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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2012年7月29日 (日)

会話の意味

 パートナーに何かふと気になったことを話しかけると、「それでどうだって言うの?」というような反応が返ってくることがよくあります。たとえば最近猛暑続きですが、自分が住んでいる地方で熱中症の死者が出たというニュースを見て、「ここでも熱中症で死者が出たんだって!」と話しかける。そうするとしばらくして「だから何だって言うの?」「それで何が言いたいわけ?」とか聞かれるわけです。
 で、改まってそう聞かれると、なんとなくびっくりして言っただけなので、答えに困るんですね。まあ、仮に立場が逆で自分がそう言われたとしたら、たとえば「へえ、こっちもそんなにすごい暑さだったんだ」とか「このくらいの暑さだとなくなる方があるんだね」とか、まあそんな返事をするんでしょうけど、それも「だから何だって言うの?」とか改めて聞かれたらちょっと答えに詰まる。
 考えてみれば、定型の会話って、「だからどうだって言うの?」と聞かれると困るような話がかなり多いように思います。別に深くその先を考えて言っている訳じゃなくて、ちょっと気になったから相手に伝えてみる。それで相手も何か感想を持ったり意見を言ってくれたりすれば、その後話が続くかも知れないし、「ふーん、すごいね」くらいでおわりかもしれないし、それはそれで別に構わない。
 要するに最初から明確な目的とかがはっきりあるわけじゃない。もちろんある場合もあるけど、無い場合も多いわけです。じゃ、目的がハッキリしてないから意味がないのかというとそうじゃなくて、やっぱり話したくなる。そういう一見無駄にも思えるやりとりが、定型にとっては結構重要な意味を持っているわけです。
 
 似たようなことになりますが、自分が何か問題を抱えていて、それについて考えたいんだけど、何からどう考えたらいいか分かんなくて、なんとなく気持ちがモヤモヤしていることがあります。そう言うときにも相手に話したくなるんです。なにからどう話し始めたらいいのかも迷う状態なんだけど、なんか関係ありそうなことから言ってみる。でもそこで言ったことが核心を突いたポイントだというわけではないんです。ただとりあえず言ってみるだけ。
 でもその言ったことに対して相手の人が何か反応してくれたり、あるいは自分で口に出してみたことで何か気がつくことがあったり、というようなことが少しずつ重なっていくと、だんだんと何が問題なのかが見えてきたりすることが少なくない。思いがけない解決法がそこから見つかることもあります。

 で、パートナーに聞いてみると、やっぱりそういう話し方はしないというんです。自分の中で問題が整理されて質問がハッキリしてから相手に聞くと言います。

 私の場合はもやもやしてハッキリしない状態から初めて、問題を整理するために色々話をしてみる。パートナーの場合は自分の中で問題をハッキリさせてから話をする。なんか凄く違いますよね。

 この違い、コミュニケーションの仕方の色んな場面で似たようなことが見られるんじゃないかなという気がします。ということで、定型の話しかけたことはアスペの方には「だからなんだって言うの?」という疑問を生みやすい。そうすると定型の方はなんだかコミュニケーションを拒否されたような気がしてショックを受ける。なんかうまい調整の仕方とか無いんでしょうかね?

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コメント

「ないと思います」に1票。というとモトコモコありませんが。

ASの方にもよりけりで、適当に「ふうん」と合わせてくれる人も沢山いると思うんです。
ただ「ふうん」のあと、こちらが望むような話の続きにはなりにくいですが。

「会話」という概念がASと定型ではハナから違うと思ってます。
定型の本能である共感欲求は、言葉は空気くらいに必要なもので、日常的な意味の無い言葉のかけ合いで心の温度を平熱に調整しているのではないでしょうか。

でもASの人には、雑談、声かけ、挨拶などにそこまでの必要性も意味も無い。

そこの違いは基本中の基本で、お互いが歩み寄る努力と、良い意味で進歩的にあきらめ合うことしか無いのではないでしょうか。

トマトさん

 おお、モトモコモない一票ありがとうございます (^ ^;)ゞ
 
 でもやっぱりそうなんかなあという気がしますね。
 アスペの方がどう思われるのかは分かんないですけど。

 「言葉の掛け合いで心の温度を平熱に調整している」という表現、なるほど~
 と思いました。やっぱり人と掛け合うことで個人が調整されるんですよね、
 定型の場合は。

 そうすると、玄さんの場合なんかはどうなるのかな?
 とても丁寧に定型の疑問なんかにも答えて下さっていますけど、
 玄さんにとってそういうやりとりってどんな意味を持つんだろう?
 と、ひとつ新たな疑問が……

そうですな~ミモフタモないですが、
アスペルガー症候群にとって「声」はコミュニケーションツールじゃあないってことですね。
ASは、平熱が低いんでしょうね。体温維持のための掛け合いは不要。
断言調なのはお遊びってことで。(^^)/

パンダさんにも、問われて返答に困る「そこは考えてなかった」ネタがあることにホッとしました。ASにとって、質問されても、「そこは考えていなかったから、とっさに答えられないなぁ」ということがあるものですから。(感情についてや、将来についての話題だったり。。。)「そんなことは、考えていて当たり前だ、答えを返してくれて当然だ」と思いつつ、答えを得られない話題が、お互いに存在するということが、公平感があってうれしい。

お久しぶりです。その節はお世話になりました。

さて、私は雑談をするアスペなのでちょっと系統が違うかもしれないなぁと思いながら記事を拝見させていただきました。
というか自分は興味がありすぎる内容だったりすると

自分「で!?(どうなってるの?)」って聞きすぎる
相手「いや、そんなに意味は無いんだけど(汗)」

のパターンの時もあります(笑)
興味のない話の場合は合わせてるつもりだけど
「興味ないでしょ?」って言われてしまいます(笑)

しかし、トマトさんの仰るように共感欲求という形で話を聞いているのかと問われると悩ましいです。それは多分、小さい頃から共感してもらえる環境があまりなかったからかもしれないですね。
「変わったこと言うね」「そういう考え方もあるんだね」「面白い事言うね」という反応のほうが定形の方との会話では多いですから楽しみ方としては「違いを認めてお互いの考えをマージ(混合)させる」というような事をしているような気がしますねー。

私の場合ではありますが、人と話すことで生まれる気づきがとても魅力的なので楽しいと感じられてるのかもしれないですね。

【追記】
あ、でも意味もなく話をするのはやっぱり苦手かもです。
お互いに黙っていると「なにか喋らなきゃ!」と強迫観念にかられて
本で読んだ「コミュニケーションを取る方法」から抽出したりして頑張りますが(笑)

パンダさんのエピソードを読みましたが、パートナーさんの返しは厳しいですね(^^;)
「気がかりなことがあって苛立っていた」とか「考え事を邪魔してしまった」の割合が幾らかはあったでしょうが、それは横に置いて、自分を思い出しながらASと定型の会話を考え直してみました。
ASは、発言内容が文章的にあるいは客観的に「正しいかどうか」のマインドシェアが高い傾向があります。私にも根底では「お互いの間違いを正し合うために、会話は行われる」ものだという位置付けがシッカリと横たわっています。相手の言葉の誤りを直してあげることが、話し相手として選ばれた自分に課せられた役目と受け止めているのです。「ねぇ話きいて!」→「今から言う私の発言をチェックして下さい」という字面通りの理解です。
私は家内に度々、「『いつどこで誰が』を言ってくれないと理解できない、僕の知らない登場人物が複数いるなら、紙に書いて欲しい」とお願いしてしまっています。情報不足があると頭に靄がかかってしまい、話の続きが全く入って来なくなります。そのような事態に追い込まれた事と自分がワタワタになる事にとても腹が立ちます。家内は「そこまでする(紙に書く)必要はないから、ただ聞いてくれ」と言います。把握できない・チェックできない音声情報を発する相手に対して、私は不満爆発です。

最近のブラウザは、検索語やURLを補ってくれる「オートコンプリート機能」が随分発達してきましたが、私の頭の中の「省略された主語や語尾を補う『オートコンプリート機能』」は、いわば「移植版」か「β版」のようなもんですから、時々誤動作をしてしまう。さらには自分の「オートコンプリート機能」のズレにイラっと来て、「機能オフ」にすることもある。(相手が親しいという事も条件です。)そんな時に出て来る言葉が「主語がない!」や「何が言いたいわけ?」になるのだと思いました。

僭越ながら、パンダさんへのアドバイスは、「省略した結論を、付け足す習慣」です。「◯◯なんだってね、、、」に「知ってた?」を付け足す。「××だそうだよ。。。」に「気をつけなきゃね!」を付け足す。それで成立すると思いますよ。パンダさんは「結論を深く考えていない」とのことですが、発言内容に抜けが無い、というレベルで十分です。同意が欲しいなら「どう思う?」というオープンな質問でなく、「この町がそんなに暑かったら大変だよねぇ。」くらいにクローズな投げかけの方が「そりゃそうよね」と返ってくる確率が高いでしょう。

「もやもやしてハッキリしない状態」で話し掛けて、しゃべりながら論点を整理したり解決策を探ったりは、私はありますよ。でもそれは自問自答を声に出しているだけです。パンダさんもその状態では相手の反応を必要としてはいないのでは?

何度もスミマセン。よーく読んだらあたしが話してることって多分ズレてますね(汗)
で?って言っちゃってる時点で噛み合ってないじゃないか!ということに気が付きました。。。
うーむ。ひとりよがりでスミマセンでした(反省)

yukipomさんのコメント、とても解りやすいし、テーマに対して的を射ていると思います。

私のAS友人も、雑談冗談が好きでほがらかユーモア君です。
ただ、自分の興味の無い内容の話は、こちらが求める「当然返ってくるであろう、なんとなくのあいづち」「反射的に返してくれるはずの、なんとなくの反応」を見事スルーして「話は変わりますが」とこちらの話題は置き去りにされたり、
「それで想い出したんですけど」と連想ゲームのように次々に移り変わる会話になってしまったり。

「そうか、この内容は彼には興味ないんだな」とわかりやすいんです。

ただとても丁寧なスルーぶりですから、周囲は会話に違和感を感じないようです。
私もASを知らない時期は、会話は成立していると思い込んでいたので「優しくて親切な雰囲気なのに冷酷な性格なのかな?」と誤解していました。

そんな彼も「沈黙が苦手で何か喋らなきゃという強迫観念で喋ってしまうんですよ」と言っていました。
私は、彼から「喋る」と「話をする」の根本的な違いを学びました。

パンダさんに提案ですが、「会話の意味」というより「相づちの意味」の方がピントが絞れるのではないでしょうか?

しっかりした会話というより、適当な相づちで成り立っている日常会話
「暑いですねぇ〜」「ホントに」という合いの手トークも、
会話の途中の「うんうん」「ふんふん」という無意識のうなづきリアクションも、
「ふーんすごいね」の適当さも
(あなたの話をちゃんと聞いてるよ〜)というサインですよね。
(ちゃんとキャッチしてるからね〜)という心の返事みたいなもんですよね。

ASの人に「あいづち」という概念が無いように感じるんです。

一度ASの友人に「そうだね」という相づちをもらいたくて、半日いろいろなお店を見て歩き、食事もして、意識的に「見て見て、あの絵きれいだよね」「あの服、私に似合うかな」「あの犬、珍しい犬種だね」「このパスタおいしいね」いろいろ話しかけました。
でも、無意識で無防備な相づちって・・・もらえませんでしたね。
「絵がきれいといってもそれぞれの美意識も違いますから」とか「服は僕の意見ではなく、トマトさんが好きな服を選べば良いと思いますよ」「珍しいかどうか、僕は犬には詳しく無いので」
「何を基準においしいかと言うか・・」
しっかり意見と見解を拝聴するに終わりました。

相づち争奪合戦、惨敗〜!

私が出した話題には夫が無関心に見えたり、矛盾点や間違いを指摘されることなど、うちもそうだったな~と思いながら拝読してます。今では会話がないので、以前の話ですが。。。

玄さんのコメントの「正しいかどうか」という点ですが、どのように客観性を保っていらっしゃるのでしょうか。思い込みが激しい相手に対して、多面的に判断するということでしょうか。
また、間違いを正し合うのは、雑談レベルでは疲れないでしょうか。いつも会議してるような。
夫に「なんとなく嫌」とか「不安」というレベルで話すと、「だったら代案を出せ」と言われたことがあり、私はとても疲れました。書面できちんと出したほうがよかったのかもしれません。

もっとも、うちの夫はアスペだと診断されたわけではありません。ただ、アスペ的に考えれば夫の言動は理解できることが多い、というだけです。
以前、愚かにも直球でそのことを夫に伝えたところ、「俺は社会的に何の問題もない!」と激怒され、自分で「自閉症スペクトラム指数」(
http://www.the-fortuneteller.com/asperger/aq-j.html)をやって得点も低いかった、と反論されました。
皆さんはどうやって相手やご自身をアスペと定義されていますか? 
ただの性差とか個性を、経験の少ない私にはわからないだけかな、と思いますが、夫の頑なな態度や4年以上も家にこもって平気でいるのを見ていると、夫をアスペと決めつけて自分がラクになりたいだけかとも思います。
その辺はパンダさんの本にもあるのでしょうか。今海外にいるので、まだ手元にはないのですが、楽しみにしています。

Glassfishさん、こんにちは。
「正しいかどうか」は、ご心配の通り「本人が正しいと信じる基準に合っているかどうか」に留まります。「正しいものへの憧れ」は、強いのですが。。。「客観性」も、「自分が自分で客観的と思っている」ということです。本人としては、自分の利益の優先度が低いことを「客観的」と思い込んでいる、ということもありえます。ですから、先の私の発言は言い過ぎだったかもしれませんね。済みませんでした。
アスペルガーが「本当に」正しくて客観的ならば、世話はありません。独りよがりで頑な、独善です。それに気づいても、なかなか難しいですが。

「雑談レベルで疲れないか」簡単に言えば、「雑談というレベルはない」ということです。雑音のひどいラジオを真剣に聞いている感じでしょうか。発言内容を抽出するのが精一杯で、雰囲気とかニュアンスとかは無視せざるを得ない。そういう風に、「表情・口調・雰囲気」をあえて排除しないと情報が手に入らないという感じです。疲れない会話はないですね。無言がラクです。「話を聞いて欲しい」と頼まれたならば、真剣に聞くまでです。話は跳ぶかも・・!

ASの診断について、Glassfishさんのスタンスは好ましいと思います。「もしも、この人がASだとしたら、別の受け止め方ができる」という心の余裕のために知識を使うことが、もっとも有益だと考えています。
本人や周囲にとって、受け入れる(うまくやっていく算段がたつ)状況が出来ていなければ、診断や告知の時期は、まだ来ていないと思います。
本人が困っていなければ、テストのポイント数は低いかもしれませんよ。

玄さん、丁寧なご回答をありがとうございました。
いつもコメントを拝見していて、とても理解しやすく「なるほど~」という発見があったりするので、客観的・多面的な解釈が普通に(というと語弊があるかもしれませんが)されているのかな、と思った次第です。
夫と話ができていたときも、私にはまったく考えもつかないような視点でアドバイスをもらえるのがありがたかったです。各視点に対する重み付けが均一で、私には客観的と感じられました。私は感情が最大の重みを持つことが多いので、「正しくないかもしれないけど、気持ちをわかって」と訴えてはぶつかっていました。
ただ、「自分の利益の優先度」というのは、これまた新たな発見です。どういうことに利益を感じられるのか、人それぞれでしょうが、とても興味があります。

雑談レベルがないというのも、夫と重ねて納得できます。ちょっと話を聞いてほしいときも、横に座って「よしよし」ということはなく、真正面に座って腕組みされたりしてました。真剣に聞いてくれていたんでしょうね。今は無言になって、少しはラクになったのかな。

アスペの診断について、おっしゃる通りですね。私がまったく違う視点で見ることができたのだから、不用意に夫を傷つけただけになってしまい、反省しています。
私の発言が夫に無益で有害だったので、もう許してもらえない気がしています。間違いや許しについて、また機会があれば教えていただけるとありがたいです。あくまで私の自己満足のためですが・・・

相槌うちますよ、雑談もします。でも、手探り続きでものすごく疲れます。
努力してるつもりなのに空振りなのか、しーんとすると恐怖で汗が凍ります。
雑談という努力をしても、徒労感だけで達成感ないです。
それが合わせるってことなんでしょうか。
安心してるときは黙ってるときですね。

さかなやさん

はじめまして、ゆったりのんびりと申します。
彼女もそうなんだろうなと、気づきました。
ありがとうございます。

アスペルガーを受け入れた時から、回復への
階段を昇っているのではないでしょうか。
遅れを取り戻すのですから、大変でしょう。
徒労感、しんどいでしょうが、必ず報われる時が
きます。
めげながら、めげながら、でも一段ずつ確実に。

おはようございます。

私個人の中では雑談や挨拶に『意味をなさない』のでは無く、『失敗体験の連続で居心地の悪さや緊張感を伴う』です。

数十年生きてきて歩みは遅いなりに学習してきたので、何とかなってると思われがちですが、こっちは必死です。歯医者に『歯軋り』を疑われたほど無意識に食いしばって力をこめて『他者の話を聴く』感じです。

最初は本当に『話を聞いて』と言われると、ただそこにいて【言葉という音】を聞いてました。相槌なんかもいれて。でも私側の意見の整理までしていないので、相手から『何だけどどう思う?』って言われると『へ?』ってなり『もう聞いてた?ちゃんと』と不機嫌にさせてしまう。それからは聞き洩らしのないように必死にまずは【聴いて】ます。でもたまに本当に【聞く】だけでよかったりもして…
この【聴く】の中には翻訳作業も入るので疲労感一杯です。特に【愛情や感情などの情】に比重がおかれると。

私にとって居心地の良い会話は【情報や知識の交流】です。
【情】に比べてあやふやさが少ないので。

小梅さんのコメント、胸が痛くなる思いで読ませていただきました。

私はいつも思うのです。
もっと社会にASという障害もしくは特質が、広く一般的に認知されて、健康検診と同様に発達検診なるものも出来て、親はもっと早期から我が子のことを理解できて、小学校教育の中には特質の違いという授業枠も出来たなら

そうすれば「ぜんそくだから走れない」とか「アレルギーがありこの食材は食べられない」などに近いレベルで認知され
先生や友達や上司や同僚から、ASの人に「こういう言い方、わかる?」と配慮が生まれ「あなたの長所を伸ばす役割を考えましょう」と提案や配置が生まれるのではないかなぁと。

アスペルガー教育が必要なのは定型の方であって、ASの当事者だけに診断やソーシャルスキルトレーニングがほどこされても、社会が無知で受け入れ態勢が無ければ、ASの人は酬われる事が少な過ぎると思うのです。

アスペルガーの人は、自分の特質の説明をしてどのように接遇してもらえば自分はラクか、自分は理解しやすいか、自分は働きやすいかなどを訴えることを、思いつかないし、「言ってごらん」と言われても、言葉では適切に表現できないことが多いと思います。

世の中のコミュニケーションは、挨拶からはじまり、声かけ、雑談、ジョークなどでつむがれています。
そのことが苦手・困難・苦痛と思う人が居る。
そのことを、上手く説明できない人が居る。
それは、性格や病気という改善、回復を願うという概念ではなく、出逢った現場(職場や家庭や教室など)でお互いの気長い歩み寄りや譲り合いの、独自のノウハウを築いていくことだ。

ということを知って、実践していくしかないと思うのです。

ネットやプログ上で、定型の私に、とても理論的に客観的に親切に教えて下さるASの方々と出会いました。あるときは、励ましていただき、あるときは徹底的に非難もされました。
それは、とてもありがたい学びです。

しかし、コメント上のイメージで尊敬の念を抱いても、実際の生活や仕事現場で出逢ったら、戸惑ったり、苦手意識を持ったり、ストレスの対象になるかも知れません。

文章や哲学や計算や発想力が優れていても、言葉がコミュニケーションのつてとならない、ということは、ASの人にとっても、特に定型に「お互いをすごく知ることの努力」を幼児教育から始めなければ、今のまんまの状況は変らないと思います。


はじめまして。

中身のはっきりしない要求って、完食を要求されている闇鍋の感じがします。
変な例えですが、私は食べるの嫌です。愛する人の手料理だろうが嫌です(笑)。


例えば「こっちでも熱中症で死者が出たんだって!」に対して、「うっわー、それ本当?」と返せる時もあるかもしれないですけれど、
どう対応していいのか全く分かりづらい形式にも感じます。調理方法と材料のはっきりしない闇鍋(笑)。


字面だけで見ていると、

1a:不謹慎ですが、「知り合いが宝くじに当たった」みたいなもの?暑いなら熱中症くらいどこででも出るでしょうに。
1b:それとも、死亡者だから珍しいんだろうか?死亡者が「熱中症」によるものだから?「ここ」だから珍しいんだろうか?意表をつけば、この死亡者が知り合いだとでも言うんだろうか?いや、まさかね・・・。
2:それとも「見ず知らずの誰かの熱中症対策になにか活動を始めるべき」ということ?

とか、そういう考えが浮かびます。(パートナーさんとはちがうかも)


たぶん1aと1bのような驚きなんだとは思うのですが、多分抱えている前提が違うので「共感」は無理です。

「熱中症」は夏になればよくニュースに出てくるし、熱中症の悪化は死亡につながるのも不自然でない。
「ここ」がどこなのかは分かりませんが、おそらく夏でも涼しい地域といいやすくはなさそうかな?と感じますから「ここ」だけが熱中症患者の出ない例外地域ではない。

知り合いが熱中症になったのなら驚きますが、知り合いでも何でもない人ならたくさんいることだし、珍しくないよね、で終わりになってもしょうがないかなと思います。

・・・・・・

質問の形式から、お返事の仕方を事前に相手に固定されてしまうと途方にくれます。
いや、それ、人に訊く意味ないじゃないですか。

補足:
「おいしいね」とかって、同意・共感を求めているのでしょうか?
たとえば、相手が振ってきたことと、自分で思っていたことが全く違う場合、相手が期待しているだろうお返事を無難にしたくても、何と言っていいか分からない時があります。
逆に、「こう感じているのだけれど・・・」を定型の方のように、雑談で処理できないので不便です。タイミングを逃したり、短く言えなかったり、共有ができなかったり。

玄さんの「ひとこと追加」は、良案だと感じます。話し方の形式が分かって安心です。

トマトさんのおっしゃるとおり、長期的な視点で学校教育に取り入れてもらいたい点はあります。僕としては、区別を際立たせる方向ではなく「得意不得意は誰にでもある。みんな個性はいろいろだ。」というのがいいな・・・
極端にLDやADHDが出ているのでなければ、一緒のクラスが善いと思う。一緒にやっていくことで互いに学べればと願っています。

「世の中はコミュニケーションあってのものだ」というお話ですが、そうではない部分もあるのでは?集団では挨拶や情報共有は当然必要ですが、黙々と仕事をする職場だってあります。感情を出さないことを求められる場面もあるはずです。
「言葉がコミュニケーションのつてとならない」と言われますが、「言葉が通じない」という訳ではありませんし、音声のキャッチボールは苦手でも「文字情報」には親和性高いと思うんです。

Cagさん、はじめまして。なるほどですね!そういうパターン分析と疑問が、ぐわーっと頭の中を占領するので、タイミングよく「そうだよねぇ」という相槌が出てこないですよね。

Cagさん

 はじめまして。どうぞよろしくお願いします。

 「字面だけで見ていると、

1a:不謹慎ですが、「知り合いが宝くじに当たった」みたいなもの?暑いなら熱中症くらいどこででも出るでしょうに。
1b:それとも、死亡者だから珍しいんだろうか?死亡者が「熱中症」によるものだから?「ここ」だから珍しいんだろうか?意表をつけば、この死亡者が知り合いだとでも言うんだろうか?いや、まさかね・・・。
2:それとも「見ず知らずの誰かの熱中症対策になにか活動を始めるべき」ということ?

とか、そういう考えが浮かびます。」

 って、私としてはどれでもいいんですけどね。どういう観点から答えが出てくるかによって、そのときの相手の興味関心もわかったりするし、別に正しい答えがある訳じゃない。ただお互いの間に共通して関心を持てる話題が拡がればそれでいいんです。もしそれが拡がれば二人の間の共有世界が拡がるわけで、それは楽しい。

 という感じな訳なんだけど、そこがお互い考え方がズレるのでしょうか?

検索でやってきました。

現在、発達障害の診断結果待ちの者ですが・・・
思わず笑ってしまったので投稿させて頂きます。

>「それでどうだって言うの?」

はい。所謂雑談に対しては内心そう思ってます。
親に対してはストレートにそう伝えます。

>「ここでも熱中症で死者が出たんだって!」

例えば上記のような話題提起の場合・・・

・最近、暑いよねーと共感して欲しい?
・独り言を言ってるだけで反応不要?
・熱中症の対策について何か教えて欲しいと思ってる?
・熱中症対策について何か意見があり、私と議論したい?

と先方が期待している物事を絞りきれず・・・
「で、何が言いたいの?」と切り返したくなる衝動に駆られます。

実社会において上の様な本心を露にする行為は、無用な軋轢を生みかねません。だから、此方側で相手の性格や背景、状況などを加味した上で最も可能性の高い選択肢をピックアップ。最も無難そうな反応を繰り出す流れになります。

世間の人との会話は多くが、このような予測作業の連続であり、大変疲れます。特に、飲み会や大勢が集まる場所では会話のテンポが早く、大勢の人が同時進行で他の会話をしていることから、状況も複雑化し、私の思考スピードでは全く追いつけなくなります。

だから、私が逆の立場(話題を提起する側)に立つのであれば、以下のように発言するのが自然と思ってしまうのです。

「○○さん。(指名)
 昨日、××においても熱中症で死者が出たとのニュースを聞きました。(状況説明)
 ○○さんは、熱中症対策、万全ですか?(目的の明確化)」

まぁ実際にはこんな聞き方すると避けられてしまうので、しませんけれど・・・上みたいに目的を明確にしながら話せれば、あんまり疲れないはずです。

末筆ながら、コメント欄は全て読み切れておらず、当方の投稿で不覚にも、お話の流れを切ってしまったなら・・・それは申し訳ありません。

鶏さん

 はじめまして。どうぞよろしく。

 それにしても、逆に考えてみると、どうして定型は
 いろいろある可能性の中からそんなにずれないパターンを
 その時々でぱっぱと判断して会話できるんでしょうね?
 我ながら不思議です。

 もっとも定型同士にも相性があって、
 会話の発展のさせ方(パターンの選び方)が
 自分に合ってる人と合わない人はあるみたいです。
 よく「あの人は話があう」とか「あわない」とか、
 「あの人とは相性がいい(悪い)」というときの感じです。

 そうやって話の合いやすい人とは友達になるんでしょうね。

それって、パンダさんのパートナーさんに「夏の熱中症」に興味を持ってほしいってこと?それともパートナーさんがもとからそう言うのに興味を持つ人だってことですか?
なんとコアな夫婦だ。私にはとてもそんな生活考えられません。


冗談はさておき。

確認事項:

パンダさんがやっていることって「コミュニケーション要求(言葉はかなり大きいですが)」ですよね?
でも表向きやっていることは「事実の提示」くらいですよね?
「構って欲しい、かな(熱中症でね・・・)」

「(熱中症の方を指して:明後日の方向で、まるで文脈がない。内容はつまらないし取り上げる必要性は皆無 隠れメッセージの方を指して:なんか要求されてるのは分かるのに、ストレートに言ってくれないから皆目分からない。)・・・だから何だっていうの?」

パートナーさんが「構って欲しい」の方に少なくともメッセージの存在を感じとってはいるのに、それを毎度毎度 内容補完できないのではありませんか?
構ってほしいと感じたなら、そう言えばいいんですよ。おそらく隠れメッセージに「ヤダ」と言っているわけではなくて、「本気で訳の分からない」&「でもなんか要求」がとてもイライラさせるものなのかも。


熱中症について・・・
パンダさんが興味ある?ノー。
ニュースを読みあげる趣味がある?ノー。
パートナーさんが興味があって、知りたがっている?ノー。


双方興味がないのに、どうして共有できる世界が広がるのでしょう?おそらくパンダさんの目的は違いますよね。
「どんなにつまらない話でも、興味を持ってもらえる程度には、大事にされていると思いたいのだ」かもしれないし「会話が出来た事実がなにがしかの共有の意味を持つ」のだと思うんです。
・・・私がそう思うだけで、違う可能性はもちろんありますが。


違うの覚悟で話を続ける・・・

でもパートナーさんはそのスタイルが嫌いです。会話ではない手段でその欲求を満たせてしまう、あるいは定型さん式の意味のない会話にかかる精神的コストが法外に高いなど、色々考えられます。が、詳しくは本人に聞いてください。
たぶん無目的な会話には耐えられないですが、他の手段でパンダさんが「愛されてるなー」と思える行動・言葉などを提示して、ちょっと構ってもらいたい時は会話の代わりにこれをしてもらうことにしよう、というのは出来そうな気がします。
もの経由なり、しぐさ経由なり、その辺は交渉でb

*すみません気が向いたら来ますけど、基本、読み手に終始したいです。あとはよそさまにお任せで。*

パンダさんが、「どうして定型は いろいろある可能性の中からそんなにずれないパターンをその時々でぱっぱと判断して会話できるんでしょうね?」と書かれていますが、いつも大変失礼で申し訳ないのですが・・・僕はパンダさんの捉え方と違う考え方をしています。「そんなにずれないパターン」を選び出しているのではなくて、「文脈をたどるのに必要な情報が無くても、話を続行させる許容範囲が、より広い」そういう能力に長けているともいえますし、分からないことを放置していて「相対的にいい加減」だともいえます。
「物事を頭の中で整理するテーブルの面積が大きい」というのもありますが、「判断材料が揃っていなくても(人物を「好きなら」)OKを出す」という部分がありませんか?
なぜそう言うかというと、僕と家内との会話の中で、判断材料が揃っていないことを指摘したとき、「嫌いなの?」と突然言い返されるのです。こっちにとっては「なんだそりゃ、好き嫌い関係ないだろ」ですが、「発言内容を誤りなく理解するために必要な情報を求める」が、相手を追及する、あるいは「好意を持っていない」というメッセージに受け止められているのだとしたら、お互いの損失です。
僕の家内は、「非AS」であっても定型とは限らない訳ですが(僕は、非AS=定型、とは限らない、というか、定型にも何パターンかあるはず、と想像しています。)、僕から見て相当いい加減です。家族を呼ぶ時の名前間違いもかなり多いと感じますし、何かの出来事を語り始める時に、何時どこでの話かも説明無しです。「その情報量で『了解』が欲しい」という態度なので、「判断せずにOKして欲しいんだけど」という前置きを聞き逃したのかと自分を疑ってしまうほどです。

ASと定型のカップル(好意がある前提)での会話は、誠意を持って互いに「正しい解答」への努力があるはずと考えるASと、「好きなんだから、互いにとにかく同意があるはず」と信じる定型のように、お互いに発信したメッセージや期待が、「誤って受け取っており、誤って受け取られるものを発信をしている」可能性がありませんか?

Cagさん

 読み手に徹したいとのご希望ですが、一応お返事はしておくのが礼儀と思いますので…… (^_^)

 「双方興味がないのに、どうして共有できる世界が広がるのでしょう?おそらくパンダさんの目的は違いますよね。
「どんなにつまらない話でも、興味を持ってもらえる程度には、大事にされていると思いたいのだ」かもしれないし「会話が出来た事実がなにがしかの共有の意味を持つ」のだと思うんです。」

 とCagさんが想像される「定型の会話の目的」についての理解がちょっとずれるんです。完全にずれているわけではないんですけど、比喩で言えばカレーを作ったんだけど、カレー粉を入れ忘れている、というような感じ。

 玄さんみたいにクリアに説明できるといいんですけど、微妙な違いなんですよね。まず一つ言えるのは「大事にされていると思いたい」というのは、結果の問題であって、話しかける目的ではないと言うことがあります。共有についても同じです。結果的に共有されればそれはそれで嬉しいけれど、絶対ではない。そのあたり、曖昧で幅があるんです。ただ多分間違いないことはずっと応えてもらえない、共有されない、ということになると非常に大きな問題になると言うことです。
 この説明でどこまで伝わるのかわからないのですが、このあたりのお互いの伝わりにくさがコミュニケーションをスムーズに成り立たせない原因の一つだろうと思います。


玄さん

 定型同士の井戸端会議なんか聞いてると、定型の私が聞いていても実にいい加減で適当な話だなあと思うことがよくあります。お互い全然違うことを言っていて、矛盾してるのに「うんそうそう、そうだよね」とか納得し合ってたりとかもあるし (^ ^;)ゞ

 定型同士の話し合いって、固い会議のように目的が明確である場合は別として、そんなに正確さを求めないし、お互いの言っていることをどこまで自分がちゃんと理解しているか何て気にしない人が多いし、なんとなくまあわかってる気分になってるだけだったりするのが多いんですよね。

 で、このパターンの会話というのは理屈から言えばすごい不合理だし、不誠実に見えるし、無駄でしかないようにも思えるんだけど、実はその「無駄」を通してもう少し大きな意味で実現しているものがあるんだと思います。それは玄さんも前に書いていらしたかも知れないけど、たとえば仲間意識を強めるとか、雑知識を共有することで新しい事態への適応の可能性を広げておくとか。

 あるいはある人があることについてべらべらしゃべっていたら、そのことについて関連する問題が起こったときに、「じゃああの人に聞いてみようか」というような手がかりを人々に残す役割もある。

 そういう知識とか仲間関係とか、将来的に役に立つものを積み上げておく場という意味も大きいと思うんですね。今だけ聞いていると馬鹿みたいな話でも。で、将来必ず役立つかどうかは勿論わからない。保険みたいなものです。だから「同意」ということについても結構いい加減なんですよ。たぶん。(←このたぶんもいい加減!)

 もしかすると定型を理解するカギの一つはこの「いい加減さ」にあるのかも……(^_^)

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