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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2011年9月 4日 (日)

KSさんとjoさんの新発見(?)

 記憶についての議論から始まって、元夫さんとのショッキングだったやりとりについて、KSさんとカレンさんとjoさんの間で「それってどういう意味だったんだろうか」ということの理解を巡ってやりとりが続きました(KSさんKSさんカレンさんKSさんjoさんKSさんjoさんKSさんKSさんKSさん)。

 KSさんがショックを受けたのは次のようなできごとでした。

 「私の場合、一番こたえたのは、先にもあげた「帰りがけにどちらがコンビニに寄るか」でした。関係修復のための努力を重ねていた頃、3人で出かけた帰り道、「買ってくるものがあれば、コンビニに行って、僕が買物してこようか?」というので、「何か足りないものあったかなぁ。牛乳はたしか、まだあったよね」などと、話しながら家の前まで来たら、「じゃ、買物はKSが行くんだね」と言われて、「はぁぁぁ???」となりました。「僕が買物してこようか?」以下の約5分間の「時間」と、その5分間に存在していた「私」のすべてが「消された」感じがしました。たった5分くらいのことだけど、「自分が消される」空しさ、恐ろしさって、底なしの穴に落ちてくような感じ。」

 元夫さんは自分が買ってこようと言ってくれたはずなのに、その内容について相談しているたった5分程度の間に、唐突に「じゃ、買い物はKSが行くんだね」という結論に変わってしまった。元夫さんが買い物に行ってくれる、という前提で二人で共有したはずの会話が、たった5分の時間で全く意味のない会話になってしまったこと、つまりそこに会話をして生きていたはずの自分の時間、そして自分という人間の意味が、唐突に決し去られてしまったとKSさんが感じたことのショックです。
 
 内容こそ違いますが、私がパートナーとの間に「アスペと定型のズレ」について理解が共有された後、改めて過去のズレについて少しずつ一緒に考え始めた頃、私も似たような衝撃に寝込むことが何度かありましたし、ずいぶんよくなったとはいえ、それでも今もときどき落ち込むことがあります。

 たとえば、まだ「ズレ」についてどちらも理解が成立していなかった頃、私がお互いの関係にものすごく悩んで、「今、本当に深刻な状態にあるから、なんとかしなければならない」と思っていることを繰り返し伝えていたつもりだったのに、そのことが全く伝わっていなかったことを知ったり、あるいは「もう限界を超えてきている。離婚を含めてどうすべきかを考えなければならない」ということを確認しているつもりだったのに、そこまできてもようやく「あれ?何かちょっと大変になってきているのかな?」という程度の受け止め方しかされていなかったということを、後になって知ったときなどです。

 そういうときには「あの自分の必死の思いは一体なんだったのだろうか?」という激しい徒労感や「「自分が消されていく」むなしさ、恐ろしさって、底なしの穴に落ちていくような」とKSさんが表現されているような感じになります。「問題をお互いに抱えていたが、その抱え方にズレがあった」というレベルを越えて、「そこに問題がある、という理解自体が共有されていなかった」という、もっと根本的で深刻なズレがあったわけです。そこにあったのは完全に私の一人相撲、空回りの努力でしかなかった、と感じたときの衝撃ですね。

 で、KSさんたちのやりとりに話を戻すと、そこで元夫さんの一連の発言の意味について、joさんが違う理解の可能性に気づかれました

 「「僕が行こうか」の「か」は疑問文なんだよね。もちろん定型ワールドでは修辞的に「僕が行く」の意味で使うんですよ。でも、この人らと話してると「文字どおり」解釈されちまって、後で「えー!」というとき多いです。「僕が行こうか」(僕か君かどっちだ?)(あなた<夫さん>が言ってよ、と言わなかった=私<KS>が行くという意味だな)というような、ものすごく強引な(定型的には逸脱した)論理が働くことがあるんでしょうね。」

 つまり、アスペルガーであるKSさんの元夫さんの視点に立って考えれば、定型とはことなるとはいえ、それなりに一貫した論理がそこにあって、元夫さんとしては安定して理解されている世界がそこにあったかも知れないと言うことになります。そして実際、KSさんがあとから確かめてみると、どうもそういうことであったらしいということをKSさんも書かれています

 一方の人の世界の見え方が自分自身にとって安定して成り立っていて、他方の人の世界の見え方は逆にその人自身にとってすごく不安定なものと感じられているのなら、ある意味そこに優劣関係(安定>不安定)があるというふうに「お互いに」納得して関係がおちつくかもしれません。けれどもお互いに自分の世界の見え方がそれなりに安定していて、それ以外の見え方があることに気づかず、そしえ実際にはその二人の間に、世界の見え方、理解の仕方に大きなズレがある場合には、問題がとても深刻になりやすいでしょう。お互いにわけがわからない振り回され方をして、ものすごく消耗することになりやすい。

 それでjoさんもこう書かれています

 「だから、この論理の因果を読み解くことは、自分が崩壊するのを防ぐ術の一つじゃないでしょうか。」

 それを受ける形でKSさんはこう書かれました

 「定型が無意識のうちに身につけている日本語における「ソーシャルスキルとしての文法」というのを体系化して、療育の中で教えて行く、というのは、非定型の子どもたちの将来のためには、とても大事なことなんだろうな、と思いました。もう、そういうのってやらてれるのかしら。だとしたら、『非定型という失礼な人たち—それは彼らがこの文法をマスターしてないからー100の事例』(定型版)『定型という傷つきやすい人たちーそれは彼らが文法をややこしくするからー100の事例』(非定型版)とかいうような本があれば、お互いがしのぎやすくなるのかしら。」


 と、ここまでずっとお二人の文章の引用をつなげてご紹介し、私自身は特に何も付け加えたりしていないで、ある意味楽ちんしてるわけですが (^ ^;)ゞ、ずるをしているつもりはなくて、お二人のこの議論、私がこのブログで考えたかったことそのまんまなので、何か付け加える必要がないからなんです。最後のKSさんの「100の事例」みたいな、言ってみたら「定型文法解説書」「非定型文法解説書」とか、「定型語=非定型語辞典」みたいなものを、いずれ当事者の人を中心に作っていかれればすごくいいなあとか、そんなことも思っていましたし(下手な「専門家」は見方が偏ってしまっていることが多いように感じるので、むしろ当事者の方がいいものを作れると思います)。

 そして次のKSさんの言葉もほんとに重要なポイントだと思います。KSさんはこんな風に書かれています

 「いや、知識ゼロの全く違う言語を手探りで学ぶのより、同じ言語を手探りで学ぶ方が困難かもしれない。全く知らない言語は「ゼロ」から出発出来るけど、同じ言語だと「どこまで意味を共有出来ているのか?」ということを明らかにする必要があるし、それは膨大な作業だし、とても分りにくい作業ですものね。「知らない」を「知る」にする作業の方がずっとラクかもしれません。」


 違いに気づかず、「同じ」だろうと思いこんでいると、「知っている」という思いに邪魔されて相手を理解すことが逆に困難になる。むしろ「知らない」と思って「知ろう」とする方が、よほど理解が進む可能性が高くなるはずなのです。私が定型とアスペの「違い」にこだわるのはひとつにはそのためで、「あいつら分からない奴らだから」とあきらめたり差別したりするためではなく、「違うんだから違いを理解することで関係を作り直す」ためです。

 KSさんが異文化の理解の例で説明されていたように、その作業は実際大変なわけですけれど、でもその「ズレ」に気づいた私たちが手探りでその作業を積み重ねていけば、必ず何かが見えてくるだろうと思いますし、それが見え始めてくれば、次の世代の人たちはものすごく有利な地点から、もっと楽にその次を作り出していくことができるようになるはずです。

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コメント

蛇足になりますが、具体例を。

私は子どもの幼児言葉を聞くのがおもしろくて退屈しなかったです。

「おらんごたべたいらってらっておまかすいた」

なんて言ってる。「だ・ら」や「ま・な」が未分化の「自分ルール」で話してる。矯正するときもあるけど、自分で気付いて欲しいので「おだんごたべたいんだね、おなかすいたんだね」というような対応をします。未分化で混在してるうちは子どももわりと気づきやすいけど、安定して一定の間違い方が定着してるとなかなか気付いてくれない。それどころか、安定した間違いにはこっちも気づきません。

「みじかい」と言うべき全ての文脈で「にじかい」と言ってたことについては、私の耳も全然気づいてませんでした。だって私は「『みじかい』と言ってるにきまってる」という先入観をもって聞いてるから、そう「みじかい」に聞こえていたし、子は「にじかい」と言っても訂正をうけない経験を繰り返して「短い(にじかい)」をしっかり定着させてました。

このことが明るみにでたのは、ひらがなを介して「みじかい」に出会ったとき。「赤ちゃんのときから、ずっとずっと『にじかい』だって思ってた。『みじかい』っていうんだ。知らなかった!」と驚きの言葉を発してくれました。

小学校で漢字仮名混じり文から習い始めるようなシステムだったらこの子は大人になっても「短い(にじかい)」と言い続けてたんだろうと思う。どこかで何かの齟齬に遭遇するまで、ずっとずっと。

あるいは気づいた時点でこっそり修正して何食わぬ顔で生きていくのでしょう。

ここからは、言葉に限らない一般論。

外見が大人になったら、誰も訂正してくれなくなるので、ますます安定していく。訂正しないのは「失礼だから」というようなさらに一段次元の異なる様式の中にある論理だから、自分で気づくのはもっともっと難しくなる。

子どもの頃にしっかり子どもを生きられなかったら、大人らしい大人になるのはものすごく難しくなるんでしょうね。

子どもの頃の『気づく力』(想像力?)のほんのわずかの差が先へ行って大きな大きな違いになっている。しかもそのことが潜在したままで。先へ行くほどそのことが顕在化するときの衝撃は大きいはずですね。

joさんの、お子さんの言葉についてのコメント、お子さんのことがメインではないのでしょうけれど、我が家の子どもたちの小さい頃を思い出して、なんか懐かしくなってしまいました。

娘がまだ1歳の頃のこと、一緒にお絵かきをしていたときに、娘が持っていた鉛筆か落ちて床にコロンと転がった。それを見ていた娘、

「えんぴちゅは ろこいったろ? あ、あった! えんぴちゅは、ねんねちえる。えんぴちゅは、びょうきから ねんちえるって。えんぴちゅは かたはいたいから ねんちえるって。」

そして、私、

「あら~、鉛筆は病気だからねんねしてるの? そうか、鉛筆は肩が痛いから寝てるのか~・・・!」

(・・・と、答えながら、1歳の娘が「寝てる=病気のイメージ」を持っていることを知って&肩こりがひどくてよく「肩が痛い」と言っていた私の言葉を全部聞いてたんだなぁ~と思って苦笑してしまったことも思い出します・・・)

他にも、娘や息子の、幼児言葉「すたべってぃ=スパゲティ」、「すべっだり=すべりだい」「くつった=作った」、「これは ままん」=「これは、ママの」、「あれは○○ん=あれは、○○の」、「ふいんき」=「雰囲気」等々、思い出しました。

私にしても、大人になるまで間違って覚えていた言葉があって、「あちゃ!」という経験ありますね~。(今でもあるに違いない・・・(^^;)・・・)

それから、これ、それこそ蛇足ですが、20代の頃からの付き合いのちょっと年上の元同僚と昨年話した時に、その人が言っていましたね、「気持ちは昔は変わらないし、自分では変わった自覚がないんだけど、周りの自分を見る目が変わってくるんだよね~」と。いろいろ考えていた時期でもあったし、「大人になるってこういうことか」、とか「年を重ねるってこういうことか」と、なんか、しみじみと感じたひと言でした。

ところで、うちの夫と私の会話の中で、「これって、たぶんよその(定型どうしの?)ご家庭ではあまりないのでは」、という疑問文を紹介しておきます。

それは、「~する?」という尋ね方。例えば、「これ食べる?」「おかわりする?」「映画に行く?」「本屋に行く?」

これ、シチュエーションとしては、夫が私に対して(私の"今の"受け取り方では)何か誘うときのフレーズです。「自分はこうしようと思うけど/こうだと思うけど、カレンさんはどうする?」という感じ。

アスペルガーのことを知らないときは、なんだかこのフレーズに対しては、なんとも返事をしにくかったんですよね。

「これ食べようか」とか「これ食べない?」と言われれば、誘われているとすぐにわかるので、「うん、食べる」と言いやすい。でも、「これ食べる?」と聞かれたら、誘いという感じではなく、本当に自分の意思を尋ねられている感じになるので、な~んか答えにくい。

今でこそ、私は「食べる」か「食べない」かを答えますが、特に若い時なんて、女性としては答えにくいですよ、「食べる」だなんて。映画にしても「行かない?」と誘ってくれることがはっきりわかれば嬉しいし「行く」と答えやすいですが、「行く?」と聞かれたのでは、夫がどういう気持ちで言っているのかがわからず、答えにくかったですね、以前は。

日本語でも英語でもそうですが、否定疑問文「~しませんか?」「~しない?」だと相手にがYesと言うことを主に推測しての「勧誘」になるけども、

夫の場合は本当にニュートラルに「~する?」と尋ねてくるので、「する」か「しない」かは、こちらの意思にゆだねられる、そうすると、「誘って欲しい」定型女性としては、なんだかね~・・・(--)・・・という気持ちにもなっていたのです。

ま、今は、夫の「~する?」=夫なりの勧誘表現と私もとらえ、逆に、夫の意思を尊重するにはこういう表現がいいのかと思い、夫に対しては「~する?」という尋ね方をよくします。

もっとも、とても積極的に誘いたいときは、夫も私も「~しない?/~しようか?/~しよう!」を使いますけど。

他に、以前はタブーだったけど、今はOKになったフレーズの例を挙げると、こちらもでも以前話題になった「~ね」(暑いね、寒いね、美味しいね、等々)とか、「~かな」。

「~かな」は、以前は例えば

夫:「何時に出る?」
私:「2時かな。」
夫:「"かな"って何?!はっきり何時って決めてくれないと困るんだけど!」

と、これまた喧嘩の種だったのですが、今は「かな」は定型的フレーズの定番として、少なくともうちの家庭内ではOKです。

いやはや、それにしても、こうしてすれ違いの例を挙げてみると、けっこう大変な作業をしてきているんだなぁ、と思います。さがして挙げればまだまだあるのでしょうけど、とりあえず、今回はこれで。

joさんのお嬢さん、可愛い! たまらないですねぇ、もう!。カレンさんのとこの、子どもさんたちも、可愛い!

joさんや、カレンさんの、「あぁ、そうなの。そうなんだねぇ」と子どもさんたちと、ゆったりと「子ども時間」を楽しまれている様子も微笑ましいです。

私も子どもといる時間は、ほんと楽しかった! 

子どもの「可愛らしいつぶやき」はどんな宝石よりも美しくて貴重ですよね。私、息子の「珠玉の名言集」だけで、あとの人生、なにも良いことなくても生きていけると思うもの。

定型と非定型のズレの中で、一番やっかいなのは、私の「コンビニ事件」みたいな、一見たわいもない「日常の事件」なのかもしれません。

「???」と思うけど、他人に、その「???」を話すのはばかられるような些事ですし、この「???」な感じは、私自身にとっては、それこそ「底なしの穴に落ちて行く」ほどの恐ろしさと虚しさを持っているのに、その感情は、非定型と身近に暮らした経験のある人にしか分らないんですよね。

実は、一昨日、出向先に以前から相談に乗ってもらってる友人が遊びに来てくれたので、思い切って「コンビニ事件」の話をしてみましたが、相手の顔が「???」でした。

女性問題や金銭問題は分り易いけど、「コンビニ事件」のようなことが実生活で起こるということを信じてもらうのが、まずは大変でした。で、「それって、もうメンタルに完全におかしくなっちゃってるっていうことなの? 元夫さんて、ちゃんと仕事やれてるの? それ、どう考えても異常でしょう!」と、「元夫=精神異常、完全に壊れてる人」というような方向に理解が行っちゃうんだよね。

私も、本もずいぶん読んだし、ネットでもずいぶん情報集めたし、それなりには「知識太り」になってるはずなのに、結局のところ、「コンビニ事件」の「謎」ひとつ解けなかったし、「謎」が一応解けた後でも、友だちに、私の状況や苦しさが分ってもらえるように説明することひとつ出来ない。「定型×非定型」カップルの業は深い、というのを改めて認識しました。

チロさんとこや私のとこみたいに、離婚交渉中だったり、離婚後の調停を控えている場合、相手の思考パタンの分析はノドから手が出るほど欲しいけれど、万が一相手が「自分のことを書かれている」ということを発見した場合に、ヘソをまげられて交渉において不利益になる、というリスクがあるし、関係修復をのぞんでいるカップルの場合もそれは同様でしょう。

でも、なんとかしてここを突き抜けない限り、「先」はないのだと思います。別れるにせよ、関係を修復するにせよ。そして、なによりも次の世代の子どもたちが不必要な苦しみを味わわずにすむために。


井戸端掲示板に書かせてもらっています。

突然の訪問ごめんなさい

夕方に3時間ぐらいかけて
KSさんANさんにお返事を書いてました
書いて消しでupできませませんでしたが。
伝えたい事が書けない

誰かに繋がりたいでもうまく書けない

何の脈絡も無くごめんなさい
サラリと参加したかったんです。

昨日から
淋しいなーって泣いてます。
淋しくて虚しくて悔しい

おやすみなさい

>みぃこさん
大丈夫ですか? これまで押さえていた色々な思いがいっぺんに吹き出しちゃったんでしょうね。

レス書いてくださったのに消しちゃったの? もったいない。読みたかったなぁ。

上手に書こうなんて思うことないですよ。あちらの掲示板に来てる人は、みんなヨレヨレですから、多少言葉が足りなくても、みなさん、気持ちはちゃんと汲んでくれます。それに、みぃこさんのカキコミすごく分りやすかったですよ。

お優しくて、謙虚な、でも芯は強いお人柄も、とてもステキだと思う。私はね、みぃこさんみたいに、ちゃんと元夫と対峙することが出来なかったの。だから、みぃこさんは、すごいな〜と思います。

お互いに、一歩ずつ、半歩ずつ、進みましょうね。無理はせずに。途中で後戻りすることもあってもいいと思います。

どうぞ、ご自愛くださいね。西尾さんの「今日1日のアファーメーション」をあちらで引用させてもらったけど、今日の涙もきっと明日につながると思います。

これからも支え合って行きましょう。もう、私たちつながってるよ。これからもよろしくお願いしますね。

カレンさん joさん KSさん

 子どもだと「可愛い」となるずれた表現が、大人になると喧嘩の種になる。なんでなんでしょうね。おたがいに「その言い方変だ!」と思ったときに、「なに、それ、かわいい!」とか返すことができれば、ずいぶん世の中平和になるんでしょうけどね……

 そういえば私のパートナーの場合「可愛い」と言われるのはあまり好きでないそうです。「魅力的」ならいいと言ってました。このへんも今のところよく分かりません。


みぃこさん

 初めまして。ようこそ。
 辛い状態にいらっしゃるようですが、またよろしければコメントなどどうぞご参加下さい。

KSさん、
ありがとうございます^^

KSさんが書いて下さった様に、
色々な思いが吹き出してしまいました。
情けない事ですが、元来、メンタルがものすごく弱いので、
あっという間に爆発してしまいました^^;
(昨日・今日と、違う環境で過ごしたら、かなり復活!!(笑))

拙い文章しか書けないんですが、
井戸端掲示板に経緯を書けたらいいなと思っています。

>みぃこさんのカキコミすごく分りやすかったですよ。

すごくうれしい言葉です^^


パンダさん

突然にブログコメントに登場してごめんなさい。

こちらのブログでの議論に加わるには
ワタシの知識が無さ過ぎだし、文章力も自信がないですが、
またコメントを残してしまう事があるかもしれません。

パンダさん、皆さん、よろしくお願いします^^


みぃこさんの文章、あちらで読ませていただいたときに「あれ?なんか私と似ていらっしゃるような・・・」と思うところがあり、その先を読むと、そのことをKSさんが書かれていたので、「やっぱり、どこか似たところがあるのかな」と思いました。

みぃこさん、私もその時々の思いを吐き出しながら今までやってきています。あちらの掲示板に始まって、こちらに寄せていただいたおかげで、たくさんの方から知恵やヒントをいただいてきました。掲示板に出会ったこと、パンダさんのブログで考えを深めてこられたこと、とても感謝しています。

あちらではコメントできませんでしたが・・・どうか、よろしくお願いします(^^)

みぃこさん

 「こちらのブログでの議論に加わるにはワタシの知識が無さ過ぎだし、文章力も自信がないですが、またコメントを残してしまう事があるかもしれません。」

 知識なんて必要があればあとからついてくるもんだと思いますし、大事なのはひとりひとりのみなさんが抱えている現実についての、自分にとって大事な「問い」なんだと思います。いつでも気になったことや書きたいことを気にせずに書いて下さいね。それがうまく他の人に伝わるかどうかはわかりませんけど、でも書いている内にすくなくとも自分の中で整理されるものがあると思うし、うまく行くと他の人にも結構参考になったりするかもしれないし。

 私もいつも適当に書いてますしどうぞお気楽に……(なんて言うと怒られるか (^ ^;)ゞ )

こんもん発見しましたけど。。。

http://www.youtube.com/watch?v=h1fw0UBGRzk

KSさん、あとはよろしく、、、なんちゃって。

>joさん

東海岸と西海岸も、男と女も、コミュニケーションギャップがあるのですねぇ。定型と非定型のギャップにくらべたら、しかし、これらのギャップは、たいしたことなさそうね。インタビュアーと作家さんも、「そうなんだよね、男はこういう時こう言う」とか、異文化の解明を案外軽々とやってましたよね。

私は、以前は『地図が読めない女、話を聞かない男』みたいな本って、なんか「けっ」っていう感じでバカにしてたんですが(「女はこう」って決めつけられるのが腹立たしかった)、定型内での異文化については、もう少し学んでみようと思っています。自分の中にある「文化」ももう少し認識しようと思ってます。

仕事の世界では「多数派=男、少数派=女」な訳で、男という異文化をちゃんと読み解けば、そして自分の中の女という文化を自覚すれば、仕事もやりやすくなるだろうしね。かつては、「男&女=人間」と思ってました。もちろん、女でも気が合わない人もいれば、男でもすごく気が合う人もいるのですが、おおぐくりの「文化の違い」は認識するにこしたことない・・・と最近は思います。

「定型vs非定型」の異文化読み解きは、「西海岸vs東海岸」の1億倍くらい難しいと思います。でも、「西海岸vs東海岸」も、相手によかれと思ってやってることで、相手が不愉快になったり・・・っていうのがあるというのは面白かったです。

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