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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2011年10月29日 (土)

負担

なんか、自分の気分調整になる時には、不定期の不定期にちょっと書いてみようかなという気になってます。我が儘一杯ですみません。

先日パートナーと話をしていて、パートナーが「パンダの気持ちを楽にしてあげられなくてご免」と言ってくれたんです。で、僕は嬉しくて、「そう言ってもらえるだけで、支えになるよ」と言ったんですね。

さて、この私の言葉に対する彼女の答えは何だったでしょうか?

それは「そう言われるのは負担」 でした。

以前ならそこで闘いの火ぶたが切られていたでしょうが、多少はパンダにも成長があったのでしょうか。「へえ、それが負担って、考えなかった。どういうことなのかな」と半ば面白そうにたずねました。

で、彼女はなんか説明してくれるんですけど、今思い出しても思い出せないんです。もちろん聞いている時もよく分からなかったし。未だにその理屈がよく分からないままです。

これ、どういう意味か、思いつかれる方いらっしゃいます?

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コメント

はじめまして。
以前アスペの人と関わって、苦労して以来、
参考にさせていただいてます。
今回書かれている内容は、過去にパンダさんが書いてらした記事と似てるかな?
負担に感じられると負担、みたいな記事だったかな。
私見ですが、アスペの人は自分が他の人に嫌な気分をさせている(負担に感じさせる)ことを嫌うし、自分に対する期待も嫌う気がします。
根っこは、自分が解決できなさそうなことや、対処できなさそうなことが起きてほしくないと思ってるのかな。

当事者じゃないので、よく分らないけど;
ひとつには、「じゃあ、次もパンダ(呼び捨てごめん)の期待どおりの発言しなくちゃいけない訳?」と思って負担。

その背景として、今回の発言が「なんでヒットしたか」がよく分ってない。

自分に置き換えた時、どんな可能性があるかなぁって思ったんですが、たとえば、料理を適当に味付けて作って、すごく上手くいったとします。食べてくれた人が「美味しい!」(次も是非この味でという期待がこもっている)と言ったとします。でも、なんで今回上手くいったのかが、自分で分ってない。だから、今回こっきりの「美味しい!」ならいいけど、誉めることによって、「僕はこの味が好きだよ。次からもこれで頼むよ」っていうメッセージが入ってると負担。

推測ですが、パンダさんは、感謝の気持ちとともに、自分がどういう時に「心地よいか」ってのを奥さんに伝えようと思ったと思うの。これからうまくやってくためには、お互いがどういう時にイヤでどういう時に心地よいか、伝え合っていこうねっていう気持ちがあったと思う。

定型の場合は、「嬉しいよ」って言われると、「あ、この人こういうことが好きなんだ」って心のメモ帳に「メモ、メモ」となるんだけど、奥様には「こういうこと」が「どういうこと」かカテゴライズ出来てないのかもね・・・と思いました。

料理本見ないで料理作る人の場合、自分の味が出来るまでの間に試行錯誤があると思うけど、その途中経過の時って「何がうまくいった理由か」が分らない時期があると思うの。私の義妹はすごく料理が上手ですが、本見ないで作る人なので「美味しい! また同じ味が食べたい!」と言われても、自分でもどうやったのか覚えてないから、再現できないし、困るって言ってました。

奥様は、もしかしたら、そういう状況なのかも。

非当事者の推測なので、大はずれかもしれませんが。

お久しぶりです。

自分のブログが書けないぐらい弱っていて
こちらにもなかなかコメントを残せずにいました。


>「そう言ってもらえるだけで、支えになるよ」

夫の場合は・・・と考えてみました。

夫は「支える」って何?と思うと思います。
夫婦で支えあう、人と支えあうって何?って。
だから、そこに一つ戸惑う。

そのわからない「支え」を自分に期待されても困る。
でも「支えない」と自分はまた人を傷つけてしまう。
だから、期待してほしくない。

そして何より夫は未来を予測するのが苦手です。
だから、「今後」はどうなるかわからないのに
求められても困る。不安。

・・・って、ところでしょうか。

この辺は説明してくれないので、
いろんな話をつぎはぎして想像してみました。

私は夫の言葉で喜んだ時は
「その言葉、嬉しい」と言います。
悲しい時も、「私は今の言葉で傷ついた」とか言います。
「今後も言ってほしいとかじゃなくて、今嬉しいと思ったから
 そう言っただけ」と言ったりします。

ま、いつもの事ですが、余裕がある時は・・・です。

奥様がどう考えているかを
時間と気持ちがある時にでも、また聞けたらいいですね。
だけどパンダさんは病み上がり(上がりました?まだかな)なので
まずはご自身を大事にしてくださいね。


KSさんの書かれた「カテゴライズ」、
夫はめちゃくちゃ苦手です。
それが生きにくさの原因の一つかなーとも思います。

Pさん

 はじめまして、よろしくお願いします。

「私見ですが、アスペの人は自分が他の人に嫌な気分をさせている(負担に感じさせる)ことを嫌うし、自分に対する期待も嫌う気がします。」

 なるほど。たしかに「このご飯美味しい」というと、「二度と作れないからね」と言ったりよくありました。期待し、期待される関係の作り方になんか違いがあるんでしょうか。繭さんとか認められることは大切に思われているようだし、その辺との関係もなんか考えた方がいいのかな。

 KSさん

 KSさんの妹さんも料理について同じですね。期待の中味が分からないから負担、っていうの、またもう一度そのうちに機会を見つけて聞いてみます。カテゴライズについても結構長いこと説明のやりあいをして理解を調整することがありますね。で、まあなんとかお互いのカテゴライズの仕方を了解することもあるし、わかんねえなあ、で先延ばしになることもありますけど……。

 みおさん

 みおさんも大変そうですね。なんかやっぱりみんな大変な人生抱えてるんだなと、しみじみ。
 いや、たしかに「支え合い」との意味がお互いに通じ合いにくいんですよね。パートナーにとってはスゴク現実的に対処して問題解決につながる道を見いだすことが相手を支えることみたいで、それももちろん支え合いなんだけど、定型の場合、金はなくても気持ちで支える、みたいな、悪く言えば「口先だけで支える」みたいなことが結構大事だし効果会ったりしますよね。このあたりがなかなか伝わりにくいみたい。猿の毛繕いの例を出して「あれだって気持ちの調整をしてるんだよ」とか説明を試みたりしてみてるんですが……。
 「支え合い」、もひとつのポイントかも知れないですね。

パンダさんこんにちは、今日は少し書けそうなので、短めに(^ ^)

色々な解釈が出ていますね、私もひとつ挙げてみます。

>「パンダの気持ちを楽にしてあげられなくてご免」

この言葉、定型的には「出来ることなら貴方を楽にしてあげたいという気持ちがあるよ」→「貴方を大切に思っているよ」という表現なのかなと、普段は解釈しているのですが、直截的表現の傾向にある者としては、「ご免」が気になります。

仮に本心から「楽にしてあげられなくてご免」と言ったとすると、それは本当に心苦しい気持ちが込められているのかもしれないと思いました。

そして相手の反応が「嬉しい」だとしたら、責任感から自分を責めて辛く思うことこそを、相手は望んでいるように感じてしまうのではないかと…。

私自身は上記のような感じ方をすることが多いです。
普段は出来るだけ意訳を心掛けていますが、瞬間的な感触はこのようなものです。

それからやはり、一般的なカテゴライスや大きな期待を受けることは苦手です。
支えあうことについては、私なりのイメージを持っています。

パートナーさんのお気持ちに近い解釈があるといいですね。

>先日パートナーと話をしていて、パートナーが「パンダの気持ちを楽にしてあげられなくてご免」と言ってくれたんです。で、僕は嬉しくて、「そう言ってもらえるだけで、支えになるよ」と言ったんですね。さて、この私の言葉に対する彼女の答えは何だったでしょうか?
それは「そう言われるのは負担」 でした。

これってどういうことなのか・・・私なりに断続的にボチボチ考えてみました。皆さんそれぞれに考えられているようなこと、どれもありそうだなぁ、と思っていましたが、繭さんのコメントを読んで、ふと、先週のある日の夫との会話を思い出しました。

私がある悩みについて話したとき夫が辛抱強く聞いてくれたので、私が「聞いてくれてありがとう」とお礼を言ったところ、夫はこう言いました。

「聞くことだけはできる。でも、他には何もしない。」

正直なところ、なんだか一瞬気持ちがカクンときて、そして、すぐに思ったんです。定型の人なら、こういうとき「聞くだけで何もできなくてごめん」とか、「自分にできるのは聞くことぐらいだから」という表現を使うんだろうなぁ、とか、定型の人なら「他には何もしない」なんてまず言わないだろうなぁ、などと。

ここで「他には何もしない」と言うのが夫。そして、「聞くことはできても、カレンさんの悩みは自分のこととしては全然わからない」とはっきり言うのが夫。

奥様の場合はパンダさんに共感できないことを申し訳ないと思われているけれども、夫の場合は私に共感できないことに対して申し訳ないとは思っていない。

そして、「申し訳ない」と奥様が思っていらっしゃることをパンダさんが「嬉しい」と思われた→やっぱり自分は「申し訳ない」と思っていなければならないのだろうか、と奥様にとっては負担・・・

っていうことなのでしょうか???

ちなみに、上記の夫の言葉の後、私は瞬間的に上記のようなことを頭の中で考えていて、「ま、これが、夫の夫らしい発想による夫の言葉だ」なんて心の中で苦笑しながら、実際に声に出したのは「ふ~ん」(笑)そして、その後は、ごく普通に、日常のあれやこれやの話題に戻りました。

ちなみに、私は最近、こんなふうにアッサリ本当のことを言われることの方が、ヘンに気を回さなくて楽だと感じることがとても多くなっています。「聞くだけ聞いてもらったら、自分のことは基本的に自分でなんとかしなくては」と思っていますし。

(夫の名誉のために付け加えておくと、夫は「他には何もしない」などと言いながらも、私自身が何か次のステップに進もうと考えたときには、それに具体的な行動で協力してくれます。)

はじめまして。いつも楽しみに読ませてもらっています。 

 奥様は、気持ちに寄り添うのが苦手で、具体的な協力がそれに代わるものとしてあるのではないでしょうか?

 なので今回は、なにもパンダさんに具体的なことをしてあげることのできないことを申し訳なく思っていて「ご免」と謝ったのに、「そう言ってもらえるだけで、支えになるよ」と言われると、なにもしてあげられないのに褒められるのって自分ばかりが貰ってばかりでずるいことをしているような気になってしまい、負担に感じられたのではないのかなぁ?と思いました。

初めまして。

アスペの方とは、様々な年齢の方々と交流がありますが、いつも心がけているのは、
「具体的であること」です。

本当に会話では「額面通り」の受け取りをするなあ、ということが多く、周囲と摩擦が起きるだろう事は想像がつきます。

今回は前後の脈絡がないので、パートナーさんがなぜ「気持ちを楽にしてあげられなくてごめん」とおっしゃったかわかりませんが、そもそもパートナーさんは、「人の気持ちを楽にしてあげる」ということの意味をつかんでおられるのか?私はそこから疑問です。

言葉を巧みに使用されるアスペの方のなかでも、抽象的な、心を楽にする、という表現が本当にわかる人にはお目にかかったことがないので・・・。本やテレビの中で、同じような場面があって、そのときに使用されていた表現をそのままコピーしている、ということが比較的目につきます。

そういう場面ではそういう言葉を使うものだから言ってみた→予定外の返事が返ってきた→うれしい、と言われた→わからない、負担、という流れが想像できますが・・

雨の日でも、鉢植えに水をあげる、なぜなら雨の日は水をあげなくて良いと言われていないから。
レポートを「4時までに仕上げること」といわれれば、レポートを4時までに書き上げることはしても提出はしない、「提出を四時までにする」と言われていないから。
赤信号で渡る人や優先席に座る人を許せない、なぜなら決まりだから。

欲も悪しくも「マニュアル」の方達です。言葉に限らず、歩くのも「右の足をだして、着地させて、次は左」と考えていたり、今気温が何度だからこれは「暑い」から汗を出そう、とか、上着を脱ごう、という基準となるわかりやすい目安が必要ですから、抽象的な表現は伝わりにくいし、誤解を生みやすいと思います。

失礼な表現がありましたらごめんなさい。
アスペやADHD,LDの子供達が大人になった時に、できるだけ周りの人と摩擦を起こさず、周りにも理解してもらえるように、そして本人が生活しやすいように考えているものですから、状況や関係性もよくわからないままに、コメントをしてしまいました。

繭さん

 なあるほどねえ。なんかちょっと理解の手がかりみたいなものを感じました。「役に立たなくてご免」という苦しい気持ちを「そういう風に苦しんでることが嬉しい」と解釈されちゃった、という感じかな。少なくとも繭さんはそういう感じ方をするんですね。

 パートナーにちょっと聞いてみたんですが、「わすれちゃって、わかんない」という答えでした (^ ^;)ゞこれは永遠の謎に残されるのか、いつか「思い出す」日が来るのか……

 「支え」とは何かもすごく話をしました。やっぱりパートナーは「現実に問題を解決できる行為をすること、というイメージが強く、言葉でなぐさめたり、励まされたりというのは、それが現実的な解決に結びつくようなものでなければ、単に空虚な言葉に過ぎなくて、なんの役にも立たない、それを知りながら口先でどうこう言うのはむしろ不誠実な行為だ、と感じるようです。ただし、定型は言葉で支えられる事がある、ということを比喩などを使って説明すると、頭ではわかる、と言ってくれるのですが、やはり実感としてはピンと来ないようですね。

 カレンさん

 「聞くことだけはできる。でも、他には何もしない。」って定型的には強烈ですよね。構えがないといきなりノックダウンするかも。上にも書きましたが、パートナーの場合は「共感できない」ということより「現実の問題解決で力になる事ができない」ということにウェイトがあるみたいです。それにしてもカレン夫妻、そのたくましい乗り切り方、すごい!

 hayaさん

 はじめまして、どうぞよろしくお願いします。
 おっしゃるように「現実の解決」とか「具体的な協力」のあたりが結構ポイントかなと思います。と同時に「誉められた」とは思えなかったようでもあるんですね。その辺がなんか難しくて。

 エリスさん

 こちらも初めまして、どうぞよろしくお願いいたします。
 
 「そもそもパートナーさんは、「人の気持ちを楽にしてあげる」ということの意味をつかんでおられるのか?私はそこから疑問です。」

 ここ、そうですね。難しい問題だなあ。なんか、定型はそうやって気持ちを楽にしてあげるような言葉かけとか、いろいろ工夫してつながりを深めようとするんだよ、というような「解説」はしばしば具体例を挙げて説明しているので、「そういう定型的なやり方は自分はうまくできない」という意味だったようにも思うし、でも本当にそうなのかも自信ありません。ただ、本気で私の役に立ちたいと思いながらそれが自分が思うように達成できない事への苦しい思いが背景にあった事だけは間違いないと思います。

 そういう苦しさに今度は相手がどう答える事が「支え」になるのか。そこがわかればいいのかもしれないですね。

そうですか、私たちってたくましいですか(笑)

最近はこんな感じの日常で、「カレンさんの感覚ではそうだろうね」「カレンの夫さんの感覚ではそうだろうね」なんていうのが普通なので(その時々で、口にしたりしなかったりでですが)、自分としては可もなく不可もなく「ごく普通の日常」という感じです(もちろん、瞬間的に、「えっ」とかムカッとくることはお互いにありますが。)

ただ、以前の私なら、完全にノックダウンされて崖をずり落ちて行っていましたね。そのことを考えると、「あ、こんなのうちの普通です」なんて言っている私も夫も、信じられない
ほど変化したのでしょう。

>パートナーの場合は「共感できない」ということより「現実の問題解決で力になる事ができない」ということにウェイトがあるみたいです。

ここのところは、大きいですよね。昨日のコメントの後また考えていたのですが、以前の夫なら「そんな悩みを俺に言ってどうなるわけ(怒)!そんなことを聞いても俺には何もできないんだけど(怒)!」となっていました。

でも、私の悩みを「聞く」ということ自体が、一応定型である私の精神的な安定につながり、結果的には夫にとってもよいことであると理解して納得してからの夫は、私の方が驚くほど、本当に気長にそして上手に話を聞いてくれます。いわゆる「お上手」は言わないけれど、本心からだったり客観的に見て思うことをズバリ言ってくれるので、とても助かります。

(もともと他人の悩みや夫とは直接関わりのないところでの私の悩みに対しては「聞く」ということをとても上手にできる人です。)

それから、「具体的に」というポイントが皆さんからいろいろ挙がっていますが、うちでも最近ちょっと面白い(興味深い・「なるほど」と思った)ことがありました。

うちは、以前の完全共働きや私の入院等の流れもあって、今でも家事は2人で分担しています。なので、夫が留守にするときは私がひとりで家事をすることになるので、けっこうしんどいんですね。めったにないことですが、たまに夫が仕事で留守をしたり帰宅が遅かったりすると、私はかなりヘロヘロです。

それで、いつだったか、「夫さんがいないと、家事を全部ひとりでしないといけないから大変。夫さんは体力もあるし、その体力で家事もしてくれるから私はとても助かる」と言ったんです。すると、夫の返事は「そんなふうに具体的に言ってもらえると、私もやりがいがある。ありがとう」というものでした。

以前こちらで「アスペルガーの配偶者は相手がべつに自分でなくても、同じ条件をそろえ持った人なら誰でもよかったんじゃないか」というような話がありましたが、夫は以前「自分が思うような条件をすべて持った人でなければ結婚していないし、すべての条件がそろった人はそうそういない」と言っていました。

条件からではなく、「その人全体、その人そのもの」というものから入った(夫のことを好きだと思った)私としては、夫の説明が当時はかなりドライなものに感じられるようなところもありましたが、

夫の側からすると、私から見ての「夫について具体的によいと思うところ・条件」を聞いて嬉しかったようです。

「具体的な条件のようなものを聞いてそんなに嬉しいのかな?」と、聞いた瞬間はチョット疑問に思ったりもしたのですが、これまでのこちらのブログでの皆さんのお話や私たち2人の生活の中でのやり取りを思い返してみて、「夫にとっての嬉しいこと」というのがすごくわかった気がしたエピソードです。ちなみに私の方も、夫に「嬉しい」と言ってもらって嬉しかったです。


>カレンさん
お久しぶりです。カレンさんご夫妻、やっぱり最良、最強ですね。互いが互いにとって最良だと思えて、この組み合わせでなければ味わえない人生を味わえて、お2人ともがそれを気に入ってるというのはステキです。

>繭さん
時々、お写真見せてもらってます。美しい情景に心癒されることが多いですが、繭さんならではの鋭い「切り取り」(けっこうシビア)に心乱されることも時々あります。そんな時、繭さん芸術家なんだなぁと思う。芸術家は、人の心に問いをつきつけ、心を揺さぶるものなんだと思います。まぁ、「心」じゃなくて「脳」であってもいいんだけど。もしかすると、繭さんと私の脳タイプの違いから、私には「見えてない物」をつきつけられるのかもしれないですね。具体的には蜘蛛の写真なんかには、ちょっと心をえぐられる思いがしました。

これも「定型×非定型」のコミュニケーションのひとつなのかもしれないし、そんな風に一般化する必要もなく、繭さんと私のコミュニケーションのひとつなのかもしれない。でも、繭さんとの写真を通じたそんなコミュニケーションの時間は好きです。

無理なさらずマイペース守って暮らしてくださいね。

あ、KSさんがカレンさんと繭さんだけえこひいきしている!

>パンダさん
うふふ、ちょっとガールズ・トーク!

パンダさんのコメントに爆笑した後、秋の夜長のガールズトークをしようとKSさんにお返事を書いていたのですが、途中何かの操作ミスで消してしまい、「あーあ・・・!」と思いながら寝てしまいました(^^;)

>KSさん

お久しぶりです!あちらの方で経過を読ませていただきながら、かげながらエールを送ったり、皆さんを励ますKSさんを「すごいなぁ・・・!」と思ったりしています。

今日はこれから、ネットのこちら側で仕事&ガールズトークです。KSさんとも、いつかリアル・ガールズトークできたらいいなぁ。

何も返事になっていませんが、今はとりあえずこれで。

 パンダさん

パートナーさん忘れちゃったのですか、それでは永遠の謎として悶々とするのも一興ですね(^ ^)

「支え」については、私はパートナーさん寄りですが、ひとからの言葉に救われたことが沢山あります。でも、皆さんのお話を伺ったり、夫と話していたりすると、私よりもずっと相手の感じ方が重要なんだなぁと思います。

私は、自分がつらい時や落ち込んでいる時、近しいひとには変わらず笑っていて欲しいと思うことが多いです。そうすると、なんだか安心して、そこ(日常)に戻って行けるような気持ちになるのです。
私が泣いている時に一緒に泣いてもらったりすると、「優しいひとだなぁ」と思いますが、その時の私の感情自体はあまり影響を受けず、むしろ相手を慰めたくなって来たりも…。
勿論、遠回りはしますが、そのように感じてもらえることは幸福なことですし、落ち着いてからじわじわと感じることが多いです。

 カレンさん

こちらではお久しぶりです(^ ^)/

> 「聞くことだけはできる。でも、他には何もしない。」

カレンの夫さんらしい、きっぱりとした言葉ですね。
似たようなことを私も言ってます。
「もし話して楽になるのなら、いくらでも聞くよ。でも、聞くだけだけど。」って。
私は共感はできないけれど、話し手が感情を整理したい時などに相談されることがあります。
以前友人から「私が感情的になっても繭は流されないから、そういう意味で信頼している」と言ってもらったことがありました。
うーん、良くも悪くも共感していないんですね。

あと、私も具体的にどこが好きなのか、言ったり聞いたりが好きです。
夫さんのここが好き!と言うと、初期の頃の夫は微妙な顔をしていましたが、カレンさんのお話で、なるほどと思いました。
今は、お互いに言い合っています(^ ^)

 KSさん

お久しぶりです。
ガールズ・トーク!(^ ^)

KSさんはしばらく前に、離婚が成立されていたのですね。
まだいろいろと面倒が残っておられるようですが、ひとまず、本当に良かった!と思いました。お疲れさまでした。

写真見てくださって、ありがとうございます。
げ、芸術家……(照)
蜘蛛って、綺麗だけどこわい部分もあり、可愛らしい部分もあり、惹かれます。
そういう何かがKSさんに触れたのかもしれませんね。
写真からなにかを感じていただけることは、染み入るような嬉しさがあります。KSさんの心をえぐってしまうのは、控えめにしたいですが。

撮影するときはいつも、あまり考えずに、ふっと視線が吸い寄せられたところをカメラに納めるのですが、後から見ると時々ざらりとした感触の写真があります。程度の大きなもの(明らかに苦手な人が多そうなもの)は省きますが、それ以外はそのまま載せています。

「定型×非定型」としてでも、KSさんと個人としてでも、こんな風にコミュニケーションが取れることが嬉しいです(^ ^)

あらためて

>KSさん

KSさんが書かれた、「(私たち2人がこの人生を)気に入ってる」という表現、私が言うのもへんかもしれませんが、言い得て妙ですね・・・!

初めから今のような生活だったわけでは全然全くないし、20年余りの紆余曲折・疾風怒濤を経ての今の生活を、"日々の生活の中のひとつひとつすべてにわたって"試行錯誤でちょうどよいバランスや連携の仕方の調整を図ってきての今です。

初めからそこにあったものではなく、自分で&自分たちで作ってきたという実感があるだけに、何か無形の大きな作品を作ってきていて、ある時はやみくもに・ある時はマニュアルを見ながら必死で・ある時はその時々状況に合わせてその作品の形や色やバランスを作り替えているような感覚があるんです。

初めからそこにあるものをパッと見て「好き」とかいうことではなく、積み重ねたり・いったん全部壊したり・初めからこね直したり・たたいたり・つぶしたり・形になってきたらちょっと色を塗ってみて・・・そして今、やっと「気に入っている」という感じですね。

KSさんも、ずっとご自分の人生を作られている最中なんですよね。それこそ、いつも同じようなことしか言えないのですが、KSさんの「納得できる生き方」を応援しています。


>繭さん

本当に、ここでは久しぶりですね(^^)/

繭さんご夫妻の間でも、上記のようなやり取りがやっぱり(!)あっているんですね。

こちらの方は、具体的な相手の行為に対して「ありがとう」と言いあうことが多いです。他には、「そういうところが夫さんの/カレンさんのよさだよね」みたいなことも言います。「こういうところが好き」と言い合うことは、うちの場合はないかな。

「こういうところが好き」とストレートに言い合う繭さんご夫妻のお姿を想像して、思わず笑顔になっています(^^)

パンダさん、皆さん、お久しぶりです。ずっとご無沙汰してしまってすみません。皆さんどうしていらっしゃるかなあ、といつも心の片隅で思っていたのですが、なんか道が見えた気がしたあのあと、肩の力がぬけちゃって、なんだかそれまでずーっとずーっと考え続けていたことにすっかり疲れてしまって、一度頭をからっぽにしてみたくて、しばらくパンダさんのブログからも「掲示板」からも遠ざかっておりました。気持ちを切り替え、自分の元気を取り戻すために少し仕事をはじめて忙しくなったためもありましたが・・・。

そうして久しぶりに来てみたら、とりあえず最近の記事しか読んでいないのですが、パンダさん、いろいろ大変なことになっていらしたのですね。おからだ、もう大丈夫ですか?そしてそのあとのお休み宣言。その後比較的すぐにまた更新されていたので少し安心しましたけれど…。

パンダさんのパートナーさんがどんな意味でおっしゃったのか私にはわかりませんが、ただ私たちも夫婦の間で思いがけないことを負担に思うことが互いにあるなあ、と思いました。

うちの、というか私の場合は、夫がしょっちゅう「ありがとう」と「ごめん」を言ってくれるのですが、実はこれが負担なんです、私にとって。

お礼や「ごめん」が負担だなんて言ったって、何のことか普通理解されませんよねえ?

でもやっぱり負担なんです。なぜって、どうしてそう言われるのかわからないことがよくあるからです。「ありがとう」はまだしも、「ごめん」なんて言われたら、「え、え、何があった?どうして謝られるの?私、何見落としたの?」と混乱するわけです。それが続くと疲れちゃう。

その一方で、これまた「ありがとう」の方はともかく、ここは本当に謝るべき場面でしょ!って時に限って彼は逆切れするんです…。なんというか、それとこれとが組み合わさると、余計に腹が立ってしまうというか疲れるというか…修行が足りないのでしょうけれど…

かなりお互いのことを分かってきたと思ってやってきたこの数ヶ月間でも、そういう単発のバトル(?) はやっぱり起こります。この前なんて、はじめて、娘の目の前でそういう状態になってしまって、娘(定型)は唖然としていました。おとなしい子なので、その場では「ええっ!?」と思うたびに私と顔を見合わせるばかりで何も言わず、そのあと部屋で泣いていました。可哀想な事をしました…。そして、「お父さん、あそこであんなこと言うから…」とあとで言っていました。でも、もういろいろわかる年になった娘は(父親と兄のASのことは伝えてあります)、自分自身と父親(&兄)との間にAS-定型のすれ違いを感じていて、いろいろな思いがあるようです。

話がそれてしまいましたが、それで、夫に「謝るのは本当に必要な時だけでいいよ」といったことがあるのですが、「いつが(ななからみて)必要な時でいつがそうでないのか区別ができない」と言われました。たぶん、夫にとっては夫なりの「謝る理由」があって謝っているのでしょう。でも、今度は私の方がそれが理解できない。

自分に理解できない反応や、自分の予期していない反応が続いたり、そういうことを期待されたりすると、AS・定型を問わず負担に思うのかなあ、なんて思いました。


そうそう、「きくだけ」に関しては、うちの会話はこうでした。

私 : (いろいろと困っていること・迷っていること・感じていることなど話しかける)
夫 : (イライラし始めながら)それでななは俺にどうしてほしいわけ?
私 : いや、別に何かしてほしいわけでは…。聞いてもらうだけでいいんだけど。
夫 : なんだ、聞くだけでいいんだ。なら早くそう言ってればいいのに。
    じゃ聞くよ。なに?
私 : ……。

最近はもうちょっとうまくやってますが(^^;)

>カレンさん
いずれ実現しましょうね、リアルガールズ・トーク!

>繭さん
心、えぐってもらっていいんですよぉ。それが「真の芸術」に触れる醍醐味だと私は思っているの。きれいなものを、そつなく描いたものは心地よいけど、きっとそれは芸術ではない。もちろん、そういう心地よいものを身の回りに置く事も大事なことだけど。だけど、人間、やっぱり、時々、いままで閉じていた自分の心の扉を開けるような、そんな体験したいものなんだと思います。ま、少なくとも私は。で、繭さんの写真には、そういう私の心の扉を開けてくれる「何か」があると思っています。それは、ちょっと苦しさも伴うんだけど、でも、そういう風に心が動く何かに出会うことは、そんなにはない。だから、こないだ繭さんの写真を見て、かなり久しぶりに心をぎゅっと掴まれたような痛みに、ちょっと嬉しい気持ちでした。

KSさん

KSさんの仰っている意味が分かったような気がします。
私は特に演劇を見ていて、「ぐっさり…やられた…」という経験が何度もあります。普段自分でも気付かなかったり、目を逸らしている自分の内側を見せ付けられるような感覚がして。
でも、時には酷い気分になりながらも、それを求めて見ている部分が確かにあり、それが魅力のひとつだと感じています。

写真ブログを始めてよかったなぁと、しみじみ思います(^ ^)

パンダさん、カレンさん

少し前ですが、私のブログの「野茨」の記事の続き(…Read more)に、いただいたコメントへのお返事を書きました。
先程、見直していたら判りづらいことに気が付いたので、念の為のお知らせです(^ ^)

続けてすみません、パンダさんからどこにあるのか分からないとのコメントをいただいたので、ブログお返事の補足です。
記事タイトル「野茨」の写真の下の「…Read more」の薄い水色の文字をクリックしていただくと、表示されます。分かりづらくてすみません。

続きにお返事は、最近試みに始めました。お返事をきちんと出来ないので、コメント欄は設けておりませんが、やっぱり出来れば自分のブログでお返事をしたいと思いまして。

繭さん

写真ブログのコメントのことわざわざ知らせてくださって、ありがとうございます。私の方は、多少字は薄めですがはっきり見えていますよ。見え方は、パソコンの機種の違いだったりするのな?

上でKSさんが書かれていることや、繭さんの「ぐっさり・・・やられた・・・」はすごくわかります。最近私は繭さんの「形」(「かたち」でしたっけ?)に、その時の自分の心の形を見た気がしました。それから、映画「ブラックスワン」には、私の心の内を映像でしっかり見せられました(観てから数日間、私の頭の中には映画のいくつかのシーンと「白鳥の湖」の音楽が、昼夜を問わず流れっぱなしでした。)

話がそれましたが、写真の方、これからも楽しみにしています(^^)

今頃ですが参戦confident
自分ならどうだろうと思って、考えてみることにしました(*´ェ`*)


私「ナリさんの気持ちを楽にしてあげられなくてご免」
夫「そう言ってもらえるだけで、支えになるよ」

私「そう言われるのは負担」


……私にも負担が大きすぎるかもしれませんwobbly
気持ちを楽にしてあげたい!って気持ちがすごく強くて、一生懸命なんです。
言うなら、頑張っている時に鞭打って「頑張れ!」って言われるようなものsweat01

夫にそんな気はないのはよく考えればわかりますが、その時にはそう感じますtyphoon

何故なら、今の私は「夫を楽にさせてあげたい!」という気持ちで占められてるから、
それを支えにされることは恐怖なんですbomb
いっぱいいっぱいのところで、その気持ちを支えにされると、
そのいっぱいいっぱいな気持ちのままでいなきゃいけないことになる。゜゜(´□`。)°゜。

言葉をそのまま受け取る特性と、ふたつ以上のことを同時にはできない特性かなeye
私ならこう捉えます✿

ヒロさん

 なるほどね~!

 もういっぱいいっぱいだからそれ以上頑張れと言われると
 もうだめ、というところまでは定型も普通に有ることですよね。
 特に鬱状態になった場合なんかはそのまんま。

 ただし定型にわかりにくいのは
 「そう言ってもらえるだけで支えになる」
 という言葉はある意味、「仮に思い通り支えられなくても
 支えたいと思ってくれただけでうれしいよ、もうそれで十分だよ」
 という感じがあると思うんだけど、 
 そこが伝わりにくいことでしょうか。

 それと、「ぎりぎりまでやってため息のように出てきた言葉だ」
 という受け止め方をやっぱりし定型はにくいのかな。

 「今のやり方ではここまでしかできなのかもしれないけど、
 また別のやり方もいろいろあるだろうし、
 ゆっくり一緒にさがしていけばいつかは見つかるよ。」
 みたいな感じもあります。

 だからそこにも「ギリギリを維持してください」
 という意味は入ってないと思うんだけど、
 でもそう感じられてしまうわけですね?

 うーんなるほどなあ。
 

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