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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2012年6月15日 (金)

自分をケアする

 少し前、トマトさんがコメントでこんな話を紹介して下さいました。

 「以前に、精神科医に「自閉圏に居る人には、求めたり期待したりすると苦しくなりますから(定型は)、周囲の共通理解を広げることが最重要です。asの人に添う人にこそ心のケアが必要なんですよ」と言われました。」

 アスペと定型と、どちらもお互いの違いを認めながら、ずれて辛い部分は折り合いを付けていく方法を見つけていくこと、それはこのブログの中で繰り返し考えようとしてきたことです。もちろん問題はそんなに簡単ではありません。たとえばここ何回かの私の記事をご覧になって、アスペルガーのFOXさんはこんなことを書いて下さいました

 「パンダさんにそういうつもりはないのだろうと理解はしていますが、下手するとパンダさんが相手の「自閉症的特性」を消そうとしているように感じられてしまいます(私の認知が弱いせいからだとは思いますが)。深追いはかえって相手を追い詰めるような気がします。「自閉圏内と自閉圏外のほどよいコミュニケーション」というあたりに落としどころを求められるといいのではないかと思います。」

 FOXさんが書かれるように、折り合いを付けると言うことは、アスペの方はアスペ的な部分を弱めること、定型の方は定型的な部分を弱めることがひとつの方法なのかも知れません。でもそうすると、FOXさんから見てそうであったように、そのバランスが悪ければ、アスペの方か定型の方か、そのどちらかが一方的に相手にあわせさせられる、ということになる可能性もあります。

 実際、そもそもお互いがお互いの感覚を理解することが難しいところがたくさんあるわけですから、自分が歩み寄った「距離」と相手が歩み寄ってくれている「距離」が同じくらいかどうか、というのはそう簡単には分からないですよね。それこそ行ったり来たりしながら経験を積み重ねて手探りでバランスを探すより無いのでしょう。

 そしていずれにせよそう言う形で折り合いを付けると言うことであれば、どちらも多かれ少なかれ無理をして我慢する部分が出てくるわけですから、それは下手をすると自分の中に不満としてどんどんたまっていってしまうこともあり得ますよね。あるいは傷として残っていくかも知れない。

 だとすれば、そういう自分をケアしながらお互いに折り合いを付けていく、と言うことが必要になることになるのでしょう。トマトさんの紹介して下さった精神科医の意見は、多分そういうことに関係して居るんだろうと思います。ただしその精神科医が語っていないことは、同じ事は多分アスペのがわの方たちにも言えるだろうということです。

 ではそこでどんな自分のケアが必要なのか?どんなケアが有効なのか?そこにもまたアスペと定型でズレが出てくるのでしょうね。定型の場合はその精神科医の方の言うように、回りの定型の人に共感したりして苦労を認めてもらい、あるいは努力を認めてもらうことだったりする。でも多分アスペの側の方の場合は、一人になって自分の気持ちをケアすることではないでしょうか。ちょうど病気になったときに一人になりたいと思われるように。

 
 もちろん、そういうやり方以外にも、もっといい形での折り合いの付け方もあるかも知れないし、その場合はそんなに自分をケアする必要もないようなやり方があるかもしれません。もしそういうのがあればそれはとてもいいですね。まあ一つのやり方で全て解決なんて言うことは無いでしょうから、いろいろ考えていきましょう。

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コメント

私は最近のいくつかのパンダさんの書き込みを心配します。

被害者となって→ケアして→いい状態に

ということが、もしも考えのクセとなっているのでしたら、
これはアスペと定型ではない問題だと思うからです。
私も鬱持ちですが、被害者と自分を想定する方が楽だったら少し鬱を疑った方が良いのではないでしょうか。

傷つける書き込みをしてしまったとしたらすみません。

さかなやさん

 どうもご心配ありがとうございます。
 鬱治療は継続中ですけれど、最近特に悪くなっているという自覚はありません。
 
 被害者については、いってみればアスペと定型のズレが原因で、
 アスペも定型もどちらも被害者になるんだと思います。
 だからどちらもケアが必要なんじゃないかなと。

 そのときにアスペと定型では必要なケアが違ったりするので、
 お互いにケアし合うというのがまたむつかしいのかもしれません。
 
 とはいえ、今自分自身についてものすごくケアが必要
 というところまでいっているとは感じていなくて、
 どっちかというと、よくなってるかなという気がします。
 ご心配ありがとうございました。

はじめまして
ゆったりのんびりです。

十年ほど前に、別れた妻が今思えばアスペルガー症候群のように思えます。また、昨年、彼女との間に子ができたのですが、今年に入り、突然に、別れをつげられました。彼女の行動や母親の言動を思い返すと、彼女もアスペルガー症候群のようです。そこで、いろいろなサイトを巡って、ここにたどり着きました。
パンダさんの細かな考察はとても勉強になり、感謝しています。

少し気になることがあり、コメントをさせていただきます。

ASと定型と分けられているのですが、これは病理ということで分けられているのでしょうか?
それとも二種類の人間として分けられているのでしょうか?

私は、ASの方が人間関係の中で生きずらさを感じているということで、病理として分けるべきと思っています。ただし、原因は本人にあるとは考えていません。無意識に沈んだ表象が害を及ぼしていると考えています。

二種類の人間とすると、どちらかが進化から取り残されているように考えられるので、ここに歩み寄りは無いように思えます。

ASと定型を如何にとらえるかということで、考え方が大きく変わると思い、パンダさんのお考えを伺いたいと思い、コメントさせていただきました。

ゆったりのんびりさん

 はじめまして、どうぞよろしくお願いします。

「ASと定型と分けられているのですが、これは病理ということで分けられているのでしょうか?それとも二種類の人間として分けられているのでしょうか?私は、ASの方が人間関係の中で生きずらさを感じているということで、病理として分けるべきと思っています。ただし、原因は本人にあるとは考えていません。無意識に沈んだ表象が害を及ぼしていると考えています。」

 とのことで、考えてみているのですが、二種類の人間として分ける、ということの意味がよく理解できなくて (^ ^;)ゞ、どうお答えしたらいいのか迷っています。的外れになりましたらすみません。

 自閉症は今はスペクトラムとかいう「切れ目無く連続したもの」として定型とつなげて理解されているようですし、たしかにアスペルガーと言ってもものすごくいろんな方がいらっしゃるだろうと言うことは私の狭い経験からも感じられます。中には定型なのかアスペなのか、「分類」に困る、という方も少なくないのかも知れません。

 ただ、私自身としてはこのスペクトラムという見方はなんとなく大雑把だなあと言う気がしていて、「よくわかんないし、いろいろあるから連続と言うことにしておこう」みたいなことなんじゃないかと言う気がしています。で、テストとかつっくって点数付けて、何点以下ならどうのこうのとか、便宜的に決めてるだけとか。

 それよりもやっぱりもうちょっと質的な違いがあるように思えるんですね。単純に量の多さだけの問題ではなくて。ただし質的な違い方にもまたいろいろあったりしてややこしいとか、そう言うことなのかも知れないという気がします。

 うーんと、そうするとお尋ねに対してはどうお答えするのがいいんだろう?
 病理かと言われると、まあ定型の目から見れば病理なんだろうなと思います。でもそれはあくまで定型の目から見ての話で、アスペの方の目から見れば、それはそれでひとつの生き方なんじゃないかなと思うんですね。ただ定型の生き方と折り合いを付けるのがお互い結構大変ではあるけれども。で、そういう見方からすると病理と言うより生き方の特徴かなと、しかもなんか先天的な違いがあっての特徴かなと思います。

 それがゆったりのんびりさんの言われる「二種類の人間」ということなのだとすれば、ゆったりのんびりさんのご意見では歩み寄りが無いと言うことになるわけですが、私はそこはあるだろうという気がしていて、実際パートナーとの間ではぼちぼち歩み寄っていると感じています。もちろん今でも衝突しますけどね。アスペと定型のズレの自覚が無かった頃に比べたらその衝突も全然穏やかなものです。それも歩み寄りの結果かなと。

 ということで、わかったようなわかんないようなお返事になって申し訳ありません。今のところそんな感じです。

パンダさん

初めての者のいきなりの質問にも関わらず、丁寧なお答えをいただき、ありがとうございます。

う~ん、生き方の違いというのも、しっくりしないですね。生き方の違いで、日常生活で傷つけるような言動はないように思えますから。

現代の医学は、正常なものと違いが見分けられるものがないと病気として認められないのですが、それは精神面についても同じようで、脳に違いがないか、分泌物の量は?とか、遺伝子には?という具合に、見分けられるものを探しています。ここに無理があると思います。
精神ですから、初めから目には見えないものなのですね。
ですから、見えないものに何かが起こっていると考えないといけないのではと思います。
例えば、気質を躾や教育で無理やりに変えられようとした結果、気質が偏りすぎた場合や、上辺だけが変わったために心魂がダメージを受けているとかです。

歩み寄りも手がかりがなければ、しんどいと思います。
奥様との良好な関係の手がかりの一つになればと思い、コメントさせていただきました。
ご返事、ありがとうございました。

パンダさん、

ローナ・ウィングが提唱しているところの「自閉症スペクトラム」に関しては、古典的カナータイプの自閉症から、アスペルガー症候群、高機能自閉症など、いわゆる「三つ組の障害」が認められるものを「自閉症スペクトラム」と総称している、と私は理解しております。

ご指摘の通り、自閉症圏内と自閉症圏外の境界領域がある可能性はあると思いますが、現時点では、「「切れ目なく連続したもの」として定型とつなげて理解」はされていないと思います。もちろん、今後、定義が変わっていく可能性はありますが。

折り合いをつけるために必要なのは、お互いの部分を「弱める」ことではなく「認める」ことだと、私は思っています。

FOXさん

 情報ありがとうございました。そうなら私の知識不足ですね  (^ ^;)ゞ
 
 「折り合いをつけるために必要なのは、お互いの部分を「弱める」ことではなく「認める」ことだと、私は思っています。」

 お互いに「認めること」だということは私も全く同じ考えです。ただ、現実の人間関係の中ではそれがほんとに難しいんだと思います。ただ自分と切り離して「ああ、あの人そういう人なのね」というふうに「認め」て遠ざけるのなら比較的簡単ですけど、それじゃあ意味がないですものね。大事なのは遠ざけることではなくて、それなりの関係をつくっていくことなのですから。

 でもそうしようとすると、相手は自分にとっては当たり前とか、当然そうすべきと思っていることをしてくれないわけですから、どうしても感情的な反発、葛藤が生まれてしまいます。それをどう乗り越えられるのかによって「認める」ということが実質的に意味を持てるのかどうかが決まってしまうと思うんです。だからたとえば私がパートナーとの遣り取りで感じること、感情的な反発の問題などをよく書くのは、そう言う問題をどう乗り越えるのかを考える必要があると思うからです。

 そうすると、色んな工夫の中でお互いに譲り合って「弱める」部分をつくるということも現実的な対応のひとつ(全部ではないですが)になるように私には思えます。

おもしろいですね。(不謹慎ですが)
カミングアウトしたASを「認めて遠ざける」というのはありえる反応ですね。
それならば、「認めて近づく」「認めず遠ざける」「認めず近づく」もあるのかも。
「認めてなお近づく」のが一番、目指したい状況なのはこちらの皆様とは共有できると思いますが、「認めず遠ざける=あいつはダメだ」という評価が発生することも実際ありえますし、「認めず近づく=誰でもやればできるんだから頑張れ」みたいな反応もあるわけです。
ただ、「弱める」には、あまり賛同できません。ASの存在価値は、とんがった部分だと思いますので。
ASは人の本質ではなくて、魂の器たるボディ、乗り物側の特性と思っています。この乗り物の性能を知り、上手く乗りこなすのが、ASボディ搭乗者=当事者に課せられた使命と思っています。

自閉圏内であれ自閉圏外であれ、お互いが違うことを認めれば、「相手は自分にとっては当たり前とか、当然そうすべきと思っていることをしてくれない」ことが、至極当たり前のことだと認識できるのではないでしょうか?

相手が「自分にとっては当たり前とか、当然そうすべきと思っていることをしてくれない」ことが当たり前だと認識できれば、感情的反発や葛藤も(なくなることはないにせよ)薄まるのではないかと思います。

現実的には、例えばパンダさんが愚痴を言いたいとき、「これは愚痴なので、相づちをうってほしい」と伝える。それでは自閉圏外の人の愚痴の醍醐味が薄れるのかもしれませんが、そこはパンダさんが譲る。パートナーさんは「口だけ」で「白々しい言葉」だと思うとしても、それが自閉圏外の人には慰謝になることを理解して、譲って相づちを打つ。

こういう形で譲り合い、歩み寄ってコミュニケーションをとることができるのではないかと思います。

お互いが歩み寄る距離を測ることは不可能ですし、お互いが歩み寄る距離を同じにする必要もないと思います。

玄さんのコメントは、いつも解りやすく学びがあります。
こちらのHPは、管理人さんをはじめ皆さんが非常に穏やかにコメントされているので、安堵感があります。

さて・・今回はパンダさんの「弱める」という言葉のニュアンスが、パンダさんの意図というか感覚通りに伝わってないのではと感じます。

パンダさんは、相手を弱めるという意味ではなく、相手を認めるがゆえに自らの要求や感情を「強」から「弱」にすることも必要と、言われているのではないでしょうか。
お互いを認めるためのイチ手段として、相手へのプレッシャーとなる言動を自覚して「あっ、いけない又やっちゃった。今度から気をつけよう」と意識付けする行為も自我を「弱める」ことです。
それを、定型とアスペルガー両者ともへの客観的な視点からコメントされたと受け取りました。

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