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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2012年7月 4日 (水)

再び「諦める」について

 このところ次々に沢山の方からコメントを頂いて、ひとつひとつとても大事なことが書かれているのでお返事したいのですが、多くなりすぎてどれがどれへのお返事かも分からなくなりそうなので、ほんとにごめんなさいですが、今回は個々のお返事についてはお許し下さい m(_ _)m

 と、いいつつ、今日は玄さんからのコメントを手がかりにちょっと考えてみたいことがあります。玄さんはこんなことを書かれています。

「ASとのコミュニケーションで嫌な思いをされた経験を吐き出したような文章は、読まずに済むなら読みたくないですし、嫌な思いをさせたAS個人を擁護するようなことも言いたくありません。」

 ここ、むつかしいなあと思います。これは定型の特性なのかも知れませんけれど(いや、でもパートナーもちょっとそういうところがあるかな?)、嫌な思いがたまってくると、絶えられなくなってどこかではき出したくなるんですよね。そうしないと憤りが胸一杯にたまってしまって、もう息もできないような状態になってしまう。そうなると、本当は全然問題ない筈の相手の言動まで、嫌で嫌でたまらなくなってしまったりして、もう悪循環にはまりこんでしまいます。

 だから、どこかで一度思いっきりはき出して、息をつく必要がどうしてもあるんだと思うんです。ただむつかしいのは、そう言うときは理性的なコントロールは外れて、相手がどう思うかまで気が回らなかったり、むしろ相手を傷つけることを願ったりしてしまうことがあるので、定型のはき出したものをたとえばアスペの方がご覧になったら、決して気持ちのいいものではなく、ひどく傷つけられたりとかもあると思うんですね。

 かといって定型の方で我慢に我慢を重ねても結局は爆発してもっとひどい状態になるし、出したら出したで相手の方を不当に傷つけることも十分あり得るし……。そこの難しさです。

 実は私の場合も同じようなことがありました。それはパートナーがアスペという理解が共有されてそれほど立っていない頃のことなんですが、それまで何でこんなにお互い通じ合わないのか、自分が拒絶されている(ように感じられてしまう)のか、苦しくて苦しくてしょうがなかったことを、何人かの親しい友人にどーっとはき出したことがありました。友人たちはとても共感的に話を聞いてくれて、そのとき、ほんとに自分が救われた思いがしたんです。

 ただ、そういうのは、相手の人も定型の人だから成り立つことなんですよね。もしそれを聞かされているのがアスペの人だったら、やっぱりすごく傷ついたり、訳が分からずに困惑したりしたと思います。

 そういう意味では、こういうブログなんかにも役割分担があった方がいいのかも知れません。定型同士でアスペの人への思いをぶつけ合ったり、逆にアスペの人同士で定型への疑問をぶつけ合ったり、そうやって自分の気持ちを整理していく場と、それからこのブログが目指しているように、違いを前提にしてなんとか折り合う道を模索していくような場と。

 そのときにもうひとつ難しいことのように思えるのは、たとえばこのブログであっても、お互いにどんなときに苦しい思いをするのか、どんなときに耐え難く感じるのか、ということについてはやっぱりある程度理解し合わないといけないのではないかと思えることです。それがわからないと、何を解決していけばいいのかも見えてこないと思うんですね。その意味では「はき出す」要素もここでも必要なのかも。

 ただし、やっぱり「はきだすだけ」だとダメなんですよね。それははき出すことで「じゃあどうすればいいんだ」という次のステップにつながるようなものになることが理想です。そんな気がします。

 それと玄さんの書かれている

 「ですが、「ASの言動を定型の方が諦める・無視する」という論調は非常に残念ですし、理解や支援に繋がらないと思うのです」

 については、私自身は「無視する」という言葉は使いませんけれど、「お互いに諦める」という部分はどうしても必要になることはあると思えます。というのは、お互いの重要な特性で変わりがたい部分が問題になっている場合です。その場合でも多少お互いに意識的に譲り合うことは、ある程度は可能かも知れませんが、そのこと自体かなり負担が大きくなる可能性もあります。そういうときにはむしろそこのところはお互いにかわらない特性として認め、それ以上は追求しない、という意味で「諦める」こともありうると思うんです。そのあたり、どこは諦め、どこは諦める必要なく理解や支援を行えばいいのか、その見極めも難しいとは思いますが、経験の積み重ねでなんとなっく分かっていくのではないでしょうか。そのことを前提としてであれば、
 
 「なので、「諦める・無視する」という定型の方の「態度」を、私は放置せずに、理解に繋がるアイデアを出したいのです!」

 と玄さんが書かれることには賛成です。

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コメント

はじめまして。出会って2年の知人男性がASだと思いはじめ、何かと違和感がありストレスになってます。とつぜんすみません、だれにも相談できず、言いたいことがふくれあがってきました。
たとえばたびたび電話をかけてきて、通常なら異性に電話するのは好意があるからだと思うのですが、彼の場合、自分の喋りたい欲求を満たすためだけにかけている気がします。
わたしは彼を友人と割り切れず、ほんの少し男性として好感を持っています。おちゃめで楽しい性格に惹かれました。

彼の腹立つところは、わたしが電話口にでてあたり前、とおもっているような、どことなく尊大な口調です。恋人でもないし、なんなんだ、って思います。わたしと連絡をとることが大前提。
表面上はやさしいけど、謙虚さというか相手をおもねるというか、何かが欠けてる気がします。人の感情には無関心みたいで、わたしはお喋りをきいてあげるマシンなのかって思います。言動がびみょ~に失礼なんです。
気をゆるした相手にはどんどん横柄になるのでしょうか。
通常、男性がとる行動の真意が彼には当てはまらないのかと思うとがっくり…
(好きだから電話する、会う、など)

話せるならだれでもいいんだ、と感じさせる無機的な一方通行おしゃべり。
けれど快活で、一見感じは良いのです。
混乱してきました。どなたかご意見くださいますでしょうか。よろしくお願いいたします。

パンダさんに、まずお詫びしたいのは、このサイトはパンダさんの主催のものなのに、私が「こういう論調は良くない」とかを勝手に申し上げて、自由なコメントをけん制した形になってしまったことについてです。申し訳ありませんでした。
ASについて、悪く言われるのは嫌だ、というのは単純な感情ですが、そういったコメントの中には、他のASにとって反省すべき点と、良くするためのヒント、ASとは何かを考えるエッセンスが必ず入っています。とても参考になっているというのが事実です。ですので「定型の方にとってASはこう見える」というテーマとして、有難く読ませて頂いています。
パンダさんのリードによって、活発な対話が続くことを切に望みます。今後ともよろしくお願い致します。

はるこさんへ。

私の友人のAS男性が、まさしく、はるこさんの知人さんに似ています。
きっと積極奇異型というタイプだと思います。

私の友人は学力も高く知的な職業に就いていた時期もありました。
優しくユーモアがあり外見も良く、親しみやすいキャラなので恋も沢山しました、今も恋愛中です。しかし、恋愛が成就したことはありません。
彼は「自分の気持や意見以外の気持や意見が存在することを知らなかった」と50歳になって言いました。

ある日彼は、好意を抱いている女性の誕生日を祝おうと、高級レストランを予約して、ピンク色のテーブルクロス、ドレスアップしてきた女性の前に「プレゼントです」と、
でっかいモデルガンを置きました。
驚愕で引きまくる女性。満面の笑みで「いや、どうぞご遠慮なく」と得々とモデルガンの説明に熱中する友人。立ち去る女性。置き去りにされ、ポカンとする友人。

「あのねぇ、プレゼントは自分の好みじゃなくて相手の好きなものを贈るものなの!」

「相手の好きなものだなんて、どーうすれば解るのですか!トマトさんは超能力者ですか!」

「普通、好きな相手のことには興味も記憶も持つものなの! モデルガンの知識みたいにね!」

「ふつー、ふつー、言うな!」

こういうやりとりを、もう6年間もしています。
精神科医に「ASの人には、同じことをいろんな言い方で何度でも言ってください。どのタイミングでどんな言葉がヒットするか解りませんから」と言われてますから。

電話の概念も、はるこさんの知人さんは「はるこさんの声を聞きたいとき、はるこさんへお喋りしたいときの便利な道具」みたいですね。
「用件があるときだけかけて」と言っても「話したいという用件」という感覚かも知れません。
「そういう言い方は不愉快なので、こういう言い方にしてもらえませんか?」とか「○日に1回というペースでかけて下さい」とか、定型にはとても抵抗のある率直な言い方が、ASの人には親切ということがあります。

「彼にとって私はどういう存在なのだろう?」と、こちらの世界概念で考えると、どんどんストレスや不信感にハマっていっちゃうので、こちらのルールを提示してあげることが、自分のストレス軽減になると思います。

はるこさん、こんにちは。

ご呈示の電話での例だけでは、知人男性の方が自閉圏内の人なのか、言動が微妙に失礼な社会経験の少ない自閉圏外のひとなのか、判断できないように思います。いずれにしても、違和感がありストレスを感じられるのであれば、ちょっと距離を置いた方がいいように思います。

トマトさん、

トマトさんのご友人は、「自分の気持や意見以外の気持や意見が存在することを知らなかった」とおっしゃるとのことですが、そうであれば、その方の自閉症度はかなり高いと思います。ある程度以上の知的レベルにある自閉圏内の人は、「相手の気持ちがわかりにくい」ことはあるとしても、「相手にも気持ちや意見が存在する」ということを知識として学習している場合がほとんどだと思います。

表層に現れた部分が似ているとしても、それが「自閉圏内の特性」から出たものかどうかは慎重に考える必要があるのではないかと思います。

パンダさん、玄さん、

横から口をはさむ形になってしまうことをご容赦ください。以下は私の推測ですので、間違っていたらすみません。

いつも冷静な口調なのでわかりにくいかもしれませんが、玄さんのコメントこそ、まさに感情をちょっと「はきだし」、「次のステップにつながるような」ケーキの例え話をされたのだと、私は感じました。

これは、パンダさんのおっしゃる
「ただし、やっぱり「はきだすだけ」だとダメなんですよね。それははき出すことで「じゃあどうすればいいんだ」という次のステップにつながるようなものになることが理想です。」

ということとほぼ同義なのではないかとも思います。

ここはパンダさんのブログですので、「アスペルガーと定型のコミュニケーションを考える」という趣旨のもと、パンダさんの運営しやすい形で続けていただければ、と思います。そして、私もそこに時々参加させていただければ幸いです。

玄さん

「パンダさんに、まずお詫びしたいのは、このサイトはパンダさんの主催のものなのに、私が「こういう論調は良くない」とかを勝手に申し上げて、自由なコメントをけん制した形になってしまったことについてです。申し訳ありませんでした。」

 お詫びなどとんでもないです。玄さんにはいつも重要な問題をとても整理しながら書いていただいていて、ほんとに勉強になるし、有難く思っています。それに私の主催のブログとは言いますが、私自身は「場所の提供者」という感じが強くて、自分も好きなことを書きながら、みなさんがみなさんで交流してくださること、そこに私も時々参加させていただくことで私は満足しています。その点はどうぞ気楽にお使い下さい。


はるこさん

 はじめまして。どうぞよろしくお願いします。

 相手の方にお会いしたこともないですし、的外れになるかも知れませんが、たしかにアスペの方として読むとわかりやすい部分もたくさんあるように思いました。そしてはるこさんが定型としてその方の行動を見ると、ずいぶんと不本意に感じることがあるだろうということも分かる気がします。

 一つ感じたのはその方はとても「無邪気」ということです。別にはるこさんを「お喋りを聞いてくれるマシーン」と考えている訳じゃなくて、電話をかけると実際に話を聞いてくれるから、「ああ、この人は自分の話を喜んで聞いてくれる人なんだ。これでいいんだ」と素直に感じているような気がします。それでそういうはるこさんのことを「いいひとだなあ」と思い、好意を持っているのではないかとも感じます。

 でもはるこさんにとってはそれは多分に「我慢をしてつきあってあげている」部分があるわけですよね。だからそのままだとしんどくなってしまう。

 どうしたらいいんでしょう?ひとつは正直にはるこさんの気持ちを相手の方に伝えることかもしれません。「自分はこう言うときにはしんどくなるから、こうしてほしい」ということを明確に伝えると言うことです。「しんどくなる」だけでは「嫌われた」「拒否された」と思われそうな気がしますので、「こうしてほしい」が具体的にあるとよいかもしれません。

 そんな風に具体的に話し合ってみて、どこまで通じるか、どこまでそういうことにはるこさん自身が意義を感じるかが、お二人がこれからどうなっていくかにとってポイントになるのかなと、そんな風に思います。

 よく事情が分からないまま、勝手なことを書きました。もし参考になる部分が有ればお使い下さい。


FOXさん

 私も玄さんの書かれたことにFOXさんと似たような印象を持ちました。だから大事にしたいと思いましたし、記事にも取り上げさせていただきました。これからもそういう交流も大事にしていけたらと思います。ある国のことわざに「喧嘩しなけりゃ本物の友達にはなれない」というのがありますけど、場合によっては真面目に喧嘩もしてもいいと思っています。ただ、相手を傷つけるのが目的の喧嘩とか、そういうのはいけないと思いますけど、本当にお互いに理解し合いたいという気持ちの中で、そうなるのは、決して悪いことではない気がします。あ、別に私は今回玄さんと喧嘩した気持ちは全然ありませんので、そこは誤解なさらないでくださいね (^_^)v

パンダさん、

パンダさんが玄さんと喧嘩したい気持ちだとは全く思っておりませんが、私の発言の意図があまりうまく伝わらなかったようなので、再度コメントさせていただくことをご容赦ください。

私は、玄さんの発言は、いわゆる定型の方の「はきだし」と同じく、容認される範囲のちょっとした感情の「はきだし」だと思いました。

パンダさんは、私と「似たような印象を持ちました」とおっしゃいますが、そうであれば、何故、いわゆる定型の方には気持ちを「はきだす」ことを容認して受け流し、玄さんのちょっとした感情の「はきだし」(だと私は感じたのですが)を受け流さずに、こちらの記事に一部だけ取り上げたのでしょうか?

私はそこに違和感を感じます。一部の発言の切り取りでは誤解を生じかねないとも思います。

今回の記事の引用部分を読んだ時の私個人の感想は、誤解を恐れずに言えば、「自閉圏内の人は感情をちょっとはきだすことも容認されないのか」という気持ちになったとでもいいましょうか・・・

今回のテーマに関しては、あえて個人の発言の一部を取り上げずとも記事にできたのではないかと思い、コメントさせていただきました。

ご気分を害されたら申し訳ありません。自閉圏内の一個人の意見ということでご了承いただければ幸いです。

FOXさん

 再度のご説明ありがとうございます。
 最近アスペサイドのみなさんのコメントがすごく増えて喜んでいるのですが、
 同時に、コミュニケーションのズレがそこでいろいろ起こるということにも
 今まで以上に注意をしていく必要があるなと思いました。

 考えてみれば、私とパートナーも、今のようにかなり話ができるようになるまでは
 相当苦労してお互いの誤解を解いたりする過程が必要でした。
 もちろん今でも理解のズレは無くならないのですが、以前よりも少なくなったり
 軽くなったり、あるいはずれたときの対応の仕方などが分かってきているようです。

 さて、FOXさんの

「パンダさんは、私と「似たような印象を持ちました」とおっしゃいますが、そうであれば、何故、いわゆる定型の方には気持ちを「はきだす」ことを容認して受け流し、玄さんのちょっとした感情の「はきだし」(だと私は感じたのですが)を受け流さずに、こちらの記事に一部だけ取り上げたのでしょうか?」

 という文章について、やはり今のところ私にはまだよく理解できないままで居ます。何が理解しにくいのかというと、私が定型の気持ちを「はき出す」ことを容認して受け流している、というのが、具体的には何をさしてそう書かれているのかがぴんときませんでした。「はき出す」ことが時に必要だと言うことは書いたのは間違いないですけれど。

 それから、玄さんの「はきだし」を「受け流さずに」と表現されたことの意味もまだぴんときません。もしかすると私が玄さんの文章に刺激を受けて、それから記事を書いたことが、玄さんがコメントで書かれたことを「非難している」という風に理解されたのでしょうか?もしそう理解されたとすると、私が意図したこととは全然反対の解釈になります。私は玄さんが大切な問題を提起してくださったので、それについて議論を発展させるために、私の感じたこと、考えたことの一部を書かせていただいたつもりでした。

 もちろん、「はき出す」ことの必要性は、定型でもアスペでもそれぞれに適切なやり方は違いがあるかも知れませんが、いずれにせよ必要だろうと思うし、この場でもいい形でそれができればいいと考えています。そこに定型とアスペに差を設けたりする意図はまったくありません。

 あるいはそうやって書いた文章の中身が何か問題を含んでいた、というご指摘なのでしょうか?もしそうならもうちょっと説明していただくと、私にも理解ができるようになるかも知れません。

 パートナーと話をしていても、こんな風に自分の言ったことが自分の意図とは違う風に理解されると感じることや、あるいは私自身が気がつかない問題を指摘されることが良くありますので、FOXさんにもよろしければ「ここが問題なんだ」というところをもうちょっと説明してくださるとうれしいです。そうやって理解がより深まって、共有される部分が増えていくといいですね。

FOXさんへ。

いろんな意見のやりとりの中に、入り込みますので、脈絡としてわかりずらいかもしれませんが。

FOXさんの【自分の気持や意見以外の気持や意見が存在することを知らなかった」とおっしゃるとのことですが、そうであれば、その方の自閉症度はかなり高いと思います。ある程度以上の知的レベルにある自閉圏内の人は、「相手の気持ちがわかりにくい」ことはあるとしても、「相手にも気持ちや意見が存在する」ということを知識として学習している場合がほとんどだと思います。】

というご意見にお答えします。
私の書き方が悪かったです。私のASの友人は
「相手にも気持ちや意見が存在する。ということは本や映画などで知識としてはあったが、体感や納得として知らなかった」という、知らなかったぶりを言ったのでした。

では、ASの友人に、今まで他者の反対意見をどのように受け止めていたかと聞くと「間違っているのになぁ」と思っていたと言うのです。
それぞれの意見の違い・・ではなく、正解か間違いかという判断で過ごしていたらしいです。

失恋のつらさは、ただただ自分のショックや苦痛を耐えるだけで精一杯で、相手の気持にまで関心がいかず、分析など思いつかなかったらしいです。自分から去って行った友人や女性に「なぜ・・・?」ということはいくつもあったが、そのまま謎として残った、と言っています。

気持も意見も人それぞれ・・・ということが、感覚や実感として身に付いてなかったということです。
友人は「対話」になると、反論、反論の言葉のボクシング対話が多かったようですが「会話」においてはダジャレや冗談好きでとても朗らかな性格なので、自閉圏に居たのに、そうではないと誤解されて生きてきて40代でやっと専門医の診察を受ける事になったのでした。

本当に、100人居れば100通り。ASも定型もホントにいろんなタイプが居ますね。


トマトさん、

ご説明ありがとうございます。

トマトさんのご友人が、「相手にも気持ちや意見が存在する。ということは本や映画などで知識としてはあったが、体感や納得として知らなかった」とおっしゃったとのことであれば、よく理解できます。

私もかなり自閉症度が高いためか(苦笑)、字義通りに解釈してしまいました。お手数をおかけいたしました。

パンダさん、

再度のコメントありがとうございます。私の説明が悪かったようですみません。

私が「定型の気持ちを「はき出す」ことを容認して受け流している」と表現したのは、当該記事におけるその他の定型の方々のコメントに関して、コメント欄でコメントを返していることを意図したつもりでした。

一方、「はきだし」を「受け流さずに」と表現したのは、私のひとつ前のコメントにありますように「こちらの記事に一部だけ取り上げた」ということを意図したつもりでした。

それに対する私の感想は、ひとつ前のコメントでも申し上げてますが、「自閉圏内の人は感情をちょっとはきだすことも容認されないのか」という気持になった、ということです。

パンダさんに「非難するつもりはなかった」ということは理解できますが、もし、私であったら、そういうちょっとした感情のはきだしの発言を、記事に一部だけ取り上げられたら、結果として「自由なコメントをけん制した形になってしまった」(もしくは誤解されてしまった)と思い、やるせない気持ちになり、謝罪するしかできないように感じたからです。

ですので、ひとつ前のコメントでも申し上げてますが「今回のテーマに関しては、あえて個人の発言の一部を取り上げずとも記事にできたのではないか」、誤解を恐れずに言えば、そういう配慮があればなお良かったのではないか、と思った次第です。

FOXです

19:47のコメント内での「ひとつ前のコメント」を「13:33のコメント」に訂正させてください。とっくに「ひとつ前のコメント」ではなくなってました。大変失礼しました。

FOXさんへ

不特定多数の意見が交差する場所では、その大筋の整理と、意見の中からテーマをピックアップするタイミング、そしてそのやり方なども、管理人さんの流儀で良いのではないでしょうか?

どうしても定型は定型のコメントが解りやすいし、共感を感じやすい。
ASの人はASの人のコメントの内容が理解しやすい。

定型は流れや主旨を優先するし、ASの人は言葉や文章の部分を優先してしまう傾向はあると思うのです。
パンダさんは「このコメントは両者に共通の良いテーマになる、大切に考えたい箇所だ」という思いで、コメントの中からピックアップれていると、確信も信頼も出来ます。
それを、今回は当事者の玄さんも理解されていると感じるのですが。

そして、その手法はとても好意的で丁寧な、問題定義の仕方と感じます。
ここに集まり、意見交換している人の切実な声の拾い上げですから。

出来ましたら、さらり一読のあと、数回読み込んで欲しいなと思います。
きっと、傷つくようなことではないと理解していただけると思うのですが。


トマトさん、

ご意見ありがとうございます。

私、最初から
「ここはパンダさんのブログですので、「アスペルガーと定型のコミュニケーションを考える」という趣旨のもと、パンダさんの運営しやすい形で続けていただければ、と思います。」
と申し上げております。

今回は、パンダさんに寛容にも、
「FOXさんにもよろしければ「ここが問題なんだ」というところをもうちょっと説明してくださるとうれしいです。」
と言っていただけたので、私個人の一意見を述べさせていただいた次第です。

トマトさんは誤解しているようですが、私、「さらりと一読」しただけでコメントを投稿させていただいたことはございません。どの記事もコメントも最低3-5回は読み込んで、その上で自分のコメントを投稿させていただいております。

今回も、その上で申し上げますが、「傷つく」かどうかは、多分に主観的なものであり、「理解するしない」で判断できる問題ではないように思います。

これは言わなくてもいいと思っていたことですが、どうもトマトさんには上記も含めて誤読されているように感じるので、ちょっと蛇足ですが、9:59に発言しました、私のコメントの
「表層に現れた部分が似ているとしても、それが「自閉圏内の特性」から出たものかどうかは慎重に考える必要があるのではないかと思います」。
についても説明させていただければ、と思います。

私の意図としては、(はるこさんの友人とトマトさんの友人の)表層に現れた部分が似ているとしても、それ(=はるこさんの友人の表層)が「自閉圏内の特性」から出たものかどうかは慎重に考える必要があるのではないかと思う、という発言のつもりでした。

トマトさんが、私のコメントをどう読んでいるかわかりませんが、「さらりと一読」ではなく数回読み込んでくだされば、もう少し誤解も減るように思うのですが・・・私の文章力が足りないせいかもしれませんね。どうぞご容赦ください

トマトさん

はじめまして。よろしくお願いします。たとえがわかりやすかったです。
ご友人男性のにぎやかで罪のない天真爛漫な雰囲気が伝わってきました。
モデルガンは驚きますね!いちおうもらっておいてもいいかな?って思いました。
彼女さんも、気持ちがこもっていることを優先してあげたいと、建て前では思っていたのかもしれませんね…。だけど衝撃のほうが大きい。

知人に通じるものがあります。
明るくてパワフルで人としての魅力はあります。ただ大人としてあまり統一的でなく、興味のあることを、相手もそうなんだって疑わない。自分のペースをつらぬく。常識では○○、と言うと怒る。他人の意向を気にしない。
先日、「今外で叫び声がしたよ、怖い」って電話で言ったら、「へ~」とひとことで、間髪入れずに自分の話題を始めました(´∀`)ノ
わたしとしては、「えっ、どうしたの、だいじょうぶ?気をつけなよ」とかなんとか、言ってほしいんだと思います。
双方向のやりとりがバランスわるい。
何回も言うのが重要なのですね。たまにはこちらのルール、要望を言ってみようと思いました。もやもやを話せただけで、気分がだいぶよくなりました。ていねいなアドバイス、ありがとうございます。


FOXさん

こんにちは。電話以外では、私が爆笑していてもほとんど無表情なときが多く、??です。つられて笑ってほしいです。
微妙に失礼な発言は悪意がないのだとはわかります。だんだんと失礼さが積もりに積もったとき、ぶわーと反論したくなるのを今のところおさえてます。
そうですね。時々距離をとるのがいいのかもしれません。圧倒されて話をきいてしまうのです。回答ありがとうございます。

パンダさん

はじめまして。こちらこそ、よろしくお願いいたします。
いえいえ、的外れではありません。彼の特徴からおおよその判断をしてもらえただけで、気分が楽になります。
無邪気に奔放にふるまったらこうなった、のであって、わたしを悩ませる意図はないのですよね。「喜んで聞いてくれる、これでいいんだ!」が、真情な気がしてきました。
ただ彼は発言量が多いから、口がすべっていらないことまで言う傾向があるのがたまにきずです。
意地が悪い要素はないみたいです。

人間は特別感を与えられると嬉しいと思うのです。
なぜわたしと話したいかを説明されたら、もうちょっと充実感が得られるかもしれません。
気の利いたセリフを聞けると思ってませんがヽ(´▽`)/
肝がすわっているところがある人なので、たまには本音で喋ってみます。案外厳しいことばも受け止めてくれるかなと希望をもってみます。

相談したら閉塞感が解けて落ち着きました。聞いてくれる人がいるってとてもありがたいことですね。
親身なアドバイス、ありがとうございます。

FOXさん

 繰り返しご説明下さってありがとうございます。
 ただ、残念ながらまだ私にはうまく理解ができなくて、
 もしかしたら「こういうことをFOXさんはおっしゃりたいのだろうか」と想像して
 書いてみます。ずれている所など、どうぞ修正してください。

===========================
 私が「寝物語を諦める」について書いたところ、
 沢山の方からコメントをいただきました。
 けれども私がその中で取り上げて記事に書かせていただいたのは
 玄さんのコメントだけでした。

 その取り上げ方は玄さんのコメントを全部引用したものではなくて、
 一部分だけをとりあげ、そしてそれについて私の意見を書いてありました。
 そこには玄さんの意見に賛成する部分も反対する部分もありました。

 それを見て、FOXさんはこんな風に感じられました。

「それに対する私の感想は、ひとつ前のコメントでも申し上げてますが、「自閉圏内の人は感情をちょっとはきだすことも容認されないのか」という気持になった、ということです。」

 つまり、私が多くの方の(定型の方も何人か含まれる)コメントに
 コメントを返さなかったのは、それを「容認」したことであり、玄さんの
 コメントだけを取り上げて、それについて記事に私の意見を書いたのは、
 玄さんのコメントを「容認しなかった」事なのだ。
 だから「自閉圏の人は感情をちょっとはきだすことも容認されないのか」と感じた。
============================

 もし上の私の想像したことがFOXさんがおっしゃりたいことだったとしたら、
 「コメントを返すかどうか」ということと
 「記事に取り上げて意見を言うと言うことがどういう意味を持つか」
 ということについて、私が無意識に当たり前と思っていたことと、
 FOXさんが当たり前と思っていたことの間にズレがあるのだと思います。

 FOXさんにとっては、極端に言えば私が玄さんの意見を問題視して、
 ひとりだけ取り出して記事でバッシングした、と感じられたのかもしれません。
 それに対して私の気持ちは、たくさんある大切なコメントの中でも、
 玄さんのそのコメントが今の私にとっても特に意味のある大事なコメントで、
 それを記事に取り上げることでさらに前向きに議論を進めたいと思っていました。
 もちろん議論ですから、賛成の部分も賛成できない部分もありますが、
 そのことをお互いに考え合うことでさらに前進があるのだという理解をしています。

 玄さん自身がどんな風にお感じになったのかも気になりますが、
 もしかするとFOXさんと私の間では、上に書いたような理解のズレが
 あったのかもしれないと思いました。

 どう思われますか?

パンダさん、

何度もお返事いただきありがとうございます。

私、何故、話がかみ合わないのか(パンダさん風に言うと「ずれる」のか)わかったような気がします。

私は、パンダさんの行動(玄さんのちょっと感情的な発言の一部を記事に取り上げる)ことに対してのみ意見を申し上げており、そこに至るパンダさんの「考え方」、「意見」、「気持ち」といったことに対しては、何の感情も持っていないのに、パンダさんは後者に重点を置いて返事をしている。

私の発言は、そのまま文字通り取っていただければいいだけなのですが、パンダさんは、私の発言に対して、「言葉」以外の「そこに至るような複雑な心の動き?」といったものを読み取ろうとしている(でも、少なくとも今回に関しては、それはないので、探しても見つからないと思うのですが・・・)。

私の書き方も悪かったと思います。ちょっと口語調に書き直してみます。

「あらら、パンダさん、玄さんのちょっと感情的な発言の一部を、記事に取り上げちゃった」
「その発言の一部だけだと誤解されそうで、玄さんも困っちゃうんじゃないかな。私だったら困るな」
「あらら、やっぱり玄さん、謝罪しちゃったよ」
「そうだよな、そこだけ取り上げられたら謝罪するしかないよね」
「他の(定型の)人のちょっと感情的な発言はスルーしてたのに、玄さんの発言もスルーすれば良かったんじゃないかな」
「その発言の一部をわざわざ取り上げなくても、今回のテーマは展開できたんじゃないかな」
「私がコメントするのも変かもしれないけど、今回のテーマとも合う話なので、個人的な意見を言ってみようかな」

「「今回のテーマに関しては、あえて個人の発言の一部を取り上げずとも記事にできたのではないか」、誤解を恐れずに言えば、そういう配慮があればなお良かったのではないか、と思った次第です。」

たまたま、私が自閉圏内なのもあって、自閉圏側についたような形での発言になってしまったようで誤解を招いたのかもしれませんが、私としては、

(自閉圏内/自閉圏外にかかわらず)個人の感情的な発言の一部を記事に取り上げなくても良かったのではないか?そこは、あえて取り上げないなどの配慮しても良かったのではないか?という趣旨の意見を発言させていただいたつもりです。

但し、これは一個人の意見ですので、

「「ここはパンダさんのブログですので、「アスペルガーと定型のコミュニケーションを考える」という趣旨のもと、パンダさんの運営しやすい形で続けていただければ、と思います。」と思っていることも事実です。」

言い換えますと、
「(勝手な意見を言ってしまいましたが)、ここはパンダさんのブログですので、もちろん、パンダさんが決めた運営方針でやってください。(そこに私は異存はありません)」
ということです。

ちなみに、私は、パンダさんが玄さんの発言を問題視したとかバッシングしたなどとは、最初から全く思っておりません。

どうでしょう、パンダさん。今度は、私の発言の趣旨がうまく伝わりましたか?

途中、くだけた口調になってしまっておりますが、不快に思われたらすみません。

著作の予約開始、おめでとうございます。
本の帯にあるやり取りもそうだと思いますが、「はきだす」については「感覚のズレ」のテーマとして結構いいポイントみたいですね。
定型の方は、「吐き出したい」、もっというと、吐き出して「何らかの状態」になりたいと見受けられます。「何らかの状態」に至るには、相手が必要で、相手の「反応も重要」ということですね?
営業の仕事で悩んでいた時に、対話術のマニュアル本を買って読んだりしていましたが、ASの立場で改めて読むと、「定型の求める対話」の羅列と思えました。定型は「吐き出し」→「受け容れられる」→「仲良くなったと認識」→「多少のことは大目に見る」という反応を「通常の事」としてやり取りしているらしいです。ASが「うまく行かない」のは、「大目に見てもらえない」サイクルに載っているから、と考えることができます。テクニックとして扱うのもどうかと思いますが、定型の方にASを理解してもらうよりも、ASが定型の「特性」を理解するほうが早い気がします。まあ、なかなか難しいですが。

定型の方々は「自分にとって、より居心地が良い」状態を求め、その心理や行動に対しての同意反応があることを前提に「会話」し、会話の着地が「楽しい」ということを求める、と見えます。
一方ASは、ことごとく違っていて、相手の状態(これまでや今後を含め)に興味が薄いということに加え、求める結論のポイントが違う。ましてや「楽しい」かどうかは無関係。
相手の話に我がままや不合理や情報不足を感じると、そこから先は聞く気がしなくなり、修正動議をかけてしまうのです。相手は不機嫌になりますが、いまここで話の方向を確認修正しないと、話がたどれなくなるのです。
家内は、「私は、お友達と話している時は『そうよねー』って聞いてくれて、ニコニコできる」と言います。僕は、気持ちとして同意できるかどうかより、「自然の摂理に合っているかどうか」が大事で、「ニコニコ」は全く度外視なのですが、そこは学習で、「気持ちとして同意できるかどうか」を先に回答することにしています。もちろん「そりゃ、そうだよね~」と。
その後の対応(何かのトラブルを助けてくれたり)が全然違います。

玄さん

今回もわかりやすいコメントありがとうございます。

自分の感覚も普遍的な感覚なのか、個人の特性なのかを俯瞰してとらえるのは
難しいのに、まったく違う感覚をも俯瞰して捉えられているのはすごいなと
いつも感心しています。

吐き出しに関する感覚のズレは大きいとは我が夫婦感では常々感じております。

感情の吐き出しが関係を良くするものだと信じて、
これまでいろんな人間関係で実践してきて、問題なくクリアできてきたのに、
夫とはその方法がまったくうまくいかず、いつも不全感を抱えています。

この場をお借りして、玄さんに質問をしたかったのですが、

情がないということはどういうことを言うのか、
情があるとはどういうことを言うのか。
情の深さを定義してほしいと思っています。

他人に感心がないということ=情がないと私は考えてしまいがちなのですが、
玄さんはどのようにお考えなのかとても興味があります。

夫とこういう議論ができたらいいのですが、俯瞰して自他の感覚を見れるように
ならないと、議論にまでは発展せず、(わたしが議題をあげる。夫が黙る。)
難しいです。

wakabaさん、こんにちは。
僕の考えでよければ、もちろんお答えするのですが、僕は自分の考えよりも他の方のお考えを、是非とも知りたく思っています。パンダさんのお許しを頂ければですが。

wakabaさんのご質問は「ASと定型」のテーマとしてかなり豪速球ストライクですよね。(^^)
感情に関する語群の「イメージの違い・定義の違い」が、ズレの根っこにあることが多いと想像しています。定義を共有できれば、それがその人にあるのか無いのか弱いのか、やっと話ができるというものです。ただ僕自身、言葉を捉えられていない可能性が高いので、「情」についてwakabaさんがその言葉をどの様に使うかの用例などを手掛かりにさせて下さい。できれば、旦那さんとのやり取りや、ご質問された背景をもう少し教えて下さい。よろしくお願いします。

突然の失職(自己理由での2回の退職、あわせて3年。今も失業中)
その後第一子出産前後の夫の不倫、私のうつ病など、
数々の試練がありまして、その試練が必要以上にしんどいのは
なぜかと考えていたら、アスペルガーとカサンドラの問題に
いきついた事情があります。

わたしは会話の中身や相手の声色、顔色、すべてを見て、
相手の内側にあるものを知り、理解を深めたいと思うのですが、
(それが思いやりだとも思っていました。)
夫は、無言で押し黙ることが多く、わたしが一方的に話して、
何も理解が深まることもなく、結局何を考えているのか、
さっぱりわからないまま時間ばかり過ぎて行く状態です。
夫は黙っているし、顔色も変えないので、推測も非常に難しく、
できないことが多いです。よって、夫を思いやることもできません。
思いやりだと思ってやっていることもこちらが勝手に推測しているだけです。
感情の慰撫がされないのもストレスですが、できないこともストレスです。

アスペルガーのパートナーのいる女性が知っておくべき22の心得-
ルディ・シモン著
をわたしの状態を客観的に理解してもらうのにいいかなと思って、
該当部分だけ付箋を貼って読んでもらったのですが、
まあ、言われたらそういう部分もあるけど、
男はそういう部分持ってるもんじゃない?
程度の受け止めで、真剣に取り合う感じはないです。
(そんなのはわたしもわかってる。程度問題をいっているのだ!
というのはわからないみたいです。)

たとえば、
感情の吐き出しに関しては

私:いいことも悪い事も吐き出すことによって、お互いの状態が把握できる。
それによって、自分が抑制するべき部分、相手に譲ってもらえる部分が
見えるはず。そして、お互いの心の中を知っていることで、
親近感も湧くし、安心感も得られる。

夫から見れば、自立できていない。相手に干渉しすぎると見えるのでしょうか。
それもそう思っているんだろうなあとこっちが感じるだけで、
夫に言われたことはないです。
(姑には相談事をしたら、あなたは自立できてない。と言われた事
があります。ですので、こういう推測を立てています。
それから姑には一切相談はできなくなりました。)

夫:感情の吐き出しをすることは自立できていない、弱い人間のすること。
自分が吐き出すことによって、相手を傷つけることがある。
なるべく感情は吐き出さずに、自分の中で処理したい。
(夫が言ったわけではなく、多分こう思っているんじゃないかなあという推測です。)

情については

私:相手への関心。相手の心の動きに対する関心。
これを持つことで、相手の立場に近づくことができる。
相手に共感することができる。

たとえば、夫の失職に関して、
失職してから一年も経っているときに一切話題にもあげずに、
また海外旅行に行きたいわねえ。なんていう姑に対しては、
情がないなあ。などと思います。

(夫に対する関心がないように感じること。
わたしや夫に心配の言葉を一切かけないため、
こっちのことはまったく関心がないんだなと感じる。
こんな時に一緒に海外旅行に行きたいだなどと、
わたしの感情(将来の不安に潰れそうな私の感情)
に対する配慮がないこと。)

夫の両親は、義父の兄弟と断絶しているのですが、
義父の長兄がなくなったのも、わたしたちがお墓参りに行って気がついたの
ですが、その報告を両親にしても、顔色変えずに、へーそうなん。
で済んでしまったこと。だとか、ざらっとした違和感を感じるエピソードは
いろいろあります。断絶の事情は話してくれないので知りません。
私はいつまでたっても他人です。人に話したくない事は身内であろうが、
話さないスタンスのようです。夫も関心がないので、義両親に何も聞きません。

夫:弱きもの、小さなものを守ること。たとえば、今失職しているのにもかかわらず、
恵まれない子供に募金していたり、ビッグイシューを購入していたり、
我が家の子供らのことのケアもできます。
ただ、わたしの心の動きに関しては、気づかないか、
気づいて欲しいという要求に対しては無視するように感じます。

以上、書いてみると、うちの夫に関しては、人格者であり、
自分を抑制する能力は高いように思います。
ただ、失職、不倫、配偶者の病気など、
トラブルにおける、感情のもつれの対処が最悪です。
黙ってただ、その場をやり過ごす方法で夫は対処してきました。
ですので、今は離婚を考えない日はないくらい、私は気持ちがふさいでます。
推測ばかりで安心感が得られないことに疲弊しています。

感情の定義って難しいですね。。。
細かいトピックで一つ一つ検証していくべきところのような気がします。
細かいところでいろんなズレがありそうです。

たしかにスペクトラム上に感覚は点で連なっているとは思いますが、
どうしてもお互い相容れない感覚の分岐点みたいなものはあるのかなと思っています。

今回のトピックでの
感情の吐き出しや
謝罪に対する捉え方

など、相手の考え方が想像もつかないことが(ここが感覚のズレだと思いますが)
日常でポロポロと散見されるんですよね。


玄さん みなさん

 「パンダさんのお許しを頂ければですが。」

 と玄さんがお書きになったことについてですが、単なるCMや悪戯コメントについては私の方で何度か削除したことがありますが、そのほかのコメントについてはほんとうにできるだけ自由にお書きいただければと思っています。

 もちろん、相手を傷つけることが主たる目的のコメントについては、私の方でもなんらかの対処をさせていただきますけれど、幸いこの場に書き込んで下さる皆さんはそういうことはほとんどないように思います。(ただし、お互いに気がつかずに相手の方には不愉快な書き方になってしまうことはあると思いますが、それはお互い指摘し合って調整するしかないでしょう)

 そういう前提で、みなさん一人ひとりにとって、必要な、意味のある、楽しくも真剣でもある場に育てて下さることを願っています。

FOXさん

 だいぶ間にコメントが入ってつながりがわかりにくくなってしまいましたね。
 
 今回FOXさんが問題提起をして下さった「必要のない一部を取り上げて引用した」
 ということについて、玄さんご自身は必ずしもそうはお感じにならなかったようですし、
 トマトさんもそれほど問題を感じられていらっしゃらない様子です。

 ただ、そうではあってもFOXさんご自身は

 「「それに対する私の感想は、ひとつ前のコメントでも申し上げてますが、「自閉圏内の人は感情をちょっとはきだすことも容認されないのか」という気持になった、ということです。」」

 というふうに受け止められて、辛い思いをされたことは間違いのない事実ですので、
 そのことについて、どうしてFOXさんがそんな風にお感じになったのか、
 そのことをできれば理解したいと思っています。

 それで上のような私の「想像」の理由を書いてみたのですが、
 そういうことでもないようで、そのあとまたFOXさんが書いて下さったことは
 玄さんの感じられたことも含まれていますが、そこは少し違っていたようですし、
 やっぱり私にはまだ理解できないままです。

 あまりこだわるべき問題ではないかもしれませんし、
 もしFOXさんにも意味のあるやりとりになるとお感じになりましたら、
 どうしてFOXさんが

「「それに対する私の感想は、ひとつ前のコメントでも申し上げてますが、「自閉圏内の人は感情をちょっとはきだすことも容認されないのか」という気持になった、ということです。」

 と感じられたのか、教えていただければありがたいです。私の方で今後気をつける
 ことが有りましたら、気をつけていきたいと思います。

パンダさん、

かえってお気を遣わせているようで申し訳ありません。

その前のコメントにも書かせていただきましたが、これまでに書かせていただいた「言葉」以外の「そこに至るような複雑な心の動き?」というものは、(少なくとも今回は)私の中には存在しないのです。パンダさんには、そこが不可解ということなのでしょうか?

私は、
事象A→「Bという気持ち」となるだけなのですが、

もしかして、自閉圏外の人(もしくはパンダさん)は、
事象A→「複雑な心の動き?」または「明確な理由?」→「Bという気持ち」になる、
といった経路をたどるのでしょうか?

もし、そうだとすると、そこは認識経路の違いかと思われます。

ややこしい対話を持ち込んでしまい、すみませんでした。

wakabaさん、ご回答有難うございます。
やはり、「情」の意味合いについてのやりとりでは解けないものがおありのようです。私はセラピストではないですし、カウンセラーの訓練を受けたわけでもないので、どうか「バーでたまたま隣り合って話し掛けてきた理屈っぽいオッサン」くらいの気持ちで聞いてください。
wakabaさんは表情や声色や態度から、内面情報を探ろうとして苦しんでおられますね。失礼かもしれませんが、とても参考になりました。私の予測では、ASは「表情・声色・態度」は「内面と無関係」です。これが基本。応用としては、表情を「被る」ことがありえます。無表情、ボヤっとした顔、怖い顔、へらへらした顔。内面と無関係に、「面倒なので、ひとまずその顔にしておく」程度です。さらには経験的に、表情を作ることで世渡りすることを学習したASも多いと思います。
インプットの面では、ASは、定型の方の「表情・声色・態度」が内面を表現していることを理解しにくいです。自分がそうではないからです。(・・・子供は、感情をストレートに表現しますよね。そういった事実を目の当たりにして感情と表現の関係を学ぶことができるので、「ASの子育て」はとても貴重な経験になると思っています。)

では、感情は無いのか。私の考えでは、「見失っている」状態と捉えています。これには、AS当事者から反論があると思います。

ASの病的な側面の一つに、定型の方でも経験があると思われる「自忘自失」状態があります。(日常的に起こるので、気にしていないかもしれません。)定型の場合には大事件に遭った後になる状態と理解していますが、ASの場合には普通に「自分の感情が幽かになり、取るに足りなくなる。表面に出すことさえ、億劫になる」といった感じです。自閉の重い方は、この状態が更に恒常的なのではないかと想像しています。

そんな状態でも、ASは「ルーチン」はこなそうとします。感情が「自忘自失」でも「体は別物」と強く信じているからです。普段と見分けがつきませんが、注意力や判断力は低下しているでしょうから、誤認や操作ミスは起きやすいかもしれません。(だから、ASは規則正しい安定した生活が、より大切と思います)

wakabaさんのご質問の本質は、「ASは人を思いやる気持ちがあるのかどうか」だと思います。(違ったら、また教えてください)私の考えでは、「当然、ある」です。以前、こちらのサイトで「感情増幅アンプへの配線が切れている」説を披露しましたが、この話に繋がると思います。感情の動きの萌芽は、ASも定型も同じ程度であると思います。ですが、定型は自動的にそれを増幅して「感情」として認識するほどに音量を大きくし、表情にも繋げて具現化しているようです。ASの場合は、音量が足りないし注意を払わないので「感情」と呼べるほどに育たないです。具現化されないので、自分の感情はノイズなのです。相手の表情も信じません。信じるのは、入力された言葉を自分の辞書で翻訳した情報となります。また「常に同じ」ことを理想とするので、「自分に感情が湧くこと」をイレギュラーな現象として撥ねてでも、「感情が無い」ことでの安定を目指してしまうのだと思います。
ASの中の「思いやりの感情」を見つけ出し、日常的に表面に見えるまでに育てるのは、時間と工夫が必要と思います。それこそ、パンダさんの「諦め」の境地が、実際のところなのかもしれませんが。

wakabaさんの疑問は、「ASへの思いやりは、どのようにしたら伝わるのか」と言い換えることもできると思います。基本的には、ASが他人から「私はあなたを思いやっていますよ」と言われても、意味不明でしょう。それは基本であって、実際にはAS個人ごとにそれぞれの成長がありますから、理解の方法や度合いはかなり幅があると思います。「百歩譲って」の気持ちで、AS擁護的な自問自答を聞いて頂きます。
「パートナーが自分を思いやってくれている、その状況だけで十分有難い。それに対してこれ以上の要求は申し訳ない。もし、パートナーが自分への思いやりを無くしても、これまでのことが十分貴重だったと感謝こそすれ、追いすがったりする立場ではない。逆に言えば、こちらから思いやってくれと頼んだわけで無いから、パートナーが勝手にやった範囲とも言えるわけで、感謝を言葉で表わしてしまったらこちらの要求として固定化し、相手の自由意志である思いやり行動を強制する事になりはしないか。思いやりは互いに自由意志でやるのであって、やってもやらなくても関係が変わらないくらいの、結びつきが互いの間にはあるはず。そのくらいのことは共通認識であるはずだから、こちらが殊更な思いやりの言動をしなくてもこうやって生活できているのではないか?」
パートナーとうまくいっていないASは、人間関係、家族関係が「関わり合い・助け合い・分担し合い・補い合い」を常に提案しながら運営されているということ、その接着剤として「感謝の言葉」が重要であることを、学習する必要があります。それができていないから、ASのパートナーに不満や失望が蓄積される、ということなのだと思います。

「ASへの思いやりは、どのようにしたら伝わるのか」の問いの答えは「定型の思いやり」とは、いかなるものかということを、ASが理解できるレベルにまで解体する必要があると思います。私から言わせてもらえば、ASに対して「パートナーである私を、(思いやりへの反応という状況に合った言動をして)満足させて!」というハイレベルな要求を、「AS本人の特性や成長度を分析せず、思いやりの投げっぱなし」でやってみせてくれ、ということにも受け取れます。定型同士の通常のコミュニケーションアプリである「思いやり」や「表情読み」や「感謝の言葉」では、エラーメッセージが出ているわけですので、デバッグソフトを併用しつつ違うメディアやアプリの使用を検討してください。相手のマシンに、こちらとの通信に適合するアプリをインストールしてもらう必要が出てくるかもしれませんが、相手側のOSや処理速度、メモリといった環境や、アプリをインストールする際の転送速度(ナローバンドの可能性あり)を考慮しての計画をお薦めします。(^^)

wakabaさん はじめまして。
AS当事者(女)です。

「情」について感じていることは、「定型の人は1を聞いて10を知ろうと努力するし、ASに対しても同じことを求めるなあ」ということです。
私の考えでは、1は1です。そして求めるものも多くはありません。
食欲のように、多い人と少ない人がいても仕方ないものだと考えています。
量的な「情」は多くありませんが、質的にどうかというと、それは定型の人と変わらないと思います。
個人的には「関心」と「情」は別物だと思います。

漠然としていて参考にならないかもしれませんが、興味のある話題だったので出てきてしまいました。

玄さん
さかなやさん

わたしの混乱した質問に丁寧に答えて下さって、
ありがとうございました。

わたしの理想の夫婦の関係としては

相手には私の最高の理解者であってほしいし
私は相手にとっての理解者でありたい。

相手の事を何でも知りたいし、
私の事も知って欲しい。(これが私の言うところの相手への関心の部分)

相手には私の喜怒哀楽に共感してほしいし、
相手の喜怒哀楽も共感したい。
相手と自分との一体感を求めたい。

というのがあります。
これは恋愛関係にある相手だけではなく、
家族や、親友への気持ちも当てはまります。

恋愛時代には夫からわたしへの関心も共感も感じてたんです。

でも、恋愛から生活へ移行し、何か問題が起こるたびに、
恋愛時代に感じていた一体感や、夫から私に対する関心を
感じなくなりました。

親しい関係の定型同士だと、問題が起こった場合は徹底的に議論をします。
失われた信頼関係を、相手と徹底的に話して、
お互いを知り、新たな信頼関係を構築しようと考えます。
その方法で、問題を解決できてきました。

会話をすることで、相手と自分の違う部分、折り合える部分を
探します。その議論は相手をとことん追い込むこともあるし、
追い込まれることもあります。
でも、その先に分かり合えるだろうと
傷つけることも承知で強い言葉を相手に投げたりします。

でも、夫は、その議論に乗ってくれない。
なかなか議論の場を作ってくれない。逃げ回ります。
しつこくしつこく求めてやっと議論の場ができたとしても、
ただ黙って、わたしが話すことがなくなるまで、
その場にいるだけで,話が途切れたら黙ってその場を去りました。

夫が黙ったままなので、夫を挑発して夫の本音を引き出したいと
思って必要以上の言葉を投げた自己嫌悪で潰れそうになったりしました。
夫の本音はわからないまま、さらに不安と、不満が膨れていきました。
失われた信頼関係はそのままその場に取り残されます。
こちらの気持ちとは関係なく、夫は最初に謝罪をした瞬間に
その問題は夫の中では終っているのかもしれません。

ただ、あまり親しくない関係で問題が起こった時は、
私も最初から諦めて、問題自体を忘れる努力をします。
相手のことも理解することも、自分の事を理解してもらう
こともはなから期待していません。
夫の対応がわたしの親しくない関係の人にする対応と同じで、
不満が募るのだと思います。

玄さんがおっしゃるように

「表情・声色・態度」は「内面と無関係」で、
なおかつ夫の様にだんまりだと
相手の本音はどう読み取ればよいのでしょうか。
相手の本音がわからないというのが、
わたしにとってはこの上なくストレスです。
一番近くにいるけど、遠い他人という感じがします。
そのことが寂しく、悲しく感じます。

玄さん
さかなやさん
がコメントしてくださった思いやりは夫からも感じます。

ただ、そのAS的思いやりでは満たされていかず、
ただ不安と不満でさみしく悲しく感じてしまいます。

こんな私への処方箋、パンダさんの新刊に載っているのでしょうか。

与えよ。さらば与えられん。を期待しないのが、ASの愛情であり、
思いやりの形のように思いますが、

わたしは
さらば、与えられん。のところをどうしても期待してしまいます。


〉wakabaさんへ

はじめまして、発達障害当事者の小梅です。
診断済みかだんな様ご自身が自覚済みとした前提でお話を進めます。
(診断主義ではありませんが、ほかの病理が隠れていることもあるからです。勝手すいません。)

で、ASDの1当事者としての私個人は、友人に対して昔は同じように
「相手には私の最高の理解者であってほしいし、私は相手にとっての理解者でありたい。
=相手の事を何でも知りたいし、私の事も知って欲しい」
って思ってました。
以前にも書きましたが、ASDの特性のひとつであるといわれている「Oか100思考」からだと思います。それはまぁ友人が何人も離れてしまうほどに…病的に思ってました。

ただその後に書かれている「喜怒哀楽」に対しては、あまり重要視していません。
感情は「個々により質や量がちがく、不確かでコントロールできないもの」だからです。
不確かなものこそ、もっとも不安定な要素になります。

『夫の本音はわからないまま、さらに不安と、不満が膨れていきました。』
もしかしたら、だんな様自身もご自分の本音がわからないかもしれません。私個人の話でまたまた恐縮ですが、言葉ばかりで情報がやってくるとなかなか整理できません。頭の中で、字が泳いでいる感じになってくるのです。会議などの場所では、板書をしていただくことによってスムーズに自分の考えを整理でき、参加できます。
もうおやりになっているかもしれませんが、先日朝の番組で取り上げられていた『ノートにwakabaさんの気持ちの流れをチャートのように書いて伝えてみる』という手法は、私のようなタイプの当事者には有効なのかもしれません。

最後に書かれていらっしゃるお気持ちは理解はできますが、当事者の側からの率直な感想としましては「期待してしまう気持ちを認めつつ、でも期待しない」というスタンスでおられたほうが、wakabaさんの心身の安定には有効ではないかと…考えます。

私自身が診断前に何度も言われたアドバイスに『過去と他人は変えられない。変えられるのは自分と未来だ』というのがあります。自分の思考パターンを少し変えると別の関係性や未来が待っていたりしますよね。
ASD当事者は定型に比べて歩みは遅いですが、それでもロボットではないので成長はあるとは思いますので。

蛇足ですが、『一番近くにいるけど、遠い他人』
これは私もよく感じます。特に相談した相手から「そんなのみんな一緒じゃん。普通!普通!」と励まされるときに強く感じます。
私からは皆が見えているけど、私は四方をマジックミラーで囲まれて誰からも気づいてもらえないんだな。という絶望感はしょっちゅうです。


〉玄さんへ

私個人の感情の表出は「内面とは無関係」ではなく「内面とはちぐなぐ」です。
「楽しい」のに「つまんない?」と友人から心配されたり、「うれしい」のに「怒ってるの?」って指摘を受けたり。
一番の困り事は怒られてるのになぜか顔はニヤニヤしてる、と見えてしまうことです。
怒られて反省はしているのですが、なぜか表情は「飄々とどこ吹く風」のような感じらしく、さらに相手の怒りを助長させてしまいます。

相手の感情のインプットの手がかりは、おのおのが持ってる「過敏さ」でキャッチする情報ではないかと思っています。
私は聴覚過敏なので、声色というかいつもと違った話し方とかになります。
それにプラスして、普段と違う服装だったり髪形だったり、定型からはびっくりされるほどの小さな変化で、「相手が昨日と違う」ということを情報として集めています。誤作動が生じるのは疲れがたまっているときなので、私も玄さんのおっしゃる「ASは規則正しい安定した生活がより必要」にまるっと同意させていただきます。

wakabaさん、親しい人とこそ、議論を突き詰めたいというお気持ち、わかります。ただ、自分で自戒する部分でもあるのですが、厳しすぎる言葉を相手に投げてしまうことは、「相手の反発を期待し、議論の展開の起爆剤にしたい」というのは言い訳で「鬱憤を晴らし」をしてしまい「自己嫌悪」になるということですよね。こと相手がASならば、言葉どおりに受け止めるのが基本ですから、リスクが大きいです。

「本音」については、小梅さんがお答えのように、定型「どっちなの?」→AS「どっちというよりも、見解自体が無い」という状態について、wakabaさんが納得するかどうかに掛かっていると思います。
wakabaさんの旦那さんは、表情が読み取れないし、話もしない。状況に応じた表情を作ることと、特定の話題に感想を持てないという、困難特性があると仮定して、状況としてはwakabaさんの話を耳に入れているわけですよね。(面と向き合って真剣な面持ち、っているのは無いと思いますが)そうやって時間を共有するのが、ある意味愛情の表出と感じました。

それと、新たな着想ですが、「表情・声色・態度の読み取り」からの情報収集に強く依存するタイプの方がいるのではないか、ということです。仮の比率で科学的ではないですが、人が10人いて、AS傾向2名、読み取り依存の人が2名くらいの少数派で、「読み取ることが当たり前で、多数派のはず」という思いを持っており、ASの反応を読み取れないことに過剰反応する少数グループ、という仮定です。
ASは「読み取らないことが当たり前、という前提で行動してしまう少数グループ」で、その対極という位置づけ案です。
これは、「定型」という概念を分解する考え方で、定型にも強弱色々の特性があるというアプローチなのですが、こうやって全ての人を考えに入れて(異常だと思う人だけを対象にするのでなく)、並べるのが本来の「スペクトル」だと思うんだよなぁ。

小梅さん
玄さん

再びありがとうございます。
お二人とも、共感してくださってとても心が癒されます。
袖振り合うも他生の縁と言いますが、このブログに救われます。
立場は違えど、感覚の違いを抱えて、ストレスを抱える構造は一緒ですよね。
夫ともこういう会話ができるようになれば、違う関係性を築く
関係性への第一歩になると思うのですが、そこまでわたしの心身が持たない
気がします。

わたしの状況は周囲の人に話して、理解してもらえるたぐいのものではなく
一人で抱えて、夫に対して八つ当たり的な感情を募らせてしまいます。

日々の生活の中での出来事で、自分を責めるような事が起これば、
うつの状態になるし、夫が引き起こした腹立たしい出来事に
(夫が1年半も失職中なので、現在私はこの心理状態になりやすいです。)
なぜ、このような状況なのだと、夫のせいにして、怒りを募らせる。
誰のせいとも思わず、フラットな状態になれるときもありますが、長続きせず
うつ、フラット、怒りの状態をゆらゆら揺れているような状態です。
心が落ち着く感じがなく、日常の事(家事、育児)がうまくこなせません。

0か100思考はわたしにもあります。
結論を急いで、突き詰めて考えたい衝動で、
さらに苦しみを招いているところはあるなという自覚はありますが、
その衝動を止めるのもストレスです。

夫とも平穏無事な生活が続けば、
ここまでひどい心理状況が長く続くことはないのでしょうが、
夫の不倫から始まった信頼関係の崩壊という危うい土台のもとで、
数々の夫婦間の問題、個人の問題に直面し、一つ問題をクリアできたら、
すぐ次の問題、その問題がクリアできないまま、次の問題というように、
どんどん問題が積みあがってる感じがします。

気持ちをチャートのように書いて伝えてみるということ。実践してみます。
わたしもASの方の考えをチャートにして書いて下さるとわかりやすいです。
当たり前だと思っている部分は、文章にすると気がつかないまま省略して、
顕在化しないので、チャートにすると自分にとって当たり前だと思っている
部分が相手にとっても自分にとってもわかりやすくなるかもしれません。
(こちらのブログを拝見していて感じることですが、
AS当事者の方の当たり前に感じている部分の説明を省かれてしまうと、
私は文章の意味がさっぱりわからなくなってしまいます。)

変えられないのは過去と相手、変えられるのは未来と自分。
というのは真理だとは思うのですが、実践としてやっていくのは難しいですね。
私の場合はつらさ、苦しさを相手のせいにしない。
という強い意思と覚悟をなかなか持てないでいます。
ASの方には真理を実践として行おうとする強い心を感じます。

期待してしまう気持ちを認めつつ、でも期待しない。というスタンス、
夫の特性がASの特性と似ている!と気がついて、
長年の悶々が晴れたときには、数ヶ月そのスタンスを持てました。
ただ、特性に気がついたところで、状況は変わらないというところを
乗り越えられていません。

小梅さん、
表情の表出に関してですが、
コメントにかかれた文章のまま定型の親しい方には
伝えていらっしゃいますか?
わたしだったら、理解できますし、そうなのかと納得します。

毎度毎度、表情の表出の問題が出現するのであれば、
最初からそのように定型に伝えればいいのでしょうが、
場合によってはうまくできたりできなかったりするときに、
へんな誤解が発生してしまうことはあるかもしれませんね。
定型はその誤解を黙っている事が多いでしょうし、
小梅さんは定型が誤解していることに
気がつかない可能性もあるでしょうけど、
表情の表出で問題が起こったときには、

私だったら、問題解決のために、

①まず ごめんね。と言葉にして謝る。

②そして、そのつど、親しき間柄には理由を説明する。
たいして親しくない間柄でも、その誤解で自分が苦しくなる
状況が想像できたら、取り繕う言葉を探します。(理由までは
説明しません)

①については、

わたしにとっての「ごめんね。」はAS当事者からしたら、
軽くて薄っぺらい「ごめんね。」の場合もままあります。
たいして悪いと思ってなくても、謝罪の言葉を使います。
「ごめんね」「ありがとう」「すみません」が
ちょっとしたトラブルのときに潤滑油として機能することを
感覚的に実感しているからです。それが不誠実なことだとは
思いません。

たとえば、重大な犯罪を犯して、ごめんなさい。で済んだら、
警察は要らないっていうのは私でも感じる部分ですが、
「ごめんね」「ありがとう」「すみません」でトゲトゲが
おさまることが多いです。

②それと、自己弁解のような説明。

夫はまず説明はしないです。
言い訳や自己弁解を夫は嫌っているように感じます。

ただ自己弁解に聞こえるかのような説明は定型側の理解のために
必要かなとは思います。

各々の感覚の違いについては、実感として分かっている人は
定型AS問わず、そんなに多くはないのではないかと想像します。
(定型よりはASの方のほうが多数派、少数派問題で、
問題に直面する機会が多く、実感している割合は
高いのかもしれませんが。。。)
少なくとも、わたしの周囲、我が家の義両親、夫、私の親、妹、
友人に関して実感として感覚の違いを理解している人はいないです。

誤解が生じるということは、感覚の違いについて、違いが存在する事を
知って、その上で、その違いを納得する。という段階まで行っていない
ということなので、しつこく伝える必要があるのではないかと思います。

ただ、このしつこく伝える作業、すごくエネルギーがいりますよね。
すごく親しい間柄で違いを伝えたいという強い気持ちがあっても、
とても根気も忍耐もいるので、疲れます。わたしもここで、疲れきっています。

我が家の場合は、わたしの表情読み取り過敏の特性についても
しつこく夫に伝えてはいますが、
理解不能だからか、自分が責められている気がするのか、
どうも右から左へ聞いてないんじゃないかなあという気がしています。

聴覚過敏は夫や夫の家族にも感じます。テレビの音量がものすごく小さいです。
子供の声(泣き声や喧嘩の声)にも敏感です。
ただ、聴覚でこちらの声色を聞き分けている感じはまったくありません。。。
それと眩しさにも弱いですね。日差しの下ではサングラス必須アイテムです。
義父は普段から色付きのメガネをかけているほどです。

玄さん

夫の特性を知ってはいても、私の特性から、
私自身が言葉の裏側を読み取ろうとする癖がついてしまっているのと、
相手にも言葉の裏側を読んでくれ!という気持ちが強く残っているところは
あります。まさしく、夫と対極のところにいますよね。

本音のことについては、夫がどうも見解自体がないという状態らしい
というのは、見えてはいましたが、その現象に腹が立ってしまうんですよね。
もう50近いおっさんが、たまに発する発言が
モラトリアムの学生のような発言で、腹が立ちます。
本当にやりたいことが見つからないだとか、
自分より楽な人がいっぱいいるだとか、
そういった理由で相談もなしに仕事を辞めてしまうこと。
そして、真剣に就活も独立も考えてなさそうに見える姿勢に腹が立ちます。
自己弁解もしないところにも、腹が立ちます。

一人で生きている50近いおっさんだったら、好きにすればいいとは
思いますが、私自身の人生は彼の言動で、身動きがとりづらくなっています。
住宅ローンも終え、生活費を貯蓄から渡しているから、
表面的にはわたしの生活は何ら変わらないだろうということなのだと
思いますが、私にとっては世間の目がつきささる一年半で
疲弊しています。
いいオッサンが平日、ブラブラしてるのはすごーく目立ちますから。
色んな人が色んな事を言ってきます。それをまたわたしはすごく
気にします。

彼と結婚してなかったら、こういう状況にはなってなかったよなあ。
だとか、
子供がいなかったらな〜。
だとか、
置かれた場所で咲きなさいという本が売れているそうですが、
わたしはこの場所で咲けるわけないよなあと思ってしまってます。

玄さんのおっしゃるように、
ごくごくたまにではありますが、夫が黙ってわたしの怒りに、
短時間でもつき合ってくれているのは、
我慢強く、自分を律しているなと感心するところはあります。
でも、黙って、そそくさとその場を立ち去ることについて
怒りを感じる気持ちのほうが強いです。

「表情・声色・態度の読み取り」からの情報収集に強く依存するタイプ

これ、まさしく、わたしのことです。
カサンドラ症候群に至ってしまうのはこういう特性の問題もあると思います。

この共感性の高さで、結婚前は、定型間の人間関係、
難なくこなせてた自負がありました。
でも、夫との人間関係で、定型間の人間関係についても、
すっかり自信をなくしました。
読み取れてると思い込んでただけだと気がついたからです。

夫との関係の中で、それこそ、人の感覚はスペクトラムのように
点で連なっているのだと気がついたのは
以前の私よりは成長できたのかもしれません。
ただかつての、人間関係において無神経な部分というところは、
なかなか治らず、定型間、対ASに向かって余計なことを言ってしまって、
自己嫌悪に陥ることたびたびで、前の様に能天気でハッピー
ではいられなくなりました。

思い込みが取れた分、さらに、表情・声色・態度の読み取りの依存度が深まり、
人と接するのが怖くなっているところもあるかもしれません。

長々とすみませんでした。

僕の休職中は、家内から「外聞が悪いから、平日は散歩を含む外出禁止。物音も立てるな」という感じで、まさに蟄居を命じられた様でした。「オッサンがぶらぶら」は見た目が悪い、というのも分からなくはないので、僕は大人しくしていましたが、奥さんの優先順位が、世間体が上なのは残念。。。

モラトリアム発言などは、往々にしてあると思います。「今」に逼迫が無く、将来を正確に予測するのが難しい状況では、自分から特段の行動を取らない、というのならば、僕と似ています。「今は待ちの時期」と考えているのかもしれません。無計画に借金して事業を始める、というパターンよりも大人しい状態という受け止め方はどうですか?そういう行動もありえるけどやっていない。運命共同体であることを継続するならば、コントロール役はwakabaさんかもしれません。

「黙ってそそくさと立ち去る」の場面では、どういうのを期待されていたのか、興味があります。手を握って、ウルウルといつまでも見つめていて欲しいですか?
wakabaさんの怒りは、「wakabaさんが重視している『ノンバーバールコミュニケーション』を、旦那さんが重視しない」からのように思えます。大切なものを無視されることに腹が立つのは、ごもっともです。「大切なもの」が「当たり前のマナー」という認識なら、「マナーがなってない」という怒りも加わりますね。
旦那さんはおそらく無意識に、自分が情報を受け取れないノンバーバルコミュニケーションを目に入れない様な姿勢で話を聞いていると思います。
wakabaさんは「目や顔を見ずに話を聞くなんて!」とお怒りのことと思いますが、目や顔からのメッセージはAS特性によっては、情報過多で混乱する人もいるので、視線をそらして音に集中している状態とも考えられます。もしも目や顔を見たら、色や形など(具体的にはシワとか)の造形の情報が飛び込んでくる(下手をするとそれについて感想を述べてしまう)ので、「顔を見ての会話」は、さらに厄介なのを経験的にも知っているのでは?

ASと付き合い、ASのパートナーをコントロールするのは簡単と思いますよ。
言ったまんま、見たまんまで、深読みする必要がありませんから。
言葉のズレに注意しさえすれば、発言が基本でいいと思います。
「こういう風に見えたから、こうした。○○して欲しいなら、××して」と、明確なルールを示した方が、理解しやすいやり取りになる、と思えました。

玄さん

>ASと付き合い、ASのパートナーをコントロールするのは簡単と思いますよ。
>言ったまんま、見たまんまで、深読みする必要がありませんから。
自分にもあてはまると思いますが、それで定型の人が満足してくれないような気もしています。

「一歩踏み込まれると一歩下がって距離を保つあなたのやり方は、人から見たら異様なこともある」
と先日主治医に言われて、思い当たることがいくつもあるような気がしました。
私自身は同じ関係性を保ちたいのですが、定型の人は累進式というか、
段階に応じてもっと踏み込むことで満足感を得るのではないでしょうか。
推測ですので、ほかの方からも教えていただければありがたいです。

逆に、私自身が距離の縮め方に失敗して人間関係を損なうこともよくあります。
とてもむずかしいです。

名前を入れず、失礼しました。上記、12時00分の投稿は、さかなやです。

さかなやさんの言われた「定型の人が満足してくれない」はその通りでしょうね。
定型は「特別扱いされる事」に、強い歓びを感じるようですが、それに比べてASは「満足」や「歓び」のmaxが低く、それを求めるエネルギーも弱いようですね。(「正解」を求めるエネルギーはとても強いと思います。)
定型の人間関係は、「こっちが満足させてやるから、そっちも満足させてくれるよな?」という取引で成り立っているようで、定型においての人間関係が強まることは満足を与え合うとの前提があるように伺えます。
「互いに満足できるかどうか」が]全てにおいて前提である定型と、「満足かどうかは重要ではない」ASとが接近できる距離は、おのずと決まっているのかもしれませんね。ただ、すれ違いを嘆くのではなく、そこまで接近すればいいのだ、と思ってしまいます。

人との距離感としては、僕も他人と「一定の距離を保ちたい」という感覚があります。自分が自分に対して疎遠に感じる程度に、他人にも距離を置きたいのです。それより遠いと加速度的に離れていき、近すぎると激突してしまう。衛星軌道みたいなもんですね。

玄さん
具体的なアドバイスありがとうございます。

快不快が逆転している場合が往々にしてあるので、
よかれと思ってしたことが逆の結果になることが
お互いに多く、誤解と怒りを招いていると思います。

世間体の問題は、
過敏すぎるわたしと、
世間体の存在自体を感じないゆえか、
私の言う事を全くナンセンスだと思っている夫との隔たりは大きく、
わたしも世間体に振り回されすぎる自分の認知の歪みを修正するのが
今の環境では難しく、環境を変えたいというのが、夫には全く
わからないらしく堂々巡りです。
このままだと私は潰れるので、別居もやむを得ないかなと思っています。

モラトリアム発言も、理解しうる話なのですね。
夫は野心家で、頭のいいところが好きで惹かれたので、
かなり失望しました。
ASDというよりはミッドライフクライシスの問題なのかもしれませんが。

黙ってそそくさと立ち去る場面については、
エモーショナルな言葉やスキンシップを求めているわけではなく、
訥々とでもいいから、正直に臆せず、自分のことを話して欲しいです。
でも、上記のモラトリアム発言のような、こっちをイラっとさせるような
内容しかもってなくて、黙っているんでしょうか。

ノンバーバルコミュニケーションについては、
そんなに求める気持ちはないです。
夫に恋心を持っていた頃はスキンシップが欲しかったです。
恋心もなく、失望も重ね、ASDについての知識も多少得て、
今は期待していません。

それよりも、言葉で、自分の状態や気持ちを示して欲しいです。
いいかげん、夫と私はまったく感覚が違うのだという事に
気がついてほしいですが、無理なのでしょうか。
自分が普通、私が異常かわがままという構図が変わりません。

夫とこのまま一緒にいても衝突して、その後私が我慢するという関係性が
全く変わりそうにもなく、暗澹たる気持ちになります。

wakabaさん、お辛いようですが、こうして捜し求めていらっしゃることが、wakabaさんの中の「変わる兆し」であるように思います。
それぞれお答え頂いて有難うございます。旦那さんの本当の理由はいくら想像をたくましくしても分からないということには変わりないのですが、特に気になった点にコメントします。「黙ってそそくさ」について、「自分の気持ち」を話して欲しかったのですね。よくわかりました。
もしかしてwakabaさんは「ちょっと私の話を聞いて!」みたいに言って話し始めていませんか?だとすると、旦那さんは「wakabaさんの話が旦那さんにとって『正しいかどうか』チェック」するモードで聞いているのかもしれませんよ。自分の感想を排除して、完璧に客観的に聞きぬく構えで。だから、最後に感想を聞かれることは、全くの抜き打ちなのです。聞き終わったときの旦那さんの結論としては「間違ってるなぁ、反論すると怒るだろうな。まぁ、聞いて欲しいという相手の要望にはこたえた。終了。」だけかも?
提案としては「貴方の意見を聞きたい」と初めに設問を付けた方がいいかもです。ちょっと不自然に思うかもしれませんが、できれば、話題と要望(「テーマ」「意見を聞きたい」「今後一緒にどうやって行くか具体的に相談したい」)ということを、視覚的に示してください。紙に手書きで良いです。よそ見が減ると思います。

玄さん

好きな人と嫌いな人だと人との距離感ってのは違うのですか?
ある一定の距離を保つけど、
好きな人はやや近い距離に置いているのですか?
好き嫌いは距離感とは関係ないのでしょうか?

そもそも好き嫌いを夫から強くは感じません。
恋情はあるんでしょうけど、恋の時期を過ぎたら、
フラットなように感じます。恋情については、わたしも
かつては感じましたし、不倫相手にもメールで表現してましたね。
(パソコンのメールで発覚したので、全部見てしまいました。)

わたしは、恋愛関係問わず、男女問わず、
好きな人はすごく接近したいし、嫌いな人は遠ざけたいです。
気持ちと距離感は一致するのです。
だから、距離を置かれると不安だし、さみしいし、
つらい片思いをずっと続けているような気分になります。

自分とまったく違う、人との距離感を持つことに
ASDの知識を得ても、違和感、不安感というのは
知らなかった頃よりはマシにはなれど、何年経っても拭えません。
義両親に対しては、完全にわたしにとって他人だと切り捨てる
ことで、なんとも思わなくなりました。

自分を客観的に見ると、
違和感、不安感を打ち消したい衝動で、夫の事を嫌いになったり、
無関心になったりすることで、
自分の心の安定をはかろうとしているように感じます。

一番身近であろう人に対して、気持ちをすり減らすことに
疲れてしまうんですよね。

人と距離感を置きたいという部分はどうにも変えられないだろうから、
仕方ないのかなと諦めようと努力しているところに、
日常で行動としての裏切りがでると、(うちは浮気や、不意打ちの失職)
私の我慢の糸が切れて怒りが湧いてきます。

この間、夫と久しぶりに話しましたが、
やはり、お互いに譲歩して落としどころを探すというのは
我が家には無理かなと思いました。

でも、同時に私自身も世間体の問題で、人生を振り回されるのは、
いつになっても本当の幸せに近づけないなとも思いました。
ただ、長年染み付いた思考を変えていくのは並大抵のことではないなと
思っています。

今は夫と同室だと眠れず、不眠が続いているので、
布団を買って、別室で寝るところから始めようかと思ってます。
寝ないと駄目ですね。

wakabaさん睡眠は大切です。寝てください。
「好き嫌い」についてのwakabaさんのご指摘は、かなり合っていると思います。この話題は、もしかしたらこのサイトの過去ログで語られているかもしれませんが、私は確認していません。すみません。
「好き嫌い」は、定型の特性である「気の迷い」であり、感情的なアップダウンをきたして一定の対応を妨げる、迷惑で不合理な心理現象です。私の家内は、私に対して、昨日は好きと言ったのに、今日は嫌いということがあります。子供に対しても、ベタベタの時もあれば酷い事を言うこともあります。私にとって、家族は「家族」という人間関係カテゴリーであって、好き嫌いで評価するのは無意味です。
「好き嫌いと距離」は、「好きだと近い、近づきたい」という発想は理解できますが、自分自身としては好き嫌いを重視していない(そのくらい微弱)ですし、好き嫌いを基準に行動などを変動させるのは、自分のあり方にそぐわないと思っています。
旦那さんとの心の距離については、遠くに置かれたと認識するのは、半分しか当たっていないと思います。その場所は「一番近い所」であり、「安定する場所」であって、そこ以外にない主席と思います。私の感覚では、その距離は、自分の心と自分の体の距離とほぼ同じです。それ以上近づくと、自分自身以上の存在になってしまい、安定が保てません。(自分の存在を度外視した、安定が保てないほどの興味の集中、という状況もあることはありますが、そういう没入を望みますか?)

wakabaさんは、距離感について「自分とまったく違う」と言われますが、ASの距離感について私は「ASしか持っていない」とは思っていません。定型の方もそういった心境になることがあるはず、と想像しているのです。
それと、「他人だと切り捨てる」という表現も、「もともと全員他人」ですし、切り捨てたくて切り捨てることはありません。情報が取れなくなって、疎遠になって切れていってしまう感覚です。

「好きでいること」と「結婚生活の維持」は、深い関係があるとは思います。
自分が好き嫌いを評価基準や行動基準にできないことは、棚上げを許して頂きたいですが、「結婚生活を維持」する方針がある以上、相手に「好きでいてもらう」メンテナンス作法は、身につけたほうがいいと思います。パートナーの「不安感、気持ちのすり減らし」は最小限にしたいものです。「違和感」はお互い様なので、そこは楽しめればいいな・・・

距離について「仕方ないのかなと諦め」は、AS側から逆に言わせてもらえば、「好きになったり嫌いになったり、距離をふわふわと変動幅を持って接してくる」ことについて、違和感を感じつつ「仕方ないのかな、と諦め」ています。
「裏切り」については、社会常識や見通しについて、認識ができない特性があるのかもしれませんし、AS特性ではないかもしれません。それは、世間での「破天荒な人」の存在からの想像です。ASが自分の「裏切り行為」について、口八丁でパートナーを納得させられるとは、思えませんが。だから、ASが「裏切り」をしてしまったら、破綻の危機は深刻だと思います。パートナーの度量と操縦テクに期待するのみです。

「お互い譲歩して落としどころを探す」という手法では、うまく行かないこともあるかもです。もしかしたら、お互いに問題点と思っている場所が違っているかもしれません。ちょうど外交で「領土問題」が「ある・ない」と主張するかのように。よほど、発想を変えて・・・ペナルティとか、気をつけるとか、そういうレベルでなく完全サポート体制とか・・・次元の高いプライド喚起、みたいな・・・

蛇足ですが、ASは自分の「微弱な好きの気持ち」をないがしろにせず、大切に育て、適切な相手に下手でも示したらいいと思うんですよ。結婚した相手は「適切な相手」です。

ミッシェルさん、いろいろつらい気持を綴られていたのに、パッタリと来られなくなったので、どうしてらっしゃるかなぁーと、ずっと気がかりです。

本を注文して「早く読みたいな」と心待ちにしています。

最近、ASの友人と口論になってしまい、毎度のことなんですがひとつのテーマについて意見が対立して、お互いの気持ちや状況を話し合おうとしても、ひとつの言葉の「前提」が全く違うし、その「前提の違い」をお互いが気がつかず、理解できずで話が進んでいるので、ただただ混乱とむなしさと寂しさの疲労感が残ります。

ASの友人は、場面記憶と場面認識なので、次に会ったときは口論を忘れたようにカラリとしていますが、私は蓄積記憶なので口論の心地悪さ、解決していない問題を引きずっている訳です。

神様が居て、ひとつ願いが叶うのなら
1日だけ私をアスペルガーにして欲しい
1日だけ友人をテイガタにして欲しい

そうしたら、お互いの感覚が解って、
エンドレスのような同じテーマの喧嘩が
無くなるかもしれないのに。

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