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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2012年1月16日 (月)

結婚の意味のズレ

これまでに書いた記事にも少しずつ触れてきていると思いますけれど、アスペと定型で、「結婚生活」に求めるものがすごくずれているのではないか、という結構深刻な問題があると思います。そのことを昨日の話の続きで考えてみようかなと思います。

どういうことかというと、やっぱり「共感的な関係」の求め方のズレですね。定型の方はパートナーと感情的な交流を求めたいという思いが強い。それはたとえば世間話を共有したいとか、辛いときや嬉しいときやその時々の思いを共有したいとか、スキンシップで心のやすらぎを共有したいとか、色んな事があると思うんだけれど、そういう思いが強い。

じゃあアスペの方はというと、それが全然ないとは言えないかも知れません。でも少なくともその求め方は随分違うような気がするし、その「強さ」も全然違うと思えるんですね。

だから、定型でも特に(定型的な)共感的関係を求める傾向が強い人ほど、そのギャップに苦しむことになります。このブログでも「砂漠に水を撒くような感覚」とか、いくつかの言葉で表現してきたみたいに、自分から相手に向けた共感を求める気持ちに何の見返りもなく、まるでブラックホールのように自分のそのエネルギーがただ吸い込まれてしまうように感じたりする。鬱になるひとつの原因なのかなと思います。

それで、定型的な感覚でそのことを普通に考えると、要するに相手が自分に興味がないんだとか、自分を無視しているんだとか、拒絶しているんだとか、そんな風に感じて苦しむわけですよね。少なくとも私の場合はそれが強かった。だからそれがたまっていくと、「もう一緒に暮らしている意味はない」という思いに駆られるようになってくるし、離婚を考える原因の一つにもなります。

ところが以前にも書きましたけれど、パートナーの説明を聞いてほんとに驚いたのは、彼女の方はその状態でも結婚をしていることに十分に意味があると考えていたことでした。だから私が離婚の気持ちをほのめかしたり、あるいはかなり離婚に近い言葉を語り始めたときにも、結婚の継続と言うことについてはそれほど危機感を持っていなかったのです。あとで聞いてこれもびっくりでしたし、ある意味で私の独り相撲とも言えたわけで、そのショックも大きかった。

なんでアスペの人にとってそれで「十分な意味がある」のかと言えば、これも前に書いたように、パートナーが説明してくれることで言えば、「自分にとっては他人と一緒に暮らすと言うことはものすごく大変なことで、普通は受け入れられないことなのに、それを一緒に暮らしていられるということは、そこまで相手を受け入れているということで、それはものすごい特別待遇なんだ」という話です。だから彼女にとってはそれだけでも私は他の人とは全く違う扱いをしている特別な人間なんですね。

で、私にとっては上に書いたような共感的な関係が拒絶されるように感じるから、「これじゃあ赤の他人と一緒じゃない」と思ってしまう。もう、感じ方の強烈なズレですね。


そこで昨日の話とのつながりなんですけれど、ジョンキルさんの話だと(そしてそれを読んだ私のパートナーも賛成していましたが)、アスペの場合、感動はまずは自分の中でじっくりと味わい尽くしたい。それを邪魔されるのはいやなんですね。

ただ自分が一人である程度時間をかけて味わい尽くした後に、それについて話をすることはできる。「韓流ドラマを一緒に見る」に書いたことで言えば、ドラマを見た後にはそれなりに話ができます。(見ている時でも彼女から簡単な質問が入る程度のことは有りますが)けれども、それほどものすごく盛り上がるという訳でもないし、その意味では以前の私なら物足りなさを感じていただろうと思います。

でも、こう考えてみたんです。そこで彼女にとってまず一番に大事なことは、それを「私と見る」という状態を共有することなのかなと。ジョンキルさんにとっても多分美しい景色を友達と「一緒に見る」こと自体は大丈夫なのでしょう。邪魔されない限りは。さらに夫さんとそれをすることは「大事なこと」になるのかもしれません。少なくとも私のパートナーはその私の意見に「そうかもしれない」と言っていました。

上に書いたように、私のパートナーにとっては結婚というのはまず「一緒に生活をすること」そのもののようです。何かを共感しあえるような関係を求めていると言うよりも、「しっかりと生活を共有する」ことが何よりも大事なことのように感じます。だからパートナーはそういうことが一緒にできる特別な人間として、私を求めていると言うことになるのかも知れません。

そういう風に考えてみると、「共感的な関係を一切拒絶され、果ては自分という人間を拒絶されている。彼女にとって自分という人間は意味がない」と感じていた頃とは違い、自分は彼女なりの仕方で必要とされている人間なのかなあという気がしてきます。もちろんそこには「私はこういう風に彼女から必要とされたい」と感じていることとの間にやっぱりズレが有るわけですから、問題がなくなってハッピーハッピーというわけにはいかないのですが、「何も意味がない」と感じてしまう状態よりはよほど楽になるのは確かです。

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コメント

はじめましてyukipomといいます。
1年半ほど前にアスペルガー症候群の診断を受けました。
私事なのですが先月に定型の夫に離婚を申し出られて
恥ずかしながら申し出をきっかけに、アスペの妻を持つ夫の気持ちを知りたいと
ネット検索の末たどり着きました。
そして、離婚を申し出られたことに対して少し理解できました。
自分がアスペルガー症候群である診断を受けたことは自分だけの問題じゃなかったのだなぁと思いました。
今までは自分自身がアスペであることに対してどう対応するかと考えていたのですが
とても独りよがりだったことに気がつけたのでありがたく思っています。
今の状態で一緒にいることで主人にとても迷惑がかかっているのは
自分も嫌だなぁと思ったので、受け入れる覚悟が出来たように思います。
「一緒にいて労働が増えることより、労働が増えても別れる方が楽」といわれた意味が多少なり理解できたことは自分としても、よかったのかなと思います。

パンダさんご夫婦は互いに理解しようと歩み寄られている姿勢が
すごく素敵だなぁと思いました。
これからもブログの更新を楽しみにしています。

yukipomさん

 コメントをありがとうございます。
 これからもよろしくお願いします。

 いろいろ考えられた末の結論でしょうから
 具体的なことを何も知らない私が
 どうのこうの言うべきではないのだと思います。

 ただ、寂しい思いがしたのは事実です。
 もしお相手の方がアスペルガーのことをご存じだとすれば。

 これからどうなるにせよ、この経験をマイナスにせずに、
 自分らしい次の生き方にしっかりつなげることができればと
 そんなことを願う気持ちがします。

 また何か考えられたこと、書きたいことができましたら、
 どうぞコメントをお寄せ下さいね。
 他の皆さんにもいろいろ参考にさせていただけると思います。
 

なるほど、パンダさんにとって、アスぺの奥さまの作り出す人間関係は、「自分に興味を持たれていない・無視されている・拒絶されている」と感じられるのですね。だから、「もう一緒に暮らしている意味はない」と思われる。お気を悪くされたら恐縮なのですが、よく言われる、熟年離婚の妻に、少し似ていらっしゃるような気がします。

私は、今の夫に会った時、自分と同じ疎外感をずっと感じながら生きてきた人に初めて会った、そして多分最後の人だと思いました。でも、結婚は嫌でした(それまで私の恋愛対象は、常に自分の欠点をカバーしてくれそうな人ばかりでした)。何より、今の夫とは、どうしても子供を育てていくことが考えられなかったからです(当時、アスぺの知識はなかったのですが、本能的にそう思ったのですね。そして、それは正解だったと今でも思います。)。

それなのに結婚に踏み切ったきっかけは、彼が仕事で海外に行くことになったことでした。それは、当時、治安がよくないと言われていた場所でした。「もしこの人が傷ついたり死んだりしら、その連絡は、彼の年老いたご両親に行くんだな。なんか残酷だな。私に最初に知らせてもらえればその方がいいな。」と考えたのです。そしてその数日後、役所に婚姻届を出しました。私は、結婚とは、社会的に連帯責任者を明確に定義するための制度だと考えています。

定型の方は、一緒にいることで共感しあう関係を作っていけることこそが、結婚の意味だと思われるのだなあ、と、改めて少し驚き、というか感動しました。私は、同じ価値観なので邪魔にならない人が、いざという時に役立てる距離にいることこそが、結婚の意味だと、今も思っています。

夫に不満があるとすれば、苦手なことが似ているので、私がいざ助けを求めたくなる時に、彼は私以上にパニックになっていることですね。・・・あれ、これって、定型の女性がアスぺの男性に抱きがちな不満によく似ていますね(苦笑)。

ジョンキルさんのお話、とてもよく分かることばかりです。

感動の味わい方は、定型の方も映画や音楽などの場合は、まず見たり聞いたりすることに徹して、それから話し合いますよね。同時処理が可能なチャンネル数の違いなのかなと思いました。その後の寝かせ時間もその分だけ掛かるのかなと(^ ^)

私は友人たちとはジョンキルさんご夫妻のような感動の共有の仕方をしていたので、夫の求めている共有が全然分からず、「なんでこんなに色々と訊いてきて、うっとおしいことを求めるのだろう?」と思ったこともありました…(^ ^;

パンダさんが折に触れて書かれている、「自分は必要とされているのか?」というのも夫に言われて、なんだかよく分かりませんでした。
私は夫に満足していればそれで充分で、必要とかそういう役割的なものは、一緒にいる上で分担し合うことはあっても、それが目的になることはありません。「貴方がいないと生きて行けない」と言われたら、私はその人から離れようと考えますし、実際そうして来ました。
どんな底地にいようが、自分を幸せにする努力をする人が好きなのです。「貴方といると、人生が充実する」と言われたいし、言いたいです(^ ^)

私も全く同じでした。
赤の他人扱いされている苦しみで
一時心まで病んでしまいました。
もっと早くここを見つけていれたら、という気持ちでいっぱいです。

えっと、お名前がなかったので、6月10日の19時31分に投稿された方へ

 そうでしたか。やっぱり同じ思いで苦しまれている方が結構いらっしゃるわけですよね。
 その後どう展開されたのかは分かりませんが、
 何かこの場がお役に立てばと思いますし、またご自分のご経験などを
 ご紹介いただければ、他の方にも参考になると思います。

 またどうぞよろしくお願いします。

お返事頂いてたんですね。失礼しました。

私の場合はそれをきっかけにして気付きました。
自分が普通じゃないレベルで相手との繋がりを強く求める人間だということに。
それはパートナーとの間でのみ問題になるわけではなく
全ての場面で自分が苦しんで生きる原因だと気付きました。

人と自分の違いを徹底的に認め
単なる違いであって受け入れられていないとか嫌われているとか思わなくなりました。
更には例え嫌われていたとしても苦しくはなくなりました。

アスペと言われる人との違いさえも受け入れることが出来た今
定型(?っていうんですかね)の人たちとの違いなど
無いに等しいものになって非常に楽になりました。

結局全ては自分の側の問題だったということです。

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