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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2012年3月 1日 (木)

矛盾したアスペ像

 最近、アスペの方が離婚を決意されるときに、自分が積極的に離婚をしたいわけではなくて、相手や家族の幸せを考えて自分が離れる方がいいと、自分自身も思えるようになってそう決意する、というお話しをいくつか見聞きします。だから相手が嫌いになるわけでもないし、離婚後も相手の幸せを願っていたりする。

 yukipomさんもそんな感じでいくつかのコメントを下さっています()。なんだかほんとうに誠実で、真剣に相手のことを考えて悩まれ、相手のために身を引かれる。しかも相手のことを考えたとしても、アスペと定型のズレのせいで、そこがうまく調整できなかったりして、その誠実さが伝わらない、ということを考えると、何か胸が締め付けられるような悲しい思いになります。

 私自身、パートナーが持っているそういう誠実さに気がついたのはそんなに昔のことではありません。ほんとにここ1,2年のことです。そしてやっぱり言うんですね。もし僕の前に自分(彼女)では満たされないものを満たしてくれる人が現れたら、その人と一緒になってほしいと。そうやって僕が幸せになれば自分も嬉しい。ただ、時々相談したいことができたら会って相談にのってくれればうれしい。そんなことを言うんです。私はありがたいような悲しいようなかわいそうなような、何て答えていいのか分からない気持ちになります。

 だからといって彼女が「自分モード」でいるときには、やっぱり「え?」っと驚いたり、軽く傷ついたり、何か責められているような気分になったり……、といったことが無くなっているわけではない。そういうズレは、以前よりはマイルドになっているとはいえ、やっぱり続いているんです。

 私の中で「こんなにも誠実に相手のことを考えて一生懸命なアスペの人」という像と、「こんなにも定型とずれて相手のことを考えられずに傷つけるアスペの人」という像が、矛盾したままふたつそのままボーンと自分の中に居座ってしまっている感じがします。その矛盾した二つのイメージは、当分私の中で矛盾したままにふくらんでいきそうな気がします。

 もちろん、そういう矛盾を抱え込んでいることは、ある種の困惑を抱え込んでいることでもあります。問題を抱え込んでいると言ってもいいかもしれません。その問題にどう向き合っていけばいいのか。もしかすると昨日「中途半端な感覚」と書いたことも、この矛盾に関係してくる部分があるかも知れません。

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コメント

お久しぶりです。

うちも、うまく行っているとは言え、10日ほど前にちょっと険悪な感じのやり取りになってしまいました。

「話し合い」の範囲内ではあったし、翌日にも話し合いを持って収束はみたのですが、

リラックスタイムの無防備な状況の中で、久々に、ふいに地雷を踏んだということがショックでもあり、この期に及んで距離の取り方を失敗したという痛さも感じ、そして、お互いに「自分モード」になったときの対応の難しさをあらためて感じています。

ここまで穏やかな生活もできる、でも、やっぱり、アスペルガーと定型という違いがあることには変わりない。夫は定型になれないし、私はアスペルガーにはなれない、ということを肝に銘じた一件でした。

ひとつの山頂に到達したけれども、そこから、登ってきたのとは反対側にずり落ちて、今また、別の山に登り始めたような感覚です(同じ山の登り直しとは違う、と感じています)。

パンダさんの仰られている事って定型さんの感覚で心地よいと感じる人が急に心地よくなくなるっていう違和感の処理に困ってるって感じがしました。
定型さんが定型さんを相手にする場合心地よいと感じたら不快感になるパターンが少ないのでしょうか?
そういうことであれば、得意な事はすごく出来るけどできないことは全くできないって事は知識レベルで理解してもらえていても感覚的には違和感感じてるって事ですか?
推測なのだけれど、そういうことなのかなぁ?と思いました!

ひさしぶりに毒づいてみます。

>彼女が「自分モード」でいるときには、やっぱり「え?」っと驚いたり、軽く傷ついたり、何か責められているような気分になったり……、といったことが無くなっているわけではない。そういうズレは、以前よりはマイルドになっているとはいえ、やっぱり続いているんです。

「お酒を飲まないときはいい人なんですがねえ」っていうアレとどうちがうんだろう。

「私」のイヤな気持ちをだまして、「私」が一緒にいる方が「あなた」のためだと思うことで、「私」が得をしてる部分があるのではないかな。「私」に欠けてる自尊心を埋めるような何か…

カレンさん

 地雷踏みましたか。まあ、でも定型同士でも地雷はなくならないから、むしろ厳しい関係の定型夫婦よりも全体としてとても穏やかと言えるのかも知れないですけどね。

yukipomさん

 心地よく感じていたら急に不快になった、という感じよりも、すごく誠実なんだと感じさせられるんだけれど、だからといって、ズレで傷ついたりすることがなくなるわけではない、という事だと思います。

 定型同士でも誰でも自分にとっていいところと嫌なところの両方を持っているんだけれど、そういうのとはちょっと違う感じがする。どういうところかというと、もしアスペの人(というか私のパートナー)のようや誠実さを定型の人が持っているのなら、そういうズレで傷ついたりすることはないだろう、と思えるような「嫌なところ」を同時に持っていて、なんか矛盾して感じられてしまうんです。

 それを矛盾と感じること自体、定型的な見方なんだろうなと思うんですけれど、定型からすればその「嫌なところ」のショックが大きすぎて、それ以上にアスペの人の「誠実なところ」が見えなくなってしまう、と言うことがあるような気がして、それもまた悲しいんですね。

 joさん

 お久しぶりです。
 ちょっと自分の気持ちを探ってみたんですが、今の自分はパートナーを求めていることは間違いないんだと思うんですけど(その意味ではその方が得だということはあるのかもしれないんですけど)、それによって自尊心がどうなる、という感じはないような気がします。なんか、こんなに誠実なのに、定型を傷つけてしまうという矛盾の悲しさというか、誠実さがうまく噛み合わないことの悲しさというか、そんな感じでしょうか。

時には地雷も踏みますが、やっぱり、時々けんかしながらでも、かけがえのないパートナーだと、私は夫のことを思っています。

自分に欠けている何かを気づかせてくれたのが夫、その、欠けている何かを埋めたのは他の誰でもない自分自身。そして、欠けていたものを自分で埋めた私として、今、夫との人生をやってきているという実感があります。

中島美嘉の「雪の華」ではないけれど、というか、そのままのような気もしますが、「甘えとか 弱さじゃなくて ただ 君を愛してる」・・・この歌詞を聞くたびに胸に迫るものがあり、感動するんです。「ただ 君を 愛してる」それだけです。(一応、臆面というものはあるのですが、臆面なく率直に言うとこんな感じです。)

怒り、憎しみ、喜び、愛しさ、あきらめ、嫉妬・・・・ひとりの人に、これだけの感情を呼び起こしてもらえることって、かなり幸せなことでははいかと思ったりもするこの頃です。「どうせ、いつかは死ぬんだから、それまでに、いろんな経験をして、いろんな感情・気持ちを経験した方が、 得じゃない?」 と、かなりお気楽・楽観的なことを考える私が、いつもどこかにいるんですよね。

お返事ありがとうございます。
イマイチつながらないことがあるので教えてください。
「誠実だと思う」という事と「ズレで傷付く」と言うことってカテゴリーが違う事のように思うのです。
誠実に感じるのは客観性で、ズレで傷付くって主観性ですよね。
あ、でもどちらも自分の中の感情ではあるから例えば同じ太陽でもあったかいと思うかクソ暑いと思うか。みたいな、感情について自己処理のしにくさの度合いが違うという問題?
本文でもコメントでもよくわからなくて、カレンさんのコメントでも内容が合致しなくて、何の話をしてるのか?何が問題点なのかを的確にしできていていないような気がしたので質問してみました。
定型さんの視点からだとなにいってんだコイツ的な質問かもですがお答えいただけたら嬉しいです!

私は、yukiponさんのおっしゃることはよくわかります。一方、パンダさんのおっしゃっていることを私なりに理解しようとしたところ、パンダさんは、定型の方の一般的思考回路として、「ずれる人」=「誠実でない人」というショートカットがあるとお考えになっているのではないかと思い至りました。その根底には、「私のことを誠実に考えている人は、私のこの問いかけに対してこの範囲の回答をする(はずである)」という帰無仮説の下、パンダさんが設定された、予想される回答の分布に対して外れ値となる返答を返してくるアスぺに対し、「誠実な人があなたのような回答をする確率はきわめて低い。すなわち、あなたは誠実であるとは言えないことが「証明」された。この証明に基づき、私は、あなたを誠実ではないとみなすことにする。」という思考回路があるのだと思います。

パンダさんは、証明結果は「誠実であるとは言えない(誠実な気持ちから出た発言である可能性もあるが、必ずそうであるとまでは言えない)」なのに、ついつい「誠実ではない」と決めつけられがちなアスぺが悲しい、とおっしゃっている気がします。一方、joさんは、もう一歩前の段階の、「予想される回答の分布」は個人個人が決めているものであって、「社会的に成熟したまっとうな人(おそらく誠実な定型の大人の多くが含まれる)の分布」の定義やコンセンサスが一義的にあるわけではない。そうであれば、その分布の「正しさ」って何?という疑問を投げかけられているように、私には思えます。

話の流れを切ってしまっていますが、アスぺらしくつぶやかせていただきました。

はじめまして。このブログのスタートどきから、拝読しております。私は、発達しょうがいの、当事者では無く、アスペルガーのパートナーがいるというわけではありません。ですから、第三者の立場にいる私が、コメントを書く事は無責任なだけのことなので、コメント出さない方針です。ただアスペルガーの人達への、ステロタイプ化・単純化が、一部の人の中であり、このブログの内容のとっても素敵なところは、そのアスペルガーの世界を、複眼的に捉えようとするところです。では、お元気で。

タヤさん

 はじめまして。最初からずっとご覧頂いていると言うことで感激です。しかも当事者でない方がこのブログの内容に共感して下さってということですから、ますます嬉しく思います。
 コメントへの「責任」はどういう立場の方が書かれるかによって決まるのではなくて、ちゃんと書いた内容についてその後の対話をちゃんとされるかどうかで決まるのだと思います。なにかお感じになられたことがあれば、是非コメントをお寄せ下さい。多様な視点での多様な意見が増えるほど、ブログの楽しさが増すと思います。

 どうぞよろしくお願いします。

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