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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2013年2月28日 (木)

申し訳ない

 これはもちろん「お互い様」の話ではあるんですが、なんだか最近、自分がパートナーの思いを分かってあげられないことについて「申し訳ない」という気持ちが混じってきていることに気がつきました。

 もちろん「どうしてこういうときにこんな対応になるんだろう?」とか「なんでここでそれを言う?」とか、私の理解の基準からははずれることで、いらっとしたり落ち込んだり、ということはいまも時々あるんですけれど、でも決して「悪意」でやっていることではないことは分かってきたし、逆にそれが彼女の気遣いだったりということもあることが分かってくるわけです。

 そうすると、そんな風に彼女なりに一生懸命気遣ってくれていることに対して、自分がどうしても感情的に理解できなくて、いらっとしたりしてしまう、ということについて、なんだか「理解できなくてごめんなさい」という気持ちが湧いてくるんですね。

 もちろん彼女の方だって私のことが理解しきれないわけで、「あんたが悪い訳じゃないだろう?」と聞かれれば、たしかに私が一方的に悪いとか、そう言う話とは違います。アスペと定型の多数決の論理で言えば、私の方が正しい、という話にさえなるのかもしれません。

 でも、彼女もほんとに頑張ってくれているんだなあ、ということが折に触れて感じられてくる。大変な状況の中、必死で誠実に頑張ってくれているんだなあと思えることが増えてくる。そうするとなんだかそれをストレートに受け止められなくて、理解しきれないことについて、申し訳ないなあと言う気持ちが湧いて来るみたいです。

 仮に彼女の方が「私の方が正しいんだ。あんたが悪い」という態度であれば、それは私の方だって、「あんたのせいでこれだけ大変な思いをしてきたんだ」と対抗したくもなるでしょうが、我が家の場合は今はそう言う状態ではないのです。

 もし自分が万能の理解力を持って彼女に接することができれば、それは問題ないんでしょうけれど、そんなことあり得ませんから、どうあがいたってお互いのズレは残り続けるわけです。そのことで彼女に悲しい思いをさせることもあるわけで、そんなことを思うとなんか申し訳ない、という気持ちが自然に湧いてきてしまいます。いや、そう言いながらもまた彼女の言動で「いらっ」と来たりはするんですけどね (^ ^;)ゞ

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コメント

相手との関係性がゴム紐もように、ピンと伸びたり、たゆんだり・・・。

緊張状態が解けたときは、相手を思いやる気持ちのユルミが出来るんでしょうか。

それって、相手の言動や対応のせいだけではなく、こちらのコンディションの良し悪しも影響しますよね。
職場のASの人が上司に、伝わりっこない叱られ方をしているとき、うまく口をはさめなくて申し訳ないし、後で気がつくASの人なりの親切に「タイムリーに気がつかず申し訳ない」と思うし、突然出社しなくなったら「もっと声をかけるべきだったか」と申し訳ない。

自分の気持ちに余裕があるときに、そう思えるのかなぁ。
「申し訳無いと思うなら直せよ」という定型からASの人への提言、そのまま自分に降り掛かります。

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