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アスペルガーと定型を共に生きる

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2011年8月 7日 (日)

落語とアスペと定型と

 ちょっとお疲れ気味なので、今日は少し「お気楽モード(?)」で書いてみようかなと思ったりしています(゚ー゚)

 先日ある親しい方と久しぶりにお話してたんですが、話題の中で落語の話になって、ふっと思い出したことがありました。落語の中には「人情話」と言われるような噺があって、くまさんはっつぁんや近所の御隠居さんたちがずっこけたことをやって笑わせる普通の噺と違い、じっくりと物語を聞かせて最後はほろっとさせる、というタイプの噺です。

 「怪談話」もそうですけれど、いわゆる名人芸の世界になりますね。あんまり若手だとなかなかそこまで「ほろっ」とさせられるところまではいかないでしょう。(お好きな方はたとえば志ん朝の「文七元結」とかもどうぞ)

 で、改めてその人情話を聞いていると、まあだいたいが長屋の神さんが大変な亭主に苦労させられて、仲人などに泣きついたりしながら、それでもひどい目にあい続けて、亭主は亭主でそんなかみさんの苦労を知ってか知らずか、勝手気ままだったり、知っていても自分でもどうする事も出来ずに神さんや場合によって娘にまで迷惑をかけ続ける。

 ところが家族の想像を超えるくらいの献身や周囲の人の努力によって、ついに亭主が改心して、必死でそれまでさんざん家族にかけた苦労に報いようとするようになる。そんな噺がいくつかあります。

 今の目から見ると、ひたすらに女性に自己犠牲を求めるような、いかにも亭主に都合のよい噺になっていますし、そんなに都合よく亭主が心をすっかり入れ替えることなんかあるだろうかとも思いますけれど、まあとにかくそういう自己犠牲とそれが報われる展開に「ほろ」っとさせられるようなつくりをしています。

 で、そういう噺を聞きながら、「ああ、これって今でいえば亭主が境界性の人ということだろうな。」とかあるいは「DVの典型みたいな話だな」とか思えるものがいくつもあります。江戸や明治の人たちもそういう問題にずっと苦しみ続けたんだろうということが実感できるし、考えてみれば噺家を含めてちょっと桁違いの生きざまを持った芸人って、そもそも本人がそういう人だったりするわけでしょう。お客はそのけた外れの奔放さに拍手喝さいだったりするけど、当の芸人の家族はそれはもう本当に大変だったりする。

 そういう大変な状況を抱え込んだ家族が「せめてこういう形で幸せに行き着ければどんなにいいだろう」という願望の一つの形が「人情話」にはたくさんこめられているのかもしれません。

 そんな人情話のひとつに「厩火事」というのがあるんですが、最近ふと気がつくと、これってもしかしてアスペルガーと定型のずれがベースになっているのかも、と思ったりしました。たとえばこんな台詞。亭主の愚痴を言いに来た神さんに、夫婦の後見的な役の旦那が言う文句です。

 「お前さんの亭主についちゃぁ、あたしゃ気に入らないところがあるんだ。つい、三、四日前だった。近所に用事があったんで、お前さんのうちへ寄ってみた。そのとき、そこへ出ていたお膳の上を見て、あたしゃムカッときたね。刺し身が一人前のっていた。まぁ、こりゃいいとして、その横に酒が一本乗ってるじゃないか。これがあたしの気に入らない。そうだろう? 女房のお前さんは外で油だらけンなって稼ぎまわってる最中だ。その留守に、いくら亭主だからって、真っ昼間から酒を飲んでるって法はあるまい?

 えぇ?そりゃぁ呑むなじゃないよ。でもさぁ、どうせ呑むンなら、お前さんが帰って来るのを待って、いっしょに呑んだらどうなんだい? 自分は遊んでて、女房が働いてるんだから、そのくらいの心遣いをするのが夫婦ってぇものじゃないのかい? ったく、それができないような亭主なら、もう縁が無いんだよ。別れたほうがいい。もう、遠慮なんかするこたぁないよ。別れちまいな!」

 ここでは髪結いの神さんに働かせて自分は遊び暮らしていて、神さんのことなんか全然考えてもいない、という薄情なぐーたら亭主ということで批判されているわけですが、なんか見方によっては「一緒に楽しむ」ということについてのアスペと定型のずれの話にも見える気がします。さらに噺の落ちもまた(ここでは書きませんが)、なんかアスペの「合理性」と定型の「人情」のずれのおかしみと見えなくもない。

 その昔からどれだけたくさんの人がそのずれに泣き、わめき、傷つき、周りに愚痴りあい、ときには笑い、ため息をつき、気を取り直し、またくじけそうになり、別れたりくっついたりして生きてきたんだろうと、ちょっとそんなことを考えちゃいます。

 あ、この話、なんの落ちもありません~。おあとがよろしいようで。

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コメント

はい~。それ、まるっきりうちの噺しです。

亭主は、前はそこそこ稼ぎがあったのだけど今は失職して、家事育児とバイトして、カミさんが安い月給で働いてやす。バイトのない日は、子供を学校へ送り出して、洗濯もの干して、銀行へ行ったり郵便局行ったり役所いったり、あれやこれやして、ほっと一息ついて腰おろしたら、暑いし、世間じゃ節電でエアコン使うなと言うし、人一倍苦労してイヤイヤ働いてるカミさんと我が家の家計を思えばやっぱりエアコンつけるのに気がひけて、世間のアホなママ友どもは、亭主の稼ぎでテニスやったりヨガやったりランチしてお茶してるしぃ。むしゃくしゃした日にゃ真昼間っから、自分の情けない身の上話しを肴に嘆きながら、 beer の一本も呑みたくならあな。

えぇ?どうせ呑むンなら、おカミさんが帰って来るのを待って、いっしょに呑んだらどうなんだい?

って?おもろない。どうも話がかみあわないんだから、おもろいわけないやろ。

て、髪結いやってるおカミさんの方もアヤシイって解釈じゃないですよね、まさか。

芥川+黒澤の「羅生門」は、やっぱ名作ですよ。一つの事実を両者から見たストーリーってのはありそうなんだけど、たしか記憶がまちがってなければ4方向から見てそれぞれ整合するぜんぜん異なるストーリーが展開するんでしたよ。

まだでしたらぜひご一見を。

 そうか。joさんは髪結いの亭主だったのか。私も今はちょっと似たような状態ですが…
 ま、あの落語では亭主のほうがアスペっぽい感じなんですけどね。

 羅生門、DVDも持ってます。あれ四方向ででしたっけ?かみさんと野盗と殺された亭主(口寄せ)と、あと誰でしたっけ (^-^; 

霊媒師
巫女さんかな?

口寄せって霊媒のことなんすね。じゃ、もう一人こそ泥が見ていたのじゃなかったっけ?

joさん

 ちょっと自分のパソコン故障してたんで見られなかったんですが、ようやくチェックしました。もうひとりは山に芝刈りに入ったおじさんですね。志村喬が演じてます。検非違使では現場は見てないと嘘をついてたんだけど、実際は大部分の現場を目撃していてそれを羅生門で語り聞かせてました。ただしそこにも嘘が含まれていた、というおまけ付きですけど。それにしても三船敏郎って、どうして黒沢映画でだけ、あんなに目を見張るようなすばらしい演技するんでしょうね……

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