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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2012年4月 6日 (金)

機が熟すとき

 お互いの間にアスペと定型のズレがある、ということをお互いが前向きに共有できるには、それができる「機が熟すとき」があるかも知れないと言うことをミドリさんのコメントのお返事に書いたところ、ミドリさんもまた同じような感想をお持ちのようでした

 このブログではみなさんから教えていただいた経験などもふまえながら、自分たちの間の苦しみにはアスペと定型のズレが関わっている、という理解を共有したとき、二人の関係が大きく変わるきっかけになりうる、ということを何度も考えてきました。けれども問題は決して簡単ではなく、たとえば定型の側が最初に気がついて、善意で「あなたはアスペルガーではないのか」と問いかけたとしても、その「善意」がそのまま受け止められることはむしろ少ないかも知れません。逆に「自分を障がい者にしたてて問題を誤魔化そうとしている」「悪いのは全部自分だと言おうとしている」と受け止められるかも知れないし、そうなれば激しい抵抗や怒りにあって、もう二度とその話ができないくらいの雰囲気になるかもしれません。

 私の場合は、義父がかなり強いアスペルガー(または高機能自閉)で、社会的には技術畑で管理的な地位にまで進んだ人ですけれども、私とのコミュニケーションは明らかに難しい人でした。もちろん仲が悪いとかいいとかという話ではありません。その強烈なイメージと対比すれば、私のパートナーはとてもスムーズにコミュニケーションが取れる相手だったので、私は自閉的な傾向は性格的にあるけれど、それは性格の範囲の問題だとずっと思っていました。それで彼女が本を読んで自分から自分はアスペルガーだと思う、と言い始めたときも、本心から「そんなことはないでしょう」と言っていた時期もありました。
 
 つまりうちの場合は本人が自分がアスペだと言い出し、回りが性格的なことでしょうとそれを否定するところから始まって、最終的にお互いが「ああ、やっぱりアスペだね」という意見の一致を見たわけです。そうなるにはそれなりのお互いの厳しい関係の展開や大きな出来事がひとつのきっかけとして働いたことも事実で、そう言う意味で「機が熟していた」のだろうと思うし、それがお互いに反発で終わるのではなく、「そのことを前提に問題に一緒に向き合っていこう」という気持ちを生み出したことになります。

 もちろんそういうお互いの「合意」ができた後も、話し合いですんなり問題が解決していくわけもなく、そもそも話し合いを成り立たせることそれ自体からいろんな問題にぶつかったし、いろんな工夫を経てきているわけですけれども。ここでもそのうちのいくつかは書いてきたと思います。

 
 さて、そんな風に「機が熟して」関係が前向きに変わることもあると同時に、ミドリさんが書かれているように、そもそも「機が熟す必要がない」夫婦もあるのかもしれません。というより、人口の1%とかその前後とかいう推定数を考えれば、むしろ大多数のアスペ定型夫婦がそういう意識を持たずに暮らしている、と考える方がいいのだろうと思います。

 ミドリさんの義理のご両親の場合は、ミドリさんから見て変わっているけれどステキな関係とも見えるようでしたし、うまくいけばそういう関係にもなれるのかも知れません。私の義理の両親の場合は、これは私の見方でパートナーはどう見ているか分かりませんが、それとは逆に非常に冷めた関係であったように思います。これは私の全くの勝手な想像に過ぎないのですが、アスペ定型夫婦にしばしばあるように、義母は人とのコミュニケーションにはもともととても篤い人のように思います。同窓会のつながりも未だに大事にしているし、地域のつながりや在日外国人労働者とのつながりも大事にするようなタイプの人です。当然(?)夫に求めるつながりも大きかったのではないかと思います。けれどもそれが得られることはなかった。

 そして多分、ある悲しい出来事をきっかけにして、完全に気持ちが冷めてしまったように感じられるのです。ただ「離婚」という選択肢はなかったようでした。そして病気に倒れた義父の面倒を長期間最後まで見て見送りました。

 今私が思うのは、「お互いに機が熟する」ということは義理の両親の場合もう当然ないわけですが、義母が「あの苦しさはそういう理由がからんでいたのか」ということを知るということについて「機が熟する」ということがあるのかないのか、ということです。とてもむつかしいことと感じます。なぜならそれは自分の娘がやはりアスペであるということを知ることにもつながりうるからです。そしてそのことが義母にとってプラスの意味を持つことがあるかどうか、私にはわからないからです。だから今の私にはそこは全く触ることのできない部分になっています。そう言う意味では機は熟していないのでしょうね。そしてこれからも機が熟することがあるかどうか、むしろなさそうな気がしています。いいとか悪いとか言う問題とは別にして。

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コメント

以前、夫がアスペっぽいと気付いて伝えるべきかどうか相談させていただき、パンダさん初めいくつかアドバイスをいただきました。
そのときもパンダさんからは「機が熟すときがあるはず」というアドバイスをもらったのですが、私自身の長年の謎が解けたような喜びと、カウンセラーさんからの後押しがあり、このズレの原因を夫が知ったほうが夫自身もラクになるのでは、というお節介心が働き、伝えてしまいました。
結果、「自分を障がい者にしたてて問題を誤魔化そうとしている」と夫が激怒し、関係は最悪のまま4ヶ月ほど経ちました。まさに機が熟していないのに、まんまと余計なことをしてしまったようです・・・
でも、激怒してからの夫の頑なな態度を見ていると、強がりな小学生男子のようで、改めてズレを感じます。
ただ、このズレに気付けたことで私はうつ状態から脱するきっかけになったし、夫の性質を受け継いだ娘への接し方のヒントが得られた気がしています。

今回の記事を拝見して、私の義両親がパンダさんの義理のご両親と似ているように感じられました。
とても社交的な義母は、人と関わろうとしない義父を何とか引っ張り出そうと努力したようですが、今は諦めて家事を全部義父に任せ一人で外に出ています。気配り上手なボーイフレンド?もいるようです。夫はそんな両親の関係を見て、「母親は親父に文句ばかり言って、自分は好き勝手やってる」と罵り続けています。
そうなるまでに至った義母の苦しみは、このまま息子にも理解されないのだろうか、と寂しくなります。これまた余計なお節介ですが。
思い返してみると、夫が若いころに社会的な活動に精を出していたのは、義母の働きかけが大きかったようです。義父のようになってほしくない、という願いがあったのかもしれません。

残念ながら、私と夫も、早々に義両親のような関係に至ってしまいました。カレンさんご夫妻のように、それでも改めて機が熟すときがくるといいですが、我が家にとっては幻想的です。
義両親のような関係になりたくないと言っていた夫が、「自分は一人で生きていける」と言い放ったまま社会性を失っていくのが心配です。実際、ここ数年は在宅で仕事しているため引きこもり状態です。私との関係はともかく、人との関わりに期待が持てるように戻ってほしい・・・とこっそり祈っている毎日です。

また長くなりました。いつも考えさせられる記事やコメント、参考にさせてもらっています。

パンダさんの奥様と同じように、私も自分がアスペもしくはアスペ的要素を多く持っているのではないか、と思い、長年診てもらっている主治医に相談しました。
しかしその結果を説明したとき、家族と親しい友人からは激しい否定を受けました。
発達障害に関する一般的な知識がある人の方が多かったのですが。

あちこちサイトにお邪魔したり、自分なりに調べているうちに、
そうだとわかる前ならともかく、今となっては結婚なんてとんでもない、相手にも苦労させるし自分もつらいだけ、と思ったのは事実ですし、
アスペの友人との会話でも「他人と住むなんて難しすぎるわ」という考えを共有しました。
そういった考え方をするアスペの人が多いか少ないかわかりませんが。

Gleenfishさん

 おへんじおそくなってすみません。
 良く事情を知らないのに無責任な言い方かも知れませんが、
 Gleenfishさんの書かれていることを読んでいたら、
 なんとなくまた何年か後に「機が熟す」ということがあるんじゃないか
 という気がしました。ほんとに無責任な感想ですみません。
 でもやっぱり今回の「混乱」はきっと何かを残していくような気がします。
 いずれにせよ、鬱を脱しられたことはすごくよかったですね。

さかなやさん

 やはりお返事遅くなり失礼しました。
 結婚については、なんか一緒にいても苦にならない、
 という人と出会う場合もあるみたいです。
 私とパートナーも最初はそうでした。
 そのあと激しくシビアになって、今はまたあんまりないみたいです。
 喧嘩が無くなってるわけではないですが。

パンダさん、お返事ありがとうございます。
以前もそのように言っていただいて、本当にそうなるといいなぁと勇気づけられました。
こちらのブログのおかげで、夫のことをただ恨んだり、悲しんだり、うやむやに自分をごまかしたりしなくて済みました。
できれば夫にも読んでほしいくらいですが、その機も熟してませんね。。。

コメントをシェアしていただきありがとうございます。
機が熟すときが来たようですが、以来いろいろ考えることも多く、書きたいことや人に聞いてもらいたいことは沢山あるのにうまくまとまらない感じがしています。
私は結構あっさりと夫に、あなたはアスペルガー症候群かもということを伝えました。反発はありましたが、「一緒にいてもひとり」を読んでもらったりもしました。「一緒にいてもひとり」は、私は「あーあるある!」と思いながら読んだのですが、夫は「全然違う!ギャビンはいつもイライラしてるみたいだけど、僕はいつもリラックスしてるよ」と、あまり納得していないようでした。夫にとっては「イライラすること」=「悪いこと、時間の無駄」なので、イライラしそうになると別の部屋へ行ったり、意識を失ったかのように寝たりします。私がイライラしてるときもそんな感じです。
その後私は何冊か本を読み、少しですが夫と話し合いもして、夫がどう考えているのかよく分からないのですが、今はとりあえず深い話し合いを避けて、お互いに少し気を使っているような状態で、お互い心地よい関係を保っています。おそらく近いうちにこの「気を使っている」状態が崩壊して、次のステップが来るのかな~となんとなく思っています。常に戦ってる状態だと辛いですよね。
記事にとりあえげていただいたコメントで、義両親のことを書きましたが、その後、あの夫婦は何故うまくいっている(うまくいっているように見える)のだろうと考えていました。あくまで私の考えですが、ジェンダーイクオリティの考え方がASと定型カップルの問題を薄める役割をしているような気がしました。義両親は、男性だから女性だからこうするべきというような考えがほぼ無いです。とうに還暦を過ぎているカップルなのですが、もしかして私のほうが封建的かも?!と、ときに思うくらいです。仕事や家事で何かを押し付けあうようなことが一切ありませんし、立場が本当に平等です。
立場の上下や、男性だから~、女性だから~といったところにとらわれてしまうと、お互いに補おうという態度になるのが難しくなるのではと思いました。

ミドリさん

 義両親のお話し、男女平等の感覚がそんな風におありになるということは、それに限らず、お互いの違いに余りこだわらない性格をお持ちなのかも知れないですね。違うことに対しておおらかに受け止められる力が大きいとか。

 そのあたり、度量というような大げさな物ではないようにも思うんですが、なんかあんまりこだわりのない方と、結構こだわってしまう人があるように思います。私は多分違いにものすごくこだわる方なんだろうけれど、そこの所での柔軟さによって、たとえアスペと定型のずれがあっても、そんなに気にしないでいけるカップルもあるのかもしれません。それはそれできっとしあわせなんですよね?

そうなんですよね、ASと定型のカップルであっても、ズレがお互いに気にならないならば、それはそれで幸せだと思います。
違いにこだわるか、こだわらないかというところでは、義両親は全くこだわらないタイプです。
一緒に住んでるけど、お互い別の人生を歩んでる、それを一番近くでお互いに見ているけれど、理解し合っているかといわれるとそうでもない、けど、まいっか。みたいな。ちょっと変わったカップルです。
私の場合は幸か不幸か、気が熟したわけですが、義両親の関係は模範とまではならないものの、一つの事例として参考にはなるなと思いました。

夫がASという問題にぶち当たってから、絶望的な気持ちになりましたが、パンダさんのブログで色々勉強させていただき、その他のブログや掲示板、本などでASについて知るにつれ、少しずつ冷静になってきました。
私は今まで、夫は同じ言葉をしゃべり、同じ文化圏で生まれ育ち、同じような趣味を持ち、歳も同じで、学生の時から知っている・・・というふうに、無意識に、ほぼ「同じ」ような人、性格は違うけど、結構私と「似てる」人だと思い込んでいました。
ASのことを知り、夫は全く違う感じ方、考え方をする人なんだと分かったときに、「なーんだ、じゃあ違うやり方でやっていこう」というような妙な安心感が生まれました。違うということが分かって安心したみたいな。
私は、夫と私が「同じ」点、「似ている」点にフォーカスしすぎて苦しみ、夫は初めから私を「同じ」とは思っていない・・・という完全なすれ違いでした。

「違うということが分かって安心」→「問題解決」というわけにはいかないので、細々とした問題に日々ぶち当たりますが、ASのことを知る前は「違う」ということを認識すらしていなかったので、この「違い」に私がどれくらいこだわるのか、こだわらないのかはこれからの課題になっていくのかなと思います。
幸い、こちらのブログのパンダさんの沢山の記事、様々な方々の思慮深いコメントには多くのヒントがあるので、今のところ私はやっていけてると言っても過言ではありません。

人が二人以上いれば、ズレや食い違いは100%あると思います。(一人でも、心の中で違う意見が生じて葛藤になることがあるのですから)
我慢できないほどのズレがあって「生活上困る」という状態で、原因が個性にあるときに例えば「アスペルガー障害」という名前を付けて、やりようを探すのだと僕は考えています。
「ズレ」を許容できたり「やりよう」を編み出したりしていれば、特性があってもことさら「アスペルガー症候群」の言葉を持ち出す必要はないですよね。問題は「アスペルガー症候群であること」ではなくて、どうやって「やっていくか」なはずですから。
それと結婚って(生きる事もそうですが)苦労を承知でするもんだと思いませんか。お互いに「苦労かけるけどヨロシクね」って言える相手を見つけて一緒にナントカやっていく、そんなもんだと思うんですが?「相手に苦労をかけるから身を引く」は思考停止だし、むしろ自己中心的?で落とし所を間違えていると僕には思えてしまいます。
ミドリさんの「ジェンダーイクオリティ」の分析は興味深いです。ジェンダーに「囚われていない」と感じられたのは、どんな場面ですか?

ミドリさん

「幸い、こちらのブログのパンダさんの沢山の記事、様々な方々の思慮深いコメントには多くのヒントがあるので、今のところ私はやっていけてると言っても過言ではありません。」

 こんな風に言っていただけたらブログ主冥利に尽きます。改めてネットのプラスの力を感じますし、それは実は人と人がつながるときに生まれる力なんですよね。


玄さん

 「我慢できないほどのズレがあって「生活上困る」という状態で、原因が個性にあるときに例えば「アスペルガー障害」という名前を付けて、やりようを探す」

 私も同じような考え方で問題を理解しようとしているところがあります。これに付け加えるとすれば、その「個性」には他の人とも共有されるいくつかの特徴のセットみたいなものがあって、そのせいで「アスペルガー障がい者」という「ひとびと」の中の一人、という見方がされるようになるんだと思います。

 「問題は「アスペルガー症候群であること」ではなくて、どうやって「やっていくか」な筈ですから」というところも大賛成です。多くのかたがその視点から問題に向き合って行かれるようになれば、随分いろいろ進むのではないかと思うのですが。

 それと、結婚について書かれたこと、読んで笑ってしまいました。すみません、変だから笑ったのではなくて、今作っている本で、アスペルガーの男性がほとんど同じような結婚観を語っていらしたからです。私のパートナーもそう思っているような感じもあり、ここはかなりアスペ的結婚観、と言える部分もあるかもしれないと思いました。

なるほどなー「AS的結婚観」ですか。
まあ、対人観・結婚観は人それぞれということで、かなり勝手を書きましたがお許しください。結婚をするとき、「オレが守ってやる!苦労はさせない!」的なセリフは出てこないって事で。
ASには、発想の共通点があるのですよね。AS本人も笑えるほどです。「自分がたどり着いた世界観を共有している人がいる」というのが不思議。だから、ASという概念を知ると、他のASの人と話をしてみたくなるのかも。もしかしたら、定型の方も、定型の方同士の共有する世界観を互いに持っている認識(手ごたえ?)があって、それに「普通」という名前を付けているのかな。

玄さん

「「ズレ」を許容できたり「やりよう」を編み出したりしていれば、特性があってもことさら「アスペルガー症候群」の言葉を持ち出す必要はないですよね。問題は「アスペルガー症候群であること」ではなくて、どうやって「やっていくか」なはずですから。」

夫とのズレが生活して行く上で問題にならなければ、アスペルガー症候群ということを知ることはなかったと思います。
始めて、夫がASなのでは?と思ったときは、かなり困惑しました。
ASに関する本は参考にはなりましたが、ASであろうが定型であろうが皆違う人間なので、うまくやっていく方法は、カップルによって様々なのだろうと思います。
ASの特性は頭に置きつつ、目の前にいる夫の個性を、私の中にある固定概念や思い込みをできる限り取り払って、ちゃんと見ていきたいと思います。
最近、夫と話していると、「夫の言う○○は、私が思うところの□□なのかなー」みたいな発見がたまにあって、今まで知らなかった部分を知ることができて面白いと思えることも多くなりました。(とはいえ、まだ結構病んでる状態ですが)

義両親がジェンダーに囚われず生きてるなと感じるのは、職業に関する部分が大きいのですが、そこに関してはあまり詳しく書くことができず、申し訳ありません。定年のない職業なので今も2人とも働いています。
もし、義母が専業主婦として生きることを望んでいたとしても、義父はそれを受け入れたと思います。つまりジェンダーを認めないということではなく、お互いの「らしさ」を受け入れた結果ということでしょう。
義両親の家庭では、「相手に頼むより自分でやったほうが早い」という考えがあります。(これは夫にも受け継がれています。)共働きなので、家事の分担はかなりフェアです。ある程度の役割分担があって、例えば、料理の下ごしらえは二人で、調理は義母、片付けは義父。掃除についても分担しているようですが、自分の負担が大きいと感じるときや、どちらかが忙しい場合は、その都度交渉するみたいです。細かいことに関しては「気付いたほうがやる」という決まり?というか、自然とそうなっているみたいです。この場合、気付いた方が損じゃないか?気付かないふりしたほうが楽なんじゃないか?とも思えますが、なんかうまくいっています。家庭生活をうまく営んでいこうという気持ちとか責任感とか、家庭という小さな社会の一員としての自覚とか、色々な要因があるのでしょう。

結婚観については、AS、定型に限らず、色々な考えがあって面白いですね。
私は元々あまり結婚願望がなく、事実婚状態でいいやと思っていました。「独身は負け犬」みたいにマスコミが煽るのを、バカじゃなかろうかと呆れていましたし、周りから「結婚しないのー?」と聞かれても、「うーん、そのうち考える。」とかお茶を濁していました。
夫が結婚を考えているとも思っていなかったので、夫から結婚という言葉が出たときはちょっとびっくりしましたが、夫としては、夫婦でないと、私が入院するときの保証人にすらなれないとか、かなり現実的な問題を考慮してのプロポーズでした。それを聞いて、私も妙に納得しました。
「僕が守ってあげるよ。」なんてロマンチックな言葉はもちろんないです。そんな言葉を言える人は素敵かもしれませんが、私は誠実さに欠けるように感じてしまうというか、こっぱずかしくて笑ってしまいそうです。

つい先日、夫が真顔でこんなことを言いました。
「映画とかドラマとかでさ、恋人とか妻を助けて自分が身代わりになって死ぬみたいな話あるじゃん?僕は絶対そんなことできないから、もしそんな状況になったら自分が生き残る道を選ぶと思うんだよね…。」
私はその正直さと、少し申し訳なさそうに言うのを見て、笑ってしまいました。
そんな生きるか死ぬかの瀬戸際で自分を犠牲にして相手を助けられる人ってそんなにいないんじゃないかな~。それに自分を大事に思うって当然のことだし…。実際そんな状況になってみないと分からないし。
結局、万が一そんな状況になったら、お互い自分が生き残る道を選ぼう。という合意?に達しました。
ロマンチックな夫婦に憧れがないと言えば嘘になりますが、こうして笑い合えることを大切にしていきたいです。

玄さん
既婚者にとっては、結婚生活ありき、そこをどうするか、という問題設定になりますし、
独身者にとっては、結婚生活は義務でもなんでもありません。
これは人それぞれかと思います。生きることと結婚することは違う人もいます。
いずれにせよ、それぞれが幸せになるために真剣に考えているわけです。
私が文脈を誤解しているとしたらそれは、申し訳ありません。

玄さん

「もしかしたら、定型の方も、定型の方同士の共有する世界観を互いに持っている認識(手ごたえ?)があって、それに「普通」という名前を付けているのかな。」

 ここはすごく重要なことだと思います。定型の場合、相当広い範囲でいろんな「常識」を共有しているという「思いこみ」が基本的に強くあると思います。実際それで思いこみだけではなくて共有されている部分も多く、「そんなことは言うまでもなく当たり前のこと(普通のこと)」という部分はかなりあるし、もっと重要なことは、「違う」時には調整しようとする(同じにするように努力したり、違いを目立たせないように工夫したり、違いをうまく組み合わせるようにしたり)という姿勢がアスペの人に比べてとても強いのだと思います。そのためにいろいろな無駄話などもしながら常に情報交換して、相手と自分の距離を計り、調整しているんですね。

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