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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2011年12月23日 (金)

スキンシップ

久しぶりに二日連続です。

本の原稿書きの方はパートナーに「長すぎる」とか「くどすぎる」などと指摘されて、
少しずつ修正しながらぼちぼち作業しています。

なんというか、ある意味気持ちいいくらいにいらない単語とか文章とか節とか、
スパッスパッと切り落としてくれます。
そのあたり、(日本的)定型の人の「遠慮してマイルドに」という感じはなくて、
逆に言えばまどろっこしくなくて、さばさばした感じなんですよね。

無駄を極限までこそぎ落として、本当に大事な部分だけを残す。
俳句とか侘び寂びの世界みたいですけど、なかなか難しいです。


ところで今日も「スキンシップ」の話をしてたんですけれど、
定型の場合はたとえばしんどいときとか、悲しいときとか、
背中をさすってもらったり抱きしめてもらったりというスキンシップは
心を安らがせてもらえる大事なものですよね。

でもパートナーにとっては原則としてはそういうことにならない。
なんでなんだろうというはなしなんですが、
人に触れられると緊張するということのようです。
緊張ってどういう事かというと、常に相手の次の行動が気になって
皮膚に意識が行き、身構え続ける状態になる、というようなことらしい。
それで特に長い時間の接触は疲れてしまうようです。

だから、自分の方も相手に身を委ねてホッとする、
という感じはまずないようなんです。

接触が全部ダメというわけでもなくて、
たとえばパートナーの場合は猫はしばしば抱いてます。
なぜてごろごろ言わせて安らいでる感じがする。
じゃあ赤ん坊はどうかと聞くと、赤ん坊でも同じように
泣いている赤ん坊を抱きしめて泣きやませてあげたりとかは問題ないという。

じゃあ要するに自分がコントロールできる範囲なら
安心してスキンシップできて、それができない相手だと
緊張してしまうんだろうかと聞いてみたんですが、
そう単純な話でもないらしい。

赤ん坊を抱いて泣きやませる事についても、
どうも何かが違うらしくて、私はすっかり忘れていたんですが、
子どもが小さいときに、よく「それじゃあだめだ、こんな風に共感的に」
と僕の方が何度もやってみせていたようです。
でもその「こんな風に」というのは全く理解できなかったとの事でした。

スキンシップは当然セクシャルな欲望の問題にもつながる大事な問題で、
ぼちぼちラブロマンスの映画でも一緒に見ながら色々話そうか
とかいう話にもなってきました。

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コメント

夫がアスペルガー傾向ということを本人に伝えるかどうか、先月コメントでご意見いただいた者です。
このスキンシップの話も、大いに納得できました。触れ合いたいと思っても、夫はいつも硬直していました。緊張させていたのかもしれませんね。
「ベタベタしたがり」とか「自立できてない」と言われると、もっと私が強くならなければ、と我慢したり無理したりして、悪循環に陥っていました。

よく考えた末、夫のアスペ傾向について言葉を慎重に選んで伝えましたが、案の定、夫は激怒し「結局合わなかったということだ」と今までの夫婦関係まで否定されました。そんなに簡単に受け入れてもらえるとは思っていませんでしたが、今の状態では話し合うこともできません。パートナーさんとこの記事のように話し合えるパンダさんが羨ましいです。

夫もスパッスパッとモノを言う人なので、話を聞くのは大好きだったのですが、話の対象が私になると本当に消耗します。夫の「これでもか」という徹底した非難の言葉も、アスペの特徴なのか、ただ正直すぎるだけなのでしょうか。。。
それでも私は「結局合わなかった」と結論づけることはできず、悩ましいところです。来年は少しは前進したいです。
また独り言のようになってしまいました。ご本の完成、楽しみにしております。

Glassfishさん

 やっぱり直接「あなたはもしかすると……」などと話をする形は難しいようですね。
 実際「障がい」に対する世の中の目は冷たいものがありますから、
 「俺を障がい者にするのか!」というように感じる方も多いでしょうし……

 今回のことで「アスペルガー」については拒絶の壁が作られた可能性を感じるので、
 こちらからその話を持ち出すことは当面逆効果な気がします。
 カウンセラーの方とも相談しながら、次の糸口をゆっくり探す、
 ということかもしれないですね。
 
 本人にとって「自分はアスペルガー」と理解することに意味が出てきて
 初めて共有の可能性が出てくるのではないでしょうか。
 こちらから共有して欲しいという思いだけでは難しい感じが……

 家の場合は、最初パートナーが自分がそうかも知れないと言ったときに
 逆に私の方が、違うんじゃない、と言ったのがかえって
 その後に共有しやすくなる原因になったみたいでした。


 あと思ったことですが、「アスペルガー」の理解を共有するということは
 あくまで関係を良くするための手段の一つであって、
 それが目的というわけではないと思うので、
 共有が難しい現時点では別の手段で、関係を少しでも柔らかくする
 ということが現実的なのかも知れないですね。
 
 もちろん、そうするためのこちら側の気持ちの余裕がどれだけあるのか、
 ということも大きいですけれど。
 それが足りなければまずは自分自身のケアを大事にして、
 気もちにゆとりを作ることが大事なのかも知れません。

 その次に相手とのゆとりを探し、その先に共有の糸口をゆっくり探す。
 
 いつもながらに具体的状況が分からないで勝手なことを書いています。
 何かヒントになることがあればいいですが。

パンダさん、お返事ありがとうございます。
少ない情報にも関わらず、的確なコメントをいただいてありがたいです。

夫のアスペルガー傾向はカウンセラーさんに指摘され、当初は私も否定していました。
ただ、そう考えると納得いく部分があったので、これまでの私の理解不足を認める意味で、夫に伝えました。カウンセラーさんに勧められたこともあり、共有することで、新しい解決策が見つけられるような気がしたからです。

ただ、現時点では単に夫を傷つけ、私への不信感を高めただけでした。
夫にとって私との関係は改善する必要のないものになってしまいました。
そのことで私もさらに傷つき、動悸がおさまらなくなってしまいました。
パンダさんがおっしゃるように、私自身に余裕がまったくなくなったので、今は実家に戻って自分のケアに徹しています。

確かに、夫が自分の性格とそれによる周囲への影響を理解することに意味を見いだせなければ、周りで何を言っても仕方がないですよね。
今は少しでも落ち着いて、自分を取り戻したいと思っています。
またお邪魔させてもらいます。

Glassfishさん

 すでに夫の方から離婚を強行に言い出されているのならまた別の話ですが、
 そうでないのなら「改善する必要のない関係になった」ということは
 またいろんな意味を持っているかも知れないし、そのうちに持ってくるかもしれない
 となんとなく思いました。すごく漠然とした印象ですけれど。

 とにかく今はゆっくりご自身を癒せるといいですね。

 

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