会話の意味
パートナーに何かふと気になったことを話しかけると、「それでどうだって言うの?」というような反応が返ってくることがよくあります。たとえば最近猛暑続きですが、自分が住んでいる地方で熱中症の死者が出たというニュースを見て、「ここでも熱中症で死者が出たんだって!」と話しかける。そうするとしばらくして「だから何だって言うの?」「それで何が言いたいわけ?」とか聞かれるわけです。
で、改まってそう聞かれると、なんとなくびっくりして言っただけなので、答えに困るんですね。まあ、仮に立場が逆で自分がそう言われたとしたら、たとえば「へえ、こっちもそんなにすごい暑さだったんだ」とか「このくらいの暑さだとなくなる方があるんだね」とか、まあそんな返事をするんでしょうけど、それも「だから何だって言うの?」とか改めて聞かれたらちょっと答えに詰まる。
考えてみれば、定型の会話って、「だからどうだって言うの?」と聞かれると困るような話がかなり多いように思います。別に深くその先を考えて言っている訳じゃなくて、ちょっと気になったから相手に伝えてみる。それで相手も何か感想を持ったり意見を言ってくれたりすれば、その後話が続くかも知れないし、「ふーん、すごいね」くらいでおわりかもしれないし、それはそれで別に構わない。
要するに最初から明確な目的とかがはっきりあるわけじゃない。もちろんある場合もあるけど、無い場合も多いわけです。じゃ、目的がハッキリしてないから意味がないのかというとそうじゃなくて、やっぱり話したくなる。そういう一見無駄にも思えるやりとりが、定型にとっては結構重要な意味を持っているわけです。
似たようなことになりますが、自分が何か問題を抱えていて、それについて考えたいんだけど、何からどう考えたらいいか分かんなくて、なんとなく気持ちがモヤモヤしていることがあります。そう言うときにも相手に話したくなるんです。なにからどう話し始めたらいいのかも迷う状態なんだけど、なんか関係ありそうなことから言ってみる。でもそこで言ったことが核心を突いたポイントだというわけではないんです。ただとりあえず言ってみるだけ。
でもその言ったことに対して相手の人が何か反応してくれたり、あるいは自分で口に出してみたことで何か気がつくことがあったり、というようなことが少しずつ重なっていくと、だんだんと何が問題なのかが見えてきたりすることが少なくない。思いがけない解決法がそこから見つかることもあります。
で、パートナーに聞いてみると、やっぱりそういう話し方はしないというんです。自分の中で問題が整理されて質問がハッキリしてから相手に聞くと言います。
私の場合はもやもやしてハッキリしない状態から初めて、問題を整理するために色々話をしてみる。パートナーの場合は自分の中で問題をハッキリさせてから話をする。なんか凄く違いますよね。
この違い、コミュニケーションの仕方の色んな場面で似たようなことが見られるんじゃないかなという気がします。ということで、定型の話しかけたことはアスペの方には「だからなんだって言うの?」という疑問を生みやすい。そうすると定型の方はなんだかコミュニケーションを拒否されたような気がしてショックを受ける。なんかうまい調整の仕方とか無いんでしょうかね?
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