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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2012年3月29日 (木)

普通と言うこと

 コメント欄の議論で「普通」ということが問題になっています。
 普通ってなんなんでしょう?

 平均的な人?
 でもこの世の中平均的な人なんているでしょうか。
 
 コンピューターで顔写真をいじって美人を作る方法というのがあります。
 それは沢山の女性の顔写真を集めてその特徴から平均した顔を作るんです。
 「平均顔」とか言われていたと思います。
 
 で、そういう平均顔に近い人は「美人だね」と言われることになります。
 そうすると「沢山の平均顔とは違う人たち」から作った「平均顔」ですから、
 大部分の人、多数派、マジョリティーは「平均顔」ではないんですね。

 そう考えると、平均顔の人はどこをとっても平均なわけですから、
 逆に言えば個性のない顔、と言うことにもなります。
 どこにも個性のない顔って、珍しいですよね。
 平均って、意外に「稀な人」のことだったりします。

 そんなこと言っても、私たち「普通はね」とよく言いますよね。
 (アスペの方は言わないのかしら?)
 その場合の「普通」というのは「だいたいみんな」みたいな意味があります。
 
 「だいたいみんな」のあとに何が付くか。
 「そうしてる・そう考えてる・そう感じる……」などですよね。
 ではその後は?

 「だから」が付くことが多いのでしょう。「あなたもそうすべきなのです」

 こうなってくると「普通」というのは単に多い少ないの問題ではなくて、
 なんだか道徳的なお説教のにおいがしてきます。
 「普通」=よいこと。「変わってる」=わるいこと。

 ビートたけしが昔このからくりを使って面白い標語を作りました。
 「赤信号、みんなで渡れば怖くない」
 信号無視の悪い人が大勢になることで悪い人じゃ無くなっちゃう。

 
 私は、自分自身が「平均的な人」でもないし、「普通」でもない
 いわゆる「個性派」だと思ってるし思われているから、
 そういう「普通」の考え方は嫌いなんです。

 なんか、勝手にある基準を押しつけられて、自分の個性を
 無視されるような、そんな気持ちになります。
 逆に個性的な人が面白くて好きです。

 でも、その自分が、パートナーとの関係ではついつい
 「普通はね」と言いたくなってしまうんです。
 なんでなんでしょう?
 

 もちろん「普通はこうだから、あなたもそれに従いなさい」
 と言いたいわけではないんです。そういう攻撃的な感じではない。
 むしろ逆に「そんな風に文句言われるけど、普通は……」
 と言い訳のように、おいつめられて防衛的に使うことが多い気がします。
 自分はそんなにメチャクチャなことを言ってるんじゃないんだよ、
 ということを伝えたいという感じもあるなあ。

 だけどやっぱり言われた彼女の側からすると、
 「普通」という言葉が出れば「だからそうすべきだ」と言われている
 と感じやすいような気がします。
 まあ、多分、立場をかえて自分がそう言われたとしても
 そう感じることが多いような気もします。……むつかしい。

 
 それにしてもなんで「普通」って言いたくなるのか。
 やっぱり「多数派」に頼りたい、という気持ちがあるんでしょうか?
 うーん、そうは思いたくないけど、でも完全に否定できるかと言われると
 ちょっと自信がありません。
 
 なんか定型が人と話をするときには、
 たとえ一対一で話をしているときにでも、
 第三者の人、他の人たちはその議論をどう見るだろうか、
 どう考えるだろうかということを、頭の中でどっか考えてるのかも。
 だからその二人の議論の「位置」をときどき確認したくて
 「普通は」という言葉を使いたくなるのかも知れません。
 それは「普通通りにすべきだ」という意味ではなくて。

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コメント

ASをひいき目に書きたいがために、試みに定型の方を貶める表現をする事をお許しください。良い悪いの問題では無く、定型の方は「ふつう」「みんな」という概念に「囚われる」脳機能の発達結果を持っている、ということが言えると思います。当然、当事者は自己肯定によって「囚われる」ことを良い事と認識しています。
これに対しASは「人間関係に囚われる度合い」が低い。そういった大まかにタイプ分けできる個々人が存在しているのは事実です。そして、そのどちらが「多くいる場面か」によって、誰が多数派(マジョリティ)に属するかが決まるに過ぎません。

問題点は、定型の方にとって「ふつう」「みんな」は本能的に「敵/味方」の感覚に深く関わるキーワードなことです。
もう少し詳しくいうと、(僕の考えですが)ASの特性が「社会性の障害」として表現される原因は、定型の方の「見方かどうかセンサー」に「敵判定」されるシグナルを出してしまうことに尽きると思うのです。そのため、定型の方は本能的に攻撃的になってしまうと想像されます。ASが家族やパートナーである場合には、排除するわけにもいかず、悩みは「カサブランカ症候群」として現れることもあるのではないでしょうか。
もちろん、ASの「人間的繋がりを重視しないかのような行動」は社会人として問題です。外部情報を頭が処理するスタイルも独特で、職場で迷惑がられることもあるでしょう。それらは無視できませんが、このサイトの趣旨に沿って問題の種類を「人間関係」に絞れば、「定型のセンサーを刺激してしまっている」という状況分析はできるかもしれないと思うのです。ケアの方法は、既に多く語られていることで良いと思います。

「ふつう」がわからない、ということについて考えていて、算数の授業のことを思い出しました。
xとかyがどうしてもわからなくて、私は落ちこぼれたのですが、
ほかのみんなは理解していて、授業はすすんでいく。
どうやら自分だけがわからないらしい。
親には「どうしてこんなことがわからないの」と言われて困りました。

アスペ診断を受けて、定型の人と自分は違うらしいということがうまく理解できなかったのですが、
感覚として数学の授業での疎外感、ちんぷんかんぷんな感じ、を思いました。
「ふつう」という言葉に自分が過剰反応するのもxとかyとか(ほかにも恐ろしい記号が次々と!)が出てきたときの拒否反応に似ているかもしれません。
ほかにすごく得意な科目もあって、がんばればできる科目もあって、だからなんとか学校には通っていた、というところも、不得意はあるけれどなんとか社会生活が送れていることに似ているかもしれないです。

玄さん

 相変わらずすっきりとわかりやすい理解で有難いです。
 定型が集団を作ることにものすごく敏感で、
 <高度>な「敵味方センサー」を装備しているのはまちがいないと
 私も思うんです。
 で、何でか分かんないけど、アスペの方はそのセンサーに対して
 敵信号を送ってしまうんですよね。全くその気がないのに。

 で、「普通」というのはひとつの意味としては「基準」になりますから、
 その基準に従うのは義務になったりして、「規範」の役割にもなる。
 だから「普通はね」というときは「おしつけ」にもなりやすいんですよね。

 ただ、なんかそれだけではわかりきらない感じがすることがあって、
 対等に話し合うために「普通」を言いたくなることがある、というか、
 なんか言い訳として「普通」を言いたくなるようなことがあるんです。
 なんだろう、自分は別に悪意があって言ったりやったりしているんじゃない、
 ということを理解してもらいたいときなのかなあ。
 定型集団ではそれが当たり前にやられているから、
 ほとんど無意識にそうしてるだけで、悪気はないんだよ、という言い訳?

 まあそれも一種の集団への頼り方ではあるんですけれど、
 敵味方センサーの話とはちょっと違う感じがします。どんなものでしょう?


さかなやさん

 あの数学の記号とか、見るとめまいがしますよね (^ ^;)ゞ
 私はえっくすとかわいとか言うはるか以前に、
 なんで二分の1と二分の1を足すと四分の2にならないのかで悩みました……

 あ、話がちょっとそれましたね (^ ^;)
 得意科目やがんばればできる科目で社会生活を乗り切る話、
 わかりやすい喩えだなと思います。
 そして自分だけがわからないまま置いてきぼりにされている感覚、
 それを「普通じゃない」と言われたらどんな思いになるか。
 
 うーん、私のパートナーもそういう思いをずっとしてきているわけですよね。

 

はじめまして。40代のPDD-NOS、自閉症スペクトラムのどこかに位置していると診断されたものです。
記事をとてもおもしろく読ませていただいています。

「普通は」とか「みんなは」とかは、沢山、言われてきていて、
その度になぜ、そんな事がわかるのだろう、なぜそんな自信があるのだろうとずっと不思議に思ってきました。

診断されてから、当事者の方の記事を読んでいた時に、自分が多数派側の感覚になったことがありました。教えられたわけでも、研究したわけでも、努力したわけでもないのに、当たり前に、その感覚があり、確かめたわけでもないのに、みんなもそうだという自信みたいなものがありました。とっても不思議な感覚でした。

なるほど、みんなには、こういう確かな感覚があるんだなあと思いました。

自分の場合だと、その感覚は、当たり前すぎて、「どうして」の説明ができません。適当な言葉がみあたりません。
そうすると「普通は」とかの言葉を使ってしまいそうです。

本当に不思議でした。なぜ「私は」ではなく「みんなは」という感覚になるのか。

もちろん、責める気持ちも、集団を頼る気持ちもありません。

脳の不思議でしょうか?


はじめての投稿なのに、長々、書き込んでしまってすみませんでした。
しかも、オチもなく。

これからも記事を楽しみにしています。


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