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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2011年8月 1日 (月)

ズレを遊ぶ

 先日友人が欲しかったDVDをプレゼントしてくれました。私は嬉しくて、「ほらこんなのもらったよ」とパートナーに見せました。パートナーは「だから?」と一言言いました。

 これ、定型的なやりとりだと、こちらがうれしそうに「ほらこんなものらったよ」と言えば、「ああ、そう、良かったね。なにそれ?」とか、そこから話が進むことが多いでしょう。実際ある人にこの話をしたら「え?<あ、そう、よかったね>じゃないわけ?」とびっくりしてました。

 以前の私ならやっぱりがっかりして、あるいは傷ついていたんですが、今は違います。そういう反応が返ってくることは予め予想できるので、逆に「わあ、また<だから?>って言われてた! うー、立ち直れない!」とか大げさに反応して「遊ぶ」のです。

 そうすると「じゃあ、何て言って欲しいわけ?」とか聞かれて、「まあ、定型的に言うと、ああよかったね、とかいうことが多いんじゃない」とか答え、「ふーん、そんなもんなのかね」と言われる、というような展開になったりします。どっちも半分笑ってます。

 この「だから?」とか「何て言って欲しいわけ?」というような反応は、定型の私としては傷つき続けた反応だったのですが、なぜパートナーがそういう言い方をするのか、についてはいくつかの理由があるようです。ひとつは素朴に、私がプレゼントをもらって嬉しかったとしても、それは私のことであって、別にパートナーにとってプレゼントされて嬉しいことはない。見せられたDVDは自分の知らないDVDだから、それを見ても「あ、それ自分も見たかったやつだ」というふうによろこぶ理由もない。もちろん私が喜んでいる姿を見て、「困ったことだ」とは思わないでしょうけれど、でも特にそれ以上のことではない。

 そういう状態でプレゼントを見せられて、何か感想を求められているように思えても、何を言っていいかも分からない。で「それで?」となる。というのがひとつです。今日もその話をしたら、DVDの箱をみながら、「こんなの見て、何を言えっていうの?」と半ば不思議そうに言ってました。

 もうひとつ、パートナーは自分が思ったことを素直に言うと、そのことで相手を傷つけたり怒らせてしまう、という経験を繰り返し、どう反応したらいいのかについて、とても慎重になっていると言うこともあるそうです。特にアスペと定型のズレについて理解が共有されるようになって以降は、その慎重さがとてもはっきりしたように感じます。

 素朴に感じたことをそのまま言えないというのは、関係としては寂しい気持ちはありますが、でもそれが気遣いであると言うことはうれしいことでもあります。

 そんなふうに、「こう言えばきっとパートナーはアスペルガー的にこんな風に返してくるな」とか、結構予想ができるパターンが増えてきているのですが、そうすると面白いことに、今度はそのパターンの定型とのズレを、逆に遊んでしまう、という発想が出てくるんですね。相手をからかったりして。なんか自然にそうなりつつあります。「これだからアスペは困ったもんだ」とか、「ほんとに定型はめんどくさいね」とか、お互いにけなし合ったりして「遊べる」わけです。

 
 これまで、「ズレを共有すること」の意味を考えてきましたが、ズレが共有されてくると、今度は「ズレを遊ぶ」ということが始まったりするんですね。ちょっと面白いことだなと思います。

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コメント

いつも、共感しながら読ませていただいています。
皆さんが、高尚な文章を書いていらっしゃるので、緊張しながら打ちこんでいます。
(お手柔らかにお願いします)


うちは、アスペルガ―と思われる主人(検査をして「発達障害のグレーゾーン」と診断されました)と、たぶん定型の私(妻)、そしてまだ小さい子供2人の4人で生活しています。

自分に対してなら、あきらめもつくのですが、子供たちの安全が脅かされることが頻繁にありすぎて、つねに気を張っていなければならない状態がつらくなってきました。
外から見ると「よく遊んでくれる、いいパパ」に見えるそうなのですが、危険な事に関してあまりにも無頓着すぎる主人に「恐れ」すら感じます。

安全面も不安がたくさんありますが、アスペルガ―の親を持つ子供は、どういった思考回路になっていくのか等、情緒的な面でも心配です。
先日、子供が悪い事をしたのに、私のせいにして来ました。
どう考えるとそう思うのか、理解に苦しみ「パパの考え方に似ている」と気づいたら、ふに落ちました。子供もアスぺなのか、真似しているのか、しらないうちに似てきてしまったのか・・・。


「私の考え方が異常なのか?私の頭がおかしいのか?」毎日、自問自答の毎日です。かなりきつくなってきたので、自分がカウンセリングを受けてみようかと考えています。
きっと何も変わらないと思いますが、何も動かないよりはましかと思いまして・・・。

ここに来ていらっしゃる方は、どうしてそんなに達観しているのでしょうか?
こちらのコメント等、全部熟読したら、私もそうなれるのでしょうか?


冷静になれないものが、紛れ込んでしまい大変失礼しました。

パンダさん、お邪魔します^^ iroriaです。
私のブログにコメントを下さったというのに、あれからヘバってしまい
ブログの更新を怠り、返信が遅れに遅れてしまった事・・・本当に
ごめんなさい。また、こちらへ「伺う」という気も回らなかったようで…
何をやっているのか、私・・・と二重の反省でした;;すみません・・・!

パンダさん、ここに至るまでの間、本当に頑張ってこられたと思います。本当に。
うちは残念ながら、そうはならなかったですが、そこは「+個々の人格」や
「私との相性」などの問題があるのだと思います。
パンダさんとご主人様との現在のご関係は、多くのご夫婦の励みやヒントに
なる事と思います!素晴らしいです!!^^v

これからも遊びに来させていただきますね☆
パンダさんご夫妻に拍手!!

なべさん

 「ここに来ていらっしゃる方は、どうしてそんなに達観しているのでしょうか?こちらのコメント等、全部熟読したら、私もそうなれるのでしょうか?」

 うーんと、なんか山にこもって修行中の方とか、いろいろいらっしゃいますけど、「達観」されている方はいらっしゃるかどうかはよくわかりません。少なくとも私はぜんぜんだめですね(笑)。

 ひとつ思うのは、ここに参加してくださっている方の多くが、これまでずっとほかの掲示板とかでとにかくしぬほどに苦しい思いを語り続けてこられているということでしょうか。それがあって、いろんなほかの方の思いも知り、またここではアスペの方の話も聞き、「いろんな目で問題を見つめなおそうとされている」ということなのかもしれません。

 今もそれぞれの皆さんがそれぞれの場でいろんな苦しみとか、葛藤を抱えていらっしゃるんだと思うけれど、「いろんな目で見る」ということが「達観」というふうになべさんには感じられたのかもしれないなあと思いますが、よくわかりません ヾ(´ε`*)ゝ

 またいろいろ気楽にコメントにご参加ください o(_ _)o

iroriaさん

 ほんとうによかった。なんかその一言です。
 あれほど苦しみながら、必死で前向きに頑張り続けられて、
 最後は力尽きて……という感じがして、
 本当に痛々しくて言葉にならない感じでした。
 その後もどれほどの時を過ごしてこられたことかと思います。
 よくぞまたネットに戻られるくらいになられました。
 
 どうぞご無理をなさらずに、何よりご自愛くださいね。
 また気が向いたらこちらにも気楽にご参加ください。
 おふざけや面白投稿も大歓迎です。

全然、達観してないチロです。

パンダさんが奥さんとそういう風にズレを楽しむところまで行けたのは、凄いです。パンダさんも奥さんも長い間苦しんで努力されたからですね。それでも、まだまだ楽しめない状況もあるかとは想像しますが、些細なことでもイラッとせずに冗談にできるようになるまで、頑張られたと思います。

私は、アスペ概念やネットの広まりのおかげで、夫がアスペかもしれないと気付くことができたので、訳の分からない苦しみからは早々に逃げ出すことができました。 その分、努力するチャンスを逃したと考えることもできますが、もしアスペを知らなくても、やっぱり私は夫に早々に見切りをつけてたように思います。

そこを分けるのは何かずっと気になってたんですが、最近もしやと感じているのが、相手の親の在り方です。私の夫の両親も、変と言えば変なんですが、夫との関係はすこぶる良好です。互いの存在が社会的な体面を保つ上でも、自分の存在意義を感じる上でも約に立っているように見えます。
大企業に勤める父は妻子を養い、お嬢様育ちの母は夫と息子の世話をし、息子は伸び伸びと育ち一流大学。林真理子原作ドラマ「下流の宴」の中流家庭みたいに。(ドラマでは息子がフリーターになりますが。)
私は、母子家庭だったので、自分の存在自体が重荷かもしれないという不安や大学に行くことも経済的に後ろめたい気持ちがありました。母にしても、家族のために働くと子供に寂しい思いをさせる、という矛盾があったと思います。
夫の実家が家族の情に溢れているていう印象はありませんが、一致団結してるのは確かです。
そのことが、夫が私を軽く扱い(←と私には思えます。)、私と向き合わない原因であり、私が夫と向き合わう気がしない理由ではないかと、勝手に分析しました。

パンダさんの奥さんやその他、アスペ女性はアスペ男性よりも家庭や社会で生きにくさを感じてきたのではないでしょうか。母と娘の関係では、アスペに限らず、母と息子とは全く違った息苦しさがありがちです。
一人で闘ってきたアスペ当事者だから、定型側も闘いを挑めるように思います。
私の夫は、逃げ込める実家があるので、闘いになりませんでした。

ズレを楽しむ話から、だいぶ飛躍してしまいましたね。

チロさん
 
私もそこがずっと気になって考えていることのひとつです。そしてチロさんの書かれていることを読んで、ああ、やっばりそこもすごく大きいんだなと思いました。
なんていうのかな。人って、今の自分を支えている一番大きな足場がくずれそうにならない限り、いや崩れてしまわない限りかな、そうそうしんけんに相手や状況に向き合って、自分自身を変えようとはせず、相手に我慢させたり、あいてを変えようとしたり、無視したり、あるいは相手を責めたり、そうやって自分は守りながらトラブルをやり過ごそうとするのが、ある意味『普通』なのかも、と思うんですね。

このあたり、改めて考えてみたいです。

補足です。私の方も、受け入れてくれる実家があったということを書いてませんでした。
私の実家はわりとお人よしで、夫や夫の実家の意向を尊重していて、私も夫を説得するのが面倒で、自分の実家に我慢してもらうことが多かったです。そしたら、そもそも結婚に反対していた姉がついに怒って、夫にというより、実家に犠牲を敷いて平気な私に怒り、一年以上絶縁状態でした。そのとき、私にとってどっちが必要かを考え、私のことを考えてくれる実家の方が大事だと思いました。

チロさん

 最近ぼちぼち思うんですが、なんの問題も全く抱えていない家族というのはきっとまずないんですよね。その大きさの違いはあったとしても。そしてほんとにシビアな問題に発展しやすい可能性を持っているアスペルガーと定型のずれという問題を抱えている家族でも、状況次第ではそれがそんなに深刻化しないで、ほとんどそれと気づかれることもなく「添い遂げる」ことすらあるかもしれない、という可能性も最近考えるようになってきました。

 もちろん「問題に気付かないほうがすぐれている」とかいうことではありません。いいとか悪いとかではなくて、とにかくそういういろんなパターンがありそうで、それぞれによって対処の仕方にもほんとにいろいろあるんだろうなという気がするんです。

 チロさんの場合はお二人の関係の背後に、お互いの実家のことがとても大きな意味を持っていたし、そこでまた実のお姉さんとの関係がものすごく大きなポイントだったんですね。ある意味なんかすごいなあと思いました。

 うちのパートナーの場合はずっといじめられ続けてきたせいで、「闘う」ということはほんとに苦手で、私が闘おうとするとすぐに「被害者モード」になっちゃって、私がなんだか「いじめっ子」役にならされてしまう感じになるので、闘えなくて、それがまた問題を長引かせる原因の一つだったようにも思います。そのあたりはカレンさんご夫妻とまた違う部分かなと感じます。どっちかというと、うちの場合は、私が自滅することで「ずれ」の問題がようやく共有された感じかも (-_-;)

 カレンさんご夫妻はほんとに正面からぶつかり合って(といってもお互いにずれながらですが)、闘いの中で変化してこられた感じがします。

 うーん、ほんとそれぞれだなあ。
 

 

パンダさん、そして皆さんお久しぶりです。ずいぶんご無沙汰してしまいましたが、私は暑さもなんのその、非常に元気です。

さて、私たち夫婦が正面からぶつかり合ってきた歴史には、壮絶な面もありますが、今思えば「すがすがしい」ようにも感じます。やり残したことはないというか、延長ノーゴールの末にPK戦でも決着がつかず、両者優勝というか。どちらかが勝つとか負けるとか、正しいとか正しくないということではないと納得したと言えるでしょう。

お互いの家庭環境は、それぞれの性格や「戦い方」に大きな影響を与えています。二人とも「いじめ」た経験も「いじめられた」経験もないので、根本的なところで「言葉で説得する」ことは可能であると思っています。
最終的に話が通じないとか、考え方が違うということは当然、何度も経験しているので、そこまでいけばあきらめることができます。ただ、それはあくまで「他人」というか、「家族や肉親ではない社会的な存在」に関してです。初めて「あきらめられない」相手が「目前に厳然と存在している」という状態に、途方に暮れつつも、全力でぶつかっていったのかなというのが、ここ数年(十数年?)を振り返ってみての「まとめ」です。

「私はアスペルガー(?)」という視点に立ってからも、紆余曲折はありましたが、急速にいろいろなものが見えてきて、本当に劇的な変化がありました。

パンダさんが今「楽しんで」いらっしゃる様子が、目に浮かびます。私たちも時々やっています。もちろん失敗して、気まずい時もありますが・・・。

夫が上に書いていますが、本当に、長い長い延長、また延長の末に、両者優勝というのがぴったりの表現だと思っています。「やれるだけのことはやり尽くした」という悔いのない感じは「すがすがしさ」と言えるでしょうし、ここまで来ると、自分にも相手にもそれぞれに対して称賛を送りたくなります。

先週だったか、もう少し前だったか、生まれて初めて「平凡」な生活に辿りついた、というようなことを書きましたが、それは夫が書いているような「家族」とか「肉親」という表現ともつながっているのだと思います。

元々他人が一緒に暮らすようになって、距離が近くなりすぎて、バトルも数えきれないほどやってきて、でも、このままではいけないとチョット距離も置いたりしながら、やっと「家族」「肉親」、しかも「平凡」な家庭の「平凡」な家族になれたという気がします。

「平凡」な生活・・・一時は何もなくなってしまった・すべてを失ってしまった&荒れに荒れた更地のようだった我が家に、そんな生活が芽吹き育ってきていることに感謝です。

カレンの夫さん

 ほんと、お久しぶりです。

 「初めて「あきらめられない」相手が「目前に厳然と存在している」とうい状態に、途方に暮れつつも、全力でぶつかっていったのかなというのが、ここ数年(十数年?)を振り返ってみての「まとめ」です。」

 この「あきらめられない」相手という表現がぐっと迫ってくる感じです。(という表現って伝わるのかな?)
 それがカレンさんの夫がカレンさんを「必要としている」ということだったのでしょうか。


 カレンさん

 「失って初めて知る<平凡>の価値」ということがあるんだろうなあ。私の場合は、生まれた最初から失うべき<平凡>な<平和>な生活がなかったということが悲しい気もします。まあでもそれは自分では選べないことなので、ま、しょうがないですけどね。私は私の人生を生きるしかないわけだし……

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