誉めてくれない
私がパートナーとの関係でさびしいなあと思うことの一つは「誉めてくれない」ということです。私自身は定型の中でも「誉められて伸びる」というか、「豚もおだてりゃ木に登る」というか (^ ^;)ゞ そういうタイプなので、お世辞とかではなくて誉めてもらえるのはうれしいんですね。で、なんか力になる。
それに対してパートナーの方は、これは子供時代にずっと否定され続けてきた経験が大きいんじゃないかと思うんですが、「廊下の電気消し忘れている」とか「洗濯物のたたみ方が違ってる」とか、なんかまず文句が出てくるんです。ま、内容的には言われてもしょうがないところもあるんですが、誉めることとのバランスがないというか……
で、昨日その辺の話をしていたら、誉めるところについては「あなたならそのくらいできても当然でしょう」と思うんだそうです。だからあえて言うこともない。で、豚パンダは木に登れないんですね。
そういう「誉めてもらえない=認めてもらえない」ところは私としては悲しいんで、そういうとパートナーは自分にはそういうことを言う能力は無いから、それがどうしても必要なんだったら、それができる相手の人を探してもらうしかない、とか言われてしまいます。
そうすると、外の世界(仕事だの何だの)では「認めてもらえる」ということがあって、それは嬉しいことな訳で、ところがある意味で一番認めて欲しい家でパートナーになかなか「認めてもらえない」ということになってしまう。これ、中々悲しいことで、どう受け止めて対処していったらいいのかなあというのが今の一つの悩みですね。
ただ、このことはアスペと定型だから生まれるズレの問題なのか、一般に人間関係・夫婦関係の中でありうることなのかと考えると、まあ後者のような気もするし、むつかしいです (^ ^;)ゞ
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コメント
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僕も家内に「私は褒められて伸びるタイプなんだから、褒めてよ!」ってよく言われます。。。
否定され続けて育ったことが原因?かは僕にはわかりませんが、パンダさんのパートナーさんのコトバ、身に覚えありです。相手がウッカリ忘れていることを指摘してあげるのは「共同生活者のツトメ」くらいの勢いです。「おまえはシュウトメか!」と笑い半分で返して来ますが、図星すぎてムッと来ているらしい。こちらはシンプルに、「描いたイメージと違うことが起きている」事を伝えただけなのに、定型の方は「文句を言われた」と捉えるのですよね。
相手が存在してくれていることには感謝は感じるのですが、褒められなきゃ気持ちが削がれるような個々の行為は、「無理してしなくていいよ」って気がします。
投稿: 玄 | 2012年3月26日 (月) 20時51分
家族関係は悪くないのですが、ほめない家でした。特に父(私と同じ性質)がそうでした。
これは、と思うようなことでも、意地でもほめない。注意はよくされました。
私は、友達や恋人はほめるけど、もしも結婚したらほめなくなるだろうな、と思います。
(それこそ釣った魚と言われそうですが)
生活のなかで、嘘とかわざとらしいこととか、省いていきそうです。
今回の記事、なんだかくすっと笑ってしまいました。
投稿: さかなや | 2012年3月26日 (月) 21時17分
こんにちは、アスペルガールです。
随分前の記事なので、
現在のパンダさんとのズレがあるかもしれませんね。
と思いつつコメントしてみました。
私の母って異常に褒めないタイプなんですよね。
私はお菓子とかを作るのが好きなタイプで、
本当によく作っていました。
ただ、コメントはいつも、
「まぁまぁ」「こんなもん」「普通」+焼きが足りない等の指摘でした。
当時は小学生だったので、
「あぁ、出来が悪かったのだなと」素直に受け取り、
お菓子作り記述向上に活かせたと言えばそうですが、
大人になって考えると、いやぁ・・・・・厳しすぎるでしょと思いました。
本題はここからで、
何故そうなったのかという視点にコミットして説明してみます。
◆考えられる案1)最低限のレベルが違う
私たちって水がなければ、生きられません。
それと同じように、一見小さい事柄を整えるように遂行するとは、
彼女にとって、砂漠で水を求める人間のように絶対的に必要だ。
だから、まず、そこを整えてもらわないと、
落ち着かないので、どうしても整えてほしいため。
◆考えられる案2)リップサービスに価値をおいていない
ディールカーネギーの人を動かすという本には、
相手の自己充実感を満たすために、まず「相手を褒めましょう」とありました。
褒めるとは承認であり受け入れでもあります。
人には、自分をありのまま受け入れてくれたら、それを返したと思う、
原理がまでありますから、「褒める」はコミュニケーションでは『有効』な手段です。
そこから分かるのは、いくらでも作為的に褒めることは可能だということです。
だから、作為的に出来る行為に価値ってあるのでしょうか。と思っているため。
さかなやさんのコメントにあった、
「生活のなかで、嘘とかわざとらしいこととか、省いていきそうです。」
が、ここと繋がっていそうです。
因みに私は褒める方です。
褒めることが、好意と行為に対する感謝を表現する手段だと思っているからです。
そして、とても言いずらいのですが・・・
褒めることで相手をコントロールできることも「知っています」。
褒められる=快であれば、
自分のしてほしい事を褒める=快となり、
相手に自分のしてほしいことを、快を感じてもらいつつ、
こちらの思い通りに実行してもらうこともできます。
だから、嘘をついてる様で、気持ち悪く感じるのかもしれません。。。。
2案だしてみましたが、彼女がどう思っているのは私には分かりません。
ということで、異常の褒めない母にこんな風に質問してみました。
「なぜ、お母さんは、そんなに褒めないタイプなの?
あの時も・・・、この時も・・・、だったし、何故?」
すると、「え、そうかなぁ」「そんなことないよ」と言われ、
ややこしい話だから早く切り上げたいという感情が伝わってきましたが、
さらにしつこく聞いてみると、
「人が喜ぶからという理由では褒めないかなぁ」という発言が登場しました。
母はアスぺ診断を受けているわけではありませんが、
もしかしたら、ここにも、プライオリティのズレがあるのかもしれません。
正しさを求めたいのか(0か1でしょ)、
仲良くコミュニケーションしたいのか(間とって0.5でいいじゃん)、
ここが違うと、随分かみ合わなくなるのは当然と言えば当然のような
投稿: アスペルガール | 2013年11月30日 (土) 16時03分
アスペルガールさん
> そして、とても言いずらいのですが・・・ 褒めることで相手をコントロールできることも「知っています」。…略… だから、嘘をついてる様で、気持ち悪く感じるのかもしれません。。。。
私の場合は意図的に強調して相手の人を誉めることがあります。でも私の場合なんで特に「嘘をついている」感じにならないのかなあと興味深く思いました。
ひとつは「誉めることは相手を励ますことだ」という感じがあって、「相手のためにこれはしてあげた方がいい」と思うからかもしれません。これは人間同士お互いに「励まし合ったり、慰め合ったりして生きる」ことが大事だと感覚とつながっているようにも思います。
そう書いてみてちょっと分からなくなったのは、アスペの方の場合「励まし合ったり、慰め合ったりして生きる」ということをどう考えられるのかなあということです。「もちろんそれは大切だ」と感じられるけれど、ただなにが「励まし」になり「慰め」になるかが定型と少しポイントがズレる、ということがあるのか、それとも「励まし合い」や「慰め合い」ではなくて、まずは自分の努力で問題を解決していくことが大事だという感覚をお持ちなのか、あるいはまた別のことなのか……
定型アスペではお互いに「相手に求めるもの」にいろんなところでズレがあると思うのですが、そういう問題の一つのような気がします。
投稿: パンダ | 2013年12月 1日 (日) 10時44分
◇パンダ さま
こんばんは、アスペルガールです。
ご返信ありがとうございました。
私は受動型だと思うので、
結構色々なコミュニティーに属していた方だと思います。
そして、そんな中で一番大変だったのは、
相対するコミュニティーに属した場合の対応でした。
AもBもCも私は属しているとします。
そうすると、AはBを攻撃し、CはAを攻撃する・・・
というようなことが表面には表れてこなくても水面下ではありました。
相反するグループどうしであっても、
表面的には、言葉で褒め合ったりはしていました。
いくつかのコミュニティに属していたからこそ、
人の表と裏が見えやすい状況で過ごすことが多かったと言えます。
そんなのを日ごろから見ていると、
そもそも「言葉による励まし」って「チープ」だなっと感じることもありました。
だからなのかはわかりませんが、
「褒め」にウエイトは置かなくなりました。
---以下引用---------------------
>ひとつは「誉めることは相手を励ますことだ」という感じがあって、
>「相手のためにこれはしてあげた方がいい」と思うからかもしれません。
--------------------------------
これは理解できますし、とても必要な事だと思っています。
私もこういった理由で褒めることもあります。
ただ、「相手のために~」というのが主観だから、
もしかしたら、相手は求めていないかもしれません。となってしまいます。
でも、それは、今までの関係ありきで、
「この人は○○な人」という前提条件をしっかり加味されているのも分かります。
パンダさんの褒め方は心地よいです☆彡
話を戻すと、
私は、「私と人は違うという」前提があるので、常に相手主体です。
なので「褒め」は「相手が喜ぶだろうことを褒める」となります。
相手が喜ぶことを褒める・・・には、相手が何に喜ぶのかをリサーチし、
所謂、ツボを押さえ、ツボが分かれば徹底的に抑えることも出来ます。
私が、それをすることにより「相手が損をする」ことはないのですが、
そもそも、「言葉による励まし」って「チープ」だなっと感じている為、
罪悪感がうまれてしまうのかもしれません。
---以下引用---------------------
>「励まし合ったり、慰め合ったりして生きる」
--------------------------------
ここは『共感』という部分につながるんだと思います。
共感し合える関係のある人だからこそ、「励まし合ったり、慰め合ったり」出来ます。
だから、そこでツマヅイテしまうと難しいのかもと。。。
投稿: アスペルガール | 2013年12月 1日 (日) 18時35分
アスペルガールさん
なるほどその「チープ」感が問題になるんだ、ということがちょっと分かりました。
多分定型は口先だけの「チープ」な誉めことばと、「本気の」誉めことばと
相手が言っているのはどっちなのか、いつも気にしてるんだと思います。
で、「チープ」と感じられたら「まあ、たんなる御愛想の話ね」と理解して、
適当に応じておいて、あんまり信用しない、ということもあると思います。
もちろんこの辺も「経験を積んで分かってくる」ところがありますし、
いつもうまく行くわけではないと思いますけれど、
でもやっぱりその区別に結構こだわっているかもしれません。
定型の場合、「誉める」ということがすごい駆け引きに使われることもあって、
そう言えば「褒め殺し」ということばもありましたよね。
笑い話ですけど、あるお世辞が嫌いな王様に対して成功したお世辞は
「陛下はお世辞が嫌いでいらっしゃる」というお世辞だったという……(^o^)
まあおめでたいとも言えるかもしれませんが、定型(私?)の場合、
「これはお世辞だ」と頭で分かってもうれしくなったりすることもあります。
ただやっぱり「本気で誉めてくれている」と感じられることがいちばんうれしいですね。
だから、「これはお世辞でチープだ」と思いながら人を誉めるときは
やっぱり定型でも罪悪感につながることがありますが、
「ほんとにそう思える」というときに「誉める」ことには
罪悪感は生まれないと思います。
多少誇張して誉めるくらいの場合は、「相手を励ますために」であれば、
まあ罪悪感につながることはないかな。
それと、「揚げ足取り」とは理解しないでいただくとうれしいのですが、
パートナーを含めて、アスペの方がよく強調する以下のような言い方について
不思議に思うことがあるんです。
>私は、「私と人は違うという」前提があるので、常に相手主体です。なので「褒め」は「相手が喜ぶだろうことを褒める」となります。相手が喜ぶことを褒める・・・には、相手が何に喜ぶのかをリサーチし、所謂、ツボを押さえ、ツボが分かれば徹底的に抑えることも出来ます。私が、それをすることにより「相手が損をする」ことはないのですが、
「私と人は違う」というのはまあ私でも理解できるのですが、
もしこのことを徹底して考えると、その次の「常に相手主体」がわからなくなります。
たとえば「私が、それをすることにより「相手が損をする」ことはない」
と書かれていますけれど、もし「私と人は違う」ということをつきつめると、
「相手が損をしたと考えるかどうか」も私には分からないことにならないでしょうか?
逆に言えば「相手が損をしていない」ということを理解できると言うことは
「私は人とは違うけれど、理解できることもある」
という話になるんだと思うんです。
実際、ほんとに「私と人は違う」ということが徹底しているとすれば、
こんなふうにやりとりすることすら不可能になりますよね?
だって、ことばの意味が共有されていることもなくなるわけですから、
いくらやりとりしても相手には意味は伝わらないことになってしまいます。
そう考えると、違いに無頓着に「共感」を押しつけてこられるような場合には
「あなたと私は違うんだから」ということを強調したくなる気持ちはわかりますが、
その見方にあまりこだわりすぎてしまうと、
そもそもコミュニケーションの工夫も成り立たなくなってしまわないでしょうか。
なんかパートナーとやりとりしていても、時々そこがネックになってしまって、
話し合いがうまく進まなくなることがあるような気がするものですから……。
投稿: パンダ | 2013年12月 2日 (月) 16時15分
◇パンダ さま
こんばんは、アスペルガールです。
ご返事ありがうございました。
パンダさん、質問によるツッコミは、私の文章をよく読んでくださっている証拠です。
どんどんお願いします~(○゚ε゚○)
お仕事後の回答、本当にありがとうございます。
---以下引用---------------------
>「ほんとにそう思える」というときに「誉める」ことには
>罪悪感は生まれないと思います。
>多少誇張して誉めるくらいの場合は、「相手を励ますために」であれば、
>まあ罪悪感につながることはないかな。
--------------------------------
これも分かるのですが、、、
例えば、バストの大きい女の子に「凄いね!」というのは如何でしょうか。
一般的には喜ばれると思われる褒める方が多いですが、
言われまくっている方からしてみれば、言われたくないし、
それにより、からかわれたことや、
それだけで、告白してきた男性を思い出し、悲しむかもしれません。
他には、「美人」「モテそう」「モテるから」「お金持ち」なども同様です。
こういったことは、パンダさんも勿論ご存じだと思います。
私の言いたい「私と人は違うと言う前提」はこういった意味あいです。
先日お伝えした、出口汪さんの「他者意識」についても、
私は、こんな風に受け止めています。
---以下引用---------------------
>多分定型は口先だけの「チープ」な誉めことばと、「本気の」誉めことばと
>相手が言っているのはどっちなのか、いつも気にしてるんだと思います。
>で、「チープ」と感じられたら「まあ、たんなる御愛想の話ね」と理解して、
>適当に応じておいて、あんまり信用しない、ということもあると思います。
--------------------------------
私は、読み取れる方ではありますが、
恐らく、アスぺの多くはこれが出来ないから苦しんでいるし、
「あいまい」が分かりずらいから、
いっそのこと、無しでいいじゃんとなるんだと思いました。
また、下記に書きましたが、私は、嘘か誠がを読み取るには、
相手の行動を逐一観察し、記憶し、統計として保存し、
さらに、相手の心と同化(後で述べます)する必要性があるので、
ほんとうに疲れてしまいます。
>「まあ、たんなる御愛想の話ね」と理解して、
>適当に応じておいて、あんまり信用しないということもあると思います。
これも個人差があるかもしれませんが、
私は出来ませんでした。
「適当に応じる」というのが非常に難しい・・・
ということをご理解いただければと思います。
---以下引用---------------------
>「私と人は違う」というのはまあ私でも理解できるのですが、
>もしこのことを徹底して考えると、その次の「常に相手主体」がわからなくなります。
>たとえば「私が、それをすることにより「相手が損をする」ことはない」
>と書かれていますけれど、もし「私と人は違う」ということをつきつめると、
>「相手が損をしたと考えるかどうか」も私には分からないことにならないでしょうか?
--------------------------------
これなんですが、他のアスぺの方と同じとは言えないかもしれません。
というのも、私は、相手の感情のブレみたいなのを体感することがあります。
心臓の心電図みたいな感じで、
その人の心が穏やかなのか、荒れているのか、ウキウキしているのかを感じます。
アニメ:エヴァンゲリオンで説明すると、
エヴァ機とシンクロしたクルーみたいな感じです。
エヴァ機(シンクロした人)が攻撃を受けると、私も心臓がギュとなったり、
エヴァ機(シンクロした人)が悲しみを感じると、私も悲しくなったり、
エヴァ機(シンクロした人)が嬉しいと感じると、私も嬉しくなったりです。
でも、感じますと言い切ってしまうと、本当にそうでもない気がしてしまいます。
本当に人と心の状態がシンクロしているなんてわからないし、
そうだとは限らないのですが、
私は、これまで、その感覚に従い、相手の「喜ぶだろう褒め」を実行し、
相手の心の状態を感じることによる『効果測定』を繰り返してきた結果、
功を奏することが多かったと言えます。
そして、”それをすることにより「相手が損をする」ことはない”を詳しく説明すると、
褒めたことにより、
1)相手の心の状態は良くなった(心への同化によりそう感じられた)
2)私がストックしている、その人の表情統計から推測するに、
褒めた後の顔は「嬉しい」を表していた。
3)言葉でも「嬉しい・ありがとう」と言ってくれた。
4)それらを繰り返すことにより、
相手が、私と居るのは楽だと他の人に言っているのを聞いた。
という4つの点を考慮すると「喜んで貰えた」と言えそうだと、
私の統計結果上は推測しました。
もしかしたら、回りまわって、バタフライエフェクト的に、
その人が損をするキッカケを私が作っているかもしれません、とまで言われれば、
「言葉を間違えました」とお詫びするしかありませんが、
それにより、相手が「被害を被った=損をした」とは考えられませんでした。
逆に、この説明を聞いて如何思われますか?
---以下引用---------------------
>逆に言えば「相手が損をしていない」ということを理解できると言うことは
>「私は人とは違うけれど、理解できることもある」
>という話になるんだと思うんです。
>実際、ほんとに「私と人は違う」ということが徹底しているとすれば、
>こんなふうにやりとりすることすら不可能になりますよね?
--------------------------------
私と人は違うは、先に述べた通りです。
「私は人とは違うけれど、理解できることもある」は◎です。
これ、ん?
私は人とは違うという前提ではありますが、
理解は、してきましたし、出来ますよ~~。
ここ、大切そうなので、もう少し、詳細を説明してみようと思います。
私は全ての感情は学習により成り立っていると思っています。
だから、生きてきた「経験」が違えば、
必ずそこには「人との違い」が出来るとなります。
だけど、「理解できない」とはなりません。
なぜなら、違いを、「あぁ、そうなんだ」と受容することが出来るからです。
むしろ、私は、その違いに楽しさを感じるタイプです。
「なぜ、どこが、違うのか」を模索することが、好きで、
そういった情報をとデータとし、マニュアルを作るのは好きです。
100%理解し合うは不可能だと思っていますが、
お互いがお互いを、理解してくれていると感じてもらえるくらいは可能です。
そして、もし、私が「私と人は違う、理解できない」と思っていたら、
そもそもパンダさんのブログにアクセスもしなかっただろうし、
こうやって、相互理解のために、説明もしていないと思うんです。
逆に・・・如何思われますか?
変なこと、言っていたら教えてください~☆彡
投稿: アスペルガール | 2013年12月 2日 (月) 21時05分
アスペルガールさん
こんばんは、仕事帰りのパンダです~
>私の言いたい「私と人は違うと言う前提」はこういった意味あいです。
はい、わかりました(と思います (^ ^;)ゞ)。
一応そういうことを前提として考えるとして、
面白いなあと思えることのひとつは、ことばって「お互いに違う」ということを
「理解し合える」力を持っているということですね。
「違う」ということを「わかり合える」って、なんか矛盾しているようだけど、
でもすごく大事なことだと思うし、それ自体がちゃんとした
コミュニケーションの一つなんだと思います。
> 私は、相手の感情のブレみたいなのを体感することがあります。
アスペルガールさんとのやりとりがずいぶんとスムーズに感じられる「秘密」の
ひとつが分かった感じがします。
よく「スペクトラム」とか言われますけれど、アスペルガールさんって、
定型的な「他者理解」の仕方につながる感じ方も結構持っていらして、
いってみれば「両方の感覚がある程度わかる」方なんじゃないでしょうか。
定型の場合は他者との感情的なシンクロが
やっぱり可なりのレベルで起こるんだと思います。
それは意識してそうなる訳じゃなくて、
ほとんど無意識に、自動的にそうなるんですね。
「あくびが思わずにうつる」ように「感情がうつる」ことがあるわけです。
そのことを考えると、アスペルガールさんは
それに近い感じで「相手の感情が伝わってくる」ことがありながら、
でもそれは改めて意識的に確認することをしないといけないような
不安定さ(?)も持っていると言うことな訳ですよね?
だからほんとに苦労して確認をされている。
そういうアスペルガールさんのご苦労を教えていただくと、
アスペルガールさんよりももっと「伝わってこない」方の場合は
ほんとに定型的な人間関係やお互いの理解の仕方は
謎の謎、ということになってものすごく苦労されたとしても
当然なんだろうなと、そういうことが以前よりリアルに
感じられるようになりました。
>それにより、相手が「被害を被った=損をした」とは考えられませんでした。
逆に、この説明を聞いて如何思われますか?
分かりやすく感じました。
定型の場合、そういうことをほとんど無意識にやってるんだと思います。
たとえて言えば、自転車を漕ぐときにはどうやって転ばないようにしているか、
ほとんど無意識でやっているわけですけれども、
それをことばで説明しろと言われてもすごくむつかしいし、
また意識しながら転ばないように漕いでみろといわれたら、
もう頭がパンクして却って転んでしまうだろうと思います (^ ^;)ゞ
アスペの方が定型的なコミュニケーションに入っていくということは、
言ってみればそんなレベルの難しさを味あわされることなのかなあと、
そんなことを思いました。
>そして、もし、私が「私と人は違う、理解できない」と思っていたら、そもそもパンダさんのブログにアクセスもしなかっただろうし、こうやって、相互理解のために、説明もしていないと思うんです。逆に・・・如何思われますか?
はい、そういう結論で私は納得です。実際いろんなことをアスペルガールさんから
学ばせていただいています m(_ _)m
投稿: パンダ | 2013年12月 2日 (月) 23時51分
◇パンダ さま
こんにちは、アスペルガールです。
ご返信ありがとうございました。
パンダさんの自転車の例えナイスです!!!
私はそんな感じでした。
が、他のアスぺの方が同じとは分かりません。
だけど、
特に、Y染色体所持者(男性)は、
言葉にするって大変だったりするのではないかと思っています。
---以下引用---------------------
>ことばって「お互いに違う」ということを
>「理解し合える」力を持っているということですね。
>「違う」ということを「わかり合える」って、なんか矛盾しているようだけど、
>でもすごく大事なことだと思うし、それ自体がちゃんとした
>コミュニケーションの一つなんだと思います。
--------------------------------
これは、このテーマの解決策となりそうです。
「違うというスタートライン」
http://communicative.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-7847.html
また、パンダさん自身もズレ(違い)有りきで考えるとにより、
玄さんの言葉を借りれば『ゼロベース』で考えることにより、
そういった思考をされているようにも感じました。
「ズレが当たり前」
http://communicative.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/post-5ef5.html
言葉については言語学(言葉が何故できたか・・・)の話になるので、
また、他の機会にでもと思います。
私もまだまだ勉強中です(*'ω'*)
と、パンダさんと私とでは、『違い』という認識が違うようですね~
言葉の定義が人と違うのも当たり前なのです~
---以下引用---------------------
>アスペルガールさんよりももっと「伝わってこない」方の場合は
>ほんとに定型的な人間関係やお互いの理解の仕方は
>謎の謎、ということになってものすごく苦労されたとしても
>当然なんだろうなと、そういうことが以前よりリアルに
>感じられるようになりました。
--------------------------------
以前にヒロさんって方が私と同じようなことを言っていたので、
ここにも転機してみました。
---以下引用---------------------
>私がそうなのですが、
>アスペルガー症候群で心が不安定になりやすい人間にとっては
>他の方の辛い気持ちを聞くことはかなり危険です
>気持ちがひきずられてしまって、自分と相手との境がわからなくなります
「アスペの天職カウンセラー?」
http://communicative.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/post-2d2d.html
--------------------------------
パンダさんは恐らくこのヒロさんの発言について、
当時はピンと来なかった・・・といえそうと、私は予測しました。
(間違っていたらスイマセン。)
※私は相手に仮説をブツケテみることにより、
問題解決速度が上がると思ってる(´▽`*)
仮説⇔検証を徹底的に繰り返すのです。
感情のシンクロですが・・・
定型が「自分を保ちながら共感できる=0.5」だとすれば、
アスぺは、「自分を無くして同化する=1」又は「分からない=0」っぽいなと。
相手に自分の感情を支配されてしまう感覚なので、
『心がアレテイル』方とは物理的にも精神的にも距離が必要となります。
心理学では「境界線がもろい人」だとか言われたり、します。
これは、また、別テーマで詳しく書くかもしれません。
宜しくお願いします~
投稿: アスペルガール | 2013年12月 3日 (火) 11時11分
アスペルガールさん
>特に、Y染色体所持者(男性)は、言葉にするって大変だったりするのではないかと思っています。
「男の方が女性より口べた」とか、そんなイメージで考えると、
そうなるのかもしれませんね。
どんなことをことばにするか、ということで男性女性の差がある程度あるかも。
よく分かりませんが、このあたりは個人差も大きそうな気がします。
>パンダさんと私とでは、『違い』という認識が違うようですね~
アスペルガールさんの「違い」ってどんな感じなのか、
また教えて下さい m(_ _)m
>パンダさんは恐らくこのヒロさんの発言について、当時はピンと来なかった
うーん、読みが鋭い (^ ^;)ゞ
頭ではなんとなく想像してみるんですけど、
もうひとつぴんと来ないところはありました。
今でもどこまで分かるかと言われると自信はありませんけど、
繰り返し似たような話を聞かせていただいたりする内に、
なんだか一寸ずつリアルな感じで受け止められるようになってくるみたいです。
「ああ、やっぱりそうなのか」みたいな感覚でしょうか。
少しずつイメージ作りをして想像力を働かせているのかも……
>「境界線がもろい人」
これは私にはとても分かりやすい表現でした。
「もろい」から「固い」というイメージで捉えると「なるほど!」と感じたりします。
1か0かで判断をする、というアスペルガールさんの説明にもうまくつながるし、
1は「自分をなくして同化する」という話にもすっとなじむ感じがします。
ヒロさんの話にもぴったり来ますよね。
「もろい」という表現はマイナスの印象のことばでしょうから、
もう少しプラスの面も同時に考えないと定型的な見方に偏ってしまう
ということもあるかもしれませんが、
理解のための大事な手がかりの一つではあると思います。
またこの辺についてもいろいろ教えて下さいね m(_ _)m
投稿: パンダ | 2013年12月 3日 (火) 18時58分
◇パンダ さま
こんばんは、アスペルガールです。
パンダさんってマメ~
ご返信ありがとうございます。
私は、自分の頭の中を整理するためにも、
対話に付き合って下さる相手は必要だったので、
本当に感謝しております!
---以下引用---------------------
>「もろい」という表現はマイナスの印象のことばでしょうから、
>もう少しプラスの面も同時に考えないと定型的な見方に偏ってしまう
>ということもあるかもしれませんが、
--------------------------------
これは、優しさですね。
私は気にしていませんが、気にする方はいらっしゃるかもしれませんし、
発言には気を付けようと思います。
新たな視点をありがとうございました。
↑
自分以外から「自分に無い視点」を頂けるのは、
「人との違い」があるからこそだと思っています。
---以下引用---------------------
>アスペルガールさんの「違い」ってどんな感じなのか、
>また教えて下さい m(_ _)m
--------------------------------
また、今後と言っておきながら・・・早速閃いてしまいました~
ご存じなら使えないテストですが、この画像を見て如何思われましたか?
この男の子はどんなことを考えていると思いますか?
http://www.trendmental.com/wp-content/uploads/pic01.jpg
投稿: アスペルガール | 2013年12月 3日 (火) 20時27分
アスペルガールさん
豆パンダです~
ひとりで記事を書いていても、結局自分の視点からしか考えられませんし、
アスペルガーさんからまた違った見方の可能性をいただけるのは
とても有り難いことです。
マメというのか、結局それだけ考えなければいけないような
難しい問題を私がいっぱい抱えているということなのかなと思います。
ほんとにきりがない…… (^ ^;)ゞ
>これは、優しさですね。私は気にしていませんが、気にする方はいらっしゃるかもしれませんし、発言には気を付けようと思います
あ、自分では優しさとかは考えてませんでした~ (^o^)
結局私も「定型」として(自分を定型と思って定型的に)生きている人間ですから、
その感覚からいったら「もろい」という表現もよく分かります。
ただ、その視点からだけ考えていると、「定型が障がい者に配慮する」
という枠の中からしか考えられなくなってしまって、
「違う個性の人間が自分を活かして一緒に生きる」という道が
見えにくくなるところがあるように思うので、
そこはできるだけ「違う見方」をしてみようと考えています。
でも、ある意味矛盾なのは、「自分を活かして」ということになると、
その中には「私は定型だ」ということも含まれてくるはずで、
そうすると「定型的な感覚からすればそれは<もろさ>だ」
という、自分の素朴な感覚も捨てられないことになります。
でもその素朴な感覚に埋まってしまうと、別の可能性が見えなくなる……
という風に、なんだか考えが永遠にぐるぐる回ってしまいます。
どうやったらこの袋小路を抜け出すことが出来るんでしょうね (^ ^;)ゞ
>早速閃いてしまいました~
えっと、つまり「同じ絵を見ても、そこで感じること、想像することは
人によって違いがある」ということでしょうか?
もしそうだとすれば、その点についてはアスペルガーさんとの間に
特に「違い」は感じませんでした。
投稿: パンダ | 2013年12月 4日 (水) 07時45分
◇パンダ さま
こんにちは、アスペルガールです。
ご返信ありがとうございました。
ふむ~~~~~~~~~~~~
なんとなく前に進んでる感じはしてきました。
(個人的に・・・)
ここのテーマは「誉めてくれない」なので、
一旦終了させて頂きます。
( ゚Д゚)えっ、勝手にかよっ!!!!!
という声が聞こえてきそうですが、
続きは「二つの見え方、一つの現実」でしましょう~♪
ここで、このテーマで、さらに言葉で分かり合おうとしても、
パンダさんの仰るように、袋小路に入ってしまいます。
ですので、
別の事例から、私のお伝えしてしたいことに繋げてみます。
別テーマ「二つの見え方、一つの現実」では、
コルテオさんの「美味しいか味が無いか」を引用させて頂き、
説明してみました。
この私の説明を読んでパンダさんは如何思われましたか?
それを、お聞かせ頂いてから、私も、再度説明してみます。
普段の生活で、今みたいに、独断的に「やりとりの流れ」を変えると、
「その時の私の立場によっては」マズかったりするのは承知ですが、
少しだけ、私の進め方にお付き合い頂けると幸いです。
---別件-------------------------
※ここからはお願いですので、
却下して頂いても問題ございません。
パンダさんは以前に英語の本を読んでらしたので、
英語が読めるってこと前提でお願いしました。
あの、余裕がある時で構いませんので、
これを翻訳してくださいませんでしょうか。。。
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URL)http://www.hsperson.com/pages/2Aug09.htm
少し自信がありませんが、
誰かが「ただ繊細な人と、自閉症的繊細さとは、どう違うの?」
と質問しており、それに心理学者が回答しているらしいです。
これを知りたいんですが・・・
残念ながら、私は英語がニガテなんです。
もし、良かったら、ご協力して頂けると、
私たち(勝手に達扱い)の、問題も前に進みそうなんです。
(たぶん)
---エレイン・アーロンさんについて------
夫は吊り橋理論で有名な社会心理学者で、
エレインさんも心理学者です。
私は日本語訳したものしか読んだことありませんが、
人間の繊細さについて研究されているみたいです。
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URL)http://homepage3.nifty.com/hspjapanese-k/
境界線がもろいのお話は、自閉症的だけでなく、
繊細な人であれば、そういった傾向にあると言われていて、
どう違うのかを説明するために、
先ほど翻訳をお願いしたページが役立ちそうな気がしました。
このブログの大きなテーマは「アスぺと定型」ですから、
そこを忘れずに、ディスカッションは進めていくつもりですが、
繊細な人と、そうでない人
社交好きな人と、そうでない人
定型発達な人と、そうでない人(アスぺ、注意欠陥など)
本好きな人と、そうでない人
日本人と、そうでない人(アメリカ人、フランス人)
という風に、色々な、「そうな人、とそうでない人」がいて、
以前に、パンダさんが「玄さんと上下関係を語る」にて感じたように、
URL)http://communicative.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-4f1c.html
---以下引用---------------------
>序列があっても色んな序列があって、上下関係が固定化することもないし、
>上になったり下になったり、リードしたりされたり、
>色んな関係をみんなで楽しめればいいですね。
>なんのでこぼこもなくて一律平板、
>真っ平らというのも考えてみると気持ち悪いことでしょうし。
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という事が大切だと、私も思っているので、
---以下引用---------------------
>ただ、その視点からだけ考えていると、「定型が障がい者に配慮する」
>という枠の中からしか考えられなくなってしまって、
>「違う個性の人間が自分を活かして一緒に生きる」という道が
>見えにくくなるところがあるように思うので、
>そこはできるだけ「違う見方」をしてみようと考えています。
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は、パンダさんが想像しておられるよりも、
そう、気になさる必要はないんじゃないかなぁと。
パンダさんは2012年3月22日現在(細かくてスイマセン。)に、
「上になったり下になったり、リードしたりされたり、
色んな関係をみんなで楽しめれば~」
という答えに至っているので、
「出来ない事」は、配慮して頂けるとありがたいですし、
逆に、配慮して頂いた分は、
配慮された側が、「何か別のことで返す」という視点を持ち、
お互いに、与えあい、補い合える関係を目指すというのが、
このブログのテーマでもあるかと思います。
現在の問題は、お互いに「望んでいること」が違うために、
「配慮」が「配慮でなくなっている」ことが問題です。
それが、クリアーになれば、
お互いに与えあい、補い合える関係になりますもんね。(←ね!)
具体例をあげると、
私は、会社で仕事するなら、出来れば、仕切りの中でしたいんですが、
定型の方からみれば、
「彼女だけ、仕切りで囲うなんて可愛そう」となったり、
いつも1人で居るし、可愛そうだから、
「気を使って」話しかけてあげようとなったり、
さらに女の子だから、「気遣い」や「関心」が大切だよねっってことで、
細やかに体調を気遣ってくださったり、
することが多かったのですが、
私は、それらの行為が「気遣い」と知っているからこそ、
「断れない辛さ」と感じてきました。
内心は、私を仕切りで囲って、そっとしておいてほしかったんですが、
それを相手に言ってしまうと、
「恩を仇で返すの」と言われそうだったり、
「悲しませてしまうだろうな」と解釈したり、
していたので、抱え込むことになっていました。
多くの方は、「相談して」と言って下さいますが、
相談しても、「そんなのおかしい」と言われることが予測されれば、
相談したくても、「相談=否定される」となってしまうので、
それ(相談する行為)に、何の意味があるのかすら分からなくなります。
また、上手に説明出来なかった為に、
会話で話し合いを進めるというのは、困難でした。
でも、多くの方は、困っていたら場を設けて下さり、
「話そう」と提案してくださいます。
しかし、私は、上手に会話が出来ないので、
「文章」で話合いをしてくださると非常にありがたいのですが、
「文章」でお願いします。
と、お願いしても、「こちらをバカにしているの」と言われまして、
私としては・・・・・・、
一生懸命お願いしたことを否定してくるなら、
初めから話掛けても欲しくなかったとは思うものの、
「話そう」との提案が「気遣い」というのも理解出来ますので、
「折角のお気遣だったにも関わらず、申し訳ございませんでした。」
としか言えなくなってしまうことが多かった様に思います。
今、あげたのは、小さなズレですが、
こんなズレが重なって重なって、「お互いに与え合えない状態」に、
なっているから、このブログがあるのです!(もんね)
でで、先ほど、お話したような、私の事例を上げると、
パンダさんは、「大変だったことに共感してあげたい」と思ってくださり、
「大変だったんですね」
といった趣旨の、何かしらの、
痛みに対する「共感」をして下さると予測されますが、
(今までのやり取りがそうでした。)
私としては、う~ん、う~ん、う~ん。だったりします。
(良い説明が浮かばないので、思い浮かんだら説明します。)
なんだかまとまりが悪いですが、
長くなりましたが、最後まで読んで下さりありがとうございました。
お時間がある時で良いので、
「二つの見え方、一つの現実」
http://communicative.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/post-6a53.html
に、コメント返信して頂けると嬉しく思います~
いつもで良いのです~
投稿: アスペルガール | 2013年12月 4日 (水) 12時01分