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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2012年11月24日 (土)

頼るものがない

「ここに来る人たちは、何も頼るものがない心境を知っているから。」

 

はるこさんのこのコメントがなんだかすごく心に染みてしまいました。

 定型とアスペのカップルでは、定型の側から見ると、相手の人と「もたれかかり合う」ことをどこかで望みながらそれができない辛さが続くように思うし、アスペの方の側から見ると、多分すでにこの世には甘えられるものはなくて、自分ひとりで解決していくしかないという覚悟で生きていらっしゃるようにも思えます。こう書くと、アスペの方の方が自立して一歩先を進まれているようにも見えますが、でも現実には定型がメインのこの世の中では理解されず、そして定型のやり方も理解しにくく、ほんとに辛い思いをして苦労をされている方が多い。

 このブログには今は一日に200人位の方が訪れて下さっていて(そのほか携帯からアクセスされる方はそこにはカウントされていないらしいです)、そのうちアスペの方がどのくらいで定型の方がどのくらいかは全然分かりませんけれど、でもやっぱりどこかにそんな孤独な思いや辛さを抱えながら、生きていらっしゃる方がほとんどなんだろうなと思います。

 もちろん私自身、心にたまっていく辛さやもやもやした思いをいろんな言葉にすることで、少しでも気持ちを整理して楽になっていきたいと記事を書いています。もともとそのために始めたことですし。そこに同じように「何も頼るものがない心境を知っている」方が訪れて下さっている。もしかするとこれは定型の「もたれ合い」の感覚なのかも知れないし、それを超えてアスペの方にも共有されるのかどうか、私にはわかりませんけれど、そんな思いを共有できる場になっているとすれば、私にとってもほんとに有り難いことだと思えます。

 阪神淡路大震災で身内の方を失うという辛い思いをされた方達が、お互いに思いを語り合うような集まりについてお話しを聞いたことがあるんですが、そこではお一人お一人が、決して他人には理解してもらえないと感じる辛さを抱えて、集まってこられているということでした。それにもかかわらず、そこにみなさんが集うことの意味は、「自分の痛みは決して人には理解してもらえない」という、その思いを共有できることにある、という話でした。

 何か似ているところがあるのかなとも思います。はるこさんの「何も頼れるものがない心境」と「自分の痛みは決して人には理解してもらえないという思い」はつながるところがあるように感じますし、その思いを共有できる場が大事、というところもつながる気がします。違うところは、その震災後の集まりに来られている方は、「なくなった方」との関係で辛い思いをされているのに対して、この場に来られる方の多くは、今現在に生きている方との関係でさまざまな悩みを抱えていらっしゃる、という点かも知れません。

 この共有の感じは私の経験からすると、定型同士の間では多分生じやすいと思うのですが、アスペの方とはどうなのでしょうか。そこがひとつの共通の足場になるのか、それともまた違うのか、考えていきたいなと思います。

 

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コメント

私も、はるこさんの
「ここに来る人たちは、何も頼るものがない心境を知っているから」
というコメントには胸を突かれました。
この「頼る」という概念も、おおまかに言えば定型とASの人とは違うのかも知れませんが。

「共感」が心の助けや癒しになるASの方も多いのではないでしょうか。

ばんです。
私もパートナーがASだという疑いを持ってから、このサイトを見つけて勇気を出して書き込みしました。まわりの人間には相談出来ませんでした。一般的にASがどのように認識されているかがわからなかったのと、またパートナーの事を変な風に誤解されたら困るので。

これまでの人生の中で、私は人間関係に行き詰まったときは、その人との関係を断ち切る、その集合からは抜ける、などを繰り返してきて、切り抜けてきたように思います。
パートナーがただの恋人であれば、私とは合わないということに気付いた時点で別れを選んでいたと思います。
それが、夫婦となり、子どもができ、家庭を作ってしまった。
独り身であった頃は、どうにか逃避出来ていたはずなのに、初めて、これまでしてきたようには出来ないで、もがいてる状況が今です。
思えば、結婚までは人と深く付き合うことをしていなかったのかもしれません。

このサイトを見つけたことで、同じ事で悩んでいる人がいる!と心が少し安まり(パートナーと同じような行動をする人がこんなにもいるのか!と同時に驚きましたが)、また、定型という概念も知りました。私は定型というタイプに当てはまり、またどうしてもその思考でしかものを考えられないのだと。

パンダさんの本は書店に慌てて買いに行きましたよ。これを夫婦で読めば、お互いの誤解はすぐに解決するんではないかと期待して。わらにもすがるという感じでした。いまだパートナーに本を読ませるという状況にはいたってないのですが。

このサイトはASと定型の考え方、感じ方の違いなど、参加されるみなさんが丁寧に真摯に書き込みされていることに好感が持てました。私が最初にASに持ったイメージが緩和しました。
今は、パートナーにASの話をしようもんなら、激怒するか、もしくは無視が始まるので、書き込みを読んでは、彼が自覚さえしてくれれば、このように自分の考えや感じ方を伝えてくれるのかな?なんて思いながら、ASの方の書き込みを読んでいます。

トマトさん

 「「共感」が心の助けや癒しになるASの方も多いのではないでしょうか。」

 玄さんの説明を伺って、多分私もそうかなと想像しています。ただ、現実の生活の中で「共感を得られない」し、「定型同士共感している内容が分かりにくい」という経験をずっと重ねられる中で、「共感」ということに簡単には寄りかかれないという、「現実的な生き方」を選択されているのではないだろうかと思ったりしています。私のパートナーなんかは、やっぱり「理解して欲しい」という気持ちは持っていたのに、私が理解できないことで諦めた、ということがいろいろあったみたいです。

ばんさん

 「これを夫婦で読めば、お互いの誤解はすぐに解決するんではないかと期待して。」

 そこがほんとに難しいところなんですよね。他の方の例はすごく参考になるし、大事な手がかりを与えてくれると思うんですが、同時にやっぱりそれぞれのカップルはそれぞれに個性的で、自分達にあったやりかたを手探りで見つけていくしかないと思えます。そしてその過程は、簡単に「共有」できない部分がお互いに多いので、定型同士のカップルで問題を抱えたときよりはかなり長い道のりになりやすいんでしょうね。

 その分、そういう過程で人間的にかなり鍛えられるのは間違いないと思うんですが、問題の大変さに潰されそうになることも多いですよね。そういう大変さをお互いに「共有している」という感じが出てくると随分違ってくるのだろうと思います。

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