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アスペルガーと定型を共に生きる

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2012年1月27日 (金)

「無償の愛」への「見返り」

 このところいただいているコメントで、以前とすごく違うと実感するのはアスペルガー当事者の方からのご意見がすごく増えたと言うことです。なにしろ私は定型発達者という部類の人間らしいので、アスペの方の考え方や感じ方をいろいろ想像してみても、的外れになることが多くて、それを当事者の方から指摘していただけるというのは本当に有難いことだと思います。

 今朝もパートナーと話していて、「え?なんでそんな風に考えるの?」とびっくりすることがあって、朝の忙しい時間帯ですから、ゆっくり話しも出来なかったんですが、うちでもそう言うことの連続です。そこを少しずつ話し合って理解できるところは理解し合い、あるいは少しでも近づき合う、と言う作業を繰り返すしかないですね。ま、ある意味ではこれは定型同士の夫婦でも同じ事なのかも知れません。話し合う中味の質は異なっていたとしても。

 
 ところで前に「『必要』ということ」という記事の中でもご紹介した繭さんからいただいたコメントの文章

「ええと、「自分が夫をどれだけ幸せに出来たか」ではなくて、「夫はどれだけ幸せと感じているのか」なのです。」

 について、また考えたりしているのですが、なぜ自分が「相手をどれだけ幸せにできたか」にこだわってしまうのか、ということです。言ってみればそれは「無償の愛」ではないんですね。自分が相手の人に何かをしたことに対して、相手の人が「幸せになった(ということを何らかの形で感じさせてくれる)」という「見返り」を求めているわけです。

 そういえば昔中学生の頃か何か、武者小路実篤だったか誰だったか忘れましたが (^ ^;)ゞ 「愛は惜しみなく与う」とかいう言葉を聞きました。本当の愛は見返りを期待するのではなく、ただ愛することだという話だと思うんですが、本当に彼が生活全部の中でそれを貫けていたかというと、そんなはずはないと思ってしまいます。そんなの人間技じゃないと思うんですね。

 繭さんも私が繭さんの言葉を無償の愛のような意味で受け取ったことについて、それはそうじゃなくて、むしろ「利己と利己」の関係という感じなんだと訂正して下さいましたけど、そのことの意味って大きいと思います。

 「博愛」というものだって、きっとそれによって自分が何かを達成している、という「達成感」がその「見返り」としてあるんだと思います。そう、その「達成感」があるかないか、それがきっと大きい。

 定型が(あるいは私が?)「相手の人が幸せになることに自分が関われることがとても嬉しい」と感じ、そこに自分自身の価値を感じたりするのも、そういう「達成感」に関わることなんだと思います。だから、「実際にその人が幸せになっていそうかどうか」という「結果」がやっぱり気になる。「ありがとう」の一言はその「結果」なわけだし、笑顔になる、でもいいんです。うれしそうにしてくれればそれで満足する。

 ところがそういうはっきりした「結果」を相手から感じられないとき、読み取れないとき、すごく中途半端な気持ちになる。なんかこちらからのやりとりが相手で中断してしまったような、不安定な状態です。

 アスペの方はそういう「結果」とか「見返り」とかを求めないと言うことなんでしょうか。なんかそこがわかんなくなってきました。
 

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