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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2011年9月28日 (水)

入院時のエピソード

 入院や手術につきものなのが点滴ですね。日に何回、という形の点滴もあれば、私のように24時間、ずっと点滴を入れっぱなしで、トイレに行くのも食事に行くのも点滴袋をホルダーにぶら下げて引っ張って歩く、という形もあります。(医者に「わあ、病人みたい」と言ったら、「病人です」と言われました (^o^))

 で、この入れっぱなしの場合、針は刺したまんま、薬の入った点滴袋を順番に取り替えていったり、また二つ目、三つめの点滴袋を同じ点滴チューブに横から注入したりします。けれどもこの針も3日にいっぺんは取り替える(もちろん、刺し直す)わけです。

 予防注射とか採血でも、なれた人にやってもらうとほとんど痛みを感じずにいく場合もありますよね。ただし「弘法も筆の誤り」で痛いこともあるけど。血管注射では血管の細い人なんかの場合はなかなか針が血管に入ってくれなくて、何度も刺し直したり、刺してる途中でぐにゃぐにゃ針の方向を変えてみたりとか、そんなふうになることもあります。もちろんなれてない人とか下手な人にあたるとそうなる可能性が高くなる。

 点滴の針はわりに太いので、さらに血管にうまいことは入りにくいんですね。しかも採血時のように血管が一番太く見やすい腕の関節のところが使えない(ずっと針を入れているので、曲がる場所は使えない)。そうするともっと手のひらに近い方とか、腕の甲の方とか、そういうところで刺せそうな所を探すわけです。で、細くて見にくい血管を探り探り入れますから、失敗も当然多くなる。しかも3日にいっぺん刺し換えるので、ますます場所探しが難しくなっていきます。

 それでも苦労してなんとか場所を見つけて、何回も刺し直したりしながら針が一応血管には入ったとしても、さらに針を奥に差し込む段階で下手をして血管の外部に針の先っぽがでてしまうのか、輸液が血管の外にチョットずつ漏れ出す状態になることもある。そういうときは針の周囲が青染みのようになってきて、針を抜いたあとも一週間以上青やら紫やら茶色やら、へんな色が拡がってたりします。

 そういう時、やられているほうは見た目ほどには痛くないのですが、逆に看護師さんの方があせっちゃったりしますね。で、今回、三度目の針交換の時にその問題のエピソードが起こりました。


 刺し直しに来てくれたのは若いちょっと自信なさそうな女性の看護師さんで、後見人のような感じで少し年上の(と言っても若い)男性の看護師さんが側にいました。私の方はまな板の上の鯉ですから、「どうとでもしてちょーだい」という感じで、腕を預けてたんですが、案の定うまく入らないみたいで、随分長い間格闘してたんです。幸いその割に痛みとかはほとんど無かったんで、私はのんびり寝てました。

 そのうち、その女性の看護師さんの方が「ちょっとすみません」とかなんとか一言言って病室を出て行ったんですね。で、廊下の方で何か話をしているようでしたが、そのうち男性の看護師さんの方がやってきて、ちょっと笑うようにこんなことを言うんです。「今日は災難ですねえ。」

 技量の未熟な看護師さんがうまく刺せないことがあったとしても、それはまあしょうがないと思いますし、別にそんなに痛かったわけでもないし、練習台になるのも仕方ないくらいには思って私はそれ以上のことは特に思わなかったんですが、この「災難ですねえ」にまずカチンと来ました。あとから理屈を考えればそのときにカチンと来た理由はこういうことでしょう。「それ、あんたの言うセリフじゃないでしょう。あんたは患者さんに負担を掛けている当事者の側なんですよ。それを第三者のように「災難ですねえ」などと笑いかけるというのはどういうことなの?ご迷惑を掛けて済みません、というのが当たり前じゃないの?」

 で、その言葉に引き続き、その男性の看護師さんが改めて針を入れる場所を探しながら次の一言。「ああ、毛かあ」。ま、私腕も毛深い方なんですけど、要するに「こういう毛深いのってやりにくいんだよね」という意味に聞こえます。そのあと、うーん、とか、ふーんとか、なんとか言いながら結構時間を掛けて針を刺し終わり、テープで固定し終えました。その後のことです。

 彼は「わあ、もう血だらけになっちゃったし」と笑いながら言うんです。で、実際そこで状態を見てみると、確かにベッドのシーツには10cmくらいの赤々とした血の染みが拡がっている。この言葉で私は切れました。

 切れた理由はその看護師のあまりに無責任に思える言動です。自分や自分たちの技量のなさによって患者に余分な負担を掛けてしまった(ま、そのこと自体は私はそれほど深刻には思わなかったとしても)。ところがそのことについて一言の言い訳も謝罪もないままに、へらへら笑いながら(と感じられました)他人事よろしく「災難ですねえ」と言ってみたり、私の「毛」に文句を付けてみたり(と聞こえた)、挙げ句の果ては「血だらけ」の結果を面白そうに語ってみせる。

 で、その場でそのことを責め、責任者の人を呼んでもらうこと、もうあなたを信頼できないからということで、担当を変わってもらうことを要求しました。そうすると彼は基本的には失敗したとは思っていたようなので、にやけた笑いはなくなって、やや当惑したようにすみません、と言い、血のついたシーツとマットの交換をしました。(その後、看護主任の人に事情を話して担当を変わってもらいましたが、その主任は自分たちから見てもその看護師の対応は間違っているので、「振り返り」(反省会?)のときにちゃんと話をしますとのことでした)


 以前ならこの男性看護師については、「どうしょうもない無責任な人間だ。信じがたい!」と憤って終わっていたと思うんですね。このときも直後はそうだったんです。 ところが今回は看護主任の人と話をした後、1時間もたつかたたないうちに「あれ?」っと思いました。「これ、もしかすると……」と頭が回転し始めたんです。

 上に紹介した彼の言動をちょっと違う視点から見てみたとします。つまり、ほんとに素朴な感想を、なんの嫌みもなく素直に語ったのだと考えてみたわけです。そうすると、自分の同僚(後輩かも)の看護師さんが最初にうまく針を入れられなくて逃げ出しちゃった(後で謝りに来てくれましたが)ことについて、私に対する彼の立場を「失敗した看護師」の側に出はなくて、「失敗された私」の側に置いちゃったとしたら、「災難でしたね」というのはまあ相手に対する同情とか、あるいは緊張をほぐすための言葉として理解できなくはない。

 「毛かあ」というのも、「その文脈でそれを言われることで相手がどう感じるか」ということを抜きにして、単に事実の問題として「毛深いとやりにくいことあるよなあ」という感想を洩らしたのだと考えれば、それも特に悪意のある話ではなくなる。素朴に素直に思ったことが口に出ただけのことです。

 そして面白そうに「血だらけ」と言った話、これも文脈抜きにただその結果を面白がったと考えることも不可能ではない。ここはもしかすると定型の方は特にわかりにくいかもしれないし、私もようやく最近「もしかして」程度に可能性を感じているレベルなんですが、どうもアスペの人の中に、他人の傷についての独特の感覚を持つ人があるように思えるんです。


 というのは具体的に言うと私のパートナーの例なんですが、私もつくづく笑ってしまった話があって、手術後の傷口とか彼女がすごく興味を持って見たがるんですね。で、見せてあげたら目を輝かすように面白がって何枚も写メを撮っていました。もともと高校時代は生物部に入っていて、ネズミの解剖とかよろこんでしてたし、食材に魚なんか賈ってきたときも、喜んで「解剖」したりする方なんですが、ほんとに残念そうに「手術してるとこ見たかった!」と何度も言ってました。

 で、私が笑いながら驚いていると、「定型の人は違うわけ?」と聞くので、「まあもし機会があって解剖とか手術の見学に誘われたとしたら、知的な好奇心が勝てば無理して頑張って見せてもらうこともあると思う。でもその日は食事ができなくなる可能性とかも感じながらだけど」と言うと、ふーん、そんなものなのか、という感じ。で、私の方から逆に「じゃあ、惨殺された遺体とかも見て面白いわけ?」と聞くと、それは違うそうです。不条理にそんな風になってしまったのならそれを面白がるわけではない。

 もうひとつ面白かったのは、術後1週間くらい経って傷口もだいぶ安定し、貼られていた特殊なテープも剥がされた後、凝血した血のかたまりなどもぬぐい取ってだいぶきれいになった状態について、「ここまで回復してきた」ということでまた写真に撮りたいと思わないのかと聞いたら、それはもう全然興味なくなってました。私の場合なら知的興味で「回復への過程を記録する」という発想はまあありうるかなと思うわけですが、治ってきてしまっていたら彼女はもう傷口にはあんまり興味ないんですね。その後「パンダが撮って欲しいなら撮ってあげる」とか言って、一枚だけ撮ってましたけど。

 このほかにもいくつかエピソードをあげることは可能ですけれど、なんかそういう「傷」の問題について、どうもよくわかんない感覚のズレがあるらしい。


 で、そういう目で見れば、例の男性看護師にとって、素朴にそれは面白いことだったのかもしれないという可能性を思ったわけです。で、全体として見たときに、彼の言動をアスペルガー的なパターンのひとつとして解釈する可能性があるかもしれないと思えた。

 実際、彼は私に怒られて戸惑っていたんですね。あのちょっとおどおどした戸惑い方にも感じさせられるものがあった。「自分としては必要な処置はして、サービスとしての会話もしてるのに、思いがけずに相手が怒り出した」ということに戸惑っている感じ。で、それにどう対処していいのかも分からず、とにかく単に「すみません」とかは何度か言うんだけど、何が悪かったのか、こちらの言いたいことが伝わってるのかなあと言うことについては疑問符がつく感じ。

 その後、別のベッドの患者さんへの話しかけ方とかに、私から見ると多少いい方向への変化が見られていたので、結果としてはちゃんと本人に対しても怒り、主任にも単なるクレーマーにならないように丁寧に話をしたことがよかったかもしれないなあと思いますが、彼の方はどう感じているのかは分かりません。そのほかの看護師さん達とは冗談言いながら楽しくすごせましたし、丁寧に世話してもらえてありがたかったですけれど、それとの対比から言ってもなかなか印象深いエピソードでした。

 

 

 

 
 

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コメント

パンダさん
痛い思いをしたうえに不快な思いをしましたね。
お疲れさまでした。

自分のせい、自分が関わったことなのに他人事のような感想を言う、怒られて初めてオドオドと戸惑う、どちらもアスペ(だと私が疑ってる)の人に見られる態度だと思います。多分、彼は怒られて自分の態度が悪かったことはわかったでしょうけど、なぜ悪いかはわかってないでしょうね。ものすこくかみ砕いて説明すれば分かるかもしれませんが。
病気の人への対応というのは、非日常だから、定型でもセオリーがはっきりしてなくて、その人との距離感、その人そして自分のキャラ、置かれてる状況などによって、微妙な対応が求められる気がします。
アスペの人がそれに対応するのはかなり困難があるだろうと想像します。
でも、その人は職業として関わってるのだから、職業意識という一定のセオリーはあっていいと思いますね。もしアスペだとしても、そこは学習して、彼自身のためにも患者さんたちのためにも、対応を身につけていってほしいですね。

つい最近、(5人の母で、近所の評判もよい)妻が、(近所でも悪名高いワガママで、数年前から妻が警察へDVで相談に、という)夫を刺殺するという事件がおきました。AS夫が定型妻に復讐された???と見ると、事件が心の中でストンと落ち着きましたか?事件の行方に興味ありますね。

根本的な疑問を蒸し返してもいいでしょうか?

高機能自閉症、アスペルガー、発達障害などの概念は、かなり前からあったのでしょうが近年、たぶん80年代にローナ=ウィングが「自閉症の3つ組(対人関係、コミュニケーション、想像力)」と「スペクトラム(境目のない連続体)」ということを言い出してから、その考え方が使い易くなり、一般にも広く浸透し、日本では2004年頃から支援法の制定によりさらに脚光を浴びることになったのです。アスペルガー症候群を含む高機能広汎性発達障害は、立場によっては「先天的な脳機能障害あるいは、中枢神経系の成熟に関係する問題で、心因説や環境要因は否定されており、純粋に生物学的原因」と言われることがあります。もちろん、専門家の中でも心理学系の立場をとる人から見れば、そんなことはないだろうし、それぞれの立場で意見を述べる人らの目的が、かならずしも「"真実"に迫ること」だと考える必要もないでしょう。

この「○○は、生まれつきだ」という考え方、なんか妙に便利すぎませんか?ある部分については真実に迫ると評価されたから、ある立場の専門家たちの間で拍手をもって迎え入れられたのでしょうけれども。それならば、遺伝子修復技術が完成すれば問題が100%きれい解決することになるわけですが、そんなことはあり得ませんよね。その人が、そこまで生きてきた環境、つまり経験の要素、そのことで親からじゃけんに扱われたこととか、学校でいじめを受けたこととか、友達関係が疎であったこととか、友達と遊ぶよりも数学を勉強することが好きになったこととか)は消すことができない個人の歴史でしょう。とにかく、この「生まれつきの障害だから、家族には何も責任はないですよ」というアイデアは、新しくて、使い易くて、前向きで、魅力的なアイデアですから、みんなが飛びつくわけです。飛びつく必要のない人も、間違って飛びつく人もいっぱい飛びつくわけです。

対人関係、コミュニケーション、想像力に困難を持っていれば、『すなわち、必ず』、自閉症スペクトラムだとは、ウィングもきっと言わないはずです。自閉症スペクトラムならば、『たぶん』対人関係、コミュニケーション、想像力に困難を持っているだろう、とは言ったのでしょうが。それを正しく理解しようとするなら『対人関係、コミュニケーション、想像力に困難を持っていれば、もしかしたら、自閉症スペクトラムかもしれない』ということなのです。別の理由で対人関係がうまくいかないこともあるだろうし、別の理由でコミュニケーションがうまくいかないこともあるだろうし、別の理由で想像力がうまく働かないこともあるだろうからです。そして別の理由でその3つが重なって現れることもある。そのことは、海外旅行でのちょっとしたエピソードや、新入社員のことを、ちょっと想像してみるだけ明らかですよね。と、ここまで読むまで、そういう想像がまったく働かなかったあなた、想像力を診断してもらったらいかがでしょうか。ついでに対人関係とコミュニケーション能力も。

ここで言いたいのは、もともとのアスペルガーの概念は、かなり限定されたものであるにもかかわらず、それよりもずっと広い範囲のトラブルのスケープゴートにされていることはないだろうか、ということです。

海外旅行や新入社員の例は、分かり易い比喩として出しただけで、他の脳機能低下でも、対人関係、コミュニケーション、想像力に障害は出ます。それは、あなたの身近かなお年寄りのことを考えてあげればわかるでしょう。ストレス過多、鬱病の状況下でも同様です。健全至極の人生を途中まで送ってこられても、結婚、出産、転職、転居、社会情勢の急変、天災など、何かの拍子に大きなトラブルに巻き込まれ、おかしな言動が周囲を悩ませることになる場合も多いのです。殊に、いまの日本のさまざまな状況を考えれば、誰がいつそうなるかわかりません。むしろ、そうなっていないことが僥倖のようにさえ思われます。

発達障害支援は、法制化から数年しか経ておらず、適切に診断できるだけの訓練、経験を経た医師に巡りあうことが難しいというのが現実です。生理学的原因や直接因果関係が不明ですから、検査ややりとりに現れる診断的特徴と医師の経験に頼っているわけで、厳密な診断が可能かどうかさえも明らかではありません。環境に原因があると考えられるホスピタリズムや愛着障害などが示す症状と、狭義の厳密な自閉症スペクトラムの症状とは、極端な場合は酷似しており、両者を適切に判定できる医師は、それほど多くないと思います。「家族がアスペルガーかも」という問題を、深く深く深く考えた方々が、しばしば当事者やご自分の成育歴に思いを至らせるのも、偶然ではないでしょう。「神経性理学的欠陥だから、即ち、大人になってからでは処置なし」というのでは、そこにまったく希望はありませんからね。

しかしながらです、その(?)な診断さえも受けていないのに、自分以外の人がアスペルガー症候群だという仮定に立てば、自分の気持ちがすっきりするというだけの理由で、誰かをアスペルガー症候群だと決めつけてはいないでしょうか?このトリックから逃れることは、人間の心のしくみから考えてもものすごく難しいことです。「いや、絶対そうだ」と思える場合でも、せめて5%ぐらいは「別の理由で、いまの自分には、こう見えているのではないだろうか」と思う心の余裕が必要ではないでしょうか。「白か黒かでしょう、そんなグレーゾーンじゃないだろう」と思うのだとしたら、それも自閉症スペクトラムの診断的特徴の一つなのです。それは自閉症圏以外の原因でも起きることがあるのです。日頃からあなたに鬱積してきたストレスというようなことでも。もう、こうなると鶏と卵のスパイラルです。

近い将来、血液検査程度の手軽さと確からしさで、いやいや、血圧計みたいな家庭の道具で、AS度計とADHD度計を組み込んだ自閉度計が登場するのかもしれません。早くそうなって欲しいな。

いまのところは、経済的困窮やら、介護疲れやら、社会の歪みからくる圧力やら、様々のことの結果として観察される自閉症的傾向を診断する特徴のいくつかが、勝手に独り歩きしている印象を拭いきれません。「あの人はアスペルガー…」という言い方で必要以上の人々が十把一絡にされているような気がします。いえいえ、もちろん、こんな発言をすると、反対に「私は、ほんとにアスペルガー症候群で苦しんでいるのに、他に救われようがないのに、ちゃんと認定してもらえなくて苦しいよ」という人も出てくるのでしょうが、それはそれ、別の問題として考えなくてはいけません。

私が、今まで家族のことで相談したプロフェッショナルは数知れません。発達障害支援センター職員、役所の社会福祉士、児童相談所員、医師、心理士、療育所の先生、作業療法士、保育所や学校の先生、養護教員など、たくさんの専門家たちとガチンコで話し合いながら、いろいろ考えた末、なお、「自閉症スペクトラムって、発達障害って、いったいぜんたい何だろう」という思いでいます。もちろん、たしかに自閉っ子がいるってことはわかりますよ。そういう子どもを見ると確かな違和感を感じる。でも、顔や名前を覚えて家族と知りあって個人として関係を持ち、一人一人と向き合うと、なんかその、、、わからなくなるんですよ。かなり個性的だけど、この人のどこがどうだって言うのだろうかって。同じように我が子だって、心理検査や知能テストをされ、行政から優遇措置を享受できるお墨つきをもらったそんな我が子を抱きしめて、「一体、この子の何がどうだって言うんだよ!」という思いと裏腹に、そういう優遇措置に現実の問題の数々で救われることも事実。そんな矛盾した自分をどうにか保って生きています。

「専門家が何と言おうが、四六時中の密度で関係性をもつ自分の家族と、日頃ガチンコで関わっているのは、私だけなんだっ、他の人に何がわかるっ!」て思うでしょう。それでも、大量の事例を知っていて、先駆的な勉強をしているプロの人たちと相談し、広い範囲からの情報と意見を採り入れながら、自分の考えを煮詰めていくしかないのだと思います。未診断であれば、なおさらです。と言っても問題の家族を診断に漕ぎ着けることは、大人の場合であれば並大抵ではありません。ですが間接的な家族相談とかでも、専門家の意見は聞くことができます。でも、その場合は、自分というフィルターを通って専門家に開示された『事実』の『報告』に対する専門家からのコメントであることを意識することを忘れてはならないでしょうね。

憶えていますか。奈良の「近所迷惑の大声おばさん」がマスコミで取り上げられたときのこと。その当時、家族とのその問題で頭がいっぱいだった私は、「あ、これは、たぶん発達障害系のなんかだろうな」と、飛びつき易い概念で捉えて見ていました。そうすれば、すっきり理解できましたから。ずっとずっと後になって、あのおばさんが親の自宅介護を抱えていたことなどが徐々に明るみに出てきて、他の可能性が、いくらでもあることがわかってきました。

(ああ、そういうことなら、私でもあんなふうになる可能性はあるかもしれないかな)と考えられることが『共感』なのだとしたら、「共感のズレ」というのは、ある意味、それほど意味をなしていないのかもしれませんね。なんかこんぐらがってきましたけれど。一旦、「そうだ、そうに違いない」と思ってしまったら、試しに他の可能性を考えてみるということは、なぜ、こんなにも難しいのでしょうか?それは生き物(脳?)のしかけ(恒常性)というようなことと関係するのかもしれません。

生物の基本行動原理はサバイバルですからね。(毒蛇に噛まれて仲間が死んだ)という経験から(蛇をみたら恐い、逃げろ)というのは、その意味では正しい選択なのです。蛇の全てが毒蛇じゃない。噛まれたら死ぬような毒蛇はほんの1%もいないでしょう。だから(蛇はみな危険)という知識は、原理的には誤りです。でも(蛇をみたら逃げろ)という行動原理も正しいのです。だったら疎まれても甘んじることも。。。

つい最近、(5人の母で、近所の評判もよい)妻が、(近所でも悪名高いワガママで、数
年前から妻が警察へDVで相談に、という)夫を刺殺するという事件がおきました。AS夫が定型妻に復讐された???と見ると、事件が心の中でストンと落ち着きましたか?

事件捜査の行方に、何年か後に明らかになる事件の評価にも、興味がありますね。

「文脈を切り取る」という表現が、マスコミにもあてはまるし、発達障がい系の人たちとのコミュニケーションでももあてはまりますが、「風が吹けば桶屋が儲かる」、「風」と「儲かる」の間のどこまでを正当な因果関係と認めるか、文脈として捉えることなのか、そこにもスペクトラムがあって、決定論や自由意志の哲学議論まで行きついてしまうことなく、「あなた」に見えている世界は、「世間一般」などではなく、「わたし」とどこがどうズレているのかをさぐってみましょうか。

と、ここまで書いて、やはり orz、がっくり膝をついている私がいるのですけどね。なぜだか共感してくださいよね。はあ〜。

バレバレさん

「と、ここまで書いて、やはり orz、がっくり膝をついている私がいるのですけどね。なぜだか共感してくださいよね。はあ〜。」

 おっしゃりたいことは私なりにとてもよく分かる気がします。
 そしてがっくり膝を突かれる気持ちも。

 その問題を私はどう理解しようとしているのか、
 今はちょっと無理なのですが、
 いずれだんだんと考えて書いていくことが出来ればと思います。
 

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