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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2012年3月22日 (木)

玄さんと上下関係を語る

 玄さんからまたすごいコメントを頂きました。もう全部引用させていただきながら考えてみます。

「僕は日常生活で、定型の方々の考え方として「上下関係を意識したい、できれば上に立ちたい」という本能的なものがあるように感じています。それに対してASによっては(僕がそうなのですが)上下関係に無頓着という特性の出方がありえます。上昇意識を持ちにくいASや、上下関係の認識が抜けてだと思うのですが、適切な敬語を使わなかったりするASもあるようです。(もちろん、上下関係に厳しいASもいるでしょう。)すべての状況を敬語で通すASがいますが、言葉遣いの上下の使い分けが面倒なのでは?と推測しています。」

 ジョンキルさんの話では植物だってそうだという話もありましたけれど(あ、下に玄さんも書かれていますね)、やっぱり定型ってお猿さんタイプって言うか、集団作ってしかもお互い役割分担とか複雑にしながら生きているから、上下関係とかも作るのが当たり前になってるんでしょうね。だから「できれば上に立ちたい」という本能のようなものを玄さんが感じられたとしても無理はないかなと思います。

 と同時に、私なんかどっちかというと無責任派なのか、上に立つのってめんどくさいから誰かやって~という方です。集団の縛りがきついところはそうもいかないだろうけど、緩ければ下の方でへらへらわりと自由に気楽にやってられるから、そっちの方が好みに合ってるというのか…… (^ ^;)ゞ

 アスペの方はそれに対してやっぱり一匹狼的というのか、猫的というのか(というとまた単純化しすぎとjoさんに怒られますけど (^ ^;)ゞ )、玄さんみたいにそもそも上下関係があんまり気にならない人が多いんじゃないでしょうか。だからおっしゃるように、そもそも敬語なんて必要を感じられていないから苦手なんですよね。

「さて、上下関係はASと定型の間だから、できるのでしょうか?僕は、どんな状況でも人が二人いれば、必ず序列ができると思うのです。(ジョンキルさんも言及されていますね。)それは年齢でも身長でも、何でもいいですし、もちろんその基準によって入れ替わることになります。上下は必ずしも優劣ではなく、「リードする役とフォローする役」の様に役割分担だったりで、補完しあう意識です。ですから、僕は「パートナーは対等」とは考えていません。常にリードとフォローが存在し、場面によって容易に入れ替わる。ASと定型のふたりだったとしても、です。」

 そうですね。序列ができるというか、まあ作るんでしょうね。それがたとえば鼻毛の数の多い少ないとかで社会的には意味無いような「序列」もあれば、スプリンターの足の速さみたいに社会的にすごく価値あるものと見られているものもある。価値あるものならそこに上下があれば「対等」ではなくなるのも分かります。だからおっしゃるようにアスペと定型でも場面によって「対等」でなくなる序列が生まれるのは間違いないと私も思います。いびきの賑やかさではパートナーと「対等」ではないかと私はひそかに思ってはいますけれど (^o^)

「僕の観察によれば、定型の「普通」の人間関係は、優越的立場がどちらなのかを決めることで成り立つように見えます。ASに対しては、上下関係の確認がうまくいかないので、混乱するとともに違和感を感じつつ下に見る、という印象があります。ASは、混乱を感じとりつつ卑屈になることを強要される?という状況もありえます。
「合わせてあげる」というのは「お互いに工夫しながら」のはずで、上から目線側だけの専売特許ではないと思いますよ。どうでしょうか?」

 これ、ナルホドと思いました。特にアスペの方とは上下関係の確認がうまくいかないというあたり。これを読んで思い出すんですけど、たとえば私が社会的に認められてまあ誉められる(「上」と見られる)ような立場に立ったりしたときに、ちょっと恥ずかしい思いもあるけど、まあ嬉しくもあって、そんなときにパートナーにもその喜びを共感して欲しかったりします。でもだいたいは「あ、そう」と言われるくらい、よくて「あ、そう。よかったね」とあっさり言われる位で、「だからどうなの?」という感じなんです。で、私は寂しい思いをするんですが、これも「優越的立場」というものへの感覚の違いが根っこにあるのかもしれないなあと思いました。

 <合わせてあげる>については確かにおっしゃるようにお互いに工夫しながら対等に、という場合もありますね。私が書いたときは一方的に相手に合わせてあげる、というケースをイメージしながら書きましたけど。たしかに横から目線のお互いに<合わせてあげる>はあると思います。

「 後は蛇足なのですが、
震災などにふれての援助や、ご老人に席を譲るなどの行為については、それが出来る状態を持ちかつ実行することによって保たれるプライドのようなものが、当たり前にそれを実行させ、受ける側は必要な分を受け取るのに感謝こそすれ卑屈になる必要は無い。そういうのが大事と思えます。。。僕の考えであって、一般的ではないでしょうけど。席を譲らない人の気持ちはわかりませんが、若くてもひどく疲れていて席に座りたいこともあるでしょうし、責めることはないと思います。」

 この「プライド」というのは優越感とは違うものなのか、その一種なのかというのはちょっと疑問として残りました。受け取る側が卑屈になる必要はない、というのは頭では分かりますし、大事だと思うんですが、実際には卑屈になってしまう場合が多いように思えるのと、あと逆にまれに尊大になるケースもあるかなと思います。若い人は、きっといつも気分的に疲れているんでしょうね。なんかそんな世の中のような気はします。

「ASは人によっては障害者手帳をとる人もいますが、当然、ご老人には席を譲ります。ASは定型の方が興味がなかったりネガティブに思う仕事に抵抗なく取り組めることがあり、そういう場面ではASが上になる可能性があるのはお分かり頂けると思います。多分、ASは上になったことを誇らないでしょうけどね。
必要なことは、ASがその特性に合った職場や環境に出会うことです。」

 そうか!アスペの方は上になっても誇らないんですね!それは定型からすると美徳に見える。なるほど。私が自分のやったことがうまくいったときなんかパートナーに嬉しくて報告すると「それで、誉めて欲しいわけ?」とか言われてがっくりくることが良くあるんですけど、「成功を誇らない」のが当たり前だ、と考えるとそれも分かる感じがしてきます。

 そして最後に書かれていること、理想ですね。それぞれの人が自分に合った世界を切り開いていくことで、この世の中全体も豊かに拡がっていくことになれば、それはステキなことだと思います。そのときは序列があっても色んな序列があって、上下関係が固定化することもないし、上になったり下になったり、リードしたりされたり、色んな関係をみんなで楽しめればいいですね。なんのでこぼこもなくて一律平板、真っ平らというのも考えてみると気持ち悪いことでしょうし。

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コメント

パンダさん、好意的に受け止めてくださり、嬉しいです。有難うございます。一点だけ、誤解をときたいというか、お伝えしたいのは最後の「環境の調整」の所です。ASにとってそれは「理想」のような願望的なものでなく、切実で喫急な現実問題です。

「どんな状況でも人が二人いれば、必ず序列が…」

個体間の上下関係とその行動表現に関しては、「猿」学関係の脳科学の研究紹介などの本で、人間の行動でも参考になる興味深いのが結構あります。

会社とか組織はある意味特殊ですが、家族はどうなんだろう?リーダーは、自然発生するようですよ。被災地や数人のグループがサバイバルをかけた場面を想像すればわかります。それは人類の知恵だと思う。

「上下関係の確認がうまくいかないので、混乱するとともに違和感を感じつつ下に見る、という印象があります。ASは、混乱を感じとりつつ卑屈になることを強要される?」

これは、うまくコンサートアクションがとれなければサバイバルがかかってくる可能性から考えると、協調性がない者を排除することは自然と思えます。単純化しすぎですが。

「常にリードとフォローが存在し、場面によって容易に入れ替わる」が理想です。これが自閉傾向のために固定化してしまったり、「お互いを思いやりながら」の基準というかストラテジーが摺り合わせられずに、入れ替わり方が歪んじゃうのですよ、発達の差が大きすぎると。

上下関係とちがうけど、今朝うちでおきた例をさらします。かみさんが朝食の準備をしているときに、何気なく子供の学校のことを話題に話しかけると、「今、こっちがこんなときに話しかけないで!集中できない!」といって怒った(ような?)反応が返ってくる。お行儀のいい定型(もしくはお行儀にコダワリある自閉さん)だったら、ここでキレますよ。私は、経験により学習した人なのでガマンして黙ります。食事のあとやっと子供を送り出して一息ついて、私は急ぎのメールを書きにかかったんですね。そしたら、かみさんはほっと弛緩モードに切り替わったためか、なにやらさかんに話しかけてきて書けなくて困ったわけです。困った顔を向けて伝えようとするけど、非言語行為は通じません。これも学習しました。この辺りのプロトコルを2,3回でうまく調整つかなければ、ここでキレるのもありかと思います。それでも笑顔でいるためには(笑顔でいることに価値を認めるとすれば、それは文化的条件づけにすぎないかもしれないですが…)、すっと距離をとるしかないんです。そうやって取り繕ってみても、心に澱のように溜まってくるものがある。沈殿した黒いものが。結局、その負担(と言ったら定型目線になるけれど)の、非対称さがもたらす歪みこそが、心にヒビを入れていくと感じてます。非対称を非対称と認識できない、とすれば、これが対称に見えている可能性を想像しないわけにはいかない。それは子供の世界観では自然だと、私には想像できて、わかってしまう。いえ、もちろん、ここで私の世界観が対称を非対称に見ている可能性も担保してですけどね。そんなことしてるからカサンドラになってしまう。

「モラハラ」だって自分にも厳しい方が言うのと、自分ができないことを人に強要する「モラハラ」では、定型の大人だったら受け取り方が180度違うはずなんですよね。定型さんだったらどうなりがちで、自閉さんだとどうなりがちかはあえて言いません。ですが、思考回路から一時に参照できる環境や条件の範囲を制限したとするならば、モラハラはモラハラです。「悪いことは悪い!」これ幼児の発想でしょう。これがもう少し発達したら、高校時代にタバコすってる教師にタバコで叱られて反発した気持ちを思い出します。で、大人には大人の規範ができてきます。文化や社会の中で行動規範が一定の方向で変化するということはあると思います。それが、、、途中で止まってると、そりゃ生きにくいでしょう。

こんなふうにいうと発達障害を下に見てると言われるかもしれないけれど、私が子供を育てていると、かみさんのどの部分がどのレベルで止まっちゃっているからこんな「性格」(あえてこう呼ぶ)になっているのかというのが、ある程度見える所もあるわけです。まあ、「発達」という言葉に価値が込められている以上、うまく表現することは困難ですが。

うちのかみさんは、植物や石などの無機物に「生まれ変わり」たいといつも言ってます。

joさん、

私はjoさんのご家庭のことをよく知りません。その上、私自身アスぺで、通常の感性を持つ方々をとんでもなく傷つけてしまいがちな者です。ですから、このコメントは、アスぺのたわごとだと、軽く読み飛ばしてくださいますようお願いいたします。

joさんのご家庭で起こったことを読んで、私は、奥さまが朝食の準備をされているときには何気なく話しかけたりされなければよいし、逆に、joさんがメールを書かれているときに奥さまが話しかけられたときには、「うるさい、後にしろ」とおっしゃればよいのではないのかと思ってしまいました。
こんなに単純な問題でないことは重々承知しているのですが、アスぺ的にはそう思えてしまいます。

「定型の人間関係を作るスキル」軸における価値観では、明らかにアスぺは下です。私は、そのことには全く異論はありませんし、その観点で下に見られても、「そうなんだよね、ごめんね。」と思うだけであまり傷つきません。例えて言うなら、テレビでスポーツ中継を見た時、プロ選手に対して下手くそとか思ってみたりするけれど、いざ自分がその場に入ったら、まず基本動作すらできなくて呆然と立ち尽くすだけの状態であることは確実です。その時、プロ選手に「下手くそ、じゃまだ、どけ」と言われても、申し訳なくて退散するけれど、言われたことに対してはあまり傷つかないのではないでしょうか。

日常生活からは退散することができないことが、一番の問題かもしれませんね。

Joさん
わたしも注意欠陥の部分は多いに持っているので、朝の時間はとても苦手です。低血圧なので、さっと起きれず、無理に起き上がってすぐに、フル回転で同時進行でいろんなことを進めていかないといけないプレッシャーを毎朝感じてついイライラしてしまいます。家族の朝ご飯、お弁当、家族の身支度、持ち物のチェック、ゴミ出し、幼稚園の送り。短時間に決まった時間にしないといけないことがテンコ盛りでぐったりします。
特に、お料理は火の元があったり、刃物があったり、同時にいろんな作業が発生するので、集中しないとわたしは作業ができません。ですので、お料理しているときに、話しかけられたりしてもほとんど対応ができません。もう主婦歴10年以上経ちますが、火の元を作業しながら会話はできません。わたしも子供達が出かけたら、一仕事終ってほっと弛緩した状態になります。
アスペルガー傾向の夫は、そういう私の特性を理解して、お料理中に話しかけて来る子供達に、お母さんはお料理中だからお話無理だよ。と代わりに言ってくれます。とっても助かってます。こういう場面で夫に助けられてることに気がつきました。

玄さん

 「ASにとってそれは「理想」のような願望的なものでなく、切実で喫急な現実問題です。」

 「理想」という言葉、甘いかなと思いつつ書いてやはり指摘されましたね。なにか、現実の厳しさを思うと、逆に「大変だけど目指すべきところ」という意味で「理想」と書いてしまいました。

joさん ジョンキルさん wakabaさん

 私の家でもjoさんと似たような事があるので、パートナーと話し合って、朝のそう言うときとか、話しかけない、という約束にしたらそれなりにうまく行くようになりました。joさんもはっきりと言語化して奥さんに「朝は大変そうだから話しかけないことにする」という風なことを伝えられたらどうでしょう?そういうことでお互いに「言葉で線引きしていく」ということがある程度できればいいと思ったりします。けど、そういうのも難しいのかも知れないですけどね。  

うちの場合は、アスペルガーである夫の方が、読書しながらテレビ見ながら会話もできるんですよね。メール作成しながらの会話もできます。よほど集中が必要な時や、ひとりになりたい時には夫の部屋に行きますが。

逆に、定型である私の方は、メールやこのコメント作成などをしながらの会話は無理です。BGMと文章作成・料理などの作業と会話等は両立できるのですが、ひとつの文章を作成しながら会話をするとか、読書しながら会話をするとか、要するに、「言語と言語」の組み合わせになると両立できません。

なので、私は、夫にも子どもたちにも、「言葉と言葉の両立は無理」「今から文章作成に入るから、話しかけないで」とか「話しかけられても返事できない状態に入るので、よろしく(^^)!」と、よく言います。

夫も子どもたちも、「どうして両方いっぺんにできないのか、その感覚は理解できない」と言いつつも、私の場合はそうなんだ、と今ではわかってくれています。

逆に、夫から、以前は「なんで今このタイミングで話しかけるわけ?」とよく言われていました。でも、そのタイミングが、なぜそのタイミングではいけないのかが私には全くわからず、喧嘩になることもよくありました。

ここ数年は、「今、話しかけてもいい?」と、お互いに尋ね合っています。職場での、「今、いいですか」「今、よろしいですか」と話しかける、あの感じと似ていますね。

◇パンダ さま

こんにちは、アスペルガールです。
これも随分過去の記事ですのでズレがあるかもなぁと思いつつ書き込み!

途中からテーマがずれてしまったので、ズレた後の問題について、先にコメントしますと、私は、同時進行できますし、何かをしている時に話しかけられても大丈夫です。

でも、出来ない方の気持ちも分かるような気もしていて、私なら、『言い方』を柔らかくするかなぁと思いました。

 例えば・・・
 「今、こっちがこんなときに話しかけないで!」⇒「今、出来ないにゃぁ~」とか、
 「今、こっちがこんなときに話しかけないで!」⇒少し「抓ってみる」とか、
 「今、こっちがこんなときに話しかけないで!」⇒腕を「ギュとつかむ」とか、

こんな風に、お互いでサインなどにして、予め対応パターンを決めておくと、後は、パソコンで定型文を引き出すように出せたりしませんか。と、逆に、そういったコミュニケーションから(笑)が生まれたりして、ちょっとしたことが楽しくなったりしませんか。(しなかったらスイマセン)

次は本題ということで、「上下関係について」ですが、

私はどうもわかっていない様でした。敬語はもちろん使用しますし、そういった使い分けも出来ますが、なんというか・・・私は、とても馴れ馴れしいコニュニケーションをとる様です。「人懐っこい」とも見えるかもしれません。

オフィシャルとプライベートのテンションが同じなのが、「妙」といえば、「妙」らしく、抑えるように注意されたこともあります。他には、「丁寧すぎる」とのことを言われたことが多かったです。

例えば、子どもに対しても「敬語」を使用したりしますし、家族感でも、結構「敬語」を使い合ったりします。私の家族は過半数がそのような感じですので、ほんとうに『ケンカ』とか無いですし、『言い合い』なんて聞いたことないです。

 家族で上位であっても、
 組織で上位であっても、
 日本で上位であっても、
 世界で上位だとは限らないという前提条件が同じだからかなぁと思いました。

組織で上に立つことを嬉しく感じる気持ちは分かりますし、慕ってくれる人が増えると言う意味で、存在価値の証明にもなりますし、頑張りが評価されたことを嬉しく思う気持ちも理解できます。でも、それで『俺はエライ』と言っている方は小さく見えてしまいます。

 何故なら、視野が狭い証拠だから。

メジャーリーグで活躍してきたイチロー選手からみて、草野球チームで、エースだから、『エライ』と言っている方はいかがでしょうか。

これは上下関係やランキングの問題でなく、順位というのは「時間経過」によって変化するものであるから、それを重視するのは、蜘蛛の糸を頼りにしている様で、なんとも、価値を見出しにくい価値という風に感じています。

 まとめると、

 「立場の違い」は重視する必要性がありますが、
 「『上下関係』という名の、どちらがエライのかという分け方は必要でない」です。

シェイクスピアの言葉を借りると、「全世界は一つの舞台であって、すべての男女は、その役者にすぎない。それぞれ舞台に登場してはまた退場していく。人はその時々にいろいろな役を演じる。舞台は年齢によって七幕に分かれているのだ。」です。

障害の程度にもよりますが、無能者から誉められたら「上から目線」に感じませんか?
元恋人からは「人を誉める前におまえのバカを直せ。もともとおまえよりはできてるんだから。対等に誉める立場になれるのはそれからだ」と言われましたが(かといって誉めなければ「おまえは人を誉めない」と言われて「じゃあどうしたら良いのよ」なんて思いましたが)。

誉め言葉に限らず、相手の愚痴をこぼしてきた時に何か返したり(相手への非難やアドバイスではなく、自分の意見や共感の言葉を言った時)、自分の考えや要求などを伝えた時など全てそうですが、「格下であるバカは言葉を発するな。黙ってろ」というのは潜在的にないんでしょうか?
これらは元恋人や知人からも言われましたが。

何いっても反発されるから私達は何も言えなくなります。

http://communicative.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-cdae.html
こちらへのコメントと間違ってしまいました。すみません。

ただ「上下関係」についても同じことが言えるかなと思います。

にわとりさん

 もう一つの方で頂いたコメントも可成りそうでしたが,にわとりさんの使われる単語(例えば「無能者」など)は,素朴な私の感覚からはとても差別的な印象を受けます。ただ,それは私の想像では,にわとりさんが差別的にそれを使われている,というのとはちょっと違うような気がします。たぶん,にわとりさんにとっては,実際のことを正直にそのままなんのごまかしもなく表現されている,という感覚ではないでしょうか。

 また,多分にわとりさんとしては,自分が定型からさんざん言われてきたことばを,そのまま使っているだけという感覚もあるのではないかと想像します。だからそのことを人から問題にされたとしても,「なんで定型はよくて,私はだめなわけ?」という疑問が生まれるのではないでしょうか。

 実際,にわとりさんはその(定型的な感覚では)差別的に感じる表現を,人に対して使っているだけでなく,ある意味でそれ以上に自分自身に対しても使われています。その意味では全然「差別」ではなくて,たんに人間誰もがそうであることを言っているだけ,ということになるかもしれません。


 ある意味では「正直」とも言えるその表現が,なぜ定型(の多くの人)には素直に受け入れにくいのかということについては,にわとりさんがこういう形でせっかくストレートに気持ちを表現してくださっている(と感じる)ので,できればだんだんと考えていきたいところです。ですから,

>何いっても反発されるから私達は何も言えなくなります。

 というふうになられることは,是非避けたいと思います。その点は理解して頂けますでしょうか。


 ということを一応お断りした上で,

>障害の程度にもよりますが、無能者から誉められたら「上から目線」に感じませんか?

 「無能者」から誉められたことを「上から目線」とは感じないように思います。それは「無能者」だからということではなく,誰であってもその言い方が「上から目線」になっていればそう感じるということのように思います。


>「格下であるバカは言葉を発するな。黙ってろ」というのは潜在的にないんでしょうか?

 よほど差別的な人であれば別かもしれませんが,一般的な定型の人であれば,最初からそういうことを潜在的にしても思っている,ということは私にはあまり想像しにくいです。ただ,それまでのやりとりの中で,怒りが蓄積されるようなことがあれば,そういう考え方や感じ方が生まれることはあると思います。

 これまでのお話を伺っている限りでは,にわとりさんと周囲の定型の人たちの間では,そういう激しいズレから来る「怒り」の蓄積が,かなり深まっているのではないでしょうか。そしてたぶんお互いに相手がどうしてそんな言い方をするのか,なぜ自分がそんなに攻撃されなければならないのかが全く分からない,という思いを抱いているような気がします。

 そういう激しいズレの正体を,少しずつでも見つめてほぐしていくことができれば,状況は変わる可能性があるようにも思います。もちろんものすごくむつかしく,手探りが必要なことだと思いますけれど。

建前上は差別用語であることは分かった上で言ってます。この場合は私の発達障害の特性とは全く関係ありません。
私の場合は自分達のことを言ってますから周りからは非難されません。むしろ「自分達のことをちゃんと理解しているな」と言われてました。
理由はどうあれ、差別用語を使ってはいけないとのルールを破ったのは事実ですから申し訳ありませんでした。


>それまでのやりとりの中で,怒りが蓄積されるようなことがあれば,そういう考え方や感じ方が生まれることはあると思います。
パンダさんが何度もこれをおっしゃってますが、まだしっくりきません。

一般の仕事すらできない発達障害者は仕方なく自分の能力に応じた仕事に就いてるわけですが、そこでも私達は見下されます。
お互いの認知のズレではなく、能力者による一方的な見下しではないんですか?

また仕事の能力は関係なく、一目見て嫌われる発達障害者が多いのはなせでしょうか?
お互いの認識のズレが来るとか人と関わる以前の問題なんです。
私もですが、他の発達障害者も第一印象で嫌われてる理由について周りの定型者にきいたら「あの人は良い人だけど見た目が気持ち悪い」「見るからに普通じゃない」「話がつまらない」などの答えをいってました。
私から見たら、穏やかな良い人です。話してる分にも問題は感じられません。
しかし第一印象で嫌われ、さらに皆の拒絶反応が強くなっていじめや度が過ぎたからかいに発展していくわけです。
第一印象からお互いの認識のズレが始まるのでしょうか?定型者から見たら、また私達の見た目にどう気持ち悪さを感じるのでしょう?

>人から問題にされたとしても「なんで定型はよくて, 私はだめなわけ?」という疑問が生まれるのではないで しょうか。
それはないです。
定型を侮辱してる言葉だったら非難されますが、発達障害者や知的障害者向けの言葉だったら問題指摘する人はいませんから。

仮に定型者が定型者を非難しても許されるのは(良いか悪いかは別にして)「対等な立場だから人を非難できる資格があるを」「多数派が同じことを考えてるから共通認識となる」からだと捉えてます。
これが発達だったら「個人が多数派に喧嘩を売ってる」「敵から攻撃された」「バカが人を非難できる立場にはない(おまえの顔や頭、人間性は比べものにならないくらいに酷いだろ)」と認識され、さらにいじめられるのだろうと思ってます(実際にそう言われてきましたし)。

直接的な言い方は定型者からはさらにいやがられますが、支援なしには生きていけない発達障害者は自動的に下っ端になります。
実際に助けてない定型者でも「俺らが障害者をフォローしてやってるんだ」と言う人もいます(自動的に障害者は下っ端)。
だから常に発達障害者は定型者を立てたり、周りから侮辱されても憤らず、ひたすら「(実際は助けどころかいじめにしかあってなくても)私達をてくださってありがとうございます」と感謝を持って接しないといけないとの認識はあります。

しかし発達は周囲の気づかいに気づかないから「バカだから助けてやってんのに生意気な態度だ」となるのではないかなとふと思いました。

納得いかないも何も現実に逆らうことは私達発達障害者には無理ですから従うしかないでしょう。

にわとりさん

 ちゃんと応答してくださってありがとうございます。
 細かい疑問や違和感はとりあえずおいておいて,
 出来るだけ中心的なポイントになるかなと私が思えることに絞って
 考えを書いてみます。

>一目見て嫌われる発達障害者が多いのはなせでしょうか?お互いの認識のズレが来るとか人と関わる以前の問題なんです。

 私の限られた経験の中では,発達障がい者と思われる方が「一目見て嫌われる」ということはあまり記憶にありません。何しろ私はパートナーに一目ぼれしたくらいですから(笑)。

 いずれにせよ,人の(定型の?)第一印象の重要さは強烈らしいです。テレビで見ましたが,女性が男性を「この人は好みの人だ」と感じて決めるのは,もう会った直後だということで,ただ,そのあとやりとりしながらそれを確かめるのだと解説していました。どこまでほんとかは私にはわかりませんが,ありそうな話には思えました。

 たとえば,分りやすいと思うのでまた例に出しますけど,にわとりさんが最初にコメントを下さったときに名前を書かずにやや攻撃的と(定型的には)感じられる書き方でコメントされたことがあったわけですが,第一回目がそうだとすれば,そのたった一回でひとつもうイメージが決まってしまうだろうと思います。そのイメージというのは,「ああ,この人はコミュニケーションをとろうとしているのではなく,ただ自分の怒りで相手を攻撃して,相手を傷つけて勝手に去ってしまう人だ」というイメージです。

 幸い私の場合はいろんな経験を通して,今は他の可能性も色々感じられるようになっているので,そこでそういう決めつけをすることはなくなってきていますし,だから,こうやって決めつけないやりとりをしようとしているのですが,定型ルールの中だけで生きている方の場合には,そこはむつかしいと思います。ほぼ一瞬で印象が決まってしまい,あとは同じようなことが繰り返されれば,その印象はもう動かないほど固まるでしょう。

 以下,にわとりさんを責めているのではないので,誤解をしないで読んでいただきたいことです。

 これは私の想像ですが,にわとりさんの場合,ご自分の発言の仕方や表情の作り方(これは見えませんので可能性の話だけです)など,定型的な「友好的なやり方」の基準には合わないものになっているのではないでしょうか。もしそうなら,もう第一印象から定型には拒否的に接せられることになりやすいでしょう。なぜなら定型的な理解では自分がではなく,にわとりさんが最初から敵対的に向かってきた,と感じてしまうからです。だから自分もそれに対抗するだけだという話になる。

 それで,これまでパートナーの他にも他のアスぺの方の経験や意見などを伺っていると,そういうやり方が定型からはそんな風に理解されてしまう,ということについてはほんとに意外に思われている方が多いような気がしています。だから相手にそう感じられた時にはとても心外に思ったり,ご自分が不当な扱いを受けているように感じられたりしやすくなる。

 つまり,自分の言い方や表情,振る舞いが相手の人にとってどう理解されるものか,ということについて,アスぺの方は定型のそれを非常に理解しずらいし,逆に定型もアスぺの方のそれを全く誤解してしまう状態があると思えます。お互いに全然相手を理解していなくて,勝手に自分の思い込みで判断し,その結果どんどん関係が悪くなる,ということが繰り返されているのではないかと私は思うのです。簡単に言えば「お互い様だなあ」という感じでしょうか。

>実際に助けてない定型者でも「俺らが障害者をフォローしてやってるんだ」と言う人もいます

 そういう定型者は私から見ると「未熟な定型者」に感じられます。定型にもいろんな人がいますので,中にはそういう人もいるだろうなとは思いますが,それは定型がみんなそうだということではないと思いますよ。

>だから常に発達障害者は定型者を立てたり、周りから侮辱されても憤らず、ひたすら「(実際は助けどころかいじめにしかあってなくても)私達をてくださってありがとうございます」と感謝を持って接しないといけないとの認識はあります。

 私はそういう認識は持ちません。またにわとりさんがそういう認識を持たざるを得なくなってしまっている状況は,改善されるべきものだと思います。

>納得いかないも何も現実に逆らうことは私達発達障害者には無理ですから従うしかないでしょう。

 ここがある意味でにわとりさんの置かれた厳しい現実と,そこでのにわとりさんの最大限の努力が書かれているところなのかなという気がしました。つまり,私はそういう考え方はしたくありませんが,ただにわとりさんの抱えた現実は,それほど厳しいものだということは分る気がするし,簡単に解決できるような甘い問題ではないだろうという意味です。


 改めてまとめていうと,ポイントはとりあえず次の二つでしょうか。

 一つはにわとりさんと周囲の方の間には,お互いにものすごい理解のズレがあって,どちらもそのズレに気づいていないか,気づいていても何がどうずれているのかが分らない状態にあるのではないか,ということです。

 もうひとつはそういうズレの結果,にわとりさんが激しく差別されるような状況が生まれていて,しかもにわとりさん自身はそれを仕方のないこととして受け入れる考えも書かれていますが,それは私には改善していくべき状況と思える,ということです。

親身に私のコメントに付き合ってくださってありがとうございます。


>発達障がい者と思われる方が「一目見て嫌われる」ということはあまり記憶にありません。
発達の程度や人にもよるのでしょうか。
私の周りは第一印象から嫌われてる人が多いです。ひどいと通りすがりに笑われてる発達障害者もいます。
初対面の人が自分だけスルーして他の人に話しかけたり、自分達のことを嫌がってるなと感じることがしょっ中です。

唯一信頼してる定型者の知人と昔住んでたところの精神科の先生にストレートに言うように頼んだことがあります。
彼等が言うには「初対面の人から話しかけられないのは見た目が原因」だとのことです。
さらに「第一印象が気持ち悪くて嫌だと感じたら、性格関係なくその時点で関わりを持ちたいとは思えない。その仲間の対象外として見てしまう部分がある」と言われました。

私の第一印象を聞いたら、
「(私含めた)重度の発達障害者の第一印象は共通して(全員ではないのかもしれませんが)「顔に華やかさがなくて冴えない」「幽霊みたいで気持ち悪い」」とのことでした。
一般的に発達障害者が気持ち悪いと言われる原因である目つきや動きが変、身なりを気にしないなどの要因は私の場合はないと言われましたし、普段から化粧や髪型には気をつけてますが、具体的な特徴がない人でも発達の独特な雰囲気(気持ち悪さ)があると言われてしまいました。


>自分の言い方や表情,振る舞いが相手の人にとってどう理解されるものか,ということについて,アスぺの方は定型のそれを非常に理解しずらいし,逆に定型もアスぺの方のそれを全く誤解してしまう状態があると思えます。

見た目に問題がない方だと最初のうちは人が寄ってくるけど、話していくうちに段々と違和感を感じて人が離れていくのかもしれませんね。

しかし重度で能力がなく、顔も悪いと判断された場合ははじめから嫌われてます。
その上でパンダさんがおっしゃるパターンが重なってますますいじめがひどくなるように感じます。


>一つはにわとりさんと周囲の方の間には,お互いにものすごい理解のズレがあって,(中略)そういうズレの結果,にわとりさんが激しく差別されるような状況が生まれていて(中略)

私自身は2パターンあるように感じます。
パンダさんがおっしゃるパターンであれば、お互いの認知のズレだけが原因の人なら、接し方を工夫したら定型者と仲良くなれる可能性はあるかもしれません。

しかし見た目が悪くて、小学生でもやらないミスやドジを繰り返す人はどうでしょうか。
優しい定型者もいますが、そんな人ばかりではありません。
お互いの認知のズレを修正したり、接し方を工夫するだけでは解決しない場合もあるように思うのですが、どう思いますか?


>にわとりさんが最初にコメントを下さったときに「ああ,この人はコミュニケーションをとろうとしているのではなく,ただ自分の怒りで相手を攻撃して,相手を傷つけて勝手に去ってしまう人だ」というイメージです。

顔が見えない文章だけのやりとりではそう取られてしまう話をされてましたね。
確かに私自身は今まで侮辱ばかりされて不信感や憤りを相当募らせてますからそれが文章に現れてるのかもしれません。
無関係な方々にまで不快な思いをさせてしまって申し訳ありません。


にわとりさん

>お互いの認知のズレを修正したり、接し方を工夫するだけでは解決しない場合もあるように思うのですが、どう思いますか?

 「重度」と言われる方の問題を聞かれているのかなと思いますが,にわとりさんが言われる「重度」というののイメージが私はまだよくわからなくて,まだ今は答えられそうにありません。「重度」というのは知的障害を伴うようなイメージで捉えたらいいのでしょうか。それともそれは伴わずに自閉的な傾向の強さだけのことでしょうか。

>確かに私自身は今まで侮辱ばかりされて不信感や憤りを相当募らせてますからそれが文章に現れてるのかもしれません。

 やはりそういう可能性はあるのですね。そうなのかなと想像はしてみましたが。

>無関係な方々にまで不快な思いをさせてしまって申し訳ありません。

 にわとりさんにとって不必要な表現か,あまり必要でない表現なら,あえてそういう言葉を使われる必要もないと思います。この場では誰もにわとりさんに対して侮辱や差別的な言葉を投げかける人はないと思いますし,万一そういうことがあれば私も対応します。ですからにわとりさんもそういう侮辱的な言葉や差別的な言葉は,人に対してもご自身に対しても使う必要はないように思います。

 ただ,にわとりさんがご自身の気持ちをできるだけ素直に表すために,どうしてもそういう表現が必要になる場合があれば,それはとりあえずそうされても仕方のないことかなとも思います。私の方はできるだけそこではダイレクトに感情的に受け止めることはしないよう工夫します。

 

私が対象にしてたのは、努力してもなかなか上達しない人。
得意なものは一つもなく、何やらせてもだめな人。
知的障害は伴わないけど、一般の仕事の戦力としては使えない人などです(皆がやってるのは清掃、障害枠での単純作業など)。

前にも言った話ですが、知人や昔の担当医が言うには、人は見た目と能力(人並みの能力があるか)で最初は判断し、それから性格をみると言われたんですね。
私達の経験からすると、パンダさんの仰ってることは「見た目も能力も人が許容できる範囲のレベルの人」が対象だとしか思えないのです。「お互いの認知のズレ」は人と関わってからわかることですから。
私や私の周りの発達障害の場合は最初は避けられます。
他の発達障害者を嫌う定型者から理由を聞いたり、陰口を聞いてるには、「一応仕事こなしるし、良い人なんだけど…何か受け付けない」とか「何とは言えないけど普通じゃない」「不細工で気持ち悪いじゃん」「小学生の孫よりバカで鈍くさいから嫌だ」など、なおしようがないことばかりでした。
それでも見た目や能力は関係なく、定型者と発達障害者間の認知のズレからくる誤解が原因だと言えるのでしょうか?


>攻撃的な表現
パンダさんたちへの憎しみもありませんし、侮辱した人への個人的な怒りが入ってしまったのは事実ですから、そこは申し訳ありませんでした。
ただ個々の意見で疑問や納得できる時ばかりではなく、パンダさんに個人的に伺いこともあります。

たとえば最初のコメントだと、
「共感の有無は関係なく、私達の行動は全て悪意で取られる」
「一目見た目から拒絶され、いじめられた。都合の言いように使われた。皆からは人間性や私たちの接し方が間違ってるからだと言われる。
しかし定型者で発達の知識がなくとも、偏見を持たない人や悪意を持った見方をしない人はいる。悪意にとるのは偏見や見下しから私達を敵認定し、いじめる理由を作ってるだけではないのか」
など、自分の疑問を聞きたかったのは事実なのです。
(無名で投稿したことが攻撃的と取られかねないのは私の無知だったのですが)

定型者でも自分の中にはすっと入って来ないこともありますが、それに対して相手に伺い立てたい場合は、どのように質問してるのでしょうか?

もう一つ、定型者と発達の違いについて聞きたいのですが、
定型者は言葉を選んで発言する人もいますが、定型者の中でも気にくわない意見の人には反抗的で侮辱までして来る人も少なくありません。
相手の悩みに対してわざと無神経なことをいう人なども少なくないです。
いつも非難されるのは発達障害者の方ですが(本人には攻撃のつもりはなくとも)、悪意ある定型者の発言と私達の場合とはどう違うんですか?
定型者は何言っても許されるという暗黙の了解でもあるのでしょうか?

にわとりさん

>私達の経験からすると、パンダさんの仰ってることは「見た目も能力も人が許容できる範囲のレベルの人」が対象だとしか思えないのです。…それでも見た目や能力は関係なく、定型者と発達障害者間の認知のズレからくる誤解が原因だと言えるのでしょうか?

 なるほど。

 私のパートナーもそうですし,今までここでやりとりしてきたアスぺの方は,印象としてはたしかに社会的に活躍されている(けど問題も感じている)方もあるし,転職を繰り返したりしてかなり苦労しながらも仕事をされて生きている方もあるし,そこには限界が来て,家で生きていらっしゃる方もあったように思いましたが,いずれの方にせよ,「見ただけで障がい者として扱われる」ということではなかったような気がします。

 「あれ?この人なんかちょっと感じが違うな」とか思われたとしても,それがなんだかよく分らない状態が続いて,だんだん関係が悪くなっていって,その内に激しく攻撃されたりするような,そんな展開が私のイメージの中心でした。

 にわとりさんがおっしゃるような,知的障がいは伴わないで一目見てはっきりと「障がい者」とみられるようなアスぺの方のイメージは私の中にはまだできてなかったです。知的障がいがあって,大人なのに子どものような表情や振る舞いをされている場合は,周りの人は一目で警戒することもありますし,差別されることもありますが,にわとりさんの言われる方たちはそういうことでもないわけですよね?

 知的障がいを伴わないでそうなる場合を私が想像するとすれば,アスぺだからというより,いわゆる「二次障がい」で鬱になられたりした場合があります。その場合はアスぺだから,というよりもその二次障がいの結果として周りから一目で区別され,場合によって差別されるようなこともあるとは思います。でもにわとりさんの言われる状況が,そういうことなのかというと,ちょっと私にはまだわかりません。

 いずれにしてもにわとりさんが憤りを持たれている状況というのが,私が今までイメージをしてきたものとはまただいぶ違うものかもしれない,ということはちょっと分ってきました。改めていろいろ教えていただきたいです。

> 悪意にとるのは偏見や見下しから私達を敵認定し、いじめる理由を作ってるだけではないのか

 人間というのは悲しいもので,自分より「下」の人を見ることで自分が「偉くなった」ように思ったり,救われたりする場合があると思います。余裕がなくなれば,無理に自分より「下」の人を作ってでも救われたいと思う人もいる。

 これはアスぺの方より定型に強い傾向かもしれません。たぶん男女もあんまり関係なく,いろんな形でみんなそういう感覚を多少なりとも持っていると思います。「競争で勝つ」とか「出世する」とか,そういうことを嬉しく思うのも,みんなそういう感覚と関係するでしょう。(「それだけ」ではないと思いますけれど。)逆に言えば「負ける」とか「出世できない」ということを辛く思うのも,その気持ちがあるからですよね。

 そういう感覚を,どんな時にどんなふうに発揮するかは人によってさまざまだと思います。「自分を高める」ために使う場合は,あまり人を見下したりするような形にはならないかもしれません。うまくすれば「お互いに高めあう」とか,「自分を高めるために人に尽くす」というようなことも起こるかもしれません。

 でも,自分が高くなるために,相手を低めようとする,というような形でその感覚が使われれば,それはにわとりさんが憤られているような状況になるでしょう。差別は,多分大体そんなものじゃないかなと思います。

 にわとりさんも書かれているように,いろんな人が定型にもいる,と考えることは大事だと思います。

>定型者でも自分の中にはすっと入って来ないこともありますが、それに対して相手に伺い立てたい場合は、どのように質問してるのでしょうか?

 すみません,ちょっと質問の意味を理解しきれていないので,もう一度説明して頂けますか?「定型者でも自分の中にはすっと入ってこない」というのは「定型者の言うことで,すっと理解できないことがある」という意味ですか?それとも「定型者の中には自分が受け入れられないような人がいる」という意味ですか?「それに対して相手に伺いたてたい」というのは,何を伺うという意味ですか?

>いつも非難されるのは発達障害者の方ですが(本人には攻撃のつもりはなくとも)、悪意ある定型者の発言と私達の場合とはどう違うんですか?

むつかしいことですが,一つの可能性としてはこんなことが考えられそうです。定型に非難されるアスぺの方の発言は,アスぺの方自身には悪意のない場合が多い。けれども定型の基準から見た時,その発言の「仕方」は「悪意のある場合」に使われることが多い。だからアスぺの方のその発言は,「当然悪意のある発言」と感じ取られてしまう。

逆の場合,つまりアスぺの方が定型から傷つけられたと感じる場合ですが,そこでも同じように定型は全然悪意はないのに,アスぺの方がそう感じてしまう形になっていることもあると思いますし,また明らかに定型の側が攻撃的になっている場合もあると思います。なぜ定型が攻撃的になっているのかについては,いろんな場合がありそうです。

ということで,何が違うかというと,ひとつには「どういう表現の仕方を悪意のあるものと感じるか」がずれている可能性はあると思います。そういう見方でどこまでの範囲が理解できるかはまだ全然わかりませんが,ひとつの可能性としてはありそうです。

>定型者は何言っても許されるという暗黙の了解でもあるのでしょうか?

それはないと思いますよ。寅さんだってよく「それを言っちゃおしまいよ」と言いますし (笑)

私の説明が下手ですみません。

>にわとりさんの言われる方たちはそういうことでもないわけですよね?

障害者特有の顔というより、一般的に「いかにもいじめられそうなタイプ(ブスと言われてからかわれてる人)」「いかにも話しかけたくないと感じる印象の人」と言われてる人と同じような感じです。
ふつうの人とは明らかに違うオーラがでていると、定型者の知人から言われました。
私も周りも化粧や髪型を気にしてる上で言われましたから、どう気持ち悪いと言われる部分をなおしたら良いのかわかりません。


>「二次障がい」で鬱になられたりした場合があります。周りから一目で区別され,場合によって差別されるようなこ ともあるとは思います。

そういう方もいるんですね。
ただ私達は二次障害はないですし、二次障害になってる人も発症する前から起きてることですから関係ないと思います。


> 余裕がなくなれば,無理に自分より「下」の人を作ってでも救われたいと思うのはアスぺの方より定型に強い傾向かもしれません。

発達障害者にもありますよ。少なくとも私や私の周りはあります。強い人間ばかりではありません。
ただ態度に出さないようには努力してます。定型者も良識ある人はそうでしょう。
私達を特に見下すのは精神や私生活に問題がある人が多いですが、私より知能が高い発達障害、精神障害者、(私と同じレベルの)発達障害の子供を持ってる母親から見下しやいじめを受けたこともあります。
障害者側の方が定型者より悪質だったり、精神や知能障害への理解がない場合もありました。


>「競争で勝つ」とか「出世する」とか,そういうことを嬉しく思うのも,

これは発達でもそういう気持ちを持ってる人はいます。特に男性は。私にもあります。
なのに現状は人様の支援がないと生きていけない。プライドはずたずたです。


>>定型者でも自分の中にはすっと入って来ないこともありますが、それに対して相手に伺い立てたい場合は、どのように質問してるのでしょうか?

わかりにくてすみません。
相手のアドバイスや意見を提示されたなど色々ありますが、自分の納得できないことやピンと来ないことがあった時など、そのことを相手に伝える場合です。
最悪、「私の意見に反論した!」「せっかくアドバイスしてやってるのにでもとかだってで返された」などと反感をもたれる。
でも自分としては相手に疑問や質問をききたいこともある場合です。


>いつも非難されるのは発達障害者の方ですが(本人には 攻撃のつもりはなくとも)、悪意ある定型者の発言と私達 の場合とはどう違うんですか?

私が言ってるのは誰が見てもあからさまに侮辱してる場合です。
たとえば過去にアトピーの人の外見を中傷する人がいました。ちなみに彼女は性格も見た目も頭にも問題はないです。
こういう悪質な定型者もいるのにその人達はなぜ非難されないのでしょうか?
その人達よりも発達障害者の私達の方が何倍も非難されたり、排斥される理由がわからないのです。

個人的な話ばかりですみません。今回はここで失礼します

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