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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2012年5月19日 (土)

染みついた「定型」

 昨晩はまたパートナーの言葉でショックを受けてしまうことがありました。私の方からは何でショックを受けたのかをずっと説明し、彼女の方からは何故そういうことを言ったのかを説明し、お互い分からないところを聞き合う、ということが続きました。……と書くと冷静な話し合い、という感じに読めるかも知れませんが、実際はお互いにショックを受けて緊迫した雰囲気で時に相手を責めるような、時にげっそりと落胆するような口調でのやりとりも沢山ありました。

 私はしんどくもなりましたし、途中から気持ちを落ち着かせるためにもソファーに横になって目をつぶりながら話す、というよくやるパターンを昨日もやったのですが、それを見ていて、パートナーは「自分はやっぱりあなたのことをそうやって辛い気持ちにさせてしまうだけの人間なんだ」と言ってまた落ち込むんです。

 数日前に私は彼女のことを「失いたくない存在」と感じていると言っていたので、そのことは感じてもらえないのかというのですが、実感としては自分は人を苦しめるだけの存在で、そんな価値がない人間だと思えると言うんですね。

 たしかにアスペと定型のズレは私たちの間に長い間理由の分からない苦しみを生みだし続けてきましたし、また子どもたちにも深い傷を与えてしまいました。それを「定型の視点」で言えば、彼女のせいになってしまいます。彼女が定型だったらもっとおだやかにすんでいたことが「アスペだから」そうなってしまったのだと。で、彼女はやっぱりその定型の視点で自分を責めるんですね。

 でも、「アスペ」ということは知らなかったとは言え、アスペだからこそ持っている雰囲気とか、そういうものに惹かれて私は彼女と一緒になった部分が大きいわけですし、定型のこの私とアスペのその彼女の間にしか今の子どもは産まれなかったのですから、そういう家族の中で問題が起こったとしても、それは「アスペのせい」ではなくて、「アスペと定型のズレ」を知らず、それにうまく対処できなかったせいのはずです。

 そういうことはこれまでも何度も私は繰り返し言ってきましたし、彼女もそう考えてもらえることはうれしいと何度か口に出しても言ってくれています。そしてズレが生じたときは彼女も一生懸命考えようとしてくれる。

 そうなんだけど、やっぱりどうしてもふかいところで「アスペの自分が悪いんだ」という思いが消えないし、「自分は価値のない人間だ」という気持ちが折に触れて顔を出してくるようなんです。

 正直な話、かく言う私自身も「被害者意識」が完全に消えては居ません。「ああいう対応をされたから自分は苦しんだんだ」とか「あんなやり方をされたから子どもは苦しんだんだ」という、定型的な視点からの思いは(自分が定型だから当たり前なのかも知れませんが)どうしても完全には無くならない。そのことは彼女に対しても正直に話をしています。もちろん、そういう自分を乗り越えたいんだ、ということを伝えながらですけれども。

 その意味ではやっぱりここでも「お互い様」というところがあるのかもしれません。ほんとに定型の視点で価値判断をするということが、体の芯までしみこんでしまって頭でちょっと考えたからそこから自由になれる、というような簡単なものではないし、そういう多数派定型の視点は、定型世界で育ってきたアスペの彼女にも深く深く染みついてしまっている部分があるわけですね。

 あ、そうか。私は今まである意味単純化に「定型には定型の視点」があって「アスペにはアスペの視点」がある、というようなことを考えてきましたけど、ほんとはもっともっと複雑なんですね。なぜなら「アスペの視点」というものは絶対に純粋に作られていない。常に多数派の定型に取り囲まれて、その多数派の世界になんとか順応しようとする努力の中で「アスペ的な性格を持った定型的な視点」として作られていくはずです。その意味で、もう出発点から「平等な、対等な関係」なんていうものはないといっていい。最初からアスペにとっても定型有利に視点が作られてしまっているわけです。

 そういうすごいややこしさを含みながら、どう「対等」に、あるいは「お互いが自分に素直に自然に」生きながら関係を作っていけるのか。そういう問題にこれからも取り組んでいかないといけないんだなあ。

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コメント

「失いたくない存在」の部分は、以前に書かせて頂いたかもしれませんが、僕にとって掴みにくいテーマです。もしもパートナーさんが同じ特性傾向なら、そこをパンダさんが強調されると認識のズレのコントラストが強まって、深みに嵌る気がします・・・
「失いたくない存在」という発想は、状況の時間軸スライドが苦手な僕には把握しにくく、突っ込まれたくないです。本心を問われれば「失ったらそりゃ困るし寂しいし嫌だけど、そうなったらしょうがない」とでも答えてしまいそうで、非常に気まずい。ましてや、相手がその事をどう考えているか、自分がそれに対してどうしたいのかとか(◯次的信念の話ですね〜)、正直言って「疎い」のです。一方で「今の状況を続けたい」という気持ちは非常に強いのですよ!これも特性に由来する可能性がありますが、本心です。
「パンダさんが苦しむことは、自分にとっても辛い。その原因が自分の存在。」とパートナーさんが定義づけていたら、「一緒にいる価値は無い」との発想にいたるのは理解できます。
「ズレ」分析を事を手がかりにコミュニケーション改善をするのは良いと思うのですが、ズレは二人に属して間にあるものですから、これを突き詰め過ぎるのは、僕は心配です。

玄さん。はじめまして。

「失ったらそりゃ困るし寂しいし嫌だけど、そうなったらしょうがない」

玄さんが書かれた内容と全く同じことを、私は彼に言われました。過去、別れ話をしていたときです。玄さんのコメントを読んで、そのときのことを思い出しました。
その後、確か私は彼に、「一緒にいたいなら、離れて行く私をどうして引き止めてくれないのか」と、問い詰めました。でも彼は、「君が決めたんなら、それに従う。それが一番いいんだ。」と答えました。私には、彼は気持ちをはっきり伝えているようで伝えていない、私のことを考えて別れを選ぶの?など、一体彼の本心は何なんだ!?と、納得いかずに別れたことを思い出しました。
でも今思えば、私も彼も、自分では決められなかったんだと思います。私は、一緒にいたいと彼に引き止めてほしかった…彼はそれを知ってか知らずか、私の決めたことに従うと…
結局私は彼任せ、彼も私任せ。今ではお互いずるかったなぁと、私は思っています。彼はどう考えているか知らないですし、それを問い返すこともしないですが…これはアスペか定型かは関係ない、お互いの性格の問題だったような気がします。

別れたくせに、今ではそこそこ仲良くやっています。(と思っているのは、私だけかもしれません。)いろいろな考え方や感じ方、また勉強させてください。

パンダさんおひさ。
ここ数日の記事、「あるある」と思って覗いてました。

今朝、うちで、母ちゃんが朝食の用意をしてくれるんですが、体調悪いらしくてコンコン咳をしながらやるんですね。「体調悪い」と「用意しなきゃ」→「用意する」という優先順位とか、それと「コンコン」→「衛生上の問題」の間の関係のどこかの理解が私と同様のつながり方をしていないのでしょう。けど、目の前でそれをやられると、気持ちよく朝食を食べることは、できないですよね。じゃ、かくれてやればいいのか、というとそれもちがうんですが。

ま、うちには、今では小学生になった人がいますんで、「給食当番さんはマスクをしてくださーい」なんて茶化して笑いを伴って忠告することもできるようになったんですが。

それでも忠告されると、母ちゃんはふてくされるんです。顔は(定型視点からは、ってか私から見ると)明らかに怒っている。

で、マスクをしてくれたんですが、怒った顔が少し隠れてホッとしたものの三白眼は見えている、皿を並べたり、食べ物を盛ったりするのは投げつけるような仕草です。それは攻撃としか思えないんですよ。

それでも数年にわたって発達障害の勉強をしてきた私は、しんどい時は特に表情のコントロールがしづらいのだろうな、とか感情と行動の調整(態度というような言葉で表されることが多い)がうまく行ってないんだな、というような友好的な理解をして平常心を保とうとするわけです。

ここで「したくなければ、無理してしなくてもいいよ」と、うっかり(定型的に)協調的とも説教ともとれる曖昧な声かけをてしまいました。どうなったと思いますか?

即座に無言で寝室に入って寝てしまったんです。私は、頭では非定型がよくやるように『文字通りに』理解した結果だろうとは考えることはできるんですが、心はそこまでついて行きません。ことのはじめから見直して、彼女の体調がすぐれなかったところから改めて経過を考えると、一連の特徴がより強く出てしまったことにも考えは至ります。でも心の平安は無理です。胸中がざわざわするのを抑えることはできないし、抑えることがいいことかどうかに疑問を持たないではいられないのです。

上のケースでは、「普通」に考えれば、早い段階で私がキレた方がお互いの理解はできたのではないかと思えるのです。私の協調的な性格やら、性格(障害?の特徴)に対する理解度がそれを妨げていたと考えられるわけです。そういった、何かが(定型的であっても非定型的であっても)共有されている場合には必要ないであろう諸々の思考や試行に伴うストレスが、私の中には澱のように堆積してきたのです。

そして抗原に曝されることが一定の閾を超えたときに、突然、花粉症が発症するように、「心が折れた」時がくる、それは、パンダさんをはじめいろんな方が告白するように、自己崩壊の瞬間のように思われます。さて、その後の施し方ですが、私は今も五里霧中です。

上に述べた一連のことに私が感じていたものが腑に落ちたのは、「科学者も幽霊やお化けが怖い」というフレーズを読んだときです。どんなにうまく頭で理解をしても、それで現実の生活が、うまく回せるわけではないのです。

お化けの出そうな恐怖の空間に科学者を一定期間とじこめておいたら、発狂するかもしれない、というのはありそうなことですよね。一般人より若干の耐性はあるような気はするけれど、本当にそうなんでしょうかね。

知ることに期待しすぎていないだろうか?
感じることを犠牲にしすぎていないだろうか?

これが最近感じていることです。

joさん、こんにちは。「即座に無言で寝室に入って寝てしまった」とのこと、「母ちゃん」さんは相当調子が悪かったのではないですか?それを我慢して、(日頃のパターンを踏襲してか)朝の準備をなさったのではないかと、僕は感じました。もっと早く「ムリしなくていいよ」と声掛けするのが良かったのでは?

玄さん

 「「失ったらそりゃ困るし寂しいし嫌だけど、そうなったらしょうがない」とでも答えてしまいそうで、非常に気まずい。……一方で「今の状況を続けたい」という気持ちは非常に強いのですよ!これも特性に由来する可能性がありますが、本心です。」

 この説明、なんかすごく考えさせられます。ある意味ではアスペ的な「建前」と「本音」と言えるのでしょうか?もしそうなら、なんか変な言い方かも知れませんが、ちょっとホッとする感じがします。どういったらいいのか、自分の中に矛盾した二つの気持ち(「しょうがない」と「続けたい」)を持ちながら、その間を揺れているんだとすれば、同じように揺れている相手の人との間で何か問題を共有して一緒に考えて結論を出せる可能性があるんじゃないかと、そんな気がしたからかも知れません。

 というのもアスペの人は自分一人で自分の中で考えて結論を一人で出してしまう傾向が強いような気がして、それだと「話し合い」とか難しくなるじゃないですか。お互いに揺れる気持ちがあるから、話し合いが成り立つんだと思うんです。

 それから「状況の時間軸スライド」という言葉が難しくて分かりませんでした (^ ^;)ゞ。よかったらもう少し教えていただけますか?

 
 joさんおひさです。

 娘さんの活躍、読んでいてこちらもほっとするような、嬉しいような気持ちになります。それもいままでのjoさんの努力のたまものですね。

 頭で理解することと、気持ちで感じることが一致しないこと、そのとき頭を一方的に優先させてはいけないこと、気持ちを大事にしなければならないこと(ただし、最終的な破滅にはならないように頭での理解の部分もギリギリの所では残しては置くこと)というのは、ほんとに賛成です。それがとても難しいことだと言うことも体験的によく分かりますけれど。

 ほんとは気持ちで感じていることから出発して、それを頭で整理してどうすればいいのかを考える、というのが一番いいのだろうと思います。この場でもそう言うことができればいいなといつも思っています。

パンダさん、こんにちは。「建前と本音」に受け取られたみたいですが、僕の場合どちらも本音で、矛盾もしてないです。どちらも本心なのに、伝える時の言い方で相手の心証が違うのが面倒だな〜とは思います。選ぶ余裕があれば、気まずくならなそうな方を選びたい、、、ということです。矛盾はしていないのですが、「しょうがない」の方は人間関係への執着の気持ちが持てない自分の発想(違和感があるが本心です)であり、「続けたい」は自分の「わがまま」であり他人に押し付けずにいたいという信念に反するので出来るだけ言いたくない。さらには「続けたい」の方は生活パターン的に繰り返したい(つまり心ではなく体の欲求?)だけかもしれない。。。揺れ動く二つの気持ちがあるとして、その二つの分裂のしどころが自分で嫌ですね。だから、その事を話題にすると自己嫌悪になるので話したくない、とも言えます。

「時間軸スライド」は造語でごめんなさい。ある場面があって、ビデオを巻戻したり早回しにしたりして「どうだったか、どうなるか」を、頭の中で時間を自由に往き来させる、そういったことが定型の方は得意な気がします。(僕よりもです)
この言葉をここで言うと「後で気まずい」なということを予測したり、「前に何があったから」こうなったという思考が苦手なのです。特に、とっさの時には難しいと感じられます。紙に書けばまだ考えられます。

玄さん

 「揺れ動く二つの気持ちがあるとして」という状態、玄さんにとってはマイナスの意味しか持たないと言うことなのでしょうか。もちろん定型的にも「どっちにしたらいいかわからない」という状態はスッキリしていなくて気持ち悪いとも言えますが、二つの選択肢を持っている、とプラスに考えることもできるように思います。特に相手がある場合は、一つしか結論を持っていない場合より、二つの選択肢がある方がお互いに調整しやすいように思うんですが、そのあたりはどう考えられるのでしょうか。

 時間軸スライド、どうもありがとうございました。なるほどそういう意味なんですね。定型はそれを比較的自由にやるので、相手をできるだけ怒らせない言い方を選んだり、喜ばせるように言ったりしやすいのかも知れません。ただ、アスペの方から見ると、それは「本心を言っていない」ので不誠実、と言う風に感じられることも多いのかも知れません。

◇パンダ さま

こんにちは、アスペルガールです。
これも過去の記事ですがコメントしてみました~

---以下引用(パンダさん)---------------

>というのもアスペの人は自分一人で自分の中で考えて結論を一人で出してしまう傾向が強いような気がして、それだと「話し合い」とか難しくなるじゃないですか。

-------------------------------------

うーん、私のことを言われている様です(´▽`*)

最近は相談が出来るようになりましたが、今までは、どう相談したらよいのかもわからなかったんですよね。自分のことも全く分からないし、相手にどう説明すれば伝わるのかも分からない、状態でした。今も、まだ完璧とは言えませんが、段々と上手になってきている様に感じています。


---以下引用(玄さん)---------------

>この言葉をここで言うと「後で気まずい」なということを予測したり、「前に何があったから」こうなったという思考が苦手なのです。特に、とっさの時には難しいと感じられます。紙に書けばまだ考えられます。

-------------------------------------

これについて私は出来るのですが、今までは「敢えてしてきませんでした。」例えば、彼氏に「僕のこと好き?」と聞かれて、「あぁ、今はね」と答えるような事が多かったです。ただ、女性がそっけないのは、恋愛において、そう大きな問題でないため、ツンデレくらいの印象だったと思います。(多分・・・)

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