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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2012年9月27日 (木)

助けてもらう

 今日もお互い理解が難しいなあと思ったことがありました。私が最近ちょっと困ったことがあって、色んな人に助けてもらってるんですけど、実際に色んな人が助けてくれるまで、パートナーは心配か不安か難しい所なんですが、助けてもらえることを信じてくれなかったんです。ただ、そういう時って「大丈夫だから」と言っても現実にはまだ助けてもらってないときには説得力がないから、それ以上は言わずに、実際に助けてもらってから、「やっぱり助けてくれたでしょう?」と納得してもらうつもりだったんですね。

 で、実際ありがたいことに助けて下さる方が何人もいて、一段落ほっとしたんで、パートナーに「実際にそうなったでしょう?」と言ってみたんですけど「だからどうだというの?」という感じで「それで何を言いたいわけ?」という風なわけです。で、「いや、実際そうだと言うことを現実を見て納得してもらえたかなと言うことなんだけど」と言うと「納得?」と言ってぴんとこない様子です。「私も助けてもらって有り難いとは思ってるけど」というんですね。

 でも、助けてくれる人に「ありがたい」と思う話と、「私の見通しが間違ってはいなかったでしょう」という話とは違うわけです。で、私は「私の見通しをもう少し信頼してくれてもいいんじゃない?」と言いたいんですが、そういうと「信頼?」とこれもうまく伝わらない。それで「いや、もう少し安心してくれてもいいんじゃない?」というと「それは無理だ」と言われてしまいました。

 これまで子どもの頃からずっと先の見通しが立たず、安心できない生き方をしてきたのだから、今更変わらないと言うんです。実際いじめもずっと受けてきてますしね。

 私の場合はその時々でやっぱり助けて下さる人があって、その方達のお陰で成長もしてきたし、実際に困ったことを克服もしてきたというのが基本的な感覚にあるんですね。だから今回もそう思える。

 こういうのは性格の差もあるだろうし、経験の差も大きいと思うんだけれど、なんとなくそれだけではやっぱりお互いのズレ、理解のできなさを説明しきれない感じが残るんです。それがなんなのか、「人とのつながりの作り方」の違いが絡んでいそうな気もするんですが、まだよくわかりません。難しいところです。

 

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コメント

私は、パンダさんと似たような場面では
「アスペルガーの人は、信頼ホルモン(オキシトシン)が少ない」・・・という説で乗り切っています。

ほかのブログや掲示板などでもASの方の「信頼感ってどんなものだろう」「信頼感を持ってみたい」「信頼感と思い込みの違いは?」というコメントはありますから、信頼感という概念はあまり無いのでしょうかねぇ?

パンダさんの奥様は、現実の出来事の経緯と、それに関しての夫の見立てとの、つながりが理解しずらいのでしょうね。
さらに「見通し」という概念もなかったら、意味不明のワードつながりの会話なのかも。


パンダさま
信頼という概念はありますよ。
ただそれは、個々の局面での人のふるまいに対してではないのです。
パンダさんのパートナーさんは、ここで信頼という言葉を使うかなあ、と思われたのではないでしょうか。

トマトさま
ASが得意な0%or100%で、その人間のすべてを信頼することはあります。
ですが、この考え方は裏切られがちなので、「信頼というもの」に対する自信を失っている方も多いと思います。
ASにとって、信頼ということは特別かつ絶対的もので、あり得るけれどその対象は人生においてごくわずかであり、定型のひとが尊敬という言葉を使うのに近いものかもしれません。

こんにちは。
この記事を読むと、やはり奥様には「共感」が抜け落ちているように感じます。
奥様は、「不安」や「安心」を感じてはいると思います。それが、「心配してもしかたがない」「助けてくれて有難いと思っている」という言い方になる。
それは、不確定な事実を希望的観測で曖昧にしないということだと思います。
しかし、ストレスは感じているし、ストレスから解放される喜びもあるでしょう。そういう感情を他人と分け合うことにより、不安を減らし、喜びを倍増させるという「共感」が抜け落ちているように感じるのです。
とは言いつつも、奥様に「共感」が全くないわけでもなく、今までの記事を読むと、奥様はぱんださんのことを信頼しているし、適度な距離感で寄り添われていることを受け入れておられます。
程度の問題というか、そこで「困ったね、どうしようやだ〜」とか、「さすがあなたってすごい、こんなにたくさんの人が助けてくれたね!」とか、「ほんとに良かった、うん、良かったよかった(泣)」とかいう女子校や体育会的なノリではない、というところでしょうか。

自閉症スペクトラムの特性の「二次信念が理解しにくい」ということに絡んでいるかもしれません。「パンダさんが、『パートナーさんから信頼されたい』と思っている、という状態をパートナーさんに理解して欲しいと願っている」といった感じの発想が湧きにくいのではないでしょうか。
僕自身、「他人からどう見られたいか」という視点を思考にムリヤリ割る込ませて「そういう考え方もある」というふうに、なるべく思いを巡らすのですが、苦手な領域です。「あの人は、どう見られたいと願っているのだろうか」とか「自分はどう見られたいと、周りの人に受け止められているだろうか」という概念があることは分かっているのですが、考えるとアタマに負荷が掛かるのです。。。

こういった人間関係のあり方を表現した単語のひとつとして「信頼」があるのだと捉えていますが、認識も把握も難しいです。
何かを「信頼」という言葉で説明されても呑み込めず、「信頼ィィ?」と単語に拒絶反応が出ます。(僕なら)

パンダさんがパートナーさんに「(日常的に)安心してもらいたい」という願いがあることは、理解できます。思いやりを感じます。そこにパートナーさんが抵抗感があるような発言をされるようですが、それもまた分かる気がします。
さかなやさんが指摘されているように、ASはたぶん「頼りきりたい」という完全に甘えた状態への願望があります。(ASに限らないかもしれませんが) 
しかし、「これを『理想』としてはいけない、他人に迷惑をかけずに生きていくためには自立しなくてはいけない」という自分ルールを作ってやってきた、そういった成人ASは多いと思います。(自立した精神を保ってやってきたことに、自己肯定も加わっていると思います。)

ですので、「安心して甘えていいよ」「助けてもらえることを期待していいんだよ」というパンダさんの提案には、「自分ルールに反するので、簡単には了解できない」という意味で「それはムリ」発言があったと思えるのです。
「甘え始めたらその厚意に溺れてしまう」という葛藤の末のクールな態度、とでも受け止めて頂ければよいのですが・・・凝り固まった甘え下手に思われますよね。。。

FOXです。

今回のパンダさんとパートナーさんのずれは、「いじめ体験」とか「人とのつながりの作り方」の違いに関係なく、言葉の定義というか言葉に込める意味合いが違うということではないか、と思います。

さかなやさんや玄さんがおっしゃってることにも通じると思いますが、例えば、

パートナーさん:信頼=相手を100%受け止めること、相手に100%受け入れられること
パンダさん:信頼=相手がする行動が70-80%といった高確率で実行されること

パートナーさん:納得=自分の実感として理解できること
パンダさん:納得=自分の言ったことが正しかったと理解してもらうこと

というくらい、言葉の定義や込める意味合いが違ったりすれば、話がかみ合わなくても仕方ないように思います。

一つ一つの定義や意味合いを検証するのもいいと思いますが、今回、もし、パンダさんの意図が「自分の見通しが正しかったと理解してほしいし評価してほしい」ということであれば、もっとストレートに、

「自分(=パンダさん)の見通しの確率が正しくて凄いでしょ?」と言えば、もう少しずれも少なくなるのではないか、と思いました。

続けてのコメントですみません。

今回の、事前に「人に助けてもらえるという見通し」をパートナーさんに「信じて安心して」もらいたいのであれば、事前にもうちょっと具体的に説明すれば、わかりやすかったのかもしれない、と思います。

例えば、
「今まで、こういう困ったことがあった時は、Aさんが70-80%の確率で助けてくれた」
「もしAさんが助けてくれなくても、BさんもCさんも助けてくれる可能性が高い」
「万が一、AさんもBさんもCさんも助けてくれなくても、命を取られるわけじゃなく、今までの生活が変わるわけでもない」
といった具体的な説明があれば、パートナーさんも安心しやすいのではないか、と思いました。

みなさん

 いろいろなご意見、ありがとうございました。
 改めて色んな見方があるなあと思いました。

 昨日も引き続きパートナーとこの話になったのですが、
 「信頼がわからないということではない」と言われました。
 あと「何を求められているのかが分からない」とも言われました。
 
 私もまた頭が混乱してきて、いろいろ話をしてみたんですが、
 最終的に伝えたいのはやっぱり、私の見通しについて、
 それなりにあたることが多い、という点で、
 安心して欲しい、ということなのかなと思います。

 でもそれを言ったら見通しが全然当たらなかった例を言われました。
 ま、そりゃそうなんですけども…… (^ ^;)ゞ

 いずれにせよ、まだパートナーの考え方をよく理解できてないみたいです。

FOXです。

パンダさんもストレートに「具体的に説明」するようにすればいいのでは?と思いますし、パートナーさんも「何を求められているのかが分からない」なら、

「何を求められているのかがわからないから、もっと具体的に説明してほしい」
「安心できないから、もっと安心できるように具体的に説明してほしい」

と、ストレートに自分から要求できるようになればいいのに。。。と思います。

お互いにそうできれば、もっとコミュニケーションのずれが減るのではないかと思いました。

さかなやさんにいただいたコメントで
「ASが得意な0%or100%で、その人間のすべてを信頼することはあります。ですが、この考え方は裏切られがち・・・・」という部分で、改めて気がついたことがあります。

私は今まで「信頼」というのは、相手の全てを指すのではなく「どこかの部分」をピンポイントで感じていたのだなぁ・・・と。
困って助けを期待するとき「こういう時、あの人ならきっと助けてくれる」という信頼感は、「こういうとき」という絞り込みがあり「あの人なら」という組み合わせがあり、困った内容ごとに応じた「人柄の一部分」や「能力の一部」に対して信頼感を抱いているのだと、自分の視点を再認識しました。

パンダさんの奥様も毎回、同じ内容の困り事に、全く同じ人が同じタイミングで同じ手法で助けてくれるならば、「今度もきっと助けてくれる」という期待や見通しが持てるのかも知れませんね。

それと、玄さんのおっしゃるように、二次的なことの質問は理解されにくいように感じます。
パンダさんの奥様が自ら助けを求めて実際助けられた、という実感があってこそ、パンダさんの「やっぱり助けてくれたでしょう?」につながるのかも知れないと感じました。

ASの人の言動を理解しようとして、どうしても自分の概念寄りに考えてしまいがちな点をFOXさんはいつも冷静に分析されている点。
さかなやさんのシンプルな的確さ。
玄さんの丁寧な表現力。
かものはしさんの親切なメッセージ。
など・・・
そういうASの方それぞれの持ち味への「信頼感」はすでに私の中にあって、テーマによっては「FOXさんならうまく分析できるはず、玄さんならうまく表現するはず・・」など、勝手な期待を持って、コメントを待っているときがあります。

こんばんは。

皆さんのコメントを読んで、昔の上司の話のひとつを思い出しています。

信頼感はわからないわけでもないし、持っていないわけでもありませんが、なんとなく「ふわふあ、不安定な漠然としている言葉」です。

「信頼」と似ている言葉に「信用」ってありますよね。「信用」はしてます。上司いわく「信用は実績や評価を積み上げてできたもの、データの基にある」対して「信頼はその信用に基づき、相手を信じて頼る、未来への期待を含めたもの」だそうです。
それに加えて「信頼関係とは言うけど信用関係とは言わないように、信頼には相手との関係性も加わると思う」とも。
このお話を思い出せば、私にとって「未来」と「関係性」はあやふやなものこの上ないですから、不安感を生じてしまうので、あえて「信頼」という言葉から距離を置きたくなってます。

信用は私だけの感情などを扱えばよいので、言い方は良くないかもしれませんが(一方通行・片思いでよい)ので安心ですが、信頼は他者の感情も扱う必要性のある(両思い)みたいな感じでなんとも疲れます。
相手が他意もなく両方の言葉を同じような意味に捉えて言ったとわかっていても「信頼してるよ」と言われるより「信用してるよ」と言われたほうが安心します。
「信用してるよ」って言われれば、その人との間で行ったこと以外はしなくても大丈夫!っていう安心感があるんですけど、「信頼してるよ」って言われると、期待されている+αの思いに応えられないと困るので、どういった部分を求めてるか教えてもらえないと!と変に頑張ってしまい、結果疲れてしまいそうですので「信頼してるから」という言葉だけで濁さないでいてくれるとうれしいな、と思っています。

一般的には「信頼」という言葉のほうがいいんでしょうか?「信用」だけだと機械的・物質的に思えますか?

あと、前にも書きましたが「all or nothing思考」の失敗経験により私自身はトマトさんと同じく、困った内容ごとに「人柄の一部分」に信用を置いています。

私も奥様と同じ様に、パンダさんの言わんとする意味がピンときません。
「信頼」という感情はありますが、パンダさんの会話の流れでは
あてはまらず、否定の意味ではなく「意味がわからない」という感じです。

考えてみたのですが、パンダさんの今回のケースでの「助けてもらう」と「信頼」が、
そもそもそんなに繋がっていないかもしれないと思いました。

感謝はするし、ありがたいと思うけれど、「信頼?」という感じです。

今回がはじめて助けてもらったとして、「この人は信頼できる人だ」と
インプットされないです。ありがたい、頼りになる人だ、
人にこんなにしてくれて立派な人だ、etcはでてきますが、
やはり「信頼?」という感じです。

人の好意による解決は不確定要素が強く、きっと誰かが力になってくれるという
安心感にはつながっていないです。こちらは、経験値や助けてもらうための情報が
うまく出せない、誰に出せばよいかわからないなどのスキル不足も関係しています。

小梅さんへ、

FOXです。

私も、仕事関係などでは、その人の「人柄のある部分」や「仕事の達成度」などに関して、「信用している」とか「信頼感のある」という気持ちを持っています。

ただ、やはり、「信頼=信じて頼る」の方が「信用」よりも印象が良いのでは?と思ったりするため、仕事など頼む時には、わざと期待感を込めて「信頼しているからよろしく!」といったような使い方をすることが多いです(仕事向けの応用編のつもりです)。

実際のところは、おそらく自閉圏外の人は、そこまで言葉の定義とか言葉に込める思い入れがなくて、あまり区別なくつかっているような気もしますが。。。

パンダさん・・私、思うのですが、ASの人と定型との会話のズレは

FOXさんのコメントの【おそらく自閉圏外の人は、そこまで言葉の定義とか言葉に込める思い入れがなくて、あまり区別なくつかっているような気もしますが。。。】

に集約されているのではないでしょうか?

多分、定型の大半は「気持が通じれば(使う言葉は)信頼でも信用でも良いじゃないか」だと思います。

会話の中で、ASの人がワードにとらわれ主旨を見逃しやすい、という点は留意すべきでしょうが、どこまでどういうふうにどの程度の注意を払うべきかということについては、個々別なので、平均的なめやすや一律の解答は無いと思っています。

ASの人に学ぶことのひとつに「しゃべり言葉より書き言葉にして伝えると、より伝わりやすい」がありますが、それを夫婦や恋人間で実践するとなれば、自然に身に付くまでは、気が抜けない日々になるでしょう。
時々は、ジョークも通じ合うし簡略した言葉でもOKだし、つい先ほどまでつつがなくやりとり出来ていたのに、突然キッとブレーキをかけられたように、つまずく会話。

その原因がわからず、時間をおくほどに「何故?」のスパイラル。
それはASも定型も同じ悩みなのかも知れませんが、とりあえず定型は感情的報酬を言葉でもらいたがるので、短いセンテンスでも「気持良い会話」を潜在的に心がけていると感じます。

でも「気持良い会話」の定義が大きくズレると「気持良い会話」の意味も、はかないものです。
気持良い会話=肯定会話 私の中でこの神話は崩れましたね。

トマトさんへ、

定型の大半が「気持が通じれば(使う言葉は)信頼でも信用でも良いじゃないか」だとすれば、
自閉圏内の人は「気持ちが通じ合いにくいから、言葉はなるべく正確にやりとりし、気持ちを通じ合うようにさせたい」という傾向があるのかもしれません。

私自身は、もちろん完全にとはいきませんが、言葉をできるだけ正しく使うことを心掛けていますし、言葉にはかなりこだわりがあります(但し、自閉圏外用にとでもいいますか、仕事用応用編として、一般的な用法も使います)。

「言葉の定義やそこに込める意味合い」の違いが、会話・対話でのすれ違いの要因になる、という側面は少なからずあるように思います。

あと、揚げ足を取られたと思われると困るのですが、自閉圏内は、必ずしも「しゃべり言葉より書き言葉にして伝えると、より伝わりやすい」ということはないと思います(少なくとも、私は違います)。詳細は掲示板の「視覚優位?聴覚優位?」をご参照いただきたく思います。

FOXさん、私は「聴覚優位」という意味を単に「聴力が優れている、ささいな音声でもよく聞こえる」という意味合いにとらえていました。

FOXさんの聴覚優位は、主語を抜かした会話でも「いたしかねますと申しましょうか・・・」などニュアンス的な言い回しでも、聴覚での理解が優位ということでしょうか?

私のいう「書き言葉にして伝える」の意味は、文字で書いて見せるということではなく「主語、述語、目的語をはしょらず、まるで文章のような丁寧な言葉にして言う」ということなのですが。
ここらへんが、まだまだ言葉足らずかもしれません。

トマトさんへ、

私自身は、聴覚優位というよりは、その時々で感覚優位性が異なるのだろう、と思います。

私自身は、書き言葉の文章のように組み立てられたというわけではない(とトマトさんが言われるところの)、いわゆる「話し言葉」の理解に特に問題はありません。「いたしかねますと申しましょうか・・・」という用法だろうと、二重否定だろうとわかります。

文章で書いた「書き言葉」と「話し言葉」でどちらかが得意とか不得手とはなく、同等に理解できます。簡潔な文章の方がわかりやすいですが、それは自閉圏外/自閉圏内に限ったことではないでしょう。

私自身が苦手なのは、書き言葉としての「文章」であれ、「会話調の言葉」であれ、「言葉の裏の意味を汲み取れ」とか「正しい定義ではない言葉」を用いられた文章なり会話です。

掲示板の方にも例にあげましたが、「聞き言葉の方が圧倒的に優位」な非言語性自閉症もいることを鑑みると、「聞き言葉が不得手でない」または「聞き言葉の方が得意」である自閉圏内もいる可能性を考慮に入れてはいかがでしょうか?ということです。

トマトさんへ、

追加のコメントで失礼します。

聴覚優位=聴覚情報の理解・処理が優位
視覚優位=視覚情報の理解・処理が優位

ということで、聴覚優位=聴力がいい、視覚優位=視力がいい、ということではないと、私は理解しております。

FOXさんへ。
解りやすいご説明を、ありがとうございます。「優位」の内容がよく理解できました。
もひとつ・・・教えていただきたいのですが、

「聞き言葉の方が圧倒的に優位」な非言語性自閉症もいて「聞き言葉の方が得意」である自閉圏もいる・・・・
ということは「相手の言っていることは妥当に理解できるけれど
相手に適切な返しが不得意なために、やりとりがスムーズに続かなかったり、誤解されたりする」というケースも有り、ということでしょうか?

パンダさん、

私は、このようなズレは、パンダさんもお考えのように、アスぺに関係のない性格や経験の差が大きいのではないかと思います。定型どうしであっても、離婚の理由の多くは性格の不一致、つまり相手が理解できなくてやっていけないということである、ということは、そのことを示しているのではないでしょうか。

誰でも、せっかくアドバイスしたのに、実際にその場になってみるまで理解されずに無視されてしまって、結果的に自分の言った通りになった時には、「ほら、前から私が言ってたようになったしゃない。これでわかったでしょ?次からは私の意見を最初から聞いてよね。」っていう気持ちが湧いてくるのではないでしょうか?

「最初から私の言うことを聞いてくれていれば」って、実はアスぺの人もよく感じることなのですが、でも、私の経験では、大抵の場合、後から相手にそれを言っても 「???」って反応が返ってくるだけです。だって、その時はわからなかったのだから仕方ないし、また、次回同様な状況になった時にはアスぺ的発想の意見が理解できるかって言ったら、やっぱりそれも難しいことだからです。「最初」の段階で、今が将来の事態の始まりであるかどうかということは、やっぱりわかる人にしかわからないのですから・・・。

それに、そういう言い方は、「お前にはどうせわかりゃしないんだから、(私を信頼して)私の言う通りにしてればいいんだよ」っていうニュアンスが入り込みがちだと思うのです。言う方は、事実なのだから当然だと思って(相手を馬鹿にしている気持ちなんか全くないつもりで)口にする言葉ですが、言われる方からすれば、馬鹿にされたような、不快な気持ちになりやすいことなのではないかと思います。素直に認めてもらえなくて当たり前で、認めてもらえれば最高にラッキー、くらいのスタンスが、客観的には妥当なものなのではないのかなあ、と、私は思いました。

言葉の使い方が引っかかっている(信用と信頼の使い分けがあるかどうか=AS的「字義通り理解」が関連しているのではないか)というアプローチと、援助を期待しないスタンスが未来予測の弱さに起因するかどうかというアプローチ、人間関係の認識に「助けてくれる人」という情報を入れない主義という可能性、などなどが出てきた感じでしょうか。

未来予測をする際に、信頼関係を加味することが定型の常道なのでしょう。
それが上手く行かない状況は、何が壁になっているのか、パンダさんの今回のお話は、とても興味深いテーマを投げかけていると思いました。

僕が営業職だったとき、周りの人は「得意先との人間関係がこうなっているから大丈夫」「他社のほうが好かれているからまだダメだ」ということを盛んに打ち合わせし、契約獲得までの期日や売り上げ予想を修正していました。僕には到底できない思考パターンです。
パンダさんとパートナーさんの互いの人間関係の把握方式、パンダさん・パートナーさんそれぞれからと助けてくれる方に向けての人間関係の理解、そういった部分の色合いの違いがあるのでしょうね。

トマトさんへ、

私が掲示板に挙げた「ぼくは考える木」という本には、発語がなくカナー型(知的レベルの障害を持つ)自閉症と思われ、絵カードなどで指導を受けるもあまり進歩が認められなかった非言語性自閉症の子供たちが、実は、聞き言葉には支障がなく、知的レベルにも問題がなく、最終的には「文字盤を指す」「タイプする」という形で「言葉を表出」することを学び、少しずつコミュニケーションをとったり学習したりできるようになる、という例が挙げられています(全ての例ということではありませんが)。

これらは極端な例かもしれませんが、「相手の言っていることは妥当に理解できるけれど相手に適切な返しが不得意」ということにつながると思います。

トマトさんの発言での適切な返し、というのがはっきりしませんが、「適切な返し」=「相手の期待通りの答え」「相手への共感」「相手への感情の慰撫」etc...ということであれば、

「相手の言っていることは妥当に理解できるけれど相手に適切な返しが不得意」なタイプの自閉圏内が存在する可能性はあると思います。その後の「やりとりがスムーズに続かなかったり、誤解されたりする」というのは、その相手との関係性もあると思いますが。

ジョンキルさんへ、

はじめまして、自閉圏内のFOXです。

ジョンキルさんの「素直に認めてもらえなくて当たり前で、認めてもらえれば最高にラッキー、くらいのスタンスが、客観的には妥当」というのに、私も同意します。

しかし、おそらくはパンダさんが、そういう心境になれず
「私の見通しについて、それなりにあたることが多い、という点で、安心して欲しい」
というお気持ちが強いのであれば、ストレートに具体的に「お互いにわかりやすい会話の仕方」でコミュニケーションをとるようにしつつ、お互いの理解を深めていくしかないのではないか、と思ったりします。

「性格や経験の差」はいかんともしがたいと思いますが、「会話のずれ」「コミュニケーションのずれ」「理解のずれ」は、やり方次第で、もうちょっと改善できるように思います。

FOXさん、よく解りました。本当に、ありがとうございます。

FOXさんのご説明を読んで、先日・・ASの若い男性社員が突然、年輩の女性社員の感情的な叱責を受けて、何か言いたそうなのに言葉にならず、うろたえていた姿を想い出しました。専門職で作業的な能力は高い人ですが、会話の返答や態度が、あまりに素っ気なさすぎて、上司や周囲からいつも注意をされています。

私も、彼のリアクションが、私の思う適切な感じではなかったので、彼はこちらの言うことが解らないのだろうと思いつつ、でも私のおせっかい心に火をつけてくれるのが楽しくて、率先して彼とペアを組んで仕事をしています。

ですから、FOXさんのご説明で「あぁ、彼もそうかも知れない」と思い当たり「私の言っていることは、案外、理解されているのかも・・・」と思うと、嬉しくて涙が出ました。

パンダさんの「ほら、僕の言った通りになったでしょ」という、先見力を誇るメンタリティは、定型の典型的なものと思います。
定型は互いにそれを賞賛して共通の価値観を形成していますし、株式取引をはじめあらゆる経済活動が先見力ある人が利益を多く取ってよいと認められた状態で運営されていますから、そのままやって頂いて良いと思います。
問題点は、賞賛されることを前提に誇ってきた定型者に対して、ASが肩透かしをしてしまうことだと思います。
今回の「信頼」云々は、肩透かしされた上での「売り言葉に買い言葉」の類いとも捉えられる事例ではないでしょうか。

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