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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2012年3月16日 (金)

夫婦と恋人とセックスと

 結婚前と結婚後でアスペの人の態度ががらっと変わることがある、という話は何度か取り上げてきました。それは定型の方から見れば、あたかも「釣った魚には餌をやらない」とでもうように感じられたりする変化なのですが、アスペの方から見れば、それは「もう結婚という安定した状態に入ったのだから、いろいろお互いに努力して関係を作ったりする恋愛時期の恋人関係とは違って、家族という関係が自然に続くんだ(だから家族としての仕事などは大事になるけれど、夫婦関係を努力して維持するというのはむしろ変で、自然にしていればいい)」というような感覚があるのではないか、と私には理解されました。

 定型にしろアスペにしろ、「家族」というのは、たとえば子供の頃、家庭を維持する為に何か努力する、というようなことはまず無くって、家というのは生まれたときから自然にそこにあって、自分は自然に自分として振る舞っていても、家族の一員でなくなることはないのが普通です。そこは友達関係とは全然違う。友達関係はお互いに努力して相手にあわせたり、相手のために何かをしあったりすることが大事だけれど、家族はそれは「なくても」家族であることに変わりはない。

 もし子供の頃に経験してきた家族のそのイメージをそのまま夫婦関係に持ち込んだとしたら、家族というのはもう何か努力するとかしないとかに関係なく「家族」で、多少ごたごたがあっても「続くこと」が当たり前だし、恋愛時代のように無理して相手に「他人モード(自分が苦手な人付き合いの仕方を、周囲に合わせて一生懸命まねして頑張る)」で接する必要が無く、「自分モード(自分にとって自然な振る舞い方をする)」で気楽にすればいいということになります。

 ところが定型にとっては夫婦というのは恋人関係の直接の延長上にありますから、結婚式を挙げたからと言ってそれが急にがらっと変わるものではなく、むしろ新婚時代は恋人関係以上に熱々になることを期待していたりする。結婚して何年も何十年もすれば、そこまでの「新鮮な関係」は失われていくでしょうけれど、でも年をとっても熱い感じのカップルもあって、それはそれで周囲の定型の人たちからうらやましがられたり賞賛されたりもする。定型にとって「家族の中の夫婦関係」はそういうものだと私は思うのです。

 もしそうなら定型とアスペの間の「結婚」についての見方、「家族」のイメージはある大事な部分でものすごくずれてしまっていることになります。そして少なくとも定型の側から見ると、そのずれは「この結婚に意味があるんだろうか」と苦しむ原因にもなるような、そういう種類の深刻さを含んでいるように思います。ところが逆にその定型の抱える深刻な悩みは、自分は自分なりにちゃんと家族の一員として立派に努力して振る舞っていると感じているアスペの人にとってはおよそ理解しがたいものになるのではないかと、そんなふうに感じられるのです。


 なんかこの「家族」について、自分では今までの中では一番お互いの「ズレ」について整理して理解できたような気がしているのですが、それはジョンキルさんのコメントを読ませていただいて衝撃を受け、なにかこれまで頭の中でもうひとつスッキリしなかったものがパシッと整理されたような感じがしたからです。割と短いコメントなので、そのままこちらにも転載させていただきましょう。

「私もスキンシップは苦手です。
でも、セックスは別です。だって、はじめて他人と本当に関われたという実感を持てた行為でしたもの。若かったあの頃、「私の存在そのものが他の人に受け入れてもらえている。やっとわかった、こんないい方法があったんだ。これさえあれば生きていける」って、真剣に思いましたもの。
でも、それは、私の慣れ親しんだ日常とは別のもの。
そして、結婚って日常生活ですよね。ですから、セックスがなくても一緒にいられる相手が見つかったからこそ、私は結婚したのだと思います。」

 まずひとつ目の衝撃は、スキンシップは苦手、でもセックスは別で「これさえあれば生きていける」とまで思われたということ。私はセックスというのはスキンシップの延長上、その一番濃厚なもの位のイメージだったので、なんか頭がぶっ飛ぶくらい((^ ^;)ゞ)この意見にびっくりしました。しかもセックスが「自分の存在そのものを他人に受け入れてもらえること」という風に感じるのは、私も全くそうなのですが、それは私が定型だからで、アスペの人はそういうことはないのではないか、と勝手に思いこんでいたところがあるからです。(だって、私からすればその前々段階のスキンシップでさえ嫌と思われているのですから)

 そして二つ目の衝撃は、「でも、それは、私の慣れ親しんだ日常とは別のもの。」という形ですぱっと日常から切り離され、で、結婚は日常だから結婚とセックスは結びつかない、という話になっていることです。定型の夫婦でも「倦怠期」には「永のごぶさた」になることがあるでしょうし、今の日本社会では「セックスレス」がすごく増えているらしいですね。でもそれは一種の「社会問題」として新聞に取り上げられたりする。人から聞いた話ですけれど、アメリカなんかだと一週間セックスが無ければそれを離婚の理由にもできるんだとか。それくらい結婚とセックスは密接に結びついていると思っていたのですが、その「思いこみ」を見事に切り捨てられた感じがしました。

 そしてここでも「結婚は日常生活」という言葉で言われて、だから、ということでセックスという関係がそこから外されているわけです。私としては「日常的に存在が受け入れられる」(=結婚生活でもセックスが大事な意味を持つ)ということが必要ではないのか、ということが新たな疑問なのですけれど、いずれにせよほんとに二重三重に衝撃的なコメントで、そのおかげで私の理解がすごく進んだように感じられるところがあります。


 ただしスキンシップが苦手、ということについて、玄さんのコメントによれば、子供と接する体験によって、スキンシップがとても大切なものとして感じられるようになった、ということです。定型同様、アスペの方の中にも子供好きの方もそうでない方もいらっしゃるでしょうから、玄さんのこういう変化がどの程度一般的なのかは私には分かりませんけれど、でも少なくとも一部のアスペの方にはそんな形でスキンシップへの考え方、感じ方に変化が訪れ、定型とその点で理解し合える部分が拡がることがあるんだなあというのは、とても大事なことと思いましたし、そういう事実はとても新鮮な感じがしました。

 

 


 

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コメント

まず、僕のスキンシップの理解度としては、「とても大切と『頭では』わかった」というレベルですかね〜微妙に、誤解される書き方をしてしまったかもしれないので。
ジョンキルさんのコメントは衝撃的な赤裸々さですが、「存在そのものが受け入れられる」の僕の解釈は、実体としてのカラダが受け入れられる、「体の機能」として「そういう仕組みなんだ!」が実感できた体験だった、というステージに留まる気がします。具体的で確かな交流ですから、「実感」は強いですが、心まで交流できたかというと??
女性は、その状況に及ぶ過程での男性の言葉や態度や行動、そして「実感」に、一生ものの「受け入れられた」感を見出すかもしれません。(完全に想像ですが、男の立場でもそう変わらないと思う)
それで結婚してもいいと思うんですよ。お互いを大切にすると約束して、ずっとやっていくなら。

パンダさん、

前回の投稿をする前、何度も書いては消し、書いては消しで、ずいぶん時間がかかりました。何かを説明しようとすると長くなってしまいすぎるので、最終的にエッセンスのみを送らせていただきました。

まさに今回パンダさんがご指摘されている、アスぺの持つ家族の定義が、未成長な
子供のままに留まってしまいがちであることも書こうと思っていたことのひとつだったのですが、説明してもわかってもらえないのではないかと悩んで消してしまいました。しかしそれは全く杞憂で、定型の側からも同じ事象が見えていることがわかりました。

定型の方は、成長の過程で人間関係を常にメンテナンスしていく知恵を身に着けられていくのだと思います。一方、その部分に関して知恵遅れ状態(センスが抜け落ちていて成長できない)のアスぺは、ルールを見出しそれに合わせることで対応していくわけです。その点で、「恋人」は、大人になってから自分でルールを獲得した関係ですけれど、「家族」は、子供の頃に見出したルールをひきずってしまって変えることができないし、そもそも変えなくてはならない意味がわからない、ということが起こってしまいます。

観察によってそうではないかと思っていましたが、定型の方は、例えば同じ「家族」であっても、成長に従って自然に新しいルール(家族関係における日常にはセックスも含まれる、とか)にメンテナンスされていかれるのだなあ、ということを改めて理解いたしました。どうもありがとうございました。

玄さん

 「頭で分かった」というレベルなんですね。そこ大事なポイントだと私も思います。
 定型の側からもアスペの方の説明を聞いて、いろいろ考えて、「頭ではなんとかわかる」
 けど、実感としてはもうひとつぴんとこない、という状態がよくありますから。
 果たしてそこを越えて「実感としても分かる」というところまで到達できるのかどうか、
 場合にもよるでしょうけれど、結構難しいことが多いような気がします。

 ジョンキルさんのお話についてはアスペでも女性でもない私には
 中々どうこう言えることではないので、玄さんの書かれていることも
 一つの可能性としてお聞きしておきたいなと思います。


ジョンキルさん

 これも私は「頭で考えての理解」に留まっていることですけれども、
 それでもジョンキルさんが説明したいと考えられていたことと重なっていた
 ということで、とても嬉しかったです。
 
 お二人のコメントに共通して感じたことですけれど、
 「頭で理解する」というレベルであれば、定型とアスペの間で
 お互いのことを理解し合えることがまだまだたくさんあるような
 そんな気持ちになりました。

 それがどこまで実感としても理解を共有できるかはわからないけれど、
 でも頭で理解するレベルに留まったとしても、
 全然理解できずに自分の基準で相手を判断して
 ひどい誤解を積み重ねて苦しむよりよほどいいのではないかと思います。
 そう言う意味でもお二人のコメントはとても有難く感じています。
  

玄さん、

アスぺとしての考え方をいつも的確かつ論理的にご説明くださる、玄さんのコメントのファンです。今回私が正直に書いたことに対し、同じスタンスで真正面からのコメントをいただけて、嬉しく思っています。

女性である私には、交流できた「実感」および「相手に受け入れられた感」があったことは確かです。そのうえ、その交流の場で私の普段考えていることをあらかじめ伝えておくことにより、日常の場面で彼にそれを他者に「通訳」してもらえるようになったお陰で、「社会的」にも「受け入れられる自分になった」かのように一時的に錯覚したりもしたものです。

個人的には、さらに考察していきたい気持ちもあるのですが、ここには、アスぺであるなしとは全く別の次元の、性に関する価値観や道徳観の異なる様々な立場の方がいらっしゃると思います。私があまり具体的に自らのことを書いてしまうと、不快感を持たれる方が出てこられるのではないかと危惧いたしますので、当面の間、これ以上は差し控えさせていただこうと思います。

ジョンキルさんと玄さんのコメントから、私には、またストンとくるものがありました。

夫と1対1の関係だけではなかなか見えてこない、あるいは納得するのが難しいことでも、こうしてアスペルガーの立場の方々からのお話を伺うとすごくわかることがあり、私にとって、とても貴重です。ジョンキルさん、玄さん、ありがとうございます。

パンダさん


>もし子供の頃に経験してきた家族のそのイメージをそのまま夫婦関係に
>持ち込んだとしたら、家族というのはもう何か努力するとかしないとか
>に関係なく「家族」で、多少ごたごたがあっても「続くこと」が当たり
>前だし、恋愛時代のように無理して相手に「他人モード(自分が苦手な
>人付き合いの仕方を、周囲に合わせて一生懸命まねして頑張る)」で
>接する必要が無く、「自分モード(自分にとって自然な振る舞い方を
>する)」で気楽にすればいいということに
>なります。


これを読んで、アスペの元夫はなぜ家の中であのような態度をとっていたのか、今さらですが
おぼろげに分かったような気がしました。
家の外での態度と、家での態度がまったく違っていたので、二重人格とさえ思っていたのです。

定型にとっての、自分が子どもの頃、家庭内でそうであったような感覚(素の自分でいる)で止まっているのでしょうね。家庭内でしたくもない努力をする気は最初からないと思っていたとしたら、と考えると謎がまた解けたような気持ちになりました。

家庭に求めるものが、お互いそもそも食い違っているのに、そこに気付かず結婚してしまった結果、双方に苦しみが生じるというのはもっともなことでしょう。
元夫にしてみれば、定型の求める夫役、父親役をする必要性をそもそも感じていなかったのだろうと思えば、納得できることがたくさんありました。

ありがとうございます。

のんさん

>家の外での態度と、家での態度がまったく違っていたので、二重人格とさえ思っていたのです。

 この感じ,よく分ります。「なんだ,あんたできるんじゃない。ということは私のことは冷たく無視しているわけだね?」と思ってしまうんですね。ほとんど疑いもなくそう思っていました。ですから,「それは親しい特別のひとだからそうするんだ」という理屈が出てきたときにはびっくりでしたし,頭ではそういう可能性もあるのかなあと想像もしてみながらも,感覚的には全然受け入れられない状態が続きました。今も完全になくなってはいませんね。

> 謎がまた解けたような気持ちになりました。

 もしそうなら嬉しいです。私も狭い経験や皆さんからいただいたコメントからの限られた知識から想像してみているに過ぎないので,それが共有されうるものだったり,お役に立つものであればうれしいです。いろんな方と共有できる足場が広がる感じもしますし。

パンダさん

どうも元夫の感覚を理解しようとするとき、
自分にとっての自然な感覚を無理矢理、ぎゅっとねじ曲げて頭で解釈しようとしている不自然さというものは、今もありますね。

元夫が、外の人に対して、それなりに礼儀をわきまえて接しているのをみると、自分は気をつかわれる価値がない、大切にする必要がない存在と思っているのかと感じてしまうんですよね。
もし、すべての人にそっけなかったら、そういう人と割り切ることが出来たかもしれませんが、二面性があることで?!と思ってしまっていました。

それが、親しい人だからそうするんだという理屈があると言われて、ああそうかと頭でわかっても、うれしくはないという。。
離婚したあと、他の人がみている場所で会ったときに、以前は外の人にしている態度(ちゃんと挨拶したり、会話するなど)をしてくれてうれしかったりして、離婚後の方がよほどいい人に感じられたものでした(苦笑

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