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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2012年2月10日 (金)

怨みをどうする?

joさんや他の皆さんのコメントを拝見したり、自分たち自身のことを考えたりしていて、最近改めてつくづく思い始めたことなのですが、人間って自分の内にたまった負の感情(怒りとか怨みとか憎しみとか……)を、やはりどこかで素直に表現することがとても大事なのではないでしょうか。

 このブログはどちらかというと「前向きに考える」という姿勢なんだと思います。だからコメントなんかでもそういう負の感情をストレートに表現しづらいところがあるでしょう。でも、たとえば配偶者の会「井戸端掲示板」などにはかなりストレートにみなさん自分の言葉で自分の苦しみや怒り、悲しみ、怨みなども書かれている。

 どっちがいいとか、そういうことを決めることにはあんまり意味はないと思うんだけど、でもどっちも同じくらい必要なんじゃないかと、そういう気がします。

 もちろん、負の感情をそれこそ「殺し合い」みたいな関係に発展させてしまうのは良くないと思います。でも逆に「前向き」の姿勢を必死で無理に続けて「自分を殺してしまう」ことになるのもそれと同じくらいよくないことでしょう。前向きの思いと負の思いと、その両方をうまく表現しながらお互いに生き延びていくことが大事なはず。

 
 カレン夫妻は「前向きに乗り越えてきた」お二人のように思えるけど、でも前に「井戸端掲示板」でも書いたみたいに、そのプロセスの中にはたとえばカレンさんが自分で記憶が無くなるくらいに思い切り自分の負の感情をカレンの夫さんにはき出すという経験があったんですね。そしてカレンの夫さんがそれを正面から受け止め、お二人の関係はどうもそこで大きく変わられている。

 かく言う私はカレン夫妻の後塵を拝していますが、最近そのお互いの「負の感情」が気になって仕方がないし、私の方はパートナーにぶつけたい気持ちが繰り返し湧いてくるんです。同時に彼女のそれも聞きたいし。

 もちろんその「ぶつけかた」は難しいわけですけれど、でも変にオブラートに包むのではなく、かといって怒りで我を忘れたり、絶望的な気持ちなるのでもなく、しかし正直に伝えることはできないものか。なんかそれができなければ、自分の中にオリのようにたまったものが、いつまでも自分を苦しめるような気がするし、結果としてそれはお互いの関係にとってもよくないような気がします。

 

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コメント

そもそも恨む気持ちもそうですが、怒りや悲しみなどの負の感情含め、全ての感情は自分自身の心が生み出しているものなので、それを相手にぶつける必要があるのだろうかと思いました。
プラスの感情を伝え、それを共有することは大切なことだし伝えてもらうのも嬉しいことなのでしょうが、マイナスの感情って自分以外の人間にただぶつけるだけならば不要にマイナスの感情を増やすように思います。
なぜ自分にマイナスの感情が生まれたのか?なぜ自分はそのように感じたのか?その部分にフォーカスせずにただ相手の言動に不満をぶつけたのでは負の連鎖になってしまうのではないでしょうか?

yukipom さん

 そこがとても難しいところですよね。

 マイナスの感情をただぶつけるのではなく、
 理解し合うために伝え合うことの大事さを感じています。

 でもマイナスの感情についてだから、
 当然マイナスの反応も生みやすいわけだし、
 話している自分自身もマイナスの感情に埋もれてしまいやすい。

 そこをそうならずに、「正直に伝える」
 というやり方を今私としては模索しているところです。
  

パンダさんのおっしゃることは、よくわかる気がします。きっと、それが定型的なのでしょうね。

逆にアスぺは、本人は理性では「相手に感情をぶつけないようにしよう」と考えているにも関わらず、実際には、負の感情(どうしたらいいかわからないことを強いられていることに対する不安感・不快感)を吐き出してしまって(パニック)、客観的には感情の石つぶてを相手に投げつけているようにしか見えない行為をしてしまいがちなんだな、と、井戸端掲示板の事例を見て思います。(振り返れば私自身もやらかしています。)

少し前に議論になっていたように、アスぺは、まず、結果としての全体幸福に注意が行きがちなので、ただ負の感情を聞かされると、「で、どうしたらいいわけ?」「何をして欲しいわけ?」という、典型的なリアクションをしてしまい、お互い「はぁあ~」となりそうな気がします。「本当はこうして欲しかったのに、このように言われたので傷ついた。」という風に、何が期待される行為だったのかについてのインフォメーションがあれば、アスぺには受け入れやすくなる可能性があると思います。・・・でも、実際にその場になると、「期待される行為」が、どうしても(アスぺ的に)不当な要求としか受け取れず、うまくいかないかもしれませんね。

 定型・非定型に限らず、ネガティブな感情をぶつけられる場合、ぶつけられる方に相当の精神的な余裕がないと、正面から受け止めるのは難しいのではないでしょうか。もしご自身の心のバランスをとるための感情の吐きだしがご必要ならば、定型の方らしく、奥さまの知らないところで定型どうしお話になられるのが一般的には無難なのかな、という気がいたしました。
 アスぺの側にはその選択肢がないので、定型の方からすると、自分ばっかりパニックになった相手からぶつけられて不公平だと思われるかもしれませんが、アスぺの側からすれば、他の選択肢のある定型の方が羨ましいです(だってアスぺにとって、他のアスぺの不満話について理解し解決策は提案できても、またアスぺ同士それを共感したとしても、自分だけではないと安心することさえあれ、それで癒されることはないですから)。

 もっとも、パンダさんの奥さまに、もう、パンダさんの正直なお気持ちを受け止められるだけの心のご準備が整っていらっしゃるのならば、また一つ先に進まれるのはよいことだと思います。どうかよいやり方が見つかりますように。

ジョンキルさん

 いろいろありがとうございます。
 なんか、ひとつひとつが考えさせられることばかりという感じで、
 ここでちょこっとだけ書いてすませるのがもったいなく感じます。
 かといって沢山書く余裕が今ちょっと無くてごめんなさいなのですが。

 それにしてもジョンキルさんの書かれること、
 驚くほどに定型の発想のポイントを突いていらっしゃったり、
 それに対応するアスペの考えや反応を捉まえていらっしゃったり、
 ほんとにすごいと思います。

 そんな風に色んな視点からお互いに対話を続けていくことができれば
 きっと今までにないものが生み出されていくだろうと思います。
 そういう対話だけですべてが解決するとは思いませんけれど、
 でも今まで解決できなかった大事な問題のいくつかが
 解決されていくように思うんです。

 私の方はそんな気持ちで応答させていただいていますので、
 できましたらこれからもどうぞよろしくお願いします。

 なお、マイナスの感情を語ることについては、
 幸い今のところ「今はマイナスの感情を伝えようとしているんだよ」
 ということをお互いに了解しながら話ができる感じがあって、
 ちょっとクッションを置いて話をしたり聞いたりできることがあるので、
 そういうときはまあいいですね。
 ときどき怪しくなることもありますけれど (^ ^;)ゞ

パンダさん、

定型との真の交流をあきらめてアスぺ同士の結婚に逃げ、自分はよくても子供ができたらその子を幸せにできないだろうという確信のもと子作りからも逃げ、日常会話が全く成立しない自分でも、本能的な社会に関わりたい欲望を満たすための手段として仕事を利用して生きて、本来の人間的交流とやらから逃げながらも、何とか生き延びている私は、何も語る資格はないように思います。

暖かいお言葉を、どうもありがとうございました。
受け入れていただけた経験は、私にとっては貴重なレアもののお宝なので、大切にしたいと思います。
時々寄らせていただければ幸いです。

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