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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2011年8月 9日 (火)

面倒くさそうにお手伝い

 アスペと定型のコミュニケーションのずれの中にたぶんしばしば見られると思うのですが、定型の側が何かをアスペの人に頼んだ場合、すごくいやな顔をされる(ように見える)、ということがあるように思います。うちなんかしばしばそれがあって、先日もそうで、それでふと思ったことです。

 いやな顔をされるわけですけど、やってくれないわけではないんです。ちゃんとやってくれる。でもものすごく迷惑そうに見えて、こちらとしてはすごく悪いことをしてしまった気分になるんですね。

 逆に言うと、定型の場合はたぶんそういうことは少なくて、まあ「あ、いいよ」と笑顔で応じるか、少なくとも普通の顔でさっさとこなすか、そういうことが多いと思うのですが、それがないんですね。私のパートナーの場合は特にそれが目立つことが多いほうなのかもしれませんし、そこはよくわかりませんけれど。

 何が違うのかなあと考えたら、パートナーについていえば、とても素朴に「素直に気持ちをそのまま表しただけ」なのかなと思います。別にそれで私を責めるわけでも、拒絶するわけでもないのだけれど、何かを頼まれるということは自分の予定が小さくではあっても崩れてそれを立て直さなければならないわけだし、そうやって自分の「見通し」をもう一度作り直すのにそれなりの「覚悟」が必要になる。

 定型的には何を大げさな、ということになるかもしれませんが、パートナーとすればどうもそこは実際にそれなりの大変さを伴うようにも思えます。

 今思い出したんですが、昔よく腹の立っていたことで、たとえば外出した時など、ちょっとおやつを買って食べることを思いついたとします。で、それを提案すると、必ずなんかかんか文句が出てくるんですね。ケチがつくというか。で、こちらはせっかくおいしいものを食べて楽しもうと思っていた気持がしょぼーんとしてしまい、実にさびしい気分になってそれを買います。ところが、買って配って食べ始めると「おいしい」とか、そんなことをいうわけで、かちーんとくるわけです。あれだけなんだかんだケチをつけておいて、一言の謝りもなしに「おいしい」とうれしそうに食べるとはなんだ!という感じです。

 で、これも今思うと「予定になかったこと」を提案されて、まずはそれについてマイナス面の検討を始めてたんですね。これはパートナーの作られた性格の部分もありそうですが、とにかく「将来のマイナスの事態に常に備える」という構えがものすごく強く作られてきましたから、本当は好きな食べ物についても、なんか最初にそうやって「たとえそれがマイナスな結果をもたらしたとしてもいいように心の備えを作る」ということだったように理解もできるわけです。で、さんざんケチをつけておいて、実際に食べればおいしいので、すなおに「おいしい」と言いながら食べる。

 パートナーはそんな小さなことについてまで、「自分のプランになかったこと」を他人から持ち込まれたときに、一種の混乱と、それに対する心構えの作り直しが必要になるような気がします。当然、仕事から帰ってきた時なんかはかなり疲れた状態で帰ってくるわけです。

 そんなわけですから、私から何かを頼まれると、まずはマイナス面の検討が始まるのでしょう。そして表情は険しくなり、それを見ているこちらはなんだか罪悪感を持たされる。で、おやつを買うのと違って、まあ一種の面倒をかけることではあるわけですから、マイナス面の検討が終わった後も、別に喜ぶようなこともなく、そのままそれを実行する。そう考えると一応筋は通っています。

 定型の私の場合、相手から何かを頼まれたときにそれを受け入れる場合、「めんどくせー」と思ったとしても、まあにこにこして引き受けるわけです。だいたいは、ですが。なんでそんなこと(ある意味表情で嘘をついていると言えなくはないんだけど)するのかと考えてみると、つまりこういうことだと思います。「こういうめんどうくさいことでも、私はあなたのために喜んでやってあげますよ。私とあなたはそういう助け合いの関係にありますね」ということをその表情で訴えているということです。

 もちろんそんなこといちいち頭で意識してやってるわけじゃないんだけど(意識することもあるかもしれないけど)、ごく自然にそういうサインを出しているんだと思う。で、お互いにそれを確認することで安心する。お互いのつながりを感じ取る。だから、立場が逆になってこちらが頼むときに、相手がそういう表情をしてくれないとすれば「私はこんなめんどうなことを頼むあなたとは関係を持ちたくもないね」ということを言われているような気になる。

 ああ、そう考えるとまたちょっと思いつくことがあるんだけど、要するに定型っていっつもそうやって相手に「あなたとはお友達ですよ。いい関係ですよ。いつも助け合いましょうね。」みたいなサインを送りあっていて、そのサインが変化したりすると敏感に反応して「あの人、どうしたんだろう?私なんかわるいことしただろうか?」とか心配になり、もう一度関係調整を考えるようになる。これは夫婦関係とかになっても基本は同じだと思います。

 前にも書きましたがアスペルガーの人の行動の特徴の一つとしてしばしば言われることに「釣った魚にえさはやらない」というのがあって、結婚前はすごくいろいろ気を使ってくれたのに、結婚したら全然気を使ってくれなくなる、とかいう話も、このこととつなげて考えるとわかる感じがします。アスペルガーの人は「結婚」というひとつの安定した状態に達したと考えると、細かく相手を見て調整しなければならない、という感覚が生じにくくなるんじゃないでしょうか。「もう夫婦なんだし」という「枠」がものすごく安定してしまって。

 たとえばアスペルガーの人にとって自分が育ってきた家庭が離婚とかを経験していない家庭だとすれば、「夫婦というのは何をしなくても夫婦として続く」という「事実」がものすごく固いものとしてゆるぎなくイメージされていて、定型間ではそこに実は細かい関係の調整がいつも行われ続けている、というところにはあまり目がいかない。とすれば、自分が結婚したあとは、それはもう盤石な関係で、何をしなくても続くのが当たり前で、それが夫婦というものだ、というイメージが強いのかもしれない。(この辺、定型からの勝手な見方ですので、アスペの方からの「そこは違うよ」というご意見があればぜひ教えていただきたいです)

 どんなもんでしょうね。

 

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コメント

定型からの感想ですが…
「もう夫婦なんだから」というのはすごく当たってます。何もしなくても揺るがないと思っているフシがありました。結婚前でさえ、あまりに自分優先なので私が文句言うと、「もう身内みたいなものだから気を遣わなくていいと思った」という回答でした。
自転車みたいに毎日漕がなきゃ倒れるんだけど、夫はドカッと座ってるだけでした。

考えようによっては、放っといても大丈夫な、ある意味世話のかからない相手だったかもしれません。

ご報告が遅れましたが、離婚が成立しました。まだ養育費関連、財産分与関連の調停が残っており、今後とも気が抜けない状態です。

生涯を共にするつもりで結婚した訳ですから、せめて「なぜ離婚することになったのか」ぐらいは、認識を共有したかったですが、それもかないませんでした。「どちらが離婚を言い出したか」ということについてすら、認識が食い違っています。残念です。

定型同士も分り合える場合もあれば分り合えない場合もある。アスペルガー同士も分り合える場合もあれば、分り合えない場合もある。アスペルガー×定型も分り合える場合も分り合えない場合もある。

なにが、その「違い」を分けるのか・・・。今の私には分りません。

元夫とは「分り合えなかった」という「事実」を厳粛に受け止め、先に進みたいと思います。

それでは、再び山にこもって心の傷を癒し、今後の人生に向けての英気を養い、「普通の人生」を手に入れるための「技」を磨いてきます。

初めまして、たもっちです。
私は、発達障害の当事者で、繊細でかつ柔軟性を常時問われているマッサージ等の手技を中心としたセラピストとして携わっています。
家庭生活や職場では日常生活は、対人関係のやり取りが「貸しと借り」の形で、相互間の信頼関係が成り立って行くのだと感じています。元々それが苦手で経験の浅い当事者であるが故、それらを円滑にやり取りをして行く上で、苦労と試行錯誤の連続が今でも続いています。同時にその事が「成長と克服して、定型の人達には負けない。定型の人達には無い良さを引き出して頑張って行くのだ。」に繋がっているのだと感じています。
恥ずかしながらも、独身で未婚ではありますが、恋愛は男女相互間の心のやり取りによって成長し、結婚生活はさらなる成長と成熟だと思っています。
とにかく、定型であろうと当事者であろうと対人関係とのコミュニケーション能力の向上は、永遠の宿題だと意識しております。

チロさん

 「もう身内みたいなものだから気を遣わなくていいと思った」

 この言葉、すごくわかる感じがします。もちろんある意味では定型どうしでも、「そんなに気を使って、水臭い」と言われるようなこともあるわけだし、同じように言える部分があると思うんだけど、でもその「気の使わなさ」がなんか違うんでしょうね。

 「自転車みたいに毎日漕がなきゃ倒れるんだけど、夫はドカッと座ってるだけでした。」
 
 この表現も定型の私から見るとすごくわかりやすい感じです。特にアスペの方が男性の場合にはその感じが強く出るのかもしれないなあという気がします。
 ああ、そこで「仕事と家庭」ということを考えると、前にRosamondeさんが書かれていたように「仕事」ではアスペの人は定型には想像できないくらい「世間モード」にあわせるために頑張ってるところがあって、「家庭」はそれをせずに「自分モード」で居られる場だ、というイメージが強くあるのかもしれないですね。で、その「自分モード」がものすごくアスペ的になって定型とずれるとか。ふーむ。


たもっちさん

 はじめまして。発達障害当事者の方からのコメント、とてもうれしいです。今までも常連さんを含め、何人もの方からコメントいただいていますけれど、これからもどうぞよろしくお願いします。
 (何しろ定型の感覚だけでは理解が偏ってしまいます)

 たもっちさんは鍼灸マッサージをされているんですね。私は受けたことはありませんが、知り合いにその道に進んだ人が何人かいます。詳しいことはわからないので勝手な想像ですが、そういうお仕事って、相手の人の「体」とのコミュニケーションが大事なんでしょうね。もちろん言葉も使うでしょうけれど、カウンセリングみたいにそれが中心ということではなくて、やっぱり「体」が中心のコミュニケーションなのかなという気がします。

 定型とアスペのコミュニケーションを考えるときに、このブログでは自然に「言葉でのコミュニケーション」を中心に考えてきてましたけど、改めて「体」のコミュニケーションのこともすごい大切だろうと思いました。その視点からもまたコメントなどいただけたらうれしいです。

 「定型の人達には無い良さを引き出して頑張って行くのだ。」

 これ、すごくいいなと思います。同じように定型も「アスペの人たちにはない良さを引き出して頑張っていく」ということをやって、お互いに得意なところで補い合える関係ができるといいのになあと思います。

KSさん

 ここはまずは「おめでとうございます」というべきでしょうか。素直な気持から言うと「ご苦労様でした」という感じのほうが強いですし、あるいは「まずはよかったですね」という感じもありますが。

 まだいろいろ手続きは残っていらっしゃるようですが、いずれにせよ次への足場をしっかりと手にされたということだと思うし、わけのわからない状態に振り回されるのではなく、自分の足でしっかりと歩き始められる条件が手に入ったということを考えると、やっぱり「おめでとうございます」なのかなという気がしてきました。

 これまでの人生のかなりの部分を、定型とアスペのずれの問題に向き合ってこられたわけですから、今からはそれを他の人にはそうそう手に入らない貴重な「財産」として活かしていかれるのかなあと思ったりします。というか、私の勝手な願望かも知れませんが。

 カレンさんは「平凡な人生」、KSさんは「普通の人生」、私の場合はなんだろう、「おだやかな人生」かな?みんなで「凡人としての悟り」の世界を目指しましょうか 

>パンダさん
お祝いの言葉をありがとうございます。結婚より離婚が何倍も大変なら離婚は結婚の何倍も目出たい、「話し合い」が困難ないし不可能(>私たちの場合)な相手との離婚は普通の離婚の何十倍も大変な訳だから、私たちの離婚は(>私にとって)、結婚よりも百倍も何百倍も目出たいと思うことにしました。

離婚でスッキリ(>の何歩か手前?)したところで質問です。

実は、アスペルガー(?)な友だちがいます。才能があるタイプで仕事では成功してます。家族にも可愛がられて育ってるから、ちょっとぼ〜っとしてるけどそこが天然な感じで可愛い、というように周囲からは見られてる。友だちレベルでつきあうなら、スパイシーです。いろんな小説で、アスペルガー(?)と思われる人物が出て来るのは、(お話の中なら?)彼らの言動がスパイしーだからかな?と思ってます。仕事レベルでも(>学校時代の友だちでもあり、同業他社で仕事でも関係アリ)、時々ちょっと困るけど、基本、信頼出来ます。

メール出すとヘンなところに反応して、豊富な知識をいっぱいふりまいてくれて、そこがまた、「おいおい、反応するのはそこかい?」と、なんだか愛らしくて、息子もその人のファンで、その人からメール来ると、「今度はこんなこと言ってきたよ」と食卓の話題提供者です。(>Jちゃん、ごめんね。肴にして)

友だちなら気楽なので、ま、いままでどおり自然体でいいのかな?とも思うし、(高い部分の)能力がここまで高ければ(高い部分も広範)苦労はないのかもしれないから私が気をつかうことないのかな?とも思うけど(っていうか、「ちっとは私にも気をつかえよ!」とは時々思う)、でも、不必要な負担を与えることもない訳で、なるべく「アスペに優しい対応」を心がけたい、と思ってたりはします。

前置きが長くなったんですけど、よく、アスペルガーの人は体調悪い時なんかに「大丈夫?」って聞かれると、「だから大丈夫じゃない(>頭痛いなど)っていってんだろうが!」と腹立つとか聞きますが、その人も身体弱いので(>やっぱ無理してんのかな?)、しょっちゅうダウンしてて、なので、しばらくメール来ないと(>要返信なものに返事してこなかったり)「入院でもしてるのでは?」(>時々入院してる)と心配になって「体調は大丈夫?」などとメールしてたんですけど、これって当事者的には「不愉快」? 相手が「メールしたいな(>要返信のものに返信したいな)」と思うまで待ってあげた方がいいのかな? 要返信が緊急の時以外は、そっとしておいてあげた方がいいのかな? 「まだ間に合うけど、返信の準備はいかが?」というような方がいいのかな?

私としては、返事がなかなか来ないから(>調子いい時は、ほとんどチャット状態に返事が来る)、心配しちゃうんだけど、「心配」したってその人の体調が良くなる訳じゃないから、アスペルガー的には「無駄」なことしてる訳で、それじゃなくても負担の重い彼らの生活に、無駄な負荷をかけるのは、「友だちとして」避けるべきことなんでしょうかね。

・・・というようなことを、友だちに対してすら考えてしまう私は、もはや立派な後天的アスペルガーかも。(>自分の自然な感情が信じられなくなっている?)

「相手に媚びる」というのではなく、しかし、定型的な「思いやり」が相手に余計な負担をかけるなら、定型的直球じゃなくて、定型的変化球(アスペルガー的直球)で行くべきなのか?と思ったりもします。solitudeさんとこにリンク貼られてたルナさんの記事を読んで、発達障がいの方が子ども時代に味わう大変さ、というのがここまでなのか!というのにビックリしたりしたので。

要するに;
アスペな友だちからメールの返信がなかなか来ない時は、放っておく方がいいのか?
放っておかないとするなら、「体調伺い」はやめた方がいいのか?
無駄な心配は、不愉快か?(いつも「体調はどうですか? 入院でもしてるんじゃないかと心配です」という聞き方をしてきたけど、これってJちゃんには心の軋みをもたらしてたのかな?)

「ねぇ、私っていつも『体調大丈夫?』って聞いてるけど、これってJちゃんには負担だった?」と聞くのが一番速いのかな?とも思うけど、「それもどうよ!」とも思う。Jちゃんは、仕事も人間関係も普通にこなしてる訳だし、特に何も困ってなさそうだし、私も「ちっとも返信来ないけど、入院でもしてるんじゃ?」と心配するけど、それ以上には困ってない訳で、「もしかして困ってません?」なんて言うのはおせっかいだと思うし、それこそ不愉快だろから。

でも、それでも、ちょっとの工夫でJちゃんの負担を減らしてあげられるなら、減らしてあげたい・・・と思っています。

KSさん

 「アスペな友だちからメールの返信がなかなか来ない時は、放っておく方がいいのか?」

 なんですが、実は私自身がこの問題で大変悩まされたばかりで、「わからない」というのが正直なところです。ぜひアスペルガーの方に教えていただきたいですね。

 あるアスペルガーと私や友人が理解していた人が、ほんとに似たような状態で返事がもらえなかったり、体調が悪かったり精神的な状態が悪かったりも繰り返していることを聞いていたので、気を使いながらつながりはこちらから切ってしまわないように、すこしでも支えになることがあれば多少しんどくても継続する、ということを、友達とも相談しながらその人にしていたわけです。

 で、そういう働きかけ(こちらとしてはサポートのつもり)自体、相手の人にたずねてお願いされたから始めて、それでもどうも反応が少なくなったりすることもあったので、働きかけが負担になっていないかどうかを何度も尋ねたのですが、その都度「ありがたいです」みたいな肯定的な答えしか返ってこず、送るメールの内容なんかもちょっとでも気持ちを楽にしてもらえたらといろいろ工夫して反応を見ながら「喜んでいる」という意味の返事があったものを選んで送ってたりしたんですね。

 そしたら実はそれが負担だったと本人が言っていると、しかも第三者経由で聞いたんです。ものすごいショックでした。私としては本人の希望を聞いて始めて、定型的な感覚からすれば少ない反応の中で、しかしその少ない反応では常にプラスの反応が返ってきていて、何度も感謝されて、こちらとしてはしんどい思いもありながら、大変そうだからなんとかサポートをしてあげないとと思って続けていたわけですから。

 言ってみればそれまでの「感謝しています」とかいう返事は(定型的に客観的にみれば)すべて虚偽だったということになりますね。もうほんとうにショックでした。定型的な感覚からすれば完全に「だまされた」ということになります。しかも第三者に対してその私の「サポート」を非難していたわけで、もうほんとに激しい人間不信に落ち込みました。

 このブログではアスペと定型の間に新しいコミュニケーション(?)の可能性を少しずつ見つけてきたように思っていますけれど、それで自分がいい気になっていたのかなと、すごく反省させられています。ごく最近思ったことなのですが、この場合、相手の方は「受動型」と言われるタイプだったのかもしれません。相手に対しては一切否定的なことが言えないというような。まだよくわかりませんが。

 ということで、この事例で私が身にしみて学んだことは、たとえ相手から肯定的な返事や依頼があったとしてさえも、それをそのまま受け取ってはならない場合がある、ということと、こちらがサポートのつもりであっても、相手の人以上にメールしたりすること(回数)は極力さけたほうがいいし、むしろ相手の人より少なめに返す、という形がいい場合がある、ということでした。

 いやあ、ほんとに最近、これほど衝撃を受け、悲しく思ったことはありません。おかげで薬の量も増えてしまいました。パートナーとうまくいく部分が増えていただけに余計その衝撃は大きかったですね。ということで、どこまでKSさんのケースと共通するかもわかりませんし、自分の至らなさをさらすようでお恥ずかしいですが、反面教師の一事例としてご参考までに……。

 


当事者の一人としては、なんとかお役にたつようなコメントをと思い立って、とりあえず書き始めてみますね。

KSさん
こんばんは。何はともあれ、大きな一歩を踏み出されたわけですね。今後とも、着実に進んで行かれますよう、お祈り申し上げます。
さてお尋ねの件ですが、「アスペルガー的直球」←(すごくいい表現ですね)で行くのがいいと思います。
「最近返信をいただけませんが、どうかしましたか。『事情があって返信がしばらく滞る』のようなお返事で構いませんので、ご連絡願います。」
例文を考えてみましたが、見るだに・・・。要は、何らかの返事をこちらが欲しているということを「あっさり」伝えることだと思います。アスぺの方の「気持ち」をあまり斟酌しても仕方がないというか、「的外れ」になることが多いような気がするので。

パンダさん

おつらいことでしたね。その方が、こともあろうに第三者に対してなぜそんな言動を取ってしまわれたのか。その第三者は信頼のおける方ですよね。もしかしたら、パンダさんと「その方」の関係を悪くしようと画策しているというようなことはありませんよね。
申し訳ないのですが、それぐらいしか「想定」できませんでした。

>カレンの夫さん
励ましの言葉をありがとうございます。
そして、有益な助言も。その例文は使えそうです。今度、使わせていただきます。
あまり斟酌しない、アッサリ言うというのも心がけます。

>パンダさん
なんだか難しいですね。私も現在「知識太り」になってて、それが邪魔してる部分もあると思いますけど、「アスペルガーの人は思ったことをそのまま言う」のかと思えば、心と裏腹のことを言う場合もあるなんて。

なんだか、武士同士でつばぜりあいしてたら、忍者が後ろから手裏剣投げて来て、振り返ったら分身の術は使うわ、木の葉隠れの術は使うわ・・・で大混乱っていう感じですよねぇ。武士も忍者も「敵を倒す」という「仕事内容」は同じでも、武士の方は「武士道」とか言ってカッコつけてルールの中で闘ったり、下手すると敵と「心が通じて」しまったり、「武士の情け」なんかかけちゃったりもして、忍者から「バッカじゃね?」と言われてるっていうか・・・。

武士としては、あわわわわ・・・となっちまいますよね。

パンダさん、まだお薬飲んでるんですね。大変ですね。どうぞ、無理なさらないようにしてくださいね。

パンダさん
第三者から聞かされるとショックですよね。相手のためを思ってやってたのに。

希望的な解釈をしてみたんですが、第三者を挟んで伝言ゲームになっていて、負担になっていたと言っても文字どおりの意味ではない、というのは考えられないでしょうか?
私もウツのときは、友人からメールもらうと嬉しいんだけど、元気なく寝てるばかりの近況を書く気になれず、返信の一言を考えることさえ億劫で返信しなきゃというプレッシャーに困りました。

パンダさんの行為自体には感謝しているのは本当で、でも自分で返信プレッシャーを感じてしまって困ってたのも事実で、アスペだから、言葉の選び方がよくなくて第三者にうまく伝わらなかった、とか。

あと、パンダさんに対しても自分の微妙な気持ち(有り難いけど、返信はしんどい)というのを伝える術を知らなかった、という可能性も。(だから、パンダさんは返信なくてもいいと伝えて、迷惑じゃないかどうかを何度も確認したんですけどね…。)
あくまで可能性ですが。その人なりにパンダさんに気を使った結果かもしれません。

アスペだから思ったことをはっきり言うばかりではないなですね。言いにくいことを言うのは定型以上に難しいかもしれません。私の夫も、キャンセルの電話を入れることを嫌がって私にやらせたりしてました。

難しいですね。定型どうしでも声をかけるべきかどうかは迷う場面多いけど、一応、自分の体験や気持ちを参考にして、ここは普通声かけるべきとかそっとしておくべきとか推測できますが、それが通用しないとなると…。

パンダさん
またおじゃまします
いつもありがとうございます(゚▽゚*)

もしかして、想像力だけががくんと凹になっているタイプの問題ってことは
ありませんか?
うちの夫がそういうタイプで
それでモロモロのことの説明がつくと思いいたったんですが。。。

今までと違う状況でも 慣れ親しんだパターンで行動したり
繰り返し経験したパターンの決まったことでないと、因果関係が解らなかったり。

カレンの夫さん
KSさん
チロさん
ココチさん

 いろいろご心配、ご意見ありがとうございました。
 さっき、このブログにたどり着いた方の「検索語」を見たら、
 「変すぎるパンダ」というのがあって 
 「おお、その通りじゃん!」と思いました(笑)

 問題の方がアスペルガーかどうかも素人判断に過ぎないですし、
 (そう考えると多くのことが説明できてしまうとは感じますが)
 ココチさんが書いてくださった想像力の凹のことなど、
 ほんとにわからないことだらけなのですけれど、
 これまでにも同じパターンのことが大小繰り返されていて、
 いかに私の学習能力が低いか改めて証明されてました(笑泣)。
 今度は「アスペ」という私たちの新しい理解を前提に
 注意して「サポート」を考えたんですが、やっぱり駄目でした。
 
 なぜこういう展開になるのかについて、わからないわけですが、
 今の段階で想像していたのはチロさんが書いてくださったことに
 近いと思います。

 定型の目で「客観的」に見ればKSさんも書いてくださったように、
 背後から襲われたようなものですけれど、
 たぶんご本人にその意識は全くないような気がするんです。 
 むしろ被害者意識が今はすごく前面に立っていて、
 でもそれが安定してるかというとそうも言えなくて、
 joさんが問題にされていたような、他罰と自罰の間を
 激しく揺れ動くような混乱状態があるんじゃないかなと。
 繰り返し「感謝」されていたことも嘘ではないと思います。

 これまでの経験からそんな気がしています。

 しかし、チロさんが書いてくださったように、
 一応そういうことについても可能性は考えて、
 繰り返しやりとりについて大丈夫かどうか尋ねていたんですね。
 で、一、二度なら「お追従」というか「遠慮」で謝辞が来たとしても、
 こちらは真剣に何度も確認してるにもかかわらず
 (もちろんアスペという理解を前提に、短くわかりやすい形で)、
 そのすべてに一切否定的なことを書いてこられなかった、
 逆に肯定的な返事だったということでした。
 つまり、「相手の気持ちを(ことばで)確かめながら」
 というやりかた自体が全部ひっくり返されちゃったわけです。

 今思えば「受動型」のアスペの方への理解が足りなかった
 ということなのかもしれないのですけれど。

 なんにせよご本人の意図は別として、定型の私からすれば
 明らかに嘘をつかれて、KSさんの言われるように
 背後からいきなり襲われたということは
 もちろん大きな衝撃でしたけれど、
 それと並んで、「コミュニケーションの取り方」について、
 ほんとに大きな壁を見せつけられてしまった
 ということのショックが大きいですね。

 もちろん、いつかそういうことも乗り越える道を
 見出したいとは思っていますが、まあ、今はとりあえず撤退です。
 こういうの、ちょっと今の私の身がもちませんし。

 それにしても、ほんとに自分の学習能力のなさとか
 見きりの悪さとか、情けなくなりますね……
 

パンダさんへ
大変返事が遅くなり、申し訳ございません。
私は、言葉によるコミュニケーションが得意でなく、多くの人達に誤解と偏見を与え続けていました。そのために、高校卒業後は事務職を約4年間続いていましたが、電話の応対や混沌とした環境の変化について行けなかった事と「自分自身は手に職を付けて、特殊技術を持つべきなのだ・・・。」と悟った事で、鍼灸マッサージの道へと進みました。
当初は、人間関係のコミュニケーションがなかなか取れずにいて苦労の連続でした。
しかし、慣れて行くに連れて、多くの方からお礼の返事を頂く事が出来るようになって行き、その事が自信となって「言葉によるコミュニケーションから手や体を通したコミュニケーション」を重視して行くようになりました。同時に、人間関係の構築の重要性と必要最低限ではあるが言葉によるコミュニケーションの向上心に対しても込み上げて行く様になりました。
多くの発達障害当事者の方々は、職種や活躍している場所は様々ではあるが、自己表現の行い方が健常者と違っているため、集団生活やムラ社会の方を個人多様性よりも重視しているが故に、定型と発達障害者との共生が欧米諸国よりも進んでいない様にも感じ、苦労を重ねながらもお互いが仲良くできる社会づくりを目指している様にも感じています。

KSさん

離婚成立とのこと、まずは一区切りですね。

何と言っても、私は昨年KSさんが紹介してくださったアストン博士の本によって劇的に心持ちが変化したのですから、「私たちの今」はKSさんのおかげであるところがとても大きいです。

なので、本を紹介してくださってからほぼ1年後の今のKSさんの状況については、とても複雑な思いです。

自分もかつては離婚を前提に弁護士事務所等に通っていた経験があるので、「離婚成立」を喜ぶ気持ちもよくわかるし、「離婚成立後にも残る諸々の大変さ」も容易に想像できるので、なんとも複雑です。

でも、ここまで来られたからには、「今」と「今後」のことを考えていくのが一番ですよね。
「今」が幸せだと思えるようになれば、過去についても、「あの時があったから今がある」「今があるのはあの時のおかげ」と思えるようになりますから。

KSさんの決めた道を、応援しています。


KSさん、パンダさん、皆さん

メールの件は、私にはよくわからない、というのが正直なところです。

定型の(と思しき)人とであれアスペルガーの(と思しき)人とであれ、メールを巡っては「なんだこれ?!」という事態をいやというほど経験したので、定型とかアスペルガーとかの問題でもないような気"も"しています。ケースバイケース・・・としか、今の私には言いようがありません。それにしても、人と人とのコミュニケーションって、難しいですね。

それから、たもっちさんのコメントには、いたく感動しました。

うちは、夫をはじめ(?)アスペルガーまたはアスペルガー的な人間の多い家族・家系ですが、アスペルガー的思考と定型的思考が互いに否定し合うと破滅的、でも、逆に、互いのいいところを組み合わせることができれば「最強」「最高」だと思っています。

夫と私と、どちらが心臓でどちらが肺かわかりませんが、ともかくやっと、「自分を大事に&相手を大事に」することで、体全体が元気でいられるという状態になってきていると感じています。

夫の方は、「相手を大事にしないと自分がしっぺ返しに遭う」ぐらいに思っているかもしれませんが、ま、動機はどうであれ、「大事にされる」ことは私にとってもありがたいことです。私にしても以前の「自分が大事にされたい」願望だけではなく、「相手も大事にしたい」という気持ちがこの年になってやっと芽生えたようなものですから、「お互いさま」かもしれません。

カレンさん

素朴な(?)疑問なんですけど 「最強」「最高」の組み合わせで、「平凡」な家庭ってもう少し詳しく
説明していただけませんか?

私にとっては感覚的にわかるし、魅力的な方向性なんですよね!

でもうちの夫なら、その方向性が何回夫婦の会話の中で出てきたとしても(明るく)
「最強」「最高」だけが記憶に残ってしまうと思います。
時間が経てば経つほど。。。。。

KSさんが書かれていたように、
「せめてこれくらいは認識を共有したかった」と(わたしの側は)思うことになりました。

このあたりのこと、いつでも結構ですからお聞かせいただけたらうれしいです。


>アスペルガー的思考と定型的思考が互いに否定し合うと破滅的、でも、逆に、互いのいいところを組み合わせることができれば「最強」「最高」だと思っています。

ココチさんは、感覚的に分るとおっしゃってましたが、私はむしろここが感覚的に分らないです。「理想論」としては「そうだろうなぁ」と分るけど、具体例として分らないというか。

たとえば、天才の妻が、夫の社会性のなさを補って、夫がノーベル賞を取る。夫は妻のこことをピュアに好きでいつも感謝してる・・・なんていうのは、イメージしやすいけど、「対等」な関係で夫も妻も自己実現というケースでの「最強」「最高」がイメージできない。

ノーベル賞夫を支える妻は「愛する人のサポートという形での自己実現」かもしれないんですけども。ただ、この「サポート」も「自己実現」になる場合と、「自己実現」にならない場合がありそう。自分で分析しきれてないけど。

パンダさんやカレンさんは、相手が非定型だからこそ、こんないいところがあるっていうの、どんなとこ? 定型×非定型だと、定型×定型じゃできない、こ〜んないいところがあるよ、っていうのはどんなとこ?

非定型の友人との関係に活かせたらと思います。仕事では、多分、非定型?な天才肌と一緒にプロジェクトやらねばならないような場面もあるので、互いのいいところを生かして「最強」「最高」にできたらと思うし。

ご紹介したJちゃんとも、今、たまたま業界団体で同じプロジェクト引っ張ってるもんで、「非定型×定型」だからこその仕事が出来たらいいなと思ってます。

「(夫をサポートする)妻の『役割』」を生きてる場合は、夫がノーベル賞取ったら、「(ほんと変わり者で大変だったけど、成功しそうだったから頑張ってサポートして)当たり!」って感じ? だまら、もし成功しなければ、「はずれクジ!」っていう感じ?

「○という男の妻」を生きてる場合は、「○ちゃんがあんなに夢中になって、あんなに苦労してたことの結果が認められて良かった! でも、認められても認められなくても、頑張ってる○ちゃん大好き!」という感じ?

でも、そこに「非定型×定型」「だからこそ!」の「強さ」「良さ」があるとして、それって何?ってのがよく分りません。

KSさん

私も 上手く表現できないだけで同じことを思っていると思います。
誤解を与える言い方しかできなくて歯がゆいです。

「理想論」としてなんとなくわかるけど具体的な例としては わかりません!
だからこそ具体的に説明してくださいと言いました。

私もKSさんのように表現できる用になりたいと、日頃からおもっています。

〉パンダさん
お久しぶりです。読むだけですが、いつも山から降りては、記事を楽しみ?(という言い方は失礼かな…)にさせて頂いています。

〉KSさん

お久しぶりです。
私もしばらく山にこもっていますが、KSさんの離婚が成立された…というのを読みまして、昔の感謝をかみしめ、一言「お疲れさまでした」と言いたくて山から降りてきました。

半年から1年程前までは、私も先が見えず、自分を大切にと、あちらでKSさんらから励ましのお言葉を頂いたのを忘れる事は今後もありません。
カレンさんと重なりますが、それがあって、あれがあって、今があります。

KSさんと私は、意見や進む道は違う形になってしまったので、離婚が成立した事を知って、素直に喜んで良いのか正直複雑ですが、
KSさんが選んで決断した道ですもの、
「おめでとうございます」とは言えませんが、
「お疲れさまでした」の言葉を届けたいなと思いました。

1人の女性として大きな辛さと悲しみを抱え乗り越え、そして心新たな気持ちで出発点に立てたことを、私も辛く、そして嬉しく思い、何ができるわけではありませんが、陰ながら応援しています。

またしばらく山へこもらせて頂きます。

>カレンさん
そうなんです、一区切りです。ここまで長かったです。
私もアストン博士の本がなければここまで来られなかった。あの本をどう使うか?というのも、人それぞれということだと思います。あの本も「別れる」という観点で読んでみると、アスペルガーの人に対してずいぶんとシビアな書き方してるなぁ・・・と思うところも多々あります。関係修復の可能性も含めて読んでいた時と、調停に向けての「ノウハウ」を学ぶために読んでいる今とでは、「見えてくるところ」が違っています。名著ってそういうものかもしれません。

カレンさんご夫妻のご多幸、お祈りしています。

>みみさん
私の方こそ、たくさんみみさんから励ましていただきました。ありがとう!

沢山学べることのあるご主人と出会えたこと、だからこそ結婚継続を選んでいらっしゃること、そのことをうらやましく思います。私は夫といることに何のやすらぎも感じないし、夫に何の尊敬も感じられなくなってしまいました。

傷を癒しつつ、少しずつでも前に進むつもりです。みみさんもいろいろなことがあって大変だと思いますけれど、どうぞご自分をいたわってくださいね。お互い、よりよい人生を歩みましょうね!

>ココチさん
「うまく行かない組」から見ると、「そこんとこ教えてください。どうぞよろしく!」ってとこですよね。私はもう元夫との間で元夫婦として友だちとして「うまく行く」すら考えたくもないですけど(以前はせめて友だちになりたいと思ってたけど)、仕事の上での必要も多々あるので(私の業界「もしかして?」という人多いの)、不必要な摩擦を避け、出来ることなら(心の)交流も・・・と思っています。

>パンダさん
アスペ本に書かれた定型×非定型のコミュニケーションスキルが、私の場合、いまひとつうまく使いこなせなかったのは、ひとつには、それらの本に書かれているスキルが「摩擦を減らす」「定型側をなんとかラクにする」という観点からの、下手すると「操縦技」だからかもしれません。

以前、夫に悪意を持って「命令」した時、驚くほど物事がスムーズに進んで仰天したことがあったけど、あれは、コミュニケーションが成立したのではなく、定型が非定型を「操縦」したにすぎないと思います。「相手を怒らせてやれ」という悪意が「逆効果」になった例ですけど、意図的にこの「技」を使えば、「私の意図を通す」ことは容易なのかもしれません。恐ろしいものを見ているような気持ちになりました。私が相手にしているのは何者なんだろう?と。(定型が悪意を持って非定型を利用しようとすれば、簡単なのかもしれない。そこにも底知れぬ恐さを感じました)

アストン博士の本も「定型の側がどうやって自分を納得させるか」という本というように読めないこともない。「定型×非定型の結婚は可能だが、定型の側により大きな負担がかかる」ともキッパリおっしゃってるし。

パンダさんがなさっていることは、そこを「対等」にしようとなさってる訳だし、本当の意味でのコミュニケーションの道を探していらっしゃる訳で、これまでだれもやってこなかったことにチャレンジしているのだと思います。

みみさん

 みみさんの「しばらくお休み」は「山ごもり」だったんですね!やっぱりKS仙人のように仙人修行でしょうか?拙いパンダ記事ですが、楽しんでいただけるのならとても嬉しいです!


KSさん

 「パンダさんがなさっていることは、そこを「対等」にしようとなさってる訳だし、本当の意味でのコミュニケーションの道を探していらっしゃる訳で、これまでだれもやってこなかったことにチャレンジしているのだと思います。」

 これを拝見して、もう感激です。自分が実際にちゃんとそうできているとはとても思えないのですが、でも思いとしてはそれを目指しているのは確かです。
 「我を知る者はKSさん!」と思いました。

「パンダさんやカレンさんは、相手が非定型だからこそ、こんないいところがあるっていうの、どんなとこ?」

 これ、全く暗中模索ですね、私の場合。

 パートナーとの関係について言えば、自分自身と母親との関係でしんどかった部分について彼女がすごく救いになったことは間違いありません。その後だんだんと関係はシビアになって自己崩壊にも至りましたけど、このブログでずっとやってきたように、改めて自分自身の生い立ちや彼女との出会いなどを見つめ直してみることで、そういう「母親との対比」みたいなところで彼女に救われている部分は、多分今も続いているというふうに思うようになりました。で、それはパートナーがアスペルガーであるから、という部分と多分切り離せ無いという気がしています。 

 それからもうちょっと個人的な話を離れて考えてみると、アスペルガーの人が一定の割合どの社会にもいる、ということは多分偶然ではなくて、きっとアスペの人がいることによって初めてその社会が続いてきた部分があるんだろうと思うんです。どこが、ということは難しいんですが、たとえば「他者の感情に振り回されずに、極めて冷静に状況を見て行動できる」という風にアスペの人の「非共感性」を言い換えたとしたら、定型が集団的なパニックになるような深刻な事態で、それに巻き込まれずに行動することで、結果として「共感的に」パニック状態になってしまっている定型の人に対して、より適切な対処法を示してくれたりしたかも知れない。まあ、これはちょっと「極限状態」みたいな極端な例ですけれど、人間の長い歴史の中ではときどき起こることですから、そういうこともあるかなあという気がします。

 もうちょっと日常的な場面で考えると、ひとつはやっぱりIT関係の技術者としての適性とかはもしかすると定型なんかよりありそうな気がします。プログラマーとか。定型の方はそうやってアスペの人たちがつっくってくれたプログラムを活用して仕事したり遊んだり、新しいバーチャル世界をどんどん広げていっている。そしてそのことで世界がものすごく大きく変化しているわけですから、こういうところも見逃せないポイントかなと思います。

 あとは、もっともっと日常的で、個人的な付き合いの中で、ということになると、まだほんとによく分かりません。そこまでいくと、単にアスペと定型というだけでなくて、すごくお互いの個性の組み合わせみたいなのも絡んでくる気がするし、職種などによっても随分違うだろうし。今のところそれぞれの小さな工夫を少しずつ積み上げて考えていくしかないのかなあという気もします。

KSさん、ココチさん

今日は、息子の勉強を見たり、夫とDVDで映画を観たり、外出していたりで、今寝る前になってやっとPCを開けました。・・・と、わぉ、ご質問が・・・!

今すぐにでもじっくり読んでお返事したいところですが、実は、数年前の入院の際に処方された山ほどの薬のうちあと10分の1ぐいらは今でも就寝前のみ服薬して(急にやめると離脱症状が強く出るので、慎重に慎重にここまでなんとか減らしてきました。全部やめるまでもう1歩です!)

コメントの途中で朦朧としてくると思うので、今日のところはまず寝ますね。明日もお盆で夫の実家に行くので、お返事はあさって以降になると思います。すみませんが、ちょっと気長に待っていてください・・・m(__)m

このへん、自分だけわかってて、他の人にはわかりずらいかなぁ、と思っていたところでもありました。ご質問、ありがとうございます! 


パンダさん

ということで、今夜はこれで。またあさって以降、コメント入れたいと思います。おやすみなさい。

上のコメントの、「このあたり」とは「最強」「最高」のことをさします。服薬のことではなくて。すみません、曖昧な書き方でした。ではでは、おやすみなさい。

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