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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2012年8月 3日 (金)

小梅さんの投稿

小梅さんから色々参考になるメールを頂きました。「発達障害ONLYの職場で能力全開で働く人たち」の話なども、凄く刺激的です。以下、ご紹介します。
==========================

小梅です。

改めて訂正もかねて自己紹介です。
私はASD(自閉症スペクトラム障害)の診断済みですが、ASではありませんのでASの方々とはちょっと認知パターンが違うかもしれません。
そんなに違わないとは思いますが…

私個人としては杉山登志郎先生の“発達凹凸”という名前が好きです。
「定型の人でもある日常の失敗の頻度が、格段に違って困難さが生じやすい」のが私たちASDだと思います。
だから相談すると「そんなの私にもあるわよ。大丈夫気にしすぎ!」とか「もうちょっと努力したり慎重に進めれば大丈夫」なんていわれるけど。皆様が1ヶ月に1度くらいする失敗が私は1日に最低1回だったりして・・・・
凹凸なのでできることがなくはないので、まぁ「甘え」と見られても人情的には仕方がないかとは頭では理解できますが。でもたまに
「あなたの言ってることは、目の見えない人に『努力が足りないからいつまでたっても目が見えるようにならないのよ!』っていってるのと同じだから」って叫びだしたくもなります。
「見えない障害・見えにくい障害・忘れやすい障害」なんで仕方がないですけど。

前置きが長くなりましたが本題です。
「発達障害ONLYの職場で能力全開で働く人たち」というtogetterのまとめです。
ブログのコメント欄にURLを載せるのはいかがなものか?と思いメールをさせていただきました。
パンダさまもリンクをあけるのがウィルス対策で不安であれば、ぜひ検索などをされてこのまとめを見ていただけたらうれしいです。
http://togetter.com/li/337635
かなり能力の高い発達障害の方々ですので、これがすべてではないですし、発達障害みながこの環境下ならこんな風に働けるわけではありません。能力があるから働けているのですから・・・

ただ、ちょっと皆様のコメントを読んで、ここの視点から見てもらえるとありがたいな。。とおもった文章があります。

それは
「一人、また一人と発達障害持ちが入社すると、過集中で特定のジャンルでバケモノのような知識の豊富さを誇る彼らの中で、「普通の人」は適応できなくなりました。健常者が劣等感をもち辞職していくという逆転現象が起こったそうです。」
という 7月12日の22:17:09のコメントです。

定型社会だから私たちが「がんばって適応しようと努力します」だってそのほうが生きやすいのは知っているので。
「回復」はできないと思ってますが、「適応」はできると思っているし、思っていたので。
でもその努力は定型から見ると無駄な努力で、効率が悪く成果もあまり感じられないようですが。

結果、努力が報われにくい体験を多くする。⇒疲労感や失敗体験だけが残ります。
この職場のこの部署のように、発達が多数で定型が少数、なんてのはめったにないことですが、でも私たちが生きているこの時代では、この部署の「普通の人」のように大なり小なり日々自閉圏内の私たちはこのように適応しようと努め、でも適応できなくなり、ドロップアウトする羽目になるのです。

ありえないけど、自閉圏が多数になったら、「努力が足りない」といわれるのは定型の方なのかもしれませんね。

たとえば、聴覚障害者の人たちが手話で会話をしている中に、私一人がいると本当にさびしくて、どんな話をしているのかわからないけど楽しそうに見えて会話に加わりたくなります。「私にもわかる言語でお話して~。まぜて~」ってなったりもします。
定型の中にいても私は、たまにそんな感じになるときもあります。
言葉がわからない。私の言葉は過去の言葉?それとも未来の言葉?という感じで・・・
同じ「日本語」なのはなんとなくわかりますが、でもわからない感じです。

前回のコメントで『雑談は緊張感を伴い疲れる』と書きましたが、居心地の良い「情報や知識の会話」の中から共感し、違った考えを知り私の思いを知ってもらう・見方を知ってもらうのは私もすごく楽しいです。
趣味の集まりなんかがすごく楽しいのはその理由からです。

最後に
パンダさんの疑問の「話をできないほど怖い」に関してですが・・・私の経験からだと、主治医いわく「パニック障害」「適応障害」「PTSD」です。(すべて病状ではなく症状として現れた一過性のもの)
一度こうなってしまうとなかなか、わかってはいるけどもう体がいうことを聞かなくなりますので、同じ言葉を繰り返したり(「そんな?そんな・・・どうしよう。ねぇどうしよう」など)、その場に立っていられなくなって座り込んだり逃げたりします。
筋肉の緊張は激しくなり、もう表情なんてうまく作れずひどいときは「まばたきや息すらできなくなる」状態です。

ただこれは私の経験ですので、可能であればお医者さんか専門家に相談をされたりするのはどうでしょうか?
だめでしたら保険診療からは外れるかもなので、高くはなりますがkaiさんが相談に行かれるのもいいかもしれません。

会話ができなければ、交換日記のような紙ベースやメールやスカイプなどを使って行ってみるとか。
「○や×」ですむ連絡徹底や、共通の社内で決めたサインなどから始めるとか・・・行動予定表なんかはあらかじめ書いておいてもらって、kaiさんはそれを確認するだけにするとか。


「私をいやな気にさせてしまって怖い」とあるので、あまり露骨に心配をしてもたぶんもっと恐縮してしまうような気もします。
kaiさん自身も疲れてしまうので、最初は専門家の方に相談した上で行ったほうが、軸がぶれないのではないかと思います。

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コメント

パンダさん
コメント(前回)ありがとうございました。そして今回、小梅さんのメールを載せていただいてありがとうございます!参考になったのと同時に、より冷静に考えられるようになってきました。
彼の言動がASの特性によるものだ、ということを私はこのブログや皆さんのコメントを通して、かなり明確に理解できるようになりました。「あぁ、ちがうのだ」ということを頭では理解するものの、身体に染み込むまで十分まだ受け入れができないうちに、彼のほうがキャパオーバー(玄さんのコメントにあった「オーバーフロー→パニック」ですね)してしまったということなのだと思います。むずかしいですよね、本当に。

小梅さん
具体的なアドバイスありがとうございます!
やはり「パニック障害」等々ですかね・・・小梅さんのご経験の状態から考えても、その可能性は高いと思います。一時的ですが、顔つきも変わっていました。
専門家に相談すべき問題ですね。彼もさすがに自覚して、どうにかしないと、と感じているとは思うのですが、そういうことすらも話ができないので、困っています。
私が直接相談に行く、ということも検討しています。できればASのことを理解してくれるところがいいな、と思っていますが、パニック障害の相談に応じている病院?で通常、ASの話をして通じるものなのでしょうか?すみません、基本的なところでよくわかっていません。
一度、地元の発達障害センターに電話相談をしてみましたが、「大学病院に連れて行きなさい」とのことでした。連れて行ければ、そりゃいいのですが・・・。彼は、自分にASの傾向がある、ということを認識しているかどうか、今の時点ではわかりません。彼に「あなたにはASの特性があるように思う」というようなことを話したときに、どういう反応になるのか全くわからず、そのあたりも悩んでいます。

あと、メモやメールでのやりとり、「○×」での連絡徹底、というのは有効ですね。携帯に電話をしても出ませんが、メールのやりとりは応じてくれます。ただ、急ぎのときには、それでは対応できず・・・。
まわりに人がいるときは何とか話をしてくれますが、二人だけだとダメです。おっしゃるとおり、こちらがあまり心配すると余計にパニックがひどくなりそうなので、できるだけ平静に、必要最低限の内容を感情を入れずに伝えるよう、気をつけてやっています。
が、「自分のせいで彼がこうなった」「この状況をなんとかしなくては」・・・という思いがぐるぐる渦巻いて、私自身かなり疲れてきています。

一過性ということですが、小梅さんのご経験ですと、どれぐらいで落ち着かれたのでしょうか?人それぞれ症状は異なることは理解していますが、もし差し支えなければ参考までに教えていただけますか?もちろん、これは個人的なお話ですので、無理はいいません。


彼が会社の代表ということもあって、まわりに相談もできず、かつ、対処しようにも情報が少ないなか、本当に本当に途方にくれていましたが、こうやってコメントを書いたり、皆さんとやりとりさせていただいたりすることで、少し落ち着いてきました。ありがとうございます。


パンダさま

はじめまして。パンダさんの本、立ち読み(ごめんなさい!)して泣きそうになりました。
私の夫も多分アスぺ系の人なんです。
息子のアスぺを疑い始めて(白に近いグレーだと思われますが、どうにかやっています。夫と近いレベルかな。やさしい子です。)
色々勉強しているうちに、
ハタと「夫が(も)そうなんじゃないか」と結婚14年目にして気付いた私です。

そう考えるとすべて納得(?)できるんですよね。
これまでの「相容れなさ」が・・・

この問題の行きつく先ってどこなんでしょう。
私が何より悲しいのは、これから先も夫と同じ土俵で気持ちが通じ合うことが
ないことを、受け入れなくてはならないであろうことです。

現実的な問題にも今まで悩まされてきました。

なんというか、経済的なことも含め、むちゃなところがあって、
「ちょっと考えたら無理でしょう」
っていう感覚が希薄なんです。
確かに有能な人ですが、過剰に自分に自信があって、
職場の人間を馬鹿にしていて自分のいる場所じゃないといって転職したがって困っています。

いつ何を言い出すかわからないので心休まりません。
いつか人に騙されるんじゃないかと心配です。妙に人を信じやすいところもあるので。

去年もそういう問題で大ゲンカになって、
手紙を書いたんです。
お互い相手の考え方を尊重して歩み寄りたいって。
もっとわかりあえるようになりたいって。
私も努力するからって。ずいぶんへりくだって書いたんですよ。
そして、この申し出をわかろうとしてくれないなら、悲しいけど私はあきらめて、
自分の心の持ちようを一人で模索しますって。

ここまで書いた手紙を読んだのか読まなかったのか、
無視したんですよ…

そのとき、今まで必死につないでいた私の心の糸が切れたような気がします。


それなのに何事もなかったように話しかけてくるんです。

私は深く考えずに自分の心の安定をはかるようにしていて、
(息子に砕く心を残さないといけませんから)
表面上は普通にしているので、波風はたっていませんが。


夫はプライドが高い人なので、自覚してくれて、
パンダさんご夫婦みたいになれる可能性はないです。

それもほんとに情けないです。

でも夫はなぜか私が大好きみたいで(一回決めたらトコトンですよね、アスぺの方って)、お茶目なところもあるし、
なにより14年間で薄紙を重ねるようにですが、学習してくれたところもあるので、
私ももうお母さんのような心境にもなってるんですよね。
永遠の片思いっていうか、お母さんが息子に抱いてる感情に近いかな。
だけど夫は私に片思いしてるみたいだと言います。
(表面上は私が冷たくしてしまうので)
ややこしくてすみません。

このブログを読ませていただいて、
自分だけじゃないんだと思えて心がすこしゆるんだかな・・・
ありがとうございます。

私の書いたことで、不愉快になられた方がいたら、
本当にごめんなさい。

また寄らせてくださいね。


Kaiさん

 相手の方とアスペについて理解を共有するというのは
 とても大事なことなんだけど、そのタイミングなどがとても難しい、
 ということはこのブログでもなんどか語られてきました。

 特に今は相手の方にもKaiさんにも余裕がない状態のようですから、
 ますます難しい気がするし、下手をするとこじれるばかりかも知れませんよね。

 本当はその方のご家族が対応して下さるのが一番だと思うのですが、
 なんらかの事情でそれがむつかしいのであれば、
 まずはパニック障害の可能性の方について焦点を当てて、
 それについて通院を勧めてみるのはどうかなと思ったりします。

 言い方も難しいでしょうけど、一度Kaiさんがそちらに相談に行かれた上で、
 「自分の知り合いで、そういう状態にくわしい先生がいるから、
 紹介するし、話を聞きに言ってみたら?」というような感じで
 間を取り持つようにするとか。
 なんかアスペの問題はそちらがある程度落ち着いてから、
 改めて考えてもいいような気がするんです。
 パニック障害とかだと薬物治療も効果があったりするようですしね。

 いいお医者さんが見つかるといいんですが……


さくらさん

 手紙については夫さんはさくらさんの気持ちをそれで
 うまく理解できたのかどうかよくわからないなあという気がしました。
 下手をすると何を言いたいのかぴんとこなかったかもしれません。

 本の中でも東山カレンさんのあのせつせつとした手紙を見て
 夫の東山伸夫さんが大混乱をしていましたよね。
 なんのことだかさっぱりわからなくなったということで。

 それまで必死でつないでいた糸がそれで切れたと言うことですが、
 それは実はかろうじてつながっているように思っていた糸が
 実はなかったんだ、と言うことなんじゃないかと思うんです。
 というのはその糸はあくまで定型的な糸で、
 アスペ的な糸はまたちょっと違ったものなんだと思うからです。
 その違う種類の糸は間違いなく今もつながっているようですので、
 それをゆっくり切らないように探していくことが大事なんじゃないでしょうか。
 ほんとに手探りの作業だと思いますけど。


 以上、具体的な状況もわからないのに勝手なことを書きました。
 もしご自分の実際の状況をお考えになって、
 なにかヒントになることがあればお使い下さい。 

さくらさんのコメントを拝見して、私の友人A子さんの言っていたことが良く理解出来ました。
A子さんの息子さんはASです。夫もすごくASっぽい方です。
夫と息子さんは、会話も無く親子らしい関わりもありませんが、夫は妻であるA子さんのことが大好きというのはハタ目からも解りますし、息子さんもA子さんにしか馴染みません。

A子さんは「会話も気持も通じないのに、夫も息子も私のことが好きなの。優しくもなく気長にも接してあげられないのにねぇ」と言っていました。

「夫とは正面から話し合いを持とうとして、あまりにも通じないからずいぶん無視したりつっけんどに接した。息子には小中学生の未診断の頃、挨拶が出来ないことが許せなくて叩いたり殴ったりした。でも、そんなにひどいことをした私を恨んだり嫌ったりする事も無く、どこが良いのかずっと好きでいてくれる」

そういう年月を経て、ずいぶん淡々と暮らせるようになったらしいです。

それでも、自分の感情の機微は伝わらないし受容してもらえないし、甘えたり相談したりも出来ないので「たまに1人でふらっと2泊3日ほどの旅行に出かけて息抜きするの」と言っていました。

A子さんは「自分が病気になっても、優しい言葉や病院選びの相談などは夫と息子には期待できないけれど、きっとずっと側にいてくれて簡単な手伝いとかしてくれると思うの。毎日、毎日そばに居てくれると思うの。それだけでもいいかな」と言っていました。

お互いの「好き」が、言葉や表情や行動に乗らないもどかしさ、タイミングのずれは定型同士より多いと思いますが、いつまでも変らない「好き」というものを教えてくれるのもASの人かもしれませんねぇ。

kaiさん

ご自分の所為でこうなってしまった。と考えてしまい悩まれる気持ちはとてもよくわかりますが、私が主治医やカウンセラーと話をする中で気付いたのは、発達障害は凹凸ゆえ、ものの見方や捉え方、認知パターンが独特です。それによって些細な事が気になったり、逆に定型の方からみると結構大変な事を気にしないでいられたりします。

なのでオーバーワークしたり、痛みや辛さに気付かないまま、先に身体症状として現れる事もあると思います。

なので、慰めにもならないかもしれませんがご自分を責めずにいてください。
kaiさんまで倒れる事がありませんように。

大人の発達障害を【診断する】という事にあまり意味を持たない医師もいます。
ですので「発達障害専門病院を探す」のに時間をかけるのは得策ではない、と私は思っています。
「発達障害かもしれないと考えられる言動がある」と医者に伝えてそれでも「まずは今表面化している症状の相談をしたい」と病院に伝えてみるぐらいならどうでしょうか?診断することを望んでる、と伝えてしまうと「出来ません」と断られた経験もありますので。
私は自分で決めて診断を受けましたが、でも診断後はホッとした反面、すごくショックだったことを覚えていますので、本人が希望するまでは診断は先延ばしにしてもよいと思います。

ご質問の件ですが、私の場合はどちらかというと【適応障害】の【パニック症状】だった、というのがわかりやすいかな、と思いますのでそれが前提でお話しますね。

パニック症状になる原因と自分が思ってしまった状態や環境からちょっと離れることによって大体収まりました。

もちろんずっと記憶として残っているので、似たようなきっかけでまた再浮上しますけど…

早いときは五分程度でその環境から離れることによって収まりましたし、長いともう月単位です。
環境の改善などを医師と相談しながら行いました。

最後に仕事上で急ぎの判断が如何ほどかはわからない上でではありますが、急ぎの時用のルールを決めてしまうとかどうでしょうか。待つ時間とか、決裁の方法の今だけの緊急ルールです。ふと頭に浮かんだので的外れだったらすいません。

追記)

すいません。
Kaiさんのお名前をkaiさんと書いてしまいました。

パンダさん

そうですね。「アスペについての理解を共有する」というのは、タイミングも内容も本当に難しいです。多少に関わらず、相手の人生に影響を及ぼしてしまうことですし。落ち着いて、慎重に対応したいです。
おっしゃるとおり、今はそのタイミングではないかなと思います。まずは、目に見えてはっきりわかる「パニック障害」の症状への対処からですね。
彼は既婚者なので、配偶者の方がいるのですが、全くつながりがないので(彼が仕事とプライベートの世界をはっきり分けているので)、連絡のとりようがない状況です。
私に対してだけパニックの症状が出ているとすれば、家では気づかれていないかもしれません。それぐらい、人によって態度がちがうので、ほかの人に説明しにくいところがあります。彼は、できるだけいつもと変わらぬよう、まわりに対してがんばっているのだと思うのですが、正直なところ、私はどんどん落ち込みます・・・スミマセン、これは愚痴でした。
ただ逆に、私に対してだけ?の症状であれば、私がお医者さんなりに対応を相談するのがいいのかもですね。
お心遣いあるお返事、ありがとうございます。落ち着いて、前向きにがんばります!


小梅さん

丁寧にわかりやすいアドバイスありがとうございます。

確かに、定型とは認知パターンが違っていて、独特だというのはよくわかります。私が思いもしないところを、彼は長い間ずーっと気にしていたり、ということはよくありました。
自分の考えや感覚だけで現象を解釈したり、決め付けたりしない、というスタンスでいることが大事ですね。自分を守るためにも、相手を受け入れるためにも。
まだ、ついつい自分を責めがちな状況ですが、いまの私にとっては大きな慰めであり、励ましとなりました。ありがとうございました。

病院や診断の件、とても参考になりました。パニック障害への対処というところから、なんとかしていきたいと思います。診断は本人が自発的にすでに受けていれば別ですが、そうでない場合、「プライドがすごく高い」と自分で言うぐらいなので、どういう反応になるか全く想像がつきません。しかし、アスペルガーかどうかということよりも、彼と私(もしくはまわりの人々)との間にちがいがあることを認識し、ちがいの内容をお互い理解する、ということをするために、診断は一つの手段?きっかけではあるなぁと思います。

そのちがいについてですが、小梅さんが紹介してくださった「発達障害ONLYの職場で能力全開で働く人たち」というtogetterのまとめ はとても興味深いものでした。「自分が定型としてこの職場にいたら・・・」と想像すると、確かにいろんなことが感じられました。時間のあるときに、じっくり読んでみたいと思います。

「パニック症状」についての回答もありがとうございます。治る、というよりは、収まる、という感じなのでしょうね。今は、発症当初からすれば、だいぶ落ち着いている時間も増えました。昨日は、ようやく進行中のプロジェクトの打合せを「比較的今までどおりに」することができました。が、打合せを始めるまでは彼が落ち着くための時間が必要でしたし、打合せの内容が終わったとたん、また話のできない状態に戻ってしまいました。小梅さんのコメントにあった、『雑談は緊張感を伴い疲れる』『情報や知識の会話は楽しい』ということなんだろうなぁと思います。
今はまだ、「私と会話をする」という行動全般に恐怖があるようですので、話しかけるタイミングや内容を気をつけながらやっています。そして、小梅さんやほかのASの皆さんのお話やコメントを参考にしながら、お互いが出来うる限り気楽に、疲労感なく、話ができるパターンを見つけていきたいと思います。

本当にいろいろとありがとうございます。また、こういう場を提供してくださっているパンダさんにも本当に感謝です。

*kai でも 私は全然気にしてませんよ。全然大丈夫です。

kaiさんへ。

私の友人のAS男性も、自分では全く無意識でしょうが、相手によってキャラというか雰囲気を違えるところがあり、せっかくの精神科医の「周囲の共通理解が大切です」というアドバイスも、個別印象が強過ぎてそのことが一番の困難となりました。(今もそうですが、今は私が諦めた・・というか割り切りました)

彼が男性同級生と会話をするときの、表情、声、落ち着いた雰囲気があまりにも「対女性」の時と、別人格ほどの違いがあったので「これは、私の言う事が男友達には理解してもらえない訳だ」と納得するしかありませんでした。
彼の年老いた父親からは「息子にはあまりに怒鳴られ叱責や詰問されてばかりなので怖くて、自分からは何も言えない。なのに息子があなたに見せる、嬉しそうで親切な顔と声といったら・・・」と、泣かれました。
それを友人達に言っても「信じられない、怒った顔など見た事が無い」「奴は優しい。父親が嘘をついているのではないか」という具合ですから。
(私は、彼の父親に対しての凍り付く程の冷酷な声を聞いたことがあり、夢ではないかと驚いた経験があります。)

全てのアスペルガーの方が同様とは思いませんし、定型でも二重人格かと思われるほどの印象の人はいますので、この話題は突っ込みどころ満載ゾーンだと思いますが(汗)。

定型は一般的には、自分の悩みや不安を会話で共感や共有感をもってもらわないと、孤独を通り越して孤立感となり、ウツになってしまったりするし
自分が自分でわからなくなり自信喪失や混乱をきたしてしまうので、
こういうときは、あえて別の人や別のことに関心を持っていくべきだと思います。

あまり根をつめて見つめすぎない、心の中でひとり追求しすぎないことが大切だと思います。

目が離せない世界へ巻き込まれる状態は、自分の身にはピンチです。

パニックにしても、もしその人が思考や認知の連続性が弱いタイプなら場面、場面でストレスを無かった事に変換することはあることなので、kaiさんの概念での心配はもしかしたらあまり意味がないのかもしれませんよ。
あくまで、自分の概念や感覚や想像の範囲で、心を痛めないようになさって下さい。

トマトさん

コメントありがとうございます。なんとも身に染みました。

実は、今日は朝から、理由のわからない不安やら落ち込みがひどく、涙がどんどんでてきました。あ~キツいんだなぁと思いました。
頭では、「自分を責めない」「思いつめない」とわかってはいるものの、まさにトマトさんの言われる「心の中でひとり追求しすぎ」てしまってるようです。
別のことを考えたりするのに罪悪感を感じたりしていましたが、やはり自分の身をまずは守る、コンディションを整えることが大事ですね。自分に余裕がなければ、まわりを助けるなんてできないですものね。もう少ししたら、お盆休みに入るので、少し現実から離れて養生します。

ご友人のAS男性の方のお話は、まさに「そうそう!」という感じです。彼にそのことを指摘すると、「そんなことはない!みんな同じだ」というので、無意識なんだろうと思います。ただ、無意識に「つっけんどん」な態度をとられる私は、いったい彼からどう思われているんだろう、と悩みます。
おっしゃるとおり、ASの方の特性とは限らないとは思いますが、すごく似ています。これまでコメント欄にたびたび登場するご友人の言動は、彼のそれと重なることが多く、「あぁ、そういうことか」ととても参考になっています。

彼は、私に比べれば、連続性は弱いと感じますが、その一方、「どうして、そこまで」と思うぐらい引きずるところがあります。また、その引きずっている内容が彼の勘違いだったりするときもあるので、訂正しようとすると「今さら、それを変えるのは難しい」と。
今回は、私とのやりとりの中で、彼にとって「ストレスとなるモノ」が積もり積もってしまった状態だと思うのですが、その「ストレスとなるモノ」をストレスに感じない違う見方、捉え方が彼の中に構築されないと、この状態から脱せないのではないか、と考えてしまいます。もちろん、私が改善するべきこともありますが。・・・・いかん、いかん、またぐるぐる考えていますね。

Kaiさん。
kaiさんと彼の間に「通訳」が存在すればラクなのに・・・ねぇ。

あくまで私周辺の例なので、参考になり得るのかどうか解りませんが、私は今ライフワークとして参加している「サークル」があります。
そこにリーダー的な人物A子さんが居ます。
イベントや接客現場できびきびと動き、ものごとの段取りや準備に労をいとわない頑張り屋さんです。誰にでも公平な態度で接し、サッパリとした人柄という印象です。

が、A子さんは一方的な説明や話はできるのですが、相手からの質問に、迅速かつ的確かつ手短に返答することが苦手です。
ですからミーティングのときは存在感が消えたように無言で地味です。
1対1での会話のときの表情や活気が消えます。
私はそんなA子さんに「意見を書面化して配布すると良いのでは」と提案むしました。彼女はとても、理論的にものごとをまとめ、メンバーが理解、納得しやすいように書いてきてくれます。

しかし誰かに、批判的な意見をされると、その場では冷静そうな態度をとりますが、実は内心のダメージが大きくて、翌日から批判した相手からの電話に出ない、ほかの場面でも「自分がダメージを受けた言葉が耳に入ると」震えたり涙ぐんだり非常に感情的な反応をする。
批判した人が謝罪して、気遣ってていねいに接してくれても、その人への苦手意識がガンとして固定され、自分を受け入れて誉めてくれる人のみに強く依存してしまう。

まるで「感情の変更がきかない」機械の設定のような、やりようのない頑固さです。
その強い拒否感に傷ついたメンバーは、もう意見も何も言えないような状況になり「あんなに嫌われるくらいなら自分も不愉快だしつらいしサークルを辞めようかな」くらい追いつめられます。

そこで私は「関係性の改善に焦点を当てるのではなく、A子さんの興味の範疇に焦点を当てたらどうだろう」と提案しました。単なる思いつきでした。
A子さんは写真を撮るのが好きなので、A子さんにイベントの撮影記録係をお願いしました。

そこで不仲になったメンバーは、とにかくミーティングやメールの一斉送信など、みんなの中でA子さんの撮影した写真を誉めたり、A子さんに写真に関する話題をしまくりました。
それらの行為は、A子さんの気持をほぐしたようです。
かなりA子さんの態度がにこやかになりました。

周囲のA子さんへの印象は「情緒不安定」です。
悪化をいじるより、良い面を伸ばす広げる一緒に楽しむ・・・くらいの、なんと言いますか心意気ですかねぇ、こちらとしては正直クタクタ感もありますが、揉めると苦しくなるのでそういう配慮をしています。
あくまで、いちご参考までにデス。


Kaiさん、トマトさん、タイミングよくコメントできず申し訳なく思っています。正直なところ、なぜか、お答えするのに抵抗感が生じるのです。何が違うのか考えたのですが、夫婦間(一対一)の問題ではなく、仕事などのグループ内での状況だからかもしれません。まず、登場人物の顔ぶれがよくわかりません。事例は「端的」なのかもしれませんが、場面や前後関係などが把握できません。この情報だけで答えられるほど「精度を落とした回答」でいいのか?と窮してしまうのです。自分の「特性」に甘えてますかね?

Kaiさんの場合、相手の方は社長さんのようですので、簡単に休んだりできないのが、通院にしても治療にしても難しい部分ですね。自分も周りも分かっていながらも、通院が始まったりしたらそれ(メンタル系疾患の治療を要するということ)が事実になってしまい、従業員や得意先に動揺が広がるということも懸念材料なのではないでしょうか。本人は十分に既に動揺していて、それが考え込みやうつに繋がっているのだと思います。

このパンダさんのサイトで、私が夫婦間のコミュニケーションに踏み込んでお話する気になるのは、夫婦は「ずっと一緒にやっていく」約束が出発点だと思うからです。それが原点であり、それを基準にものごとを計画するという二人の了解があるはず、という独断で、勝手にいろいろ書かせていただいています。(結婚までの二人のお付き合いがどうであったにせよ、結婚を決めるという瞬間にこれまでの経緯が収束し、リセットされたと、考えられませんでしょうか)
しかし、サークルや職場でのASとのコミュニケーションは、そこまでの前提が無いだけに、AS側としても「最適」を探る中で、見え隠れしてくる「自分がいないほうがいい」という案に、憑り付かれてしまいがちです。

トマトさんが紹介されたサークル内でのA子さんの扱われ方は、過剰だと思います。みんなの労力をかけるのも程度問題です。グループ内のASが「女王様」に嵌って、チヤホヤされてうまくいくグループもあるのでしょうけどね。。。こうやればうまく行く、というわけでなく、ごく1例であることはトマトさんもお書きになっていらっしゃいますが、AS本人がどの段階なのか、グループの雰囲気はどうなのかによって全く異なると思います。

トマトさんのご友人A子さん(サークルのA子さんと同一人物?)は旦那さんに対して「あの人は私が嫌いだから、真剣な相談はムダ」と考えているフシがありますが、誤解かもしれませんよ。嫌いだからまじめに取り合わない、というのは、定型の悪癖です。
嫌いでも、病気や予定の変更を順序だてて相談すれば、真剣な回答があるはずです。その対話に「やさしさ」「思いやり」の要素を期待するのが「人情」とおっしゃりたいのでしょうが、、、「その苦しみを、どう評価しているのか」を、見た目で判断しないこと・自分の計画は独立して存在している・本人の明確な意見や計画が提出されたら考慮する、というのがベースにあるのです。「私は夕べからお腹が痛いから、今日は出かけられない。子供を見ることができない状態なので、貴方が一人で出かけたいとしてもキャンセルして、今日は緊急対応が終わったら子供の面倒を見て欲しい。まずは、腹痛を見てくれる医療機関を探して、連れて行って欲しい」と、抜けなく発言して欲しいのです。「苦しそうにしているから、家族で外出は見合わせてくれるはず、優しい言葉があるはず」というのは、ボタンの掛け違いであって、ASの了解では「お互いに言わないとわからない」ですから。気持ちの交流が無い、の嘆く向きがありますが、「気持ち」は音声・表情・態度でしか出ないですか?
上記の「腹痛の奥さん」のセリフは架空のものですが、そのくらい仕切った対応も、一つのバランスポイントかと。

玄さん、アドバイス、ありがとうございます。

夫と息子に悩む友人A子さんと、サークル内の情緒不安定らしきA子さんは別の人物です(ややこしくて、すみません)。
俗的に言われる「夫は可愛くないが息子はいつまでたっても可愛い」という母性の心理はあると思います。いつまでも他人に関心がなく自分だけを頼りにしている(ように感じる)息子には、母親A子さんは、将来を心配しながらもよく話しかけているし、説明しようとしています。つまり、努力をいとわない様子です。
しかし、その努力を旦那様にまではなかなか出来ないようで「夫の生活のこだわりポイントだけは押さえて、食事や着替えの用意やメモは置いておくが、無防備に話しかけると不機嫌そうな返事や無言しか返って来ないのでこちらの心が萎えてしまう。だから夫から買い物などに誘われた時などには応じる」らしいです。その上で「こんな冷たい自分を好きでいてくれる夫と息子にいろんなプラスの想いも湧き出した」というニュアンスを伝えたいコメントでした。


私は、定型の人のコメントについ、共感レベルでコメントしてしまう癖があるようで、私のコメントに不快な思いをされたASの方がいるとすれば、申し訳ないです。

職場での人との悩みには、自分のサークルの人間関係を例としてコメントする。
夫婦間で悩んでいる人には、身近な夫婦の例をコメントする。
そういう一例を参考や慰めにしてくれたら良いなぁという思いで書くのですが、それがASの方の混乱や違和感になってしまうかも知れません。

ASの方には「私にはこんな悩みがある」に対して「私の身近でもね・・・」という例え話は、「共感しているんだなぁ」とか「悩んでいる人を見過ごせない感情的コメントなんだなぁ」とか、そんな観点は理解しにくいですよねぇ。すみません。

私は人の話を聞く時「答えが欲しいのだろうか」「共感、同調して欲しいのだろうか」「ただ親身に聞いてほしいのだろうか」の3つを感じながら聞きます。
メール上でのコメントは表情が見えないので、つい共感に走りがちです。私の悪い癖かもしれません。

トマトさんご返答有難うございます。
「共感」、私はよくわかっていないのかもしれませんね。
私が会話でやっていることですが、ひとつの話題から例えば4~8個の「連想」が浮かんだとして、その中で出来るだけ「似た事例」を選び、さらには出来るだけ自分の身近なエピソードを選ぶ。そういった作業を素早くやって話題提供すれば、比較的「話が跳んでいない」会話が保てます。見た目には、(自分のこととして捉えなおしているので)共感しているように感じてもらえるかもしれませんし、それを期待しますが、実情は「感じ取った」というよりは頭が搾り出した産物です。
会話での反応プロセスについて、他人の頭の中で、それ以外の事が起きているとは想像できていませんので、トマトさんの言われるように「理解しにくい」ということかもしれませんね。まいど蛇足ですが、、、どんな発言も背景に自己顕示欲があることが否めません。義務感・正義感があるにしてもです。そういう目で、他人を見ているということなので、叱られてしまうかもしれません。(^^;)

昨晩、家族でドラマを見ていて、家内は涙を流していました。たぶん、登場人物の心情を自分に引き寄せて「共感」していたのでしょう。でも私の場合は、映画を観るときなどは、ほとんど連想モードはOFFで、情報収集モード全開です。家内は映画を一本観ると影響を受けて疲れると言いますが、私はそんな感じはありません。(そんな私でも、映画で涙が出ることだってあるし、会話をしていて「僕も同じです!」という発言をして(連想の結果プラス熱い演技ではありますが)意気投合っぽい体験をすることもあります。)

トマトさんの人の話を聞く姿勢「答えが欲しい、同調して欲しい、親身に聴いて欲しい」は面白いですね。でも、私なら、答えを持っているならばもったいぶらずに言います。一番分かりやすい会話のあり方です。
同調は、聞いてみないと分からないが、そもそも(完全一致は)ありえない。違っていたって、認め合えればいい。だから意見が違っていたら「僕は違う」といいます。
「親身」は態度・雰囲気・時間の要素が含まれる気がします。こちらの感情を過剰に出さず、静かに、ゆっくりと時間を取るのは、ASにも可能な対応です。身体接触は避けたいですが・・・
どれなのかを探りながら、ということは私には無さそうです。答えがあれば言う、無ければ自分は(相手に)不要なので立ち去る。聴いて欲しいなら聞くだけ聞くが、言うことは言う。そんな感じです。
(実際には、聞いているフリ&生返事という、ASにとっての高等技?もやります)

ASは、定型の方の「期待」全てを受け止められないのかもしれませんね。それが、定型の苦しみや「諦め」につながるのでしょう。ASは、定型の方の期待を受け止められないことに悩み、あるいは自分自身に期待してそれが叶わないことに苦しみます。期待する内容を認め合えれば、スタートラインに近づいているのかもしれませんよね?

玄さん、いろいろ教えていただき、ありがとうございます。

玄さんのコメントの
【実情は「感じ取った」というよりは頭が搾り出した産物です】
という部分は私がもっと意識しなければいけない点です。AS友人は、いかにも共感したような言葉を返してくれるし仕草をするので「感情レベルで理解してもらえた」と、こちらが勘違いして、後で感情的に混乱することが多いです。

それと
【どんな発言も背景に自己顕示欲があることが否めません。義務感・正義感があるにしてもです。そういう目で、他人を見ているということ】
は、AS友人も全く同じことを言います。ASの方にはオキシトシンという信頼ホルモンが少ないから・・という説で自分を納得させていますが、「言葉の背景の愛情や親切は分析しないのに、疑いやうさん臭さの精査だけは熱心だよね」と、つい口論になります。

【映画を観るときなどは、ほとんど連想モードはOFFで、情報収集モード全開です。家内は映画を一本観ると影響を受けて疲れると言いますが、私はそんな感じはありません】
AS友人と映画を観て、自分は感情移入をしてまった場合、AS友人の見解や解説的なカタログ的感想は、やはり共感への手がかりがなくて「二人で観たのに寂しいなぁ」という感情になります。たまに感想が合って嬉しいときもあります。
そういうときは「いぇ〜い!」と両手タッチすることにしています。

定型はASの人に、感情を投入し過ぎて、疲れるんですよね。

トマトさんが、ASの人々と深く広く交流されている事がわかります。感謝申し上げます。
「愛情や親切」は、分析しようにもキャッチできていないのです。このあたりが解明、あるいは理解されやすい的確な説明ができるようになると良いのですが。。。
「疑いやうさん臭さの精査」は確かに、ある意味熱心ですね。相手の言っていることが「文法的に合っているかどうか」をチェックすることが「正しい話の聞き方」と信じている感じですね。それと、自衛の意味もあります。「ふざけている、うそを言っている、騙そうとしている」人の言葉の本質を「表情や雰囲気」で見抜く事ができないので、言葉のほころびから反論するしかないのです。このあたりはASの方、どうお感じでしょうか?

トマトさんがご友人と映画を観に行かれたエピソードですが、トマトさんは「共感」を求めて映画を一緒に観たのですね。しかし友人の方は映画を観る目的として「共感」ははじめから無かったのでは?
僕は映画を多く観るほうではないですが、嫌いじゃないです。見た後に、いろいろ語り合いたいので、一緒に行く人がいるのは良いことと思います。(映画を観ながら手を握り合うのは御免です!)映画の感想は、違えば違うほど面白いと思います。まったく違う感想を話し合えたなら、2倍楽しめたことになりませんか?それと、映画は思い出作りですね。「あの年あの季節にあの映画を一緒に観たね・・・」という共通体験は、記憶としてとても大切な気がします。

気になったのは、トマトさんがご友人に「共感」を求め続けることです。予想ですが、ASは「友人」に「共感」を求めていません。「定型は当然のように共感を求める」ことを知らないかもしれません。共感(同じ感想)がなくとも、同じ時間を過ごし、同じ目標に向かって活動することはできると思います。(ASは友人の「存在」は、有難いと思っているはずです)
映画で感想が違っても、「話もできたし楽しかった。また行こう!」と言って握手すればイイじゃないですか!(握手はナシでもイイです)ASは口ごもって返事が聞こえないかもしれませんが、そういう奴です。たぶん。

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