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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2013年2月21日 (木)

定型はアスペの苦労を理解できる?

 私のパートナーはこれまで職業をいくつか変えているのですが、仕事のことも余り話す人ではなかったこともあり、転職するときにも私に相談をすることなどもほとんどなく、基本的に自分ですべてを決めていました。なので、私は「自分の求めている仕事、働き甲斐のある仕事を模索しているのかな」と、当時は考えていました。そして彼女が「天職」をみつけるまで、私の方がしっかり稼いで家を支えていればいいのかなとも思っていました。

 けれども、アスペと定型の問題が分かってから、そういう私の理解自体が全然的外れだったことが分かってきました。彼女は実際は職場の人間関係に苦労して、仕事を変えてきたんですね。もちろん、「自分にあった仕事」を探している、という面もないわけではないし、その結果福祉関係の仕事にたどり着いたということはあるわけですけれども。でもやっぱり仕事を変える直接のきっかけは「ここよりももっと自分を活かせる職業を見つけた」からではなかったわけです。

 アスペの彼女がどんな風に多数派の定型の中で苦労するのか、ということは当時の私には全然想像もできないことでしたから、私なら当然のこととしてこなしている定型的なコミュニケーションというところで彼女が大変な努力をしていることも全く想像できなかったわけです。だから彼女が「すごく頑張っている」ということをごくまれに話してくれることがあっても、その中身は私には「?」で、「まあ、そういう問題ならすぐに解決するだろう」とか、「なんだか自分(パンダ)が抱えている問題に比べれば随分軽い問題を大げさに言うんだなあ」とか、どうしても現実感を持つことができなかったんですね。

 どうして現実感をもてなかったんだろう、ということですが、たとえば自転車に乗れる人が、乗れない人から「どうやったらうまく乗れるの?」と相談されたとします。でも自転車に乗れる人で自分がどうやって乗れているのかをちゃんと相手の人にも分かるように説明できる人ってどのくらいいるんでしょう?私はやっぱりそれは無理で、「まあ、最初は補助輪付けて乗っていて、慣れてきたら片側ずつ補助輪外したら、そのうちこつがつかめてきてあるときふっと乗れるようになるよ」ということくらいしか言えないと思います。実際には乗れるようになるには、なんか理屈があるんでしょうけれど、それは「こつ」とでも表現するしかないような、言葉にできにくいもので、「こつ」さえ掴めば別に何の苦労もなく自由に乗り回せるようになるので、そうなると逆に「乗れない」ということが分かんなくなっちゃったりするわけですね。

 同じように定型が定型的なコミュニケーションを身につけていく過程だって、なんだか知らないうちに「コツ」を掴んでいることが多くて、もちろん「教わる」部分も多いんだけど、それも説明されればわりとすぐに分かってしまうことが多い。でもなぜその説明で自分がすっと理解できちゃうのか、ということを、その説明で理解できない(たとえばアスペの)人に説明できるかというと、「そんなこと何度か聞いていれば分かるじゃない」とか、「上手な人のやり方を見てたらそのうち分かるよ」くらいしか説明しようがないでしょう。そうすると、それでもわからないということについてなんだか現実感がもてなくなります。

 立場を変えて考えてみると、たとえば彼女が病気になったときは、側に人に付き添っていて欲しいとか、お腹が痛いときにはさすってもらうと嬉しいとか、そういうことが全くないと言います(そういえばラマーズ法で出産したときも、私が一生懸命「ひっひっ、ふー」とか呼吸を合わせて補助するようなことをやったわけですけど、彼女は全く一人で生んだような感覚を持っていたのでがっくりしたことがありました。それもそういう訳だったんですね!)。定型の私は「もちろん」その逆で、さすがに24時間べったりくっついていて欲しいとは思いませんけど、時々痛いところやなにかをさすってもらったり、会話をさせてもらったりすることはとても支えになることですから、そういう支えを必要としないで生きていけるということが分からない。「どうやったらそうなれるの?」と彼女に聞いても彼女も説明できないでしょう。
 
 そんな風にお互いの関係を理解して、仮に彼女の立場に立って見れば、私が彼女の訴えを理解できないことについて、「自分はこんなに苦労して努力しているのに、なんでこの人(パンダ)はその努力を理解し、評価してくれないんだろう?」という気持ちになったんだろうと、今になって思えるようになってきました。そして実際、「どうせ分かってくれない」というような彼女の言葉を、何度も聞いてきています。

 アスペと定型のズレと言うことに自分なりの理解がだんだん深まってから、改めて当時のことをそんな風に考えると、彼女が私に対して何度も繰り返してきたこの「絶望感」がわかるような気がしてきます。そしてその絶望のたび毎に彼女は「これは理解されないことだ」と判断して、「言っても無駄なことはあきらめるしかない」と思うようになる。でもそれは私の方から見ればよくわからないことで、そうやって訳も分からずだんだんと「心を閉ざされていく」ようにも思える展開があったんだろうと思います。

  彼女は今も仕事から帰ったあとは、不機嫌そうな顔をしていることがよくあります。以前はそのことについて、私に対して不機嫌なんだ、私という人間が嫌いなんだ、と感じていたんですが、今は「職場でまた頑張ってきたんだな」という風に思えるようになり始めています。私にはなかなか気づけない部分で、職場で頑張って彼女なりの理解で周りに合わせ続け、愛想も良くするように心がけ、ぐったりして家に帰ってくるわけですから、せめて自分の家でくらい、愛想など考えずに素の自分に戻りたいわけですよね。それで外で随分無理して愛想良くする分、その反動で素の自分に戻ると余計に無愛想な不機嫌な気分になってしまう。しばらく前から多分そういうことなんだなと頭では理解し始めていましたが、何故か今それが実感として理解できるようになり始めているようです。

 いつも通り、まとまりのわるい文章ですが、今日のところはこの辺で……(^ ^;)ゞ

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コメント

以前自分がアスペであるために離婚を考えてる…と投稿したまめです。
先日、私の一言でパートナーが怒り、枕を持って別室へ行ってしまいました。そのまま眠れるわけもなく、話しに行きました。誤る、と言うよりなぜそう言ったのか、どうしてわかってくれないのかを話しに。その話しの流れで、「もし、私があなたのことや子どもたちの気持ちが理解できない性格だったらどうする?」と尋ねました。彼は「なにもしない」と言いました。彼らしいなぁ。信仰上全ての事は神からやってくる。と考える人で、表面上悪く見えても実は、「良い事」かもしれない。と言う発想です。だからパンダさんとは違う方面で彼なりに私を受け入れてくれてるのではないかな、と思うようになりました。これですっきり!とはなかなかいきませんが、パンダさんの言葉から彼の気持ちを知ることができるようで、これからも読ませていただきます。

転職の件、よくわかります。私も人間関係本当に辛かった。でも、やめる自由のない学生時代が本当に辛かったですね。今3歳の長男が「大きくなっても学校行かない」と早々に宣言しています。彼は、ちょっとアスペの傾向があるかな。と思うので、どうサポートすれば良いか考えてます。
私はアスペであるとわかって良かったです。定型の人(みんな)と同じように振舞えない自分が情けないと言う呪縛から解き放たれたような感じでしょうか。アスペだからしょうがないと開き直る訳のではなく、対策が練られるっと言うのか、だからこう考えるのか…と客観的になれそうです。

彼女は今も仕事から帰ったあとは…のところ、本当にその通りなんですよ。
素を見せられる唯一の場所が家庭なんです。歪んで見えるかもしれないですが、甘えてる姿なのかも。

まめさん

 「パンダさんの言葉から彼の気持ちを知ることができるようで」

 なるほど、そうなんですね。
 定型がアスペのパートナーについてなにを感じているか、半分ぐちのような
 ものですけど、そう言う文章でも、アスペの方にとっては
 ひとつの意味ある情報にもなるんですね……

 「歪んで見えるかもしれないですが、甘えてる姿なのかも。」

 そうか、甘えているのかも知れないんだ!
 「すねて見せている」と考えたらいいのかな?
 でもちょっと違うんでしょうけれど……

 ま、今度機嫌が悪そうだったら、「甘えてるんかな」
 と思ってみることにします。 (^o^)

アスペルガーは治りますよ。
レイキで治ります。
治った人はいっぱいいます。
調べてみてください。
アスペルガーは、障害でもなんでもありません。

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