自覚かも?)

玄さん

 お互い様、というのは前も少し書きましたが、やっぱり大事なポイントですね。

 難しいのはその「お互い様」ということを実感し、納得するまでで、
 お互いに自分の「しんどさ」には気がつけても、相手の「しんどさ」はぴんとこない、
 というのが普通なんだろうと思います。

 そこからどうやって「相手も同じようにしんどい」ということを納得できるようになるか。
 そのプロセスの上手な作り方が見つかるといいんですが……

玄さんのコメントで、ごく最近「そうだな」と思い知ることがありました。

ある小さなサークルに入っているのですが、7人のやりとりの中で「こんな事言われたらイヤだ」とダメージを感じるのは、私とあと1人で、他の人は「さっきのやりとりで何か問題でも?」とやり過ごせます。
素質論というものを学ぶと、どうやら人には何種類かのタイプがあり、言動や感覚の違いにより、自分の言い方や表現が「ちゃんとは通じないタイプが存在する」ことを知りました。

こちらの「ちゃんと言ったし、相手も承認した」という記憶が、相手には「そういえばそんなこともあったけど自分は納得していない」という記憶になっているというズレの原因が、この「相手に通じる言い方を出来ていますか」という点にあるのだと知りました。

私は「感覚や気持ち」で言われると感化されたり共感して、自分の行動に影響が出るタイプです。
でも相手により「理由を感情で言われてもそれは理由とはならない」というタイプがあり、何か唯物論や明確な状況でしか理解できにくいと言われました。

そういう、気質の違うタイプの人が大多数のミーティングに出たり、一緒にモノ作りをしていると「感覚や言葉の少数派」となってしまい、とても孤立感やダメージ感があるのですが、周囲は私の心情を全く気がつかないし気にならない・・・・という平和な雰囲気なのです。

つまり内心の「察してよ、誰か」という無言のSOSは届かず、「はっきり表明しなきゃ解らないでしょ」という環境なのです。

これが、素質論でいうところの私と同じタイプの人が多い環境だと、周囲から「どうしたの?ちょっと元気ないわね」と、声かけという察しがあるので、ずいぶん居やすいと感じられます。
「こんなことがあったのよ」と言うだけで「解る、解る、ショックだわねぇ」と、こちらの欲しい共感言葉が得られるので、とても落ち着きます。

柔らかな環境と、硬質な環境、という違いに感じます。

ただ・・同じタイプの人の集まりだけだと、何かを生み出そうという発想の切迫感や、独創性を認めるまでの摩擦など「痛み」が無いので、「良いものやおもしろいものはつくれない」と言われました。確かに、モノでもサービスでも「提供」を仕事にすると、不特定多数の感覚の違いに対して行う業務なので、同じタイプの人の賛同だけでは成り立ちません。


そういう意味では、定型とASというくくりだけではなく、コミュニケーションに「通じやすい」「通じにくい」いくつかのタイプが存在して、そのタイプごとに通じやすい「言葉」をチョイスすることが必要と学びました。

私が全く意図せず、ASの人に「上から目線」とコメントされるのは、ASの人の嫌う表現を無意識無自覚に使っちゃってるからだと気がつきました。
無意識なので、批判されても注意されても「どうしてそういうふうにとってしまうのだろう、だからASの人は解らない」というスパイラルにはまっちゃうんですね。

学ぶとすぐに頭では納得しちゃうんですが、感覚に馴染み使いこなすにはもっともっと時間がかかりそうです。


トマトさん、おはようございます。
「どうやら人には何種類かのタイプがあり」というのは、その通りと思いますが、同じ人でも複数のタイプを内包していて、コンディションによって変わる気がします。僕は「この人は△△タイプだ」と決めつけないようにしています。
公の場では、幾つかのタイプに受け入れられることを想定した物言いが求められると思います。ASDの要素を持つ人は結構いるので、ASDに受け入れられる話し方・受け止め方は「対話の成立」のためには有用なスキルなのではないでしょうか。もちろん、ASDも定型をタイプと認めて、「通じさせる」言い方・受け止め方のスキルを身につける姿勢が必要と思います。

トマトさんの「上から目線」について僕が指摘した理由は、この場所が「ASDをネガティブに受け止めない、対等な個人として付き合える人間関係を目指して『互いにブラッシュアップ』する」道場だと(勝手に)認識しているので、気になる言葉選びがあったら積極的に言わせてもらおう、そういう姿勢に基づいているのです。
「解らない」のは、お互い様なのであって、それは「自然なことで解決すべき問題点ではない」「どういう反応があるかを互いに予測できるだけの知識くらいは、互いに備えておいた方が便利そうだ」というのが僕の見解です。

僕はトマトさんの言葉の選び方について、度々キツ目のコメントを入れさせて頂いています。言葉に対しての違和感の表明ではありますが、トマトさんに「ASに対して悪意がある」とか「イヤな人」とかは全く思っていません。「AS側からみれば、こう受け止められるかもよ」と開示しているに止まります。(なので、「攻撃された」「居づらい」と思わないで欲しいのです)僕自身を振り返ると「これを言ってトマトさんに嫌われたらどうしよう」という想像や葛藤がないのは、ASD的だなと我ながら思いますが。

玄さんへ

以前にパンダさんが「信頼感」をテーマにしておられましたが、私個人の一方的な感覚ではありますが、玄さんを含め信頼感を感じたコメンテーターさんからの辛口コメントは、アドバイスや忠告に感じますね。

これはニチジョウの人間関係同様に、信頼感のある人や好意を持っている人からの言葉は、精査しようと努めるのに対して、初対面や苦手な人からの言葉は、その字義だけ受け取りがちです。

ひとつ質問ですが、ASの方に占いが嫌い、もしくは関心が無い人が多いような気がします。
これは、一方的に決めつけられたく無い、自分は自分だからカテゴライズされたくないなどの感情のほかに、

さまざまにカテゴライズされた(血液型や星座など)さまざまなタイプを、さまざまに比べたり、いろいろ当てはめたりすることが苦手、という側面があるのでしょうか?


トマトさん、信頼感を持って下さっているとのこと、有難いです。
トマトさんの予測「ASは占いが嫌い・関心がない」については、僕は「ASかどうかは関係がない」に一票です。
自分をカテゴライズしたいという気持ちは起こり得ますし、僕は占いに興味はありますよ。古いけど、動物占いは面白かった。
一方で、テレビや新聞に垂れ流される星座占いとか血液型性格判断とかに限って言えば、あれは「娯楽」であって「情報」とは認識していません。毎日くるくる変わる「運勢ランキング」に不信感を持ち、いつも同じであることを望むのは、やっぱりAS的かなあ?

玄さん、ご回答ありがとうございました。
【毎日くるくる変わる「運勢ランキング」に不信感を持ち、いつも同じであることを望む】は、「今日の運気ばどうだろう」を楽しみにする見方と違うのだなぁと新鮮でした。

パンダさん、
相手のスタイルに合わせる・・・というのは努力ですよね。
察して欲しいタイプの人が、ズバズバ言い切る努力は、会話が楽しめなくなるし
明確に言って欲しいタイプの人は、察してあげなければという努力は、結局多くのパターンの習得という労力だろうし
そんなこと、努めなくても解り合える人間関係が欲しいですよね。
ところで、パンダさんは、どんなときにどんなふうに息抜きや発散をされているのでしょうか?

トマトさん

 「パンダさんは、どんなときにどんなふうに息抜きや発散をされているのでしょうか?」

 ということで、うーん、むつかしい質問ですね (^ ^;)ゞ
 たとえばブログの記事を書くのも、もやもやしている気持ちを整理するためですし、
 寝る前に好きなジャンルの本を読むのも息抜きといえばそうかもしれないし、
 あと、息子と話をするのも私にはとても気持ちを支えてもらえる感じがします。
 あと、友だちとどうしようもない駄洒落の遣り取りをメールでしたり、
 なんかそういう「馬鹿になる」のは私の健康にはいいかも……(周りは迷惑かも)。

パンダさん

まさしくリラックスタイムですね。
息子さんとの会話。
友人の方との言葉遊び。

やっぱ、定型らしいリラックスの方法かも。

ASの方は、言葉のやりとり事態に、神経が疲れたり、神経に障ったりが多そう。

でも・・・最近私は、自分と言語や思考のタイプの違う定型が多いサークルに入ってから、ほんのちょっぴりだろうけど・・・ASの人は、こんな違和感やストレスの中で居続けているのかなぁ・・って、自分の感覚を結びつけてしまうときがあります。

私の場合はサークルを退出すれば良いことですが、人は社会を退出するわけにはいかないから・・しんどいだろうなぁ。

ちなみに私は、世間話が盛り上がる友人とのお茶タイムや、思考停止状態を楽しむサウナが息抜きと気分転換になっています。
愛犬との早朝&深夜の散歩も、無意識ながら心身の健康に役立っていそう。

な〜んか、ゆるい世間話になってしまいました。

トマトさん

 サークルでの体験、なんかアスペと定型の相互理解に役に立ちそうな感じですね。

 サウナで思い出しましたが、私は温泉が好きです。
 残念ながらこのところ行けていませんが…… (^ ^;)ゞ

 以上、ゆる~い世間話2でした。 

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