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2012年1月 4日 (水)

愚痴の話

ヒロさん私の記事からこんなことを書かれています。

 「愚痴……!!!
 私には理解不能なものですね」

そうでした。思い出しました。

私ももうだいぶ前になるけど、あるアスペの方のブログを
紹介する中で、その方が職場で他の人たちが
「陰口」を平気で言うのをきいてとても苦しかった
ということを書いていらっしゃるのを紹介したことがありました。

本当は本人に注意すればいいものを
他の人に文句を言うのが愚痴とか陰口でしょうけれど、
なんで定型はそういうことをやるのか、
アスペの方からはわかりにくい(方が多い?)わけですよね?

そしてそういう愚痴とか陰口とかは
とても卑怯だとか汚いことに思える。
本人に対してはいい顔をしていたりする場合には
特にそうですよね。まるっきり嘘を言ってるわけですから。


ではなんでそんな「卑怯」なことを定型はするのかについて
私なりにちょっと考えてみたいと思います。
アスペの皆さんはどう感じられるでしょうか?
他の定型の皆さんはどう思われるでしょうか。


定型の場合、よく言えば人とのつながりを大事にします。
悪く言えば自立せずにとにかく群れたがります。

なぜかというと、よく言えば助け合えるからです。
悪く言えば数がいるほど有利だからです。

けれども人と人が距離を近く保とうとすると、
どうしてもお互いに合わないところや不満なところが
だんだんと見えてきてしまいます。

そういうときにどうするのかというと、
定型の場合「直接言うと角が立つ(相手を不快な気持ちにさせる)」
というふうに考えやすい。(特に日本ではそれが強力ですね)

だから、定型はいろんな形で「間接的に伝える」という方法を
工夫して、ショックを和らげる方法を模索してきました。

そうやってよく言えばできるだけ激しい対立を避ける、
悪く言えば適当に誤魔化すようにするわけです。

アスペの人が苦手と言われる「間接的な要求」とかもそうですね。
直接言うと「命令した」みたいになって上下関係のようになるので、
それをマイルドにして「相手が自分の意思でそうする」ように
「間接的」に要求して上下関係の命令みたいな感じを和らげるわけです。


愚痴もそういう、よく言えばはげしい対立を避けるための、
悪く言えば誤魔化してしまうための手段だと思います。

直接文句を相手に言うと相手と喧嘩になるかも知れない。
でも例えば相手が上司の場合とか、立場によっては
喧嘩できない場合があるし、喧嘩したくない場合もある。

そんなときには文句を言えずに不満がたまってしまいます。
そこで、第三者に愚痴を言うわけです。
第三者は当事者じゃないので、比較的冷静に聞けるし、
話にも共感してもらえるかも知れない。

定型の場合は共感してもらえたら、
それだけで問題は解決してないのにちょっとすっきりして
元気になったりすることがあるので、それでもOKです。

また、その愚痴がだんだん人から人へと拡がることもあります。
それはその愚痴の内容がみんなが納得できるような場合です。
そうすると同じ不満を持った人の集団ができるんですね。

そうやって集団ができるようになると、
相手が上司であっても数の力で対抗できたりすることもある。
で、上司がそのみんなの不満に気がつくと、
それを直してくれる場合もあるわけです。

結果的に激しい喧嘩とか対立がなくても
問題が解決することになります。

もちろんこれはうまくいったばあいのことで、
だいたいは愚痴をこぼしておしまいになることが多いでしょう。
でもそうやって定型はよくいえばお互いに支え合い、
悪く言えば裏でごまかして生きているんだと思います。


このあたり、他人とどうつながりを作って
生きていこうとするかについての
アスペと定型の違いをよく表す例になるかもしれません。


いろいろ勝手に想像しながら書いてみましたが、
みなさんはどう思われますでしょう。

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コメント

あけましておめでとうございます(*^-^)
私は、定型ですが、全くヒロさん派ですね。
パンダさんがずーっと書いてらっしゃる「定型の」愚痴をいう集団には
見覚えありますけども、私はは嫌悪感を感じます。嫌いですね~。
今回パンダさんが提起されたのはたんなる「愚痴」というより、「陰口」のイメージに
近いかなあ。。
彼の場合は、私より、集団のそういうドロドロした部分(?)を肯定というか、受け入れてました。むしろそういうのにストレスを感じる私に、
「みんなそうしてやってるんだから、Pもやりすごしなさい(`ε´)」というアドバイスが多かったですね~。彼は「社会になじみたい」と思ってるので、社会の多数派の論理は受け入れ上手(?)でした。自分がストレスを感じても、社会に合わせるというタイプ。
私はストレスを感じても、「どこでもやっていける」という定型の(?)自信があるせいで、多数派の論理には腹立たしく感じやすいです。
ちょっと甘えてるのかなあと反省すべきところです。
彼をスゴイなあと思うけど、そいういう自分の弱さに劣等感を感じます(^-^;

Pさん

 おめでとうございます。

 Pさんもヒロさん派なんですね。実を言うと私もどっちかというとそうなんです。
 あそこに書いた「定型の」愚痴を言う集団は、
 私にとっても苦手なあつまりの特徴を書いたものでした。

 というわけで、同じ定型と言ってもそういうのが好きな人もいれば
 苦手な人もいるわけですね。
 多数派は好きな人かも知れないけど。

 それで、もしかして、と思ったのは
 そういうのが苦手な人はパートナーにアスペの人を選びやすい
 ということがあるのかもしれないということでした。
 Pさんの彼もそういうのだいすきなわけじゃなくて、
 「外向きモード」で無理矢理合わせているわけですものね。
 「自分モード」ならそういうのは嫌なわけでしょう?

 少なくとも私の場合は、そういう愚痴かあるいは陰口の方が
 いいかもしれないけれど、そういうのが感じられない
 さっぱりした感じはパートナーの持つ大事な魅力の一つでした。

彼の場合も、裏表のない人のほうが好きみたいでした。
たぶん、自分の気づかない間に裏で「嫌われてる」っていう状態が怖いのかな・・?
けど、建て前の利点もあるようで、
裏表なし(⇒私)な人にはっきりキツイことを言われると、すごくショックのように見受けられました(゚ー゚)(こっちのほうがいつもキツイこと言われてるのに(笑))
彼は陰口はいわなかったけれど、愚痴っぽいタイプではあったので、さっぱりとした性格ではなかったです。
私にとっては裏表なく、なんでもみせてくれることは楽しかったから、その点は魅力でした。

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