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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2012年8月22日 (水)

二人でいたら二人

 トマトさんがコメントでこんな事を書かれています。

 「プラス思考と、寂しさのせめぎあいのような日々。そんな日々にも、徐々に慣れ、馴染み、諦め、、割り切りが、落ち着きを与えてくれる。ASと定型のカップルには「二人でいても独り」への慣れと、相手のユニークさへの愛着が絆となっているように思えます。」

 自分はどうなんだろう?と考えてみると、何故か「二人でいても独り」という感覚がないんですね。とにかくそこにパートナーはちゃんといる。お互いの理解が通じ合わないことはあるけれど、でも「通じ合わない人」がそこに確かにいる。それで腹が立つこともあるけど、そうやって腹立たしい思いにさせる人がそこにいる。

 もちろんマイナスの意味だけじゃありません。なんかそこにいてくれるとうれしい。別に楽しく会話したりどうのこうのと言うことはなくて、ただそこにいるだけなんだけど、だけどなんだかうれしい。昨日ファーストフードで偶然出くわしたんだけど、そうして出会って一緒に座っていてうれしい。むこうはどう感じてるんだか分かんないんだけどうれしい。

 そんな風に考えてみると、プラスの時でもマイナスの時でも、二人でいたらパートナーはとにかくそこにいて、だから「二人でいても独り」って感じないんです。

 まあ、もちろん「二人でいても独り」って、ふたりでいるのに気持ちが通じ合わないとか、相手が自分の世界にこもっていて自分がとりのこされていると感じてさびしいとか、そういうことを言うんでしょうけれど、でもどっちの場合もパートナーの存在感は消えないですね。

 これ、最初からそうだったのか、最近そう変わったのか、どっちなんだろうと思うんですが、うーん、どっちかというと最近そうなったのかも知れないです。

 そう言えば昨日の晩もパートナーのちょっとした発言で私が落ち込み気味になっていたんです。そうすると最近パートナーがかなりそういう私の状態に敏感になったみたいで、何が問題なのか、と話しかけてくれるんですね。で、話し合ってもなかなかお互い理解できないし、結局何の解決もなくおわったりするんだけど、それでも話をしてくれるわけです。もしかするとそういうのも影響してるのかも知れません。

 どうせ人間同士、だれであれすれ違いを生きていて、ときどき交わったりしてるんだ、と考えれば、相手が定型だろうがアスペだろうが同じといえなくもないですよね。

 うーん、そういう感覚なんだろうか?
 まだよくわかりませんです。

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コメント

ASには、「交流や共感」について「欲求」「認識」が薄いことを申し上げてきましたが、では何があるのか?を自問しました。
二人が二人でいる意味は無いのか?そんなことはないはずです。
未読ですが「一緒にいてもひとり」という本がありますね。このタイトル、原題は「alone together」ですから、「一人ぼっち同士」(でも、助け合ってくらしていく)という意味のなのではないかと思っています。邦題は「寂しくてやりきれない」という定型側の面しか表現していないと思うので不満です。

役割を割り振られていて、「役に立っている」という手応え。誰か(パートナーや子供?)を支えているという自信は、一人では生まれません。先祖から生を受け、次代に引き継ぐ役割に、自分の世代の当事者として組み込まれていること自体、喜びです。

「通じ合う」ことのニーズの大きさがどれほどのウェイトなのか、まだ分からないでいるのですが・・・ぼとぼち、一生かけて考えさせてください。(^^)

「存在感」という問題になると、定型同士より、AS&定型のカップルや親子の方が、強く感じるものではないかと思います。
定型はASの伴侶や我が子のことを「気がかり」・・というのですか、腹が立ってもどこか心配という独特の感情が、母性や父性と昇華するがごとく一生モンになる人も多いと思います。

庇護の対象が愛情になるタイプの人も居ます。
コミュニケーションハンディーの向こう側の、相手の人格に魅かれ惚れ込むということもあります。

しかし、人生や家庭の中で大きな問題が起きた時や、定型の健康や経済力が崩れた時こそ「二人でいても独り」の判断力で、乗り切らなきゃいけないと思います。

私はうちの親の葬儀のときなど、夫や息子と話し合いながらコトを進めました。
でも、友人AS宅の場合は、親戚も疎遠になっていて来ないし、葬儀社と友人の話が成り立たないので、仕方なく他人の私の判断にゆだねられたのです。これは、私が友人であっても妻であっても同じ役割だったと思います。

突発的な出来事、大きな岐路。そんなとき「話し合えない、相談し合えない」という場面において「二人でいても独り」という心境はあると思うのです。

玄さん

 「役割を割り振られていて、「役に立っている」という手応え。誰か(パートナーや子供?)を支えているという自信は、一人では生まれません。先祖から生を受け、次代に引き継ぐ役割に、自分の世代の当事者として組み込まれていること自体、喜びです。」

 この言葉、なんか凄いです。ずしんと胸に響きます。パートナーが私に求めているのも、
 そういう認められ方なのではないか、という気がしてきました。ほんとに凄いです。
 そこに玄さんがしっかり足場を置いていらっしゃるから、
 何か揺るがない自信や安定感を玄さんに感じられていたんだと思います。

 私の場合、子供にはすごく苦労させてしまったし、子供は立派にそれを
 乗り越えてくれたとはいえ、パートナーはそのことへの消すことの出来ない
 罪悪感を抱え込んでいるんです。私を「苦しませた」ことについてもです。
 私のことについてはお互い様だと言うんですが、もうひとつ納得してくれない。
 で、そんなとき、私は「二人で生きてきたことの歴史の重み」みたいなことを
 最近特に感じるようになったし、そういう話をするようになったんです。
 その過程には苦しいこともたくさんあった、でもそれも含めて、
 二人で作ってきた歴史なんです。その上に今がある。
 それがなければ今はない。
 その中で彼女も確実に役割を果たしてきたんですよね。
 そんなことにもなんかつながる話に思えました。

 alone togetherの話もうなづけます。「ひとりぼっち同士が一緒に」
 みたいな感じですよね。
 ほんと、邦題の方、良くないなあと思います。


トマトさん

 なるほどおっしゃるとおり、たしかに「二人でいても独り」とか、
 「二人でいても独り分」というか、そういうことはあるんですね。
 頼りたいときに頼れない、という感じでしょうか。

 もしかするとそこって男女差があるのかもしれません。
 私の場合、あんまりパートナーに「たよる」という感覚がない。
 いや、いろいろ「世話」にはなってるし「助けられている」んですが、
 それは「たよる」というのとはちょっと違う感じがします。
 逆に「甘えたい」気持ちはあって、これが満たされないし、
 パートナーには子供だと言われてしまう所なんですが、
 それも「たよる」というのとはちょっと違う。

 男女差だけじゃなくて性格の差もあるかもしれませんけど。

AS同士だと、二人が全く同一人物であるような感覚がときどき味わえます。
社会的には二人いても半人前なので、なんとか一人前に近づきたい、と一緒に努力する楽しみもあり、挫折感も共通です。
これは定型の人とでは味わえない感覚ですが、愛とかそういうのではなくて仲間感覚なのかもしれません。

さかなやさん

 反応がのんびりで失礼いたしました m(_ _)m

 AS同士、二人が全く同一人物という感覚が味わえるというの、びっくりです。
 それも一種の共感的な関係になるんでしょうか?
 仲間感覚と書かれていますけど。

 うーん、何かなぞめいていて面白い!

はじめまして。興味深く読みました。
私は夫がたぶんASです。だから「二人でもひとり」です。
その覚悟がなければここまで家族でいられなかったと言ってもいいと思います。
子どもの問題が起こった時、夫は子どもを理解できませんでした。
私が一人で学校と交渉し、子どもを守り、育ててきました。子どもは3人です。
夫には「私の支えになって」と頼みましたが無理でした。
逆に、私の実家は、母がASです。すると、母の育児の不具合などに父は全く気づかないんですね。男だからか「妻は俺の気持ちがわからないらしい」という視点でしかない。
しかも「俺が妻と子を支えている、理解している」と思っているようですが、母はそんな父と暮らすのは大変だといつもこぼしています。
父はASである母を頼って「普通」だと思っているようですが、母は父から頼られる(家事育児など)ことが辛くて、子どもに愚痴ばかりこぼしており、子どもである私に負担がかかりました。
そのあたり、男性はどうお考えなのかなと。
ASでなくても、育児で孤立したり、介護で孤立することは女性には普通です。
そこを支えてくれるかどうか。でも、ASの男性にはそれができない。ゆえにパートナーである女性はひとりだと思って頑張るしかないのだと私は思います。
私も、私が男性だったらどれだけ相手を助けられることかといつも思いますし、これほど苦しまなかっただろうとも思います。

くーひなさん

 はじめまして、よろしくお願いします。
 くーひなさんの場合「二人でもひとり」は「覚悟」の言葉なんですね。
 
 家の場合は私(男)が子ども好きでアスペのパートナーの子育てに
 ずっと問題を感じ続け、それを言い続けてきました。
 でもそれが全く伝わらず、「ほら、こんな風にしたら子ども喜ぶでしょう?」
 とか実際に目の前でやって見せても全然伝わらないんです。
 そのうちにパートナーとしては訳の分からないことばかり
 言われ続け、文句付けられ続けるという感じになって、
 私の話を聞いてくれないようにもなりました。

 結局子どもは思春期に入って決定的に大変になってしまいましたが、
 そうなることを予感しながら何も有効なことが出来なかった自分が許せず、
 結局私も鬱状態になってしまいました。
 その後二人の子どもは自分の力でその危機をしっかりと脱してくれて、
 今はほんとにたくましく自分の道を歩んでくれています。

 子育てで共感性が大きな問題になる時期に
 母親がアスペの場合にはなかなか難しいことが多く、
 父親が仕事をしながらその片手間に多少そこに関わるくらいでは
 どうしようもないということがあるのかなと思います。

はじめまして。
私は診断は受けていませんがASです。そう思えば今までの生き難さが納得できます。
37歳で11歳年下の外国人と結婚し、現在彼の国にいます。
2人の子ども3歳と0歳がいます。

今、離婚を考えてこのHPにたどり着きました。
私が離婚を考えるのは、私が嫁、母である為に彼や子どもたちに悪い影響を与えてしまう、そう考えるからです。
彼は言葉では愛を伝えてくれますが、幸せそうではありません。
彼にはもっと良い人生があるのに…そう思うと本当に申し訳なく思います。
彼は大学院を卒業し、研究員として大学で働いています。
こんな将来のある人が私と一緒の為に私生活が満たされないのは辛いです。
まだ幼い子どもたちにももっと良いお母さんのもとで育って欲しいと思います。
もちろん子どもも彼も大好きです。離れたくない。でも、考え方の癖?でしょうか、がんばってよいお母さんに、彼が望むような妻になる努力も続かず、私が身を引けばいい。と短絡的に思ってしまいます。
彼は、スキンシップや愛を口にすること、この2点を強く要求します。
書けば簡単なことなのに私にはできない。

彼に新しいパートナーを探してもらい、その人に子どもを任せられると思ったら、私は日本に帰りひっそり彼らの幸せを祈り生きていく。こんな考えが頭を支配してます。
でも本当に継母が子どもを大事にしてくれる保障がない。
だったらASと向き合って、大事な子どもを守りたい。この気持ちがあるから、彼には離婚の話しができません。

ASであること、彼に伝えるのが怖いです。障害があるならいくら言っても無理って思われたらどうしようって思うから。

離婚か継続するにしてもズレを調整する技術を学ばないと同じことの繰り返しですよね。大事な人が苦しまない道は?自分にがんばれる技量があるのか・・・

書いてたら泣けてしまいました。すみません。支離滅裂で。

まめさん

 初めまして。
 正解があるのか無いのか私にも分かりませんけれど、
 パートナーにまめさんと同じようなことを言われたことのある自分の経験から言うと、
 そういう理由で別れるのは嫌だと思いました。
 ただ、うちの場合はアスペであることはお互いに理解し合っているところは
 まめさんのところと状況が違いますけれども。
 でも彼と子どものために離婚するまでの覚悟をお持ちなのであれば、
 まずは彼に誠心誠意状況を説明してみられてはどうなのかなと思ったりします。
 それで一緒に頑張ろうと言ってくれれば理想的な気がするし、
 万一だめならそのときは仕方がないと諦めるしかないのかも……

 まめさんのお宅はどうなるのか分かりませんけれど、私の場合は
 やっぱりそういう理由で別れるのは嫌という気持ちがあります。

まめさん

 パートナーの感想の追加です。
 お子さんが3歳とかいう年齢になると、やっぱりお母さんに「見捨てられた」という思いが残ってしまうのが心配だと言うことでした。それから、仮に、ですけれど、お子さんにもアスペの傾向がある時に、逆にお母さんの経験が生きることもあるかも知れないとも言っていました。
 ご参考になるかどうか分かりませんが、とりあえず。

パンダさん、パートナーさんありがとうございます。そしてお誕生日おめでとうございます(*^_^*)
メールを書き、パンダさんから早速お返事絵をいただき、彼に状況を伝えたいと思いました。日中子守をしながら言葉を捜し今夜話そう、と思ってたら見事に下の子が寝ないんです。私の感情が昂ってたのがうつったのでしょうか。
もう少しAPを知った上で彼と話したいと思います。
パンダさんとパートナーさんのやり取りで彼の気持ちも同じなのかなぁと考えたりします。

子どものアスペについては私も同じことを考えました。
子どもに心の傷を作るのもやっぱり辛い。
「見捨てられた」そうですよね。子どもはめちゃくちゃかわいい。でも自分が苦しいから逃げ出したい気持ちがあるのかも。そうすると、見捨てたことになるんですよね。
パートナーさん気付かせていただきありがとうございます。

パンダさん、パートナーさんお二人に悩みを打ちあける事ができて本当に助けていただきました。

お二人みたいな関係もあるって言うことがとても励みになります。
またゆっくり読んで参考にさせていただきます。

まめさん

 ありがとうございます。
 なんとなく思ったことをお返事するしかできませんけれど、
 何かそこから参考になることがあるのでしたら、とても嬉しいです。
 パートナーも、まめさんのお返事を読んで、よかった、と言っていました。

 「お二人みたいな関係」はとても「理想的な夫婦の姿」なんていうものではないですが、
 (お互いにいつまでたっても問題だらけですし (^ ^;)ゞ )
 逆に言えばある意味「普通の夫婦の姿」なのかもしれません。
 でも、時に「普通」ってすごく難しいんですよね。
 定型としては極めつきの変人だと思っている自分としては、
 普通に普通の夫婦をやっている人ってすごいなあと思います。

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