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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2012年1月 8日 (日)

溝はどう埋まる?

 パートナーと話し合っていると、以前ならとても落ち込んでいた彼女の言動が「ああ、アスペ的だなあ」と、ある程度余裕を持ってうけとめられる、という変化は今はかなり普通になっています。

 もちろん、どうしてそういう言動の仕方になるのか、ということについては中々理解できない場合も多いのですし、程度は随分楽になってもやはり寂しかったり、悲しかったり、傷ついたり、ということが全然なくなるわけではないんですね。

 たとえば、ある知り合いの方からメールを頂いて、その内容がとても勇気づけられるものだったんです。それで、パートナーにも良かったら読んでみて、というと、読んでくれました。で、読んでくれたんですが、それで終わりでそれ以上の反応はないんです。やっぱりアスペ的だなあと私はそのとき思いました。

 時間が経ってから聞いてみたんですけれど、そのメールで私が勇気づけられただろうなと言うのは、それはまあ分かったそうです。もちろん私が勇気づけられたことはプラスのことで、否定的なことではありません。でもだからといって、そこで何か私に声を掛けたくなるとか、かけないといけない気持ちになるとか、そういうことはないようなんです。

 そこで私は「多くの定型の人の場合、そういうときは『よかったね』と声を掛けてもらえると、すごく嬉しくなると思う」と言ってみたんですが、彼女は「『よかったね』と言って、それで終わりであと話が続かないでしょう」と真面目に言ってました。「よかったね」という言葉かけにあんまり意味がないと感じて居るみたいです。

 それに対する私の説明はこんな感じでした。「たしかにそれで終わりになるかも知れないけど、でもそれで十分なんだと思う。だって、『よかった』という気持ちを共有したいと思って居るわけだから、そういわれたら、その共有の感じが得られるから、それでいいんだけど」

 もし彼女にお願いすれば、そう言う場合にはとりあえず「よかったね」と言ってくれる「習慣」を身につけてくれるかも知れません。でも、それはなにか気持ちがこもっていない単なる「ことば」に終わってしまうのではないかという気もするんですね。自発的に言いたくて言うのではなくて、言わされて言っているようなものですから。

 それとも仮にそんなに強い気持ちがこもってなくても、私の方はそれなりにうれしくなって、それでまあ少しうれしくなるのかもしれません。そこは実際よくわかりません。それに、「言わされる」方だって、負担感を感じるようだと悪いなと思うし、そこもよくわからない。

 「外向きモード」で世の中に無理に合わせて頑張ってやっているような形で私に対してくれれば、そう言う問題のいくつかは「解決」するでしょう。でもそれはあくまで「外向き」に無理してやっていることだから、「自分モード」のパートナーとつきあっていることではなくなってしまいます。言ってみれば他人とやりとりしているようなもの。

 でも本来の彼女の姿である「自分モード」につきあっていると、どうしても大なり小なり満たされないものが生み出され続けてしまう。

 そのところ、どうやって埋め合わせていけるのか、あるいは埋め合わせは無理で、何か考え方を変え、付き合い方を変えていかなければならないのか、それともまた全然違う「解決法」がありうるのか。むつかしいところです。

 

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コメント

自分にとって嬉しいできごとを、報告したら、相手の反応があまりに薄くて、
「え?!」って思うことありましたよ(*^-^)またもやあるある・・(笑)
定型だと、本当にそう思っているかはともかく、
いいこと報告⇒「よかったね」と共有してる風な反応が普通なので、
びっくりしますよね。
改善案として、次のようなことをしてみてはどうでしょうか?

今回、パンダさんは、「『よかったね』と声を掛けてもらえると、すごく嬉しくなると思う」といわれたわけですが、「僕がいいことを報告したら、よかったね~って言ってくれたら、すごく嬉しい!だから、そう言ってくれない?」とお願いしてみてはどうでしょうか。
お願いというか、「定型だとこうだよ」っていう言い方じゃなくて、「僕はこうしてほしい」
という風に表現を変えるわけです。アスペの人は言語表現をそのまま受け取りますので、
どう伝えるかはすごく重要です。

そのあとで、「一回やってみてね」とかいって、ロールプレイングみたいにして、
パートナーさんが「よかったねー」ってやってくれたら、ちょっと大げさに、「うれしい!!ありがとうー。幸せな気持ちになったよ」っていってみるんです。
それで、その後また同じような出来事があって、「よかったね」ってパートナーさんがいってくれたら、パンダさんは「うれしい!ありがとうヽ(´▽`)/」っていうんです。

私が彼と接したときに、最初の頃は、傷ついたりしたことがあったら、「あのときのあの言動は、私だったらこういう風にに感じるんだけど、あなたはそういう風に思って言ったの?」
って結構相手の気持ちを確認してたんです。
そうしたら、彼はその後は、少なくともそこでフィードバックした言動に関しては、気をつけてくれました。まあ、そのあとも、ズレはたくさーんでてきて、丁寧に確認できなくなってきちゃうんですけど(^-^;それで仲悪くなっちゃう・・(笑)

これは、「こういう言い方は、私は傷つくよ」バージョンですが、これよりももっと簡単なのが、「こういう言い方は、私はうれしい」というフィードバックでした。これは、嬉しいことをしてもらったときに(だいたい定型の人より上手くはないんですが(笑))、きちんと言葉で「今のうれしい!ありがとう」というんです。
そしたら、彼はそれをかなーり重視してくれて、なんどもその行動をしたり、他の人にも相手が喜ぶようなその行動をやったりしていました。そういうところで彼の優しいところがよく見えました(。・w・。 )

その人の性格によるところはありますが、アスペの人も「人に喜んでもらえる行動をしたい」とは思ってます。ただどういうのが「喜んでもらえる行動か」の学習は、定型の人だったら相手の笑顔をみてできますが、アスペの人はそれが難しいから、学習する機会自体が少ないんです。きっと。
パートナーさんも、パンダさんの喜ぶことを自分ができたとフィードバックを受ければ、嬉しいはずです。ただ、それを「定型にあわせるために」とか、「共有すること自体が目的」だとどうしても気が進まないのではないでしょうか。

パンダさんにこのコメントを書いて思い出したのですが、彼とうまく関係をつなげられているときは、だいたいこちらがちょっと大げさなくらいにこちらの気持ちを表現しているときで(
(゚ー゚; ちょっと恥ずかしいな~と思ってました。アスペの人は、読み取りも下手ですが、じぶんからの発信も下手な気がします。私の場合は、彼と直接話してると、彼の言ってることや反応、こちらの話をわかってくれたかはよくわかりますが、電話やメールでは、彼の気持ちはよくわからないことが多いです。
パートナーさんも、口ではこういってるけど、自分の気持ちが表現できていない(しかもうまく表現できていないという自覚もない)という可能性は高いのではないでしょうか?

「よかったね」と言うのは奥さんには負担になりそうな気がするなぁ。
「パンダはうれしかったので、そのことを伝えたくて私にこのメールを見せたんだね」はどうかしら?
パンダさんとしては、これでは嬉しくない? 奥さんはこれも負担かしら?

>Pさん
Pさんのパートナーさんは、Pさんの要望もちゃんと聞いて学習してくれる人なのですね。いいですね。

定型同士でも、「こうしてくれたら相手が喜んだ」というデータの蓄積って大事ですよね。そのためにも「これをしてくれた時嬉しかった」と伝えることも大事。定型と非定型のカップルだと、その伝え方の工夫が必要になるということなのかな? 

私は直接話すと、事務連絡すら通じないことがありました。メールでごく完結にしても日程調整すら出来ないくらい深刻でした。私の場合は、この困難を越える工夫をするだけの意味を見いだせずに離婚にいたりました。

KSさん

ごぶさたです~。
パンダさんて、ブログ読んでると、けっこう「気がきく」タイプじゃないかと思うんです。
思いやりもあるし、言わなくても相手の気持ちを汲んであげられる、みたいな。
私もわりと、相手の気持ちを察しやすいタイプで、そういう人って、逆に「自分も(言わずに)察してほしい」という気持ちが大きいんじゃないかな、と思ったんです。
それに、自分の気持ちを伝えるのも苦手なんじゃないかって・・(パンダさんすみません)
アスペの人とちがって、「できない」ではなくて「やらない」。自分の欲求をつい我慢しちゃうとか。
私がそーなんで(゚ー゚) 彼に出会って気づきましたが(笑)

でも、パンダさんのパートナーさんは、きっとパンダさんの察してくれるところが(も?)好きなんでしょう(*^-^)だからうまくやれる部分も大きいのでは。

あと、アスペの人は、自分の発言が相手にどう影響するかを推測せずに喋るので、
「負担」って相手にいうときの意味合いが結構軽いような印象です。
定型だったら、「相手が気を害するかもしれないけど、いいたい!」って重みですが、
アスペの人だと、思ったまま言ってるだけなので、こちらが気にするほどの重みがない
場合が多いような・・。これは個人差あるでしょうけど・・。

アスペの人との関係に限らず、夫婦や友人関係でも思いやりは大切ですが、「相手の負担になるかな?」「傷つけるかな?」って気にする度合いが大きくなると、その関係自体がストレスになるような気もして・・これは難しいところですっ(^-^;

彼は要望を聞いてくれる良い人ですが、私は要望べたなので、まさに「負担かな」と遠慮しすぎてよくなかった思います。
アスペと定型のカップルだと、定型同士よりコミュニケーションの工夫がいるというのは、
まさにそうでしょうね。

>私は直接話すと、事務連絡すら通じないことがありました。メールでごく完結にしても
>日程調整すら出来ないくらい深刻でした

それは大変ですね(゚ー゚; KSさんの元パートナーさんのアスペの度合い(?)が高かったのかもしれないし、ストレスが高まるとコミュニケーションが余計うまくいかなる(アスペの特徴がより出てくる)のかもですね。関係が悪くなるときってこっちもストレスを感じますが、相手もストレスフルなんだと思います(笑)

>私の場合は、この困難を越える工夫をするだけの意味を見いだせずに離婚にいたりまし>た。
なんだかんだで、「自分が工夫したいのか」というところが一番大事ですよね~(゚ー゚)
妙に納得しました。でもこうやってブログみたりしてアスペルガーの理解を深める行動にでてらっしゃるのは、十分工夫されてると思います。
周りの離婚経験者に話をきくと、離婚は納得の場合が多いです。離婚はパワー要るみたいなので、やっぱりそれに見合っただけの、理由があるのだと思います。

>Pさん
これはパンダさんが答えることかもしれないけど、以前、パンダさんの奥さんがパンダさんが喜ぶようなフレーズを言って、それに対してパンダさんが「そういう風に言ってくれると嬉しい」というようなことを言ったら、「そういう風に言われると負担」と言ったというようなことが書かれていたので、私が言った「負担」というのはそんな意味です。

「『よかったね』と言ってくれるとうれしい」と言われても、それを常にタイムリーに出せるかどうかと考えると負担になっちゃう・・・みたいな。

なので、私は、奥さんが、パンダさんの言葉に「コメントつける」みたいな感じで、主語を「私(パンダ妻)」にして返すと良いかもぉと思ったの。「私はパンダがこのメールを見せてくれたのは、パンダがこのメールを読んで嬉しいと思ったからだと思うよ」みたいな感じで。

「型」を学び合うのはいいことだと思うけど、「型」にあった対応をしてる方は「芝居」(こういえば相手が喜ぶから言う)というような、感じになっちゃうかもなぁとも思うのね。たとえば、定型は「お疲れさま」と言わない方がラクという非定型の文化(全員じゃないかもしれないけど)に合わせてると、なんか殺伐とした気分になっちゃったりすると思うし。職場で定型の鬱が増えそう。

ま、私、当事者じゃないので、よく分からないけど。

で、個人的には、定型と非定型の「型」を学びつつも「2人の型」ってのを作ってくのが良いんじゃないかなぁと思います。まずは、「パンダ×パンダ妻」の型を。そして、それがどの程度普遍性を持つのか、どの程度の汎用性を持つのか、定型側のタイプ、非定型側のタイプの組み合わせが同じなら通用するのか・・・など、いろいろなカップルに試してもらってはいかがかと。

「よかったね」の後が続かないから、「よかったね」と言いたくない気持ち、私にはすごくわかります。

もし私だったら、例えば仕事上のお客さんとか、あまり頻繁には会わない人に同じことを言われたら、話を合わせるのが礼儀だと考えて「よかったですねー。」と言うと思うのですが、いつも一緒にいる相手だとつらいな、と思います。

なぜなら、ある程度近い相手の場合、 共感してもらったと思ってうれしくなって、更に深い共感を要求する会話が始まってしまうことが多いからです。その場合、こちらは、「相手はこういうことをうれしいと思うんだ」という理解に基づいて、相手に喜んで「もらえるよう話を合わせているだけで、自分の内側からわいてきた感情ではないので、用意したセリフが尽きた時点でその先はもう真っ白です。

しかし、「この人と共感できた!この話なら続くんだ!うれしい!!」と思った相手は私の「もうネタ切れなの、許して」という気持ちには気づくことなくどんどん話をすすめていってしまわれたりするのです。たたみかけられる会話のリズムに追い詰められた私は、仕方なく自分の言葉を口に出さざるを得なくなります。すると・・・突然、相手が凍りついてしまったりするわけです。相手の心の中に、「裏切られた」というような、とても強いネガティブな感情が湧いてくるのを見つめながら、私も凍りついたままパニックに。。。 

これなら、最初から共感的な返答をしないで、「返事もしてくれない変な人」という不快感で終わらせる方が結果的に数段ましだったりするわけです。

「そういう時はよかったねって言ってほしい。それだけで十分。」とあらかじめ知らせてもらえれば、コミュニケーションの上で本当に安心できて、楽になれるって私だったらうれしく思います。
ただし、お願いです。どうか、将来、「なんかいつも同じセリフで、心がこもってないんだよなー。」等とおっしゃられることがありませんように。もし私だったら、「こんなにいつもあなたを喜ばせるように努力してきたのに」というがっかりと、「結局、私は、相手を喜ばせることなんてできないダメ人間なんだ」という自己嫌悪に落ち込んでしまうことでしょう。

Pさん KSさん ジョンキルさん

 いろいろとご意見をありがとうございました。
 Pさんの「パートナーさんも、パンダさんの喜ぶことを自分ができたとフィードバックを受ければ、嬉しいはずです。」は、パートナーに聞いてみたらそうだと言っていました。ただ、毎回「嬉しい」と言うのはしんどいそうです。ま、それはそうかもね。

 KSさんの「パンダはうれしかったので、そのことを伝えたくて私にこのメールを見せたんだね」はちょっと長いのでもうひとつのようです(我が儘で済みません (^ ^;)ゞ)。なんか工夫させていただきますと言ってました。

 ジョンキルさんの共感のコメントは、パートナーも共感して読んでいました。なるほど、そういう展開を何度か経験してきて居るんだなあと私も勉強になりました。「変な人」で振る舞う方が数段まし、というのがすごくリアリティ有りました。

 結論として私がどう振る舞ったらいいのかはまだよくわかりませんが、なんだか持ちネタが増えたというか、ヴァリエーションが豊かになったというか、そういう感覚があります。こういうのいいですね。ありがとうございます。

>パンダさん
いえいえ、試行錯誤ですし。こうやって、色々試して行くうちにいい形が見つかるといいですね。

歩み寄り案になるのか分かりませんが、
「嬉しいメールが来たんだよ」と言って見せて貰えると、嬉しいことなんだなということに集中出来るので、私の場合は反応し易いです。

突然説明なしで「このメール見てみて」と言われると、私もどう反応したらよいのか困る時があります。やはり感覚の違いがあるので、ちゃんと取りこぼしなく読み取れているという確信が持てないのです。でも、相手が反応を期待しているのも分かるので、感じたままを口にするのも憚られます。

夫にこの話をしてみたら、「共感して欲しい時に、自分から『嬉しい』と先に言ってしまうのは抵抗がある」とのことでしたので、どうかなと思いつつ書いて見ました。
夫は「パンダさんの気持ちは分かるなぁ…」と言っていました。夫が喜ぶようなことは私も嬉しい!と思っているのですが、やっぱりズレはあるのだろうと思います。

KSさん

 ほんとに試行錯誤ですね。ま、人生そういうものか……とか言ってみたりして (^ ^;)ゞ

繭さん

 「「嬉しいメールが来たんだよ」と言って見せて貰えると、嬉しいことなんだなということに集中出来るので、私の場合は反応し易いです。」

 これ、なるほどなあと思いました。定型的(私的?)には、予めそういいながら見せる、というのはなんか「評価を押しつけている」ような気持ちになったり、「そんなこと言わなくても分かってもらえる」という気持ちがあったりして、半ば無意識にそういうのは言わないようにしていたんだと思います。

 でももうちょっと考えてみると、たとえば定型は内容に限らず相手の表情で「あ、これはうれしいんだな」と予め予想とたてて読んだりしているわけですから、その表情のかわりに「嬉しいメールが来た」と言っても別におかしなことはないわけですね……

 もうちょっと考えてみたいです。

 ところで、夫さんに「分かるなぁ」と言ってもらえてとても嬉しかったです (^_^)

アスペルガーの方は表情を読むのが苦手だと聞きますから、「嬉しいメールが来たんだよ」と口頭で伝えるのは、耳が悪い方にTVで「字幕」つけてさしあげるのと同じかもね。あるいは目が悪い方へのTVの音声サービスで会話や音だけでは伝わらない部分について場面の説明をしてさしあげたりするのとも。

お久しぶりです。年末~上の子の成人式関連まで家族のイベントが続き、なかなかPCを開ける時間がありませんでした。

2週間余り、子どもたちや親族との時間も含めて、ほぼずっと夫と行動を共にしたことになるのですが、なんと平和な楽しい日々だったことかと、以前の喧嘩三昧だった頃のことを思い出しながら、そのギャップの大きさに驚いています。

夫とアスペルガー&定型の違いを共有できていることに加え、子どもたちが大きくなって、私が夫と子どもたちの間に立って調整(これが昔は喧嘩のタネになったりもしていたわけですが)する必要がなくなったこと、それどころか、時には子どもたちがバイリンガル的存在として瞬時に夫と私のズレを調整してくれるようなことも起こり始めたこと・・・こんなことが、今の穏やかな生活につながっているのだと思います。

上記の、「場合によっては、子どもたちがバイリンガル的役割を果たしていることがある」ことに気づいたのは、ほんの数日前のことなのですが、これは私にとって、とても嬉しい発見でした。

夫と私の間には、まだまだ溝がありますが(本当に!)、その溝を見つけることや、それにどう対処していくかを考えることが、自分の人生において不可欠なものであり面白いものであるような気が、あらためてしています。

KSさん

 なるほど。たとえがとてもわかりやすかったです。なるほど。

カレンさん

 子どもがバイリンガルになってる、って言う話、
 うちもそうです。もちろん完全ではありません。定型の枠内ではあるけど、
 でも普通の定型の人と比べればもうバイリンガルにも見えることがある。

 だから、この子どもの力って、上手に使うことができれば
 何かいいことが起こるかも知れませんね。

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