守って欲しい
私のパートナーは、たとえばもし彼女がパーキンソン病になって歩けなくなったら、施設に入れてちょうだいと言います。自宅でのケアは並大抵の苦労じゃないから、というんです。
実際それは大変なことなんだろうと思うんですが、私は「うん、わかった」とすっと答えるのにはやっぱり抵抗感があって、自宅で頑張れるだけ頑張る、と考えたくなるんです。その前提には、そんな風に「面倒になったらさっさと施設に預けて楽をする」という形になるのが、なんだか彼女に寂しい思いをさせるんじゃないか、という気持ちがあるんですね。とても冷たい感じがしてしまう。もちろん頑張った上で他に方法がなく、と言う場合がありうるだろうとは思いますが、最初からいきなりというのは少なくとも抵抗がある。
それで彼女に「そんな風にひとり家族から離れて施設に入るのって寂しくないの?」と聞いてみたんですが、あっさりと「全然」ということでした。そういう答えを聞くと、私なんかは「それじゃあ彼女にとって家族って意味のない存在なのかなあ」と感じてしまいます。でもそれはそうではないということで……
こんな風にも聞いてみました。「もしも結婚しないで今までずっと一人暮らしだったら、それでもさびしいとかいうことはないのかな。むしろ気楽なのかな。」そうすると、それは違うといいます。あの頃(若い頃)は結婚して家族を作りたいという思いが強かったというんですね。精神的にもいろいろ悩みがあって、自分を守ってくれる人が欲しかった、とも言っていました。
それを聞いて、「ええっ?」っと思ったんですが、自分がイメージしていた当時の彼女の像と全然ずれていたんです。私自身は結婚について、お互いに経済的にも自立した男女が性愛を含めた愛情で結ばれて子どもを育てていく、というイメージがあって、彼女のサラッとした印象が、そんな自立した女性像に見えていたんです。映画とか小説とかも日本のものにしばしば見られるようなどろどろした絡み合いの世界、みたいなのは嫌いで、西洋のものが好きというのも、そんな自立した人間関係に親しんでいるようにも思えました。
逆にパートナーの方も私がそういう自立した夫婦のイメージを持っていたことに驚いていたようでした。私のことは「自分を守ってくれる人」というイメージで見ようとしていたわけですよね。もちろん私も必要なときにそれをするのは当然だと思っていますけれど、でもそれはお互い様のことで、前提が「自分を守ってくれる人」だというのは考えていませんでした。
それで彼女が言うには、結局自分は子どもの頃からずっと自立を求められていたんだ、ということでした。姉妹が重度の障害を抱えたので、お母さんはずっとその姉妹にかかり切りに近く、彼女に対してはどうしてもなんでも自分で解決することを求めるようなことになったようです。お父さんは…今考えるとかなりのアスペルガーだったと思いますが…技術系の仕事に忙しくて、育メンなどほど遠い。学校ではさんざんに虐められ、子どもの頃から人間の持つ「恐ろしさ」を嫌と言うほど味わい、でも家族がその自分を守ってくれることもなかった。
ああ、思い出しましたが、だから私たちの子どもの一人がいじめに遭っていたときに、子どもに如何にいじめから身を守るかを一生懸命教えようとしていたんですね。私はいじめと闘っていじめをなくす、という方向で考えようとするんですが、彼女は「どうやって避けるか」の方で具体的対処法を考えるという違いも、そんな過去の親子関係から来ているような気がします。
そういうわけですから、彼女が私に対して「守ってくれる人」をイメージしていたとすると、当然ズレが起こったわけです。彼女の中では私が彼女のことを「守ってくれなかった」と思えることが幾度もあったらしい。ただ私から言わせると、そこもまた感覚がずれていて、彼女の方から「守ってちょうだい」というサインが出ていると感じられなかったわけです。
このあたり、なんだかとても複雑な気がします。彼女が言う「守る」ということには、たとえば最初に書いた「施設に入る」みたいなことで言えば、出来る限りは一緒に暮らして話もし、(定型的な感覚で)心理的にも支える、みたいなことはほとんど入ってこないらしい。スキンシップで気持ちが安らぐというタイプでもない。(抱きかかえてあげるというのは「守る」という姿のひとつの象徴のように私には思えるんですけれど……)
そうすると彼女が言う「守る」って何をすることなんだろう、と改めて迷うところがあります。でもそこにはきっと何かがあるんですよね。大事なことが。もしかすると「施設に入れる」ということも何らかの意味で「守る」ということなんだろうか?????
最近のコメント