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2012年5月 9日 (水)

砕かれた鏡

 久しぶりに三日連続の記事です (^ ^;)ゞ

 Glassfishさんからパンダ夫妻に壮絶な時期があったというのは想像できない、というようなことを書いていただいて、うーん、確かにあの頃のことを思えば今はまるで別世界だなあと自分でも感じます。でもたしかに、そのころは「死」というものさえすごく身近なものだったのは間違いありません。しかも家族全員そうだったとなれば、やっぱり壮絶ですよね。

 何でそれを「乗り越える」ことになったのかといえば、はっきりとは自分でも分からないんですけれど、すくなくとも「自分が努力したから」とか、そう言うことではなかったと思います。むしろ逆で、全ての努力が行き詰まって、ある意味で自分が崩壊してしまった、それまで必死で守っていた自分が壊れてしまった、そこが始まりだったと思えるんです。

 もちろん、そのバラバラに崩壊した自分を少しずつ立て直していき、パートナーとの関係を作り直していく時には努力はしていますけれど、努力が先にあったのではないですね。

 ああ、思い出しました。その自分が壊れてしまって、少しずつ自分を拾い集めていた時期に、たしか「こなごなに砕かれた鏡にも、新しい景色が映される」という、「千と千尋」のエンディングのフレーズが身に染みていましたね。あの歌詞はいいですね。


 それで、今そのことに関連して思うのは、パートナーにとってこの私の立て直しの過程というのは、どんなふうに感じられ、彼女にとってどういう意味があったんだろうかと言うことです。もちろん私の立て直しというのは彼女との関係の立て直しと決して切り離せないものでしたけれども、というか、私にとってはそれそのものと言える位のものでしたけれども、それが彼女にとってはどういう受け止め方、感じ方をされていたんでしょう。私は自分自身が文字どおり一度崩壊した、という感覚なんだけれど、彼女はそのあたりどうなんでしょう。なんか少し違う気もします。

 その辺もなんか難しいです。今の私にはよくわかりません。何となく違いがあるんだろうなと思えるくらいで。でもその違いにはきっと大きな、大切な意味があるんだろう、と言う気がします。別にあせることもありませんし、ゆっくりと考えていきたいことです。

 

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