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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2012年7月 5日 (木)

お互いに教え合う

 なんと二年も経たないうちに(1年8ヶ月)、アクセス数が20万を超えてしまいました。人数で言うと多分一人で一回平均4,5頁アクセスされているようなので、のべ5万人くらいの方が訪れて下さっていることになります。でもこの数でもこの問題に苦しんでいらっしゃる方の数から言ったら、きっとほんのほんの一部に過ぎないんですよね。そして私がかつてそうだったように、未だにアスペと定型のズレ、という問題として気がつかずに、訳が分からず苦しんでいらっしゃる方はさらに多いのでしょう。

 そう思うと、この世の中、どれだけ膨大なみなさんが「苦しみ」の中を日々すごしていらっしゃることかと考えて、ちょっと呆然とする思いもします。

 話は変わりますが、あるアスペルガー(自閉圏?)の方からメールを頂きました。ブログが荒れるといけないからと心配されて個人的にご意見をお送り下さったのですが、私が拝見する限りでは、ちゃんとした冷静なご意見で、荒れの原因になるようなものには感じませんでした。

 書かれていることは、私が理解できる範囲でまとめてみると、ひとつ目はあるカップルの中で起こった問題が、相手が「自閉圏」の人の場合には、何でも「自閉圏内の人がすること」と一色単に捉えられてしまう傾向があるんじゃないか、という疑問です。

 このブログでもたびたび問題になり、記事にも取り上げてきましたが、定型と一口に言ってもほんとにみんな個性的で一人として同じ人はいないように、アスペの方たちだってそれぞれが個性的で、いわゆる「自閉的」な部分だって、その現れ方は人によって千差万別だったりするのですよね。もちろん定型もアスペも両方に共通しているような「多様性」だってある。たとえば割に話が好きな人とそれほど好きでない大人しい人の違いは定型にもアスペにもどちらにも有るでしょうし。巨人が好きなアスペの人も定型の人も、阪神が好きなアスペの人も定型の人も有るでしょう。

 だから、アスペと定型のカップルがうまく行くかどうか、という問題だって、「それはその人によるでしょう」ということになると思います。アスペと定型のズレを抱えながらも、どこか大切なところでお互いに必要としあって続くカップルもいるし、ズレの大きさだけが目立って、相手を必要と感じられない状態になってしまうカップルだってあるはずです。そういうことも一人ひとりの状況を見ないと、一般的に「アスペと定型だから」ということで片付けて澄むことではないと思います。

 そんな風に考えるので、メールを下さった方の意見にはとても大事だと思います。自分の経験からすぐに「アスペだから」「定型だから」と決めつけてしまう前に、「私の経験したアスペの人の場合」とか「私が経験した定型の人の場合」というふうに、あくまで個々人の問題としてまず考えて、その上でそれがどのくらい他の人たちと共通性があるかを考えていく。といっても人間、どうしても「単純化」して考えやすいですから、そこはお互いに注意し合って「いや、アスペといってもこういう場合もあるよ」とか「定型といってもこんな人もいるよ」という風に教え合うことが大事かなと思います。

 それからその方が二つ目に書かれていることは、たまった思いを「はき出す」ことは大事なんだけど、やっぱりそれを「定型グループ対自閉圏グループ」の対立として集団間の争いみたいにはき出すことは避けたいということです。そしてその吐き出しが、どこまで相手と歩み寄る姿勢で行われるのか、それがあれば自分は定型の側からはき出された文章を読むのも大丈夫の気がすると書かれています。

 三つめに書かれていることで興味深かったのは、実は私が記事を書くときにいつも気になっていたことなんですが、私の文章の書き方が、特にアスペの一部または多くの方にとって、言葉遣いなどの面で分かりにくかったり誤解を招いたりすることはないだろうか、という問題についてです。

 たとえば今回「諦める」という言葉を使いましたが、私は「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」という言葉もあるみたいに、自分のこだわりを捨てることによってかえって状況が良くなるという感じで使いました。けれどもメールを下さったその方がこの言葉を聞くと「諦められてしまうんだ。」と感じて悲しい気持ちになるというんですね。これは私が予想していなかったことでした。でも、そう言ってくださると、パートナーのいつもの感じなどから分かる気がします。やっぱり彼女も私がプラスの気持ちで言ったことをそういうマイナス方向で理解して落ち込んでしまうことが時々あるからです。

 もちろん逆の場合もあって、パートナーがプラスの気持ちとか何気なく言ったことで私がマイナスに受け取って激しく落ち込んでしまうこともある。これはお互いに「そういう言い方は落ち込む」とか、言葉で教え合う以外に対策を思いつきません。そうやって少しずつどうやったらこの人との誤解を減らせるのかを身につけていくしかないでしょう。ただ、ブログのように「相手がどういう人か分からない」のに一般的に欠かざるを得ないときにはそんな工夫にも限界がありますが、でも少なくとも今回メールを下さって、「諦める」という言葉についての感じ方の違いを私は知ることができました。

 あと、「諦める」ではなくて「無理をしない」という言葉に置き換えれば自分は理解しやすいとも書かれていらして、「ああなるほど!」とちょっと感心してしまいました。そうですね。たしかにそういう言い方の方が誤解も少なくていいのかも知れません。


 お互いにこんなやりとりを地道に続けながら、少しずついい方向を探っていくこと、それが「アスペルガーと定型のコミュニケーションを考える」ということそのものだろうと思います。

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コメント

パンダさんのメールに対するコメントで、お考え・方向性がよく分かりました。有難うございました。
「千差万別」のところで、僕は「個性の広がりはASも定型も同じ幅があるのではないか」と思いました。ただ、ASが背景にあると、個性がブーストされるかもしれませんね。個性と特性は混同しがちで、僕も混乱がありますが、パターンともいえる特徴的な反応が公約数のように共通点として浮かぶ→「症候群」としてグループ化して(学者が)研究するに至った、という流れだと理解しています。

言葉の意味にも、触れられました。僕は先般、パンダさんの「諦め」の真意を汲み取れず、ネガティブに受け取って過剰反応してしまいました。「自分のこだわりを捨てる」ということだったのですね。私は「諦め」という単語を「相手への興味の気持ちを自分から放棄する」と受け取ってしまっていました。
今ならば、パンダさんが「諦め」という言葉を使っても、「ああ、追究しないで留保する、見守りモードだ(^^)」と受け止めることができます。言葉の意味の広がりは、知るほど面白いものです。誤解をゼロにするのは不可能です。ASなら尚更、誤解や勘違いは多いと自覚して、ついでに定型の方の勘違いにも寛容になれればイイですね。「行き違い」は何時でもありえるものと、懐深くいられればいいと思っていますし、誤りに気付いたら直したい。言葉の意味の取り方が違って、少々の独走があるくらいは、、きっとお許しいただけるでしょう。僕が心配し謝罪までしたのは、「書き込み内容や考え方を押し付けるような、偉そうな態度」になってしまったことについてです。
FOXさんが気にされているパンダさんの「取り上げ方」については、僕は問題ないと思っています。パンダさんもおっしゃるように、ブログ形式のサイトでの意見交換はどの意見へのコメントなのか示すのが分かりにくく、司会者役にとっては簡潔にまとめたり「興味深いテーマに話題を絞りましょう」と交通整理をしたりは、難しいながら必須の作業です。
悪く言えば「ツマミ食い」ですが、「このフレーズについてこう思った」という部分引用は、このサイトでは自由な展開を許容するという意味で、OKなのだと受け取り、そのようにさせて頂いています。「取り上げ方に偏りがあるかどうか」にも、僕はほとんど問題を感じませんでした。パンダさんやトマトさんのお話は、「定型の当事者」ならばそのように考えるのだな、と受け止めるています。パンダさんが運営するこのサイトを舟に例えれば、「安心して舵を任せられる」という気持ちです。だからこそ、参加させていただいています。
サイト運営についての個人的な希望ですが、参加者が「お互い様」観を持ち、寛容の雰囲気が維持されているのが良いと考えています。私が勝手に「A定」と呼んでいるこのサイト、いい感じにASと定型がセッションできる場「A定フィールド」ができているのではないでしょうか??(^^)

玄さん

 FOXさんの問題提起を受けて、私の気がつかないところで玄さんや多くのアスペのみなさんにマイナスの意味を持ってしまうことを書いていたのかどうか、心配をしていましたが、玄さんの受け止め方を教えていただいてほっとしました。

 「いい感じにASと定型がセッションできる場「A定フィールド」ができているのではないでしょうか」

 と書いて下さったのは私にとっては最も嬉しい評価です。どうもありがとうございます。これからも相変わらず「A定」をよろしくお願いします m(_ _)m

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