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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2011年8月24日 (水)

お互いの小さな工夫

 アスペと定型の間でしばしばトラブルことが多い場面に、定型の側が病気になったときのことがある、ということは多くの人が体験談として語られていることですし、なぜそういうことになるか、の理由もここでも考えてきています。それは「病気になったときにどういう気の使い方をして欲しいか」ということについての考え方が、定型とアスペでは全くずれていて、お互いにそれを理解していないために、「定型がしてほしいこと」と「アスペの人が気遣ってすること」が全然噛み合わないことがその理由と思えます。

 アスペルガーの人は基本的に病気になったら、必要に応じて医者にかかって、薬を飲んで、あとはひたすら安静にして自分で治すしかない、と思っているようなので、その他食事の世話や布団の世話など、必要なサポートをする他は、病気の定型を一人にしておく、ということが自然な対応であり、一番適切な対応だと思えるようです。ところが定型の方は「病は気から」という言葉にもあるように、なんか病気で心細くなっている自分の気持ちを支えて欲しい、という思いがある人が多いでしょう。弱っているときに「甘え」の気持ちが出るんでしょうか。

 だから、入院時の看護婦さんの対応のように、医療的に必要なときに来て対処してくれる、ということではなくて、「側にいて欲しい」とか、「しんどそうだね」「大丈夫?」「かわいそうに」とか、なんか(定型的な)共感の言葉かけをしてもらったり、体をさすってもらったりということが大事になる(人が多分多い)。考えようによってはまるで子どもみたいですけどね。

 そしてアスペの人にはここがぴんときにくいようです。側にいても別に治療できるわけでもないし、「しんどそうだね」としんどそうな人にあたりまえのことをわざわざ確認してどうするというのか。「かわいそうに」と言ってかわいそうで無くなるわけでもない。そんな無駄な話をして病人を煩わせるより、静かに寝かせてあげた方がよほどいいと考えられるのかなと思います。(ま、定型の私がアスペの方の言われることから想像していることなので、どこまで当たってるのかはわかりませんが)

 ということでそういうズレがあるために、定型の側は「辛いときに放っておかれた」という寂しさやショックを感じ、その気持ちはアスペの人とは共有されない。


 実はここ数日、体調を崩して寝込んだり病院に行ったりしていたのですが、パートナーとの間にもこれまではそういうズレが結構シビアでしたし、子どもも母親の感覚とのズレに随分苦しんでいました。で、アスペルガーと定型のズレについての上のような理解が共有された後は、そこも少しずつ変わりつつあります。

 私の方も、できるだけ具体的に「こうしてほしい」ということを、あまり遠慮することなく説明するようになりましたし、パートナーの方もそれは自分の流儀ではないのだけれど、可能な範囲で応じてくれようとします。

 
 それと、こちらが辛そうにしていれば、パートナーもとても心配になるのは同じなんですが、彼女の場合、その心配が「厳しい表情」とか「キツイ言い方」になって表現されるようなのです。だからこちらは何か怒られているような、責められているような気持ちになる。慰めて欲しいのに責められる、という感じになってまた辛い。

 で、昨日もまたそんな感じになったので、昨日は私の方から「怒らないで」と頼みました。もちろん彼女にはそのつもりはないから「怒ってない」と言うのですが、私の方はあえて「でも表情とか言い方が怖い感じだから」と説明を加えました。「これが自分の自然な反応なんだから、そんなこと言われてもどうしたらいいか分からない」とさらに不機嫌(に見える)状態になる、というのがこれまでのパートナーの答え方だったのですが、今回はだまって聞いていました。

 その後、いかにも迷惑そうな口調で(と私には聞こえる)「汗臭い」と言って、ぬれタオルを持って部屋に汗を拭きに来てくれたんですが、そのとき、ちょっとしたジョークを笑いながら言ってくれたんですね。一緒に笑いましたが、「ああ、病気の時にこういうこと初めてだな」とちょっと感激。多分彼女なりに工夫して、合わせてくれたんでしょう。もちろん彼女自身も笑える話ですから、そんなに無理をしてと言う形ではなくて。

 なんか、お互いのそういう小さな工夫の積み重ねを続けること自体が「一緒に暮らす」ということなのかなあと思わないでもありません。

 うーん、ここでエネルギーが尽きました。沢山コメントを頂きながら今日はお返事ができそうにありませんが、ご容赦下さい。

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コメント

「よしよし、しんどいのね」というのを期待する定型。
(ほっといてやるのが優しい)というのが非定型。
ということですが。

義母(妻の母=私から見たらASの元凶)は、義父やその兄弟のことを「マザコン」と称してはばかりませんでした。

そんなこと、私の前で言うこと自体、ひどいASでしょうと私には思えるんですが、義母の視点に立って世の中を整合的に見ようとしたら、そうなります。

義父やその兄弟(複数)が異常と考える前に、自分(単数)がちょっとフツウじゃないと考える視点に立つのは、定型にとっても意外と難しいことかも。直近に隣接している社会は見えても、それを包括している社会を本人の視点から見ることは、原理的に無理ですから。

リビアには憲法も選挙も議会もなく、独裁者を倒したとしても民衆にもそれらの概念が未だないから、ゼロから作り上げていかないといけない。けど、その基礎が無い、ここからがたいへんでしょうね。直近の社会が崩壊したからその先が見える可能性が出てきたのでしょうが。。。

joさん

「義父やその兄弟(複数)が異常と考える前に、自分(単数)がちょっとフツウじゃないと考える視点に立つのは、定型にとっても意外と難しいことかも。」

 少なくとも私の場合は強烈な境界性の母親に育てられる中で作られていった自分の「異常」な部分を、本当にそうだと思えるようになるのには40年の歳月がかかりました (^ ^;)ゞ

 誰にとっても自分の足場を崩して相対化することは難しいし、仮にそう目指したとしても「頭で相対化する」レベルに留まることがほとんどじゃないでしょうか。というか、完全に相対化するなんてあり得ないんだと思います。完全に相手の立場に立つ、なんて絶対無理ですもんね。神様じゃあるまいし。(ま、世の中に流通している「神様」たち自身、随分相対化と縁遠いものが多いように見えますけど (^_^) )

 ここは開き直って、「完全な相対化なんて土台無理なんだ」ということを大前提にしながら、それでもなお「一緒に生きる道」を探っていくことなんだと思います。というか、善し悪しの問題以前に人間は一人では生きられないわけだから、相手が誰であれ、そうしていくしか生きる方法が無いんでしょうけれど。

まずは、コメントに返信できるぐらいに回復されたようで安心しました。

余談ですが、私の場合、鬱の時には、薬を飲んでいなくてもすごく眠くなっていました。とにかく眠くて眠くて、1日の大半を眠って過ごして時々覚醒、という時期もあり、その時は実質、私にとっての1日はほんの数時間しかありませんでした。

元気になってからも、1~2時間の仮眠が必要だったりするときもありますが、それにしても昔と比べたら、「1日ってこんなに時間があったんだ・・・!」という感じです。

パンダさんには、今回、奥様のジョーク付き看病もあったということですから、きっとそれは体調にもいい影響を与えてくれていると思いますよ(^^)

おまじないも宗教でもありませんが、

何かひとつでもいいことがあったら・何か少しでも好転したことがあったら、心の中で「いいことがありました。ありがとうございます。」「コーヒーが美味しいです。ありがとうございます。」「少し調子がよくなりました。ありがとうございます。」と言うことを、だまされたと思って続けてみてください。話しかける先は、自分の心、自分の中の神様みたいなもの、自分の命でしょうか。

私はこれを1日の中で何回か行うことを、数年間続けているのですが、薄皮をはぐように、何かが確実に変わってきています。いいことや幸せを見つけたり感じたりするアンテナの感度が、少しずつ高まってきている・・・少なくとも数年前には気づきもしなかった幸せを感じられ、「本当にありがたい」と思うことがふえています。

ところで

> で、昨日もまたそんな感じになったので、昨日は私の方から「怒らないで」と頼みました。もちろん彼女にはそのつもりはないから「怒ってない」と言うのですが、私の方はあえて「でも表情とか言い方が怖い感じだから」と説明を加えました。「これが自分の自然な反応なんだから、そんなこと言われてもどうしたらいいか分からない」とさらに不機嫌(に見える)状態になる、というのがこれまでのパートナーの答え方だったのですが、今回はだまって聞いていました。

やっぱりあるんですね~、こういう会話(笑)。うちも以前はしょちゅうでしたよ。

私:「なんで怒るの?怒らないでよ!」

夫:「べつに怒ってないんだけど!」

私:「でも怒っているようにしか見えない!」

夫:「怒っているんじゃなくて、困っているだけなんだけど!」

私:「えっ?・・・困っている?・・・でも、怒っているようにしか見えない!」

夫:「顔の表情のことまで文句言われても困るんだけど!」
(・・・と、ますます眉間のしわが深くなる)

そういえば、今ではこんな会話は全くなくなってて、思い出して笑ってます。渦中にあるときには、全く笑いごとなどではなかったのですけれど。

話は変わりますが、

夫の実家は、両親兄姉弟合わせて6人のうち、夫も含めて4人がアスペルガーですね。私の観察と夫の「この人は自分と同じタイプ」「この人は自分とは違うタイプ」という感覚からの推測ですが。

ただ、あの家族はみんな個性的で、集まっての飲み会なんかは楽しいですよ。社会情勢・政治経済・スポーツ等々についての、難しい議論が多いのですが、和気あいあいでいつも盛り上がります(私も含めて、その集まりではいつも誰かが二日酔いに・・・笑)。

joさんが書かれていることと、自分のご主人がマザコンだといつも明るく楽しく厳しくバンバン言っている義姉のことが重なって、「なるほど、こういうことだったのか」と、夕食どき、夫と笑ってしまいました。

毎回、「非定型の彼の○○がいいよね」を書こうとしては、ほかの話題についつられ・・・(^^;)KSさんが出向から帰ってこられるまでに書こう・・・と思います。

カレンさん

 「何かひとつでもいいことがあったら・何か少しでも好転したことがあったら、心の中で「いいことがありました。ありがとうございます。」「コーヒーが美味しいです。ありがとうございます。」「少し調子がよくなりました。ありがとうございます。」と言うことを、だまされたと思って続けてみてください。話しかける先は、自分の心、自分の中の神様みたいなもの、自分の命でしょうか。」

 その話、聞いたことがあります。というか、勧められたことがあります。
 なんか、でもそういうの、私苦手なんですよね (^ ^;)ゞ
 なんでなんでしょうね。

 多分生まれながらにして根性がどこかねじくれて居るんだろうと思うんですが (ToT)
 そのあたりが「聖なる次元」みたいなものを大事にするように思えるカレンさんと
 「俗なる次元」でのたうち回ろうとする私の「品性の違い」なのかなあと
 しばしば思います。

 そこはいつか私が成長して悟りを開けばカレンさんのようになるのか、
 あるいはいつまでたっても相変わらずそこは悟れないパンダのままなのか……

 思い返してみると、学生時代から、親友との間で同じような問題で
 ずっと同じようなことを論じ合ってきたような気がします。

 人間(いや、パンダか?)、なかなか成長しないですね…… (^ ^)

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