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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2013年2月 1日 (金)

人のため?

 パートナーと話していて、ようやく結構実感を持って「それはほんとに大変な状況を生きてきているんだなあ」と思ったことがありました。

 それは「人のために何かをする」ということについて話をしていたときのことなんですが、私のパートナーも福祉関係だから、人のためにする仕事ではあるんですが、相手の人との距離の取り方が彼女はうまいんですね。アスペ的な距離の取り方がうまくツボにはまるというのか。基本的に相手の世界に入り込まないで、客観的に冷静に必要なことを判断して対処する。無理な要求や甘えの要求が出てきても、あっさりと説明して断れる。場合によっては「冷たい人」という印象を与えるかも知れませんが、仕事として福祉を持続的にやるときにはかなり重要な部分になるように思えます。

 私の方はどっちかというと(というか可成りというか)、相手にのめり込んでしまう傾向が強くて、自分で言うのもおこがましいですが、ほんとに相手をサポートしなければと考えると、結構自分を犠牲にしながらぎりぎりまでやってしまうところがあります。パートナーとはその意味でちょうど正反対なんですね。その性格のせいで、これまでずいぶんと失敗も痛い目にも遭ってきました。もちろんうまく行くときにはすごくいい人間関係が出来るし、うれしいんですけど。

 それで、以前は私はパートナーを「冷たいなあ」と思うことが多かったんですが、自分自身のやり方で自分が傷ついたり、あるいは結果として周りの人にも迷惑がかかってしまうようなこともだんだん重なってくると、さすがに「小さな親切大きなお世話、大きな親切大変迷惑」というようなことにもなって来かねません。そうなると自分もほとほとしんどくなってくるわけですし、そんなときに彼女から「人のために、なんて考えるのがいけない」と言われるんです。

 以前は反発していたその彼女の言葉なんですが、昨日、こんな話を聞きました。自分は子どもの頃から「人のために」と思ってやったことがみんな周りから迷惑がられたり無視されたり、気づかれなかったり、そういう事ばかりだった。(これはアスペが「そのひとのため」と思うことと定型が「してほしいこと」にズレがあるからですね)それでずっと否定され続けてきたからもうそういう風に「人のために」と考えることをしなくなった、と言うわけです。

 なんだかすごく説得力のある話に思えました。それはしんどかったろうなと思いますし、そうなるのも当然だろうと思う。逆に言えば、そういう中でも紆余曲折をたどりながら、結局は福祉の仕事に自分の適性を見つけていく、というところもすごいなあと思います。お仕着せがましく(?)「人のために」なんて考えることなく、でも確実にその人を支える仕事をしているわけですから。

 改めて自分の「人のために」ということを考えてみても、結局自分の狭い考えの押しつけに過ぎなかったり、なんだか自己本位の物がたくさんあるんじゃないか、という気もしてきます。もっと肩の力を抜いたところで「お互いのために」ということを自然にこなせるようになればいいのかなあと、そんなことを思ったりしました。 

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コメント

パンダさんは、ASDを可哀想な境遇であるように度々書かれていますが、僕から見れば、定型ゆえにストレスや悩み苦しみを持つ状況もあるように感じますので、お互い様かと。
今の思いとしては、ASDは「職人気質の傾向が強い」タイプである一方、いわゆる定型は「ホスピタリティ優位」タイプなんだと受け止めたいというところです。どちらも、苦手な環境では「上手くいかない」ので、「工夫をして上手くやっていく」のを目指せば良いのだと思います。ちなみに、定型の苦手な環境(ASDとの比較で特徴と思われるもの)とは、反復・精密作業、心の繋がりが減る環境(飢餓感が表れる)、が思い当たります。
ASDが福祉の仕事に向いているかは意見が分かれると思いますが、パンダさんのパートナーさんはその職場に「推定した範囲に答えがある」プラス「職人的技能が発揮できる」という安心して働ける環境なのでしょうね。

「人のため」について。
僕は「他人は私のして欲しいことをしてくれない」と「自分のしたことが他人の迷惑になる」という経験を元に、「意思疎通のニーズは認めるが、実際の精度はかなり低い」「人のためは、人それぞれ。曖昧な信号は誤解の元だから、発信も受信もしない方が無難」という考えが身に付いています。表情や動作が少ないことが自閉的と受け止められようとも。
これをベースに、自分なりにトッピングをしていきます。例えば上手くいったパターンを状況分析して、「いまから××します」という宣言をしてから行動するなどです。
他人の行動を知って後から「◯◯したんですね」と言うのは嫌がられることもありますが、「気付いてくれたんですね」という反応を得られることもあるので、お礼の文脈になるように言うようにしています。
話がそれました。
「互いのため」「みんなのため」には、共通の目標を確認しておいて、それに向かっていれば理解しやすい気がします。

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