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2011年8月12日 (金)

鍼灸というコミュニケーション

 アスペと定型のコミュニケーションを考えるとき、いろんなつながり方、やりとりの仕方を考えることができます。単純に手紙でのやりとり、メールのやりとり、電話での会話、掲示板でのやりとり、コメントのやりとりなど、「どういう道具を使ってやりとりするか」ということもいろいろありますし、そういえば私も昔電話でのやりとりってなんか苦手感があったなあとか、思い出しましたけど、人によって、あるいは時期によって、またはアスペか定型かによってもどういう道具がやりやすいのかに違いがあるかも知れません。

 上に例に挙げた道具はどれも「言葉」によるコミュニケーションのためのものですけれど、同じく「道具」を使うコミュニケーションでも言葉の要らないものもありますよね。たとえば音楽とか、あるいは繭さんが得意な写真とか、絵とかまんがとか、いわゆる「芸術系」みたいなものです。言葉に仕切れない「感覚」がそこではやりとりされることになります。

 言葉が要らないコミュニケーションと言えば、スポーツもそのひとつでしょう。と、書いたところでふと思ったんですが、「アスペの人がわりと得意なスポーツ」とか、逆に「不得意なスポーツ」とかってあったりするんでしょうか?「定型的な意図の読み合いが苦手」ということから考えると、たとえばサッカーとかはチームメートと先の展開を読み合ってパス交換や移動をするし、相手の意図を読んで先回りして防いだり攻撃したりする、ということをずっとやり続けなければいけないので、もしかすると苦手なんでしょうか?でも同じ球技でも野球なんかだと超有名選手で「あの人まずそうだろうな」という人もいますしね。野球ってサッカーに比べてすることがわりに型にはまってて、ややこしく意図を読み合うみたいなことが必要ないんでしょうか。

 前にも少し書いたかも知れませんが、言葉の要らないコミュニケーションにはスキンシップもありますね。娘が母子関係に苦しんでいた時期、一ヶ月ほど海外でホームステイをさせてもらったことがありましたが、そのときホストファミリーのお母さんが、夜寝る前にはかならず両手を伸ばして娘を抱きしめる、というあいさつをしてくれたそうです。それをされた娘が、「自分が求めていたのはこれなんだ」と、なんか心の底から感じたらしいです。ここはほんとに定型とアスペの間でズレが起こりやすい部分なんだと思います。

 あと「プレゼントの交換」とか、物によるコミュニケーションなど、他にもいろいろ考えられるでしょうけれど、そんないろんなコミュニケーションがある中で、これまで私はどちらかというと「お互いに同じような道具を使ってコミュニケーションをする」こととか「同じようなやりかたでコミュニケーションをする」というパターンについて考えることが多かったように思いました。それは発達障がいを持ちながら鍼灸師をされているたもっちさんのコメント(これとかこれ)を読んで気がついたことです。

 つまり、会話とかなら言葉をなげかけて言葉で返す、とか、プレゼント交換なら物をもらって物を返すとか、そういうふうに「お互い同じ様なことをやりあう」というパターンがそこにあります。ところが定型とアスペの間では、そんなふうに「同じ事をやりあっている」はずなのに、それがずれてうまく行かないことが起こりやすい。同じ言葉でもお互いにすごく違う意味で理解したり、同じ表情でも相手に与える影響が全然予期しないものだったりして、「同じ事をやりあっているはずなのに」訳の分からない混乱に陥ってしまう場合がある。それは一体何がずれてしまっているんだろう、というのが私がここでこれまで考えてきた「アスペと定型のズレ」の問題の大部分だったかも知れません。

 ところが、鍼灸師の方がお客さんと作っているコミュニケーションは、ちょっとそれと違う性格を持っているんじゃないだろうかと思ったわけです。もちろん鍼灸なんて、自分自身していただいたことさえない「未経験者」「ど素人」ですので、まるで想像の世界での話ですけれど。

 もちろん鍼灸師の方も、たとえば「いらっしゃい」とか「こんにちは」とか、「ここに横になって下さい」とか、そういう言葉を使ったコミュニケーションはされるわけですが、それはまあおまけのようなもので、やっぱり本体は体に針を刺す(うー、痛そう (^ ^;))とか、お灸を据える(熱そう (^ ^;))とか、そういう「はたらきかけ」ですよね。じゃあそういう鍼灸師の方のはたらきかけに対する応答の方はなにかというと、「あ、そこ気持ちいいです」とか「あつ~い!」とかいうのもあるでしょうけれど、もっと基本的なことは針や灸、あるいは鍼灸師さんの指の動きに対して、お客さん(って言うのかしら?それとも患者さん?)の皮膚とか体がどう反応するかということなんじゃないかなと思います。

 ツボを探すというのも、よく分かりませんが、多分指で触れたり押したりして、それに対する皮膚の反発とか、筋肉の動きとか、場合によって体温の微妙な違いとか、そういうものが手がかりになるのかなと思うし、そこで鍼灸師の人は無言のコミュニケーションをお客さんの体としているわけですよね。しかもそのコミュニケーションというのは会話のように初めはAさんがしゃべって、次にBさんがしゃべって、また次にAさんが……というように、「話す」という同じような行為をお互いに順番に繰り返すようなものとは違って、言ってみれば主導権はずっと鍼灸師の方にあるわけです。お客さんはそれに受け身で答えるだけでしょう。

 そういう意味で、これまでこのブログで主に考えてきたコミュニケーションとはちょっと違う性格なんだけど、でもそれも一種のコミュニケーションなのかなあと思えたわけです。

 で、たもっちさんは一般の事務職とか、そういうところで定型的なコミュニケーションとのズレに苦しまれた後、鍼灸という「新たなコミュニケーションの世界」に入っていかれ、そこで試行錯誤はあったでっしょうが、お客さんとのコミュニケーションに自信を築かれて次のステップに踏み出して行かれたわけです。

 この話、どういうふうにひろがり、アスペと定型のズレの問題につながっていくのか、まだちょっと分かんないんですけど、なんとなくの予感としては結構大事な問題に関係してくるような気がしています。なんというのか、夫婦間の問題ではないんだけど、なにかもう少し大きなところでその問題にもどっかからんでくるような気がするし、もちろんアスペの人と定型の人がお互いの「得意」な面を発揮し合ってこの世の中で一緒に生きていく、みたいな問題にもからんでくるでしょうし。そういう大きめな問題の中で「夫婦」の問題を改めて考えてみる糸口みたいなものが、もしかしたらそこからちょっと見えてくるかも、という気がなんとなくしました。

 

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